はてなキーワード: 確信とは
24.5.15
そういえば句点の置きどころ、という話であった。現状彼女はすこぶる快調そうであり、それはつまり久々に会う時の話題=俺の知らないことが増えているということで、醜い感情をぐびりと呑み込んで、慶賀すべきことだと言おう。実際、とても喜ばしい。役割を終えて尚且つ細い関係の糸を保とうとするのは許してほしい。誰の赦免を受けたいのかは不明だが。順調とはいえまだ投薬中で、仕事場の状況も不透明で(これは俺の健康を非常に損ねているがそれは別の話だ)、一生見守るって決めたし、とかそんなのは言い訳で、楽しいのだ、単純に。友達でありたいのです。と口調の変化に含羞を滲ませ俺は未来を予想する。先発ローテーションの谷間のピッチャーのように、いつ何時呼ばれても大丈夫なように準備だけは抜かりなく行いつつ、雨やローテ再編や新外国人・若手の台頭によって出番がなくなることに怯え続けるのだろう。監督は俺のことを忘れてしまってはいませんか?と直接尋ねられる図々しさこそがベテランの味だねなんて言いつつ、“寄る年波に恥じらいさえも忘れ”俺は句点を打つということそのものを忘れようとするかもしれない。しかしその時は必ずくるのだろうという確信めいた予感も同時に覚えているのだ
よく見ているユーチューバーが喧嘩していた友人と仲直りをして、動画を撮ったとの事で思わず書きたくなった。
おれはあんまり人に依存しないし、来るもの拒まず去るもの追わずな精神で日々を過ごしている。
故に職場でも嫌いな人はいないし、割と誰にでもコミュニケーションを取れている自負がある。
何でも話せる友人が1人いるし、それで基本的に何とでもなっている。
彼とは中学生の時に知り合い、ずっと何でも深い話を話せる友人だった。
彼とは何度も喧嘩をしたが、その度に深く話し合い解決をしてきた。
お互いの思いの丈を語ることが大切なことだと思わせてくれた人物でもある。
ただ、おれは心のどこかで彼をずっと見下していた。
おれより運動もできなければ、頭も悪く、努力もできない、おまけに性格も悪く、口だけ達者な薄っぺらい人間だと思っていた。
今では、その評価にプラスしておれが人生で唯一憎悪を抱いて良いと思い込める人間となった。
この思い込みがあることで身の回りでどんなに嫌な人がいても「あいつよりはマシだな」と思えることができる。
彼はYouTubeをやっているのでたまにチャンネルを覗くが全く再生されていない。
ゲームの実況をしているアーカイブを見た時には誰も視聴者がいない中、独り言を言いながら一生懸命にプレイしている姿を見てとても哀れに思えた。
それと同じぐらい心が踊った。
おれは性格が良いと思っていたがまだまだ人間らしさがあるなと一安心した。
彼が2ヶ月に1度ほど夢に出てくる。
おれの邪魔をすることもあれば、おれに泣きながら許しを乞う無様なシーンの時もある。
どちらも、おれは顔を踏んだり無視をしてその場を去るような行動をとっている。
時には腕を切断したり、攻撃的なことをしていることもある。
彼は仕事を辞めているようなので、世間一般で言う彼とおれとの評価は天と地ほどの差がある。
世間の評価など真に受けたりはしないが、この関係性のために彼の心が少しでも痛むのであれば、おれにとっては喜ばしいことになり得るだろう。
なぜ、ここまでおれが彼に敵意を向けるようになったか。
社会人になってから彼から遊びの誘いをよく受けていたが、仕事や当時恋人だった妻との関係からなかなか遊ぶことは叶わなかった。
今思えばそれで良かったと思っている。
最後の遊びの誘いを妻の妊娠を理由に断った時、彼から祝福の言葉がなく「やることやってるねえ」という人の神経を逆撫でするような発言が出てきた。
上述しているようなシビアな状況下であったため、精神的にも彼の言葉はかなり刺さった。
それから、全く彼とは連絡をとっておらずおれ自身もどんどん世間とは孤立してSNSも一年ほど辞めていた。
そんなある日、久々に某SNSにログインしタイムラインを見返していた際に彼のアカウントを見つけ投稿を遡って見ていた。
その際に明らかにおれと妻を指して投稿しているものを発見した。
「これが最後の誘いだ、断ったらもうこちらからは誘わない。」と何故か上から目線で投稿がされていた。
時期も遊びを断ったタイミングと同じだったので自分に向けられたメッセージと確信したおれは「脇が甘いよ」と返信したら、全てのSNSをブロックされた。
大変情けないと思った。
そこから、彼が定期的に夢に出てくるようになった。
