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2024-05-18

理想的人生現実があまりにも違うから精神病んだ

理想的人生を送りたかった

モデル業をしてて売れっ子で、早慶辺りの高学歴で、モデル男性ジャニーズと付き合って、

最終的に金持ちイケメン結婚するのが夢だった


実際の人生では、メンタルが弱過ぎてそもそも発達障害な上躁鬱で

ルックス比較的良いと思うけど、背が平均よりちょい下でモデルには不向きで

色々オーディションとかも言って頑張ったけど、雑誌モデルを何回かした程度で終わった

学歴受験期にメンヘラ発動し、早慶どころか普通大学にすら行けず、結局通信制大学、も中退短大に入り直して高学歴なんて程遠い

彼氏も居た事はあるけど、イケメン金持ちでは当然無く、普通大学生や普通会社員公務員とか

今もモテはするけど、自分理想的と思える男性から全然相手にされない


こんなにも理想現実が違うから毎日毎日病んでいく

もしメンタルが強かったら、背が高くスタイルが良かったら良かったのにと、自分自身を呪う毎日

もう30手前で良い歳だし、職歴ちゃんとしてるとは言い難い(大学卒→一年家事手伝いバイトバイト正社員を1年足らずで退職引きこもり派遣→長期パート→昨年度やっと正社員)


一体どうしたらこの辛さは解消されるのかな

もう良い歳だから高学歴モデルも目指せない

日本フェミが強いとか絶対嘘だし、まだまだ男尊女卑だと思う

現に私は、こんなにも生き辛いし、理想生活からは程遠い生活しか送れず、病み続けている…

2024-05-17

場違い

大御所作家の画業ウン周年ってお祝いで雑誌に記念イラストを寄せ書きする中に、

そのときたまたまその雑誌で連載してただけのポットでの無名作家が混じってるとき

2024-05-16

ちょけた(笑)

最近アーマーモデリングの表紙検索したけど、これはひどい。たしかに本当に趣味で買ってた人からしたらキレる。僕の雑誌がいつの間にかMCあくしずになってた!みたいな(笑)

関係無いけどちょけたって初めて聞いたけど何語?はだしのゲン世界から来た人間みたいだな。 anond:20240516063354

アーマーモデリング東雲うみちゃんの表紙が界隈でプチ炎上してて、まぁある種しょうがないと思うけどしょうがないんだよね・・・

ミリタリー模型という世界はつい最近まで女人禁制みたいな世界で、禁止されてたわけじゃないけど女が入りにくい世界で、そういった世界アーマーモデリング女性編集者女性ならではの企画で紙面に女子の導入がされてきてて(女性メイクに習うフィギュアの塗装方法、ノーズアートの紹介、色についての企画などなど)、この女性編集者の力量がほんと凄くて毎号最終回かな?という熱量雑誌を支えてて、ファンもついてアイドル的な持ち上げ方をされるに至ってるわけで、女性に耐性のないおじさんしかいない世界ではそうなるのは当然の結果であるけど、一部はそういう痛いコミュニティが出来てしま気持ち悪さがあったのも事実

ノーズアート姉妹誌での特集で別冊になるほど人気コーナーになって、ここでうみちゃんを起用してて、本人の魅力もありまた本人がモデラーでもあるのでアーマーモデリングの誌面に度々起用されることになって、それまでも表紙に登場もしてたけど今回は本人メインの写真が表紙

そういう流れて、いままで誌面作りの面白さ、力強さ、企画凄さ我慢してきたけどさすがにこれはないだろ、ミリタリー模型世界はそうじゃないだろ、あんまちょけたことするなや!と言いたい人も出てくるのはわかる

そしてそれに対してあんまり大人気ないこと言うのやめーやというのもわかるし、うみちゃん人気も売り上げになってるから文句言って責任取れるのとか、うみちゃんを起用した号は売り切れするほどなんだからしょうがないわなとか、それぞれある

アーマーモデリングは毎号の表紙で取り上げる模型作成写真デザインとしてすごく美しく俺はそこも楽しみにしている

人物表紙もけっこう多くて、イスラエル女性兵が表紙のがあったり、あとうみちゃんメインにサブで戦車模型が写ってるのもあってこの時はとくに否定的意見は見なかったように思う

他もうみちゃんメインの表紙は何号かあるし、今号よりもっとグラビア的な模型も無いような使われ方もあったし、うみちゃんだけじゃなくノーズアートモデルさんに添え物で戦車模型パターンも何号かある

