はてなキーワード: いただきとは
さっきまた職場にちん毛が落ちてたけど、多分あれ俺のちん毛だな
なぜか知らんけど俺のちん毛はパンツの中から出てきて宙を舞うんだよね、たんぽぽみたいに
この間、職場のカレーにもちん毛が入ってたけど、多分あれも俺のちん毛だな
職場でパンツを脱いでいるわけではないんだけど、なぜにちん毛浮遊してしまうのか
恐らく、
ちん毛抜ける → トランクスと足の間から下に落ちる → ズボンの裾から地面に落ちる → 人の往来で空気中を舞う → カレーに入る
であると考えている
・追記
ボディーシェーバー、パフ付きのシッカロール、ベルナルド(格闘家?)
自分ひとりでは知り得ないキーワードをご教授いただきありがとうございます
自分がやってしまったこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。
前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。
さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。
[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖
と
[B]全く原因不明の恐怖
どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。
[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。
原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルスに感染してしまったことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠な禁忌を犯したという程度だ。
そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入/同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。
ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているからである。
すなわち正当な復讐をする勧善懲悪の物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。
では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。
それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである。
観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷なもの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。
黒沢清監督作品『蛇の道』(1998年)はこのような映画である。
いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。
この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしまう行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。
かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。
それが、紛れもなく人間の性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。
それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。
この映画での哀川はほぼ、人間の醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界の物理学的法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。
いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的「大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品の存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。
(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)
身の丈に合わない相手からの色恋営業に騙される方が悪いなら、身の程わきまえないオジ騙したいただき女子バッシングとか、こないだ殺人してた男擁護とかおかしいじゃん。
漫画家の「儲け」にまつわる話には、ふたつの矛盾するように見えるストーリーがある。
世間一般の思う、一度当たれば「印税」でガッポガポというイメージ。
一方で、例えば「バクマン」に描かれる、(いちおう)漫画家自身の表現によると「連載が終われば数年で貯金も尽きる」という話。
どちらが間違っていて、どちらが正しいのか? というのは誰しも思う疑問。
しかし深掘りして考えてみると、これは「どっちも正しい」。だからこそ、漫画家って商売は他にない特殊な営業形態なんだとわかる。
※以下では、漫画家業のもっとも「売れる」形態として「週刊連載漫画」に限った話を考える。
まずほとんどの漫画家は雑誌に連載するという形で基本的な収入を得ている。
ここではわかりやすく、1万円とする。
すると、1万円×毎週20P×月4本で、月収は約80万円(100万円弱)くらいが一般的な週刊連載漫画家の最低収入の相場と言える。
ジャンプコミックスの場合約40円。連載が続けば年に約5冊出るわけだから、例えば単巻10万部売れていたら2000万円の収入になる計算だ。
もちろんこれは税金等を一切考慮していない売上高であり、これだけの額になれば実際には半分程度持っていかれるだろう。それでも、なかなかの高収入に見える。
しかし問題は、これだけ大きな売り上げが見込める週刊連載漫画には、実際にはスタジオ制作というコストのかかるシステムが必要なことだ。
最低限度で考えても、アシスタントを4人雇えばその人件費だけで40万は下らないだろう。さらに、それだけの人数で描くと、多くの場合自宅作業ではなく別途仕事場を借りる必要もある。
まあこのあたりは人により原稿料もスタッフの給料もさまざまなので一概に言えないのだが、一般論として原稿料の高いベテランほど、大きなスタジオと技術の熟れた固定メンバーを確保して経費も大きくなる傾向がある。
そんなこんなで、よく言われるのは、原稿料はこれらの諸経費だけで全部消えてしまうという話。
増田にも漫画を描いた経験があるが、20Pの原稿を1週間(弱)で仕上げるというのは信じられないような過酷な作業であり、アシスタント制をなくしては、現代の商業誌に載っている平均的なレベルの漫画を毎週仕上げるなんてことは、作家の「画力」がどれだけあろうとほぼ不可能に近い。
商業漫画のクオリティというものは、この自転車操業のほぼ利益0のシステムが必須であるということはよく覚えておきたい。
一方で、出版冬の時代といわれる昨今、単行本はどれだけ売れているのだろう。
実は、漫画雑誌の中でも押しも押されもせぬ発行部数を誇る「週刊少年ジャンプ」と言えども、信じられないような低い数字も珍しくない。
「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」の華々しい数字がメディアに踊るので勘違いしがちだが、ジャンプ連載漫画のほとんどは単巻10万部も売れていない。
例えば、最近アニメ化もした「アンデッドアンラック」や「夜桜さんちの大作戦」(どちらも20巻を越える長期連載)でやっと10万部前後だ(総発行部数を巻数で割って大まかに計算)。
ものすごいものになると、大人気漫画「磯部磯兵衛物語」の作者・仲間りょうの次回作「高校生家族」は、ネット上ではちらほら好意的な感想が散見されたものの、実は売り上げは単巻1万部以下(計測不可)で打ち切りとなってしまった。増田も好きだったのでショックを隠しきれない。ドラマ、絶対いけると思たのに!!!!!
