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はてなキーワード: 高校生とは

2024-05-19

anond:20240519111535

高校生の子供2人いるけど家は妻の名義だから俺のじゃないし

貯金も俺のは50万くらいしかない

底辺ですいません

センター試験現代文小説江國香織デュークが全文掲載されて号泣受験生多発した事件って今の高校生にも語り継がれてるのかな

2024-05-17

内容さえ理解してれば語呂合わせなんて必要ないんだぜ……って高校生の頃はかっこつけてたけど、他の事はあんまり思い出せなくても手腕だからシュワンが動物細胞、みたいなのは今でもパッと出てくるからバカに出来ないなって。

概念パッケージ兼内容を表すラベルとして割り当てられる言葉も、それそのもの恣意的に決められるものだしそれ自体意味はないしな。ソシュールか。

風や靴という言葉のものには何の妥当性もないし、風車とか靴箱とかみたいな既存無意味言葉を組み合わせたものでない限り言葉からは何も分からない。ナポレオンという名前からも何をやった人間なのかは全く伝わってこない。年号だって出来事の流れを理解してれば時系列くらいは分かるだろうけど、そのものドンピシャは暗記するほかない。

ジャズマスタージャガーも違いは分かるけど、未だにどっちがどっち分からんしな。

数字単位無量大数まで全部言えるけど、何番目だったかは逐一語呂合わせの歌を頭の中で流さないと数えられない。

高校の最寄りのコンビニ高校生たまりがち

うざーーーーーい!!!

邪魔!!!!!

まだ子供なんだとか言い出したら17歳男子高校生でも女子トイレに入れていい事になっちゃうじゃないか

実際、男子高生に性加害する変態男のニュースも聞くし

キリがなくない?

年齢を問わず一律NGにすべき

我が一族終焉

一族というかただの兄弟の話なんだけど

姉と弟がいて

・姉(45歳) 既婚、旦那は57歳、子無し、メンタル不安定自殺未遂経験複数回あり(若い頃ね)、一般事務職旦那自動車整備工

・弟(41歳) 無職独身高校生の頃から引きこもり大検取って大学に入ったけど結局中退して引きこもりに戻った、若い頃のバイト以外で働いた経験なし、引きこもり20年ぐらい

・俺(43歳) 年収400万、メンタル病んで大学中退した、一応働いてる、アンチフェミニスト

 

もう終わりだろこの一家

AIアート甲子園のここがすごい

最近Twitter話題になっている「全国AIアート甲子園@i-SEIFU」(https://aikoshien.wraptas.site/)のすごさについてまとめる。

 

そもそもAIアートアートではない

 

AIアート甲子園教育的でない

 

AIアート甲子園要求が厳しすぎる

 

AIアート甲子園クリエイター搾取である

 

AIアート甲子園はずさんな運営である

 

AIアート甲子園は生成AIイメージ向上に役立たない

 

 

 以上、「全国AIアート甲子園@i-SEIFU」(https://aikoshien.wraptas.site/)のすごさについてまとめた。今後もこのようなすごいイベントがいくつも現れると予想される。すごいイベントのすごさに注目したい。

anond:20240517083017

この前の「息子をチー牛にさせないためには中学くらいか美容院に行かせたほうが良いかな」的なツイート炎上みたいに、女が使うと蔑称だって男達が発狂するだけ。

一番最初高校生自画像とそれを発達障害こんな顔ばかりと5ちゃんで広めた発達障害の人の書き込み自虐、次に5ちゃん住人たちの揶揄って感じで、最初から蔑称やったで。

足掻いても足掻いても人生が上手くいかない

先日兄が逮捕された。

いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。

ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイはいれつつ身の上話を聞いてほしい。

私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。

ただ、我が家貧乏だった。

理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。

現実は他の子家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。

それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。

そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。

余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである

話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。

そんな状態起業するものから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。

そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。

よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。

この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。

高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかたからだ。

この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。

そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。

兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。

この頃の私は我が家普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種男性普通生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。

高校生が思う浅はかな思考回路で思いつく安定した職業とは。

公務員である

公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。

だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。

だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死携帯参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。

そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこから調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったか人生終わったと思った。

そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。

頭が良くなかったので大学私大

学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。

それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ち奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。

とにかく大学バイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。

父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。

就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。

さて同僚の方達はい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。

まず親の職業公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。

それはそう。

それはそうなんだが。

貴方は払いたくても払えない立場になったことがあるのか。

我が家は車がなかった。

厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。

から4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。

せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古アウディを買った。

わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったかである

ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。

父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤治療が始まり、家でのサポート必要になったため母は派遣をやめた。

いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。

そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社お金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。

毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだからお金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。

SNS結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休彼氏家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。

私はどこで道を間違えたのだろうか。

高校卒業して働くべきだった?

車は買わずお金を貯めるべきだった?

それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?

私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。

それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。

2024-05-16

25年前の学生時代デート

なんかデートサイゼがありかなしか女性を試すのがありかなしか、みたいな日記を見た。デートそもそも女性を「試す」っていう考えがよくわからなかった。みんなそれぞれ分相応にすればいいんじゃないの? それでフィーリングとか金銭感覚が合わない人同士は長続きしないだろうし、別にサイゼでも日高屋でもバーミヤンでも、(それ以上に高級なのがパッと思いつかないので)回らない寿司でも一緒にいて楽しければそれでいいんでは。

増田は既婚アラフィフ男性サラリーマンで、学生時代に付き合ってた同級生彼女と25歳で結婚して今に至る。子どもは3人(全員男)で、長男次男大学生、三男は高校生

学生時代デートを思い出して書いてみるが、当時は普通に金のない学生だったので待ち合わせはドトールプロント、昼飯はお互いの大学学食マック吉野家とか、学生街の定食屋とか、少し頑張ってデニーズとかびっくりドンキー増田下宿先の近くにあった)。夜の飲みは天狗(まだあるの?)とか白木屋とかで安い日本酒を浴びるように飲んでたなあ。少し余裕があるとき回転寿司とかイタトマ(懐かしい)とかだった気がする。サイゼは近所になかったからあまり行かなかった。

そもそも彼女を「試す」なんて余裕もないし、考えたこともなかった。手持ちのお金で行けるとこ行ってたね。たまにバイトお金とか入ると、ちょっとだけ贅沢して気の利いたバーとか、少し遠出して温泉行ったりとかだった。懐かしい。

最近デート中らしき若い男女を見かけても、(いい意味で)周りのことなんか全く目に入ってなくて、どんなところで食事しても何してても楽しいんだろうな、って感じがします。

anond:20240516165732

殺し屋男子高校生二人組なんて腐女子が好きそう

下手したらヒットする

anond:20240515221358

続きです。

しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった

「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった

しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロ自由からだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコ子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガエロ同人エロいのだ

そして俺は漫画家になりたいのではない。エロ二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし精緻な設定も重厚ストーリー人生経験エロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは読子まほろさんをんほおさせること。それだけだから

とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサン勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして

マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ

だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガ形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う

そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ

いきなりコミケハードルが高すぎるし、何よりもサークル当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロしか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる

そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)

そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在から、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして

初めてのエロ同人完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ

そこから俺はイベントごとにコンスタント新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店メッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫ショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった

一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入エロ同人から得ていたからだ。就職卒業もする意味理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった

から就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家フリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ

さて、無事に大学卒業して「職業エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメゲームを見ては妄想股間を膨らませて、いかにこのキャラアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は

だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガ技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初デビュー作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ小学生の描くバカみたいなマンガプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人作家」としては何も進歩進化もしてないのではないか。そう思った

学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなもの不要だと考えた。エロ同人必要なのは、一にも二にも画力エロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった

しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか小手先エロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか

俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家ありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした

から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない

から俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックス体験すれば、それが何らかの形でマンガフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった

だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しか女の子イチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ

話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある

でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望ありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ

俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ

とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかエロ同人的な世界観内面化している自分が、常識的セックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれ

話を戻すと、いざ実際に現実女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった

だがこの感覚マンガフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロ昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした

ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった

後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事同人イベント敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀なのだと俺は思う

そして迷走してはいものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性サークルスペースに現れた

まだ続きます。。。

"サイゼリヤ"デートは、大人相手を試す方法として幼すぎる

男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。

ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい真剣での試合のものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。

