はてなキーワード: 感覚とは
まずはこれを見て欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=mLW35YMzELE&list=PL4fGSI1pDJn4-UIb6RKHdxam-oAUULIGB
YouTubeの人気曲トップ100だが、気づいたことがあるだろうか。
Creepy NutsやAdo、tuki.など、今流行りのアーティストのMVが並んでいるが、どれも歌詞、リリックがMVの中に効果的に配置されている。
あぁ、確かに見るよね。それがどうした?と思われるかもしれない。
しかし、我が国日本の音楽、J-POP最盛期と言われる90年代のMV(当時はPV)ではこのようなリリックが入ったものは見当たらなかった、少なくとも主流ではなかった。
これは、90年代に青春を過ごしたアラフォー以上の方には賛同いただける意見かと思う。
では、いつ頃からこのリリックビデオが日本で生まれ、普及したのだろうか。
インターネットの浅い海をざっと泳いでみると、ニコニコ動画のボカロ動画が起源であるとの意見が散見される。
たしかに、一般に普及したという意味ではそうかもしれない。しかし、「起源」という点において、私の感覚は違う。
ここで、ニコニコ動画やYouTubeが生まれる前、野良の動画クリエイター達は自分の作品をインターネットのどこで、どのように発表していたのか。
当時、日本のインターネット上でダントツで隆盛を誇っていたのが、ひろゆき率いる2ちゃんねる。
2002年、2chの数ある掲示板の中で、新たに出来たのが「FLASH・動画板」である。そう、「FLASH」だ。
当時の動画クリエイター達は自らのサイトでFLASH動画を作成し、2chの「FLASH・動画板」で互いに腕を競い合った。
https://dic.nicovideo.jp/a/flash%E9%BB%84%E9%87%91%E6%99%82%E4%BB%A3
FLASHは一大ムーブメントを迎えたが、2004年頃に急速に終焉を迎え、クリエイター達はニコニコ動画やYouTubeへと移っていった。
日本のインターネットにおける動画作成文化の起源はFLASHにあるといっても過言ではない。
ようやく本題に入ろう。勘のいい方は、もう気づいただろう。
2002年、「FLASH・動画板」の設立間もない頃、ある政治問題が話題となった。
北海道出身、御年76歳の現役国会議員、鈴木宗男が起こした汚職問題である。
詳細は以下のWikiを参照いただくとして、その中で大変キャッチーなワードが話題となった。
鈴木宗男が北方領土に建設した「ムネオハウス(日本人とロシア人の友好の家)」だ。
このワードにお祭り大好きな2ch住民が飛びつき、鈴木「ムネオ」と「ハウス」ミュージックを掛け合わせた「ムネオハウス」として様々な動画を作成した。
このムーブメントは当時アングラだったインターネットを飛び出し、一般社会にまで浸透する程、話題となった。
https://www.youtube.com/watch?v=rjZE6U9Ni0E
ムネオハウス関連動画は、主に鈴木や彼の秘書、ムルアカ氏の発言をサンプリングしPV風に作成されている。
そのため、(ネット回線の乏しさもあり)音質は悪く聞き取りにくいため、テロップを付ける必要がある。
動画はハウスミュージックをベースとしているので、テロップも自然と楽曲に乗せてリズムよく、時に演出として効果的に配置する流れが生まれた。
それまで、FLASHでNHK「みんなのうた」のように歌詞を単純に載せる動画は散見されたが、
リリックが演出として組み込まれ、インターネット上に広く浸透したのはムネオハウス関連動画の影響が大きい。
https://www.youtube.com/watch?v=ZKy-lTRvXhU
https://www.youtube.com/watch?v=gG4CdB0U7bc
https://www.nicovideo.jp/watch/sm4630571(9分9秒頃)
その後、FLASH動画板では、BUMP OF CHIKENの楽曲「K」や「ダンデライオン」など一般楽曲にリリックを演出的に載せた動画などが広く浸透していく。
そして、FLASHが廃れた後は、ニコニコ動画、YouTubeにその影響は受け継がれ、米津玄師やYOASOBIなどを輩出したボカロ楽曲において、
前に4話で止まってるとか言ってた人。
結局あの後、ずっと続きからの欄にいるのもいい加減鬱陶しいなと思って観た。
