はてなキーワード: 軽トラとは
先日兄が逮捕された。
いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。
ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイクはいれつつ身の上話を聞いてほしい。
私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。
理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。
現実は他の子は家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。
それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。
そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。
余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである。
話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通は起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。
そんな状態で起業するものだから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。
そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。
よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。
この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学の制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。
高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかったからだ。
この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。
そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。
兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。
この頃の私は我が家は普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種の男性と普通の生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。
公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。
だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。
だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死に携帯で参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。
そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこからか調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通に入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったから人生終わったと思った。
そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。
学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。
それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ちで奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。
とにかく大学はバイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。
父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。
就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。
さて同僚の方達はいい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。
まず親の職業は公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。
それはそう。
それはそうなんだが。
我が家は車がなかった。
厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。
だから4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。
せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古のアウディを買った。
わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったからである。
ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。
父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤の治療が始まり、家でのサポートが必要になったため母は派遣をやめた。
いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。
そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社の金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社のお金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。
毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだから、お金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。
SNSで結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休は彼氏と家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。
私はどこで道を間違えたのだろうか。
それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?
私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通に暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。
それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。
まつやにするか。あそこならポーランドふうハンバーグみたいなのがあるし・・なまえをわすれたけど。
QuoCardPayつかえる。さいふにあまりかねがはいってない・・そうだ!おもいだした。
こどもとそばをたべにいく。あのはなしがどうなったのだろうか?そもそも論、こどもはいつまで学校なのだろうか?
そうだ。きょう、土曜日授業なのだ。半ドンだけど・・・すっかりわすれていた。しかしともだちと学校のかえりみちに
そばをたべにいければいくとか言っていた。となると( ^ω^)・・・わたくしは・・ランチそれまで待つということか?
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いま、自分は地方メーカーで工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業。
うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。
社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリに一生懸命取り組んでいる人がちらほら。
色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。
学生時代に恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。
打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せなことなんじゃないかと思う。
個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。
Fラン私大と国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ、学費、そして友達の質。
自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルだけが一新されることに最初はとても戸惑った。
だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。
彼女もここでようやく手に入れた。
変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。
ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。
修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。
国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要なときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。
俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。
母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合いで結婚。
今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分が小学校に上がるタイミングで家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。
俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母の掃除した家で過ごした。今でも祖母は自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味は祖母だ。
祖母がパートや家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAOで韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。
たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。
後は祖母を執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。
母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fランの私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。
そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。
こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。
たとえ血を分けた肉親だろうとクズはクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。
ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。
・就職活動に本気で取り組んだ
国立大学とはいえ自分は理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。
今までやってきた研究と就職してから行う仕事のマッチング率が低く、ESや面接に落ちることもしばしば。
同期の大半が諦めて適当な地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。
そんな中、自分はメーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。
就活に理解のある研究室ではなかったため、教授からの目線は冷たかった。
が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップやアルバイト、面接対策に精を出し、最後に結果を出した。
いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収。大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。
もちろん年収、能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。
でも、いまのうちから貯金や資格取得、勉強など自己啓発は積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。
それにしても。
日本だけなのかわからないが、受験にしろ就活にしろ、局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。
今の日本の制度に異を唱えて貴重な時間を無駄にしたり努力を放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。
・車を持たなかった
これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間、可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。
維持費もかかるが、なにより運転している時間が無駄。その点電車やバスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。
車での移動がどうしても必要な場合はレンタカーやタクシーで十分。
それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。
丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。
時々会社の人からはバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。
ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターやコンバイン、軽トラを所有する田舎の農家。
当たり前のように生活の中に車があった。
学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付。
超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。
今回、こうして日記に人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアルな人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。
ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネットの世界だけにしてる。
年収、恋愛、学歴、貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。
多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくまで事実として淡々と発言すべき。
間違っても他人と比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。
自分も時々不要な一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。
自分が100%正しいと感じても、他人の批評はやめた方が良い。うまく言葉で説明できないのだが、批評の気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。
「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。
確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。
だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトだけが残る。
それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。
もしこういう奴が居たら俺はそいつの発言を3割程度に受け止めるようにしている。
大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。
自分で意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)
以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。
追記:
初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料は奨学金から。
それ以外、仮面浪人時代の生活費や受験にかかわる模試だとか受験の費用、国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金。
それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。
・ミニ四駆好き?