いや、言いたい人はずっとちょっとずつ我慢してたんかな

俺としては今号はハウトゥ的表紙でなんかちょっともう一つだな、またうみちゃん起用してんのねくらいしか思わなかった

狭い世界なのでみんなひとことずつ何か言いたいのがあって、どうも中には直接うみちゃん文句言ってる人もいるらしく、意見つぶやくことができて、つぶやきを拾って拡散できる機能があって、いいも悪いも相手にぶつけることができる仕組みがあるってほんと怖いね

ただ気持ちつぶやくことは守られたいと思うから仕組みとしてもなるべくしてなった結果かなぁという気持ちはある

2024-05-15

anond:20240515235509

そして、時が流れてその先輩は大学卒業した。誰もが彼のことを忘れたかのように見えたが、実はその先輩は卒業後に一念発起し、自分を変えようと決意していた。彼は自分欠点直視し、自己改善に努めた。特にコミュニケーション能力を磨き、相手の話を聞くスキルを身につけるために、数々のセミナーワークショップに参加した。

数年後、その先輩はビジネス界で頭角を現し、次第に成功を収めるようになった。彼の名前新聞ビジネス雑誌で取り上げられるようになると、かつてのサークルメンバーたちは驚きとともにその記事を読んだ。特に、彼がベンチャー企業を立ち上げ、わずか数年で急成長させたことは多くの人々を驚かせた。

一方、サークル無視していた側だった「俺」もまた、心のどこかでその先輩の成功を見て、自分自身に問いかけることが増えていた。自分もあの頃と同じように変わることができるのだろうか、と。

ある日、サークルOB会が開かれることになり、懐かしい顔ぶれが集まる中、あの先輩も姿を見せた。彼は以前のように焦り笑いを浮かべることもなく、堂々とした姿でみんなと接していた。彼の変化に気づいた「俺」は勇気を振り絞り、先輩に話しかけることにした。

お久しぶりです、先輩。最近のご活躍、すごいですね。」

先輩はにこやかに答えた。「ありがとう。君も元気そうで何よりだ。あの頃は色々と迷惑をかけたけれど、今は少しは成長できたかな。」

その言葉を聞いて、「俺」はふと、自分も変わることができるかもしれないと思った。先輩がそうであったように、自分努力次第で新たな自分を見つけることができるのではないかと。

それから「俺」は、自分内面と向き合い、成長の道を歩む決意をした。先輩の成功は、ただ単にビジネス世界での成功にとどまらず、人間としての成長の象徴でもあった。それが「俺」にとって、大きなインスピレーションとなったのだ。

anond:20240512152055

20年前から同人やってるっていう割に、界隈のことを何も知らんのな。大手や壁のスペースにはレイヤーの売り子の一人や二人はいるのが普通光景でしょ

俺はもう同人活動から引退してるし、コロナ以降はイベントにも出てないから最新情報は知らんけど、少なくとも俺がバリバリやってた10年前でもそれは普通光景だったはず

で、イケメンには「お前の人生にはアニメ漫画なんて必要ねーだろ」だって? 勝手に決めつけるんじゃねーよ

アニメ漫画社会不適合者が最後に逃げ込むオアシスだったんだよ」だって? これまた勝手に決めつけてるんじゃねーよ

ウザいだろうが少し自分語りさせてもらおう。俺は子供の頃からスポーツも好きだったけど、同じぐらいアニメマンガゲームが好きだった。DB星矢勇者シリーズガンダムカプコンSNK格ゲーFF、どれも大好きだった

そしてこう言っちゃなんだが、足も速くて顔もイケメンとまではいかないがまずまずで、コミュ力も高かった俺はまぁまぁ女子からモテてた。妹もいたか女子の扱いには慣れてたってのもあるだろう

そんなある日、当時大学生だった従兄弟が、たぶんふざけて俺に見せてきたものがある。従兄弟は俺にとってのオタク趣味の先輩、先生みたいなところがあって、それまでにも俺の知らない世界をいろいろと教えてくれたのだが、この時はレベルが違った

その日、従兄弟が俺に見せてきたのは「エロ同人誌」だった

それはセラムン薄い本だったのだけど、俺はめちゃくちゃな衝撃を受けた。もちろんエロ本ぐらいは見たことはあったが、「アニメキャラクターエロいことをする」というエロ同人には度肝を抜かれた。こんなもの存在するのか、存在していいのか。いったい誰がこんなのを描いたのか、などなど、混乱しながらも目が離せなかったのを覚えている