バーテンとエンジェルのデュオ、俺たちゃ負け犬最底辺のドベ、でもそんなクソみたいな仲間が他にもいるから、みたいな歌で正直ええ……?とイマイチぴんと来なかった。これはたぶん自分が自己中クソ独善野郎だったから共感出来なかっただけ、いや分かんねえよその感覚は、としか思わなかった。
一応最後まで観るけど、これが何で絶賛されてるのか判明したらいいな。無理そう
わびとは、新鮮で素朴なもの。
シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。
自然によって作られたものと人間によって作られたものの両方が含まれる。
また陶磁器に流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。
経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。
これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。
「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅の緑色の腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカの日本庭園、マギー・オスター
「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さびは本来、社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉の意味は、よりポジティブな美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさびの意味は大きく交差し、今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独、寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築の古典的伝統:現代版」数寄屋の流儀』 伊藤貞二、二川幸雄
「...小堀遠州、桂離宮の設計者として広く知られている男。建築や庭園に適用された遠州の様式は、宮廷の伝統の優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休のさび(人里離れ、静けさ、牧歌的な簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたからである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志
「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚なものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびなものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体や建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ
「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます。創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品。 世界には、それぞれの性質や環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れています。しかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本の洞察」、柳宗悦、バーナード・リーチ
「日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉を英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本の民芸」柳宗悦
働いてないからコスト感覚がないんじゃなくて(増田がそう主張してるという話ではない)
別に喧嘩を売りたいとかそういう訳じゃないんだけどこれへのブコメの
女の「他人の好意につけ込んで騙し奪う」ことに対する倫理観の低さって、昔は「聞き分けの悪い女の頬を張り倒し」とか「嘘は女のアクセサリー」といった風潮とセットでバランス取れてたんだろうが以下略。
を見て思った。
やり逃げされることって女にとっては「人の好意につけ込まれて騙し奪われる」って感覚なんだよなあ。
妊娠したらもちろん、幸運なことに妊娠しなくてすんでもそのリスクを負うのは相当なことなので。
