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はてなキーワード: コミュニケーションとは

2024-05-20

anond:20240519183554

なんていうか思い込みだけで生きてない?

世界全般に対する解像度が荒いと思うよあなた

2chには男男の罵倒は腐るほどあったよ

男っていうか性別関係ないやつ

氏ね、逝ってよし

厨房、○○厨

ドキュソ、DQN

クソコテ

電波、デムパ

基地外基地、キチ

池沼

糖質

もっと直接的な悪口でいうと、普通に馬鹿とかカスとかゴミとか消え失せろとか罵倒し合ってた

2chが異常に女に態度悪いように見えるのは

まず匿名から男女平等罵倒されるわけ

みんな罵倒し合って治安悪い感じでその暴力的コミュニケーションから光るものを見つけるハイコンテクストフィールドだった

でもリアル性別が女だと「わたし女なのになんでそんなこと言われなきゃいけないんですか!?」っていちいち発狂するんだよね

こっちはお前が女とか知らんし、プロトコルに従ってやり取りしてんのよ

そのプロトコルが令和の今も通用するもんかは置いといて、確実に空気は読めてなかったわけ

頼んでもないのに自分語り空気読まずにコミュニティ自分流儀持ち込み、これ別に令和でも誰からも嫌われるやつだとわからんかな〜

でもリアル女をアピールすると令和になってもまだまだいるオチンポ騎士団平成にもやっぱりいて、そいつら湧いてきて女を肯定し始める

平成はもう既にテレビでは男女差別が酷くて、女は絶対に持ち上げないといけなくて男はどれだけ貶して罵倒して人格否定してもOKって風潮だったよな

それをインストールしちゃってるチンポ騎士がいるんだよね

てか2ch罵倒し合う特性も割とそのマスコミの風潮から来てるよね

女に罵倒するのは明らかにタブーだったし、タブーすぎるからこそ鬱屈してそれを破ったりとかさ

たち悪いのは女もそれを見越して空気をあえて読まないんだよな〜

女を晒すだけでその場を支配できる、それを意図的にやってくる

そりゃ女出禁になるでしょ

辟易してる女もいたと思うよ、てか俺の知り合いに実際いたし

女を隠してみんな男っぽく振る舞ってたのは男に理解があってコミュ力ある女が望まない姫プを避けるための処世術で、自然発生的に生じたものだし

そもそも今でもまともな女は姫プを避けるためにやってることだろ。知らんのか?