最近はYouTubeの更新も止まっており、大変に気分がいい。
逃げに逃げ続け、空っぽになった彼が無様に世を去るかことを心待ちにしている。
Wacomも人類の前に屈したし、クリエイターにサービスや商品を提供する企業がAIに関与するリスクは広がりつつある。それでもAdobeを代表とした海外企業のAI推進は止められないだろうが、日本の企業がAIとの接触を忌避する傾向ができてきたのは勝利に近づきつつあることを確信している。引き続きAIに賛同する企業は積極的に叩いていきたい。
もう20代後半なのに、未だに毎日のように親のこと考えてしまう。もはや何が許せないのかもよく覚えていないのに、いちいち許せなくて、いちいち許せない自分のことが一番許せない、何が許せないか覚えてないのに!!(笑)
父親は私が中学生の途中頃から精神疾患を患ったらしく、そこからほとんど無職だったように思う。それまでは仕事しかしていなくてほぼ家にいなかった人だったので、知らん人が突然家にずっといる感覚(今も)。
父親は毎晩アルコールを飲み、基本的に毎晩記憶をなくしていた。夜に私たちが何を言っても覚えてなくて、「そんなこときいてない!なんで大事なこと言わないんだ!」と怒ることもあれば、もちろんどんなひどいことを私たちに言っても覚えていないので、まさに無敵。とりあえず機嫌で食卓を支配するようなタイプ。父親と母親も仲が悪いので、私はおうちではとにかく「子はかすがい」労働。二人がリビングにいる間は険悪にならないように、父が機嫌を損ねないようにニコニコと楽しく会話を回して、できるだけ2人を2人きりにしないようにして、母親とふたりの時は父親の愚痴をいっぱいきいてあげていた。えらい!
家はずっと不安な場所だったけど、特に自分が寝た(ということになっている)後の時間が恐怖だった。親が共謀して(?日本語おかしいのはわかってるけど一番しっくりくる単語を使う)私を嫌っているという確信をもっていたので、私が寝た後に父親と母親がリビングで話していると、悪口を言われていないか確認しなければならなかった。あとはいつか母親が私を捨てて出ていってしまうかもしれない、それが発生するなら深夜だろう、と思っていたので、とにかく夜の物音を超警戒する必要があった。あとは、よく分からないことがいっぱいあって不安だったから(父親の病気の詳細とか、ちらっと耳にしたギャンブルか投資かで負けて作った大き目の借金?のこととか、なんにも教えてもらえなかった)、大人たちの秘密をなんとしてでも盗み聞きしなければいけなかった。そんないろんな動機があって、寝たことになっている時間のあとは、心臓をバクバクさせながら息を押し殺して階段の途中に座ったり、床に耳押し付けたりして、必死に親の会話をきいていた。一番不安な時間だったけど、今日は悪口言ってなさそう、母親もでていかなそう、と安心を得られる時間でもあった。
父親と上手くいかないことがある度、母親には「まああの人は病気だからしょうがないんだ」と言われたし、父親にも「俺は病気だからむにゃむにゃ」と言われ暮らしてきたが、「じゃあ父親の「本当の性格」部分はどこなの、、、?」とずっと疑問である。前述したとおり、私は「病気」になってからの父親しか知らないので、どこからが病気の仕業で、どこまでが「性格」なのかわからない。そこで「病気なんだからしょうがない」と言われると、もう私には心の中で怒ることさえ許されていなくて絶望。病気の父親の症状を受け入れない私は病気に理解がなく、心が狭い悪人なのである。まあそもそもこんなことを考えていると、じゃあ「本当の性格」部分が悪だった場合は親を恨んでもいいと思っているってコト!?それってそもそもいいんデスカ!?とも思って結局私の思考が悪いし、まあとにもとにかく相手は病気だからこんなことを思っている時点で私が悪いのはずっと知っている。すみませんでした。本当はそんなことないよとずっと誰かに言ってもらいたいのかもしれない私はマジで極悪。(本当にそんなことなくないのは知っているので本当にそういうことは言わないでいいです。)病気の父親にイライラする時点で私の許されなさは確定している。心の狭い悪人であることが人生の早めの段階で確定してしまっている。アーメン。と、自分に対しては本当に事実悪人だと思うけど、これを口に出してしまうと、同じ境遇で同じ気持ちの人まで否定してしまうことになってしまうなと思うので、そんなことないよ、と言ってあげたい。きっとそんなことないよ~!