そう、華麗さが無くてはいけないのだ。人はこれを礼儀と呼ぶ。

婚活においてサイゼリヤデートという話題炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間デートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。

以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。

試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。

問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。

ただ、相手価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。

価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)

以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。

(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)

最初にまとめ

総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、

新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、

多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。

多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。

試し方が拙く無礼

いやいやお見合い合コンは違うじゃん!と思ったあなた貴方感性は正常です。

そう、男女が出会場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合い合コンは違う。

事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。

けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。

試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さら相手を試したり知ることができますか?という。

まりサイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしまたか?と問われている。

一般的には、初回のデート場所サイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。

礼儀そもそもわかっていない

そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。

そういう方は、そもそも礼儀が何かわかっていない。

自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。

そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。

実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。

ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。

公私の区別、非日常日常との区別相手自分との区別がついていない

ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)

じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。

サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔肯定し、長く在席してもらうことになる。

こういった場合そもそも公私の区別がついていない。

公私の区別

パブリックプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。

プライベートで、例えば家にいるとき家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。

「だからサイゼリヤ価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートパブリック場所で行われるものであり、特に初回のデートパブリックよりだからだ。

日常日常との区別

さて、デートプライベート行事ではあるが、パブリック空間で行われる。

次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。

冠婚葬祭普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常からだ。

逆に言えば、高校生デートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。

相手自分との区別

最後に、相手自分との区別がついていない、という点があげられる。

これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。

相手人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。

これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。

サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。

その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。

ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。

休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。

どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ

コミュニケーションが取れるか、価値観のすり合わせが出来るか、どこが譲歩できないラインか整理ができていない

そんな初回の相手エスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。

そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手自分に無理に合わせていたのではないかと)。

その解消がコミュニケーションであり、ここで相手意思疎通ができるかはとても重要だ。

自分言葉相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。

例えば、「相手からデートランチ場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。

もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。

問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常デートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ

際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。

いつもデート帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。

まとめ

婚活相手を試すのが問題ではなく、その方法が拙いのだ。

礼儀とは、相手に敬意を表すことだ。親しき中にも礼儀あり。

まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ

から、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段ファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。

両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。

いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。

礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかるといね

あなたから見れば、あなた人生主人公で、それ以外の人間登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。

まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから増田しか書けないよこんなこと。

つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。

相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホント出会いが無いだけで結婚相談所能力無関係に成婚するしね。

https://anond.hatelabo.jp/20240515130736

2024-05-15

女の子」って言い方にずっともやもやしてる

女の子」ってのは俺の中で女児高校生までをさす言葉だと認識してたんだが、それ以上高い年齢の人にも適用されまくってる現状にもやもやするんだよ。

このピークは俺自身が二十歳前後の頃で、30を超えた今では20代中盤までの「若い女性」に該当する人はセーフになってきてはいるんだが、20代後半とかにたまに適用されてるの見るともやもやする。

現状ですら、会話内で出てくる「女の子」が女児を指すのか、若い女性を指すのか、話の続きを聞かないとわからないようなことが多々ある。明確に弊害がでている。

女の子」ってのは、性別が「女」である子供」のことなんだから、やっぱせいぜい高校生くらいまでじゃね?

漫画家という収益構造理不尽

 漫画家の「儲け」にまつわる話には、ふたつの矛盾するように見えるストーリーがある。

 世間一般の思う、一度当たれば「印税」でガッポガポというイメージ

 一方で、例えば「バクマン」に描かれる、(いちおう)漫画家自身表現によると「連載が終われば数年で貯金も尽きる」という話。

 どちらが間違っていて、どちらが正しいのか? というのは誰しも思う疑問。

 しかし深掘りして考えてみると、これは「どっちも正しい」。だからこそ、漫画家って商売は他にない特殊営業形態なんだとわかる。

 

 ※以下では、漫画家業のもっとも「売れる」形態として「週刊連載漫画」に限った話を考える。

 