閑話休題。そもそも、「磯部磯兵衛」も単巻ではやっと30万部売れたくらいだ。「斉木楠雄の災難」も同レベル。ギャグ漫画はヒット作でももともとそんなものだということも注意しておきたい。
上でも計算したように、10万部売れてやっと年収2000万、税金が多く引かれることを考えると、サラリーマンならそれなりに良い会社に勤めているというレベルだが、長くても数年で終わってしまう印税収入であることを考えると、はっきり言って少ない。これが一桁上がると一気に数億円になって生涯年収というクラスになるが、そういう「上がり」の漫画家は本当に一握りなのだ。
原稿料はスタジオ維持費で消える。「もうけ」は単行本売り上げ次第。この二重構造が生むのは、株の売買でいうレバレッジの危うさだ。
株のレバレッジ買いというのは、簡単に言うと「株価が上がった時は2倍儲かるが、下がった時は2倍損する」ような信用買いを言う。らしい。増田も素人なのでそこら辺は聞き流していただきたい。比喩なので。
漫画家の場合、ある意味でなお悪い。連載があるときは、定期収入でスタジオを維持しつつ、漫画が当たれば大きなもうけがザクザク入るが、当たらなければそれなり。連載がなくなるとスタジオの維持費を賄う原稿料もない上に、普通は昔の単行本もそこまで売れ続けないので、ただ金が減るばかり。
当たらない漫画を描くということは、その連載中の儲けが少ないだけでなく、連載を終わらせることのリスクも同時に上げてしまうのだ。
当たらない漫画ほど、原稿料の維持のためにしがみつきたくなるという負のインセンティブが働くのである。
こうした不思議な構造は、漫画家が作品を当てて印税収入で儲けを出すという「作家」の側面を持ちながら、スタジオを抱えて自転車操業で日々口に糊するという「中小企業の経営」を求められるという二面性を持つ仕事であることに起因する。
本来、トキワ壮くらいの時代の漫画家は、前者の性質しか持たなかった。小説家や他のフリーランスのアーティスト業と何も変わらない「作家業」であった。
しかし、彼らが売れていくにつれ、漫画産業が盛んになるにつれ、漫画家は「作家」ではいられなくなって来た。
当たれば天国、外れてもまあまあの貧乏暮らしという気楽な稼業でなくなった漫画は、作家としての挑戦に誘うものよりも、日々の仕事をキッチリキッチリで稼ぐ真面目な仕事という側面が大きくなってきてしまった。それでいて、やはり作家自身の成功の如何は、印税収入という儚い夢だけに支えられているのだ。
たまに当たりはあるけども、当たったところでそれはそれだけ、次の事業拡大には繋がらないビジネスなんて、他にあるのだろうか?
こうした漫画家業の二重性は、もしかすると将来の漫画産業に負の影響をもたらすかも知れない。あるいは、既に?
