どうにかしようと毎日模索して金も時間も使ってる発達障害者の私は
自分は右左がわからなくなった時に、とっさに小学校時代の黒板を思い出してしまう。
教室の黒板の隅に「左」「右」とそれぞれ書いてあったのだ。
発達障害の診断がくだされたせいで
周囲からあらぬことを影でいわれたり発達障害ってだけで排除されたりする現実に気が付かず、
「やったーこれで周りに合わせようと頑張らなくていいーみんな優しくしてくれる!」みたいな能天気なこと考えてる人多そうだよね
できない原因がわかってもね、どうそれをカバーするか考えなきゃいけないのに
社会的に不具合が生じさせても許される免罪符か何かだと勘違いしてるんじゃないかって人が多い気がする
自分と向き合って適正や嗜好を明らかにして、自分にあった社会生活のあり方を模索するってことは
定型発達者でも自分のことをよくわからないまま自分に合わない職についたりしたら色々うまくいかないことがでてくるよ
逆にいえば発達障害の診断がなくても自分の適正をある程度見極められていれば自分にマッチする生き方をイメージできるし
障害という枠組みに囚われて自分がどういう人間なのかを考えようともしないような奴は
「だめな奴」から「関わると面倒くさい障害者」に周りの目が変わるだけだ
そう考えると診断のあるなしなんて大したことじゃないと思えてこない?
障害をすんなり受け入れられることが一概に聡明だとは言い切れないと思う
??「効率化こそ最優先!管理表を導入して無駄を省こう!……今まで作っていた書類?当然作るに決まっているじゃないか!」
仕 事 が 増 え ま し た 。
ただ、我慢して疲れることもある。
同僚とかにいじられるのは我慢できるんだけど、役職レベルの人にきついことを言われるといらっとうする。
多分、私の何を知っているのって思うからかな。
あいつになら何言っても大丈夫だろうと思っているのか知らないが、私は笑顔でハハハッって言ってるけど内心イラってしているのわからないよね?
本人は相手のこと考えてないだろうし、それを言ってご満悦だろうけど。
取り繕うのに本当に疲れる。同僚と違って下手に変なことは言えないからね。
テレビとかラジオとかネットとかでなんとなく聞いたり見たりして、
「これなんでいいのに売れないんだろう(流行らないんだろう)」って思ったコンテンツが、
よく考えたら、一回見た、聞いた、触っただけで「これすげーいいじゃん!」って惚れやすい気がした。
BLって自分を物語の枠外の存在に置けるから安心して楽しめるっていう話を聞いたことがある。腐女子が男女恋愛モノを避けるのと30代のおっさんが学園モノを避けるのは同じ心理なのかなって
直属の上司「すごーい!あの人たちは机上の空論を語るのが得意なフレンズなんだねー!」
私的 ここが駄目だよジャップランド ランキング1位入賞してるのがこの現象
ほんまいい加減にせーよ