はてなキーワード: 考察とは
まずさぁ
「鼻で笑う」の使い方が間違っている。この慣用句はバカにするニュアンスであり「怒り」とも「呆れ」とも異なる。
普段から正しい日本語で生きてる読者であれば、まずこの時点で「こいつの日本語能力大丈夫か?」という懐疑的視点がインストールされる
さらに、「怒り」と「呆れ」の感情はそれほど近くない。女はズルいと怒っている人は同時に呆れたりしない。
当然、だから「鼻で笑」いもしない。恵まれた女に接した時の感情は「憤り」「むかつく」「顔を真っ赤にしてマジレス」とかじゃないか?俺ならそうなるが。
一文が長い!(パァン)
大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。
「大学に行っても目立つタイプ、」が誰に掛かっている形容詞なのかわかりづらいため、すらすらと読めずウッと詰まってしまう。
おそらく「同級生男子」を形容したいのだろうが、そこまで同級生男子にフォーカスしたいならまず紹介に1段落使え。
寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。
突然出てきた書生の紹介がまた長い・・・
と思ったらまた拗らせエリートに話題が移る。そもそも三人称を揺らすな。読者はまだ「同級生=エリート」っていう代名詞の変遷も消化できてねえから。
ナナメ読みしたら、「エリート」と「同級生」と「書生」っていうキャラが3人いるのか、エリートで同級生で書生なのかも不明なわけ。さらに登場人物に次々フォーカス移されたんじゃ目が滑ってわかんねえんだわ
書生の紹介したならしばらく書生にまつわる話だけしろ。
何がそりゃそうだなのかもわかんねぇしよ。
それお前の中でのそりゃそうだだろ。そのお前の価値観べつに普遍的じゃないから。
は~わかりにくい
繰り返すが、これで「文章構成がうますぎる」とか「説明が上手」とか、正気か?
あのさ、読み手の頭ン中を想定してなくて自分視点すぎなんだよね。お前女だろ?これわりと女特有なんだよな。
お前の頭の中では最高面白トレンディドラマがリプレイされてんのかもしれないけどさ、こっちにはリプレイするための録画がないの。まずそれ理解してくれ。
話が時系列すぎだから。頭の中でストーリーを追いながらそれを乱雑に出力してるだけにしか見えん。
だったらあらすじを書けばいいのに、あらすじとしては重要であろう情報を中途半端に省略するからもはや何が言いたいかわからん。
「魅力的である。」どん! じゃねーよ
お前がごくごく個人的に魅力的に感じてるだけだろ
その下の1段落読んでも全然魅力的に感じなかったよ俺は。魅力的であるって言いたいんだったら魅力を書けよ
「恵まれた家庭に生まれて能力もあるスーパーウーマンです。舞台が戦争なので時勢に巻き込まれて色々苦労します。実はモデルとなった女性が実在します。」
はあそうですか、としかならねーのよ。
そのキャラのパーソナリティや、そのドラマの各回のストーリーはもちろんのこと、あるキャラに魅力を感じるための価値観からして根本的にお前と共有してないのよ
お前がどんな人物を魅力的に感じるかをこっちに前提として押し付けてくんの辞めろ
ここで初出の情報
そうですか
ん?来週・・・?あっ、これって「今やってるドラマの紹介」なのかよ!過去作じゃなくて!
で、よく見ると上の方に
とか書いてあんのな
その段落登場人物の情報じゃねーのかよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
段落に質の異なる情報を混ぜるな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人
いま現在恵まれてない男ってのは、別に産まれてこの方恵まれていた時代なんかねえんだよな
「これまでずっと恵まれていた」って、まあそれはあったのかもしれんけど、時代とか世紀レベルの話でしょそれ。マクロな話じゃん
ミクロな男個人の視点では「昔は享受してた特権をいつのまにか奪われた」みたいな認知はしてないの
「俺の知らない上の世代が勝手に好き放題やったせいで、生まれつき色々なものを剥奪された状態から人生がスタートし、それが今も継続中」なの
だから最初からそうなんだけど、この後もお前の価値観にちょいちょい引っかかるんだよね
まずそれを知ってほしい
無理かな・・・男憎いもんね
フェミニズムドラマくっさーと思った時点で、ドラマとしてよくできてるかとかどうでもよくなるんだよね。拒絶。拒否。無理!Not for me
で、逆にドラマとしてよくできてるかどうかを気にする人なら、フェミニズムドラマくっさーとは思わないでしょ
無価値
節々で感じるんだけど、お前はいったい誰を想定して文章を書いてるんだろうな
ぶっちゃけ「自分と価値観を共にして、別に自分が紹介なんかしなくても魅力を感じてくれるであろう内輪の友達」だろ?
