はてなキーワード: 意味とは
つばさの党の話で反左翼陣営の言ってる「つばさの党が生まれたのは北海道での安倍氏のヤジを肯定した左派の責任」みたいな当てこすり、俺個人としては「遠因にはなっていても責任を負わなくてはならない程ではない」くらいに見ているが、『悪用されるモノを世に解き放った』罪みたいなのを見出だす人がいるのは分からなくはないんだよな。
はてなでも「つばさの党のような連中にマネタイズ手段を与えたYouTubeが悪い」みたいは意見はけっこう肯定されているが、ヤジを一つの言論システムとして見ると、そのシステムの悪用って意味では同じような話だと思う。
ヤジという行為をやって良いものと社会に認めてしまったからこそ、つばさの党のようにそれを悪用する人間が現れてしまった。
逆に北海道の時点で厳しい基準でヤジを一律禁止にする流れを作っておけば、つばさの党騒動は防げた可能性は高いと思う。
もちろん程度問題はあるが、システムを悪用する人間が程度なんてものを気にするハズはないので、それを言っても意味がない。今回のつばさの党逮捕だって、裁判になったとしても連中は絶対争うだろうし、それで敗訴しても今度はまたギリギリのラインを狙って攻めてくる奴等は確実に現れるだろうしね。
あるいは、ヤジを一種の言論空間と捉えたら、別の話題だけど「差別や犯罪予告のような過激な言動が蔓延る2chや5chを生み出したひろゆきに罪はあるか?」とかが近い話だと思う。
重ねて言うが、俺はそのどれも罪とは思わないよ。
酷いブコメあったよ!!
minominofx66 そもそも男性の育休は何の目的のために取るべきなのか、管理職になる女性を増やすためなのだろうか。その議論をしないと意味が無いのではないか?
そのために税金払ってるんですが
物理学に言う超対称性ポアンカレ代数の隠れた超対称性というのは、直角三角形を4つに回転対称性に配置するとそこに正方形が出現するという意味でのsupersymmetryであり、
数学の計算技術には頻出するので、こんなもんはカスでもできなければいけないし、出来ないとまじで一生の恥である。超対称性による計算が出来るようにしておかないと、
無視されてきた底辺が「私は病んでいます」と発信することが可能になっただけのこと
平安時代なんて平民に記録を残す手段がないから現代では貴族以外はほとんど家畜のようなものだったと思われている
江戸時代ぐらいになってようやく識字率も上がり平民も多少は記録が残せるようになった
明治になって出版文化が拡大して、平民でも高等な悩みを抱えていることが「純文学」などの形で認知されるようになるが、
金も才能もない大多数の底辺が悩みを発信するには、ホームページ時代やブログ時代でもまだ足りず、SNSの登場を待つ必要があった
誰かがつぶやいた「悩み」に「いいね!」を送るだけでも有意な発信となるシステムが構築されたからだ
女が武器を持つようになると男も女が武器持っている前提で対応するようになって単にエスカレーションしやすくなるだけで意味がないどころか事態を悪化させるだけな気はするな。
なんで?昔より治安も労働環境良くなってんのに。俺が若い頃なんてそこらじゅうにヤンキーいたし萌えアニメなんか見てるの知られたら意味も無く暴力受けてたぞ。俺は隠れキリシタンのように見てたが。労働環境も相応に終わってたし。
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。
そして、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
これは、戦時中の、「兵隊さんご苦労さん」っていって兵隊を敬わせて銃後の守りを頑張らせようとするのと近い話で、マスコミは世間の空気をつくることができるのだから気を付けてもらいたい。
素敵な自然、鶴ヶ城といった歴史的建造物に東山温泉など。会津が羨ましい
俺は気づいたんだ
見栄や妬み、恨みつらみなんかとは一切縁のないような素敵な人ばかりだろう?
