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はてなキーワード: 入院とは

2024-05-18

anond:20240518171745

共同親権だろうが子供入院時のキーパーソンはどちらか一人なんで

二親いたところで、日本に溢れる保険金殺人を防ぐハザードにはならんなあ

anond:20240518100300

入院書類は知らんけど、俺はどれもやってないが??

実はみんな口にしてないだけで文書偽造ってしてるよね

賃貸契約入院時の直筆保証人欄の代筆

契約書類過去の日付で作成してたことにする事後処理

上流工程のアホが仕様書に書いちゃったどうでもいい検査項目のやったフリ

エントリーシートの話盛り

・何の根拠もない「今、売れてます」のPOP

みんなこれぐらいの文書偽造は日常的にやってると思うんだよね。

公務員公文書偽造したって話題になると途端に「文書偽造とかありえない!人間のクズ!魂ごと穢れているか死ね!」みたいな勢いで叩かれてるけど、自分たちも割とそういうのやってることに対して無自覚から好き放題言ってるだけなんじゃないかなと。

実際の所どうなん?

ちょっとした「田舎に住んでる親父が入院するのとを俺は許可しますよ。増田 太郎」みたいなのですらいちいち封筒に入れて送り合ってちゃんと直筆で書くん?そんなん電話で「お前の名前借りるで?」「ええよ」してちょっと筆跡変えるだけでよくない?

2024-05-17

男って女より年収低くても育児するつもり無いよな

当方婚活してる36歳女

年収は700万 高収入ではないけどマシな部類

年増だけど、相手は38歳以下じゃないと絶対に嫌なので、相手年収低めに設定してる

要は400-600万くらいの人に見合い希望出してるってこと

年収がマシなのとそこそこ顔がいいのでこの条件だとそこそこ見合いは組める

でも、「運よく子供が生まれたら、お金は私が稼ぐので、あなたに育休取得と時短勤務をお願いしたい」というと絶対に誰もうんって言わない

自分より年収高い相手結婚しといて、育児もしてもらうつもりなのかな

400万程度の年収大黒柱になるつもりなんか?むりやろ

追記---------------

私が相手に専業を求めてると読み取る投稿結構多いがそんなことは書いてない タイトル最初の3行くらいしか読んでないのだろう 全部読んだうえで専業云々言ってるのはだいぶ読解力がまずい

都内で700万程度の稼ぎで専業では生活は苦しい

300万程度稼いでくれやって感じ

男→女なら要求としてはありふれたものだが、予想通り反発が大きい

これで女は下方婚しない!とは笑わせる

男は大企業しか時短認められないんです!ってなら仕事辞めてパートするしかないんじゃない?そしてある程度子供が大きくなったら派遣として働いて下さいよ

まるで女ならみんな時短できるとでも言いたげだが、そんなことないからな できない会社に勤務してた女は仕事辞めてんだよ

ちなみに増田会社中小 増田年収が高いのは管理職から 会社には男も一応時短取る制度はあるけど使われてない 腹立たしい

パートが一日六時間、時給1100円、稼働22日で14万6千円 年収で170万ちょい超えるくらい

派遣が一日八時間、時給1500、稼働22日で26万ちょい 年収で316万ちょい

いね 屈弱的だ 離婚されたら困っちゃうね 女だってそうだよ 

話は変わるが、そもそも下方婚とやらの上下基準年収だけなのもおかしな話だと思う

妊孕力、年齢、容姿 それらのほうが努力でどうにもならない分貴重だ 年収なんて転職失業でなど簡単に上がることも0になることもある

多少の年収を盾にエラソーナ事を言ったが、寝集なんて脆い

はてなやXのバカ20代年収300万の女が40歳年収1000万の男と結婚することを女の上方婚だと思ってるらしいが、総合すれば女の価値のほうが高いので、これも女の下方婚