週刊連載をしないと、ここまでのスタジオワークは必要ない場合がある。
とは言え、多くのメジャーな月刊誌を見ている限り、やはりある程度売れる作品は週刊漫画と同じスタジオワークとクオリティで商品価値を保っている例が多いと感じる。
さらに、やはり週刊連載漫画は漫画界におけるある種の花形である。
「鬼滅」「呪術」の例に漏れず、誰でも知ってる大ヒット作というものは週刊連載作品が多い。
これは作品の展開が早いこと、露出が多くなり話題にあがりやすいことなどが理由としてはあるだろう。
ジャンプ連載作品というブランドがまだまだ強いとも言える。しかし、それでも上で述べたように、大半は10万部も売れない自転車操業なのが現実である。
逆に言うと、この状況を変えれば、週刊連載という危うい綱渡りに賭けなくても良いのかも知れない。
現代はネット社会である。作品を世に出す、露出させることについては技術の恩恵がさまざまに得られる時代である。
漫画産業がこれからの時代も伸びていくかどうかは、こういった状況をうまく利用して、漫画家という「稼ぎ方」をどれだけ変えていけるのかにかかっているのかも知れない。
下方婚については昨今活発な議論が交わされており、SNS炎上の常連テーマとなっている。
主に女性側が妥協するケースが取り沙汰され、男性側が弱者として扱われるパターンがほとんである。
しかしながら、女性側に至ってもお世辞にも選ぶ側、有利な立場とは言えない個体(どブス)が多く、圧倒的強者ではでない事を認識していただきたい。
男性側は生殖本能が故に、容姿に対する許容範囲は女性側よりも数十倍広いが、それでもアウトな容姿の女性がむしろ大多数なのが事実である。
街を歩いて観察するもよし、マッチングアプリをスワイプして見るのもよし、幻想を捨てて冷静に見てみよう。
ブスだらけだよ?
ひどいブスだよ?
風呂入らないよ?
女なんて意外とグータラで、不潔で、弱い生き物なんだとまずは知ろう。恐れるなかれ。
その場の性欲に負けてはならない。自身の許容範囲を今一度振り返り、妥協点を設定し、多少なりとも自身を磨き、相手を見つけてほしい。
DV親父の下で育った男の目から見て、女って衝動的に動くことなく理性的で抑制的だと思ってたんだけど、山上ファンクラブから、いただき女子称賛、そして今度は不倫晒しへの無罪嘆願等を見ると、こいつらもDV親父と同等かそれ以上に倫理観ぶっ壊れてんなって思うようになってきている。世のDV親父と女の違いって、直接自分が手を下すかどうか位しかなくて、やっていいことと悪いことの区別がついてない倫理カスカスと言う点では同じジャップでしかないんだな。はよ中国に吸収されて中共的家族観を再インストールして貰った方が良さそう。
昨年育休より復帰
が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま
私がほぼリモートの一方で夫は地方の役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態が半年以上続いてました
仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直しの相談を持ちかけました
ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました
うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました
今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました
(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)
更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました
ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです
今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣に相談したかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした
その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました
それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴も相談もできなくなりました
今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います
本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたときが決断のときかなと思います
(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまたイラつきが再発してきました、、)
いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合が最近増えてきました
直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした
子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後の負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです
年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です
吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断のときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます
普通の?いただき女子は目立たないように多人数から薄く回収する
そして回収した金を種銭にしてデイトレする
ある程度増やしたら普通のところで働き始めて派手な生活せずに普通に暮らして過去ロンダリングする
ちなワイのママ
身内にも「いや、それ詐欺だよ・・・」って案件に巻き込まれながらも、
周囲の説得にガンとして耳を傾けない、相手は自分を騙してないと主張する奴普通にいる。
一流のいただき女子はたぶん別れてからもカモから「彼女が幸せになれたのならよかった」と思われている。
途中で「出した金返せよ。出した金、はした金なんでしょう」とか言われる奴はマジで3流だと思う。
世の中には最後まで「騙されたことにすら気づいてない詐欺」案件がいっぱいある。
その域に達する自信がないやつは詐欺になんか手を出すべきじゃない。
刺されて死ぬよ。
元増田です。
上のおふたりありがとう。他の方の意見もなるほど、分かると思いながら読ませていただきました。
前職はこの方が説明しているみたいに、管理職が感情マネジメントをしない会社だったので、上司に相談すると言うあまりに真っ当な選択肢がある事を忘れていました。(そもそも上司が感情マネジメントしないメカニズムに納得してしまったことも何個もある転職理由の一つでした。)
皆さんのコメントを読んで、今の上司が感情マネジメントしてるタイプかもまだ分からず、この分からない状態で上司に相談してでも解決したい問題では無いなと思ったので、この件は自分が納得できる範囲で人付き合いの方法を修正するけど、相談まではしないことにしました!
