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はてなキーワード: 不要とは

2024-05-17

ゲームのサブカ事情

タイムアタックでそのコースの最速車種が決まっていた

複数車種があるようなレースゲームはみんなそうだが、『頭文字Dはいわゆる地元補正というもの存在していた関係で最速車種の決め打ちに拍車がかかっていた

(秋名であればAE86トレノ、妙義であればR32GT-RやEG6シビックなど)

しかカード1枚に登録できる車種には限りがあった

全車種登録が出来るようになったのはZeroの頃であり、それまではカード1枚につき3台まで、初期に至っては1枚につき1台のみという厳しい状況だった

このためタイムアタックで好成績を出すためにサブカを作るしかないという事情もあったのは確かである

現在はいらなくなった

後にカードごとに名前を変えたロールプレイをするなどもあったが、現在はサブカがなくてもそうしたプレイタイルが1枚で出来るようになったのでほとんど不要と言える

anond:20240517080228

何故困るんですか?

人権平等不要本来なかったもの弱者が騒いで作った

リベラルという真の正義の前には倫理人権無視されるし、無視すべきなんですよ

2024-05-16

地方議会首長ガチンコ勝負」という幻想

議会との対立を鮮明にして泥仕合を繰り広げた安芸高田市長東京都知事選出馬するということで話題になっている。

この市長は、議会との論戦を志向していたようだが、本邦の地方議会二元代表制は残念ながらそういった方向には適していない。

議会との調整」の意味

議員リソース不足

当然ながら、首長はその自治体職員を駆使して議会に向けた調査研究を行う。対して地方議員は、多少の政務活動費こそあれど国会議員と異なり公設秘書はおらず、秘書を雇えるような収入が確保できる議員は限られる。自治体業務は広範で、議会に諮られる案件産業振興、厚生、文化教育など多岐に渡る。これらの内容を議員やその支持者の少数で調査し、理解し、疑問点を整理しなれけばならない。加えて、議案説明会は上程日の1週間前が相場である時間も足りない。

なお、議員から条例の制定などの提案可能だが、その場合は一層の調査研究必要なのは言うまでもない。

それは本当にガチンコなのか?

先述のとおり議員側には方方のリソースが不足しているため、特に首長政策的な面が強い案件については、突然議会に諮られても賛否以前の問題なのが現状である。そこで、議案説明会の前に、政策の内容を議員説明し、質疑応答などを経る「調整」「根回し」というものが行われる。これを馴れ合い忌避する人もいるが、議員側に事前知識がなければ議会で実のあるやりとりはできない。

「初歩的な部分を質問せざるを得なくして首長マウントをとる」「事前に言われれば簡単に用意できた内容を不意打ちで質問して議員が勝ち誇る」といった展開は、果たして議論として称揚に値するものなのだろうか。

対等のようにみえ首長優勢な権限

チェックアンドバランスということで、議会首長は対等のように見えるが、一概にそうともいえない。かつての阿久根市での暴挙一定の枷はついたが、専決処分は依然として強力であり、再議も可能首長不信任決議は逆に議会解散させることもできる。

根回しを不要とするためには

首長議会権限の差は置くとして、まずは議員リソース強化に尽きる。時間的な面では議案説明会から議会への上程までの期間を空けることも一考だが、首長側のスケジュールタイトになる。政務活動費報酬の増はわかりやすい例だが、賛同する人は少ないかもしれない。住民を巻き込むという点では、議会広報などによる発信強化も面白いところだ。

なお、件のガチンコ志向安芸高田市長にあっては、議会広報予算カットした予算を提出、議会が当該部分を復活させた修正予算を可決したことでやっぱり揉めていることを申し添えておく。

そもそもとして別に勝負ではない

議会首長ガチンコ勝負というのは昨今の政治エンタメ化の文脈では受けるかもしれない。しかし、国と異なり地方二元代表制で、議員首長市民が直接選んだ代表である。それぞれがそれぞれの民意を反映している。この中で必要なのは、各々の背負った民意をすり合わせて着地点を探ることである。一方の民意が他方の民意を足蹴にする様で快哉を叫ぶのはよく考えた方がいい。自分民意が足蹴にされないとも限らないのだから

anond:20240516164537

いやいや無茶苦茶実現されてて、今後も進行の余地大ありだよ。

もうちょっと社会変革に関心を持ってよ。

anond:20240516135859

これだよこれ!!

キミみたいな人を待っていた(だからあえて化粧水って書いた)

そうなんだよ化粧水不要派の意見もわかるんだ実際ほとんど水だしな

一番高いのは容器って説もある

グリセリンなどの有効成分が何パーセント入ってるんだかよくわからない(ちふれならわかるが)

しか洗顔ならまだいい

キミは風呂上がってすぐニベアガッテン塗りしてるのか?水入らない?スパチュラ使い?髪は乾かすの???