さすがに従兄弟もそれ以上は見せてくれなかったし、詳しいことも教えてくれなかった。が、その日俺は知ってしまった。エロ同人誌というもの存在

そこから俺は自力で調べて、エロ同人についてある程度の知識を得た。だいたいは捨ててあったエロ漫画雑誌からだが、そこでエロ同人通販というもの存在することも知った。コミケイベントに行っても良かったのだろうが、さすがに小学生には売ってはくれないだろうと諦めかけていた矢先に、通販という手段を知れたのは僥倖だった。通販なら顔も年齢も知られる恐れがないからだ

そして同人サークルと直接やり取りをするのではなく、とらやメロンのような会社の先駆けとも言うべき存在の「LLパレス」という店があることも知った。カタログを取り寄せてみると、そこにはまさに目くるめく広がるエロ同人パラダイスがあった

さっそくお年玉を取り崩して為替に変え、何冊かを注文してLパレに送る。一週間ほどしてからだっただろうか、送られてきたセラムンナコルルエロ同人誌に俺の興奮はMAXに達した。本当に送られてくるまで、実はまだ詐欺可能性も考えていたからだ。だがエロ同人誌は実在したのだ。ラピュタ本当にあったんだ!

そこから俺は小遣いやお年玉をやりくりして、Lパレからエロ同人を買い求め続けた。一方で俺はこんなことを友人にも話したりはしなかった。もうすぐ中学生とはいえ、こんな本を持っているなどバレたら何を言われるか分かったもんではないからだ。学校ではクラスの良きリーダーとして振る舞い、勉強にも習い事もしっかりやっていた。そしてそれは中学生になっても同じだった

しかしある日、その平穏が破られた。母親エロ同人存在がバレたのだ。

俺の愛したエロ同人誌はすべて捨てられた。いちおうこんな事もあろうかと、多少の対策はしてあったのだが、それも無駄だった。俺は絶望した

だが、同時に俺はあることに思い至った。「だったら自分で描いたらいいのでは?」と

自分で描ければ、仮に捨てられてもまた描けばいいだけだ。ノートに描けば、まさかそこにエロマンガが描かれてあるなど親の想像埒外だろう。これも捨てられる可能性を低くする

そう思いついた俺はそこからひたすら絵を練習することにした。ジャンプ系は親の監視が緩く、あっても不自然ではないため、ぬ~べ~桂正和先生マンガを参考に美少女練習した。拾ってきたエロマンガキャラ身体トレスして、顔だけ自分の描いた綾波にするとかした。そして俺は決心した。将来、俺はエロ同人作家になろう、と

高校への進学は、オナニー猿だった割には上等なところに入り込めた。何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。そしてこの頃から俺はコミケイベントに実際に行くようになった。しか未成年だとバレたら売ってくれないという不安、下手をしたら通報されるのではないかとさえ恐れていた。なので、俺はまぁまぁの外面をさらに磨くことにした。具体的に言うと「大人っぽくみせる服装」や身だしなみ、髪型や振る舞い、口調を意識するようになった

声変わりはしていたものの、さらに低く、大人っぽくしゃべる。僕とは言わない。私という。それまでも続けていた(親にやらされていた)習い事というのはある武道なのだけど、大人っぽい体格を目指して、絵の練習の合間に筋トレなどもするようにした。顔だけはどうにもならなかったので、イベントではサングラスを常に付けていた

もっとも、こんな微笑ましい努力など、当時のサークル関係者の皆様方にはバレバレで、「色気づいたガキがまた来たよwww でも可哀想から売ってやるかwww」と思われていたかもしれないが(後に自分がその立場になったから分かるのだ)、通報されることなく3年間を無事に乗り切った。そして余談ながら、こうした俺の偽装効果クラス女子にも及んだ。いや、クラスだけではなく部活や別学年の女子にもだった

そしていよいよ大学入試が迫ってきた。大学に入りさえすれば、ついにエロ同人作家としてデビューできる。それだけを信じて、嫌だった勉強も嫌々ながらにエロ絵の練習の合間に頑張った。おかげでまずまずの大学に入ることに成功した。親を納得させるために、ある程度の知名度があり、偏差値もまぁまぁの私立大学だ。実家から微妙距離で、状況次第では一人暮らしも許されるかも知れない。そんな大学だった