だってお前の紹介を見れば見るほどキモすぎてみる気うせてくるもん
お前の目的が
であれば大失敗してると思う
これはお前がオナニーを公開してるだけ
お前が、自分が気持ち良くなる方法をひたすら熱弁してるだけなんだよ
と本気で思ってるんであれば、まずやるべきはこのオナニーみたいな文章を公開することじゃなくて
「フェミニズム大嫌いな人」がどのような人生や経験を経て大嫌いになったのか考察することなんだよね
妄想で捉えてる
認知が歪んでる
まあ本気では思ってないんだろうな
別にフェミニズム大嫌いな人と仲良くしたい理由とかなさそうだし
kura-2 フェミ好きでもキライでもないけど、これ見て見たいと一ミリも思えないな。まったくもって興味がわかない。アンテナ折れてるのかなー
2024/05/18 リンク yellowyellow
折れてない!折れてないよ!お前のアンテナビンビンだよ!
元々興味ない奴がこれで興味を持つことは絶対にあり得ません。むしろ無理度が増すし、「なんかキモいな・・・」ってちょっと引くくらいが適切
私もその引退した彼女(Aさん)も同じジャンルで、お互い長い間活動していた。7年とか8年とかそのレベル。
おそらく同世代。
長い間活動してたのに、突然同人辞める宣言をして、日常垢だけ残して消えた。
ジャンルのことは好きだし今後も原作は追うけど、二次創作はもういい。アニメや漫画や二次創作に以前ほど100%全力を注げなくなった。とのことだった。
日常垢を見ると、仕事のことや美容のことをたまに書いているくらいだった。普通の30代女性。
今までAさんの絵や考察ツイートしか見たことなかったから、当たり前だけど普通に生きてる人間なんだなーって感じた。
Aさんの作品見れなくなるのは寂しいけど、人生はそれぞれだし仕方ない。
今までも気が付いたらいなくなった人、他ジャンルへ移動した人など山ほど見てきたし。
そう思ってた。
それからしばらく経つが、私はAさんがいなくなったショックをなぜかずっと引きずっている。
絵や漫画はまぁ好きだったけど、カプ違いだからたまに見る程度だった。
熱心にツイートを追ってたわけじゃないから本人がどういう人なのか詳しく知っている訳でもない。
同世代で、同じジャンルに長くいて、同じように同人活動をしていた人間が自分の人生を優先して同人を辞めた。
じゃあ私は?
これがずっと引っ掛かってるのかもしれない。
私は同人誌を出すという行為がとにかく大好きで、仕事はそこそこに平日の夜はずっと原稿、土日の休みもどこにも行かずひたすら原稿、原稿が終わったら次の原稿はどうしようかと考える、みたいな生活をずっと続けている。
推しカプのことを考えると、頭が沸騰しそうになり絶対に私がこれを描かなければならないという使命感のようなものに駆られる。
本当に推しカプも原作も最高でこんなに何年も追ってるのにずっと楽しくて本当に神のようなジャンルと運命のカプなんだよマジで。
そんな訳で大して売れもしないのにずっと推しカプ同人誌を描き続けてるけど、Aさんの件があって以降、心に薄っすらブレーキが掛かっているのをそれとなく感じている。
人生で仕事以外特にやることもないし、オタク・同人活動以外特に趣味もない。
恋愛とか出世とかもあまり興味がなくて、ずるずるここまで来た。
自分について考える、つまりメタ認知が強く入るとスランプになりやすい性質ではある。
冷静にならずにずっと狂ってるべきタイプ。そうじゃなきゃ創作なんて出来ないよ。全部幻覚だし。
普通のことだ。
でも仕事や美容、まったりライフに憧れがあるかと言われると全然ない。
子育てや恋愛や仕事に生きれるのかと言われると、絶対生きれない。
じゃあ創作してればいいじゃん、が答えなんだけど。
収入を上げるために行動するべきなんだろうけど絶対苦しい人生になる。でも金は手に入るかも。金が手に入ったらもう少し安心できるのかな。
金なくて野菜買うのやめとこ、って精神は確かに少し悲しくなる。昨日なった。この歳で独身なのに野菜も買えんのか?