とか意外と色々考える事あって面倒だし、そもそもモタモタしてしまうので私はとりあえず塗っといて時間を稼ぐ派だ

てか何も塗ってないの?自前のセラミドがしっかり仕事してくれてるんだな?水洗顔派?徒手空拳か!!羨ましいぜ

でもセックスを楽しんだほうがオタク消費も生産も捗った

小6からずっとオタクグループにいるオタク女なんだけど、処女時代オタク体験特有の楽しさというのはあって、その後彼氏できて二次元オタク趣味どころか全趣味エネルギー喪失した時期があって、その後エネルギーが復活したという変遷があった。

最初彼氏ができたときは、恋愛に夢中になってオタクをやめたというパターンではなく、幻滅と軽い鬱みたいになって何もかもが楽しめなくなってしまった。セックスが全く気持ちよくなかったのと、前から自分がブスである自覚はあったけど本当にブスの貧乳で無価値なんだなって思えて同人誌やグッズ類を一回全部処分したし、ライト乗り鉄みたいな感じでいろいろなところに一人で出かける趣味も失ってしまった。消費も生産もあのときは完全に止まった。「生産エネルギーが凄い童貞生産を続けさせるために童貞のままでいさせろ!」みたいな声があるけど、それはこういう理由なのかもしれないなと今でも思う。夢が壊れて読めないし書けない状態になることはあるんだなと思う。私が生産をやめて困る人は別にいないけど、その人の創作依存している読者が大勢いる商業作家であればそういう干渉も起きるもんなのかなと思う。作家感性に不可逆な変化が起きてほしくないと思うわなと。

別れたら恋愛・性のコンテンツとは無関係なところから趣味が復活してきて、これはこれという感じで徐々にフィクションも楽しめるようになってきた。その後、別の人と付き合ってセックス気持ちいいのかよ…となり、急に実写映画など二次元以外のコンテンツも楽しく感じられるようになってインプットの幅が広がって(これが個人的に一番デカ体験だった)、創作寡作だけどまたできるようになった。支部でのブクマ数みたいなところでいうと前より数字出せるようになった。もちろん評価よりも自分仕事生活と両立できて適切な距離感でやっていけることが一番なんだけど。交流や、オフラインでの活動がかなり時間金も溶かすので、そこが無くなっただけで他にも時間が使えるようになる。時間は有限だけど密度みたいなものはある。コンテンツなのかコミュニケーションなのかというのはトレードオフじゃないんだ、生産と消費もトレードオフじゃないんだ、インプットをたくさんすると「個性」を失って他者から評価が減じるわけでもないんだ、というのを思う。そんなに単純なものではない。あと思えば自分のことを個性的だと思い込んでたとき自分って個性的だったのではなく、オタクテンプレートに準じていたただの痛いアニメイトJCの延長だったのでは?むしろ類型的だったのでは?とも思う。

オタクセックスが下手みたいなレッテル意味がないんだよね。元彼も現夫もオタクだし、両方瘦せ型の眼鏡から、「見た目の特徴で見分けろ」みたいなことには意味がない。違いをいうなら元彼友達彼女がいない人ばかりで、現夫の友達彼女がいる人が多くて、年を重ねるうちに既婚者になっていった。そういう傾向が、今思えばあるなというくらい。見た目はまじで両方瘦せ型の眼鏡しかない。とくに高収入とかでもない…むしろ元彼のほうが職業領域としては高収入職のルートに行ったのではないかと思う。追いかけてないけど。

元彼との交際中はメンタルデバフがかかってて何も楽しめないという感じだったし、あれを「現実恋愛しているかフィクション不要になってた」という解釈だけはマジでできない…フィクション大事だし、現実に劣る存在というふうには思わない。低カーストのブスである現実自分から逃れるためのフィクションという位置づけではなくなってからのほうが、むしろ商業という責任の生じる形でコンテンツ生産を担っている人々への敬意や感謝を持つようになった。そして今の夫と交際開始したことがバフなのかというと、バフとちょっと違って、経験値が上がったような感じがした。小中学生の頃は現実と切り離すためのオタク消費・生産であって相互の影響はないと思いたかったし強固にそう思っていたけど、今思うのは、現実経験が「どういうコンテンツを好むか」という好みの部分にかなり影響を与える。実際にやったセックスをそのまま創作晒したり友達モデルにして作品に出すような行いはしてないけど、コンテンツから良さを感じとる幅が広がって多様な小説映画などから影響を受けるようになって、インプットするコンテンツの幅と量が激増したかアウトプットも変わったという感じがする。あと経験っていうのは現実恋愛セックスだけじゃなくて、ほかの対人関係仕事などの影響も結構割合としてある。学生のころ部活で後輩を指導するような役割から逃げ回っていて、職場で後輩ができてついに「先輩」役から逃げられなくなって、案の定うまくいかないとかの経験もかなり大きかったように思う。