そんな居心地の悪い家だからもちろんずっと家を出たかったけど、私が家を出たら親のどちらかがどちらかを殺す殺人事件が起こるかもしれないと割と真剣に思っていたし、あの父親を母親だけに託すなんて、自分だけが幸せになって親を見捨てているみたいで申し訳なくて、大学でも社会人でも実家を出ることが出来なかった。というと責任感あるいい子っぽく聞こえるけど、罪悪感と責任から逃れたかっただけ(というまたまた悪人なところがでてしまっている理由)!実家を出ようと思ったタイミングは何度もあったけど、私が実家をでたことにより発生しうるありとあらゆる可能性(離婚、別居、殺人事件、母親が病む、父親がもっと病む、など)に対して責任を取る覚悟が持てなかった。実家が持ち家であれば適当に遠くに進学/就職して「やむを得ず」実家を出ることでその「責任と罪悪感」を回避するムーブが可能だったと思いますが、実家が東京の身軽な賃貸(どこまでもゾンビのように着いてくる)のわたしにとっては、家を出ることの理由は「私が家を出たいから」しか基本的にありえず、つまり、その決断によりなにかが起きた場合、それは全て私の家を出たいというエゴのせいなのであるから、その決断をするためにはその責任を取り、罪悪感に耐える覚悟を決める必要があった。この覚悟は何年かけても全然決まらなかったし、結局諦めた。諦めて、シンプルに海外に逃げた!海外に行っちゃえば、私は「家を出たいから家を出る」のではなくあくまで、「『海外に住みたいから』『やむを得ず』家を出る」だけであって、別に家族を捨てたことにはならず、罪悪感から逃れつつ家をでれる、唯一の選択肢だ!と思った。他人に対してというより、家族と、なにより自分に対して正当な言い訳がつく。さすがに海外まで着いてこられることはないし!!天才である。
いまは海外に自分で家を借りて住んで、自分の心の安全を自分で守れる環境を手に入れることができた。でもどこか満たされなくて、結局こうやってブツブツ言っている。今の「今」は確かに素晴らしくて、もう追加で傷つくことはないけれど、結局それは過去にもうついた傷まで癒してくれるわけじゃないんだな、と最近気づいた。わたしは別に、うざい父が悲しかったわけではなく、うざい父から守ってくれない母(結局自分と父の方が私より大事、自分>父>私)が悲しかったわけでもなく、ず~っと愛されてないなと感じて暮らしてきたのがすごく悲しかったんだなと気づいてきた。愛しているひとに面と向かって自分の死をちらつかせたりするのかな、愛している人に迷惑をかけていると知ったらお酒せめて一杯くらい減らせないのかな、あんなにしょっちゅう家出するかな、ぜんぶ「しょうがない」のかな、私よりお酒が大事なのは「しょうがない」のかな。愛している人が理不尽にキレられているのをみたときって「かわいそう」だけいうのかな、え「かわいそう」って感想でてくる?私は死ぬときは大好きな友達にケアなんてさせないし、お酒のんで迷惑もかけないし、愛している人が傷ついていたら一緒に怒って、私は君のこと大事に思っているからね~って伝えてあげるんだからね。せめて、わたしはわたしのつらさとがんばりを、誰かに知ってほしかったし、あわよくばちょっとくらい褒めてほしかった。特に、それをいちばんしてほしい人にしてもらえたら、それで良かったんだよ~。
といっても、私は虐待されていたわけでもないし、大学卒業までお金出してもらったし、もっと大変な心身の「ケア」をしていたひとたちみたいな苦労をしているわけでもないし、本当に、これで謎に辛がっているのは私のせいだと、本当に心の奥底からちゃんと知っています。すみません。でも、この辛さが自分の性格の悪さに起因するものだとしても、辛いと感じた/ていること自体は事実であることは自分で認めないと、先に進めないのかなという気もする。うまく言えないけど。
