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はてなキーワード: 作業服とは

2024-06-06

食事のみで居酒屋を利用する人


最近モヤっとしたことを吐き出してみたい

彼氏と月に一度、居酒屋に行くことがある

居酒屋の中ではトーク寄りのお店で、カウンター席ではみんなでガヤガヤ楽しむようなところだ

私も彼も、まだ交際していない頃からそこを利用してる。

というか、そこで知り合った。お気に入りの店である

半年ほど前から、あるお客さんが来るようになった

作業服姿の男性で、その人はカウンター席に座るんだけど、お酒をほぼ飲まない

いつもウーロン茶と、おにぎり焼き鳥などをちょっと食べるだけ。お酒を飲んでいるのを見たのは一度きりだ

※たまにいっぱい食べているみたい

その人がマスターに向かって、「ご飯だけだけどごめんね」と言うと、マスターが「ぜんぜんいいですよ」というやり取りを聞いたことがある

ところで、その人は、ほかのお客さんに話を振られてもまともに返さないことが多い

仕事で疲れているから」とか「明日は早朝から現場から」と言って、話に入ろうとしない

お酒を飲まないにしても、協調性がないのではと感じる……

いつだったかある時、若い店員さんに、「もっと食べましょー!!」と冗談っぽく言われた際に、急に怒り出した

「お会計お願いします!」と言って、立ち上がって、マスターが止めるのも聞かずにお店を出て行こうとした

あの時のマスターは、本当に必死だった。何度も引き留めてた、かわいそうなくらい……

マスターとそのお客さんとのやり取りを聞くと、怒った理由というのが、

「もし俺に病気障害があったらどうするのか。もっと食べようと言われて、そのお客さんは傷つくんじゃないのか?」

というもの。なんだそんなことか、と感じた

気持ちちょっとわかる。わたしもあまり食べられる方ではない。それで残念なことはけっこうある。お刺身だけでお腹がふくれるし、鍋の〆のうどんとかラーメンが食べられないこともある

でもわたしは、「こういうお客さんはちょっとな~」と思う。ほかの人はみんなお酒を飲んでいるのに、あの彼だけは飲まずに、しかも会話に入ろうとしないのはどうなのかと。だったらお店に来なければいいのに

こういう考え方は間違っているかもしれない、という思いもある。世間知らずなだけかもしれない。よろしければ、人生の先輩方の意見を聞かせていただきたいです

2024-05-11

スカート履いてる絵はエロい批判されがちだが、そもそもスカートという服そのものエロいのでは?

ブルマーのようにスカート制服から消えるべきなんじゃないだろうか?

公共の場ではスカートやめてズボンにしよう。

たとえば大本海軍セーラー服みたいな格好にすればいい。

つうか海軍モチーフの服とか軍国主義っぽくて気持ちいかセーラー服自体をもうやめよう。

男女で制服をわけるのがそもそも意味不明なので制服もっと無機質で作業服っぽいのにしよう。

2024-03-28

「60億人に届く言葉を答えよ」

俺が大学工学部に行っていた頃、単位を埋めるためにとったある人文学講義レポート課題の一つに

「60億人に届く言葉を答えよ」

というものがあった。

どんな講義だったかとかその時なんて書いたかとかは一切忘れてしまったんだが、評価がBだったことを覚えている。そしてとくに記憶に留めることもなく、それを忘れ去ってしまった。

それから15年ぐらい経って、俺は風力発電風車点検する作業をしていて、北海道のだだっ広いが何もないところに建てられた風車を、マニュアル通りに点検する仕事をしていた。

この仕事はとくに忙しくはないが、つまらない。

そんな時に、ふと、15年前の講義のその課題を思い出した。

同僚が隣で手を作業服にゴシゴシと擦り付けていた。これは彼の癖で、ゴシゴシ擦り付けるもんだから作業服がところどころ薄くなっている。俺はゴシゴシくんと彼を呼んでいた。

俺はなんとなくその同僚に「60億人に届く言葉って、なんだろうな」と話しかけた。

ゴシゴシくんはちょっと考えて、「さあ……」と答えると、またゴシゴシし始めた。

なんなんだろうな、と思いつつ家に帰ったが、寝たらどうでも良くなった。

そして数日後、仕事をしていると、ゴシゴシくんが「俺が昔受けた講義で……60億人に届く言葉を答えよっていうのがあって、なんとなく今思い出したんだよな。どう思う?」と言い出した。

俺はちょっと考えて、別に突っ込むところでもないかと思いつつ「さあ……」と答えて、ただ仕事に戻った。

anond:20240328134106

というかスーツ着て仕事してればだいたい大卒だと思われるよ

作業服着てたり、競馬場パチンコやで会ったなら高卒って思われる

身なりや場所で「らしさ」は変わる

2024-03-13

anond:20240313223710

変態親父

61歳 岡山

変態大好き

俺は野外SMが大好きな変態親父や。

朝早く散歩している爺さんの目の前でベンチに座り作業服からちんぽ出してせんずり、みせてやる。

縛り、ローソク浣腸、小便など何でも気持ちいいならやるぜ。スカトロもやる。

しかし。俺が相手出来るのは50歳以上や。地下足袋ふんどし姿で野外でやろうや。

高松広島大阪京都岡山映画館地下足袋だけでメチャメチャになりたい?

一緒にやろうや。

2024-03-07

もう田舎ワークマンは昔の作業服屋に戻れよ

既存の客をないがしろにするな

2024-03-02

anond:20240302092734

半導体製造クリーンルームは、製品が軽く乾燥していて常温の環境だけど、四六時中作業服着て働くから全然快適じゃないよな

2024-01-07

anond:20240107134204

作業服とか制服ポケットがない理由で、いまだにまともな回答見たことないんだけど

地震議員日本国民性

現地にいち早く駆けつけた議員批判され

正月パーティしてる議員はまあそんなもんかで流される

結局、お上お上らしく振る舞ってれば「まあアイツらそんなもんか」と言われるだけでそんなには批判されないのかもね

そういう意味で岸田総理作業服来てるがあれは悪手なのではなかろうか

菅直人が叩かれてた時を思い出す

彼も作業着来てたが、あれはいけない

災害時こそスーツ着て庶民とは違う立場感を出さないとキケン

同じ身分勘違いした下民がクソを投げてくるから

犬をしつける時にビシっとした態度をするのと同様、服装上下を示さないと国民ちゃん不安なっちゃうんだよね

せめてハリケーンの時のオバマ大統領みたいにビジカジにしておいた方がいい

2024-01-06

岸田が作業服新年会ハシゴして叩かれてるが

岸田さまはワイらのために賃上げ要請してくれてんのに叩くの恩知らずすぎるだろ

被災者復興増税してやるからちょっと待ってろ

2023-12-06

anond:20231206092851

新品じゃない作業服を用意するの?どういう意味

贅沢させたくない

人を雇用管理するものだけど

ぬくぬくとした部屋を与えたくないし

新品の作業服を与えたくないし

余計な差し入れを与えない

 