10以上年上の男との結婚生活なんて、死に勝る苦痛

(私は若さこそがもっと価値があるという価値観なのでこうなる 当然人によって同じ婚姻を見ても女の下方婚なのか上方婚なのか異なる)

現実には---------------

ただこの投稿ミラーリング釣りってわけではなく、本当の年収は800、年齢は34 男性の年齢は37歳以下で探してるので、本当より荒れそうな値を設定したが、ほぼそのまんまだ

こんな感じなのでほぼ確実に年収下方婚はしないと思うが、自分より年収が上の男は探してないので、未婚のまま生涯を終えると思う

■生涯独身---------------

ある程度自由になる金があっても、家族がいないのは相当に不便や孤独がある

いまは親も健在で、体も健康で頭も働くので何でもできる 今の仕事首にされても食いっぱぐれる心配もしてない 何某かでやっていける自信はある 一人暮らしでも寂しいと思ったことも一度もない

でも20年後もそうである自信はない

親亡き後、老いさらばえた体での孤独を思うと、たとえ貯金が一億あろうと足がすくむ

趣味があるから家族と仲がいいか独身でも大丈夫!というアラサー女性独身肯定発言を見てると、甘いなと思う

私も趣味はいっぱいある それなりに友達もいる でも、年老いた一人きりの人間立場は、若い人が思うより弱い

賃貸だって借りづらいし、入院するにもかなり苦労する 老人ホームだって身元引受人がいないと入れない

後見人制度もあるが、後見人悪用するケースがよくある 発見してくれる家族もないので、おそらくわかってるよりも悪用ケースはかなり多いはずだ

でも少数ながら幸福な老後を送った天涯孤独のとしよりも知ってるから婚活するよりエリート老人目指して邁進すべきなんだろうなと婚活してて思う

行政書士資格を取って先に述べた後見人となり孤独年寄財産を守ってもいいし、立場悪用するような事例を防ぐサービス考てもいい、若いうちにやれることはたくさんあると思う

婚活妊活には手遅れな年齢だけど、終活するならまだ若く条件が良いのである

ようやく増田平常運転になった?

マジで同一が男が女がって連投してたんだな。

キトー文章じゃなくてちゃんと練り詰まってたし相当時間が無いと書けないぞありゃ。

精神病棟に入院してて暇だったんかな

2024-05-16

anond:20240516112557

むかし2週間ほど内科の大部屋に入院したとき医療費10割)が約30万円だった。

30割負担でもオーケーということは約90万円になる。

個室だと更に金がかかる。

そのときから免疫抑制剤を飲むことになって一月あたりの医療費10割で約10万円かかってる。増田場合はこれが30万円になる。

今は分子標的薬という高額な医薬品があらゆる診療科で出てきてるから、これを使い出したらとんでもない金額になる。

それでも大丈夫ってことは増田資産は億単位はあるってことか。

anond:20240516092142

入院しそう

でも睡眠大事だよな

何しても睡眠足りてないと何もかも狂う

狂うことに気付けない

 

実は狂ってないのかもしれない

睡眠っていうほど大事か?

2024-05-15

死ぬほど働いて、文字通り死ぬほど心身壊して入院してた

死ぬほど働かない奴は人生舐めてるだけ。甘えるな」的な言説に対して

「ああ、これは死ぬほど働いた事が無い恵まれ甘ったれ説教してるだけなんだろうな」というカウンターパンチ思考が出てくるようになった

顔色が悪すぎて30歳で末期癌の老人かと見間違えられる位のハードワークを経験をしていないやつは、「甘え」について語る資格は無い

anond:20240514174139

3歳の子供が入院している

退院できるだろう病気だけど、退院できなくなることを想像するだけでつらい。

毎日お見舞いに行くけど、帰る時がつらい。お見舞いに行かない方がいいんじゃないかと思うくらい。よくお見舞いに来てもらえない子がいて、親は何を考えているんだみたいに言われるけど、行かない人の気持ちが少しわかった。