自分ダメさを思い知るとかも含め、人生経験があったほうがコンテンツの消費も生産楽しい。私の場合はだけど、生産において評価数字も前より出るようになった。ただ、それは好きな時に好きなだけ趣味創作をして無料で公開するという一番責任の発生しない形のものしかなく、安定性が要求される商業とは違うもの。また、人と付き合うことで鬱状態みたいになると全部にデバフかかって何も楽しくなくなるから人間関係リスクではある。人を求めた結果、ホストりりちゃんにハマってめちゃくちゃというケースもあるんだろう。結局、何の単純化もできない。

 

元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。なんで元彼と付き合ったのか。

https://anond.hatelabo.jp/20240517171536

anond:20240516074226

非道?これが当たり前

女性を助けない男に人権不要、脳手術したり徹底洗脳して「女性への絶対服従」を刻みつけないとダメ

anond:20240515221358

続きです。

しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった

「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった

しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロ自由からだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコ子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガエロ同人エロいのだ

そして俺は漫画家になりたいのではない。エロ二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし精緻な設定も重厚ストーリー人生経験エロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは読子まほろさんをんほおさせること。それだけだから

とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサン勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして

マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ

だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガ形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う

そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ

いきなりコミケハードルが高すぎるし、何よりもサークル当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロしか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる

そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)

そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在から、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして

初めてのエロ同人完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ

そこから俺はイベントごとにコンスタント新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店メッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫ショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった

一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入エロ同人から得ていたからだ。就職卒業もする意味理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった

から就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家フリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ

さて、無事に大学卒業して「職業エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメゲームを見ては妄想股間を膨らませて、いかにこのキャラアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は

だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガ技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初デビュー作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ小学生の描くバカみたいなマンガプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人作家」としては何も進歩進化もしてないのではないか。そう思った

学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなもの不要だと考えた。エロ同人必要なのは、一にも二にも画力エロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった

しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか小手先エロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか

俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家ありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした

から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない

から俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックス体験すれば、それが何らかの形でマンガフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった

だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しか女の子イチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ

話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある

でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望ありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ

俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ

とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかエロ同人的な世界観内面化している自分が、常識的セックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれ

話を戻すと、いざ実際に現実女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった

だがこの感覚マンガフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロ昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした

ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった

後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事同人イベント敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀なのだと俺は思う

そして迷走してはいものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性サークルスペースに現れた

まだ続きます。。。

2024-05-15

anond:20240515220708

両親が死んでれば「介護不要」が売りになるやで。

他の世代はもう20歳若い時期に親が孫の面倒を見てくれるを売りにしたんだが、氷河期は親が嫌いだからな。

anond:20240515204408

・やる側

顔出し不要

好みの姿で配信できる

敷居が低くなった

・見る側

アニメオタクに刺さる

Vは腐るほどいるので何かしら刺さる

人の姿が苦手な人でも見れる

汚い所が隠れてる

想像余地が多い

理想推しつけやす

良くない体制はずっと治らない

組織体制を変えるのは難しいことなんだなと思った。

IT業界で、昔はSESで働いていて、大手によく客先常駐していた。どこも大手ばかりでノウハウはしっかり蓄積され、設計書なども充実していた。

SESを脱退し、そこそこ大手IT企業正社員になれた。しかし、そこはこれまでのSES客先常駐していたような企業とは違い、あまり体制的には良くはなかった。

工数管理

工数管理は基本中の基本であり、やらないIT企業はなかなかないだろう。しかし、当社は違った。

工数管理をしなかったのである

1日に何をしたのか、報告の義務はなく、ただ作業していればよかった。

工数管理とは、案件ごとに工数管理のための番号(工数番号)を振り、さらにその工数番号ごとに要件定義、基本設計、詳細設計実装/単体テスト結合テスト総合テスト、などのサブ番号に分割して、工数登録することである

さらセキュリティ教育などは個々の案件無関係なことが多いので、維持管理用の工数番号が振られていることもある。

リリース後のトラブル対応なども工数を消費するので、それ専用の工数番号などもあったりする。

さらに、日々の工数を詳細に記載する日報のようなものも導入しているところが多く、どの作業に何時間作業たかを15分単位などで記載する。

工数管理のいいところは、作業サボりにくくなることだ。作業効率客観的に見えてしまうため、現実を突きつけられ、もっと頑張らなきゃ、と思う。

工数管理のだめなところは、とにかく面倒くさいことだ。当然だが、工数管理を行うための工数、は工数管理には入力できる枠はない。が、確実に無視できないレベル工数を消費する。あとトイレなどにつける工数などもない。