唐突に終わり。こんなポエム、しまっておけばいいんだけど、しまっておくべきなんだけど、結局、だれかに聞いてもらいたい気持ちになってしまった、やっぱりダメ人間!特におちはないのですが、私と同じような悪人がもしいたら、私たちはやっぱり悪人だけど、あなただけが悪人なわけではないんですよと伝わったらうれしいです。というのは嘘で(悪人なので)、これを書くことで私だけが悪人なわけではないことを知れたらいいなと思いました。だから共感した人がもしいたらどうにかしておしえてね。もう2桁年こんなことを考え続けて、はじめて文章にできて結構すっきりしたかも!すごい!気持ちを文章にできるって大きな進歩だ、すこし元気になった、あしたもがんばろ~。
35歳 女
婚活辛いし、結婚できる気がしないし、よしんばこの活動の末に結婚したとしても独身のが絶対幸福だろうという確信がある
でも世間から老後の孤独がどうのこうの脅されると、不安になって婚活してしまう
子供いなきゃ結婚しても意味ね〜だろとか想いつつ見合いを申し込んてはことは断られ安くはない月会費を払うつらさよ
本当は見合いしてる時間で、副業して老後資金里貯めるべきだとわかって入るんだ
みんなもそうでしょ?
同人活動をしている女性、という意味なのだから、使っている言葉としては間違っていない。なのだが、これを自らを指して使っている人から覗く薄い排他意識、みたいなのものが苦手なのかもしれない。
最近話題になっている、女性向け同人を男性が描いていると、作品を読んでいる間に作者がチラついて集中できないという話。これを肯定する方々の話を聞いていると、自らが「同人女」であることに一定のプライドのようなものを感じる。
女性がうっすらと感じているらしい男性嫌い。それを持っている女性が、三次元には存在しないようなイケメンな男性同士の恋愛模様を描いている。これは同人女にしか生み出せないもの…と、いうような偏見に近い何か。
そういう、自分も周りも「同人女」であるという確信の中で活動をしているのに、そこで人気の作品を生み出している人物がまさか「同人女」ではない「男性」であったという事実に受けたショックを、別に理由付けしているように見えてしまった。
もちろんこれは私が勝手に感じたことであるので、本当に読んでいる最中に作者がちらついて嫌であるという人もいるのかもしれない。
ただそれは個人の問題であり、言うならばそれは読んでいる側が作品に没頭する力が足りないのではないか。
作品の中身に本当に没頭しているなら作者のことなど考えている暇はない。チラつくなら、もっと集中して読む力をつけたほうがいい。
そしてその力不足をまるで作者の非であるかのように、ましてや「被害」などと言うのも、ただただ恥ずかしいので控えるべきだ。
「こう思っている人が多い」「過去に男性作者が顔を出して売り上げが落ちたような事例もあった」という意見を発している人もいたが、「だからなんだ?」で終わることでしかないと思う。
漫画家が顔を出したら売り上げが落ちてしまったので今後顔出しはしない…というのは、仕事として絵を描いている以上対策としてすることもあるかもしれないが、同人は趣味でしかない。その趣味でしていることと漫画家の話を並べて語るべきではないし、そう思っている人が多いから男性作者が自らの姿を隠せと言われる筋合いはないはずだ。
女性向け同人誌を描く男性作者に対してどのような感情を抱こうと個人の自由であるが、それを表に出すべきではないし、本人に言うなどもっての外だ。多数意見だから正義ではないし、多数意見こそ尊重されるべきという考え方は捨てた方が良い。
同人活動において、苦手なものを避ける手段などいくらでもある。そしてそれは自分が動くことであり、相手を動かすことではない。
例えばの話、自分は何があってもこの男と恋愛関係になることはないと確信していながら、男が自分に好意を寄せていることを利用して、食事に誘われて奢られる経験をした女はかなりの数いるだろう。
別に食事だけに限った話じゃない。プレゼントを貰ったとか、タクシー代出してもらったとか、あるいは直球で金銭の授受をしたとか、男が好意から尽くしてくれることをラッキーって気持ちで受け取った女、半数以上はいるんじゃないか?