原稿料印税

 漫画家収入についてざっくりまとめる。

 まずほとんどの漫画家雑誌に連載するという形で基本的収入を得ている。

 その原稿料掲載料)がだいたい1Pあたり数千円〜数万円。

 ここではわかりやすく、1万円とする。

 すると、1万円×毎週20P×月4本で、月収は約80万円(100万円弱)くらいが一般的な週刊連載漫画家の最低収入相場と言える。

 

 一方で、単行本が売れると1冊あたり10%の印税収入がある。

 ジャンプコミックス場合約40円。連載が続けば年に約5冊出るわけだから、例えば単巻10万部売れていたら2000万円の収入になる計算だ。

 もちろんこれは税金等を一切考慮していない売上高であり、これだけの額になれば実際には半分程度持っていかれるだろう。それでも、なかなかの高収入に見える。

 

スタジオ制という自転車操業

 しか問題は、これだけ大きな売り上げが見込める週刊連載漫画には、実際にはスタジオ制作というコストのかかるシステム必要なことだ。

 最低限度で考えても、アシスタントを4人雇えばその人件費だけで40万は下らないだろう。さらに、それだけの人数で描くと、多くの場合自宅作業ではなく別途仕事場を借りる必要もある。

 まあこのあたりは人により原稿料スタッフ給料もさまざまなので一概に言えないのだが、一般論として原稿料の高いベテランほど、大きなスタジオ技術の熟れた固定メンバーを確保して経費も大きくなる傾向がある。

 そんなこんなで、よく言われるのは、原稿料はこれらの諸経費だけで全部消えてしまうという話。

 

 つまり雑誌掲載だけではプラマイゼロという話だ。

 増田にも漫画を描いた経験があるが、20Pの原稿を1週間(弱)で仕上げるというのは信じられないような過酷作業であり、アシスタント制をなくしては、現代商業誌に載っている平均的なレベル漫画を毎週仕上げるなんてことは、作家の「画力」がどれだけあろうとほぼ不可能に近い。

 商業漫画クオリティというものは、この自転車操業のほぼ利益0のシステム必須であるということはよく覚えておきたい。

 

単行本はどれだけ売れているのか

 一方で、出版冬の時代といわれる昨今、単行本はどれだけ売れているのだろう。

 実は、漫画雑誌の中でも押しも押されもせぬ発行部数を誇る「週刊少年ジャンプ」と言えども、信じられないような低い数字も珍しくない。

 「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」の華々しい数字メディアに踊るので勘違いしがちだが、ジャンプ連載漫画ほとんどは単巻10万部も売れていない。

 例えば、最近アニメ化もした「アンデッドアンラック」や「夜桜さんちの大作戦」(どちらも20巻を越える長期連載)でやっと10万部前後だ(総発行部数を巻数で割って大まかに計算)。

 ものすごいものになると、大人漫画磯部磯兵衛物語」の作者・仲間りょう次回作高校生家族」は、ネット上ではちらほら好意的感想散見されたものの、実は売り上げは単巻1万部以下(計測不可)で打ち切りとなってしまった。増田も好きだったのでショックを隠しきれない。ドラマ絶対いけると思たのに!!!!!

 閑話休題そもそも、「磯部磯兵衛」も単巻ではやっと30万部売れたくらいだ。「斉木楠雄の災難」も同レベルギャグ漫画はヒット作でももともとそんなものだということも注意しておきたい。

 

 上でも計算したように、10万部売れてやっと年収2000万、税金が多く引かれることを考えると、サラリーマンならそれなりに良い会社に勤めているというレベルだが、長くても数年で終わってしま印税収入であることを考えると、はっきり言って少ない。これが一桁上がると一気に数億円になって生涯年収というクラスになるが、そういう「上がり」の漫画家は本当に一握りなのだ

 

連載がなければスタジオが立ちいかない、印税がなければ儲けが出ないの生むレバレッジ

 原稿料スタジオ維持費で消える。「もうけ」は単行本売り上げ次第。この二重構造が生むのは、株の売買でいうレバレッジの危うさだ

 株のレバレッジ買いというのは、簡単に言うと「株価が上がった時は2倍儲かるが、下がった時は2倍損する」ような信用買いを言う。らしい。増田素人なのでそこら辺は聞き流していただきたい。比喩なので。