会津にはなにかこう、人として大切なことを教えてくれる、人が本当の意味で育つために、決して欠かせない土壌のような役割があるのだと思う
知らないフリって意味がわからんよ ケチつけたいのはわかるけど、もう少し付け所探しなよ
プロフ把握して見合いに臨むのはフツーに礼儀だし(相談所のマナーブックにも書いてある) プロフもろくに読んでない相手に考慮する必要はないし
同意してくれます?なんて相手にストレスかけるコミニケーション取るメリットないだろ 聞きたいのは本心なんだから答え誘導していいことねーし
認めないってか条件ありきなのが婚活だろ 合わないなら残念ですね でおわり
相手は、外国人労働者に違いない。該当と当該の使い分けで失敗するのは中国人の特徴だ。人の心とか書いても意味が通じていない。もっと明確で短い文を心掛けよう。別の窓口から問い合わせるのもいいだろう。いずれにせよナイスファイト。その行いが社会をよくしていくだろう。
はてなブックマークってもうアカウント違反で停止されたから使ってないけど二度と使いたいとも思わない。サブ垢取得すりゃいいだけだけどまあ悪い意味で使いたいと思わないよね。増田は明らかな釣りばっかだしそこについたブクマを含めてまとめサイトが転載してるらしいじゃん。自分で編集や追記削除ができるならいいけどまとめサイトに投稿されたら消したり編集できるかもわからんし、ブックマークのIDって一意でアイコン付き、ブログ機能と連動してるからおかしな転載のされかたしたらまあ炎上リスクしかないよね、Xと違ってさ。昔はブログやってる奴がブクマもしてたけどリスクだけ高くて怖くて使えんよね。今やってる奴なんてアホばっかだろ。
お店だよ
キャストの意味わかる?わざわざキャストですって言ってくれてるんだよ
それっぽい言動をしたとて信じる方が残念な人でしょ
メイド喫茶で「お帰りなさいませご主人様」と言われるのと同じだよ
ただの様式美みたいなもんだろ
まず反出生主義には、アンチ「出生主義」と、「アンチ出生」主義の2つがある。
そして日本語の「主義」という言葉自体に大まかに「国家や地域の運営方針」「個人もしくは集団の主張・思想」の2つがある。
の2つが存在するわけだ。
そしてこの2つも別に「子供を沢山増やすと国家がたち行かないぞ(一人っ子政策)」 「人間が存在していることが間違っている(ある主の原罪思想)」の2つだけという訳じゃない。
特に主張や思想は多岐に渡り「人生で得られる幸福を不幸が上回ってるから産まれてこない方がマシ」 「セックスはキモいからこんなことをするぐらいな滅んだほうがマシ」 「親ガチャ時代ガチャといった理不尽を子供が許容できる事前承認も得てないのに生命を作るな」 など個々人ごとの多様な考えが展開されている。
そしてこれがアンチ「出生主義」になると出生主義自体をどういうものとして捉えるのかについての議論が始まり更に状況は混沌とする。
なぜなら「出生主義」自体が上にあげた「アンチ出生」主義の様々なパターンを持っていうえに、それに対してアンチテーゼや対立政策を投げかける理由もそれぞれで違うからだ。
つまり、「A」を批判するために「B」を持ち出すという状況における、「A」「B」の中身がそれぞれいくらでも存在しており組み合わせ無限大状態なのだ。
「反出生主義」と一口に言ったときに、それが何を意味しているのかを整理しなければ全く別のものについて皆で議論することになるわけだ。
こんなのは「田中ってヤバいよな」といきなり語りだして、どの「田中」を指しているのかを誰も確かめることなく延々語り合うようなものだ。
話す内になんとなく「あれ?俺の考えてる田中と違うんじゃね?」と違和感を覚え、確かめてみたら結局全員が違う「田中」について愚痴や擁護をしあっていたという虚無空間が誕生する未来は確定事項とさえ言える。
マジで、何度でも言うが、「反出生主義について語りだすときに、その反出生主義の内訳を最初にちゃんと定義しないやつは相手にする価値のない馬鹿と断じてしまって問題ない」が現状だ。