でも、自分でも心のどこかでそういう普通じゃないルート歩んでるのがコンプだから、Aさんが同人辞めたの気にしてるんだろうな。
あ、あと同人活動やってる人間が年下ばっかになってきたからか。
最近ジャンルに入って来てくれたありがたき新規の人、20歳とかだった。
ジャンルに数年いる年齢不詳だった人、この前大学を卒業してた。
同世代もなんとかいるけど、よく見たら同世代はイベント参加ペースが極端に落ちてたりしばらくオフイベ参加してなかったりだよ。
仕事忙しいのか、体力減ってきてるのか。
なんか、この歳でこんなに本出してテンション高く大喜びしてるの私だけなんだよな。恥ずかしいよ。
でもオタクなんてそんなもんだろとも思う。
年齢とか気にするようになったのほんとに馬鹿らしいともおもう。
趣味を楽しむのにそんなアホみてぇなことで悩むな。
でも仕事という現実から逃避しているのではないか?と聞かれるとそれはそう。
今後どうするか、こんなに考えてない30代この世にいない気がしてきた。
中身が幼稚なんだよな。発達が15年遅いのは自覚ある。
普通の人生への憧れを振り切らないとずっと心にブレーキかかったままな気がする。
ゲームの話しかも今ハマっているスプラトゥーン3のログインボーナスも忘れてしまうほど夢中な
あれ結局誰が誰に怒っているお話なの?って考察しまくっていたんだけど
なんだ!あれ全部ゲーム内のメニューで見られるキャラクター情報に全部書いてあるじゃん!
アダムおまえか!って
良い意味で白けちゃったわ。
良い意味でよ。
それ書いて欲しくなかったなぁって思うのが正直なところでもあるし、
謎が解けてスッキリとしたというか。
思わず東洋新聞デスクの田良島さんにこれどういうことなんですか!?って問い詰めたいぐらいよ。
まあ『ステラーブレイド』やってないひとからみたらお尻のことしか話題になってないから、
中身のストーリーのことなんて一体何のことを言っているのか?って申し訳ないんだけど、
謎が謎を呼ぶままでもよかったのに。
でも結果的にそうであっただけであって、
もちろん本編ではそれを匂わせる会話やそう言うのはいっぱいあるから、
気付くっちゃー気付くと思うんだけど。
あまりにストレートにゲーム画面メニュー開いてのデータバンクのキャラクター図鑑に載っていたのが潔すぎるわ。
つーかさ!
じゃ逆にこのキャラクター図鑑って誰目線のそのステージから言ってる言葉なの?って
いわゆる天の声的に、
物語のナレーターみたいなゲーム中には登場ありえないそんな人物が
そうねストーリーテーラーと言ってもいいぐらいなタモリさん的な。
私が『ステラーブレイド』を1周目クリアしてぜんぜん整合性のない物語についていろいろと考察しまくりまくりまくりすてぃーの時間を返して!って言わないけれど絶対にそれなんて槇原敬之さん?って言わないけど、
イヴのお尻だけじゃなかったわ。
ちぐはぐなのよね謎をまとうようにストーリーは。
とは言え、
私は絶賛いま2周目周回中の楽しくゲームを繰り広げているんだけど。
ストーリーのその壮絶なデータバンク内キャラクター図鑑での中でのネタバレはよそに
どんどんカッコよく待って戦うイヴがカッコいいのには変わりないので、
お尻に釣られてそのゲーム買っても充分良いと思うのよね。
でも、
でも!