まぁ不本意なやつもいたのかもしれんけど

その不本意制限ってのはリアル女とAmazon欲しいものリスト晒せばバンバン荷物貢がれるような甘い扱いと表裏一体だし

究極的には膣と子宮を持って生まれたことへの宿命じゃねーかな

男が精巣と陰茎を持って生まれた業から逃れられないように

まあこういうこと言ってもわからなそうだよな

お互い様とかトレードオフとか処世術とか相手立場とか理解できてなさそう

このリプライ無意味かもしれん

anond:20231013181054

まず身なりから査定入って合格したらコミュニケーション取ってもらえる

次にギャグセンを測られて、女子カーストの測定が行われる

結果上位なら無条件友好、中位なら条件付き友好(限定的マウント要員など)、下位なら雑用要員

元増田は恐らく査定落ちする部類

本当、うっとおしい文化だね

2024-05-19

母親がずっと苦手だった

母親とずっと反りが合わなかった。

母親田舎ちょっとした良家で長女として生まれ地元では3,4番手の県立高校から短大を経て、公務員になったらしい。

経歴からも察するに、ずっと”正しい”とされるルートを歩んできた人だったのだろう。

それは本人が望んでそのような道を選んできたのか、はたまた親の矯正ゆえだったのかは分からない。

母親は(おそらく)25,6で結婚して、約3年スパンで3人の子供を産んだ。僕は1人目の男、長男だった。

父親がろくでもない人間だったので、世帯年収は低かったのだろう。共働きだったが、困窮はしないものの裕福とは程遠い生活レベルだった。

夫婦(自分から見た両親)の関係性が終わっていたこともあり(後に離婚)、家族で過ごした思い出がまったくない。

一方で自分は、30も間近というのに貯金ほぼゼロ独身根無し草生活だ。

こんなふうに真逆生き方となったこからも分かるように、母親自分根本的なスタンスが異なっていた。

物心いたこから母親自分押し付けてくる世間一般的な正しさが苦しかった。

世の中にはもっと絶望的な家庭が存在することは分かったうえで、当時の自分には母親コミュニケーションしなくてはいけない実家地獄だった。

今となれば、母親子どもたちを育てるために懸命に働いてくれていたんだろうと分かる。

母親自分趣味お金を使っているところを見た覚えがないし、友人と遊んだり連絡を取ったりしている様子もなかった気がする。

そうやって自分人生を捨て、母親としての人生選択し全うしたのに、息子と没交渉になっている現状。

自分が親になるような年齢になり、その過程で同僚や友人を観測していくなかで、親になることは自分人生ゼロになるわけじゃないことが分かってきた。

母親人生を哀れに思うが、けれど当時抱いていた憎しみを今でも忘れられない。

自分知識不足の棚上げは見ていて滑稽

https://twitter.com/mane_bu_com/status/1791692316035453241

ハンディキャップのある子の熱がなかなか下がらないので、かかりつけ医に紹介された病院救急に向かい、子は車で待機させ、親のみが受付に行った際、本人がいないため受付ができないと言われたよう。

返信や引用リプで、救急からトリアージ必要説明されるが、受付が説明しなかった、もっと患者に寄り添ってほしいなどのお気持ちを表明。

知らないのを言い訳にしてその態度はずっと崩さない。

その他、この学校に関しても色々問題を抱えているようだ。担任指導力が低いようで、挙げ句痣までできてしまったよう。

これは虐待に当たるかもしれないが、ポストを追っていくと、絶対担任のせいだ、確信があると事実が確定する前から一方的物言いをしていた。

この担任知識不足などは散々に叫んでいるが、自分知識不足はさも知らなくて当然という態度を取っていた。

この人、気に入らないことに対しては、絶対自分が正しいと思っているのだろう。

バッドコミュニケーションの最たる事例かと。

下手くそなんだろうな。

ただ、こういう保護者ってハンディキャップを持っている母親に何故か多いと感じてしまう。あくまでも私の感想だけど。

所謂子持ち様のような人と似ている。

けが要るのであれば、もっと外側の人とうまくやればよいのに。

ちなみに、どこぞのポストトリアージには掲示義務があるという知識を得たようで、それ以降、気に入らないポストへは「掲示義務がわかりにくいのがいけない!」のような一本槍の返信をしているが、教えてもらった武器でよくも戦えるなぁといった印象。

anond:20240519185123

コミュニケーションって難しい。

今の時代職場の人にプライベート質問や会話をするのは倫理的NGなのに、それをしないと仲良くなれない。

俺は自分担当してる新人には事前に作っておいたマニュアルを渡して「それを読んでわからないことがあったら質問して」ってスタイルでやってるけど、他の教育係は新規採用職員家族の話とか学生時代の話、恋愛の話とか聞いててヒヤヒヤする。

anond:20240519184514

周りとコミュニケーション取ってないから気の使い方が間違ってる説

勘違いしてる奴が多すぎる

勉強運動コミュニケーションができなくてもゲームが得意だから自分プロゲーマーの素質がある。みたいに思ってる奴。

実際のプロゲーマー大卒が多いし長時間ゲームプレイするために筋トレしてるし配信で色んな人と絡んでコミュ力が高い。

ゲームに限らず一般業務最近自分短所を克服しようとせず好きなことだけが長所だと思い込んでそれだけを伸ばそうとして短所が求められる場所自分に合わないだけ、自分に合う場所が必ずあると勘違いしてる。

短所を求められて上手くいかなかった時ネット相談したり同じ悩みに当てはまる記事を読んで提示される解決策が「合わないと思ったら逃げて良いんです。必ずあなたに合う場所があります」という答えを見てしまうから