大学入学した俺は、せっかくなのでマンガ部とかアニメ部とかそういうのに入ろうと思っていた。中学高校と違って、ここでは昔の俺を知る人はほとんどいない(いちおう一人だけ同じ高校出身はいた)ので、外面を気にする必要はない。学友とオタク話に花を咲かせるというのも夢だったのだ。なんならいわゆるキモオタ的な振る舞いや言動を共有し実行したい。「デュフフ」とか「拙者は~ござるよ!」とか言い合いたい。そんな風にも思ってたのだ

そして俺はマンガ部の門を自分から叩いた。アニメ部(アニ研)も行ってみたのだが、そこはやはり批評とか分析が主で、絵を描く人はほとんどいなかったので、これは違うな、と感じてしまった。俺はアニメマンガは当然好きだが、分析とかはあまり興味がなかったのだ

エロ同人部というのがあればベストだったのだが、残念ながらそんなものがあるはずもなく、エロとは言えマンガを描こうとしている自分には、まだマンガ部の方が合っているのではないか。そう思って俺はマンガ部の門を叩いた

すみません。続きます。。。

資源保護の名の下に

2024年から活動を開始した霞ヶ浦北浦資源保護協議会という団体がある

この団体は、一見すると霞ヶ浦北浦漁業資源を持続可能にするために活動しているように見える

(ただし、「環境」や「生態系」という言葉意図的に一切使っていないようだ 怪しい)

また、この団体保護対象とする「資源」とは何なのかについても、意図的曖昧にしている 怪しい

この団体についてwebサイトから読み取れることを書いていこうと思う

何を保護しているのか

上にも書いたが、この協議会は「資源保護」を謳っているものの、具体的に何を保護しているのかは明確にしていない

ただ、バス釣りをする人からすれば一目瞭然で、実際にはブラックバスという外来魚の保護に力を入れていることがすぐに分かる

その根拠を書き出してみよう

1.協議会メンバーを見てみると、その多くがバス釣りに関連する業者や団であることが分かる 具体的には、レンタルボート店、釣具店、そしてバス釣りトーナメント運営団体が名を連ねている

2.協議会メンバーの開催するバス釣り大会ルール言及があり、魚体保護などの呼びかけを行っている

3.霞ケ浦水系バス釣りをする人には有名な「ブラックバスのスポーニングエリア(産卵場所)」での釣り自粛を、ブラックバスの産卵時期に合わせて呼びかけている

これだけでもう根拠としては十分だろう

どのような活動内容なのか

以下のようなことを実現するために活動していく、と書かれている

保護対象がブラックバスであることをこの団体は建前上隠しているようだがここでは補足して書く)

バスアングラーに遊漁券を売る

・遊漁券の収入漁協に「ベイトフィッシュバスの餌となる魚)」を放流してもらう

バスダメージが少ないルールバス釣り大会を開催する

バスの産卵期に、一般釣り人に対して、ブラックバスの産卵エリアでの釣り自粛を呼びかける

ブラックバス保護という目的を前面に出すつもりがないのに漁協に放流してもらいたい魚を「ベイトフィッシュ」と表現してしまうあたり、残念さを隠しきれていない

問題点を書いておく

ブラックバス生態系漁業資源に悪影響を及ぼすため特定外来生物指定されている

1993年に発効した世界環境保全を目的とした国際条約生物多様性条約」に日本批准した

条約に基いて国は「生物多様性国家戦略」を作成し、実効性のある法として特定外来生物法が作られた

根絶を目指していくことには、国家戦略として30年前から社会的合意が得られていた

そんな生物を、目的意図的に隠して保護活動をするなど控えめに言っても反社会的

密放流の横行が前提で築かれ拡大した業界にはそもそも存在正当性がない

奴らは一部の心無い放流とか言うが、バス釣り業界人間組織的に放流していたことを告白した文献も多数ある

釣り具の市場規模バス釣りが最も大きい それゆえマナーを呼びかける他魚種のプロアングラー業界忖度してバス釣りにモノを言えない

こんな奴らの提灯記事を書いている雑誌釣り文化を語りだす 狂っている

そんな外来魚の漁業被害霞ケ浦水系漁協は困窮し、霞ケ浦漁業文化は風前の灯火である

その困窮の原因を作ったやつらが、困窮した漁協の頬を札束でたたいてバスを増やすために「バスの餌」を放流させる

狭い趣味業界の目先の利益のために共有財産たる自然環境を食いつぶし、それを経済効果だと言って行政漁協を懐柔し、「餌」の放流に協力させようとしている

ヤクザである 非人道的だ これが「漁協 行政との関係を構築」らしい 「資源保護」らしい

こんな団体が「資源保護」を掲げること自体が、漁業資源保護に取り組む者たちへの冒涜

1度目のアニメ化

計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年最初テレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。