2024-05-14

anond:20240513131829

おれが入院してるときヤバかったのは陰毛だった。

なかなかの長期だったし、下半身使えなかったから剃ることも抜くこともできず

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

俺は時々、パーカーの紐が入ってないじゃんって言われんのよね

なんで入ってないかというと、精神病院入院時に抜かれるから

紐は危険ってことらしいのよね

anond:20240512235610

これは妄想可能性があるが、保護室に入れられたときに、絨毯よ重くなれと念じたら持ち上げられないほど重くなった。

入院した時は逆に軽くなる超能力を使ってみてよ

小指一本でベッドを持ち上げるとか

anond:20240512235610

消化器内科に1.5ヶ月入院を数回したけど、まったく同意できないや。

精神科入院するだけはあるなと思ってしま

anond:20240513133229

デルタだって無症状の人はいたし、オミクロンでも入院する人はいる。

そしてインフルエンザに比べれば、オミクロンでも感染者あたりの入院率は数倍ある。

あくまで全体としての程度問題であって、個人差が大きい。

でも、病院が逼迫してるせいで治療が後まわしになるなんて話は、さすがにもうないだろうね。

anond:20240512235610

俺が入院した時はせん妄がヤバかったな。

交通事故で跳ねられてICUに入っただけなのに、本気で隣の患者殺人犯であると信じ込んでいた。

夜も昼も医者キーボードの音と隣の患者殺人犯)の息遣いが聞こえてきて殺さないでくれ……!って本気で思い込んでいた。

隣の患者患者せん妄になっていて「お前らここは殺人病院だぞー!」と暴れまくって拘束されていた。

俺は「そんなわけねえだろ……。殺人犯はお前だ……」とずっと怯えていた。

ICUから出たらなんであんなこと考えてたんだ……?となった。

anond:20240513111032

いまさら聖闘士星矢の話をするようなジジイの俺らは、地球環境の話とかするより先に自分健康の世話をするべき 

 

寝た切り入院している間につかうコストでも二酸化炭素は増える

anond:20240512153026

直後に「軽度の躁鬱」を理由入院してるで。辞任理由はそれだと言われてる。

で、半年もたたずに政治倫理審査会長という重責を任されてる。

anond:20240512235610

入院したこといから分からないけど看護師って若くて可愛い子多いの?確かにキャバ嬢とか風俗嬢で元看護師が多いけど(たまに現役もいる)

