はてなキーワード: 21世紀とは
おれが通ってた学校……って匿名だからぼかす必要ないな。筑波大ですよ。
あそこは宗教自己啓発天国でな。いろいろ要因があるんだが、大きなのは2つ。
そもそも高等師範こと東京教育大が筑波にうつったのが1973年。学生運動の恐怖未だ冷めやらぬ、って頃合いだ。だもんで設備とか制度とかハードソフト両面から学生運動サークルを「発生させない」大学づくりをした。わざと学内の通路を狭く&高低差を作ってデモをさせないようにした、とかいう噂がある。その結果が実って、現在筑波大には「○○粉砕!」とかの立て看板はほぼ存在しない。左翼系のオルグもほぼ皆無。都内の大学に通う人たちには想像できないだろうが。で、そのニッチにすべり込んだのが宗教系というわけ。
最近は違うらしいが。まぁ数年前、21世紀に入っても「筑波大1年生は寮」というのが普通。全国の地方出身者が多いしね。でも「寮」っつっても駒場寮とか吉田寮みたいなのと違って、要するに鉄筋アパート(風呂と食堂は数百人単位で共有)。入学してすぐは、わりと孤独なんですよ。で、そこで「哲学系サークルです。でもそんなに堅苦しくなくてー」とか仲良さそうな男女3人組が来るわけですよ。何かに飢えた新入生が「出会いの場がー」とか世迷い言をほざきつつ、ついて行ってしまっても無理なからしむるところ。一方宗教系サークルにとっちゃ釣り堀。いくら食いつきが悪いからといって、1000匹単位で魚がいるんだから、それなりの釣果があるわけですよ。そんなこんなで筑波大は新興宗教の見本市かと思うほど各種宗教団体の窓口サークルが「イベントサークル」として乱立しとるんですわ。
んでまぁ偉いもんで、入学2〜3週間経つと「宗教系の見分け方」って情報が出回り始めて。多分先輩からの口伝なんですがね。いちばんおもしろかったのが
「某半島系キリスト教団体は、必ず『コン…コン…コン』と一定のリズムで3回ノックする」
ってやつで。コレが全く見事にその通りなんですわ。アレはなんなんですかね。事前に「宿舎訪問勧誘レッスン」が行われて、厳しい指導があるんでしょうね。「1/8拍ズレたぞやり直し!!」とか。
しかしまぁ、数ある宗教団体のなかでもいちばん質が悪いのが「やどかり祭実行委員会」とかいって寮祭を運営する巨大団体。あれは深海に眠りつつ支配する殻と鋏を持ったおぞましき旧神を信仰してるらしくて、初夏が近づくと夜な夜な太鼓を叩いては人身御供の儀式を、うわなんだおまえあたちなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp;@:
あまりも当たり前過ぎて21世紀に入ってから言葉にだしたことはあまりないのですが、当然のことながら、プログラムというのは、デュアルディスプレイで作業して初めて「書ける」と言うのです。
プログラムが書ける、という状態は「デュアルディスプレイで作業する」という状態の延長線上にあるべきで、デュアルディスプレイで作業していないということはディスプレイを1台しか持っていない、つまりプログラムを理解していないのとほぼ同じだと思います。
最近はUXGA以上と呼ばれる、いわゆる高解像度ディスプレイがメインになってきていますし、僕も普段はWUXGAでプログラムを書くことが増えてきましたが、それでも依然として、ウィンドウというのは最大化して表示されるもので、プログラムというものは全てデュアルディスプレイの延長上にあると思っています。
その意識がないと、たとえWUXGAやQXGAのディスプレイを見ていても、画面が切り替わったり、ALT+TABによるタスク切り替えのときに「なんだろう?」ということが3秒たたないとピンとこないことになります。
まだ大学に入って無くて、趣味のプログラミングを楽しんでいる若い人たちには、ぜひデュアルディスプレイで作業してみることを勧めます。
最近は素晴らしい時代になったもので、ごく初歩的な入門としては左半分にソース、右半分に実行結果でも使うことができます。