単行本の発売と2度目のアニメ化による人気爆発

単行本1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベルてんとう虫コミックス』の第1号作品である

単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌コロコロコミック』を創刊。人気・知名度さらに上昇し、単行本1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館代表する作品となっている。

本作が爆発的にヒットしたことで、

本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディアおもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本執筆活動は本作の短編大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆不可能になったりする等の弊害も生じた。

1979年から続くアニメ放送

人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的マスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組広報誌などでドラえもん意匠使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前募金活動が行われている。

高い知名度から教育分野にも広く浸透している。小学校教科書に『ドラえもん』のキャラクター使用されているほか、大学入試問題にも登場した[25]。

2002年には、

タイムアジア版の「アジアヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[26]。『日経エンタテインメント!2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。

漫画家という収益構造理不尽

 漫画家の「儲け」にまつわる話には、ふたつの矛盾するように見えるストーリーがある。

 世間一般の思う、一度当たれば「印税」でガッポガポというイメージ

 一方で、例えば「バクマン」に描かれる、(いちおう)漫画家自身表現によると「連載が終われば数年で貯金も尽きる」という話。

 どちらが間違っていて、どちらが正しいのか? というのは誰しも思う疑問。

 しかし深掘りして考えてみると、これは「どっちも正しい」。だからこそ、漫画家って商売は他にない特殊営業形態なんだとわかる。

 

 ※以下では、漫画家業のもっとも「売れる」形態として「週刊連載漫画」に限った話を考える。

 

原稿料印税

 漫画家収入についてざっくりまとめる。

 まずほとんどの漫画家雑誌に連載するという形で基本的収入を得ている。

 その原稿料掲載料)がだいたい1Pあたり数千円〜数万円。

 ここではわかりやすく、1万円とする。

 すると、1万円×毎週20P×月4本で、月収は約80万円(100万円弱)くらいが一般的な週刊連載漫画家の最低収入相場と言える。

 

 一方で、単行本が売れると1冊あたり10%の印税収入がある。

 ジャンプコミックス場合約40円。連載が続けば年に約5冊出るわけだから、例えば単巻10万部売れていたら2000万円の収入になる計算だ。

 もちろんこれは税金等を一切考慮していない売上高であり、これだけの額になれば実際には半分程度持っていかれるだろう。それでも、なかなかの高収入に見える。

 

スタジオ制という自転車操業

 しか問題は、これだけ大きな売り上げが見込める週刊連載漫画には、実際にはスタジオ制作というコストのかかるシステム必要なことだ。

 最低限度で考えても、アシスタントを4人雇えばその人件費だけで40万は下らないだろう。さらに、それだけの人数で描くと、多くの場合自宅作業ではなく別途仕事場を借りる必要もある。

 まあこのあたりは人により原稿料スタッフ給料もさまざまなので一概に言えないのだが、一般論として原稿料の高いベテランほど、大きなスタジオ技術の熟れた固定メンバーを確保して経費も大きくなる傾向がある。

 そんなこんなで、よく言われるのは、原稿料はこれらの諸経費だけで全部消えてしまうという話。

 

 つまり雑誌掲載だけではプラマイゼロという話だ。

 増田にも漫画を描いた経験があるが、20Pの原稿を1週間(弱)で仕上げるというのは信じられないような過酷作業であり、アシスタント制をなくしては、現代商業誌に載っている平均的なレベル漫画を毎週仕上げるなんてことは、作家の「画力」がどれだけあろうとほぼ不可能に近い。

 商業漫画クオリティというものは、この自転車操業のほぼ利益0のシステム必須であるということはよく覚えておきたい。

 