 漫画家場合ある意味でなお悪い。連載があるときは、定期収入スタジオを維持しつつ、漫画が当たれば大きなもうけがザクザク入るが、当たらなければそれなり。連載がなくなるとスタジオの維持費を賄う原稿料もない上に、普通は昔の単行本もそこまで売れ続けないので、ただ金が減るばかり。

 当たらない漫画を描くということは、その連載中の儲けが少ないだけでなく、連載を終わらせることのリスクも同時に上げてしまうのだ。

 当たらない漫画ほど、原稿料の維持のためにしがみつきたくなるという負のインセンティブが働くのである

 

 こうした不思議構造は、漫画家作品を当てて印税収入で儲けを出すという「作家」の側面を持ちながら、スタジオを抱えて自転車操業で日々口に糊するという「中小企業経営」を求められるという二面性を持つ仕事であることに起因する。

 本来トキワ壮くらいの時代漫画家は、前者の性質しか持たなかった。小説家や他のフリーランスアーティスト業と何も変わらない「作家業」であった。

 しかし、彼らが売れていくにつれ、漫画産業が盛んになるにつれ、漫画家は「作家」ではいられなくなって来た。

 当たれば天国、外れてもまあまあの貧乏暮らしという気楽な稼業でなくなった漫画は、作家としての挑戦に誘うものよりも、日々の仕事キッチリキッチリで稼ぐ真面目な仕事という側面が大きくなってきてしまった。それでいて、やはり作家自身成功の如何は、印税収入という儚い夢だけに支えられているのだ。

 たまに当たりはあるけども、当たったところでそれはそれだけ、次の事業拡大には繋がらないビジネスなんて、他にあるのだろうか? 

 

 こうした漫画家業の二重性は、もしかすると将来の漫画産業に負の影響をもたらすかも知れない。あるいは、既に?

 

最後に:週刊連載漫画家以外は?

 週刊連載をしないと、ここまでのスタジオワークは必要ない場合がある。

 とは言え、多くのメジャー月刊誌を見ている限り、やはりある程度売れる作品は週刊漫画と同じスタジオワークとクオリティ商品価値を保っている例が多いと感じる。

 さらに、やはり週刊連載漫画漫画界におけるある種の花形である

 「鬼滅」「呪術」の例に漏れず、誰でも知ってる大ヒット作というものは週刊連載作品が多い。

 これは作品の展開が早いこと、露出が多くなり話題にあがりやすことなどが理由としてはあるだろう。

 ジャンプ連載作品というブランドがまだまだ強いとも言える。しかし、それでも上で述べたように、大半は10万部も売れない自転車操業なのが現実である

 逆に言うと、この状況を変えれば、週刊連載という危うい綱渡りに賭けなくても良いのかも知れない。

 現代ネット社会である作品を世に出す、露出させることについては技術恩恵がさまざまに得られる時代である

 

 漫画産業がこれから時代も伸びていくかどうかは、こういった状況をうまく利用して、漫画家という「稼ぎ方」をどれだけ変えていけるのかにかかっているのかも知れない。

サイゼが持て囃される理由

自分人生で2回しか行ったことないからよく分からない。小学生の時に1回、高校生の頃に1回。どちらも地元にあった店舗

小学生の時は家族で夕飯食べに行ったけど、その時は家族連れが多くて店の中がワーワーキャーキャーうるさくてウンザリした(自分小学生だったけど騒ぐタイプの子供じゃなかったし、学校でも授業中うるさい子とか嫌いだったから余計に嫌だった)。

高校生の時は昼食食べに行った。全体的にサラリーマンっぽい人が多くて静かだったけど、店の一角にいた女性グループけがうるさくてなんだかなあと思いながらご飯食べてた。

それ以外は行ってないけど、土日になると中学生高校生自転車店舗沿いにギチギチに並んでて、店の中やばそうだなと思ってた。

地元店舗コロナの頃に閉店したから、今はもうない。客層のせいなのか、コロナ禍での採算の問題だったのか、借地権か何かの都合なのかは知らないが。

味は不味くはないけど、何度も行きたくなるほど特別美味しいとも思わなかった。安いとは思ったけど。子供の頃に行ったきりだから今は美味しいんだろうか。

2024-05-14

子ども権利

ニュース見てたら、中学の頃(90年代後半)担任に聞いた話↓を思い出したんだけど、これって本当にあったことなのかな?