しかし本格的にディスプレイで遊びたくなったら、SXGA解像度で三枚を使うのがお勧めです。
今のIDEは複雑になりすぎていて、初心者が全ての機能を知ろうとすると膨大な時間と労力がかかります。
しかし、最終的にはそれは全て知らなければならないことですし、知っておくべきことです。
最近は、全くの文化系の女の子が、わずか数ヶ月の研修で「システムエンジニア」や「ITコンサルタント」と称してXGAで作業するような商売もあるらしいのですが、そんなときにもぜひデュアルディスプレイを使ってもらいたいと思います。デュアルディスプレイで作業できないと、そもそも二つのアプリケーションを同時に「最大化」できないということなので、視界を全て単一のタスクで埋め尽くせないことの方が多くなると思います。
どれだけウィンドウの切り替えや仮想デスクトップが進化しても、切り替え時にロスする時間をなくすことは絶対に必要です。
筆算ができない人が電卓を使い続けたときに答えが正しいのか間違っているのかわからないのと同様、デュアルディスプレイで作業できない人が書いたプログラムは、一見うまく動いているように見えたとしても、それは奇跡のようなバランス、自転車で言えば補助輪がついた状態で奇跡的に動いているに過ぎず、なにか未知の問題が発生したときに素早くクビを振り視線を移動させ、適切な処置・対応をするためにはデュアルディスプレイでの作業は不可欠と言って良いでしょう。
あまりも当たり前過ぎて21世紀に入ってから言葉にだしたことはあまりないのですが、当然のことながら、プログラムというのは、マシン語を理解したからって「書ける」ものではないのです。
プログラムが書ける、という状態は「物事の仕組みを抽象化する」という状態の延長線上にあるべきで、それを理解していないということは仕組みを理解していない、つまりプログラムを理解していないのとほぼ同じだと思います。
最近はLLと呼ばれる、いわゆる軽量スクリプト言語がメインになってきていますし、僕も普段はRubyでプログラムを書くことが増えてきましたが、このおかげでますます、コンピュータというのはマシン語で動くものではあるが、プログラムはマシン語というバッドノウハウの塊から脱却して、やりたいことそのものを表現できるようになったと思いを強くしています。
その意識がないと、たとえRubyやJavaScriptのコードを書いていても、不可解な動きをしたり、あとから自分や他人がコードを見直したときに「なぜこんな風に書いたんだろう?」ということがピンとこないことになります。
まだ大学に入って無くて、趣味のプログラミングを楽しんでいる若い人たちには、ぜひアルゴリズムとデータ構造を勉強してみることを勧めます。
最近は素晴らしい時代になったもので、ごく初歩的なアルゴリズムとデータ構造は言語の標準ライブラリでも使うことができます。
しかし本格的にこれらで遊びたくなったら、内部実装を読んだりポインタだけで書いてみるのがお勧めです。
(中略)
さらにいえば、これらのさらに下のレイヤーである数学を理解しているとさらに理想的です。
最後に参考文献をまとめておきます。
ただ読むだけでもとても面白い本ばかりです。
・SICP
・解析概論
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20354687,00.htm
「21世紀の国富論」の中で原氏は、コンピュータ中心の時代はまもなく終わると指摘する。コンピュータはもともと計算することを目的に作られており、インターネットや通信など、コミュニケーション用途には向いていないからだ。
インターネットや通信などのコミュニケーションが「情報」という概念に一般化され、それを扱う汎用オペレーターが「計算」です。コンピューターってなんですか?
パソコンというのは、CPUと記憶デバイスと入出力デバイスとして、ディスプレイ、キーボード、マウスを持った装置を指します。PUCってなんですか?