単行本はどれだけ売れているのか

 一方で、出版冬の時代といわれる昨今、単行本はどれだけ売れているのだろう。

 実は、漫画雑誌の中でも押しも押されもせぬ発行部数を誇る「週刊少年ジャンプ」と言えども、信じられないような低い数字も珍しくない。

 「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」の華々しい数字メディアに踊るので勘違いしがちだが、ジャンプ連載漫画ほとんどは単巻10万部も売れていない。

 例えば、最近アニメ化もした「アンデッドアンラック」や「夜桜さんちの大作戦」(どちらも20巻を越える長期連載)でやっと10万部前後だ(総発行部数を巻数で割って大まかに計算)。

 ものすごいものになると、大人漫画磯部磯兵衛物語」の作者・仲間りょう次回作高校生家族」は、ネット上ではちらほら好意的感想散見されたものの、実は売り上げは単巻1万部以下(計測不可)で打ち切りとなってしまった。増田も好きだったのでショックを隠しきれない。ドラマ絶対いけると思たのに!!!!!

 閑話休題そもそも、「磯部磯兵衛」も単巻ではやっと30万部売れたくらいだ。「斉木楠雄の災難」も同レベルギャグ漫画はヒット作でももともとそんなものだということも注意しておきたい。

 

 上でも計算したように、10万部売れてやっと年収2000万、税金が多く引かれることを考えると、サラリーマンならそれなりに良い会社に勤めているというレベルだが、長くても数年で終わってしま印税収入であることを考えると、はっきり言って少ない。これが一桁上がると一気に数億円になって生涯年収というクラスになるが、そういう「上がり」の漫画家は本当に一握りなのだ

 

連載がなければスタジオが立ちいかない、印税がなければ儲けが出ないの生むレバレッジ

 原稿料スタジオ維持費で消える。「もうけ」は単行本売り上げ次第。この二重構造が生むのは、株の売買でいうレバレッジの危うさだ

 株のレバレッジ買いというのは、簡単に言うと「株価が上がった時は2倍儲かるが、下がった時は2倍損する」ような信用買いを言う。らしい。増田素人なのでそこら辺は聞き流していただきたい。比喩なので。

 漫画家場合ある意味でなお悪い。連載があるときは、定期収入スタジオを維持しつつ、漫画が当たれば大きなもうけがザクザク入るが、当たらなければそれなり。連載がなくなるとスタジオの維持費を賄う原稿料もない上に、普通は昔の単行本もそこまで売れ続けないので、ただ金が減るばかり。

 当たらない漫画を描くということは、その連載中の儲けが少ないだけでなく、連載を終わらせることのリスクも同時に上げてしまうのだ。

 当たらない漫画ほど、原稿料の維持のためにしがみつきたくなるという負のインセンティブが働くのである

 

 こうした不思議構造は、漫画家作品を当てて印税収入で儲けを出すという「作家」の側面を持ちながら、スタジオを抱えて自転車操業で日々口に糊するという「中小企業経営」を求められるという二面性を持つ仕事であることに起因する。

 本来トキワ壮くらいの時代漫画家は、前者の性質しか持たなかった。小説家や他のフリーランスアーティスト業と何も変わらない「作家業」であった。

 しかし、彼らが売れていくにつれ、漫画産業が盛んになるにつれ、漫画家は「作家」ではいられなくなって来た。

 当たれば天国、外れてもまあまあの貧乏暮らしという気楽な稼業でなくなった漫画は、作家としての挑戦に誘うものよりも、日々の仕事キッチリキッチリで稼ぐ真面目な仕事という側面が大きくなってきてしまった。それでいて、やはり作家自身成功の如何は、印税収入という儚い夢だけに支えられているのだ。

 たまに当たりはあるけども、当たったところでそれはそれだけ、次の事業拡大には繋がらないビジネスなんて、他にあるのだろうか? 

 

 こうした漫画家業の二重性は、もしかすると将来の漫画産業に負の影響をもたらすかも知れない。あるいは、既に?

 

最後に:週刊連載漫画家以外は?

