はてなキーワード: 駄々とは
情報の集中に関しては長短あるけど、事例がなー
子「じゃ、ネットで場所とつかまえ方をくわしく調べてくる!」
一緒に調べてあげようよ。
「確実に」とか、「分かった気になっちゃう」とか書いてる人の言葉とは思えない。確実って気になっちゃってるだけだから。全然確実じゃないから。
クワガタでもどんなクワガタがとか、他におもしろい生物いないかだとか、樹液を出す木の種類だとか、写真や文字と現物とのギャップとか、まだまだ色々あるから。
調べ方だって色々あるから。どんな言葉で、どんな機能で、どんなサイトで調べるのか。情報を発見する喜び、知る楽しさだってひとしおだよ。
探すんだよ。家で探してネットで探して実地で探して。だいたい、準備8割本番2割だよ。本当は。
2割調べて8割外でもいいよ。想像と現実のギャップを知ればいいよ。10割調査じゃ不味いけどナー。そんときはお父ちゃん駄々こねろ。
暗い気持ちになるのが嫌な人は、読まない方がいいと思う。
思うままに、書いてみた。
段々と話の軸がずれて行っているけれど、複雑な感情に支配された混濁した頭では、一貫した文章が書けなかった。
タイトルも、適切かどうかわからない。
なので、主張があるわけじゃないんで、適当に読み流して欲しい。
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僕は、とても生き方が下手だな、とよく思う。
いい話があった時に、丸ごとプラスにとらえればいいのに、マイナスの可能性も疑っておかなければ気が済まない。
それで、マイナスに要素が心配するに値しない、という判断ができて初めて、ホッとしてそれはいいね、って素直に思える。
そんな性格と生き方をしてしまっているから、よく現状に対して不満を持ったり、何か人の行動に対して嫌な気分になったりすることがある。
自分の不満を受け入れてくれるすごくいい人を相手にしても、常にものすごい疑念が生じ、疑いを晴らさずにはいられなくなる。
疑いが晴れないと、どこまでも恨めしく思ってしまう。
そして、そうやって自分を受け入れてくれている人を傷つけている自分が、ものすごく嫌になる。
そういう事が長く続いた時には、ものすごく陰鬱な気分になって、そこから抜け出せなくなる。
そういう時に、自分は鬱なのかもしれない、と考えたりする。
だが、同時に鬱の原因になっている事象に対して、きちんと客観的な視点の下で分析しなおした場合、必ずしも自分が不満に思って批判したい内容が状況に対して適切な批判ばかりではない事が多い。
むしろ、自分の感情やこだわり、子供っぽい部分など、いわゆる「空気読めてる生き方の上手い奴」なら、そんなところにこだわらないで大事なポイントだけしっかり押さえて流してしまうような事がほとんどで、こだわって不満を持つこと自体が自分のわがままなのではないか、と疑ってしまう。
いや、むしろわがままなのだ。それがわかってしまうのだ。
そうなってくると、何が何だか分からなくなる。
自分はその事象や人の行動から強烈な不快感を与えられていて、そのはき出し場を見失って相手にぶつけたりしてしまうのだけれど、その行為を冷徹に見る自分が居て
「お前は子供だな、そんなことも許せないのか」
「単に甘えてるだけだろ?自分の思い通りにいかないから、わがままを言っているんだ」
「大人ならそのくらいの事はさらっと許して、結果を重視しろよ」
・・・そうやって、自分が不満を持っている事を、もう半面の自分が批判を始める。
そう、多分そうやって不満を漏らすのは甘え。鬱な気分、なんて言ってる不満感もただの甘え。
・・・って、もう一人の自分が告げている。
だから、こんな気分なんて人にぶつけちゃいけないんだ。我慢しなきゃいけないんだ。
そんな自問自答が続く。そうなると、すべてが怪しく見えてくる。
鬱なのかもしれないって思う事自体、自分が鬱であってほしいっていう逃避の表れでしょ?って思う。
うつ病なのであれば、自分が不満を持っていたり嫌な気分になっている事に、正当な理由がつくから
「僕は病気なんだ!だから僕を守って!」
って、そういう暗黙の主張をしたいだけでしょ?甘えたいんでしょ?って、冷徹な側の自分が、自分を否定する。
じゃあ、自分の批判していたことは何なんだ?