そしてこういう話はほんとそこらじゅうにあるんで、今回やたら女(だけ)が倫理観低いって言われるの見て違和感感じてたのはそのせいかと。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000349541.html
いろんな人たちの命が重くなりすぎてる
ついカッとなって殺すというのは人間も動物なら不可避の話だと思う
やっちまった後に後悔するのも人間らしさの発露だと考えている
キャバ貢ぎストーカーおぢも、これくらいの短絡的なやつでさして意味を乗っける必要はないんじゃないか
「気取ってる」ってああいうのを言うんだろうなあ。
「教わってる側の癖して」って気持ちに産まれて初めてなったわ。
なんであんなに「私の方が優秀なんですから私の時間を無駄にしないでください」みたいな態度が取れるねん。
むしろこっちはお前がやらかした諸々の尻拭いで四方八方振り回されてめっちゃ時間を無駄にされてるんだけど。
まあ物覚えは良いと思うんだよね。
でもそれを仕事に応用する能力っていうか、自分のした行動が他の人にどう影響するのかを捉えるための感覚が足りてない。
二工程先を想像する能力がないっていうより、考える気がなさそうなんだよね。
今その場で目の前に与えられた課題で自分が高い評価を出すことが全てになっていると言うか。
経験値の低さ自体はゼミ・部活・バイトで上手く学べてないと難しい気がするから諦めるんだが、意識がなさそうってのは気になるんだよなあ。
自分が王様で周囲の者がその召使みたいな感覚があるっていうかさ。
店で金払えば店員を下僕扱いしても問題ないと思ってそうなタイプというか。
いわゆるエリート様特有の「優秀な俺が結果を出すために手伝うのが、「優秀以外」に属する君たちの役割だよ」みたいな感覚があるんだよなあ。
この仕事を引き継ぐ人のために受け継いでいくのはいいけど、コイツ完全に腰掛けの感覚なんだよね。
「下々の働きぶりを学んでから上にいけと言われていてね。君たち、将来上司になるかも知れない僕に恩を売るチャンスがあってよかったね?」ぐらいの感覚なんじゃね―かって感じさえある。
新人だろうがなんだろうが、次の肯定、次の年、次の仕事、次に自分の席に座る人といった次に当たるものを考える気のねー奴となんて働きたくねえよ。
まあこのエリート様的には「僕が出世した先」という形で未来を見据えているんだろうけど、それはお前個人の未来だけだろうがよ。
この部署や会社だけでなく業界全体とかまで考えた先が見えてないんだよ。
その癖して「僕は10年先の自分のビジョンを見ているからね。今目の前にある仕事は単なる経験値稼ぎやテストみたいなもんだよ」みたいな感覚で先を見た気にはなってそうなのがムカつくー。
お前自分の周囲半径1人2人程度の動きさえ把握出来てないっつーの。
考えたこともなかったけど言われてみると死の恐怖が和らぐ気がする。
死の恐怖っていっても身体的な痛みへの不安とか夢が実現できない無念さとか色々あると思うけど、自分が死んでも宇宙が存在し続ける虚しさみたいなものもある気がする。
自分は宇宙の中心じゃなくてあくまでモブの一人ってことを受け入れさせられるような、尊厳が傷つけられる感覚。
この部分は宇宙も死ぬってことにしてしまえば、自分が死んだ後も宇宙は存在し続けたとしても、あくまで有限の時間って思えば早いか遅いかの問題だけで皆んな平等。
そもそも自分が死んでも宇宙は存在し続けるっていう前提が証明できないし、論理が破綻しているかもしれないけど、うっすらと納得感はある。
俺は童貞だからよく分かんないんだけどさ、「絶対に相手が覚えてない状態で性的な悪戯が出来て証拠も残らない」って誘惑に1年間ずっと耐えられるほど人間って強くないと思うんだよね。
急激に性欲が高まったタイミングでたまたま家に赤ん坊と自分しかいないとかになったらさ、つい出来心で「ためしに吸わせてみるか」ってなるんじゃないかと思うわけ。
言葉を喋れるぐらいの年齢でそれやるとポロっとバラされそうで怖いだろうけど、それまでの1年はチャンスがずっと転がっているわけだろ?
あと、洗濯する前のパンツなんかも完全にバレないと感じたタイミングで臭いを嗅ぐぐらいはやっててもおかしくないかなと。
俺は童貞で実際に子供が出来たことがないから「自分の子供に手を出すはずがない。本能的に気持ち悪いから」っていう感覚が分からないんだけどさ。
まあ俺に妹や姉がいるか、ないしはホモとして産まれていたら、身近な人間に対して性欲は感じないって感覚も理解できたのかもなあ。
でも従姉妹とエッチなことする妄想をしてシコったことはあるしなあ。
どうなんだい実際?