 週刊連載をしないと、ここまでのスタジオワークは必要ない場合がある。

 とは言え、多くのメジャー月刊誌を見ている限り、やはりある程度売れる作品は週刊漫画と同じスタジオワークとクオリティ商品価値を保っている例が多いと感じる。

 さらに、やはり週刊連載漫画漫画界におけるある種の花形である

 「鬼滅」「呪術」の例に漏れず、誰でも知ってる大ヒット作というものは週刊連載作品が多い。

 これは作品の展開が早いこと、露出が多くなり話題にあがりやすことなどが理由としてはあるだろう。

 ジャンプ連載作品というブランドがまだまだ強いとも言える。しかし、それでも上で述べたように、大半は10万部も売れない自転車操業なのが現実である

 逆に言うと、この状況を変えれば、週刊連載という危うい綱渡りに賭けなくても良いのかも知れない。

 現代ネット社会である作品を世に出す、露出させることについては技術恩恵がさまざまに得られる時代である

 

 漫画産業がこれから時代も伸びていくかどうかは、こういった状況をうまく利用して、漫画家という「稼ぎ方」をどれだけ変えていけるのかにかかっているのかも知れない。

anond:20240515145931

いやだから、それが間違いだって言ってんだよ

PS2チップを載せてハードウェアエミュレーションをしていたのは確かだが、

そのエミュレーションが不完全で動かないタイトル結構あった

で、それをなんとかしようとしたけど、無理だったから結局EEは外した。

製造コスト削減という理由ももちろんあったが、エミュレーションが不完全であることは当時のゲーム雑誌読んだひとはみんな知ってる話なんだよ。

からエアプだって言ってるの。

2024-05-14

声優雑誌ソースに話をしたら

声優雑誌なんてキレイゴトばかりだろ、そんな記事信じてるとかおめでたいヤツだな」と言われた

おめでたくて結構だが

2024-05-12

剥がせるテープ

なんか雑誌とかこれでとめてあるけど、漫画雑誌とかだと表紙ペラペラからやぶれちゃうんだよな。

ほんまイライラする。

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

anond:20240512003820

まんがはカンブリア爆発並みに何でもありで、低予算で作れるんだなーアニメ化ゲーム(≒ソシャゲ)は予算が桁違いなんだなーというのがわかる

訳あってきらら系(雑誌)を何十冊か読んだが「ジャンル」でくぎると元増田の視界に入っていない作品があった

Youtuber・・・ 街歩き・街の意外な〇〇発見レポート配信する系Youtuber美少女キャラクター数人 メイン配信者とリアクションキャラクター達)

 多いのはファンタジー系(魔王妖怪サキュバス…) ファンタジーものは出尽くしたのでサブ要素が差別化になってる

 魔物×コンビニ店員とか異世界×サウナ

 あと多いのは飲食系 カレー作り部×二次元美少女群 パン屋さん×二次元美少女

増田の指摘のうちのサブジャンルとしては

 絵描き学生ものの中の「エロ絵追及特化もの

比較的珍しいものでは

オタ婚活まんが「結婚3次元でもできるんですか?」

クトゥルー×2次元美少女群「SAN値直葬 闇バイト

スポーツチャンバラ×二次元美少女群 なんていうのもあった

2024-05-11

台所で過ごしたい。料理を楽しみたいとかそういうものの例えじゃなく、マジで広い台所生活空間として利用してくつろぎたい。 押し入れを秘密基地にしようとする欲求に近い。

テレビでも置いてダラダラと映画観たり、ダイニングチェア腰掛けギターでも弾いたり音楽かけながら雑誌を読んだりしたい。

映画に出てくる古き良きアメリカ白人家庭の母親昭和団地のプロパガンダ映像に出てくるサザエさんみたいな専業主婦にように台所で過ごしたい。

学生生活下宿先を探してた時、妙に気になる物件があった。1Kっつったら大体ワンルーム廊下の間に仕切りがあるか無いか問題しかないけど、そこはキッチンがえらい広く取られててなんか妙に魅力的に見えた。そこでくつろいで過ごす姿がぱっと思い浮かんだ。SUUMO情報なんか全くアテにならないから入居は出来なかったけど。

今思えば要するに1DKと呼ぶのが適切な物件が1Kの検索結果に紛れ込んでいたのだろうけど、未だになんか憧れがあるぜ。

はてなーに「食の多様性」はまだ早いらしい

例の漫画ブコメを読んでゾッとした。

その中でも象徴的なのがコレ。

現実にこの量食う女、鈴木もぐらみたいな体型で体臭が油の酸化した生臭い匂いになってる上に吹き出物が多そう。

現実にこれぐらいの量を食っていてスリムフードファイター達がいるのは知っているだろうに、それを完全に無視

ギャル曽根クラスファイターはある種の消化器不全が疑われているのは事実だが、それでも彼女たちにとっての「現実」として「物凄い量を食べてるけど太らない」いうのが確かにあるのに。

自分の考える「常識的食生活」に全ての人類を引きずり込み個々人の食生活をそのせまくるしい価値観で断ずる異常性に気づくこともない。

ドカ食いよりもお前らの価値観と見識の狭さの方が間違いなく異常だよ。

「こんなに食べて太らない人とかいない」だっておwwwwwww

珍しいだけで実在してますけど、この人達フィクションなんですかね?