・清潔な環境
小児アトピーで喘息持ちだったので機械油とか空気が悪い環境で働いて死にかけたことがあるので
そこから家賃諸々引かれても月10万あれば暮らしていけると思う
・夜勤あってもいい
最近まで夜勤専属の仕事してたけど来客とか親とか宅配に叩き起こされることが多かった
そういうストレスがなくなれば多分続くと思う
・男女比率7:3
実家が農家で30キロの米袋を軽トラに積み上げるような作業も出来るけどやっぱりしんどいので
女ばっかりの職場だと力仕事が自動的に割り振られたりする可能性もあるため
・社宅or寮
一人暮らしがしたい
あとティッシュで擦る音とかも多分聞かれてて嫌なので
車も持ってるけど毎日通勤に使うと鬼のようにガソリンが減ってくため
実家住みの今は親のカード使って入れてるのでモーマンタイだが…。
今あーしが住んでるところはマックすら撤退した過疎地域なので…。
工場しかないのは分かるんだけど、それよりもどの県に住むべきか悩む
「ご自由にお持ちください」と書いて置いてあるモノを全部持ってっちゃう人のことをどう思うだろうか。
ホームセンターの端材置き場にある端材を軽トラで全部持ち去る。あり?なし?
ATMの脇に置いてある封筒を洗いざらい持ち去る。あり?なし?
スーパーのビニール袋のロールをガラガラ回してたくさん取ってく。あり?なし?
置いてあるビラの中から裏が白いものをメモ帳を作るために全部持ち去る。あり?なし?
物質的に豊かに育った人って、基本的にこういうことはしませんよね。恥ずかしいから。誰に対して?→自分に対して。
タダなんだからもらえるだけもらってしまえという行為が、〈自分から見て〉浅ましい、さもしい、卑しい、見苦しい、下品と感じて、抵抗をおぼえる。
このような、己の内なる線引きで自分の行為を律する規範を〈節度〉とか〈行儀〉と言う。
それは明文化された社会規範ではなく、環境の中で培われ、コンテキストでも変わる、相対的な規範だ。
生まれや育ち、性格といったさまざまなコンテキストをひとりひとりが持っているから、当然その規範も人によってさまざまだ。
なので、タダで持っていっていいものを「どのくらいなら持っていってもセーフか」という線引きも人によって異なる。
「全部持ってっちゃあかんの?」という人もいれば、それに対して「よしなよ、みっともないよ」という人もいる。
一方、置いたほうも置いたほうで、「普通はひとり1個しか持っていかんやろ」とか「ごっそり持ってくやつはおらんやろ」といった、〈置く人なりの線引き〉で置いている。
己の線引きでどうするかとともに、置いた人はどういう線引きでこれを置いているのか、まずは両者を引き比べるべきだろう。
両者に隔たりがあるのなら、どちらに沿うべきか考える。
己の線引きで行動するなら、それは〈利己的〉と呼ばれる。
提供する側の線引きを想像して行動するなら、それは〈空気を読む〉と呼ばれる。
そして、両者の線引きがもし異常にかけ離れていたら、それは〈非常識〉と呼ばれる。
〈常識で判断しろ〉〈ちょっと考えればわかるだろ〉というのは、他人が引いた線を想像することであり、世の中の大多数の人はどう捉えるだろうかと〈社会通念〉に思いを致すことだ。
タダで提供するなら全部持っていかれる肚を括れとか、全部持っていかれて腹を立てるなら最初から上限数はいくつまでと注意書きをしろ、と要求するのは、こうした〈社会通念と折り合いをつける努力〉の放棄にほかならない。
ある種の発達障害を持つ人にとってこうした〈暗黙の了解〉が理解できないことは承知している。
だが、ブコメを見ていると、一定の常識は持ちながらも能動的主体的に社会と折り合いをつけることに関しては拒絶する人、早い話が青い臭い反抗期のクソガキみたいなやつらがウジャウジャいて引いた。
ガチでしない人もいる。
多くは付き合いで嫌々。連絡会みたいなの兼ねた食事会でも来ない。
コロナ前は惰性でお付き合いあったけど、断りたかった人が断るようになったのもある。
自分は自炊派だけど外で食う方が楽、美味い、家でしにくい(寿司天ぷら焼肉)のと飲み会は外。
完全栄養ドリンクとかにはまったりするし、時期によってさまざま。
暇すぎて自炊したくなるのは事実。色々なパフォーマンス考えたら外食が選択肢に入ってきにくくなる。
ウーバーとかも面倒なので、冷凍の牛丼をチンしたり、玉ねぎ増やしたり、汁取っといて黒毛和牛足したり、卵でとじたり。
これは少数派か。優待狙いで株買って飽きて配りまくったりにはなる。
初期は楽しいので、結構通る道でもあり、話を盛りたくもなりそう。