結局のところ頂き行為って、これらの女性の過半数がやってることの発展系でしかないと思ってる。施されたことに返報する気は更々ないのに、利益だけをかっさらっていく行為は女性の十八番だ。
これは、かなりの数の女性が頂き女子の罪を理解できない、頂き行為は悪くないと感じて、りりちゃんを援護していたことにも繋がる。
だって、頂き行為が悪だと認めてしまったら、今まで自分がやってきたことも悪になるからな。女たちは、自分が悪になってしまうことに耐えられないのだ。
「作者が女性である」とか「客層が女性のみである」という定義は当然ない。これは日本語を母国語としている人間であれば理解できるはずだ。
ところがそれを理解できていない人がいたらしい。
サンプル見て個人誌楽しみにしてましたが、売り子されてたのにくまろさんですよね?
個人誌のあとがきで確信しましたがまさかとは思ったのですが正直男性だということに驚きました。
周りでもよく話題に上がりますが皆さん正直男性には売りたくない、見られたくないといっています。それ以上に男性の描いた本(同人誌に限る)は想像してしまうので買いたくありません。
赤ブーのイベントは女性向けのもので基本的に女性が参加することが前提ですしので、もう少しわかりやすくするか性別が分からないようにしてもらえませんか?シリアスな内容で絵も話も女性が描かれそうなので本が良かった分判明した時にショックが大きいです。
作者が男性だったからって驚き、作者本人に毒マロを送っている。どこでそんな間違いが発生するのかが全くわからない。女性向けを男性が書いている可能性を考えられていれば驚くことはあっても配慮を求めたり毒マロを送ったりはしないと思う。簡単に言うと想像力が足りないし、勝手になわばりを主張する盗賊みたいな人だと思った。
あ、この毒マロの送り主が「女目当てで女性向けの世界に入り込んだのに男がいたのでムカついて適当な理由をつけて毒を吐いている」という可能性もあると思っています。
特撮に関しては100点満点です。こんなにナチュラルな、そらぞらしさ・嘘っぽさのない映像効果はハリウッド映画でもなかなかない。そらオスカーも獲るわと思った。
特に、海、波、しぶきの演出が素晴らしい。海上シーンは最高です。
稚拙もいいとこ……。
致命的なネタバレを含むので、これから見ようって人は以後は読まぬがよろしい。
プロット以前に全体として語彙が貧弱で、「あたまわるいひとががんばって書いたセリフ」という印象ばかりが目立った。素人ラノベみたいな感じ。
言葉遣いもそう。当時の言葉遣いそのままである必要はもちろんないけど、終戦直後の昭和20年代という舞台にふさわしい言い回しが多少は使われていないと奇妙な感じになる。テレビ時代劇だってマイルドにアレンジはされてるけど一応「ござる」とか「そのほう」とか言うでしょ。そういう、時代を映すムード作りがセリフにない。
そして「さすがにその時代、そんな言い回しする? その単語あった?」みたいな現代的な表現が出てきては興を削ぐ。
こんなの、専門家にちょっとリファインさせるだけでぐんと真実味が増すと思うんだけどなあ。
あと秋津(佐々木蔵之介)が野田(吉岡秀隆)に対してガクシャと渾名をつけて呼び捨てにしたりタメ口なのも違和感がある。学者は技官とは言え元将校という設定で、元下士官の秋津が気安く茶化したりイジッたりできる階級ではなかったんじゃないだろうか。ガチガチのタテ社会での上下関係は、組織を離れてもずっと続くものだ。渾名で呼び捨てなんてちょっと信じられない。関係ないけどガクシャが船に乗ってると「ガンバの冒険」を思い出す。
そしてプロット。
物語の背骨になっている「大戸島玉砕は主人公のせい」という前提がまず苦しい。実際にあのとき零戦の機関砲でゴジラが撃退できたかどうかは不確実で、少なくとも「敷島が撃てば確実に撃退できた」と言えるバランスのゴジラではなかった(どっちみち敷島が特攻から逃げなければあの島にはいなかったのだし)。敷島(神木隆之介)が気に病むのも橘(青木崇高)が敷島を恨むのも当人たちの思い込み以上の根拠が薄く、物語を駆動するトルクがまったく足りない。
まして「大戸島玉砕は橘の責任というデマを流したら腹を立てた橘が現れる」という敷島の幼稚な策略。なにこれ。子供? 子供なの? もうちょっとマシな作戦なかった?