論理的に考えてみれば、確かに間違っていることだって多いんだけど、それを咎めるのは間違っている、と言われるんだ。
理屈じゃないんだ、ってことは判っている。理屈なんて、前提が変わればいくらでも結果が変わるのだから。
それが分かっているから、「その理屈は何かを自分の意のままにしたいためだけの、自分勝手な理屈でしょ?」って、やっぱり自分が自分を否定する。
そんな事が続くと、自分を否定している自分も、批判の対象になる。
そうやって、判ってるのに上手くできない、っていう事を主張する事で、かわいそうな自分を作ろうとしてるの?って。
自分がわがままを言っているのを正当化するために、「判っているのにできないんだ!」なんて泣きごとを言ってるんじゃない?それで何とかなると思ってるの?許されるつもりなの?って。
いまこの増田を書いている行為でさえ、ただただ賛同者を求めたいだけなんじゃないかと自分で自分を疑っている。
誰かが、君は精神病だからそんなに自分を卑下しなくてもいいよ、って、そんな言葉をかけてくれることを期待しているんじゃないか。。。と疑っている。
そうして自分の不可抗力みたいなもののせいにして、責任を逃れようとしてるだけなんだろう。。。と自分を否定したくなる。
その否定を今書いている行為そのものだって、逃げるなよって非難される事を恐れて書いているだけなんじゃないかって、逃げ腰な自分が浮かんできて、自分を認めたくなくなる。
もう、書き続けてしまったら終わらない。
くるしい。
くるしい。
この事を色んな人に相談したら、もっと強くならないとって言われる。
皆、口をそろえてそう言う。
そんなに自分を卑下しないでって。
君はしっかりやれているよって、言う。
強くって何?もっとこらえるの?こういう最低な気持ちをニコニコ笑って耐え続けるの?
こういう気持ちを持たないようにするの?
どうやって?
誰が僕の、何の考えを肯定してくれるの?
でもね、この考えを肯定すると、僕を認めてくれた、僕の大好きな人に正面から切りつけるような言葉を浴びせなきゃいけないんだ。
それが正しい場合だってあるかもしれないけど、人を傷つける言葉を吐き続けるような行為は、絶対に正しくない事ぐらい、すぐ分かるじゃないか。
人を傷つけるだけの言葉を吐く人に、正しい事を言っている人なんて、居ない。
そんなこと、判ってるんだ。
じゃあ、僕の何を認めればいいの?
死にたいと思う。
でも、ベランダに立つと、足がすくんで、心が委縮して、それ以上進めない。
死ぬのが怖いと思う。
だから死なない。
死ぬ勇気がないから死ねない。それって死にたいわけじゃないんでしょ?
誰かに心配して欲しいだけじゃないか。気を引きたいだけじゃないか。
またループ。
一つずつ、一歩ずつ変えて行けばいいという。
だから一歩ずつ変えて行った。
口角を挙げる練習をした。
疑わないように思いこむ練習をした。
唇を噛んで、目をつぶって、深呼吸をして、こぶしを握り締めながら、必死に笑顔を作るようにしてきた。
無理やり笑った。
見ないふりをした。
でも、変える事がストレスになってしまった。切れるのが早くなった。
批判ではなくなった。罵るようになった。
段々と相手を選ばなくなってきた。
もう何度も反省して、何度も謝った。
謝罪の言葉なんて、もう意味を持たないものになった。ただの形になってしまった。
心から謝りたい。
けれど、それは変われない自分の逃げでしかなくて。
もう自分が嫌だ。
もう僕に、人を傷つけさせないで。
罵る僕を前にして、涙をこらえて唇をかみしめて、やさしさが伝わらない悔しさをぐっとこらえる人の、悲しそうな眼を思い出すたびに、僕は悔しさと悲しさが止まらない。
自分のふがいなさに悔しくて泣けてきて、嗚咽が漏れそうになる。
泣いて何が変わるのか。泣いている自分を使って、自分を許すつもりなの?
誰か教えて。
どうやれば変われるの?どうすれば、人を傷つけずに、疑わずに、怒らずに済むの?
誰か助けて。
そうやって、誰かが救ってくれるのを待つのだって、自力で自分を変えて行く事から逃げる、自分への甘えでしょ?
自分に厳しくできないだけでしょ?