無いぞ。お前に合う場所

社会調和で成り立ってる。そして何かに秀でる人間総合力が高い。

よくスポーツが出来ない陰キャが「運動神経良い奴は脳筋バカw」と言うけど実際どんなスポーツでも頭を使うからバカじゃ成果は出ない。

単純に筋トレですら効率良く鍛えるために勉強して知識量が多い人ほどマッチョになりやすい。

最近サッカー部野球部陽キャより陰キャの方が勉強の成績が悪いバカが多い。

昔は娯楽があまりなかったかスポーツが苦手な陰キャは実生活が充実できず勉強で見返してやると思っていたかオタクっぽい奴=ガリ勉というイメージがあったけど、

最近じゃソシャゲPCゲームオンラインで手頃に承認欲求自己肯定感を得られる。

その流れで陰キャ勉強スポーツも出来ないけどゲームは得意だからプロゲーマーを目指すとか言い出す。アニメを大量に見てるから声優を目指す、アニメ絵が好きだから絵師を目指す。

なれないよ。

プロゲーマーは前述した通り頭の良さ、身体の強さ、コミュ力必要だし、声優も今じゃ総合力を求められる。絵師も売れるためにマーケティング戦略を考えられる計算力と身体メンタルを維持するために鍛えてる人が多い。

最近は苦手なことはやらなくて良いみたいな風潮あるけど全くそんなことはない。総合力を上げて平均パラメーターを上げた上で自分能力を特化させないとプロとして場違い

それを意識させないと無能が量産されていつまで経っても日本の景気は良くならない。

2024-05-18

異世界冒険しにいくときに連れていきたいパーティ(3人)

1人目 和食職人

やはり料理は繊細な和食

長く飽きずにパーティの胃袋を満たしてもらうなら和食しかない

異世界料理屋の出店も考えている

真面目な体育会系だし刃物の取り扱いも得意なはずなので戦闘でも役立ってくれそう

  

2人目 テーマパークアトラクション説明役みたいな人

明るくハキハキしてるので

異世界交渉可能な人たちとのコミュニケーションに役立ちそう

アナウンサータレントみたいにプライドも高くなさそうなので頑張ってくれそう

  

3人目 特殊部隊隊員

戦闘スペシャリストが一人欲しいが

普通自衛隊員警察官より応用力が高そうなので

特殊部隊隊員にしたい

  

君たちならどんなメンツパーティを組む?

anond:20240518185433

なら貴方意見を受け入れる余地があるわけで、話し合えば解決するかもしれないのに

なぜコミュニケーションせず最初から完璧以外許さないんだろう

典型的婚活女って感じだ

anond:20240518162152

わかる〜、仕事とか買い物で接する程度の人間関係で満足してしま

今ってSNSもあるし、人間コミュニケーションする満足度の上限が低い人間はすぐ腹一杯になる

でも猫だけは別だな、猫と全然触れ合ってないと禁断症状が出てくる

anond:20240518125719

お前がその区別をお前なりにつけていたとしても他の人はそうではないからな

国語力があるのではなく独自定義にこだわりコミュニケーションが成立してないだけ

anond:20240518050254

それを言うと、男も女も「だからどうした?」って言っちゃうんだろうな。

男の方は、「おぬしできるな」って言ってほしいんだろ?言ってやるよと定型発達はできるだろうし、

女の方は、「あなた大変ね」って言ってほしそうだったら、言ってあげられるんだろう。

まあ、発達障害でも人と円滑にコミュニケーションするために定型発達のそれをエミュレートするくらいはできるけどな。

あくまでもエミュレートなので定型発達の人が共感コプロセッサで軽量に処理していることの何倍もの演算をやってそれっぽく見せているだけだし、

未知のパターンを受け取るとエラーになるので、反応性は悪いし、疲れるし、融通も利かないんだけどさ。

同じ傾向の異性だと恋愛相手としてベストマッチから別に発達障害から自由恋愛できないとは思わない。

ただ、それだと社会生活が送りにくいので定型発達に擬態していることはままあると思う。

ぶっちゃけ、それなりのレベル大学行っている人にはそれなりにお仲間が多い気がするんだけれど、違うんだろうか。

ここにいる人たちは論理的に話せば理解してくれる人たちばっかりで助かるー楽だなーみたいなのって、もしかしてそういうことなのかなと。

anond:20240518044530

女の発達障害のワイ的には

「同情されたい女は頭おかしい、同情するな理論的になれ問題解決しろ

って常に思ってるけど

そんな女は存在してはいけない女として

コミュニティ存在を抹消され

「女は共感を求めてる〜」

ってずっと言われてるのを眺めているやで

 

色々見てて思うに男女ともに定型発達なら共感ベースコミュニケーションができるんやで

自由恋愛してる男女はみんな普通にできるんや

ハッタッショやからできへんのや。

 