贅沢は人を弱くすると思うので

常になにかが足りない環境で生きてほしい

2023-12-03

田舎に転勤になって死ぬほど辛い

当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内大学文系学部卒業し、ストレート大手メーカー総合職として就職。配属は社内情シス

その俺が、入社数年して突如地方転勤を言い渡された。

転勤先は東海道新幹線とある駅まで数km田舎工場で、工場情シスということで仕事の内容自体東京本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。

が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というもの過小評価していた。

就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業バンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方生活経験してみたい、東京以外の生活面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。

俺と同じように実家東京でずっと東京生活していて地方生活も悪くないかもと考えている都内大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。

ぼんやりした理由地方転勤を絶対承諾するな。

東京生活に飽きたか地方生活してみたい、は絶対後悔する

そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。

地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。でないとニトリ家具に囲まれ地方うんこ製造するしかなくなる。

新幹線から見える工場

これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。

都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色

そう、そこに田舎工場がある。

想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。

地方転勤の想像現実ギャップありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。

23区外、いわゆる多摩だって田舎だし、東京から離れた田舎だって同じ日本なんだから大して差はないだろ、という勘違い

23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎から」と自虐を宣う人を良く見かける。

こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。

駅までせいぜいバス自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店カラオケネカフェ松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。

この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京郊外と、本当の地方田舎じゃ天と地との差がある。

地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合必要になってくる。

明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。

東京に住んでいたら、休日時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間バス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。

東京場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。

コンビニも近いかちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。

それが田舎では全くできない。

田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合必要になる。というか、外出する目的必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。

だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景引っ越し初日で飽きる。何にも面白ものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。

ネットAmazonもあるし、もともと休日に頻繁に外出するタイプじゃないか地方だろうと部屋の中でのQOLは都会と大差ない、という勘違い

俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCネトゲやったり読書したりとインドア趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットスピードに関しては東京より快適だった。

だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない東京に居たときレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン作業服した作業者、とにかく人間がいる。

対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットアマゾンでは全く埋め合わせることができない。

アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだものいくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎アパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。

田舎で成り上がる意味はない。田舎で成り上がったその先は、都会への移住

で、これ。

住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎田舎の転勤ならそうなるかもしれない。

だけど東京育ちの若者田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。

から、上昇志向のある人間必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住目標になる。田舎工場工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。

田舎トップになるより、東京底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。

から田舎で昇進して成り上がるなんて人生目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望けが向上心の持っていき場になる。

偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京会社キャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。

東京実家に戻ってさらに実感

お盆休み実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。

しろ何もかもが最高なのだ

UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。

図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!

映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。

「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。

東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。

箱根富士五湖横浜の港、アクアライン千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市秋川高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園代々木公園新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化芸術スポーツも最高に楽しめる。

東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。

お盆が終わり、誰も待っていない田舎アパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代合コン会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独アパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。

大手企業から20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まい全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。

東京育ちで地方転勤ありの会社を悩んでる人へ

あなたと同じ東京育ちの人間として親切に忠告する。

地方転勤がある会社絶対選ぶな。

年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。

地方転勤命令なんて人権無視非人道的行為のものだ。好きなところに住む権利基本的人権の一つだ。

転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。

俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社新卒が全く集まらないような社会になってほしい。

転勤ありの会社地元から社員募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。

だっておかしくないか企業企業土地代の安い田舎工場事業所を作るわけだから土地負担額は数十億円単位セーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域活性化してお金地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。

ニトリソファ買って田舎暮らし。向き不向きあるだろ。

虚無

 自分パワハラをされていたと常に言っていたが別にしたことではなかったのかもしれない。乗り越えられなかっただけだ。

世の中にはもっとつらい思いをして働いている人もいるし、自分が受けたもの世間から見たら大したことではない。

労働内容も過重労働と言われるほどのものではないがサービス残業は当たり前の人を道具としてしか見ない会社絶望をしてしまっただけだ。

トラック誘導ミスして自分がぶつけたことにされた時、朝礼でその日行ってもいないのにトイレを流すこともできないのかと笑われた時

印刷したものデータと同じかどうかを確認する追い出し仕事をさせられた時、納期に間に合わせるための残業無駄呼ばわりしているのを聞いた時、

議事録をつける仕事パソコンを与えられず仕事もできないのかと怒られた時、何度も自分の昼飯だけわざと注文されていない時、耳元で用事もないのに大声を出されたりする程度だ。

数えればたくさんあるがこれくらいのことは社会に出ているならたくさんあるのだろう。

 中でも一番自分が辛かったことは退職届を出した後、3時間くらい常務にお前はできるやつだと思っているからまだ頑張れないか?と言われていた時だと思う。

自分は本当は期待されていてそれに応えられない情けない奴じゃないのかと帰り道の公園で何時間も泣いた。人生最悪の日だ。

普通に考えたら人手不足になるからなのだが、当時はそのようなことを考えることは出来なかった。

こういったことが段々エスカレートしていったのは、自分工場長残業代や有休をなかったことにしていることに対して上司に怒ってしまたからだと思うが、

これは社会人として間違っていても人間として間違っていたとは思わない。

しかし、触れなければいいのに変に正義感が強いせいで関わってしまい日々苦しんでいるので悪意に敏感なことは人生マイナスだと思う。

それから最終出勤まで食堂で飯を食べれなくなり近くの川で泣きながら弁当を食べるようになった。

会社を辞めるころには体重20キロ近く痩せ40キロになっていた。親は泣いていた。

最終日に営業部長に最後菓子折りを持って行ったが目の前で捨てられた。しかし、ここにはもう来なくていいんだと

ボーナスマイナスになって支給された作業服を駅に捨ててこれから明るい未来を描き出すぞと帰宅した。

 

しかし、実際は会社を辞めてからも楽にはなれず、就活も失敗し失業保険も貰わず引き籠ってしまった。

精神が弱ってるのに就活で出歩いていたら肺炎入院したりもした。

そこから数年は友人が心配して連れ出してくれる時だけが自分の心に色がついていて他の時の記憶感情の思い出が一切ない。

自分は何もできないやつということだけが残った。

 

自分は7年無職をしているがその間就職活動はまばらでありながらもしていた。

働きたいと常に思っているが、またパワハラされないか非常に恐れている。

合格するための企業研究面接練習などは常に行っている。

しかし、面接までたどり着くとこの求人票の内容は嘘なんじゃないか、またパワハラされるのではないか不安になり

ブラック企業ではありませんよね?という最悪の質問をしてしまう。これでは受かるはずもない。

そうすると不安になり、就職活動ができなくなる。このループだ。

精神科に行って治療をするべきなのは明白だが、自分は健常者だと思っているプライドが許さない。

そうすると時間が経ち、後戻りできない社会不適合者の誕生する。

まずはアルバイト派遣で働けというのもその通りだ。しかし、自分出遅れいるから早くまともな会社で働いて仕事の中でスキルアップをしたいと考えていた。

内向的社会不適合者は飲食倉庫業で働けというのも定説だろう。だが、回転率の高い職場では人間扱いされないんじゃないかと一歩が踏み出せない。

当たり前だが働いている人は偉い。自分は最下層の無職のくせに選り好みしかしないカスだ。

2年の経理と毛の生えた簿記知識だけでは雇ってくれる会社などない。

毎日求人を見ても将来ブラック企業の輪から逃れられないんじゃないか絶望している。

自分は周回遅れだからその分給料は低くてかまわない。

年下の上司だって不満はない。しかし、人間扱いはしてほしい。

ただそれだけのことが難しい。自分能力不足だと思ってしまう。

朝起きるとブラック企業で働かされる夢を見て考えてしまう。

動画配信なども心の底から楽しめず、ゲームをやろうとも思えない。

布団に入れば過去自分の情けなさに泣いてしまうし、食欲不振で胃になにも入っていないのに嘔吐のモーションが出てしまう。

落選封筒が届いたときに親が悲しそうな顔をするのは耐えられない。

死んだら悲しんでくれるだろうと思うと自殺もできない。

またブラック企業に入ったら自分が耐えられない。

自分言い訳で逃げるだけの卑怯者だ。

 