陰謀論的な考えのもとに「テレビ雑誌が作ったフェイクまみれのリアリティショー」だとでも思ってらっしゃる

実際に大食い大会を見に行った人は幻覚剤を投与されて偽の記憶を植え付けられていたとでも???

まじでさ、お前の勝手に決めた体質のストライクゾーンに入ってない全てを勝手フィクション断じてるんじゃねえよ。

生理が重いから体育休んでる女子は仮病、鬱病は甘え、地毛が茶髪日本人はいない、そうやって勝手な押しつけを繰り返してきた歴史をまだ続けるのか?

いい加減にしろよ。

言い方ちょっとふざけてるけど、割とマジでキレてますからね。

常識の押しつけってのは要するに不当な差別なんだよ。

女性性的消費が~て言うけど

女性向け雑誌で胸元あけたイケメン同士がボディタッチしてるのは性的消費じゃないのか?ってのはいっつも思う。それを見たって女は性犯罪模倣をしない、すぐに模倣して現実の女に性加害をする男とは全く違うと言われれば、誠心誠意謝罪はするけど。

さがしています

90年代終盤から00年代の前半くらいまでだとおもうのだけど、美術作品現代アートで、クマぬいぐるみからイヤホンを表皮の全体に生やして、中に何個かのラジオを仕込んで、それぞれ全て異なる放送局に選局しておく、普段は雑多な放送内容が相互邪魔してノイズのようにしか聴きとれないが、時報の瞬間だけは音が揃う…

てな仕組みの作品情報を捜しています

当時、実際に展覧会に観に行ったような、それとも美術雑誌か展示予定チラシの解説で知ったのか、もう忘れてしまいましたが、その外観写真のなかなか強烈な印象は今でもときどき思い出すことがあるくらいです

どなたか御存知ありませんでしょうか?

2024-05-10

Web広告業者が滅びたらインターネットはもう少し平和になると思う

テレビCM雑誌広告にはたまに見たい広告があるけどweb広告を見て嬉しいと思ったことなんて一度もないんだが

どうにかできんかな

2024-05-08

anond:20240508232503

でもピーター・「ゲイブリエルで統一したら『ピーガブ』っていう洋楽雑誌での伝統的な略称が通じませんよね?

anond:20240508131638

男の裸体をかっこよく・美しく描いて商業性を持たせるの難しそう

と思ったけど男性アイドル半裸になって筋肉見せてる雑誌の表紙とかいくらでもあったわ

リアルの方がいいだけだな

anond:20240508130438

僕が下着売り場のマネキン食品雑誌広告と同じ熱量で眺めてても不審に思わないなら君の言う事も一理あるかもしれない

2024-05-06

漫画が完結まで読めない

いやまあ別にいいんだけど、なぜかマンガが完結まで読めない。

直近で読んだのはゴールデンカムイくらい。

これは期間限定無料だったから「この日までに読まないと!」ってのがあったからみんなとフィナーレを迎えられた。

完結を見届けたマンガホントに少ない。

いつか最終巻を買わなくちゃな…って義務みたいに思ったまま何年も経ってもう本屋で見つからない、みたいなのが続いてクセになったのか、電子書籍使い出しても治らない。

実際、お金もないしな。同じお金使うなら新しいマンガ読みたい。

単行本発行部数ってどんどん下がっていくものみたいだからオタクじゃない一般の読者なんて割とそんなもんなんだろうけど。

雑誌時代自動的最終回がきてたから良かったなぁー。

自分の手で作品を「終わらせる」のもなーんかイヤというか尻込みしてしまうんだよな。気合いが必要っていうか…キャラたちとお別れするのが寂しいのか?

からなのか「ガラスの仮面はよ完結してくれ!!」みたいなのもイマイチ共感できないでいる。

もちろんベルセルクみたいに未完で作者が亡くなったら悲しいけど、それは作者が志半ばでさぞ無念だったろうなっていう種類の悲しさで、続きが読めない!!っていうのとはちょっと違う気がする。

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