敷島家の隣人澄子さん(安藤サクラ)の役柄も最後まで謎だった。復員してきた敷島に繰り返し毒を吐いていた前半のサイコな印象と優しく敷島家をサポートする後半の印象とがまったくチグハグで、ずっと身構えていなければいけなかった。前半のサイコキャラ必要?
あともう典子(浜辺美波)。典子関連はもう完全に意味わからなかったしどうでもよかった。
初対面の敷島の家に転がり込む初手から「は?」っていう感じだった。バックグラウンドもキャラクターもフワフワ、敷島への思慕の念もまともに描かれず、自立したいって働きだしたわりにいつまでも敷島の家に居候してるし、ゴジラが咥え上げた電車から振り落とされても誰もが即死と確信する爆風に巻き込まれてもキレイな顔で生きていた。不死身か。ゴジラ並みの回復力じゃねーか。
キャラクターがフワフワと言えば、ほかならぬ主人公敷島クンのフワフワぶりも目を覆うものだった。薄っぺらくありきたりなメンヘラ演出は神木隆之介クンの演技力とは関係なく説得力ゼロだったし、意志薄弱なのか臆病者なのかただのボーッとしたやつなのか人物造形がまったく不徹底だった。そのせいで「典子の死をきっかけに自分の中の戦争を終わらせる決意を固める」という重要な心境の変化もヌルッとしていたし、当の典子は死んでなかったっていうんだから吉本新喜劇のように全員ズッコケてしまう。敷島の行動原理のコアとなる「敷島の中でまだ終わっていない戦争」というテーマからして扱いがぞんざいで、もっと丁寧に描きこむべきだったんじゃないだろうか。まあ、特攻から逃げたとかはともかく大戸島玉砕に関しては前述の通りなので、いくら描きこんでも説得力は生まれ得なかったのかもしれないが。
それはそれとして、典子との死別は非常に重く重要な節目であり、〈実は生きてましたぁ!よかったよかった!〉と簡単に済ませていいような出来事ではないと思う。だったら話は違ってくるじゃん、となるレベルの卓袱台返しであり、典子は安らかに死なせておくべきだったと思う。
よく女性が主に出入りする空間での盗撮問題で男が〜なんて聞くけども、俺が不思議でしょうがないのが同性の犯行にはほぼ無警戒なんだよね。
憶測だけど確信してるのは、女性が趣味じゃなくて雇われて?というかビジネス敵にやるパターンって無警戒故に捕まらないだけでけっこうあるんじゃね?と思ってる。それこそ趣味でやる男以上に。女湯とか女子トイレとか。
痴漢に遭った。後ろから尻を触られた。あまりにも不快で、怖かった。後ろをチラッと振り向けば、バッグが当たってただけだとか、勘違いかどうか分かるのに、あまりにも怖くてそれもできない。
体をずらしながら無視していたら、明らかに手の、指の感触があり、確信した。少しずつ腹も立ってきたので、大袈裟に後ろを振り返る。内カメを起動して、自分の後ろを捉えるフリもしてみた。違和感がやっと収まって、やっぱり気のせいじゃなかったのか、と心の底から気持ち悪さが込み上げる。不快、あまりにも不快だった。
どんな奴か顔を見てみたいのと、そんなの怖くてできないのとがせめぎ合う。次で降りるべき?せっかく乗り換え無しで帰れる電車に乗れたのに?足でも踏んでやろうか?今からでも手を掴んで声を上げて、警察に突き出そうか?いや無理無理、声すら出せない、恐怖で。
Twitterで痴漢や盗撮した人をしっかり追い詰めて動画に収め、警察にも届けて注意喚起する人を皆見たことがあると思うが、あの方達は本当に勇敢で行動力があるのだと改めて思い知らされる。
