はてなキーワード: 飲み会とは
今日の飲み会でインターネットの話になって、海を隔てた国と国とを海底ケーブルでつなぐって力業すぎるよなーみたいなこと言ったら誰も信じてくれなくて、5Gみたいないい感じな技術でいい感じに解決してるはずって馬鹿にされてムカついて、その場でググらせてわからせたけど微妙な空気になって後悔しているってのはともかく、他にもローテクな力業の技術で社会が支えられてるケースって色々あるんだろうなって思った。終わり。
食べ物にアレルギーがあるんだけど、外食のたびに相手に気を遣わせるのが申し訳なさすぎて、ひきこもりたくなってる。
気心知れた相手ならいいんだけど、取引先の人とか、目上の人に誘われたときに「アレルギーがあって食べられないものがあるので、このお店は行けません」とか、「私だけ違うものを頼んでいいですか?」とか言わなきゃいけない。
言って嫌な顔されたことはないし、かわいそがられることが多いんだけど、内心めんどくせえと思われてるかもしれないと思うと身がすくむし申し訳なさで死にたくなる。
アナフィラキシーを起こすのがいちばん迷惑だし、事前に言うのが一番いいって分かってるんだけど、本当に申し訳なさすぎてすごくストレス。
専門卒で片親、もちろん貧乏生活を送っていた。学歴も家柄も何にもないけど年収は同世代の平均よりは上。
仕事では実家で暮らしてた頃に感じたストレスに比べるとかなり少なかったから、頭は悪いけどなんとかこなせてる。
中学生の頃から親戚が経営している店でたまに働いてたから知らない人とのコミュニケーションは苦じゃない。
たぶん他人よりストレス体制とコミュ力があるだけ、周りには両親に愛されて勉強ができる環境に生まれた恵まれた人たちが多いから周りと仲良くすることができない。上辺でしか話せない感じ。だから飲み会とかもあんまり行かない。でもたぶん嫌われてはいない、むしろ話しやすいと思われてるはず。
小1の時はゴリラというあだ名の女子がいじめっ子から守ってくれた
ゴリラと言われていたけど俺より背が低くクラスで一番かわいい子だった
でも気が強くて男子と対等に渡り合うからそういうあだ名を付けられた
相変わらずいじめっ子はいてゴリラ女子はいなかったけど他に守ってくれる子達もいた
小5の時、いろんな子から一緒の班になりたいと言われるくらいの人気者になった
小6の時、女子2人に呼び出されあんたのあの糞生意気な妹をどうにかしろと言われた
二人は妹と同じバトン部だったけど、スポーツ万能の妹への妬みだったのだろう
人一倍気が強くて男勝りの性格の妹には直接言えないから気の弱そうな俺に言ってきた
妹とは毎日喧嘩してたけど流石にそんなこと聞き入れられるわけが無いから口論になった
そしたら女子の1人が、あんたの笑い顔がキモい、ビンボウニン、ボットン便所と言った
家が貧乏、汲み取り式トレイというのは一番触れられたくないことだった
みんなが陰口を言っているように思えて人間不信になり他人との距離が測れなくなった
人の目を見て話せなくなった
親しい人でもそれが例え友人でも気安く下の名前で呼べなくなった
まだ男子とは話せるだけましだった
女子が集まって話していると悪口を言われているようで怖くて近寄れなくなった
告白したこともされたこともラブレター1通貰ったこともなかった
バレンタイデーとか卒業式の第2ボタンなんてどこの世界の話って感じだった
でも対人恐怖症がまだあって電車通学がつらかった
たまに行く合コンで連絡先を交換したいと言われるようになった
脛を蹴られたこともある
俺がどれだけ酷いことを言われても先輩たちは見て見ぬふりだった
盆休み明けに先輩たちがよく出勤してきたなもう辞めると思ってたと驚いた
ストレスで十二指腸潰瘍になっても上司から会社に来いと言われた
そのうち上司が説教するとそれがモニター映像のように見えるようになった
上司はお前は瞳孔が開いている、脳のスイッチを切って俺の話を全然聞いてないと言った
この人は厳しい人だったがいつも社員の退職理由は人間関係が1位と言っていた
だから直属上司はこの人のいる前では絶対にパワハラをしなかった
俺もこの人には何も言わなかったが、それでも全てを察していた
元上司が俺の悪い噂を流していたが、それを信じる人は少なかった
新しい直属上司も嫌な奴だったけれど、元上司より100倍マシだった
でも相変わらずコミュ障だったから同期や先輩から合コンに誘われても断っていた
人数合わせで強制参加の合コンで連絡先を交換したいと言う人がいた
でもやっぱり二人だけで会うと口下手だから1回会って終わりだった