真面目に議論するなら、お好み焼きをクラスとするかも怪しくなる。
オフトピだがね。
オブジェクト指向が栄華を極めたあの時代、責任、関心、主体性、凝集、アイデンティティ、is-a has-a、… 研究者やギーク、仙人らによって、あらゆる説明がされたが、結局、オブジェクト指向は現実世界を捉える人間の感覚の応用でしかなかった。
「モノ」と思える奴をクラスにすればいい。
それ以上でも以下でもなく、あとはプログラミングの構造を整理するために有効に使えるケース・バイ・ケースの妥協点を探すことになる。どうモデリングすべきかの議論は収穫が少ない。いや、極めれば霧の向こうで信じがたい洞察を垣間見れる可能性はあるにはあるが…、しかし多人数でソフトウェアを維持管理するのが正解だと分かった今、属人性を排除するためには霊感を説明するよりシンプルに留めるのがベスト・プラクティスだ。
プログラマーの関心が関数型に移ったのは、そういう経緯もある。数学をバックグラウンドに持つ関数型言語をバックグラウンドにする方が、ミーハーな技術屋連中の興味を引けた。
このこと、ずっと誰かに話したかったけど誰にも話せず、匿名のここを使います。
私は今20代半ばの女です。
当時は「それ」を性的な感覚とは思わなかったが、大人になってから「多分あれが自分の性の目覚めだったな」と思う出来事を、男女問わず、小中学生の頃に多くの人が体験しているのではないでしょうか。
私の場合、それが所謂「ギエピー」つまり穴久保先生が描かれているポケモンの漫画だったという話です。
私の家には、兄がいたこともあってコロコロコミックや少年漫画が多くあり、私も幼少期楽しく読んでおりました。
恐らく、小学5年生くらいのことだった気がします、単行本1巻を読んでいた時のことです。
今漫画が手元にないので記憶を辿りながら書いておりますが、恐らく1巻の中で最後に載っている話に、レッドやピッピ達が、急に荒れた天気の雨宿りのために、ちょうど近くにあった不気味なお屋敷に立ち寄ります。(ググったところ、第7話っぽいです)
そこにはブルーという名前の少年が住んでおり、とても暗い性格で、ブルー関係のもので部屋が埋め尽くされています。(その中にブルーレット置くだけがあったのだけはなぜか鮮明に覚えています。)
そして、不気味なお屋敷のイメージ通り、そこでレッドやピッピ達はゴースなど、ゴーストタイプのポケモン達と戦うことになります。
私の性の目覚めとなったのは、次のシーンです。
ゴーストタイプのポケモン達は、エスパーを使ってピッピ達を操り、洗脳状態にします。
ピッピの目は正気を失い虚ろになり、ゴーストタイプのポケモンが「自分を攻撃しろ」と指示すると、「はいッピ」と言ってピッピは自分の頬を殴ります。
「正気に戻れ!」と声をかけるレッドに対しても攻撃をしようとしたりするなど、完全にゴーストタイプのポケモンの言いなりになっています。
信じられないかもしれませんが、ここなのです。
このシーンを初めて読んだ小学5年生の私は、なんだか胸がドキドキし、体がムズムズし、同時にフワフワ気持ち良い心地になりました。
なんだかイケないことをしている気分になり、リビングのソファから、漫画を持ったままトイレに移動し、該当のシーンのみを何回も何回も繰り返し読んでいました。
決して性的なシーンではないはずなのですが、「味方だった人が、敵に洗脳され、言いなりになり、味方である自分のことすら分からなくなり、攻撃してくる」というシチュエーションに興奮したのだと思います。
このシーンを読みながら自分の体を触ったりすることは一切なかったのですが、今思うと絶対に確実にあれが私の性の目覚めでした。
エロ漫画などでも「洗脳」というジャンルは存在しているかと思いますが、なんせ私が好きなのは、上記のような「味方が洗脳される」シチュエーションのため、エロ漫画等の洗脳は、それほど刺さらなかったりします。(人の性癖って複雑で難しいですね。)
多分自分より他人が洗脳されているのが好きなので、恋人が洗脳されるような、NTRの方が近しいかもしれません。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
誰かに話したくて話せなかった、私の性の目覚めの話でした。
ちなみに、同じ小学校高学年の時期に、ドラゴンボールも大好きで、よくTSUTAYAとかでドラゴンボールの映画?OVA?か何かもよく親に借りてもらって見ていたのですが、
その中でも上記ギエピーと同じような興奮を感じたシーンがあったと記憶しているのですが、いくらネットをググっても特定できず、何年も探しています。
リゾート地みたいなところで、悟空やその仲間たちがトランプとかしながらワイワイ遊んでいるのですが、敵が襲来し、多くの仲間が洗脳され、悟空達を攻撃してくる、というシーンがあった気がするのです…。
もしかすると性の目覚め直後に見た夢かもしれず、そんなものは存在していない可能性があるのですが、もし知っている方がいたら教えていただけますと幸いです!