そんで次のステージに行ってしまってストーリーを進めてしまうと
平場のサブクエストとかできるフィールドには戻れなくなるからなおのさら次に進めたくないのよね。
そんで進めてサクッともうクリアして
早くも3周目!ってそこで遊べば!とも思うけど、
遊ぶ上で贅沢な悩みよね。
ただ私は楽しかった整合性のないストーリーの考察が楽しめないつーかそのゲーム内メニューでたどって見られるデータバンクのキャラクターのアダムの項目のところで全部謎が解き明かされていたので、
どうせ有耶無耶なら最後まで有耶無耶のままにでもよかったかもね。
かもねかもねそうかもね!そう思う次第よ。
でもこのストーリーの考察にはある程度のピリオドは打てたと思うので、
いやさらにこのストーリーの話のツッコミどころを探すべくピリオドの向こうへまだ行ける余地はあるので、
そこの深掘りっぷりを楽しむしかないわね!って思うわ。
あと地味に釣り!
これ釣りゲー?って思うぐらい釣りも一所懸命やんなくちゃいけないサブクエストもあるから
ゲーム内の釣りの魚図鑑を完成させるのも私の新たなるゲーム内の目的なのよ。
ポケモンには一切興味なくやる気も湧かなく結局「ポケモンアルセウス」の楽しみ方がゲットしても何が面白いのかよく私にとっては響かなかったけれど、
釣りで釣ったことのない魚を釣り上げて早く魚図鑑を完成させたいものよ!
もーこんな魚釣る?ってぐらい魚なのよ。
うふふ。
そのまま商店街、
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街の喫茶店だけど和食モーニングもやっているところで朝食よ。
鯖でした。
鯖多くね?って感じのここんところずーっと鯖率高しなのよ。
鯖大杉漣!って感じ。
美味しいから良いんだけれどね!
激安炭酸水よりも、
あれ?こっちの方が美味しいのかも?って気付いた
そんなことに分かり始めたマイレボシューションね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
町子は令和元年12月頃は、最近の若造は好かんちゃ、昔のごつなりてーという言動があって、令和6年2月12日に怪しいから縣人の自宅に直接確認しに行ったがベッドの上に枯れた
悪魔のように寝ていて、話しかけると、 なんけ、とだけ言われた。会話にならない、強力に話しかけないと反応しない、敬一は夜間の勤務に行っており、2階の部屋はすっからかんで、配信に使用している
赤いパソコンが新しく設置されていて、右の部屋はすかすかだった。
3階のままの残酷性から検討すると、前野町1丁目一帯には人間性を具備する者が在住していない。 もう5年前にじゅりちゃんの、ねえちょっと酷過ぎない?という書き込みがあったがそれも
ここ数年は失効している。
この問題の社会全体的な考察からすると、専門技術的に、評価の見地、 拡声器で同じことばかりいうようになったとか、そもそも、6階のババアが配信の内容を変えた。おぺちの劣化ぶりも酷い。
数か月前から、 苦しいです、きついです、の繰り返し。都合が悪化しペチラボのリモコンに支障が出るようになると黙ってツイートを5時間に停止し、寝ているため、その間に実施されている様々な
装置の駆動に対して機能しなくなる。 何かといえばうるせえ糞と言い始めるが、目上の人間にいうようなことではない。クソガキが。
諸般の生活状況を総合した上で、わたくしの精神状態も勘案すると、語る価値も何もない。語る価値のあるところまでを語ることは出来るが、語る価値もないしエネルギーの無駄、
いかなる角度から考察しても、語る価値がない。現実的で具体的なことを考えると、女性器濡れ濡れの超絶美少女女子高生やガチBLショタなどから懇請されてどうしてもというような
条件を具備しなければやる動機も何もないというべきであるが、3次元において、自分の自宅に、超絶美少女中学生も、がちBLショタも入って来ないのであるから、このような状況下に
なんでそんなことをしないといけないのか。金なんか一番必要がないものだしな。
出来上がっているし形式的だし変えられないしうざいという甚勝な理由付けによって警察を嫌悪し、公文書を燃やし、警察官を刺すといったような事件には同調するが、
東大法学部だからとか弱者男性は嫌いだから犯行をするとか甚勝な理由にも何にもなっていないし、精神おかしいんやないかと思う。
1年前にイオンスタイル板橋前野町に行くときに、レクサス前野町から、 刑訴法の規則によって逮捕されている者は、といって出てきた魔女のおっさんの場合は、なんで刺されて
いないのかが未だに理解できない。
2004年にテランスタオが発表した論文は、 結論は定理で、その定理が、エルデシュ予想と同値で、それを証明するというので、彼のやっている論文は、ほとんど驚愕的である。
何がっていうとですね、彼の論文には、 THEOREMと書いてあって定理がたくさん出て来るし、Lemmaと書いているところで驚愕的なことをしているので。なぜか?Lemmaは
難しいので。 そこのLemmaの中で、それを証明するのに、 コーシーシュワルツの不等式を使ったりしている。 定理は発見するだけで、Lemmaは、証明の中で一番難しい技術で、
驚愕的な証明と言われているので、驚愕ではない。逆に 2019年に、タオが発表した論文は、 偏微分方程式と組み合わせ論の議論を用いて、コラッツ数列に挑戦するというもので
こちらでもやたら難しい考察とか技術をやっている。 Lemmaは出すのが難しいとか無理であると言って、よびのりも、Youtubeの動画で言っているので、よびのりっていうのは、名札に、おぺちと書いている
稚児でちょっと性格が悪いのがよびのりですが、 何がしたかったかと言うと 素数の中には等差数列があることを示さないといけないが、具体的検査では、26個の具体例は出るが、27の長さ
のものは計算機でも出て来ないので、証明ということになった。この際に、タオは教科書に大量の定理を書いて証明をしているので、技術なので、それで行ける。
数学ではまず基本的な初等的な問題分野に関する考察から初めて、 そこで発見されている色々なものを整備しておくことから始まる。そこで研究を深めて完全なものを整備しておくとその