その後の合コンで会った何人かと連絡先交換したけど2回会えればいい方だった
結局、いつまでたっても彼女はできなかった
社会人3年目の時、大学のゼミ同級生の男1人と女1人から飲みに誘われた
同僚女子は普通にしていればかわいいのに、笑うと目も口も一直線の変顔になった
口元には薄っすら大きめのアザがあり笑うと引き伸ばされて目立った
俺は彼女とは初対面なのになぜか臆せず話せた
飲み会後、1週間経っても彼女の満面変笑顔が忘れられずゼミ男に相談した
ゼミ女子に連絡したら実は彼女を俺に紹介したくて飲み会に連れて行ったのだと言った
2人とも凄く性格がいいのに彼氏彼女がいないと聞いたからだと言った
ゼミ女からなぜ当日に彼女と連絡先を交換しなかったのかと怒られた
あなたは人が良すぎる一刻の猶予もないのを全く理解していないと言われた
ゼミ男は飲み会の翌日には彼女の連絡先を聞いてきたぞと衝撃の事実を告げられた
とにかく急げ1秒たりとも逡巡する暇はないこの電話を切って今すぐ行動しろと言われた
初めて二人だけで会った日
ランチを食べた後ショッピングに行くとメンズ服屋に連れて行かれた
彼女に着せ替え人形みたいにあれを着ろこれを着ろと試着させられた
店員の前でも平気でかわいいかわいいを連発するから恥ずかしかった
その間ずっと変笑顔全開で楽しそうだった
俺が人前でかわいいって言われるのは恥ずかしいからやめて欲しいと言うと
まだまだ男らしさ女らしさが求められる時代だった
自分の笑い顔のほうがよっぽどへんてこだと言った
それを俺が笑ったら、笑いすぎ失礼すぎると怒られた
それまでにもそういう風に思ってくれた人はいるとは思うけど
口に出して面と向かって言ってくれた人は彼女が初めてだった
俺はずっと無理して男らしくしようと背伸びしていたと思う
彼女にそう言われて肩の力が抜けた気がした
ここでこんな文章を書くくらいにはこじらせている
飲み会ならまだいい聞き流せる
職場で仕事中に仕事の話をしながらこの手の話してくるやつまじ死んでほしい
なんでてめえの愚痴なのか好奇心なんか知らんがそれでこっちの精神削られなきゃ行かんのか
さらに始末に追えないのがそれが上司でなんならこの手の話をする(部下にさせる)のが業務の不満に対するガス抜きなる福利厚生だと主張してること
マジやめてほしいマジで
パッと詳細でてこないが心理学の研究でネガティブな噂話陰口などは本人はおろか周囲まで有害だって報告されてたはず
やらないに越したことはないんだよ
自分の実感経験先入観を信じる人だからいくら説いても聞く耳持たないのもマジ最悪
もしやりたいならこっちに聞こえないところでこっそりやってくれマジで
あー不快で仕方ない
ノルマやナンバーがない超ゆるい都内オフィス街のキャバにて昼歴ピー年(現職)、夜歴3年弱の弱弱キャバ嬢やってるけど、一部の派手な土地を除きキャバクラって世間のイメージよりずっと健全だと思う。
私のつくお客さんがたまたま良い人が多いのかも知れないけど、胸尻触りに遭遇したことは一切ないし、セクハラもほとんどされない。痴漢と違って分別ある(?)から「お触りしたいなら今すぐ店変えていちゃキャバに行って」って言えばおさまる。一回だけ胸触ろうと奮闘するキモオジがいたけどガチギレして触らせずに帰らせた。あとパパ活・不倫のお誘いは何度か遭遇したけど断るから何事もなく平和。
むしろ昔勤めてた大手JTCの方が酷いセクハラエピソード満載だった。昔の飲み会では女性社員の乳を鷲掴みで揉んでたとか、在籍中にとある支社長が若手女性社員に局部を触らせてたとか。他にもセクハラ左遷された人いたし、自身もキモい奴にセクハラされて人事に駆け込んだ。社内不倫もいたな。
それに比べてキャバはマジで平和。接待の席を盛り上げたり自慢話聞いてヨイショしたり愚痴聞いてヨシヨシしたり「あなたと話すの楽しい!」とニコニコしたり一緒に歌ったりしてるだけ。場内指名くれた人と連絡先交換するけどお礼と来店予定聞くぐらいでほとんどやりとりもしてない。
あと嬢がほぼ兼業だからかみんなまともな神経してるし普通に仲良い。プラベで遊んだりもしてる。待機中のおしゃべりを楽しみに出勤してるまである。もはやちょっと客側の気持ちかもしれん。
別にキャバのイメージを良くしたいとかは思わないけど、本当に良い意味で大したことないよ。何かのはじまりを期待してる男性には申し訳ないけどね。旦那がキャバ行ってて浪費に怒るのは尤もだけど浮気は心配しなくて大丈夫だよ。大方何も起きないから。