自分性格は、いわゆる真面目で責任感が強くプライドだけは高いタイプだ。

他責思考になれれば楽だと思うが自分自責思考になってしまう。

逃げる度胸もないか自分が行き詰ってからしか気づけない。

自分他人に優しいのは、自分に優しくしてほしいだけの自己満足しかない。

表面上は人には優しく真面目だから、こんなにいい人なのにと言われるが一番社会通用しないタイプである

男に大事なのは中途半端能力より根拠のない自信や細かいことを気にしない勢い、失敗を恐れない強さだと思う。

自分は男社会必要とされる気持ちがが欠落しており、よくできた弱者男性だなと泣きたくなる。

これを持たないで一度レールを外れてしまったら、もはや復帰不可能空虚に生きるか死ぬしかないと考えてしまう。

ひろゆきみたいに生活保護臆面もなく取ればいいって考えられたり、迷惑youtuberのようにインモラル行為で注目度を集めてアピールする度胸もない。

内向的プライドが高い真面目だけが取り柄の男らしさの欠片もない精神病のアラサー男に現代日本は辛すぎる。

全て逃げてきた自分が悪いから逃げ場もない。

ただ希望が欲しい。

2023-10-13

弱者男性だった頃の自分へ 1/2


先週、32才になった。思うところがあって、過去恋愛的なことを振り返ってみたい。

数年前だったかはてな匿名ダイアリーが『弱者男性』の話題で盛り上がることがあっただろ。その時に気になってた。

それで、恋愛に興味がなかったあの頃と、恋愛をしてみた体験を綴ろうと思ったのだ。

今は一応、結婚したいと思える人ができた。けど、昔は紛れもなく弱者男性だった。

その頃のことを語りたい。最初に言っておくけど、失敗談だ。読んでる人が退屈にならないよう心がける。

(本文開始)

28才あたりまでは、まごうことな弱者男性だった。恋愛的な意味での。一応、消防設備会社正社員として働いていた。電気工事士とかの。安月給だが、生活できるだけの金は稼げる。月に一度は焼肉だって行ける。夜の店には行けないけど。

ただ、恋愛に興味がなかった。全くといっていいほど。子供の頃から……。童貞としての真正性を有していた。

女性と話すことはできた。挨拶でも雑談でも仕事でも、知らない人に話しかけることはできる。地蔵男子みたいなやつじゃなかった。

地蔵男子の特徴】

女性から声をかけてもらえるのを待っている(悪い結果になるのが怖いから)

・他の男子の前では恋愛できる風を装う(劣等感の裏返し)

プライドが高い。食事の誘いを断られただけで全存在否定された気分になる

大体こんなものか。今思えば、一番目には当てはまっていたかもしれない。女性食事に誘うと、相手が嫌な気分になるんじゃないかと思って誘うことができない。「傷つくのが嫌だ」という思いもおそらくあった。

当時の仕事内容は、消防設備のもの点検だった。年収は350万程度。

内容はといえば、工場文化ホール体育館の奥まった所にある消防機器配電盤を開けて、自動火災報知機ちゃんと鳴るかとか、誘導灯が切れてないかとか、消防計画ちゃんとしてるかとか、消火器が期限切れになってないかとか、何十項目かのチェックを重ねていって、クライアント点検結果報告書を渡して、それが最終的に地区消防組合に渡る。

あなたも見たことがあるかもしれない。作業服を着た人がオフィス廊下を歩いていて、自撮り棒をもっと長くしたようなやつ(熱源付き)を持ってる。それを天井にある火災報知器に当てると、ジリリ!という音がして、火災報知器が正常に作動してることがわかる。

今思えば、情けない社会人だった。官公庁メインの案件担当していて、防火対象物点検結果報告書役所に持って行った時に、よく若手公務員に小言を言われた。「日付は空欄って言ったでしょ?」「判定不備の一覧表作ってくれますか」「修繕の見積り予算オーバーしてるんですけど何とかなりませんか」など、言われたい放題だった。



29になる年だった。女性社員が事務員として入ってきた。地元出身で、大学を出たばかりらしい。うちの会社関東田舎にある中小企業だった。大卒女子は珍しい存在である(N子とする)。

当時はすでにコロナ禍だった。N子はマスクを付けていても瞳が印象的だった。丸っこい感じだけど、視線が鋭い。茶色い瞳孔で突き刺してくるんだよな。でも、やっぱりまあるい感じの眼で、ギャップがある。

話をしてるとクールな印象だ。背筋が伸びている。冷たい香りは漂ってなくて、心の奥から人の善さがにじみ出てる。面と向かって話していると、ほんのりと気高く甘い、葉巻のケースの杉の香りのような雰囲気を感じる。そんな立ち姿だった。

笑った顔も素敵だ。マスク越しだから当然笑顔なんて見えないんだが、それでもワクワクした顔をしてるんだなっていうのが伝わってくる。

性格は言うまでもない。いい子だった。正直者で、嘘をつかない。いや、ひとつ嘘があったか。今ではもういい。

の子食事に誘ってみようと思ったのは、夏のことだった。

俺がやってる仕事事務的内容(消防点検結果のチェック、工事見積請求関係消防提出用報告書類の編綴とか)を手伝ってくれていたのだが、人柄がいい子だなってやっぱり思っていた。

「好き」だという感情は、この時はなかった。プラス感情があっただけだった。心臓がどきどきするなんてことはない。廊下ですれ違う時に挨拶したり、「髪切ったね」→「前髪切ったんですよ」→「似合ってるね」→「ありがとうございます」といった何気ないやり取りとか、N子がこっそり休日出勤してた時(※無給)に事務所で暑そうにしてたのでエアコンを付けたりとか、そんな程度だった。

の子食事に誘いたくないなという思いと、やっぱり誘いたいという思いがぶつかっていた。それで、その年の夏だった。労働組合が一応あるんだが、新入社員対象バーベキューを催すことが決まった。自分は当時、組合青年部長的な役をしていた。それで段取り役の1人になり、どういう風にバーベキューをするか思案していたところ、会社から車で35分ほどの長閑なエリアにある食肉卸を見つけた。ガレージ提供サービスがあり、何千円か払ったら焼肉用の食材を用意してくれるらしい。会社の近くのスーパーで売ってる肉より何割か安い。低予算でも皆がたくさん食べられて、よさそうだと感じた。