次に主役となるのは、「パーペイシブ・ユビキタス・コミュニケーションズ(PUC)」というコミュニケーションを前提に作られたアーキテクチャだ。人間にとってより使いやすく、現実に存在する複雑なデータも処理できるPUCは、かつての繊維産業、鉄鋼産業、IT産業に次ぐ、新たな基幹産業の核になるという。そしてそこでは日本が世界の中心になれると原氏は説く。
本当にお願いします。
詳細説明バージョン
・5人でチームを作って、期間は3ヶ月
・TTLを200個くらい使って自分で配線して動くものを作る
・命令セット例は示されているが設計は全部自分たちでやる
・その前期の実験の後半3ヶ月は、
そのCPUのソフトウェアシミュレータとアセンブラとリンカとデバッガを1人で作る
まあ、要するに似たようなことやってたみたいなんだが、俺の部署でも
給料は同じだ。
東大卒の人たちがプロジェクトの説明のパワーポイント資料を作っているのと同じ期間で、
東大卒の人が
「プログラムなんて誰が書いても同じだから、俺はやらない」
と思っている一方で
京大卒の人は
「どうせプログラムを俺が書くんだったらパワーポイントや設計書なんて誰が書いても同じだから、俺はやらない」
と思っている。
あくまで俺の会社の話だよ。一般的にそうだってわけじゃないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070802144801
昔は5,6人でひとつのCPUを作ってたんだが今は一人でひとつのCPUを作ってるみたいだ。その分内容は簡単になってるみたいだけど、マルチプレクサや符号拡張の回路図まで示しちゃうのは甘やかしすぎのような気がする。
コンパイラは昔から一人でひとつ作ってるけど、基本は整数のみのサポートだからその東大の実験よりは楽そうだな。東大での「ゼロから」っていうのがどれほどのものを指すかは知らないけど、こっちだと字句解析・構文解析はlex・yacc任せだし。
それにこういうのは最終奥義「先輩からの遺産」があるんで、実はわかってないけど「要領よく」やっちゃう人もそれなりにいるかも。
西暦2026年。日本にある奇妙な現象が起こった。出生率が激減したのだ。
もちろん、出生率の低下はつい最近に始まったことではない。前世紀半ば1970年ごろの、いわゆる第二次ベビーブーム以来日本の出生率は一貫して下がり続けていた。だが、2026年に起こった出生率の低下はそれを凌ぎ、前年度の半数以下にまで落ち込んだのだった。だれもが首を傾げ、専門家も市井のブロガーも、ありとあらゆる人がこの問題の分析を議論した。
21世紀の情報化社会にあっても、丙午の女性は男を食い殺すほど強い、という迷信が健在なのだというトンチンカンな分析をする社会学者も居た。
O社というある小さな会社の出した女性型ロボットが、その原因らしい。
そもそも、人間の基本的な欲求、適応度を上げると言う意味で生物的に基礎的な欲求は、あるレベルを超えれば経済学で言う収穫逓減の状態を示す。水も空気も食品も、あるいは快適な生活空間も人間の生存には無くてはならないが、ある一定以上を求めることは無い。もうおなかいっぱい、と言う状態が存在する。だが、男性の性的な欲求だけは例外であって、際限が無い。
三大欲求という言い方がある。食欲、睡眠欲、そして性欲を指すのだそうだ。このうち、食欲と睡眠欲は自身の存在を存続させる欲求、性欲は自身の存在を拡散させる欲求であると言い換えられる。では何故自身を存続させたいと思うのだろうか? それは、自身の存在を拡散させるため、自身の遺伝子のコピーを広げるためであると言える。生物の存在という目標のためだけに生物は存在し、またその目標が無ければ生物自身も存在し得ない。果てしの無い自身の再生産のためだけに生物は存在する。
男女の愛に関する悲劇の全ての源泉は、男女によって生物学的な適応度を高める方法が違うということに由来する。女性はいくら多くの男性と関係を持ったとしても、直接には子供の数を増やせないが、男性は数多くの女性と関係を持てば、原理的にはほぼ無限に多くの子供を持つことができる。それゆえ、自身の適応度を際限なしに高めることができる。だから、男性の性欲には限度がない。1000人、あるいは10000人と関係を持ったとしても、1001人目、10001人目の女性とセックスできるだろう。
だが、一般的な水準の容姿と金銭と道徳観念を持った男性にはそんなことはできない。だから、売春が生まれ、ポルノが生まれた。英語で"the oldest profession"「最古の職業」と言えば、売春のことを指す。古くは版画やグーテンベルグの発明から映画に至るまで、あらゆるメディアにおいてポルノは存在した。ビデオデッキの規格戦争においてVHSが勝利したのも、その影にアダルトビデオがあったのは有名である。軍事的な目的のために開発されたインターネットを一般人に普及させたのもポルノサイトがあってのことだ。ありとあらゆる技術は、男性の性欲を満たすために使われてきた。人間の経済活動は、男性の性欲に由来している。いや、そもそも言ってしまえば経済活動も含めたあらゆる人間の活動は、究極的に突き詰めれば、この男性の性欲の限度の無さに由来するのだ。人間の無限の欲望も、背後にある原動力として性欲によっている。もし人間から性欲が無くなれば、あらゆる種類の人間の活動は全て無意味になる。