完全無欠と一般に観念されているものは後々色々な問題に出て来ることになるから、なおざりにしてはならない。 これが中学校までにやることである。 しかし、高等学校の数学となると
毛色が違ってくる。 高等学校の数学とは何か?というとよく分からないのである。 二次関数という分野が特に文科省が分類をしているが、二次関数はただの関数であってそこに何か
定理があるかというとそういうものはない。定理のないところに技術もない。従って、二次関数という分野を特に重点的にやったところで論理学思考の何も成長しない。ならば二次関数とは何か
ということである。微分積分、サインコサイン何になるというのが昭和50年代に流行った。サインコサインつまり三角比の分野には、定理が大量にある。さらには複素数。しかし、定理があるかないか
でいうなら、三角比の分野である。しかし、その証明にあたって、いわゆる驚愕的な証明はない。平成時代に2ちゃんねるにいる数学マニアが、そういうものは知っていても沈黙というスッドレが
流行った
これでは話にならない。 数学の偉大な定理は発表されたときに驚愕されるが数学の技術は、 定理による技術と、数式の計算それ自体の技術がある。組み合わせ論的な議論で、
円はしょっちゅう出て来るから、組み合わせをやるなら、円が出て来ることは覚悟しなければいけませんよと、ブレジスとかオレインなどが言っていた。そういう技術的着想の意味で私のころは
フェッファマンがスターだった。数学的帰納法でも、 帰納法背理法は完全無欠で有名な論法だから、出て来るときがある。そういうのを出せると、界隈では、スターと呼ばれる。
私の感想で、代ゼミの荻野のぶや先生のYoutubeの講義の中に、 えー、-af(a)+bf(b) という部分が出て来るし、東大の入試問題にも、 最近、数学的帰納法で示せ、
という問題がある。しかしその問題はいわゆる超絶難問ではない。だから眠くて仕方がない。
今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。
と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。
元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、
おいしくないものが我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分が料理をするようになった。
ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、
別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活の最初の方は、かなり適当な食生活をしていた。
だから、今回の話は、必ずしも生まれつき料理が好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。
自分で料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、
自分はそもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。
自分で料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。
①節約になる。
②健康になる。
③好きなものが食べられる。
⑦妻に喜ばれる
以下、順番に説明する。
これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊はお金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。
短期的に見れば、確かに一定の初期投資は必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。
料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。
ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理で日本人が使用する食材や調味料のレパートリーは限られている。
また、そのレパートリーを大別すると、
(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜、牛乳、ヨーグルト、など。
(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、にんにく、生姜、昆布、鰹節、味噌、醤油、酒、ワイン、蜂蜜、塩、砂糖、コショウ、その他種々の調味料、など。
となる。
ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオンの場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、
常に一定数以上確保しておくようにすることだ。
(b)の分類の食材が常に冷蔵庫にストックされており、調味料なども揃っていれば、
あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。
肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、
特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料を調達できる。
こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材を無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。
これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。
むしろ、調理済みの惣菜や、飲食店の食事で、一日に必要な野菜の摂取量を十分に確保することは難しい。
調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物が使用されている。
昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品の成分表示を確認するようになった。