ひとつ問題があった。夏場にバーベキューとか、果たしてみんな来るのだろうか。特に女性。どう考えても臭くなる。そこは、もう1人の段取り役の男性が何とかしてくれた。自分の2つ年下で、女性と難なく会話ができるタイプモテ男だ。息を吐くように女と自然な会話ができる。見た目もいい。スラっとしていてモデルみたいだ。

そいつ(T君としよう)が、ネットワークを使って新入社員だけでなく、ほかの世代女子も集めてくれたのだ。彼は俺と違う部署だった。企画部だ。経営陣に近いところで仕事をしている。

当初の参加者候補

新人max5人、組合幹部若干名、手伝い2人(Tと自分

実際の参加者

新人5人、年次が5年目までの女性3人、組合幹部若干名、手伝い2人(〃)

という構成になった。3人増えているが、予算はまだ余裕があった。食肉卸を選んでよかった。1人あたりの料金が安すぎて量が心配だったが、当日は全員がんばっても食べきれないほどの肉・野菜おにぎり提供してくれた。炭火セットまで付いていた。

もし、スーパーマーケットで全部用意していたとしたら、1人頭で5000円以上はかかっただろう。

ガレージ内の簡易テーブルに座ってわいわいと歓談したり、肉を焼いたりしていたのだが、開始1時間ほど経った頃だった。労働組合執行委員長が「みんなで自己紹介しましょう。ここにいる全員で」と提案し、1人ずつガレージの端に立って自己紹介タイムが始まった。

自分の出番は後の方だった。執行委員長が「増田君~!」と名前を呼ぶと、緊張しつつも出て行って、1分くらいかけて自己紹介をした(個人情報なのでほとんど略。剣道やってたことと読書趣味)。

それが終わって、炭取用のトングで熱した炭火を耕していると、N子がこちらのスペースに寄ってきてた。さっきまでは真ん中にあるテーブルで、ビールを飲みながらガールズトークしてた。

またとない機会だった。N子に話しかけてみようと思った。女子大生が着てそうな、上下ひと揃いで1万円以内な感じの装いだった。灰のロングスカートと、年季の入った青いチュニックを着てた(後に知ったが両方ブランドものだった)。マスクを付けていない姿は予想どおりだった。笑顔が素敵な子だった。

それで話しかけてみた。以下、会話の抜粋

お疲れ様です」

増田さんお疲れ様です」

「元気ですか?」

「元気です!」

「肉おいしいね

「もう食べられないです」

「御冗談を……」

冗談じゃないです」

「(本当に?)俺ももう無理。おにぎりならなんとか」

「もうなくなりましたよ」

「そっか。残念」

「お肉か野菜で取ってほしいのありますか?」

「(無理って言ったじゃん)え、取ってくれるの」

はい

・・・・・・

「N子さんは肉が好き? 野菜が好き?」

「どっちも好きです」

「区内だと、どのお店によく行く?」

「えーと」(※お好み焼き店和風居酒屋サイゼリヤを挙げた)

「N子さんはけっこう食べる人かな」

はい、 食べます!!」

「よかったら今度、ご飯食べてみたい?」

「えっ、やったっ。連れて行ってくれるんですか?」(「ヤタッ」という発音だった)

「いいよ」

ありがとうございます!」

それで、初秋に一緒にサイゼリヤに行って、その次の週は洋風居酒屋に行った。その次は、一緒に紅葉ライトアップを見に行ったっけ。

その帰り際だった。自分自家用車を持ってなくて、N子が乗ろうとしてる車の前で見送りをしてる時だった。よさそうな雰囲気になって、N子の肩に軽く手を回して、それで両腕で抱きしめた。N子がふふっと笑う声と、息遣いが首元に届いて……抱きしめ返してくれた。

俺は「愛してます」と言った。N子が抱かれたまま頷くと、髪とか頬が首筋をひっかくみたいになって、くすぐったかった。それから、「いつからですか~?」みたいなやり取りが続いた。

行為をしたのは年末頃だった。いきなりホテルだった。最初は家でしたかったのだが、そこはまあチャレンジだと思って突撃した。

別に特別ものは何もなかった。あー、肌が触れ合うってこんな感じなんだな、とぼんやり思った。事前にインターネットでたくさん勉強してたのもあって、40分ほどかけて最初のは終わった。あまり動かないセックスだった。タニシ同士が田んぼの中で生殖行為をしてるみたいな、ゆっくりとしたセックスだった。

最後に、ベッドの中で横向きにN子を抱きしめてる時、ホルモン的なやつが脳内から出ていた。人生で初めて味わう種の脳内麻薬だった。ビビビビ、と静かな高揚感が連続して襲ってくる。

食べ物でいったら、温泉卵が乗った肉そぼろ丼を一口ずつ味わってる時みたいな、そういうじんわりとした幸せを噛みしめていた。



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ごめん。今日はここまでだ。

明日仕事日だったけど有給を取った。

終わりまで書けると思う。午前中を目標にする。

(続き)

弱者男性だった頃の自分へ 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20231014112231

2023-10-05

今日の昼、某牛丼屋に行ったんだよ。

俺の隣にはこの辺で工事やってるらしい作業服おっさんが座った。

ビール、ジョッキでときやがった。

頼んだ丼ものをほおばりながらビールをグビグビグビ~と流し込みやがって、

くーっ、羨ましいぜー。

でもそのおっさん、昼で仕事上がったようには思えないんだよ。

酒強い奴ならビール一杯くらい飲んでも関係無いのかなあ。

ここはオフィス街、この間鉄骨が崩落した現場から直線距離で500M前後だ。

こういうおっさんはその手の作業とは関係ない作業してんだろうな。

2023-08-24

納品や保守点検しか顔を合わせない人達

毎月顔を合わせて10年経つが、必要最低限の事以外はお互い喋らない。

たまに「暑いですね」とか「寒いですね」とか当たり障りのないことを言うだけ。

先日、町で見かけたあの人は、作業服雰囲気とは違い、めっちゃパリピだった。

2023-08-23

AIすごいなー

標準的洋服歴史的には軍装や作業服カジュアルであるという話と、普段着が全部モンベルになる現象と、スポカジというトレンドをむすびつけて1000字程度のエッセイを書いてください

ChatGPT

タイトル: 服装の変遷:軍装と作業服からモンベル、そしてスポカジへ

服装は、時代文化によって常に変遷してきました。歴史的視点から見れば、標準的洋服の多くは、元々は軍装や作業服から派生したものと言えます。このような変遷を経て、近年では「スポカジ」というトレンドが登場し、新たな服装方向性を示しています。また、普段着が全てモンベルのようなアウトドアブランドになるという未来像も浮かび上がってきました。これらの要素を通じて、服装進化文化的な背景について考察してみましょう。