たとえば、車は分かりやすいステータスシンボルであり、セックスアピールである。移動手段としては不相応なまでの高級車を持ち、ガソリン代、車検と不必要なまでのコストを掛けることは、生物学でいうハンディキャップ理論の表れであると言える。食欲を満たすという目的のためにはあまりに高級すぎる、人気のデートスポットであるフランス料理店。これも性的な欲求を含めなければ説明がつかない。動きにくく実用的でない服装や、映画や絵画といった美術ですら、究極的に突き詰めれば性欲に由来する。男性が権力や高収入を求める欲求が女性より強いのも、それが歴史的に女性を得る手段に直結していたからである。歴史を紐解いてみればいい。権力者、独裁者はほぼ例外なく側室を持ち、多くの子を残している。アメリカの元大統領のクリントンのように、権力者が複数の女性と性的関係を持つことが倫理的に許されないことになったのは、ごく近代のことでしかない。日本ですら、戦前までは政治家や財界人が愛人を持つことは当然のことであったし、社会通念的にも認められていた。明治天皇や大正天皇ですら、嫡出子ではなく側室の子であった。「英雄色を好む」という言葉があるが、これは生物学的に見れば一種の逆転である。英雄と呼ばれる人間だけが好色なのではない。そうではなく、あくまで権力を得た人間は自身の欲求を実現する方法をも同時に得られるということでしかない。
しかし、人間は婚姻という他生物には見られない独自の制度を持っている。世界中どこを見ても、結婚制度が存在しない社会は存在しない。「交尾でオスの役割は終わり」という生物とは違い、どんな社会においても、人間の男性は自身の妻や子供を養育する義務を持っている。(蛇足だが、人間の男性が若い女性を好むのも、長期にわたって一人の女性と性的関係を築く婚姻制度によって生じたものである。その証拠に、交尾でオスの役割は終わりというチンパンジーの一種は出産、育児経験のある中年のメスを好む。なぜならそのほうが自分の子供が生き延びられる確率が高いから)それゆえ、近代のテクノロジーが発達する以前の社会においては、自身の限度の無い性欲を満たせるのは、社会的に成功したごく少数の男性だけだった。付け加えて言うならば、有史以前、人間が貨幣を持つ前の狩猟採取社会においては、どうやら一夫多妻制度はまれであったらしいと言うことが分かっている。多くの皮肉屋の主張とは違い、資本主義の発達により貧富の差が生まれたことによって、多数の妻を養うことが可能になったようだ
だが、大容量のインターネット回線と、テレイグジスタンス、バーチャルリアリティ、そして人型ロボットの研究が男性の際限の無い欲求を満たすことを可能にした。
月々数千円も出せば、海の向こうの幼い少女からディスプレイの中にしか存在しなかった理想の美少女まで、ありとあらゆる女性とのバーチャルな性行為が楽しめるのだ。お互いの性器に装着したネットワーク対応の性器具と、データグローブとボディースーツ、そしてヘッドマウントディスプレイによって、その場に存在するような臨場感を持って、バーチャルセックスを体験させるサービスが提供されていった。インターネットのサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。
そして、流れが決定的になったのは、前年に発売された女性型ロボットだった。
ちょっとした高級車を買うくらいのお金を出せば、文字通り女性を所有することができるのだ。しかも、現実の女性と違って妊娠することも浮気をすることも歳をとることもない。なにより、飽きて捨てたとしても何一つ文句を言わない。
しかも、簡易ではあったが会話もでき、(ちぐはぐな受け答えが、逆に幼さを感じさせるとして喜ぶ男性も居るようだ)食事や掃除と言った家事をすることもできた。妻を持ちたくない、または持てない男性にとっては正に福音であった。
いや、もてない男性だけではない。中間層の普通に交際相手が居る男性にとっても救いであった。彼らは常に女性のご機嫌を伺い、足代わりに使われ、食事を奢らされてまで、不確実なセックスにありつくことに疲れ果てていたのだ。彼らにとっても、女性型アンドロイドの登場は救済であった。何も要求せず、見返りの無い愛を注いでくれる、いつまでも無垢な女性。有史以来の男性の永遠の理想の体現であった。
だがしかし、その後不可解な面白い現象が起きた。一体何が起きたのか?