男やからやないで

2024-05-16

anond:20240516003422

昨日の続き


と、ここまで延々と自分語りをしてしまったが、収拾がつかなくなりそうなので止めて、最初論点に戻る


アニメ漫画社会不適合者が最後に逃げ込むオアシスだったんだよ」


少なくとも俺は社会不適合者ではなかった。子供の頃からアニメマンガゲームが大好きだっただけで、それは今も変わらない。そんな人間などいくらでもいる

事実、俺が同人活動をしていた頃でも、イベントに来ている人は普通の人が大半だった。服装ちゃんとしていた。コミュニケーションもきちんと取れるまともな人達ばかりだった

というのも買専の人たちは欲しい本を手に入れるために、グループを結成していることが多い。そして一回のコミケで何十万円も使う。それらのコミュ力経済力社会不適合者には相当難しいだろう

もちろんまれヤバい奴もいるにはいたが、それをもって「アニメ漫画社会不適合者が最後に逃げ込むオアシス」とはならんだろう

そもそもあんたの言う「社会不適合者」とはなんだ? 相互フォロワー作家リアルで初めて会って、流れで打ち上げに行ったってのは社会不適合者の振る舞いじゃないだろ


「お前の人生にはアニメ漫画なんて必要ねーだろ」


顔がイケメンだろうが背が高かろうがリア充だろうが、それを理由にその人にアニメマンガ必要かどうかなんか関係ない。イケメンにはアニメを楽しむ権利がないと言うのか?

好きだから見る、楽しいから見る。アニメマンガを見る理由なんかそれだけだ。そこにイケメンだのリア充だのという属性なんか関係ないだろ


セックスできないかセックス漫画を描くんじゃないの?違うの?」


セックスできればそれでいいって話じゃないからだろ。逆に聞くが、あんたはもしセックスできるようになったらもうエロマンガは描かない。そう言うのか?

格闘マンガを描いてる人は格闘できないから描いてるのか? 違うだろ

現実には不可能でも作品の中なら出来るからマンガは良いんじゃないか現実セックスと、魔法少女触手姦は別物だろ。どっちも「いい」が、いいのベクトルが全く違う

そしてイケメンリア充彼女いるからこそ、特殊性癖全開のエロマンガを描かざるを得ないという苦悩だってあるんだよ

そもそもセックスぐらいやろうと思えば簡単だろ。コミケの売上持って鶯谷に行けば誰だって出来る。そんな程度のもんだよ

それをまぁ「俺はセックスがしたくても出来ない弱者なんだ! だからマンガ我慢してるんだ! なのにセックスできる強者マンガを描くなんて許せん! 弱者配慮しろ!」なんて言いがかりも良いとこだ


まぁこんなとこか。

anond:20240516110423

少し前にXとかで話題になった女児向けのコミュニケーション等のハウツー本とかを見るに、先天的社会的かは分からん女性の方が「正しく」生きることを求めてそうだし求められてそうだなと思う。まあそれで誰かの悩みが解決したらそれはそれでいいことだし、究極的な話本人がそれで満足なら外野がゴチャゴチャ言うべき話ではないのかもしれない。

でもひねくれた見方をすればそれはある種の「呪い」の一端でもあって「インセンティブ」と表裏一体なのではと疑ってしまう。世の男どもを見よ!と言いたくなる。「降りられない」のは男だけではないのだろう。

人手が足りていない会社って、社内のコミュニケーションがよく取れていないから、認識合わせができていれば問題なく進められた部分が頓挫する、後でやり直しになるみたいなパターンがすごく多い

 

「少数精鋭でやっています」はけっこう無駄内包していると思う

anond:20240516103943

それ指摘する人よく見かけるけど、リアル対面で会話するのと、画面越しに雑談垂れ流してたまにコメント拾ったりするのってコミュニケーションとしては完全に別物じゃね?