歴史的に見ると、多くの洋服は軍装や作業服デザインを元にしています軍隊戦術機能性を重視した服装を開発し、その後これが民間に普及していきました。例えば、ボタンが多く使われるスタイルポケットの配置は、兵士たちのニーズに合わせて考案されたものであり、その後の洋服デザインにも影響を与えました。

こうした歴史的な影響から進化して、現代では「スポカジ」が注目を集めています。スポカジとは、スポーツウェアカジュアルウェアを組み合わせたスタイルのことを指し、快適さとスタイリッシュさを両立させるトレンドです。これは、現代社会がよりアクティブダイナミックなライフスタイルを求めている影響を反映しています。人々は日常的な活動においても快適な服装を求め、それがスポーツウェアカジュアルウェアの融合という形で表れているのです。

一方で、未来服装についての展望として、「普段着がすべてモンベルのようなアウトドアブランドになる」という考えも興味深いです。これは、環境への配慮アウトドア活動重要性が高まる中で、機能性とデザインが融合した服装ますます需要を増す可能性を示していますアウトドアブランドは、耐久性や保温性といった要素を重視しつつも、洗練されたデザインを取り入れることで、多くの人々に支持されています

こうした服装の変遷やトレンドは、社会文化の変化を反映しています歴史的な軍装や作業服カジュアル服装へと変化したように、現代のスポカジも私たち価値観ライフスタイルの変化を映し出しています未来服装についての展望も、環境問題やアクティブ生活への志向性が影響を与えています

結論として、服装歴史的な背景や社会的な要因によって大きく形作られてきました。軍装や作業服から派生したカジュアル洋服、そして最近ではスポカジというトレンドが、それぞれの時代における価値観需要を反映しています。これから服装は変化し続けるでしょうが、その変遷を通じて私たち文化社会の移り変わりを読み解くことができることは間違いありません。


https://anond.hatelabo.jp/20230820142921

2023-07-19

anond:20230719082727

追記あり

しゃあねえ一肌脱ぐか。

引きこもり10年後に社会復帰して、現在正社員貯金700万の中年独身オッサンだ。

俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので

バイト求人電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった。

引きこもり始めて5年目にこりゃもう鬱だから働けないんだそうに違いないと精神科の門を叩くが、大したことなかったらしく軽い抗不安薬のみ処方される。

その後、抗不安薬パワーでバイト面接に応募するも、退化した体に工場作業はキツすぎて一ヶ月経たずに止めた。

その後、逃避行動として資格勉強を始め、業務独占資格を二つほど取った。これが後で生きてくる。

そしてネットで見たサポステに応募。カウンセリンググループワークをしばらく続ける。

これは本当にありがたかった。

周りはみんな自分と同じダメ人間なので、数年ぶりに引け目のないコミュニケーションが取れる。

同居している親の話では、この頃から俺の目に生気が戻り始めたそうだ。

サポステ社会復帰を目指す場だが、自分から行動を起こさなければ

ダメ人間の集まりという居心地よすぎるぬるま湯にそのまま沈む恐れがある。

年齢的にも危機感を感じていたのとサポステ職員にケツを叩かれていたのもあって、もう一度バイトの応募に挑む。

ここでサポステ活用法を教えよう。

ヒキニートバイトに応募する際に躓く点として「応募先の電話番号までは押せるが、通話ボタンを押す指が固まって動かない」という、ヒキニート特有のどうしようもない症状がある。

