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はてなキーワード: アフリカン・アメリカンとは

2020-09-19

anond:20200919181315

アフリカン・アメリカンて言い方、べつに最近出てきたわけじゃないし。増田が知らなかっただけ。

他の国の黒人もそう呼ぶってホント?悪いが違ってそう。

2020-06-10

PHPブラックリストホワイトリスト議論面白い

https://github.com/php/php-src/pull/5685

この変更は https://go-review.googlesource.com/c/go/+/236857/インスパイアされたもので、whitelist/blacklistを全てallowlist/blocklistに置き換えるものです。

大半の変更は内部的なものですが、2つだけ例外があり、RFC必要です。

(略)

これに33のサムアップ、8のハートが付いたがそれ以上に否定的な反応が多く57のサムダウン、1つのうーんフェイスが付いた。煽りに煽った返信もたくさん付いていてそれが面白い

黒いフォントは変更しないといけないのか?スクリーンはだいたい白だから

市民運動には賛成します。しか後方互換性のない変更をプログラミング言語に追加するのは反対です。開発の基本方針を忘れてはなりません。

あなたは本当に黒と白という単語を全ての場所で殺すつもりですか?

白文字を削除しろ!!!白文字は消されるべきだ!!!

荒らし返信見るのが悲しい

もとのリンクを見てない人のためにどうぞ:

これらの用語テック業界での使用についての議論はこれまでたくさんあった。

ここでもう一度同じ議論をしようとしているのではない。これらの用語で傷つく人がいることは明白である技術的な理由でなく歴史的社会的文脈理由で歓迎されないと感じる人がいる。これだけの理由でこれらの用語を置き換える理由としては十分だ。

いずれにせよallowlistとblocklistの方がwhitelistとblacklistより自己説明的だし、この変更にかかるコストは負だ

指摘があったように、私は市民運動には賛成するがこれらの単語の除去は大きな影響があります後方互換性の破壊)。

面白いのはこの用語を変えようというのが単に「黒」「白」を人種差別的な意味を含まずに持っているだけという理由であることです。結局は我々はこれらの単語を除くことで、新しい差別用語を「創造」してしまっています

allowlist/blocklistの方が説明であるのでより良い用語であるということに賛成します。これを踏まえてなお、blacklistとwhitelitsを差別用語と呼ぶのは単純に間違えています

まず、blacklistの語源黒人は一切関係ないです。さらに、これが黒人に対して攻撃的な意味で使われたことは一度もありません。この単語攻撃的であり差別的な含意があると見せかけたいのはある特定の極端な非黒人集団だけです。これは中国の服を中国人以外が着ることが攻撃である考える人々と同じくらい馬鹿たことです。

黒という色は多数の文化において否定的意味合いを持ちます。これは全ての単語を狩り落とすのは不可能無意味なほどに埋め込まれていています

まずはある人々の集団のことをblackと呼ぶのをやめましょう。色が先、人種は後です。色はイメージに結び付けられており、変えることはできません。

偽善はやめて、本当にインパクトのあることに集中しましょう。

あなたに完全に賛同します。黒人白人アフリカン・アメリカンイングリッシュアメリカンと呼ぶことを提案します。近視眼的な思考はやめるべきです。これはただの言葉狩りです。

抑圧された人々を代表して声を上げることはだいたいの場合は正しい行いです。良心の行動、美しいです。しかし、それも時々は無意味でありただ不必要な混乱を生むだけです。私はもし誰かが「ホワイトハウス白人至上主義のシンボルだ!」と叫べば笑うでしょう。もしホワイトハウスを塗り直したいのなら、どうぞ。そして世界を救ってください。

blacklist/whitelistが攻撃的だと言っている人が全員白人なのを見るのは面白い

99%の単語差別から来てる。もし単語がどのように構成されるかのレシピが与えられて、あなたがそれを否定するなら、あなたは一度一歩下がって、どうして事実を信じたくないかということを考えるべきだ。

英語を使うのをやめなければならない!英語他人奴隷化するような輩が話す言語だ!

しょうもないなあ

2018-09-10

アジア人黒人より身体的に弱い

という劣等感は扱いが難しい。


大抵の話の流れだと

日本人黒人より身体的に弱いことを"ずるい"」

ということを日本人が言うと、それはアンフェアであると批難される。

しかし、これは近年の差別の話の中だとアジア人自分弱者だと定義するのは正当性のある発言になってしまう。


例えば

アフリカン・アメリカンアジア人身体的に弱いとい思うのは劣等感だよ」

アジア系「うん。実際アジア人身長も低いし筋肉も付きづらいし、劣等だし、劣等感も抱えているんだ」

アフリカン・アメリカン「え?」

アジア系「だから格差の影響の少ないスポーツに行くよ」


という話になってしまうのも最近の話の流れだと問題ない。

現代社会だと弱いほうが強いので、これをどう体系的にフェアネスな形に持っていくのかすごい難しい気がしている。

フェミニズムでもそうだけど、最近社会はどんどん身体的な差異を認める方向に持っていってるから

男性女性は違うし、男性ホルモンが強すぎる選手陸上で除外もされたしね。

2016-01-20

スパイク・リーが辞退した

白人ノミネートばかりなので今年のオスカー(だったかな)を辞退するというニュースを見たが…。

同じアフリカ系でも、ナイジェリアガーナ映画産業に力を入れていて自分たち自分達が楽しめるコンテンツを作ろうとしているのに、なんか違和感を感じる。

もちろん被差別としての北米コンテキストがあるのは重々承知だが、それでもアフリカに住んでいるアフリカ人よりアメリカアフリカン・アメリカンの方が遥かに恵まれているのではないだろうか。

オスカーという枠組みの中で主張をするより、スパイク・リー自分アフリカン・アメリカンが選ぶ良い映画の賞を作った方がいいと思う。

今見たら #id:Nettouochi意見をもらっていたので、書くと、そのポイントも重々承知しているつもりなのだが、今まで正直散々それをやった上で結果、2016年これってのが現実だと思うので…、アプローチ変えたほうがいいんじゃない?って北米では感じる。という所。

 
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