読み辛いのはすみません。
これを特殊性癖とは思っておらず、ただ性の目覚めがギエピーっていうのはなかなか他にいないのでは?と思ったので、それをを主に伝えたかったです。
こういう性の目覚めだったから、こういう性癖になりました、という話です。
ドラゴンボールの件について、これを書いたあと更に調べたのですが、もしかするとドラゴンボールGTのベビー編の部分かもしれないです。あらすじとかを読めば読むほどぴったりな気がします。
トレーダーを仕事にしていると、個々人がそれぞれのロジックで相場に挑むことになる。
同じ相場に対して、ある人は勝ち、ある人は負ける。
同じフロアで同時に勝ち負けが確定し、利益を上げたものが勝者、失ったものが敗者。数字の前に言い訳はできない。
そんな風景を目にしてゼロサムゲームに挑んでいると、ある種の因果応報、運というものが存在していて、ツキを掴むか、逃すかというのがリアルな感覚として存在するようになる。
信心深くなり、勝った時に行っていた行動をルーティンとして毎日行ったり、勝った時には同僚に酒を奢ったりするようになる。運を呼び寄せるために。
話題のアサシンクリードで言うと、ヴァルハラに出てくる9世紀のヴァイキングに登場する主要人物は農民だ。
ただ日本語訳がそうなってるだけで、実態としては土地持ち使用人持ちを指し、地域の首長に兵を供給するポジションである。
土地を持たない大多数の農奴には主権がなく、主人公として(リアリティ面で)不適格ではないか? という考え方が一定支持されている。
(本来領地貴族になれない属性が創作とはいえ主権を得ることは重大な文化の盗用、ウォッシングとされる)
彼らにとって弥助が俸禄で食うサラリーマン(家臣)か領地貴族(武士?)であるかは極めて重大な事柄であるらしい。
先日タイタニックで亡くなった黒人が執事か秘書か混乱した逸話がまとめられていたが、アレと似たような話なのだ。
ワイ増田はLINEに友達は1人もおらず、職場の付き合いも極力躱してプライベートの時間を確保するタイプ。
SNSはやってるけど推しからいいねされるのも煩わしいのでROM。Discordもゲームのアップデート情報貰うだけの運用。
とはいえ喋らないかといえばそんなことはなく、職場じゃ余計なことまで話すし、小売り飲食で店員にありがとうは必ず言うタイプ。
両親は健在だけど自分から連絡することはないし、先日能登にボランティアに行ったって送ってきた写真には流石に返事したけど、基本はスタンプで済ます。
唯一5chの雑談系板で煽りあいをすることもあるけど、それも1日経ったら忘れて終わり(嘘だよスレが落ちるまでの3日間は引きずるよ)
あまり寂しいという感覚がないというか、今ですらヒトの多さにいっぱいいっぱいで生きている。
そんなワイでもいつか寂しさに狂うときが来るのだろうか?
老人は生産しないので、就業人口一人当たりで支える老人が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
同様に、子供は生産しないので、就業人口一人当たりで支える子供が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
……という話を聞いた。
もっともな部分もあると思ったので、過去のデータを見てみようと思い、試しに「総人口に占める生産年齢人口の割合」を時系列で計算してみた。
暦年 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2010 | 2020 |
生産年齢率 | 48.6 | 48.5 | 48.3 | 49.4 | 54.3 | 60.3 | 60.3 | 61.6 | 62.1 | 59.1 | 55.0 |
順位 | 81 | 86 | 93 | 71 | 61 | 37 | 36 | 13 | 8 | 42 | 59 |
10年おきの数値を書いたけど、おおむね単調に上がって単調に下がっているので、細かい年の数値は要らんと思う。
以下、補足。