社会復帰するぞバイトを始めるぞと決心してから、数ヶ月も半年ボタンを押せずに携帯電話にらめっこし続けるという引きこもりあるあるネタだ。

この症状は、サポステ解決できる。

単純な話だ。

職員携帯を渡して、通話ボタンを押してもらえばいい。

一切の容赦も慈悲の欠片もなく、軽々と通話ボタンを押してくれる。

コールが始まれば、もう後は話をするしかない。

最初の一歩を踏み出す勇気がないのなら、誰かに背中を押してもらえばいい。

そしてサポステ職員背中を押すのが仕事だ。遠慮なく手伝ってもらおう。

そうして始まったアルバイト

身体も本調子ではないのでそりゃあ辛かったが、峠を乗り越えればルーチンワークになる。

三年勤めたところでバイト先が閉店し、また自由の身に。

ここでまたサポステに戻るが、今回は僅かながら失業保険が出ている。

そして俺の履歴書には業務独占資格が二つ。

俺は職業訓練校に入学した。

元の資格に関連したコースを選び、追加の資格を取り、資格が生きる業種の求人に応募した。

経歴の空白期間フリーターとして詐称

面接も滞りなく進み、小さな会社正社員として採用される。

そして今に至るというわけだ。

趣味ゲームネットくらいしかない子供部屋おじさんなので、貯金勝手に溜まっていった。

100万ほど手元に残して、残りはインデックス投資に回している。


勝因はサポステの利用と資格だったように思う。

サポステネットでもいろいろ言われている通りで、利用したらそのまま就職までオートで行けるような便利機関ではない。

ある程度は自分から意欲出して動く必要がある。

そしてサポステにとっては利用者バイトを始めた時点でゴールなので、その後の社員へのステップアップは自分で考えて動かなければならない。

就職後も相談には乗ってくれるのでうまく活用しよう。

しかしそれを差し引いても「ダメ人間同士で気兼ねないコミュニケーションが取れる」という一点だけで、利用する価値がある。

誰と話すこともない、長年の引きこもり生活で弱り切った声帯リハビリすることができるからだ。

普通に考えて、この症状をリハビリできる環境は限られる。

「アッ……アッ……」としか喋れない状況で、どこで誰に話し相手になってもらうというのだ。

サポステならそれができる。これは本当にありがたかった。

おかげで、ある程度まともに喋れる状態社会復帰に望めた。

今ならネトゲでボイチャするという手もあると思う。


そして資格

たまたま逃避行動で取った資格業務独占資格だったのが勝因だった。

これが自分能力証明するタイプ資格だったら

ここまでトントン拍子にはいかなかったと思う。

だって、「何年も仕事をしないで基本情報技術者を取りました!この資格は私の能力が高い証明!」なんて胸を張ったところで、

IT業界で何年か働いている人の方が普通に評価高いのは分かり切ってるでしょ。

引きこもり資格を取り始めると末期だなと言われる理由がこれ。

しか業務独占資格は「この資格を持つ従業員がいなければ、この業務をしてはならない」という資格だ。これは需要がある。

業務独占資格の中には実務経験年数が定められてる資格もあるが、それが受験資格でなければ気にする必要はない。

「私を採用すれば〇年後にこの資格持ちになります」は大きなセールスポイントとなる。

引きこもり逃避行動で資格を取るなら業務独占資格に限る。


以上が脱ヒキしたオッサン経験談だ。

アドバイスとしては、サポステに行け。声帯リハビリしろバイト初めろ。職業訓練に行け。就職しろ。どっかで躓いて何もかも嫌になったら資格を取れ。

何年か越しのプランになると思う。

個々人の素質にもよるが、急がずに一歩ずつステップを踏んでいくのがいいだろう。

お前は、お前が思ってるほど絶望的な状況ではない。

10選手社会復帰したんだぞ?何年坊主だお前。

ニート暦で俺にマウント取れる奴そうそういないだろ。

わかったらサポステ行ってこいサポステ

大丈夫だ。俺やお前のようなやつを扱う専門の所だから

問い合わせの電話でアッアッってなったとしても、向こうも慣れたもんだから

バイト応募の電話かけるより百倍気軽にかけられる電話だぞ。


からさ、まずは今よりちょっとだけ前に進もう。

応援してるぞ。

____________________________________________________________

追記

いや、バズり過ぎでは。

なんか俺が優秀な感じにされてるけど、取った資格は難関でも何でもないし

給料は一昔前に「年収〇〇〇万円時代を生き抜く」とか言われたレベルだぞ。

単に親元で、たまたま酒も女もやらなかったおかげで溜まってるというだけだ。

貯蓄額を出したのは、元ニートでもこれくらいはできるんだぞと勇気を与えたかったのと、あとは自慢。

だって、貯蓄の額なんてこんなところでしか言えないもん。許せ。


そして俺が自信満々なのは引きこもり時代後遺症で中二マインドが抜けないせいだ。

この世の大多数よりも人間的に上の存在であるという、根拠のない自信を持っている。

いい年こいて恥ずかしい持病だが、仕事をする上ではこの自信満々なスタンスが謎の信頼感を生むらしい。

なんか知らんうちに良い方向に働いてて驚くこともしばしば。

あと俺が取った資格は難関でも何でもない。

普通入社してから働きながら勉強して取るような基礎的な資格だ。

資格名前とかをぼかしたのは、単純に身バレ防止のためだ。

かなり大胆に経歴詐称して入社してんだよこっちは。

ホッテントリに入るだけでもビクビクしてんだ。察してくれ。


そして、社会復帰資格ありきで受け取られるのはちょっとマズい。それはちょっとやめてくれ。

俺達引きこもりは「やらない理由」を探すことにかけては達人なんだ。

現状を自己正当化する理由を四六時中考え続けて数年間の猛者だぞ。年季が違う。

俺の社会復帰資格が役立ったことは確かだが、

俺の社会復帰資格のおかげとなると、みんな大喜びで「じゃあ資格を取るまで就活しなくていいよね!」となってしまう。それはまずい。


実際のところ、職業訓練所を出ればそれだけで「口だけではない、最低限の技術が身についた者」であることを証明できる。

そのルートを行くなら、資格はなくてもいい。

さな会社では門外漢素人よりも、職業訓練あがりの少しはわかってる奴の方が歓迎されることも多い。

そして、職業訓練所は就職斡旋機関だが、ニート更生機関ではない。

アッアッな状態職業訓練所に入っても、おそらく就活コケる。

から最初サポステに通い、人間性を取り戻そう。

その上で必要ならバイトで「働く」という経験を積み、

それから職業訓練所で社員を目指すというのが俺のお勧めする社会復帰コースだ。


そして、一番大事なことを忘れてた。

これは完全に職歴なしで卒業後そのまま引きこもり生活送っているタイプニートへのアドバイスだが、

スーツを着てオフィスワークする夢は、一旦捨てろ。

俺たちは「引きこもりパソコン大先生自分にもできること」という考えで

パソコンを使った仕事に就こうと考えがちだが、一旦その考えは捨てて、視野を広げよう。

作業服を着て現場に出る仕事はいだって人手不足だ。

その中で、体力的な負担比較的少ない仕事を選べ。

それなりに忙しく動いて体力は消耗するが、筋力勝負ではない。

俺たちにとっては、そんな仕事が狙い目だ。

そういう仕事は、意外とある

出入りの業者さんと雑談してると、意外と無職期間があったり

ニートで今の会社に拾ってもらったという人もちらほらいる。

社会復帰してる元ニートが意外と多いということは、

それを受け入れる土壌も意外に広いということだ。

あとな、機械いじりにも意外と特性あるぞオタクは。


まとめると、別に俺は特別優秀ではない。

資格を取るのは行き詰って動けない時にしろ

数か月を寝て過ごすよりはいい。

職業訓練所は使えるバフだが、何度も使えるものではない。

タイミング大事から就活できる態勢が整ってから挑め。

そして、現場仕事視野に入れろ。

現場のオッチャンたちも、思ったほど怖くないぞ。


以上だ。

ヤバそうな流れだったので、急遽追記させてもらった。

資格あくまで「あったら役立つ」ものであって、

資格がなければ就活できない」というものではない。

これ大事なことだからな。

資格を取るまで行動を後回しにするのは違うぞ。

資格を取ってからサポステに行こう」なんて最悪だからな。

並行で行けるから。並行で。

サポステはそんなフルタイムで拘束されるとこじゃないから。

サポステ行って、なんやかんやして、それでも時間は余るから

じゃあ、この時間資格勉強でもするか。と、そうなるなら良いと思う。

まず動こう。まず。

資格のことは横に置いて、まず行動をしよう。

締めの言葉は前と同じだ。


今よりちょっとだけ、前に進もう。

2023-07-10

アマプラの『世界を変えたテレビゲーム戦争』観てたら…

アマプラ無料の『世界を変えたテレビゲーム戦争』を観てたら、

No way. We are engineers. We don't know anything about manufacturing.

(とんでもない。僕たちはエンジニアであって、製造業ことなんて何も知らないんだから

というセリフが出ててきた。


これは、アタリ設立前のノーラン・ブッシュネルが、『Pong』の成功を受けて仲間のエンジニア

「(Pong大量生産するため)製造業に乗り出そうよ」と提案したのにたいする返事なんだけど、

頭脳労働であるエンジニアリングと、手作業としての製造業をハッキリ区別してるんだ」と思ってハッとした。


というのも、日本だとエンジニア作業服を着て仕事してるイメージがあったから(特に60~80年代は)。

作業服は無意識レベルで「あなたは油汚れや工作機械操作が想定される現場にいますよ」

というメッセージを伝達するから、そういう価値観世界観なんですよね?きっと。


一方、英語のマニュファクチャーの「マニュ」は「手の」に由来するから

雇用主の「手先」となって肉体労働をする工場労働者と(現代日本では社畜と言い換えて差し支えない)

机上で設計作業を行うエンジニア区別したくなるのかもしれない。無意識的に…


追記

余談だけど、リドスコ映画プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』では、

人間創造した(地球人にとっては)神のような宇宙人を「エンジニア」とか

クリエーター」って呼んでますけど、単に響きがカッコイからではないと思う。

2023-07-09

清掃会社人材不足マジでヤバい

本当に人手が足りないし、猫の手も借りたいぐらい人手不足になった結果、外国人を雇う事になった。

もう外国人を雇い続けて1年になるが、これが頗る評判が悪い。

仕事漏れややり方に不備があるので指摘しても、カタコトの日本語で「ハイ、ワカリマシタ」とは返ってくるが何度言っても改善されない。

本社に早く日本人雇ってくれ仕事が回らんと伝えても改善されず。金がないんだろう。発注側も安い清掃会社を使いたいので、もうこのまま安い清掃会社従業員として致命的なミスでもして、「少し値が張ってもまともな清掃会社を使おう」と思わせるのが俺か社会的役割なんじゃないか?とさえ思った。