子ども権利に関する国際シンポジウムがあって、日本から子供(高校生?)が代表で出席した

日本高校生は、「茶髪にするのは子ども権利なので、校則制限されているのはおかしい」という主張をした

ところがそのシンポジウムでは、他の国の子供は「学校に行く権利」とか「自由に学ぶ権利」を主張していたので、

日本代表は赤っ恥をかいたのである

要するに担任は、「日本の子どもは恵まれているのだ」「屁理屈捏ねないで校則を守れ」と言いたかったらしい

当時の私はほへーって適当に納得してたけど

今思うとなんかあまりにも都合が良すぎるエピソードだよな

本当にこんなことあったのかね?

などとニュースを見ながら思い出したのだった

https://www.fnn.jp/articles/-/697228

10年以上前、半ば無理やりに友人に池袋キャバクラに連れて行かれたことがある。その時私の横についた女性母子家庭の長女で弟が高校生という身の上だった。私が予備校講師だと聴いてその弟を大学に行かせたいけどどうしたらいいかというガチ相談になった。私もガチで弟さんの話を聴いてしまった。

結局私は自分の事はほぼ話さず、彼女の弟さんのこと、お母さんについての思い、将来自分池袋等で終わらず銀座トップをとりたいという将来の夢について語る彼女の話をじっくり聴き、それを肯定したり励ましたりすることに徹してしまった。これは職業病なのだろうか。

そのお店は時間ごとにぐるぐる女性がローテションするシステムで、次に来た子は大学になじめず体験入店で来ているということだった。また私はほとんど自分の事はしゃべらず地方から来たその子東京になじめない話をじっくり聴くことに集中してしまった。自分地方出身者だったからすぐ共感できた。

その二人の持ち時間が終わった時点で私の入店時間が終わり友人を置いて先に店を出た。二人の悩みや人生真剣に聴いてしまって心理的疲弊してしまたからだ。もうこれ以上はきつかった。面白かったのは二人ともローテションで移動する時「え?もう終わり?延長できない?」と言ってたこと。

延長はお客である私が求める事であって、接客である彼女たちが要求する事は出来なかった。それでピンと来た。ああ、そうか。彼女たちはこの店で稼いで別の店で私ではないイケメン君達に話を聴いてもらってるんだ、と。だからつい「延長できない?」などという客の立場言葉が出たのだ。

性的欲求ももちろんだけど、むしろそれ以上に男女ともみんな「話を聴いて欲しい」「真剣自分を見て欲しい」という切実な思いがあるのではないか。そういう風に思うようになった。そういう体験をして、キャバクラ等のお店がより一層苦手になった。行けばつい真剣に聴いてしま疲弊してしまうから

「私の話を聴いて分かって欲しい」という承認欲求と、単純な性的欲求を、区別できる人と出来ない人が恐らくいる。それが出来ない人が男女ともおり、その発現の仕方で暴力的ストーカー路上売春などの犯罪に走って推し貢ぐ人になったりするのかもしれない。

https://twitter.com/HirMiura/status/1789307253000147002

この人、これを書いただけなのに「そんなのキャバ嬢の「若い女性の相談に乗ってあげてる気分になりたくてたまらないおじさん」に対する常套手段に決まってるじゃないか。何勘違いしてるんだよ。自分相談に乗ってやって喜ばれてとるとでも思ってるのか」って叩かれていてかわいそう。本人悪意もないし、性的欲求もないし、自省的だし、キャバ嬢が本当にそういう意図だったかどうかもわからないし、そもそもこの人はこれでキャバにのめり込むどころか嫌になってるのに、よってたかってここまで決めつけて蔑む必要があるのか。