※ちなみにクラブはセクハラやべーおじを複数観測した。会って開口1番「やらせろ」っていう実業家(この人は半分冗談の常連)とか愛人誘ってくるおじとかタクシーでキス迫ってくるおじとか色々いた。キモくて2ヶ月でやめた。
昨年育休より復帰
が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま
私がほぼリモートの一方で夫は地方の役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態が半年以上続いてました
仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直しの相談を持ちかけました
ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました
うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました
今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました
(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)
更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました
ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです
今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣に相談したかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした
その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました
それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴も相談もできなくなりました
今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います
本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたときが決断のときかなと思います
(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまたイラつきが再発してきました、、)
いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合が最近増えてきました
直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした
子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後の負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです
年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です
吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断のときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます
もともとお酒が飲めない自分はソフトドリンクで粘っていたが,会話の内容がしんどすぎて2次会にはいかなかった。
飲み会に来ていた女性が,「友人から聞いた,その友人の友達や恋人のやばいエピソード」ばかり話していた。
聞いている間ずっと,「なんでこいつは,そんなやばい奴に脳のリソースを割けるんだろう」という感想が頭の中をずっと駆け巡っていた。
友人,同僚や上司,先生,親兄弟など,どうしても付き合わなければならない人間はいる。そんな人の愚痴が出るのは理解できる。
自分だって同僚との人間関係がうまくいかなくて親や友人に愚痴を聞いてもらったことがあるから,愚痴を言うのはわかる。
しかし,「友達から聞いた愚痴」をぶちまける意味が分からない。ぶちまけた時点で愚痴から悪口に代わっている。だいいち面白いと思って話しているのだろうか?
仮に自分が愚痴を聞いたとして,それをこういう風には他人に話せない。やばい奴のことを考えて,その話をしている時間が無駄すぎる。
やばい奴のことを考えている時間,代わりにすごい奴とかいい奴のことを考えたほうがよくないか?