最近話題になった例の「頂き女子」のノウハウ記事を読んでみたけど、カネを引っ張れない奴は速攻切れとか書いてあって、チャンネル登録者数や再生数で評価されるVTuberとは方向性正反対だよな

でもセックスを楽しんだほうがオタク消費も生産も捗った

小6からずっとオタクグループにいるオタク女なんだけど、処女時代オタク体験特有の楽しさというのはあって、その後彼氏できて二次元オタク趣味どころか全趣味エネルギー喪失した時期があって、その後エネルギーが復活したという変遷があった。

最初彼氏ができたときは、恋愛に夢中になってオタクをやめたというパターンではなく、幻滅と軽い鬱みたいになって何もかもが楽しめなくなってしまった。セックスが全く気持ちよくなかったのと、前から自分がブスである自覚はあったけど本当にブスの貧乳で無価値なんだなって思えて同人誌やグッズ類を一回全部処分したし、ライト乗り鉄みたいな感じでいろいろなところに一人で出かける趣味も失ってしまった。消費も生産もあのときは完全に止まった。「生産エネルギーが凄い童貞生産を続けさせるために童貞のままでいさせろ!」みたいな声があるけど、それはこういう理由なのかもしれないなと今でも思う。夢が壊れて読めないし書けない状態になることはあるんだなと思う。私が生産をやめて困る人は別にいないけど、その人の創作依存している読者が大勢いる商業作家であればそういう干渉も起きるもんなのかなと思う。作家感性に不可逆な変化が起きてほしくないと思うわなと。

別れたら恋愛・性のコンテンツとは無関係なところから趣味が復活してきて、これはこれという感じで徐々にフィクションも楽しめるようになってきた。その後、別の人と付き合ってセックス気持ちいいのかよ…となり、急に実写映画など二次元以外のコンテンツも楽しく感じられるようになってインプットの幅が広がって(これが個人的に一番デカ体験だった)、創作寡作だけどまたできるようになった。支部でのブクマ数みたいなところでいうと前より数字出せるようになった。もちろん評価よりも自分仕事生活と両立できて適切な距離感でやっていけることが一番なんだけど。交流や、オフラインでの活動がかなり時間金も溶かすので、そこが無くなっただけで他にも時間が使えるようになる。時間は有限だけど密度みたいなものはある。コンテンツなのかコミュニケーションなのかというのはトレードオフじゃないんだ、生産と消費もトレードオフじゃないんだ、インプットをたくさんすると「個性」を失って他者から評価が減じるわけでもないんだ、というのを思う。そんなに単純なものではない。あと思えば自分のことを個性的だと思い込んでたとき自分って個性的だったのではなく、オタクテンプレートに準じていたただの痛いアニメイトJCの延長だったのでは?むしろ類型的だったのでは?とも思う。

オタクセックスが下手みたいなレッテル意味がないんだよね。元彼も現夫もオタクだし、両方瘦せ型の眼鏡から、「見た目の特徴で見分けろ」みたいなことには意味がない。違いをいうなら元彼友達彼女がいない人ばかりで、現夫の友達彼女がいる人が多くて、年を重ねるうちに既婚者になっていった。そういう傾向が、今思えばあるなというくらい。見た目はまじで両方瘦せ型の眼鏡しかない。とくに高収入とかでもない…むしろ元彼のほうが職業領域としては高収入職のルートに行ったのではないかと思う。追いかけてないけど。

元彼との交際中はメンタルデバフがかかってて何も楽しめないという感じだったし、あれを「現実恋愛しているかフィクション不要になってた」という解釈だけはマジでできない…フィクション大事だし、現実に劣る存在というふうには思わない。低カーストのブスである現実自分から逃れるためのフィクションという位置づけではなくなってからのほうが、むしろ商業という責任の生じる形でコンテンツ生産を担っている人々への敬意や感謝を持つようになった。そして今の夫と交際開始したことがバフなのかというと、バフとちょっと違って、経験値が上がったような感じがした。小中学生の頃は現実と切り離すためのオタク消費・生産であって相互の影響はないと思いたかったし強固にそう思っていたけど、今思うのは、現実経験が「どういうコンテンツを好むか」という好みの部分にかなり影響を与える。実際にやったセックスをそのまま創作晒したり友達モデルにして作品に出すような行いはしてないけど、コンテンツから良さを感じとる幅が広がって多様な小説映画などから影響を受けるようになって、インプットするコンテンツの幅と量が激増したかアウトプットも変わったという感じがする。あと経験っていうのは現実恋愛セックスだけじゃなくて、ほかの対人関係仕事などの影響も結構割合としてある。学生のころ部活で後輩を指導するような役割から逃げ回っていて、職場で後輩ができてついに「先輩」役から逃げられなくなって、案の定うまくいかないとかの経験もかなり大きかったように思う。