こんなことで叩いてたらそれこそ世の中の男性はみな、キャバ嬢であろうがなかろうが、この女性一見自分相談してるように見えるけど何か意図があって自分の「相談に乗ってもらいたい欲」を刺激しようとして演技してるだけだからまともに取り合わないようにしよう、って思うだけになるのでは。

anond:20240513174540

同じような状況だったから、すごい気持ちがわかる。

中学生とき

元増田と同じで、うまくグループになじめなかった。

修学旅行で人数の関係でひとりだけ別班になった。

高校生とき

部活の子と仲良くしてた。

仲良くはしてくれてたけど、自分以外の何人かが知らないうちに遊びに行ってたりすることが多くて、話題

についていけないことがよくあった。

大学生とき

大学ではぼっちだった。恋人以外に仲良い人がいなかった。


思い返すとグループになじめなかったのはたぶん、独りよがりな考えとプライドの高さが透けてたから。

グループに入ってるのは、そのひとたちが好きだからとかじゃなくて、ぼっちだと思われたくない自分本位で身勝手理由だった。

なじめないのは、まわりより大人で頭がすこし良いからと、見下していた。

けっして顔に出さず無難な会話をしていても、かならずバレている。

から、遠ざけられる。

別のLINEグルがあるとか、一人だけ誘われないとか、そんなあからさまな仕打ち大人になるとなくなってくる。

だけど、根底価値観が変わらないかぎり、気づくと人からまれているのは、大人になっても変わらない。

家が近いとか、親が仲良いとか、自動的に仲良くなれていた子供のころとは違って、人と人が仲良くなるのはほんとに骨の折れることで、双方の見えない努力必要だとおもう。

昔の自分は、ただ一緒にいるだけで仲良くなれるとおもってた。

独りでいるのを見られたくなくて苦手な人とも付き合って、当たり障りないことしかできなくて、心から仲良くなる努力がなかった。

もし、これを読んでる同じようなひとがいたら、まわりに歩みよれるひとになってほしい。

いま、表面的にでも仲良くしてくれているひとがいるなら、見下したり恨んだりせずに、本当にその人のことを思って仲良くしてるか、独りになりたくない身勝手さで付き合ってないかいかけてみて。

もしそうなら、そのひとに少なから負担をかけているはず。

そして、心から仲良くしたいと思えるひとを見つけてほしい。

もちろん、性格によっては仲良くなりたいと心から思える人なんて少ないけど、人生のなかで何人かは会えるから大丈夫

友達がどんなものに興味があって、私にはなにができるか、なにをすれば喜んでくれるかを常に考えていれば、だいたいの人はきっと分かってくれるはず。

それから、いつも誘われるのを待っているだけのひとは、自分から誘ってみるといい。人を誘ったり何か計画立てるのはすごく大変で、そのへんの気持ちがわかると、誘われやすい態度が取れるようになるとおもう。