またとある日、外国人自分の入館証をトイレに誤って流したと言っていた。意味わからん。流す前に気づくだろ普通トイレじゃなくて誰かをビルに入れるために横に流したんじゃねえか?とさえ思った。

入館証トイレ流しの件と再発行の話がビル管理会社に届きこっぴどく怒られ、「従業員反省文書かせてくれないか?再発されては困る」と言われた。俺も対策してえけどうっかりでトイレに流す意味がわからねえもん。一応現場では入館証をポケットに入れず常に首にかけて携帯するというルールを再度周知はした。当該のベトナム人も「ハイ、ワカリマシタ」といった。そしてオーナーの言う通りに反省文書かせた。ベトナム人の彼なりの計らいではあったんだろうが英語がびっちり並んだ反省文が返ってきた。律儀に書いてくれてありがとう。俺は英語が読めないので、そのまま管理会社に渡した。管理会社部長は「これはふざけてるのか?」とブチキレた。俺は上の空でこの仕事に別れを思った。

そんなこんなで数ヶ月前に、久々に日本人が入ってきた。中年の清掃経験がある男だ。挨拶もしっかりしてるし、現場の清掃員の七割が外国人なことに少し戸惑いはしていたが、俺は久々にホッとした。

しかし、勤務開始から3日後にビル利用者から最近入った清掃の男が階段掃除しながらスカートの中を覗いてくる」とクレームが入った。俺は覗きの現場を見てはいないので、片方の意見だけを鵜呑みに新入り中年咎めることが出来なかったので一先ず保留にした。そして翌日別の女性からクレームが入ったので、これは本物かもしれない懸念が出た。

休み前に「階段で清掃員にスカートの中を見られて不快だったというクレームか入った。新入り中年さんは本当に見て無いとは思うが、神経質なお客様もいて以前からこういうクレームがあったので(ちなみに過去に一度も無い)、階段の清掃中は極力仕事だけにフォーカスを当ててくださいね、なんかあったら遠慮なく私に相談してください。」と伝えた。

そうすると新入り中年さんは顔と禿げた頭を真っ赤にして「俺じゃねえよ!!!!!!」と怒鳴りだした。「おまえは見てないと思う」という仮置きしたのにこのブチギレ方は「あ、こいつは本物だわ」と確信した。

そのままロッカーから私服を取り出しそのまま外に出ていったので飯でも食べに行くのかなと思ったら駐車場から新入りの奇声音となにかものを壊す破壊音が聞こえたので急いで見に行ったら粉々になったマキタ掃除機と脱ぎ捨てられた作業服が転がっていた。新人中年は帰ってこなかった。入館証をトイレに流したベトナム人は「新人中年サン、チョトおかしいよ?」と困惑した表情で溢し、俺は本社から従業員教育が悪い」と叱責され、減給を言い渡され、仕事を辞める決心がついた。

俺の指導力も不足していたんだろう。新しく入ってくる人間がまともに仕事をしてくれない外国人やばい日本人の二択で、彼らをまともな清掃員に育て上げる能力は俺には無かった。

もう俺は本社と何も話したくないし顔も見たくない精神状態に陥っていて、派遣先の入館証と作業着本社に郵送し、事前に準備していた退職届内容証明で送った。

本社からの連絡先は着信拒否にし、かかってくる謎の携帯番号も着拒にしてから1ヶ月ほどで解雇通知が送られてきた。離職票が届いてなかったので、本社総務部電話で「増田だけど離職票が来てない」と伝えると「人事部から話があるそうなのでお待ち下さい」と言われたので「はい」とだけ伝えガチャ切りし、ハローワークに「退職した会社に催促しても離職票が送られてこない」と伝えた。

3週間ほどで離職票が届いた。

そんなこんなで30代無職ゴミが出来上がった。

職歴フリーターと清掃会社しかないし高卒だが、もう清掃には二度と戻りたくないし、なんなら別会社でも清掃関係者を見るのが嫌だし、ホームセンターマキタ製品を見るだけでも吐き気がする。

精神科に行ったほうがいいのかもしれないが、客観的にみてまともじゃない精神状態でも受診しないことで「自分精神的にまともかもしれない」一縷の望みの可能性に縋る事が出来、それが自分の中の精神安定を保つことが出来ている。

話が少し脱線したが、すべての清掃会社はこんな感じではないんだろうけど、給与もっと高くし競争率高めないとこの先もっと酷くなる気がする。

今は失業手当貰いながら無職中にJavascript入門書写経して「はぇ〜」って言いながら時間つぶしてる、職業訓練過去電気工事士取るのに使ったのでまた使ったらもっと職歴が汚れる。(2度も職業訓練に通ってる奴は使いたくないだろう)コンピュータって偉いな、指示が正しければ指示通り動くんだな、もう人間と接したくねえよ

追記

朝起きたらこんな誤字脱字だらけの書きなぐったような文章ホッテントリいりしてびびった

親切心でアドバイスくれた方々どうもありがとう。全部に返事はする気力わかないけど、アドバイスくれた方々だけに所々補足。

JavaScriptブラウザ上ですぐ動きが見えるので入門書買って遊んでただけで、IT系転職したいとかそういうのはないです。適応障害メンタル死んだSEの友人の話とか聞いていたのと、N予備校Githubに触れた時に「ギャッ、英語」となったので、無責任趣味として遊ぶ分には良いと思うけれども、これに社会的責任がついたら絶対病むと思います仕事にしてる人すごい。手書きコードエディタ写経するだけの仕事とかあったらやりたいけどきっとそんなものは無いでしょう。

清掃関係にも戻る予定はないですね、昔から自分能力に劣り(精神的体力のなさや頭の回転の遅さ)を実感していて、門戸の広くてハードルの低い清掃業界に入ったのも自分能力を見据えての選択でした。若い内に手に職つく別の業界に行くべきだと諸先輩方からは言われた事もあったのですが、新卒時代に圧倒的に同期より劣っていた飛んだ経験から考えて、仮に行っても多分やって行けなかったと思います

ビルメンですが、近くでビルメンを見てきたN=1から言わせてもらうと普通に大変だと思います便所の糞抜きはビルメンの仕事でしたし、ネットだと未経験が入りやすいみたいな話がありますが、実際は元電気屋とか元水道屋の元職人達が多いので、未経験で入ってきたっぽい人達が苦労してるのを見てきました。手先が不器用なので私には無理だなと思ってます。元職人達に支えられてる業界なので、未経験だらけで記録とりのルーチンはこなせても、設備トラブルによるイレギュラーには対応出来ず、現場によっては炎上火災的な意味ではなく)してる防災センターもあるとかビルメンの人からいたことがあります

電気工事士を取ったのですが、その時に手先の不器用さを痛感したのと、電気知識交流から理解できず止まっているので、適正はないですね。免許返納したほうがいいかもしれないです。家のスイッチ交換の役にはたちましたが。