そして、またループ。
公開初日にヱバ破を見に行きましたが、非常に残念な内容でした。
以下ネタばれしつつ、不満点を箇条書き
1 戦闘ばっかしてるわりに、1つの戦闘シーンに危機感がゼロ
冒頭から最後までひたすら戦闘シーンが繰り返されるわりに、1つ1つの戦闘が使途登場→ヱバ登場→コアこわして血がドバーーーって展開だけ。
まけちゃうーーーっていう危機感とか、その状況からみんなで力をあわせてやっつけるんだ!的な高揚感は皆無。また使途があっさりまけてしまうので、強い敵に勝った的な充足感もない。
2 心理描写の欠如
戦闘→なんか会話→戦闘なので登場人物の心理描写がほとんどない。アスカがどういう孤独で生きてきたかもわからないし、それがわからないから何故突然布団に入ってきて話をしだすのかが伝わってこない。アニメでは加持への依存という形で上手に描かれていた部分だっただけに残念。さらにレイに嫉妬して料理をはじめるのだが、それも理由が伝わってこない。さらにいきなりレイの変わりに起動実験に志願するのだが、その理由も強く伝わってこないし(レイがシンジを好きだからとりもってあげようぐらいの気持ちというはわかったが、彼女のナンバー1への依存という部分が欠けている)、そもそも人選は葛木が決めたはず、しかも酔っ払いながら。それほど適当に決めたあたり人選の深刻さが伝わらないから、アスカが代役を立候補したあたりの深さが伝わってこない。そもそも招待状わたしておいてレイを選ぶなよとか。
そのあたりがうやむやのまま起動実験で大爆発がおこるから「あー、アスカがトウジの変わりに死ぬのか」ぐらいにしか思えない。
しかもそのぐらいの軽い心理描写だからアニメ版では「親友殺し」という精神的ショックを受けるシンジに感情移入できるのだが、映画では突然やってきたわけわからん目立ちたがり屋の女の子が事故に巻き込まれたぐらいでしかない。全く持って泣けない。あー、アスカ死んじゃったよ運が悪かったねぐらい。
3 アニメ版と被っている部分と新作の部分がシンクロしていない
エレベーターでの会話や3号機の暴走など、アニメ版と被っているエピソードもあるが、その他がまったくの新作であるため、本来は「ここってアニメではこういう状態だったけど映画ではこう描かれているってことはこういう解釈?」みたいな微妙な違いを判断できない。シンジの立てこもりエピソードも、アスカに対しての感情移入ができない状態で事故がおこるから、「シンジはいったい何に対してそんなに怒っているんだろう」ぐらいにしか伝わってこない。普通に子供の駄々だった。
カヲルは次回から大活躍っぽい登場だったがマリが完全にいらない。密入国しなきゃいけない意味もわからないし密入国なのになんでパラシュート?とか、シンジに見つかってる時点で大失敗じゃね?というか普通パラシュートで学校の屋上に着地したら校庭でみてた生徒とかが大騒ぎするだろうし、すぐ先生が駆けつけて大騒ぎにならねーか?みたいなツッコミどころが満載。(パンフみたら冒頭5分で死ぬ役回りだったのがあそこまでひっぱられたらしいが。)
アニメ版ではレイの特攻をみてシンジがめざめたはずが、特攻してるときに肝心のシンジはシェルターで引きこもっていて見ていないから無意味に。しかもレイが何故特攻しなきゃいけないかの部分もなし。で、レイ、使途に食われるの巻で変な挿入歌が入ってどっちらけになる。シンジはレイを助けたいだけで、ツバサが欲しいわけじゃない。
6 まとめ
とはいいつつも映像は綺麗だったし、「わけわからないところや説明不足はあとでネットなどつかって補完して楽しむ」という部分はヱバらしいといえばヱバらしい。
しかし、このままでは「一部コアなファンのためのロボットアニメ」だ。しばらくはAKIRAを越えられそうない。
何かいろいろ気持ち悪い。
想像力が小学生並み。小学校の頃に相手の立場に立って考えましょう、って教わらなかった?
この場合、相手の女の子は元増田に、感謝の気持ちを持ってる(最悪でも感謝すべきと考えている)のは明らかですよね?メール送ってきてるんだから。
なのに、それが元増田の期待通りの形での感謝でなかったから、そいつ終わってる?は?どう見ても、「お母さん、○○買ってくれるっていったのに、間違って××買ってきたああ!バカバカあああ、こんなのゴミだああ、もうお母さんなんて大ッキライ!」って駄々をこねてる幼児にしか見えないんですけど。
自分の基準・考え方でしか他人を見てない。そもそも他人の行動だけを見てのレッテル張り、バカ呼ばわり。他人を見る気、ないでしょ?
世の中、いろんな人がいます。
「同期だし、今はメールぐらいでいっか。今度何かあったらそんときに恩返ししよ。」
「同期だけど、年上の人だし、そんなに親しくもないし、きっちり返金しとくべきだな。」
「結構大金だけど、全然気にしてないっぽいメール来た。優しくて、ずいぶん気前のいい人なんだなあ。」
こういった様々な人に、自分の感じていることを伝えようと努力してませんよね?