私を痴漢したこいつはまた繰り返して、また誰かを恐怖と気持ち悪さのどん底に突き落とすかもしれない。周りだって味方になって協力してくれるかもしれない。何よりこの痴漢野郎に本当にくたばってほしい。社会的に抹殺したい。でも、それでも恐怖が勝つ。手をあげられたら敵わないという事実がのしかかる。何も出来ない。
性犯罪に実際に声を上げた方、本当に凄いです。それだけで救いになります。ありがとうございます。
色々頭を駆け巡って、やっと恐怖より怒りが勝ってきた頃 次の駅に着いた。出口のドアは自分の後ろ、痴漢がいる方だったので、降りる時しっかりそいつの姿を確認して、盛大な舌打ちをしてやった。周りからすれば急にデカ舌打ちをしたヤバい女だけど、"本当に本当に不快だった"という、自分に出来る精一杯の意思表示で抵抗だった。これが自分の限界だった。
ちなみに痴漢は自分よりかなり身長が低い男で、更に嫌な気持ちになった。
舌打ちまでしたのに全く気分は晴れることなく、やっぱり足も踏んでおけば良かったなと思いながら下りのエスカレーター列に並んで電車の発車を見送った。舌打ちした時痴漢は微動だにしていなかったので、そのまま乗っているだろうと思いつつホームを下りると、少し離れた所にさっきバッチリ顔を見た痴漢がいた。間違いなかった、一瞬で吐きそうになった。
何で?舌打ちしたから?降りないんじゃなかったの?怒らせた?たまたま降りた?それとも追いかけてきてる?こうしてる間に向こうも走ってたどうしよう?どこに行けばいい?、無我夢中で人混みを掻き分けつつ、目に入ったカフェに飛び込んで、奥の方の席を陣取った。パニックになりつつ、入口を凝視して、しばらく痴漢が入ってこないことを確認してやっと落ち着いた。
そのカフェで少し休憩してから、また電車に乗った。その電車もなかなか混んでて、後ろの人と距離が近いのが本当に不安で、また1駅で降りてしまった。また休憩して、今度は空いた電車が来たのでやっと途中で降りずに最寄りに到着した。いつもの帰宅より1時間近く遅くなった。
命の危険を感じながらホームから駆け下りたことはあるか?満員電車が怖くて、見ず知らずの周り全員信用できなくて、1駅ずつ降りて家に帰った経験をしたことはあるか?明日電車に乗れるか不安になりながら寝たことはあるか?
少しでも違和感を感じたら、様子を見守ってあげてほしい。気のせいだったらまた目をそらすなりスマホを見るなりすればいい。これは、と思ったら、身体を向けるなり顔を睨むなりしてみてほしい。その場で声を上げるのが1番だが、難しいのも充分分かるので、"自分は見ているぞ"というアピールを全身でしてほしい。
電車を降りたら、その子に「大丈夫でしたか?」と一言声をかけてあげてほしい。は?という顔をされるかもしれないし、頷くだけでその場を離れてしまうかもしれないし感謝なんてされないかもしれないけど、"あなたを見ていました、心配です。"というその表明が、後々救われることがあります。
そして何より性犯罪者を絶対に許さないで欲しいし、自分には関係ないと思わないで欲しい。冤罪を恐れている人はその憎しみを性犯罪者に向けて欲しい。
大椿ゆうこ 社民党副党首 参議院議員/労働者の使い捨ては許さない!
https://twitter.com/ohtsubakiyuko/status/1333886801702862848
まるで現代の魔女狩り? 性被害を訴えた草津町議会女性議員へのリコール〈dot.〉(AERA dot.)