清掃やってて何いってんだと思われるかもしれませんが、汚いところと暑い所が結構苦手で、トイレ掃除のたびに頭痛と胃のムカつきを感じていました。

こう書いてると働きたくない理由ばかり出てくるので、元々働きたくない社会不適合者なんだと思います

割と好感な反応もあったのでむしろ驚きましたが、本当に仕事ができない無能です。私を知ってる人がこれを読んで、私のことを真面目だとか有能だとか書かれてるのを見たら全員が全員「はぁ……?」と渋い顔すると思います。思われてるほど良い人間じゃないのですみません

とりあえず貯金失業手当もあるし、当分はゆっくり過ごして、何も考えず静かに過ごそうと思います

気にかけてくれた人達ありがとう。嬉しかったです。

おわり

2023-06-13

3大○○の象徴と思われているがそうじゃないもの 2/2

前編→https://anond.hatelabo.jp/20230613182451

 

蓋が丸い宝箱

土中に埋められたり海中に沈んでいたりする宝箱。天蓋が丸いがあれは宝箱の特徴ではなく、昔のトランク全ての特徴。

船や馬車で運ぶときトランクは室内ではなく馬車の上や甲板に置かれた。雨に塗れるので天蓋に水が溜まらないように丸く加工した。重ねる事を考えるようになったのは室内に入れる 鉄道旅行流行してからで、その時天蓋は平たくなった。

 

車のボンネット

ボンネットは車の部品の事ではなく、つばが無い帽子全般のこと。冬に被るニット帽インディアン羽根のやつもつばがなきゃ何でもボンネット

最初期の車のエンジンフードは逆U字型の鉄板を上から被せる形式ですっぽりと「帽子を被せる」ものだった。google:image:Mercedes-Benz SSK engine

 

バルク品

パソコンHDDメモリーを安く買える簡易梱包品と思われているが、大量注文の事である。対するリテールは小売りの事。

部品メーカーは末端消費者部品を売らない。取引相手法人だけであり、数か月先に100トレイ、総個数4000個などの単位しか取引しない。単価も数量に応じて変化する。

一方PCユーザーHDD増設等で部品単位で買いたいがメーカーを通すと猛烈な上乗せされ不要サービスが付いてくる。修理増設自由がない。

そこでオンライン書類だけで取引してくれるオープン海外メーカー相手バルク(大量)注文して売り捌く問屋小売店が現れた。

これらは不当な商行為でもあるから差止め、取引停止も可能だ。

だがシーゲート社はこの流通経路で買った消費者故障保証が受けられる国際ダイレクトRMAサービスを始めた。バルク品の小売りが認められたのだ。

これに他社も追随するようになった。PC世界では一般化しているが通常の流通から見たらかなり珍しい形式だ。

 

ウグイス

うぐいすパンとか山手線の色はうぐいす色、などの。抹茶色を差すが、抹茶色をしているのはメジロである。うぐいすは一般的な野鳥茶色である

 

カーキ

最近アパレル界では暗緑色を指すことが多いが、もともとチノパンの薄いベージュの色。軍服作業服の乾いた土色を指していたが、軍服オリーブドラブをも指すようになり混乱が始まった。

20年前のファッション誌には暗緑色をカーキという用法は無かったのだが、いつの間にか軍服関係の混乱が持ち込まれたようである。今ではアパレルでカーキと言えば殆どが緑系を指す。

GAPが昔「Gap - Khaki」ってキャンペーンをやってたよな、と思って検索してみると確かに1999年ではカーキは土色だった。

https://youtu.be/nYPWqy4XUMQ

カーキの暗緑色化は世界的な現象のようだが、なぜこうなったのかは不明である

 

小坂明子あなた

ラブソングだと思って披露宴で謳ってしまう人がいるが、歌詞をよく見ろ。失恋の歌だ。歌ってはならぬ。

 

忍者のサイ

釵と書く。真ん中の棒が50cmくらいでつばにあたる部分が三つ又になってる武器だ。両手に片手持ちする。海外では忍者武器と言ったらこれか苦無だ。

だがサイは琉球武術武器だ。殺傷力も低い。本土忍者が使う訳がないものだ。

この誤解の犯人ニンジャ・タートルズだ。これ以降の忍者ブームで誤解がブーストした。モタコンのミレーナもサイで相手バラバラにしたりしてるが、そんな事にはならない。

 

しゃもじ

もとは独立言葉ではなくて単に杓という意味

「あの娘にほの字」のような、何でも最後に「の字」「文字」を付ける姐さん言葉の一つでしゃくがしゃもじと言われていたが、独立した単語認識されるに至った。

 

欧州救急車パトカーサイレン

パープーパープーというちょっと間延びしたようなサイレン音が特徴的だが、これは元々はそういう音を狙って作ったのではない。

車のホーンは軽トラなど最低グレード以外は和音にするために高音と低音の電磁ホーンが二つ付いている。

この二つを交互に鳴らしていた。

今ではサイレンアンプ人為的にこの音を鳴らしている。

 

タイプライターのチーン

タイプライターのリターンレバー操作時にチーンとなると思われているが、設定したマージンまであと5文字くらいで鳴る。

あとは単語の末尾か、5文字じゃ末尾が来ない長い単語場合分節ハイフネーションして改行せよというサイン

タイプライターの音を入れるのが特徴的なルロイ・アンダーソンの曲「タイプライター」の演奏ではこういう理由でチーンの音を合わせるのが難しい。大抵は別のベルを用意してお茶を濁している。

 

船の舳先でエンダー

エンダァは『ボディガード主題歌ホイットニー・ヒューストンI Will Always Love You』であってタイタニック主題歌はセリーヌ・ディオン『My Heart Will Go Onである混同されやすい。

 

天使の笛

子供みたいな天使が笛を吹きながら降りてくるシーンが絵や映画などで見られる。愛の歌を奏でているような感じで。

しか天使笛吹いて降りてくるのは世界が終わって最後の審判が始まる時である。異教徒は全て地獄行きだ。笛も恐ろしい音のはずである。形からしてブブゼラアメリカ機関車のようなけたたましい音だろう。

 

上位天使

天使は中性/両性具有青年子供、上位天使は威厳のある青年の姿で描かれることがある。

しかミカエルより上の上位天使は人の姿をしていない。もの凄い数の目玉がついた多数のリングに大量の翼が付いた姿、目玉に多数の翼が生えてその翼に目玉が大量についている姿、人や動物の顔が沢山ついた頭があり多数の翼があって高温で燃えている姿などだ。エゼキエル書にそう書かれている。

これはエゼキエルがキ印だった可能性が高いと言われているが神の国に入れなくなるのでこれ以上の評価はしない。

いずれにしても人の姿ではない。google:image:biblically accurate angels

 

ハウス

おしゃれなボーカル入りアコースティック寄り電子音楽シカゴ由来のハウスと呼ばれているが、シカゴハウスもっとハードテクノ寄りの音だった。

ボーカルハウスNYパラダイスガラージ発のガラージュに由来する。だが今はガラージュというとダブステップの事を言うので、、

 

 

以上三つお届けした

2023-06-05

田舎高校に通っていた頃の思い出


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

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