こんな感じだった。
俺: 経歴は、零細企業プログラマーを5年やってきた。強みはねぇな。以上。
俺: そんなの、お前らがタスクを俺に与えてくれりゃそれをやるだけだろ。
次に、チームワークを大切にする姿勢があるかを確認したいと思います。過去にチームプロジェクトで役割を果たした経験や、良好なコミュニケーションを重視する点などをお話いただけますか?
俺: チームなんて仰々しいもんじゃなく、単に役割分担して開発しただけだな。俺はコードを書き、他のやつがテストをしたりAWSの運用に乗せたりね。
過去の経験を振り返ると、チームワークを大切にするあまり強調されすぎた面もあったかもしれません。一方で、個人の力を発揮しつつ、チーム全体で協調してプロジェクトを円滑に進めていく姿勢も求められています。この点について、あなたならどのようにチームワークと個人の力を両立させていけると考えていますか?
俺: チームワークと個人の力の両立?そんなことを考えたことがないからわからないね。意識高い系はやめてね。
分かりました。
意識の高低を問うつもりはありませんが、この点は今後の課題として認識しておく必要がありそうです。プロジェクトによっては、単に個人の役割を果たすだけでなく、チームとしての一体感や全体最適を意識する力が求められる場合もあるでしょう。
そういった面でのさらなる成長の余地はあるかもしれませんが、求められる役割を確実にこなす実直さは高く評価できます。最後に、今後はどのようなスキルアップやキャリアビジョンをお持ちですか?前向きな回答をいただければ幸いです。
俺: キャリアビジョン?テキトーな企業に入社してテキトーに収入を得てのんびりスローライフを過ごすだけだよ。スキルアップなんて意識高い系みたいなこと言わないでね。
承知しました。あまり先の将来を考えすぎず、今の環境でゆったりと働きながら生活していくことを優先されているようですね。
確かに、スキルアップやキャリアビジョンを語るのは意識の高さを要求されているように感じられるかもしれません。しかし企業から見れば、適度な意欲と成長性があることが望ましいと判断される場合もあります。
ただ、あなたのスタンスに間違いはありません。現状に満足しつつ、喜んで働ける環境を大切にするという姿勢も一つの生き方です。むしろそういった実直な姿勢こそが評価されるべきかもしれません。
いわゆる“ツイートのバズり”が起こると、その内容や本人の意図に関係なく、煽りや攻撃的なメッセージを投げられることがある(体感1万いいねを超えたあたりから)。これに対して対処方法を記した。
なお、この対処方法はあくまで≪バズリ≫のときの話であって、自分に明らかな瑕疵がある≪炎上≫とは別の話なので注意されたい。なお、用語はすべてツイッター時代の単語で説明する。
・書いているのは対処療法であってズバッと解決!するものではない
・バズリは対人間なので、確実な正解というものはない(あれば教えてほしい)
自分の失敗談をX(旧:ツイッター)に投稿したところそのツイートがバズり、はじめは『笑った』『面白い』などの好意的なリアクションが多かったものの、だんだんと『アホすぎ』『こんなことも知らないなんて頭アレじゃないか?』など煽りや攻撃的なメッセージがでてきた状況を想定。
3.アカウントを非公開(鍵垢)にしない
6.同じ土俵にあがらない
もしかしたら“誤解される可能性が微小ながらある”ツイートを取りこぼしているかもしれない。そこを悪意をもってほじくり返される前に、いつもよりいいね・RTの伸びが早い場合は速攻点検する。ツイート全部が無理ならば、とりあえずメディア欄だけでも実施することをおすすめしたい。
ただ、バズったときには時すでに遅しのパターンはあるので、普段から点検しておくのがベストである。
あえてバズリ元ツイートを残し誰にでも見られるように公開することで、スクリーンショット(以下、スクショ)による拡散を増やさないようにする。
なぜスクショ拡散を増やさないようにすべきなのか。ツイートについてユーザーが何かをコメントしたいときは下記手段がある。