2024-05-13

日本維新の会吉村が0歳児への選挙権付与公約にと言い出した。

成人まで親権者代理権をもって投票するということのようだ。

ヘンなことを主張し出したようにもみえるけれども、

基本的に賛成かな。

0歳~小学生くらいはともかくとして、中学生高校生ともなれば親に対してどういう投票行動をしてほしいかを伝えることができる。

最終決定は親権者だとしても、そういうコミュニケーションができるようになるということそれ自体が大切だと思う。

事実上世帯としての投票となる傾向が強いと想定されるため、世代間格差など投票バランス問題解決寄与する。

子育て世帯の声がより政策に反映されやすくなる。

そもそも持続可能な開発理念にかなっている。

公共インフラ投資都市計画や保健福祉政策などさまざまな政策決定の受益者の多くは将来世代だ。

まあ吉村維新も全く評価していないのだけどね。

これは悪いアイデアではないと思う。

東京まれ東京育ち、大体オタク

渋谷区で生まれて、大学の時に4年間だけ地方都市に住んでたけど、

それ以外はずっと東京山手線の内側で過ごしてきた。

ひい爺ちゃんの代から東京なので、まあ江戸っ子と言っても遜色ないかなと思う。

なんだか東京で過ごすことに、やたらとプライド持ってる人とか

やたらと敵視してる人がいて、東京育ちの人間からするとマジで意味がわからない。

まれてると言われれば、そうだと思うけど、それは地方だっていい所あるんじゃないの?知らないけど。

んで、本当に東京で生まれ育った人間について、書いてある文章少ないなと思ったので、ちょっと実情を書いてみる。

オタク仲間がたくさんできる

思春期90年代2000年代くらいだったのだけど、明らかにオタク系の友達が沢山いた。

新宿西スポヴァンパイアハンター大会とか出て、梅原にボコボコにされたり、

秋葉イエサブMtG中古カード買い漁ったり、国府田マリ子ラジオの公開収録行ったりと、

オタクコンテンツへのアクセスがめちゃくちゃ良かった。

コミケに初めて参加したのも16の時で、中学校の時の同級生女子がレッツ&ゴーのコスプレしてたのに出会ったりしてた。

最近でも仕事とかで仲良くなった同年代東京の人と話すと、

確率ゲーセンの思い出話なんかが出てくる。

押切先生ハイスコアガール世界観はかなりリアルで(可愛い女の子は出てこないけど)、

あんな感じのコミュニティが当時の東京にはゴロゴロあった。

パリピ友達もたくさんできる

クラブも近かったので、よくチャリンコで深夜遊びに行ってた。

ゲーセンに居た夜職の兄さんに誘われて行ったのが初めてだったと思う。

ちょうどR&B全盛期の時代で、宇多田ヒカルAutomaticクラブに歌いにきてたり、

ダンスバトルみたいなのもよく見に行った。

当時は無茶苦茶緩くて高校生でも、なんか適当な偽造IDとか作ってもらって、それで入ってた。

高校生男子に色々と教えたい大人達がたくさんいて、とてもみんな優しくてアットホーム

週4〜5でクラブに行ってた時もあった。行きつけのクラブ店員友達になったりしてたので、

エントランスはいつも無料で入れてもらってた。

自分TCG大好き格ゲー大好きのオタク少年だったが、クラブに行くときコンタクトに変えて

ダボっとしたKANIを着込んで、武装してた。上京したての女子大生をナンパして、

初めての彼女を作ったのもこの頃だった。

東京コミュニティはすぐに生まれる。そして、すぐになくなる。

東京で生まれコミュニティは、基本的新規参加者へ寛容である

地縁血縁を軸としたコミュニティではないので、基本的に同じ興味対象があれば、誰でもウエルカム

逆に来なくなっても、別にそれはそれ。誰も追いかけてはこない。

なんなら、突然コミュニティ自体簡単霧散するなんてこともよくある。

とにかく、こういった人の集まり無限に生まれて、どんどん消滅する。

自分を振り返ってみても3年くらいで周りの友達関係は一掃する。

ただそれでも、その中で特に仲の良かった人とかは、コミュニティがなくなっても

普通に友達として繋がったりしてて、それで人間関係が残っていったりする。



・周りの人間に対して無頓着になる。

逆に自分と繋がってない人に対しては、全く興味を持たない。

隣が誰住んでるのかも知らないし、参加しなければ近所のコミュニティなども全く知らない。

人はたくさんいるけど認識しなければ風景と同じで、お互いにそういう感じで過ごしている。

逆説的に、人を認識しないので人との繋がりが少なくて快適なのだ

認識した時だけ人がポッと現れて、認識を外すときえる。

その心地よさが東京本質なんじゃないかと思う。


文化資本が豊かかはわからないけど、マニアには優しい

総じて、東京の良さは何かにハマった時のコンテンツ距離が近いこと。

これは同好の士リアルで会うのも簡単であるというのも含む。

ポケモンセンターバイトしたりしたこともあったけど、中の人との距離感近いのも東京の特徴だと思う。

あとは、周りが放っておいてくれる。勉強しろとか言うのは、親と学校先生くらいで、

それ以外の大人世間は、ほとんど自分に対して興味を持っていない。

おかげで、ファッションがどうであれ、趣味がどうであれ、自由自分のやりたいことにハマれる。

そしてハマった先には、もっとハマってる先輩方がいて、受け入れてもらえることが多いような気がする。

自分オタク系の趣味クラブという趣味つの全く異なる趣味にハマったけど、

こんなことを許容してくれたのは、東京という土地からのように思う。

多分、美術マニアでも、ラーメンマニアでも、フィギュアマニアでも、

なんでも受け入れてくれる懐の広さが、この街の良さだ。

何か熱中してるものがあるなら、東京に来たら良いと思うんだよね。

きっと、東京にはあなたを受け入れてくれるコミュニティは沢山あるよ。

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