自分ダメさを思い知るとかも含め、人生経験があったほうがコンテンツの消費も生産楽しい。私の場合はだけど、生産において評価数字も前より出るようになった。ただ、それは好きな時に好きなだけ趣味創作をして無料で公開するという一番責任の発生しない形のものしかなく、安定性が要求される商業とは違うもの。また、人と付き合うことで鬱状態みたいになると全部にデバフかかって何も楽しくなくなるから人間関係リスクではある。人を求めた結果、ホストりりちゃんにハマってめちゃくちゃというケースもあるんだろう。結局、何の単純化もできない。

 

元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。なんで元彼と付き合ったのか。

https://anond.hatelabo.jp/20240517171536

anond:20240516094629

容姿が変っていうのもオブラートに包んでるんだよ

実際は「周囲に迷惑をかけている」「挙動不審」「基本的コミュニケーションが取れない割に性欲だけは一人前」みたいな内面問題もそこそこあって、そういう奴に共通する「容姿無頓着」って点があげつらわれてるだけ

デート女性を試すことのなにが悪いか

結論戦略。悪行ではないが、悪手だと思う。

増田気持ちもわかる気がしたのと、ブコメの多くが増田の問いとずれている気がしたので(気がしただけで、文章からは読み取れないのでわからないけど)、書いてみます

デート女性を試すべきでない理由として、以下の2点を挙げている人が多いように思う。

前提として、私も同じ意見だし、増田もそれは了解していて、その上で「なぜ試し行動が失礼と受け取られ忌避されるのか?合理的では?」という問いを立てた、というふうに元の記事を読みました。



なので以下は、試し行動が合理的ではない理由です。

 (増田は「試しあう」ことにも言及しているけれど、それも「お互いに一方的な行動をしよう、"各自利益のために"そういう条件で合意しよう」という態度に見える。合理的だけど、パートナーシップとか生活かには通じない態度だと思う。)

「実際に食事を共にしたとき、どんな感じになるのか見てみたい。生活を共にするパートナーを探しているのだから普段よく行く場所時間を共有したい」というのは理解できる。「合わないなら合わないと、早くわかる方がいい。」というのもその通り。

これをそのまま相手に伝えるのは、自己開示であって試し行動ではないと思う。

自分は~という理由サイゼリヤが好きで、そういう雰囲気のお店で一緒に楽しんでくれるような女性を求めています。こういった価値観の相性は大切だと思っているので、非常識かもしれませんが初回のデートサイゼリヤに行きたいです。」と伝えたうえで楽しく会話できる相手を、「ところでよかったら今度デートしませんか?サイゼリヤで笑」と誘うのはなにも悪くないと思う。

もし増田の言っているのがこれだったら、それは試し行動ではないと思う。少なくとも私は好感を持つので、気にせずその道を行ってほしい。

もし増田の言っている試し行動が、自己開示せずに「サイゼ行きましょう!」といきなり言ったり「デートしましょう!」とだけ言ってサイゼに連れて行くことを指しているのであれば、「この人は社会性に難がある」と受け取られる可能性が高いので、戦略として悪手だと思う。

でも悪行ではない。この文章に対しても「なぜそういうふうに受け取る社会なのか?」という問いは有り得るし、どこでデートするかは各自自由なわけで、いろいろなことに納得がいかないならサイゼリヤでデートするのはアリだと思う。もちろん結果は引き受けなければいけないけど、皮肉でなく、思う道を行ってほしい。増田に合う人はその先にいるはず。

anond:20240515130736

chatGPTがあれば外国語が話せない人でもなんとかなる、自由自在翻訳ができる、翻訳仕事に使える、コミュニケーションができると思い込んでいる頭の中がお花畑の人たち

馬鹿げている

chatgptに喋ってもらうためのラグあんのにどこがコミュニケーションなんだよヴォケが

「すごい!翻訳できた!」で盛り上がることのできるパーティグッズレベルだろ

そんな気色の悪いはしゃぎ方しかできないか外国語ひとつもまともに話せないし、それどころか母語である日本語もきちんと話せず、不完全な文法流行りのスラング盲目的な誤用の波にのまれていく