てか、外食しないのと矛盾しとるな。同じ人でもどちらも経験するから、まとめて語る意味ないが。
株の銘柄とそこの系列店が結びつかないのは多々ある。よほどのところじゃないと、優待のためだけに調べて買ってるので、記憶に残らない。
持ってても言いにくい車が多い。
業務用のワゴンか軽トラか、あと自己満足で買って馬鹿にされる微妙系と。
完全に身元バレするような車か。
車の話面倒なので、持ってないと嘘をつくケースも
なんかあったらタクシー呼べた。
運転手雇うほどでもないけど足には困らないという人も居る
家庭持ちで車ないケースは珍しいな、確かに。家庭のほうが虚像かもしれない。
金持ち拗らせて何かを拒絶したり何かにハマりまくったりという時期は誰にもあって
極端な例も多いので、何もかも嘘とはいいがたい
詐欺みたいな手口とか、注目されたくて嘘ついてる頭悪いレスとかにこいつは偽だが、似たようなことしてるなぁで乗っかることもある
50代以上とそれ以下で全然生活様式というか考え方違ってたりもするしなぁ。
50オーバーはほんとにテンプレみたいな金持ち多いし、頑固な変人も多いし。
あと田舎には先祖から継いだがようわからん税理士任せとかも多く
我、処女厨
処女厨が婚活したら苦労するだろうと思うが、案の定苦労しまくったって話をしてやるぜ
25歳まで女性と無縁の人生 and テレワークによる超孤独生活
⇒あれ?この暮らしヤバくね?
⇒マッチングアプリやろう
25年間女性に見向きされなかったひがみからなのか何なのかは未だに判明していないが、
そして処女を彼女に出来たらその子と結婚するんだという心の誓いを立てて処女厨の婚活がスタートした
まさに踏んだり蹴ったりである
化け物にも遭遇した
すでにサービスが終了してしまって、今現在はもう使うことのできないアプリなのだが、
当時、処女厨専門のクロスポートというマッチングアプリがあって、それで出会った女性である
……やばかった
何がどうやばかったか……賢明な読者ならばもはや言わずとも知れたことではあるが、あえて語ろう
事前にぽっちゃりしていると言われてはいたが、ぽっちゃりなんていう次元では済まない
初アポの待ち合わせは互いに探し合うものだと思うが、この人は何を思ったかずっと壁の方に向かってブツブツと何かをつぶやいていたのである
地方駅でのアポというのも相まって、その姿はまるで前入れ駐車の軽トラの後背部であった
この世界には夢も希望もないのだと幻想を打ち砕かれた瞬間だった
どうしようか頭を悩ませていると、突然振り向いて応答が返ってきた
どうやらレスポンス遅延だったようだ
その差は数十秒
正面の姿も悲惨であった
前髪がべちゃっとしたワカメのように側頭部に張り付いており、元の容姿と相まって生理的に受け付け難い見た目をしていた
大変な化け物がやって来てしまった
恋人……はたまた結婚なんて想像するのも絶望的な女性ではあった…………が、しかし我は処女厨
この時の俺は処女こそがすべてだと思っていた
サイゼリヤに向かう道中、その考えだけが俺の頭の中をぐるぐると駆け回る
しかしその答えはすぐに出た
その答えは………………………………………………………………
答え合わせすら必要がなかった
状況証拠が揃いすぎている
処女厨である自分のポリシーを曲げることなく、この化け物と決別することができるからである
この時の俺は迷った
自分のポリシーに殉じて生きるべきか、それとも本能に負けてポリシーを曲げるか…………
とんでもない二択であった
婚活開始時に処女であれば愛すとあれほど固く誓ったにもかかわらず、婚活開始から1か月も経たずにその誓いを自ら破ることになるからだ
これほどのジレンマに陥ったことは、過去現在未来を含めてもこれが最初で最後であろう
無理なものは無理だった
人生は思い通りにならない
相手が処女であればどんな女性とでも俺は幸せになれるという幻想をいとも容易く打ち壊してくる
それを嫌というほど心に刻まれた
それからというもの、処女厨こそ治らなかったが、俺は幻想を見るのを控え、地に足をつけて現実と向き合うことにした
がむしゃらに頑張った
できることはなんでもやった
美人処女と釣り合う男になるために、振り向いてもらうために、自分を変えた
その甲斐もあってか、苦節2年、ようやく最高の相手と巡り合うことができた
今は結婚している
処女厨よ聞け
夢は叶う
諦めるな
お前たちの嘆きは痛いほどわかる
でもその悔しさはバネになる
だからやろう
お前が魅力的な男になればすべて手に入る
だから強くなれ
約束な