当社の工数管理

工数管理はないと言ったが、実はある。

しかし、活用されておらず、形式上だけ数字さえ入っていればそれでいい、というものだ。

その形式上すら煩わしいらしく、若手の意見バリバリ言う人から

工数管理は全く意味がない。適当工数入力していても誰もチェックしていないのか、何も言ってこない。

工数管理をしっかりすれば、1日に働いた時間がわかるのだから、勤怠システム不要である工数管理システムと勤怠システムを一本化すべきだ。

などの意見が出ていた。

月末にテキトー工数入力することすら煩わしいらしい。

そりゃあ工数管理根付いてない企業工数管理を行えばそうなるでしょう。

工数管理業務に結びつくものではなく導入メリットは明確には測れない。しかし、めんどくささは圧倒的だ。

結果、工数管理システムは完全に廃れ、入力すらしなくても誰も何も言わなくなった。

まり、当社はよく言えば従業員意見が通りやすい、悪く言えば従業員わがままが通ってしま企業なのだ

従業員意見尊重し、押し付けをせず、それぞれのルールを重んじる。良いことであるが、それでは業務改善できない。

これまでもそこそこやれてるのだから、それを無視して新ルールを導入しても、組織が壊滅する可能性が出てくるだけだ。

工数管理は基本中の基本だ。どこもやっている。それすらも当社は従業員わがままが通ってしまうのだ。

(まあ当社の工数管理はテキトーからダメだったのであって、もっと厳密に管理して、日報なども義務化すれば、これまでサボってた社員もサボれなくなり、結果的業務改善していたと思うが。)

当社はPDCAを回さな

PDCAはPlan, Do, Check, Action頭文字を連ねたもので、つまり、まずは予定(Plan)ありき。予定がないと実行(Do)はしてはいけない。

実行した後は必ず振り返り(Check)を行いなさい。

それらをした上で次の作業を行いなさい(Action)。

という意味である

当社もPDCA概念はあるし、週報という形でそれを実現している。

しかしその概念根付いておらず、週報以外ではPDCA無視している。

まり当社は、まずは実行があり、計画は立てることは必須ではない。多くの人は計画を立てない。

振り返りも当然実施しない。実行のみがある。Do, Do, Doである

これは作業レベルでそうであるし、案件レベルでもそうだ。案件はたしか最後には振り返りの資料作成する必要がある。しかし、これは単に作成しなきゃいけないか作成してるだけで、綺麗事をまとめた振り返りである

本来は、まずは理想を語り、次に現実を語る。しかし当社は、過去グダグダ言っても仕方ない、と理想を一切語らず、現実のみを語る。しかし振り返り資料には上司受けするような荒唐無稽対策記載される。

当社は、作業の前には計画ありき、などの文化は全く根付いていない。優秀な人間でも根付いていない。

私はただの平社員なので、それらについて指摘はできない。指摘したところで「じゃあどうするの?」と詰められて終わりだ。指摘するなら十分な資料作成と具体的な対応策の準備、そして責任人を動かすカリスマ性が必要だ。私にはそれらを準備してまで無駄に頑張る気はない。

当社はマニュアルを作らない。

驚いたのが部の方針説明会の時だ。

業務改善必要だ。

個々のチームで業務改善に取り組んでほしい。」

と書かれていた。

本来は、業務改善は個々のチームだけの問題ではないので、上層部マニュアル化してルール化すべきではないのか?

アイデアは個々のチームから出してもらっても良いだろうが、それを取りまとめて全体で取り組ませるのは上層部の役目ではないのか?

それをなぜ、個々のチームに依頼する?

業務改善といえばマニュアル作成設計フォーマット作成だ。

マニュアルがなぜ必要か?

それは能力の低い人でもマニュアル通りに作業することで能力の高い人と同等の仕事をできるようにするためである

それすなわち業務改善である

しかし、当社はマニュアルを作る習慣はない。自分用のメモは作るが、維持管理に使えるマニュアルは誰も作らない。

また、当社には設計書のフォーマットはない。

フォーマットがあるだけで記載漏れがかなり減る。考慮漏れも減る。作業が具体化されるからタスクも細分化して記載できる。

当社には推奨するプログラミング言語はなく、推奨のフレームワークもない。

これらが共通化されていれば、開発者がいろいろなチームに参加しやすくなるし、別のチームの有識者相談やすくもなる。

こういった業務改善本来上層部が率先して枠組みを作るべきだ。しかしやらない。

上層部知識がなく、やるとしたら雑な仕事しかしないから、やられると逆に困るのだが。

まとめ

当社はとにかく従業員の声が大きい。強い。

業務改善などの施策を出しても、従業員が納得しないと続かない。

そういう組織文化なのだと思う。

そういう文化を変えるのは並大抵のことでは出来ない。

環境が変われば人は変わるだろうが、そもそも環境を変えるには人を変えないといけない。だから変わらない。

仕事が回らなくなり死にかければ変わるかと思ったが、たぶん変わらない。

仕事の仕方を変えるくらいならきっと死を選ぶだろう。それくらい変わらない。

追記

2024/05/15 10:48

工数管理の是非について:

実装者は成果物作成する側だからサボりにくいのよね。

工数管理すべきなのは成果物ではなくサービス提供する人なのかもしれない。例えばPMなど。

当社の開発チームは、開発者PM以外にも、君必要なの?何やってる人なの?打ち合わせには参加してるけど、ただの工数食い虫じゃね?みたいな人もいるのです。

あと外注さんにも何の工数管理しないのはやばいと思う。外注さんリモートワークだから案件掛け持ちされてる疑惑も出てたし。

anond:20240515013644

BitnetでGPU不要でNVDIA終わり?

みたいな話しはどうなったかご存知ですか?

anond:20240515004056

なんやかんやそれなりに有用法律になりそうで良かったよ、個人的には10年縛りや20年縛りは不要だとも感じるけど

2024-05-14

AI時代プログラミング:ChatGPTと人間プログラマー共存進化

飲み屋ビール片手に、後輩に語りかける感じで話すよ。今日は、AIがどれだけプログラマーに影響を与えてるか、特にChatGPTについて話そうと思うんだ。

まず、ChatGPTってのはすごいよ。俺たちが昔必死に学んだことを、秒で答えちゃうんだから。でも、だからって俺たちプログラマーが完全に不要になるわけじゃないんだ。実際、ChatGPTが得意なのは単純で定型的なタスクなんだよ。例えば、基本的データ処理スクリプトとか、テンプレートベースコード生成、単純なデバッグエラーハンドリング、そしてドキュメント作成なんかはChatGPTに任せられる。

じゃあ、俺たちプログラマー役割はどうなるかって?もっと高度な問題解決とか創造性が求められるようになるんだよ。複雑なシステム設計や高度なアルゴリズムの開発は、やっぱり人間の得意分野だ。ChatGPTにはまだそこまでの理解力創造性はないからね。

でも、これまでインターンジュニアプログラマーがやってきた基本的作業がChatGPTに取って代わられると、彼らが経験を積む場所がなくなるんじゃないかって心配もあるよな。これにはどう対処すればいいか

まず、教育の場を再定義する必要がある。メンター制度を強化して、シニアプログラマーが直接ジュニア指導するのがいいだろう。リアルプロジェクトに参加させて、実際の問題解決体験させるんだ。ChatGPTはサポートツールとして使えばいい。例えば、基礎的な質問にはChatGPTが答えて、シニアはより複雑な問題や高度な質問対応する。

次に、ソフトスキルの育成も重要だ。チームでのコミュニケーション能力コラボレーションスキルを磨く機会を増やすんだ。ペアプログラミングコードレビューを通じて、実際に協力して問題解決する力をつけることが大切だ。

それに加えて、高度な技術トレーニング必要だ。オンラインコースや社内ワークショップ活用して、最新技術を学ぶ機会を提供するんだ。ジュニアプログラマー自分で学び続ける意欲を持つようにサポートするんだよ。

シニアプログラマーメンターには、新しいスキルセットが求められるようになる。技術的な専門知識はもちろん、教育能力フィードバック提供方法対話スキルプロジェクト管理能力、そしてモチベーションを高める力が必要になるんだ。俺たち自身も常に学び続け、適応し続ける必要がある。

から、ChatGPTが登場したからといってプログラマー不要になるわけじゃない。むしろ、俺たちの役割さら重要になる。AI共存し、お互いの強みを活かしながら、より高度なスキルを身につけていく必要があるんだよ。

未来プログラミングの姿は、AI人間が協力し合うことで成り立つ。新しい技術を学び続け、常に自己研鑽を怠らずにいれば、どんな時代でも必要とされるプログラマーでいられるはずだ。AIをうまく活用しながら、俺たちの強みを最大限に発揮していこうぜ。

今日はこんなところかな。これから時代も、俺たちプログラマー活躍に期待しよう。じゃあ、もう一杯飲もうか!