数年間のうちに、出生率がV字回復したのだ。ちょうどそれは、60年前の丙午の翌年に起きた出生率の回復のようだった。
例え人形であっても、女性と生活を共にする以上、身だしなみを整え、生活習慣もきちんとしなければならないという男性が多少は増えたのだ。現代の情報化社会の中で、不当に抑圧され、自己肯定感を失っていた若い男性が、たとえそれがロボットであっても、全面的に肯定されることで自信をとりもどしたのだ。不当にワガママな女性に対しては、いつでもアンドロイドに戻れる、ということをほのめかし、恋愛において男性が女性と対等な立場で渡り合えるようになったのも大きい。
そして、性欲は人間の本質的な欲求であるが、それと同じくらい、子供を持ちたい、家族を持ちたいという欲求も本質的なものであるらしかった。擬似恋愛という一種のカンフル剤で人間性を取り戻した男性が、次々に現実の恋愛、結婚へと戻っていったのだった。
しかし、再び恋愛市場の中に戻っていったのは、男性全体から見ればごく一部でしかない。彼らはもとから女性に相手にされるだけの財産なり顔なりを持っていた幸運な男性なのだとも言える。大部分の男性は、そのまま「戻ってこなかった」 なにせ、どれほどのキモメンであろうと、振られる事はありえないのだ。大部分の男性は、理想の彼女と一緒に、自閉的な生活を送るようになった。それでも彼らは満足しているようである。
こうして今や、少数の結婚市場に復帰した男性と、大多数の「降りた」男性たち、そして、理想の彼女との競争に晒される女性だけが残った。出生率が回復したと言っても、日本の出生率は世界最低レベルを走り続けている。どうやら経団連は、労働力不足を補うために本当に移民の受け入れを考えているらしい。このままでは1半世紀しないうちに日本人は消滅すると予測している学者も居る。
しかし、再び現実の恋愛へ戻っていった男性も、擬似恋愛を楽しんでいる男性も、それぞれに幸せなようだった。
だが、、、これは本当に人類の進歩なのだろうか? はたして、テクノロジーは本当に我々を幸福にしたのだろうか? 科学技術の進歩によって、最後に生み出されたものが「自由意志による断種」「幸福に包まれた自死」でしかなかったとしたら、数千年に及ぶ人類の歴史は一体何だったのだろうか? 今後の人類の未来を考えるにつけ、私は絶望的な気分になる。
http://anond.hatelabo.jp/20070629163214
そもそも、IT業界だけの話じゃなくて、日本の会社って大概そう。
定時で上がると白眼視されるから、毎日残業。
会社そのものも、こんなに通信や交通が発達している21世紀のくせに、東京や大阪みたいな大都市にばっかり馬鹿みたいに集中してて、通勤だけでも一苦労。
それでも昭和時代は、男は奥さんの内需の功に頼り切って、家庭の事をまるまる奥さんに丸投げできたから良いさ。
でも平成の今の世は違う。奥さんも働きに出る事が多いから、安心して丸投げできない。
これじゃ既婚率も出生率も上がらないのは火を見るより明らかってもの。
それにしても、IT技術者はあまりにも足りなさ過ぎ。
この十年余りで会社にコンピュータが爆発的に普及したというのに、面倒見ることのできる人間が圧倒的に足りない。
しかもIT企業も技術者も東京とか大都市ばかりに集中し過ぎだし、地方の需要を十分満たせていないように思う。
・IT技術を学んだ若者が、地元で働かずみんな東京に出て行ってしまい
・彼らはもちろん東京に住んでしまい
・しかも地方の企業は東京の企業に発注し、その地方の企業の収入が東京へどんどん流れていってしまう
・サポートも東京からいちいち来るので、時間も費用もかかる上に、その分の料金も東京へ流れていってしまう
これはIT業界に限った話じゃないけど、こうやって地元から東京へ人材も金も流出してしまう現象って、どうにかならんもんかね。
「ふるさと納税」なんて提案してる政治家もいるみたいだけど、バッカみたい。地方→大都市へ金と人材が流出して止まない現在のシステムに根本的な欠陥があるから、それを何とか改善しないと、それくらいじゃ焼け石に水だ。