具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。
が、実際にコンビニやスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、
加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。
また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、
自炊をする中で、それぞれの分量や性質が自分の体調に与える影響の度合いを、実経験で観測していくことができる。
こうしたPDCAが自炊をしていると自然と回るようになるので、自然とダイエットにもなり、体調管理にもつながっていると思う。
これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。
コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的な選択肢だった。
ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。
また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。
その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。
また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画の凄さだと思う。
誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。
Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか。
上記のように、Youtube動画でちゃんとレシピや工程を確認しながら多くの料理を経験していくことで、料理全般を下支えするセオリーが体感的にわかるようになってくる。
例えば、
・どのようにして旨味を構成するか?
・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?
・なぜこの順序で食材を投入するのか?
など、無数に論点がある。
もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。
「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。
また、それに対する考察が、日常の料理にもフィードバックされるために、自分と家族の食の経験がより豊かなものになっていく。
これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。
これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理や食材は、「人間と自然との強力な接点の一つ」だ。
「サラリーマンは一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」
というようなことを言っていた。
これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、
やはり現実的にはこれはなかなか難しい。
一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。
例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。
また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感を総合的に用いたプロセスを、自然と経験する。
これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。
料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理を提供する必要がある。
・おいしさ
・栄養素
・原材料費
・在庫管理
・洗い物の段取り
これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。
私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般に経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理の管理に活用している部分も色々ある。
こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程を俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。
ここまで色々語っているが、自分が料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。
このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質のアウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。
結局、これが一番大事だ。
よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから、外注した方がいい」などというものがある。
確かに、資本主義の原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。
「自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方そのものを規定する哲学だ」ということだ。
それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。
料理を外注化すること、子育てを外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味を外注化すること。