anond:20240514030624

理屈も何も、親子間を規定する法律で男女を区別する表記不要なのでは。

いや、だからそれならそうやって反論しろよって話でしょ

とりあえず筋が通ってるかは置いといて、「家族の在り方が崩壊するから性別意識させる表記必要だ」ってのが櫻井よしこの主張なわけだから

デマはやめろ」じゃなくて「こういう理由でその理屈おかしいだろ」という話をしろ

anond:20240514114750

かわんごが去年書いとったわ

https://twitter.com/gweoipfsd/status/1721334849582321937

Winny規制してなければ、日本ITで勝てたと思っちゃう人が大勢いるところこそ、日本ITで全く勝ててない理由が現れているよね。ゲームルールを全く理解していない。

https://twitter.com/gweoipfsd/status/1723495304052519229

動いたのはすごいけど、システムとして実用性を考えると、要するにP2Pによる分散データベースということになると思うんだけど、処理能力も応答速度などの性能が低すぎて、かつ必要とするネットワーク帯域や電力が大きすぎて、採用するメリットは全くないというのが僕の見解です。

https://twitter.com/gweoipfsd/status/1721828013804012033

例えば、ユーザー数が増えたときに、ある特定コンテンツを追加するのに必要通信量はどうなるか分かりますか?あと、ユーザーが消費可能コンテンツ量に上限がある場合ユーザーが増えた場合に実際に消費可能コンテンツ量とWinnyにより発生する通信量とはどのような関係にありますか?

ネットワークが大きくなると1件あたりのトランザクションコストが上がるという「スケールデメリット」はP2P共通問題ですので、winny単体の問題ではありません。重ねて言いますが、クソ設計です。問題外。

そのとおりです。winnyとかはインデックスどころかコンテンツまでキャッシングしていますからネットワークの大きさに比例して、ユーザーが追加されると、ユーザーに不必要トラフィックがより発生するという構造になっています根本的にスケールするのが困難な設計です。

https://twitter.com/gweoipfsd/status/1723083589364130152

そうです。本人がまったくつかわなデータバックグラウンド通信しまくるので、ネットワーク全体に本来不要トラフィックが大量に発生します。P2Pが素晴らしいと当時言っていた人は、余った帯域を有効活用しているだけだと主張していたのですが、プロバイダ側はトラフィックの相当部分がP2Pにとられてしまって大迷惑。結局、P2Pソフトは余った帯域を無料で使って有効活用では無くて、プロバイダ投資したインフラただ乗りして食い潰していたわけです。

https://twitter.com/gweoipfsd/status/1722887998738715117

中央サーバーを使わない技術が素晴らしいというのはP2Pのエヴァンジェリストたちの根拠のないイメージだけのプロパガンダであって、まともなエンジニアあんもの評価しません。本当にそれでなんらかの性能が向上するなら、あちこち採用されています

https://twitter.com/gweoipfsd/status/1722425316319391757

エンジニアとしてP2P系の設計はクソだし、革新でもなんでもないということを言ってるんですが。

ちゃんとしたイノベーションやれよ。ってことですね。

https://twitter.com/gweoipfsd/status/1722589202712576251

ノード数Nのネットワークで1個のデータを追加するのにN個のノード全部と通信する必要があるアーキテクチャーを採用している限り、解決原理的に無理ですね。少数のサーバ間だけをp2pにして、あとはクライアントサーバーにするか、DNSサーバのように階層構造を作るか。ただ、これはノードダイナミックに変わる場合には採用しにくい。

どっちにせよ、うまくいっても、それをP2Pと呼んでいいのかという問題もあります

anond:20240514010425

家族間を規定する法律上、父母表記夫婦表記など性別意識させる表記不要である、その理屈はこうだ」だって回答

理屈も何も、親子間を規定する法律で男女を区別する表記不要なのでは。

性別意識させる表記必要理屈こそ何か説明してみてよ。嫡出規定以外には何もないでしょ。

anond:20240513193823

立憲には

家族間を規定する法律上、父母表記夫婦表記など性別意識させる表記不要である、その理屈はこうだ」だって回答

が求められてんだよ。泉健太氏も米山隆一氏も話しそらしてるブコメも皆分かってんだろ?なんでそこから逃げるんだよ

せやなしか言いようがない

というか泉も米山レスバ苦手ならこんなの放置しとけよなんで食いつくんだよ爆釣やんけ

2024-05-13

anond:20240513211241

「コンロに行く」「火を使う」が負担だったら生活できない

「保温不要需要需要ってなんだよ。湯を沸かすことだろ。だからなんなんだよw

etc

いくらでも」

おまえあほやろ

元増田ちゃんと読もうねおじいちゃん

読みやすいように引用しておいてあげるから

おやじがきまぐれで電気ケトル買ってきた

ポットと違って沸かすだけで保温はできない

これ存在する意味あるの?

ただのケトル(やかん)に対する優位性が見当たらないんだけど

なんか使い道あるの?

anond:20240513210207

コンロに行かなくていい

火を使わないので比較安全

保温不要需要

etc

いくらでも

おやじがきまぐれで電気ケトル買ってきた

ポットと違って沸かすだけで保温はできない

これ存在する意味あるの?