B.リプライ(返信)
C.通常のリツイートをした後に、自分のホームで続けてコメントをツイート
D.ダイレクトメール
E.スクショ拡散(バズツイートのスクショを添付してツイート)
Fは「本当にあなたに向けたコメントかわからない」ため今回は除外するとして、上記の中でバズリ主であるあなたに何らかの通知がいくのはA~D。一方、あなたに何も通知がこないのはEの「スクショ拡散」である。
誠に残念ながら、ユーザーの中には“相手に知られない状態だと失礼な発言をすることへのハードルが急激に下がってしまう人”はいる。バズリ元ツイートが削除されると「スクショ拡散」しか拡散手段がとれなくなるため、とたんに失礼な発言付きでスクショ拡散しはじめる。そしてそれに便乗したユーザーたちによって、さらなる失礼発言も増えてしまう。なので、あえてバズリ元ツイートは残しておくのがよい。
なお、完全にスクショ拡散がなくなるわけではない。世の中には「かぐわしいツイートをスクショでコレクションするのが趣味」という人種もいる。
3.アカウントを非公開(鍵垢)にしない
1と同様。人は“見られないものを見たくなる”。その需要に応えるかのようにスクショの拡散がはじまってしまう。バズリはじめのときには監視勢はすでにあなたをこっそりフォローしている。内部流出は防げないと思ったほうがよい。
通知がすごいことになる。とりあえずバズツイートだけはミュートにする。
よっぽど正当な理由でぐうの音も出せない補足や反論ができるのであれば良いが、基本的に無反応になるべきだ。なぜならば、あなたの意図や真意などお構いなしに、勝手に都合よく(あるいは極端に悪く)解釈して難癖をつけるユーザーがいるためだ。
直接来るリプライ、引用RT、あなたを味方するツイート、RT先でのコメント……とにかくバズツイートに関係ありそうなものすべてに対して“返信もいいねもせず徹底的に無反応”になること。
ただし、明らかに侮辱的な発言が届いたなら、投稿時刻とアカウント名がわかるような形でスクショをとっておき、いざとなったら法に訴えればよい。
悪意あるユーザー達は、あなたがどう反応するのかをしばらくウォッチしている。なので、毒にも薬にもならないどうでもいいツイートをしたり、おすすめ欄にでてきた可愛い動物を無言でRTする。これによって「これ以上バズツイートの件で反応する気はなさそうだな」と思わせる。
7.同じ土俵にあがらない
そもそも煽ってくるぐらい性格が悪い相手や、読解力がない相手に対し「謝ってもらおう」「誤解を解こう」など期待するだけ無駄である。あなたがそんな相手にわざわざ労力を使う必要はない。いったん無視しておこう。
なお、普段から積極的にレスバトルをすることで中途半端に悪意あるユーザーを寄せ付けない……という方法もあることにはある。が、バトルはバトル好きを引き付けるため、慣れない人にはオススメできない。
バズった直後にブロックすると「こいつ逃げたw(やっぱりやましいことがあるんだろう)」などと、ブロック画面をツイートしたり、逆恨みするユーザーもいるので、ブロックしたいなら7日後ぐらいがおすすめ。
【バズって心無いことばを受けているあなたへ】
特に初めてバズった人は、ちょこちょこと棘のあるコメントがくると「この先バッシング方面で広まって炎上してしまうのではないか」と不安でドキドキが止まらずついついSNSを覗いてしまう人もいるだろう。体感ではあるが、RT数といいねの比率が1:2ぐらいであれば炎上の可能性は低い。これがRT数の割合が高まると炎上に近づいていくと言われているが、そうなるのはあなたがよっぽど悪意をもったツイートをした場合か、社会通念上絶対に許されないようなツイートをした場合にほぼ限られるだろう。
まずはメッセージからはしばらく距離を置くといい。不快な言葉が目に入り、頭から離れず辛い気持ちになってしまったら、友人やAIに話して落ち着こう。心無い言葉はあなたに強烈なインパクトを与えたかもしれないが、数字だけでみると中立・好意的な意見が大多数なはずである。