技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。
原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。
しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。
食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。
まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います。
…
社会人になってからのぼんやりした目標でITを極めたいという思いがある。
一分野に特化したタイプではなくIT領域におけるオールラウンダーのような総合格闘家のような存在。
まずITを極めるとは具体的にどういう状態なのか。そのためには何をすればいいのかを考察する。
まずITを主要トピックに大別する。必ずしもMECEではない。
そしてどういうことができたらITを極めたと言えるかを思いつく限り列挙してみる
次は具体的に列挙した例について解像度を上げてどの要素に分類されるものかを考えた上で、それを極めるには何をすればいいかを考える。
最新話の喧嘩のシーンの意味が視聴者に全然伝わっていないので補足する。
アリクイと戦いたい、賢くなりたい、めっちゃキノコが食べられるようになりたい、小人を見つけたいあたりだが、7Gの影響でそれらがほとんど叶っている。(アリクイとは戦っていないが、最初の動物化した大人の中にアリクイがいた)
願いが叶っている理由は7Gのボタンをあの子が押したからで、池袋線だけが残っているのもそのせいだろう。
なお、悪者の男は、冒頭のシーンで変異した池袋を見て「なんだこりゃあ」と叫んでいたので、こんなことが起きる予定ではなかったようだ。
主人公の願いの中に一つ、重要なものがある。5人で神社にお参りしたときのもので、そこで主人公は何を願ったのか聞かれても「秘密」と答えている。
主人公には他の人に言えないような願いがあり、それがあの喧嘩の原因になっている。
葉香に「宇宙関連の開発者になれっこない(要約)」と言ったのは、主人公に実現不可能そうな夢があり、主人公自身がその夢を諦めているためだ。
喧嘩のシーンのセリフ「ていうか無理だよね、葉香には。まあ私もか。私たちってことだよね」はそういう意味だ。
主人公が喧嘩の原因を喋りたがらなかったのも、夢を秘密にしたいからだろう。
主人公はこの喧嘩について「よくわかんない」とは言っているが、小人のボスとの会話でボスが過去に夢を否定されたことを聞いたとき、喧嘩のシーンを思い出して泣いているので、実際にはなぜ喧嘩になったのかわかっている。
この喧嘩のシーンで、視聴者の大半からは、主人公の性格が悪いと誤解されたようだ。
自分はこのシーンを見た瞬間意味がわかったが、それはこのアニメをかなり集中して見ているからで、そうでないとわからないシーンになったのは残念に思っている。
自分も他のアニメはそんなに集中して見ていないので、視聴者にこの考察を求めるのは酷だろう。
意味がわからないまま楽しめるストーリーもあるが、今回はキャラの性格が悪いと思われたのが結構致命的で、視聴をやめた人がいても文句は言えない。
とあるラピュタの考察で「ラピュタ人がラピュタに戻らなかったのは地上での生活の方が幸福だったから」とある。
でも、彼らは地上でそれまで支配していた人々に報復されるのを恐れ、谷で隠棲生活をしていたと考察している。
ここで矛盾が生じる。
「地上での生活が空中都市での生活より幸福だった」ことが「ラピュタ人が隠棲生活を送った」ことと結びつかない。
考えて欲しい。
文化、最新のシステムを備えたモダンな住宅やマンション、質の高い医療、質の高い教育…
例に挙げたのは港区で得られるもののほんの少しだが、そこに住む人を幸福にしてくれる。
…
ない。
劣等感、苦痛、閉塞、僻地の質の低い医療、教育という名の折檻と支配…
ラピュタを東京都港区とし、ゴンドアの谷を岩手県西和賀町だとすると、ラピュタ人が疫病の収束後にラピュタに戻らなかったことを説明できないのだ。
だって、例えば深刻な疫病で東京23区に住めなくなり岩手県や鳥取に避難したとする。
疫病がなくなって元通りに暮らせるってなったとして、100人いたら120人が東京23区に戻るじゃん。
この点についてすっきりとした考察を持ってる人いる?
前提として、スポーツカーとか年代物のバイクとか本人に取ってみれば命より大事だとかそんなことはどうでもいい。
本人がどれだけ大切にしていようとそれは他人にしてみれば売却価格程度の価値しかない。
他人に捨てられたなら別だけど自分から現金化したならそれはもうそれ以上の価値にはならない。
それで手に入った1千万で、どうして一人の女性の人生が手に入ると思った?
ここが最大の勘違いってことに周りはどれだけ気がついているんだろ。
世の大半の女性が欲しがっているのは生涯1千万を生み続ける男であって、人生をかけて1千万を工面した男ではないのよ。
1千万が大金ではないと言いたいわけではなくて、確かに大金かもしれないけど人の人生を買えるほどの大金ではないということ。
たとえどんな思いで手に入れたとしても、そのプロセスに価値なんてないの。
二人の間にどんなやり取りがあったかなんて赤の他人が知るよしもないけど、全てを手放して手に入れた1千万だけを持った男なんて無価値なの。無価値。
ましてやその時の職業がウーバーだなんて、そんな人間とどんな未来を描けというのか。
逆転して考えてみてよ。
自分が25歳のときに、50のばばあが1千万持ってきて結婚してくれって言われてする?
無理。絶対に無理。
相手にしてみれば「手付金1千万かと思ったら資産総額だってござる」だよ。
この事件の一番悲しいポイントは、何も持たない50の男がたかだか1千万で25歳女性の人生を手に入れられるかもしれないだなんてとんだ勘違いをしてしまったことに尽きる。
色々考察するの結構ですけど、まずはこのポイントは押さえておいて下さい。
婚活市場でこの条件なら月収で1千万ないと土俵にすら上がれないですから。
頼むからみんな勘違いしないで。これ以上俺みたいな不幸な男を増やさないで。