2014-05-09

とあるメンヘラと呼ばれがちな人の日記

わたしの病気は、数年前に発症した。

当時、勤めていた美容室で、いまなら余裕で労基に駆け込むくらいのパワハラを受けていた。

毎日仕事に行くのが嫌で嫌で、仕事に行けば今日も怒られやしないかと緊張し、案の定怒られ、落ち込み、すみませんすみません、以後、気をつけます、がんばります、と小さな声でオーナーに頭を下げていた。

それでも言葉暴力毎日続いた。

家に帰れば、職場で受けたストレスで泣いてばかり。

ごはんをまともに食べるのは夜だけ。

どうもおかしいと思い、病院に行ったら5キロ以上痩せていた。

腕がガリガリになって、タンクトップを着ていると、気持ち悪い、と言われた。

そんなことが数年続き、とうとう本当に嫌になったわたしは美容室を辞める。

人間ひとつのことに頭を縛られると、周りが見えなくなってしまうらしい。特にわたしはその傾向が強い。

当時運営していたブログもっとよく知りたいと、職業訓練ウェブ制作のコースに通った。

HTMLCSSは独学で勉強していたので、なんなく卒業ウェブ制作を立ち上げたばかりの会社バイト入社した。

ところがコーダー入社したつもりが、人員がおらず、いきなりお客様交渉、サポート、企画提案、ディレクションデザインコーディングドメイン管理、なんでもやった。

プライベートでは友だちもでき、少し、体調はよくなった。

それに並行して、離婚の話が出る。

離婚たかった。もうこの人とは生きていけないと思った。

ここは、わたしの生きる場所じゃない。死ぬ場所じゃない。


東京に戻り、派遣ながらも某企業ウェブ制作仕事にありつけた。

とても刺激的で楽しかった。

仕事メンバーや、上司にも恵まれた。

やっとまともに働ける。ワープアなんて、もうまっぴら。

給料もたくさんもらえるようになり、生活も安定するようになった。

でも、リーマンショックディレクター全員が首を切られた。

わたしもそのひとり。


そのころ、好きな人がいた。

そいつがひどいやつだった。

何度かあったりしていたけれど、他に女性ができたようだった。

その女性は、彼とのことをブログに書き、写真を公開し、すぐに分かった。

バレバレなんだよ、間抜けめ。

それからまた体調がおかしくなり始めた。

というか、行動、思考パターンが完全に狂い始めていた。

当時、いろいろと相談に乗ってもらっていた友だちにも、わたしのあまりおかしさにあいそをつかされ、「あいつは頭がオカシイから、もう付き合うのやめたほうがいいよ」と、ほかの友だちにも吹聴し、全員からシカト状態。

裏切られた思いがした。あんなに仲が良かったのに。

そして完全にわたしは孤立した。

時を同じくして、父の胃がんが発覚。もう末期で、余命間も無いと言われた。

あの元気な父が、死んでしまう。

目の前が真っ暗になった。


そのころ、わたしは某ポータルサイト運営する会社に勤めていた。

相変わらず派遣正社員になりたい。魅力の正社員

がんばって仕事をしていたけれど、上司から、お前は残業するな、と言われた。

朝、目覚まし代わりの携帯が鳴っても、目覚まし時計を最大音量で鳴らしても、起きられなくなっていた。

毎朝、妹に電話してもらって、やっと起きる始末。

父の病気心配なのと、当時付き合っていた男性ともうまく行っておらず、ますます体調は悪化

そりゃ上司残業させるわけがない。

悔しい。

なんでわたしばかりが。

どれもこれも、わたしを裏切った間抜けな男と、「あいつは頭がオカシイから」と吹聴したアホな元友人のせいだ。

そうでも思わなければ、やっていられなかった。

そうこうしているうちに、付き合っていた彼にふられた。

もう、おまえとはやっていけない、ついていけないって。

電話メールも、全部無視された。


そのころ、なにもかもおかしくなっていたわたしは、頻繁に手首を切るようになっていた。

切った傷あとから血が流れるのを見ると、安心する。許された気がする。

左腕に、ものすごい数の傷あとができた。

でも、やめられなかった。

ある夜、突然なにもかもが嫌になって、睡眠導入剤を大量に服用し、本格的に手首を切った。

すでに寝ていたであろう実家の妹に、電話をした。

薬を飲んで、手首を切った、と告げた。

妹はすぐに救急車を呼べ、明日になったら東京に行くから、と言うので、言うとおりに119番をして救急車を呼んで病院に運び込まれた。

死にたかったのに、なんで救急車を呼んだんだろう。

傷は浅く、飲んだ薬は胃洗浄で処置

それでも意識は遠のいて、何度も何度も看護師さんに体を叩かれ、揺さぶられた。

うるさい、もうほっといてくれよ、わたしはもう眠りたいんだよと思った。


翌朝、妹が病院へやって来た。

どうしてこんなことになったのか、たどたどしく説明をした。

妹は泣いていた。わたしは泣かなかった。感情は、どこかへ消えていた。

妹をわざわざ東京までこさせ、泣かせてしまったことだけは、後悔した。



誰も信用できない。

どいつもこいつも上辺ばかりだ。

信用したら、裏切られる

裏切られたり、見捨てられるのはもうたくさんだ。

から出たさびとは言え、友だちを失ったり、自分自身をめちゃくちゃにするのは嫌だったけど、受けた傷は深い。

誰かを恨み、憎んで、呪って、だけどそんなことをする自分もっと嫌で、生きるのが嫌になった。

今でも生きるのはしんどいことだと思っているし、日本安楽死制度があったら、もう死んでると思う。

それでも生きているのは、家族のためだ。

妹や夫、夫の両親を悲しませたくない。

でも本当は死にたい

それは、今通っている病院先生にも話している。


夫は、俺と一緒に生きるんだよと言う。

とてもありがたいことだし、だからこそ結婚したのだけれど、やはりふとした瞬間に死を考えてしまう。


ときどき、父や祖母の遺影に問いかける。

なぜ自分が生きているのか、なぜ生まれてきたのか、わからない。

生まれてこなけりゃ、こんな思いをすることはなかったのに。

こんな病気にならなくても済んだのに。

父も祖母も答えてはくれない。

いつか、わたしがあの世へ行った時、答えてくれるだろうか。

だけど、そんなことはわからないし、この先もこの病気と付き合い続ける。

だいぶ、いろんな出来事を端折ったが、今の思いを書き残しておきたかった。

ではみなさん、ごきげんよう

  • そんなこんなしながらも、離婚だの付き合っただの夫だの支えになれる人間がいるのに甘えるなと思ってしまう いくら他人が居たところで癒やしや救いにならないのはわかっていても、...

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