ただのケトル(やかん)に対する優位性が見当たらないんだけど

なんか使い道あるの?

立憲「父母呼びは削除」「『親1・親2』にするとは言っていない」

立憲民主党「『夫婦』や『父母』を『親』か『婚姻当事者』に変えるだけだしデマはやめろ!」

法案への賛否別にして立憲民主党のあり方に疑問を覚えたので備忘録的に記しておく。

議論の経緯

櫻井よしこ氏)

立憲民主党がとんでもない民法改正法案を提出しました。婚姻平等法案です。性の区別をなくし、父も母も親1、親2とするそうです。家族の在り方が崩壊し、バラバラ個人集合体のような国になりかねません。こんな日本を誰が望んでいるでしょうか。

https://twitter.com/YoshikoSakurai/status/1788882499713773675

立憲民主党 米山隆一 衆議院議員

一応「識者」と言われている立場でしょうに、こういう明らかなデマ意見の異なる相手を論難するのは、余りに志が低く、極めて残念です。「保守自分達が作り出したフィクション世界で溺れているのではないか保守派一体どこに向かっているのか?」と思います

https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1789397435699052987

立憲民主党代表 泉健太 衆議院議員

櫻井よしこさん、誤った情報拡散は良くありません。

立憲民主党婚姻平等法案には「親1、親2」なんという表現は全く無い。

「するそうです」ではないのです。訂正されませんか?

https://twitter.com/izmkenta/status/1789167748083601573

立憲民主党提出法案

(旧)

夫婦の氏)

第750条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

親権者

第818条 成年に達しない子は、父母親権に服する。

(新)

夫婦の氏)

第750条 婚姻当事者は、婚姻の際に定めるところに従い、婚姻当事者の一方の氏を称する。

親権者

第818条 成年に達しない子は、親権に服する。

※その他全般的に同様の改正となっている。

https://cdp-japan.jp/files/download/daUV/U0pN/aoe0/5xWH/daUVU0pNaoe05xWHh6Hi8JnR.pdf

事実関係

立憲民主党提出法案では、夫婦婚姻当事者と、父母を親と書き換えている。

櫻井よしこ氏の「性の区別をなくし、父も母も親1、親2とするそうです。」という主張は、親1・親2ではなく「親」であるという範囲において誤り(性別をなくす、父母を親にするという点は正しい。)である

雑感

櫻井よしこ氏は批判するなら一次ソースに当たれば親1、親2ではなく、「父母を単に親とする」という書き方にできたはず。そうしても櫻井よしこ氏の主張には一切影響しないのだからそうすべきだった。

米山隆一氏の「明らかなデマ」や泉健太氏の「『親1、親2』なんという表現は全く無い」とするのは明らかに言い過ぎ。櫻井よしこ氏の主張の根幹は『夫婦から性の差異をなくすことが問題』だと理解することは文脈上容易であり、そこに触れずに「デマ」などと切り捨てる立憲民主党は、本件について国民議論をしようとしているようには見えない。

◯というか、婚姻当事者しろ親にしろ、法的にはこれでOKでも運用上二人を区別する必要があるときには婚姻当事者(1、2)とか親(A、B)とか、甲乙でもなんでもいいけど書き分ける必要があるわけで、全く的外れ批判とも思えない。これがデマだとするなら立憲民主党はどう運用することを想定しているんだろうか。

◯いずれにしても立憲民主党として、全く国民対話をしようとは考えていない様子であり、他の事例での立憲民主党言論弾圧志向と合わせ、残念でならない。

追記

そもそも櫻井よしこ言いがかりが幼稚すぎるのに、よくこんなところで頑張れるな。法律上の『夫婦から性の差異をなくすことが問題』ってどこが? 法律上表記性別がなくなると人間性別が消えると思ってるの?

◯「家族の在り方」って何なのよ? 日本古来の家族歴史について、専門家に教えてもらってきな。歴史学者でも考古学者でも文化人類学者でもいいからさ。お前らが信じている「日本古来の家族観」って明治以降だぞ。

国際勝共連合プロパガンダ親和的アカウントが湧き出てくる。山田太郎統一教会イベントに出たことを問題視していたのは、本人が信者でなくともフォロワーに向けて広告塔役割を果たすからなんだよな

櫻井よしこ問題意識の是非の話なんてしてねーだろ。

その問題意識理解した上で立憲側が話をそらして相手デマ扱いしてるのがおかしいと言ってるだけ

相手の論が誤ってるなら真正から議論すれば良いだろ

櫻井よしこの言っているデマ国際勝共連合(統一教会)と全く同じ内容

◯立憲が親1,2に変えようとしているという話のネタ元は櫻井よしこ氏だけど出した法案にどこにもそんな記述はないし、櫻井氏のその表現ネタ元は勝共連合記事なのか?