セクハラで刑事告訴された朴元淳ソウル市長が自死したと知った時、日本にはセクハラで訴えられたからといって自死するような男性はいないのではないかと思った。続
むしろ、完全に居直り、再起不能になるまで、セクハラや性暴力を訴えた女性を叩き潰すのが日本社会ではないかと言う話をしたら、他の女性も同じことを思っていた。それを確信するかのような草津議会の有り様。草津市民の判断が問われる。
青い彼岸花が重要アイテムだということをどこかのタイミングで炭治郎が知って
それを探して禰豆子を治そうと奮起する
上弦の鬼の3とか4ぐらいが探してて戦ったり逃げたりする
青い彼岸花に関する何かしらのヒントが残されていて徐々に確信に迫っていく、というようなことをやりたかったんだと思う
以下はそれを前提とした上での青い彼岸花の在処についての予想
たぶんこれは無い
可能性があるとしたら太陽の下を歩いて行かないと手に入らないような場所とかだけど
意外性も無いからたぶん無い
そういう錬金術的なやつ
実は彼岸の季節にだけ見ることが出来る青い月の光とかそういうのを比喩的に「青い彼岸花」と言っていた説
まぁ光じゃなくてもよくて湧き水とかそういうのでもいいと思う
上弦を一人倒した時点で、次は上弦二人を向かわせて絶対に勝ちに行く、っていう敵側のムーブメントは自然だしよくある展開
で、刀鍛冶の里編で二人を倒しちゃうんだけど、仮に倒せなくて柱が死んだとしても青い彼岸花探しの展開に持って行くのは結構しんどい
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193040
この大学を卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京~神奈川にオフィスや工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民やはてな民とニアミスしてるかもしれない。
今では佛教大学に感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。
仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。
この道は、正しかった。第一志望の大学に不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格をバカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。
自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。
でも、実は後悔がひとつだけある。卒業式である。実は、自分は卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト+飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。
失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。
というわけで、先日3/18(月)に佛教大学の卒業式に参加してきた。もちろん保護者席である笑
後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。
焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館の和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。
式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館の和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。
会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。
とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後はプロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。
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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室で学位記を受け取る儀式があるのだ。
ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から「部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。
卒業式の会場を出てから、100席ちょっとの教室に入ると、今まさに社会学部のとある学科の学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。
約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまりに煩いものだから、学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑
あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後に卒業生代表が、ステージ上で「私がこの学校に入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月の最後の最後まで受験を続けて、それで最後に合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業生諸君は大騒ぎだった。卒業生代表の話なんて聞いちゃいなかった。
今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして、少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?
それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。
(以下要約)
・あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた
・入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う
・社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい
すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。
※推測だが、2020年当時って、入学式やオリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルがコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。
ちなみに、ほかの学部の学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生も学生も、熱の篭った感じで最後の儀式に興じていた。特に、教育とか保健とか看護の学部がよかった。
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大学を出た後、近くにある千本北大路の交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。
社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。
これで結びになる。
若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分が雑魚すぎて嫌だった。
「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。
大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業、アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分の雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。
今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニングの勉強をしている。
なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツ机から立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。
「あきらめないでくれ……」
夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。
「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。
でも、学生時代が楽しかったかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。
苦しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分で自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?
確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか。自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって。無意識はわかってる。
だから、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。
苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。
今回、自分の記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学の卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。
成婚できずに退会しちゃったので今は婚活やってないけど、たまに思い出すもやもやする話
そろそろ真剣交際が視野に入ってくるこのタイミングで持病があること、そして持病のせいで年に1回くらい2・3ヶ月休職している事(彼女は派遣社員だった)を告白された。
相手にそんな持病があるとは思っていなかったし、派遣社員であることも知らなかった(職業は公開していたが派遣である事は隠されていた。もちろん年収も非公開だった)
この人とは無いな、と思ったのが正直な感想だった。1年の内10ヶ月しか働いていない派遣社員の収入なんてたかが知れてるし、休職期間中も自分のサポートが必須なのは間違いなかったから。彼女は実家済みだったので今まではその辺りのサポートを親にやってもらっていたのだろう。
もし結婚後にこういう病気を患うとかであれば全然問題なかった。もちろんサポートもする。でも結婚前、しかも全然関係が深くない相手だったら無理。
という事をハッキリと伝えてしまうと角が立つので、「分かりました!話してくれてありがとうございます」みたいな感じで肯定も否定もせずにその場を収めた。
問題はアポが終わってから。向こうから来たメールに「持病を受け入れてくれて嬉しいです。今まで持病の事話すと避けられる事ばかりで⋯」の一文が⋯
いや、受け入れてないんだが⋯
肯定も否定もしてない返しだったのに何故か持病が受け入れられたと勘違いしたようだった。
普通の人であれば脈なしである事は十分に察せる返しだったはず。その時までうっすら感じていた「婚活女性は割と鈍い」が確信に変わった。
とにかく婚活女性特有の鈍感さでこちらのお断りの意を汲んで貰えなかったのだが、持病が受け入れられたと糠喜びしている人に交際終了を伝えるのは忍びなかった(本人に伝えるわけではないとはいえ)