ものごとを自分自身の脳でしっかりと考えてその考えた結果を出力する、という当たり前のことをしない

世界に比べて遅れをとることになるんだと思うんですよ

"サイゼリヤ"デートは、大人相手を試す方法として幼すぎる

男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。

ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい真剣での試合のものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。

そう、華麗さが無くてはいけないのだ。人はこれを礼儀と呼ぶ。

婚活においてサイゼリヤデートという話題炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間デートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。

以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。

試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。

問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。

ただ、相手価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。

価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)

以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。

(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)

最初にまとめ

総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、

新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、

多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。

多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。

試し方が拙く無礼

いやいやお見合い合コンは違うじゃん!と思ったあなた貴方感性は正常です。

そう、男女が出会場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合い合コンは違う。

事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。

けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。

試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さら相手を試したり知ることができますか?という。

まりサイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしまたか?と問われている。

一般的には、初回のデート場所サイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。

礼儀そもそもわかっていない

そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。

そういう方は、そもそも礼儀が何かわかっていない。

自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。

そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。

実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。

ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。

公私の区別、非日常日常との区別相手自分との区別がついていない

ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)

じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。

サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔肯定し、長く在席してもらうことになる。

こういった場合そもそも公私の区別がついていない。

公私の区別

パブリックプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。

プライベートで、例えば家にいるとき家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。

「だからサイゼリヤ価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートパブリック場所で行われるものであり、特に初回のデートパブリックよりだからだ。

日常日常との区別

さて、デートプライベート行事ではあるが、パブリック空間で行われる。

次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。

冠婚葬祭普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常からだ。

逆に言えば、高校生デートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。

相手自分との区別

最後に、相手自分との区別がついていない、という点があげられる。

これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。

相手人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。

これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。

サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。

その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。

ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。

休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。

どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ

コミュニケーションが取れるか、価値観のすり合わせが出来るか、どこが譲歩できないラインか整理ができていない

そんな初回の相手エスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。

そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手自分に無理に合わせていたのではないかと)。

その解消がコミュニケーションであり、ここで相手意思疎通ができるかはとても重要だ。

自分言葉相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。

例えば、「相手からデートランチ場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。

もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。

問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常デートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ

際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。

いつもデート帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。

まとめ

婚活相手を試すのが問題ではなく、その方法が拙いのだ。

礼儀とは、相手に敬意を表すことだ。親しき中にも礼儀あり。

まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ

から、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段ファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。

両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。

いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。

礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかるといね

あなたから見れば、あなた人生主人公で、それ以外の人間登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。

まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから増田しか書けないよこんなこと。

つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。

相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホント出会いが無いだけで結婚相談所能力無関係に成婚するしね。

https://anond.hatelabo.jp/20240515130736

2024-05-15

父親になるってことが何なのかわかっていなかった

最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。

もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。

転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。

断っておくと、それ自体苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分安心したところだ。

全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。

私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。

機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育て領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。

結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。

そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。

まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。

離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。

余裕のない人間コミュニケーションは、可能な限り効率化される。

無駄なことは言わないし、議論は直接的だし、表情は硬い。

視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。

普段の会話はなくなるし、味気ないものになって行く。

今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。

仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。

育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。

保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児自分タスクとして捉えてしまっているんだろう。

そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。

そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。

自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存

健全関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。

ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。

私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別ものなのだと感じる。

元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)

自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。

でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機しかない。

ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己欲求というものが欠如していた。

求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。

人間というのは現金もので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。

相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。

結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。

私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。

けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。

生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。

車でバカ単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。

客観的に見ると、完全にメンヘラヤンデレ対応で笑うしかないのだが、これが精神依存真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手コントロールしようとするのはとても良くない。

けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。

私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。

いずれにせよ、核家族共働き子供ができるというのは大変なことだったということだ。

子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。

そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。

最後

こうして、何かしらの形で出力しないと自分気持ちに整理がつかなかった。

端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。

今までよく理解していなかった、シャア・アズナブル迷言が頭をよぎる。

たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。

その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。

一分一秒でも一緒にいる時間が欲しかった頃からしたら考えられないことだ。

から、、どうしたらいいかはわからないが、めげずに頑張ろう…。

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