自分はそう思っていたが場は盛り上がっていたので,おそらくこれが正解のコミュニケーションなんだろうな。
人づきあいが苦手で,友達は少ないし恋人もできたことはない自分の感覚はおそらく異質で,それがなんとなく悔しかった。
追記:
いろいろな反応をいただいてびっくりした。
お前も悪口をここで言っているじゃないか→その通りです。愚痴のつもりで吐き出したかったけど,これじゃ悪口ですね。申し訳ない。
お前の人づきあいが希薄で内容に共感できないから面白くない→確かに自分が共感できる趣味とかの話題は楽しく聞けるので,自分に足りてないのは人づきあいとそれに伴う不快な出来事なのでしょうね。
その中途がクソクズ、ならわかる
クソクズな中途を雇わないでほしい、もわかる
■もう男だけは雇わないでくれ
人事の評価では優秀だという噂の独身男(45)が入ってきたが、こいつが危険人物だった。今までよく社会人生活を送れていたなというレベル。
自分の仕事じゃないと感じたら一切やらない
◯◯さんが会議参加遅れるそうなんで先に司会して進めておいてもらえますか、と依頼しても、いざその会議に戻ってくると一切進んでいない。理由を聞くと、俺はこの会議の司会者じゃないから。
タスクを振っても何故俺がそれをする必要が?って言い出す。その押し問答をしている間で片付くようなタスクにすらこれを言い出すので、まともに仕事を振ることができない。
自分だけは頭がいいと思っている
取引先との会議で説明が伝わらないとき、露骨にイライラし始める。自分の言いたいことが伝わらないのはお前らが悪いとでもいただけに。
この間はついにあなた(取引先)の理解力が低いんじゃないですかってニュアンスのことを言ってしまい炎上しかけた。即座に上司がフォローしてなんとか事なきを得たが、その会議については次からそいつは出禁になった。
目下の人間に対するパワハラ、セクハラ
子会社の人に当たりが強い。気に入らないやつがいると使えない、無能呼ばわりして怒鳴る。中国人の人には日本語わかる?って煽り散らかす。
飲み会でもセクハラを連発。新人のイケメンの男に対して、俺の娘を引き取ってくれないか?って笑顔で提案していた。その新人君はぎこちない笑顔を浮かべながら勘弁してくださいよ〜的な笑顔を浮かべていたのがいたたまれなかった。
とにかく、ある程度の年齢になっても独身の男ってまともではないという思いをより強くした。世間ではこうした意見は言いづらいが、一度経験してしまうと、偏見は拭いづらい。
人事の評価では優秀だという噂の独身男(45)が入ってきたが、こいつが危険人物だった。今までよく社会人生活を送れていたなというレベル。
◯◯さんが会議参加遅れるそうなんで先に司会して進めておいてもらえますか、と依頼しても、いざその会議に戻ってくると一切進んでいない。理由を聞くと、俺はこの会議の司会者じゃないから。
タスクを振っても何故俺がそれをする必要が?って言い出す。その押し問答をしている間で片付くようなタスクにすらこれを言い出すので、まともに仕事を振ることができない。
取引先との会議で説明が伝わらないとき、露骨にイライラし始める。自分の言いたいことが伝わらないのはお前らが悪いとでもいただけに。
この間はついにあなた(取引先)の理解力が低いんじゃないですかってニュアンスのことを言ってしまい炎上しかけた。即座に上司がフォローしてなんとか事なきを得たが、その会議については次からそいつは出禁になった。
子会社の人に当たりが強い。気に入らないやつがいると使えない、無能呼ばわりして怒鳴る。中国人の人には日本語わかる?って煽り散らかす。
飲み会でもセクハラを連発。新人のイケメンの男に対して、俺の娘を引き取ってくれないか?って笑顔で提案していた。その新人君はぎこちない笑顔を浮かべながら勘弁してくださいよ〜的な笑顔を浮かべていたのがいたたまれなかった。
とにかく、ある程度の年齢になっても独身の男ってまともではないという思いをより強くした。世間ではこうした意見は言いづらいが、一度経験してしまうと、偏見は拭いづらい。
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。