勝共でもなんでもいいけど少なくとも大きな方向性としてデマではないと思うが

理由は本文に書いた通りで反論があればどうぞ。

法令記載しないことと,運用禁止することは違うのでは。住民票に「子」としか書いてなくても,長男・長女などの表現社会普通に使われている。e-Gov法令検索全文検索で「長男」「長女」は0件にもかかわらず。

◯立憲は将来の同性婚を考えて父母呼びをなくしたならそう主張すべきで、そこで逃げるから論点ボケて本質的議論が出来なくなる。/個人的には同性婚養子貰って育てるのまでは賛成出来ない。

そう、議論ならこうでないと。泉健太氏も米山隆一氏も揚げ足取らずにこういう議論すれば良かったんだよ。

ちなみに実運用では「第一子」、「第二子」などが普通に使われている。

例えば、

厚生年金保険法施行規則(加給年金対象扶養子(第一子及び第二子を除く。)の数)

本巣市第一出産祝金支給事業実施要綱

東京都板橋区幼稚園等の保育料の額を定める条例第一子と第二子以降の保育料の額))

などなど、事例は山ほどある。

このように区別必要があれば役所でも親1や親2として扱われるようになるよね?まぁ親1、親2じゃなくて一方の親とかでもいけるのかもしれんが、後者のとおり批判主題はそうじゃないよね?

立憲には

家族間を規定する法律上、父母表記夫婦表記など性別意識させる表記不要である、その理屈はこうだ」だって回答

が求められてんだよ。泉健太氏も米山隆一氏も話しそらしてるブコメも皆分かってんだろ?なんでそこから逃げるんだよ

今更だが、ポリコレってか発情至上主義じゃね?アメリカ

恋愛要素アンチかもしれねぇ

物語を読む、聞く、観る上で、たびたび「今は恋愛の話いらねえよな?」って思うことがある。

恋愛主軸の話ならまだしも、「コッチは複雑な謎を解いてんだよ!」とか、「ホラー味わってんだよ!」っていう時に、恋愛要素をぶち込まれると、ノイズしか思えないし、萎える。これは日本漫画でもよく感じる。

もちろん、恋愛感情関係を元にした複雑なストーリーというのもある。この場合は、ストーリーと合わさっているからそこまで気にならない。

問題は、「全く関係ない恋愛を、主軸ストーリー差し置いてねじ込んでくる」ことでノイズが発生している場合だ。

特に、「今それしてる場合か?」みたいな時にねじまれ恋愛不快さと言ったらない。

ハリウッド映画ってそういうところあるよね

なんか、男女が危機を脱して、息を荒げながら見つめ合っていたと思ったら急に濃厚なキスからベッドシーン!みたいな流れ。映画で稀によくある。

「は!?いつそんな関係になった!?今そんな空気だった!?」って混乱する。

みたくもないヌッチョヌチョの絡みシーンを見せられる。

アクション映画だと聞いていたのに。これはもう完全に不要発情シーンのねじ込みだろ。

そしてポリコレへーー

別に、誰が誰を好きでも良い。どんな性的嗜好しててもいい。

でもさ、それわざわざ、今、作品内で描写する必要あった?

これは昔からアベンジャーズ内で誰と誰が付き合っただのバットマンの嫁が誰だのスパイダーマンヒロインは誰かだの、そういうところでも若干思っていた。つかお前ら発情しすぎなんだよ。

いや、人間なんだ、発情することは仕方ない。

でも、それを、作品内で描く必要ないだろ。

存在するから描くべき!ってんなら、もう食事シーン全てから風呂ムダ毛処理するシーン、トイレでの排泄シーンまで描けよ。いや見たくないけど。

「実は敵のヴィランと禁断の恋を……」とか「恋人からこそのタッグ技!」みたいなのだったらまだ分からんでもない。ストーリーの根幹に関わる部分だから

でも、「ヒーローには恋人がいますゲイです!ハッピー♡」って、ストーリーに何の影響も齎さない、マジでそれだけの話であれば、わざわざ描く必要はない。というかその恋人キャラは何のために存在してるの?

いや、そもそも恋愛って必要

今までの話でも、別に恋愛なんていらなかったじゃん。まぁ、もしかたらこキャラとこのキャラって……!?みたいなのを想像する、そのくらいの余地があってもいいとは思うけど、そもそも要らなかったんだよ。

提案

不要発情を止めよう。恋愛ものは、恋愛ドラマ恋愛映画でやろう。それでよくね?

てかさ、(異性間同性間のいずれであっても)ぬっちょぬちょキスなどの性描写を、アクション観たい観客に見せることのどこがポリティカルにコレクトネスなんだ?

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