「俺は東京に働きに行かずに、地元でIT企業を設立して、地元企業の発展のために尽くす」なんて気概を持った者があちこちの地方都市に出てくれればいいけど、それはそれでなかなか大変かもしれないし。
世の中、自動的に股を開く女ばかりじゃないってこと。あんたのまわりがどうか、なんて知ったこっちゃないが、それが21世紀だとかそれが世界だとか思わないほうがいいよ。
事実である部分もあるけど、違和感を感じる部分もあるので取り上げてみます。
神話その1
膨張した世界人口を養うだけの食糧が足りない。だから食糧増産が必要だ。
これは確かに神話だね。世界には60億人強の人口を養うには十分な食糧が存在する。
でもそれを供給システムがちゃんと整っていない。
先進国のアメリカでは、3,000万人が充分な食糧を確保できず、アメリカの子供たちの8.5%がお腹をすかせており、20.1%が飢餓に面している。一方、代々アメリカ政府と農家は過剰生産に頭を痛め、1995年にアメリカ政府は300万トン以上の穀類を海外に輸送するのを援助している。
よくアメリカに対するステレオタイプな批判で耳にする台紙だけど、
いくら貧富の格差が激しいアメリカでもこれはないって・・・。
マクドナルドのハンバーガーだって1ドル以下で買えるわけだし。
これは事実だね。先進国はもちろん新興国や途上国でも出生率は減少傾向にある。
女性の地位向上はもちろん重要だけど、避妊などの教育だって重要。
世界中で進む環境破壊が食糧生産のための資源を脅かしていることは確かだが、その逆は必ずしも真ではない。森林破壊の主な原因は大企業にあり、季節はずれやエキゾチックな野菜と果物、または熱帯の木材で先進国消費者を魅惑し、その需要を受けて企業や大地主が途上国で大儲けをしている。
これって欧米(日本もかも)の左翼的というかマルクス主義的な考え方の典型例だね。豊かな人達が「季節はずれやエキゾチックな野菜と果物」を求めて何が悪いの? そういった需要に答えることで新たなビジネスを作ることができるじゃないか?
一分間ごとに6人が農薬中毒にかかり、毎年22万人が農薬のため死亡していると推測されている。
これも確かなデータは無いから何とも言えないけど、ちょっと疑わしい。
だって農薬によって農業生産効率を格段に向上させることが出来るようになったのは事実なんだしさ。
確かに農薬の問題はそれはそれとしてあるけど、でも農業に農薬が使われるようになる前と後では、後のほうが明らかに生産者にとっても消費者にとっても良かったことは疑いないわけで。
神話その5
新しい種の開発で穀物の収穫は確かに増えた。しかし増加した食糧と富を手にしたのは経済力を持った少数という構造は変わらなかった。そのため「緑の革命」の成功例であるインドやメキシコ、フィリピンなどでは穀物生産量と穀物の輸出量は増加したけれど飢餓人口は減らず、むしろ貧しい人々が食べる食糧を栽培する農地が奪われてしまった。
基本的に食糧生産の増加は善で、最終的には全ての人の生活水準を上昇させることにつながるんだから、これもまたステレオタイプな考えだと思う。
神話その6
一般的に国が工業化すればするほど農業従事者の人口に占める割合は減るわけで、それでも食糧生産を増加させなければならなくなる。
そうなると農業従事者1人あたりの生産性を向上させないといけない。
そうなると農業の大規模化を進めなければならなくなる。
民営化が手段であって、それ自体は善でも悪でもない。
民営化をあからさまに賛美したり、拒否したりするのはどちらも正しいとは言えない。
その8 自由貿易が解決策だ
自由貿易だって万能じゃないけど、一般論として自由貿易はそれを行う両国にとってメリットがあるわけで。
ただ敵対的貿易になると危険だけどさ。
例えばブラジルが大豆の輸出を急激に伸ばし日本やヨーロッパに家畜飼料を供給していたとき、ブラジル国内の飢餓人口は3分の1から3分の2に増加した。
「ブラジルの飢餓人口がは3分の1から3分の2」って本当かよ。すげー疑問。
NAFTAやGATT(現在ではWTO)などの貿易振興政策は、世界中で最低の賃金・最悪の労働条件・最低の環境基準の競争をしかけ、労働者たちに国境を越えた「奈落の底へのせめぎ合い」を強制する。