普通内科行っても看護師はおばさんしかいない

2024-05-12

入院中の脳バグ

精神科に5回か6回ぐらいは入院したが、その時の自分の行動の傾向についてメモする。

やたら勉強ボードゲーム卓球などをしたがる

暇で発狂するレベルなので、やたらとアクティブになる。将棋卓球をやる相手を探してひたすら声をかけたがる。

コミュニケーション障壁がなくなる

どういうわけか、コミュ症ではなくなる。女性とも平気で会話する。病院患者内のコミュニケーション支配することもある。

頭が悪くなる

投薬量が増え、頭が急激に悪くなる。IQテストみたいなのをやらされるが、全くわからなくなる。

超能力が発動する

これは妄想可能性があるが、保護室に入れられたときに、絨毯よ重くなれと念じたら持ち上げられないほど重くなった。

いびきが伝染る

他人いびきが俺に伝染する。その結果、呼吸ができなくて眠れなくなり、睡眠薬必要になる。

看護師がおかず

患者オナニーのおかずにすることよりも、看護師をおかずにすることが多い。たまに便秘になると、看護師お腹スリスリマッサージしてくれるので、それがネタになる。

一定確率患者喧嘩をする

被害妄想を持った患者一定数いて、俺の会話内容を横で聞いて誤解して喧嘩をふっかけてきたり、テレビの前を歩いたことに因縁をつけてきたりする。

殴られそうになったことが一回だけあるが、そいつは俺の個室に勝手に入ろうとしてきた。

ゲイ恋愛感情を持たれる

入院患者にはゲイがいて、一度いきなり抱きしめられたことがあった。看護師は「それは、友情の証なのか、それとも性志向なのか」とそいつに問いただしていた。

保護室の壁をぶん殴りたくなる

見られていないので、壁を思いっきりぶん殴る。ストレス発散になる。

保護室空間が徐々に狭くなっていくように感じる

保護室は殺風景な部屋なので、どんどん狭くなっているように見えてくる。部屋の空間の大きさを歩幅で確認するが、精神が異常なので歩幅の数を記憶できない。

保護室時間感覚がなくなる

時間カウントするために、トイレットペーパー丸め始める。時間が本当に流れているのか疑う。

精神回復し、暇すぎて退院したくなると、母のパワーが役に立つ

母がいなければ入院期間はもっと長引いていることだろう。電話を使う機会があるが、そのときに母に頼んで退院を早めるよう交渉してもらう。

anond:20240512215708

医者は偉い、だから発言に気をつけろ、と?

ヤクザ論理だな

そういえば精神科医には入院患者セクハラするようなどうしようもないのがいるらしいが、そいつらがちゃん健康提供たか

anond:20240512162138

金出して海外精子バンクから買えばいいじゃん

1000ユーロも出せば身元証明付きの精子が買えるぞ

受精施術入院費は全額実費になるけどそれくらいの金は当然出すよな

高齢白血病肺炎ときたら覚悟するか…

私子供部屋おばさん。同居の父が白血病になって2年半ほどになる。この期間、有難いことに?治験対象になり抗がん治療費用は掛かっていない。

とはいえ月に10日の入院費はかかるので、年金暮らしの父とすずめの涙の手当ての私でお金がないね、どうしようね、なんて話をしていた。

先月の頭くらいに、貯金も底をつきそうになり父から治療を辞めようと思ってる、なんて話をされた。

お金さえあれば…と思いつつも貯金もない子供部屋おばさんの私は拗ねたように八つ当たりをし、最終的には父の思うようにして、なんて言葉で話を終えた。

一旦は先生に止められるまでは治療しましょうという流れにしたものの、咳が止まら治験入院自体ができなくなってしまった。薬を貰って自宅療養するも1日2日良くなっては咳が再発する状況に。状態が悪いので予約日よりも前に病院に行くも、特に気になる所はない、抗生剤も出せない(使いすぎると身体が慣れて効かなくなるため)と自宅療養に戻るもやはり状態は変わらず、眠れず咳に悩まされ辛そうだった。

今週木曜から治験の抗がん治療の為の入院となるが、金曜から高熱となり、肺炎になっていると病院から連絡があった。

先生からの連絡はどちらかというと、抗がん治療より肺炎治療を優先するから予定の入院日より伸びます、本人がご連絡できなさそうなので代わりに連絡しておきました、くらいの温度感だったが、同時に「体力もなくなってきているし、退院後の抗がん治療継続を考えた方が良いかもしれません」という言葉もついてきた。

とりあえずは治療を終えて家に帰ってきたらの相談になるけど、その前に家に帰ってこれるのかな…という不安もある。70代、糖尿病白血病肺炎、なんてリーチどころじゃない揃い方をしているので、今日からはいつ呼び出しがあってもおかしくない気持ちでいようと思う。

思い出したけど今年2月に1回狭心症で死にかけてはいるんだよな…本当に何があってもおかしくない。

ところで本当に貯金がないので死後のあれそれの為のお金はどうしようと思ってる。何か頼れる所はあるのだろうか、なんて調べたらいいのかな…

2024-05-10

anond:20240510101112

コンビニ行けないレベルの対人恐怖症って、どうやって生きてるんだ…。要入院とかじゃね?

2024-05-09

anond:20240509160557

この間妻が出産で3日入院したんだけどたった3日でもめちゃくちゃ寂しかったわ。

毎日孤食するとか俺には到底耐えられない。

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