こういう議論は世界中の「富」が一定量しか存在しないという前提でしか成り立たないわけで。ここでいう「富」というのは、人がお金を払って欲しがるもののことね。「価値」と言い換えてもいい。
実際には近代に入って以降、地域によって大きな不均衡はあったけど、世界中の富は一貫して増大し続けている。
だいたい今21世紀初頭に生きてる人間のほとんどは、先進国人であろうと途上国人であろうと20世紀以前の(それぞれの地域の)どんな時代よりも豊かな暮らしをしているわけで。
メキシコとアメリカにその一例が見られるだろう。NAFTA以来アメリカでは25万人、メキシコでは200万人が職を失い、両国において飢餓人口は増え続けている。
確かにアメリカの格差は拡大したかもしれないけど、一方でほとんどの人が今までのどんな時代よりも豊かな生活を享受しているのもまた事実。アメリカで失業者が25万人って、人口3億人のアメリカでは0.1%以下なわけでその程度の失業率の変動なんて市場経済が存在する以上当然存在するんだよ。
メキシコにとっても世界最大の経済大国アメリカと経済関係を深めることは経済成長をする上で重要だ。
ここにも「強いもの=悪」という単純な二元論が読み取れるよね。
確かに先進国からの援助がムダ使いされたり、もっと悪いと被援助国の状況を悪化させてしまうことがあるけど、それでも「先進国からの援助=悪」と単純に決め付けるのはおかしい。
例えば第2次世界大戦後アメリカがヨーロッパ諸国に対して行ったマーシャルプランは大成功したわけで。
結局のところ援助の内容と目的が問題なんだよ。
ビル・トッテン コラム No.771 オープンソースの社内活用
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1183637_629.html
マイクロソフトのビル・ゲイツ会長は、知的所有権を排除しようとする動きを「現代の共産主義者」と呼んだという。
その通りじゃないか。ビル・ゲイツの言うように
「共産主義」という言葉を、極端な場合では、個人がその働きの見返りとして多くの富を築くことは間違いであると信じられているシステム
(*)だと定義するならね。
ただビル・ゲイツは今の情報化社会に対応する著作権・特許制度の改良の必要性を理解しつつも、マイクロソフトのステークホルダーとして今の知的財産権の制度を守らなければならない、というジレンマに陥っている。
従来一つの企業または個人が独占的に所有してきた知的財産そのものが公開され、共有化されることによりその価値が薄れていき、ソフトウェアの世界においてもそれがオープンソースという形態で将来起きうるだろうと予測し、それに備えた移行でもあった。
日本には著作権・知的財産権の保護の強化を叫ぶ人ばかりで実感としてわかないけど、こういう人の存在を考えると欧米にはビル・ゲイツの言うような
クリエイティブな作品のためのインセンティブの仕組みは一切あってはならないと信じる極端な人々
(*)が少なからず存在するんだろうね。
確かに著作権の過剰な保護を求める動きはおかしいけど、知的財産権の価値が薄れていくという考え方もまた極端な主張だ。
著作権、特許制度といったシステムの改良が必要とされているのは確かだけど、その価値が薄れていく、無くなっていくなんてことは有り得ない。
なぜなら創作や技術開発に携わる人達のほとんどは金銭的なインセンティブを必要としているからだ。
必要なのは情報流通が活発化した時代に適した制度に改めることであって、彼が主張するようなことが近い将来に起こることはない。
そもそもオープンソースなんて極論すれば、ビル・トッテンが嫌う金持ちの道楽そのものなんだけど。
彼が個人資産500億ドル(約6兆円)を築いたことを考えれば、私は反マイクロソフトの共産主義者というレッテルを、喜んで張られよう。
この人は金持ちは貧乏人を搾取している、富の総量は限られているなどの大昔の考えの持ち主のようだ。
そのような考えは21世紀はもちろん20世紀のものですらない。
せいぜい19世紀までだ。富の総量が急激に増加し始めたのはいつか? ということで考えれば18世紀末までだろう。
参考リンク:
アシスト、社内オフィスツールをOpenOffice.orgに全面移行
http://opentechpress.jp/news/07/03/16/0940248.shtml
ビル・トッテン コラム No.771 オープンソースの社内活用
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1183637_629.html
しょーもない結論だすな。
その議論のうえにIPCCが組まれ研究し中間報告として出してる情報を信用しなくてどーすんのよ。
意味ないじゃん。
懐疑論は常にあっていいけど、研究者じゃない連中がわかんねーのにいちいち疑っててもしょーがないべ。
これが現実。お花畑を咲かすんじゃない。
http://www.ecology.or.jp/w-topics/wtp11-0702.html
◇第1作業部会報告書の骨子
・1906??2005年の地球の平均気温は0.74度上昇した
・1961??2003年に年1.8ミリの割合で海水面が上昇した
・20世紀半ば以降の気温上昇は、人間活動による確率が90%以上
・20世紀末に比べ21世紀末の平均気温の上昇幅は1.1??6.4度
・猛暑や熱波、豪雨の頻度が増える可能性がかなり高い
もしかしたら部屋のクーラーの温度を1℃上げるくらいに思ってるのかなあとちょっと思った。
そりゃ懐疑的に見ちゃうよねw
20世紀後半に散見されたOTAは21世紀にその数が急速に増加した。20世紀には技術的問題で2次元でしか表現できなかったので、一般人がOTA化するには敷居が高かった。しかし、21世紀初頭に開発されたアンリアルによりほとんど現実と変わらぬ世界で表現できるようになってからOTAは加速度的に増えた。20世紀中に蓄積されたOTA資産を、萌えと呼ばれるそれを、現実と変わらぬ世界で表現したのだ。男は勿論のこと、女もほとんどの者はその魅力的な世界に取り込まれた。当然、反対する者もいた。危険であると。しかし、多くの者は誘惑に勝てずにOTAになった。残った者も少なからずいたが、高齢化していき、その者たちがいなくなるのは時間の問題であった。新たに産まれてきた子供は、当然のようにほとんどがOTA化した。ほとんどの人間がOTA化していたので現実世界を豊かにしようと、面白くしようとする者は数える程しかいなかったが、一方、OTA世界は多くの者が参加し、そしてより面白く、より魅力的にしようという勢い、力があったので、子供たちがOTA化するのも当然であった。そして、加速度的にOTA化が進んだ数十年の後。最後までOTA化に反対していた者は死に、全てがOTAになった。全てがFになった後、もう繰り上がることがないように、人間もそこで歴史が終わった。
第2回目。
1回目見たかった。。
やんぱちで、第2回目の備忘録未満をのっけてみた
・中間層が熱い 消費を楽しむ層が驚異的に増えている。
・巨大ショッピングモールに連日人集合
大型スーパーマーケットチェーン
→何でもあるらしい
→21世紀の予測
→その中でインドが熱い。6%(だったかな)ずつの成長
→2032年に日本を越える?
→2050年には世界3位?
→当初レポートに対して懐疑的、楽観的だったが、
・昔は大富豪か貧困層
→その隙間の中間層が増加
→90年代から
→アメリカから受注増加
→成長
・地方にも広まりつつある中間層
→清潔感を出せば中間層がくるはず
→最優先でごみをすてろー
→衣料品あえて、中間層向けの高級品を扱う
→食料品は品質重視
→レトルト大人気 共働きが増えたから(地方でも同じはずかと予測)
→初日は2万人(?)来場
→ネットに様子を流す
・家電製品
→現在韓国が占め気味。特にLG電子 家電といえばLG電子みたいな
→地域によって気候が変わったり、、高性能をウリに日立が頑張り中
→家電量販店の登場のため、うまく高性能をアピールできず苦戦中
→性能+美で勝負にする
・求める価値観が変わりつつある。
→ワインくらい飲ませろよー
→この流れを懸念する声も
→ガンジーの考えを今一度
→一人一人の収入は少ないが、人数は多い。
貧困層から抜け出そうとしている人も大勢。そこを狙う。
・貧困層から這い上がるのは不可能と思われていた
→成長の可能性がでてきた
→スラムをも巻き込んだ波がきてるらしい。