逆に、こういった様々な人がどう感じているか、受け取ろうとしてないですよね?
元増田のコミュ力ゼロです。元増田が人を使うのが仕事の上司になるとか、冗談でしょう。
ついでに、礼儀とか常識は、奴らより俺様の方がデキる(笑)という優越感ゲームのための玩具じゃないです。
元増田がイライラして喚き散らすのにお墨付きにするための道具でもないです。
みんなで仲良くするために便利な単なる目安の基準。場所と人によって、ころころ変わる。
シンジくんという男の子が生き別れていたお父ちゃんに急に呼び出されて「エヴァンゲリオン」というロボット(的なもの)に乗って
イヤン、と駄々をこねていたら「じゃあレイに乗ってもらうけんいいよ」と父。
担架に乗って包帯まみれのレイ登場。そんなん、怪我しとうよ、無理やけん俺乗っちゃる。
「こいつ、動くぞ」エヴァンゲリオン(エヴァ)に乗って使徒と戦うシンジ。エイヤァ、ポカポカ。勝つシンジ。
やったー!これでおしまい。とか思っていたら次々にやってくる使徒。乗るのが嫌になり逃げるシンジ。
どうにかこうにか丸め込まれるシンジ。ドイツからおきゃんな女の子アスカもやってきて、エヴァの乗り手は3人に。
3人でわいわいとやっていたら、アスカが「自分はいらない子。ドリカムの西川くんのごとく」とか言っちゃって鬱になっちゃう。
こりゃあ、新しいエヴァの乗り手探さなあかんと。で、新しい子カヲルくんがやってくる。
仲良くやろうね、よかったね。と思った矢先、このカヲルくんがなんと使徒だったことが発覚。
えーい、こいつぅ、騙しやがって~!プチッとひねりつぶす。
おめでとう、おめでとう、おめでとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。
完(ここまでがTV)
なんだか偉い人が「エヴァっていらないよね」とか言い出す。偉い人たちみんな賛同。
軍隊使ってネルフ(エヴァ操るとこの本拠地)を攻撃。力って正義。
ネルフの従業員がみんな軍隊に殺されちゃっている。こうなりゃ、エヴァの運転手だけは守らにゃいけんと。どげんかせんといかんと。
アンニュイで鬱になっちまっているアスカをとりあえずエヴァ2号に乗せて湖に沈めときゃ安全だろうと。浅はかな考えをと。
シンジも取り合えずエヴァに乗せてどうにかしたいけど「乗りたくないよう」と駄々コネまくっている。
そうこうしているうちに湖に沈んでいるアスカ、軍隊に発見される。
水越しにボッコンボッコン攻撃。こわいよう、こわいよう。でも、お母さんが見ているから安心よ。とかかんとか。
何だかんだで吹っ切れてアスカ大暴れ。エヴァの前では軍事力も春風のよう。
やっとこさGA隊やっつけたら、シータのごとく白いエヴァが空から降ってきた。それもけっこうな数。
白いエヴァがアスカを攻撃。アスカはひるまず白いエヴァをボッコボコ。やっとこさ倒したと、お茶の子さいさいだと。
あらあら、白エヴァ自動再生。すでにアスカのエヴァは電池切れ。単4.
あわれ、アスカ。ダチョウの竜ちゃんのように白いエヴァによってたかってフルボッコ。クルリンパ。
そのころのシンジ。泣いてばかり。トラウマが呼び起こされ、クヨクヨしまくり。
いつまでもM1にこだわるブラマヨの吉田のごとく、昔にしがみつく。ウザ。
僕を愛して~とか、僕をわかって~とか、生まれたところや皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろ~とか、言っている。ブルーハーツはいいよね。
なぜだかレイはマシュマロマンみたいにでっかくなっちゃったりしてたね、たしか。
そんでマシュマロにさわったらトルンって人間が溶けちゃうの不思議だよね。化学反応かな?教えて、でんじろう先生!
そいでもって、マシュマロが超でかくなって、地球を包んでしまうの。
変と変を集めてもっと変にしましょ、変な変な地球はた・い・へ・んダダダ!なの。
マシュマロがどんどんどんどんでっかくなっちゃって、地球を包んじまって、人間はみんな溶けてしまっちゃったの。あれまあ。
でも、シンジは生きていたの。まんまと。おまけにアスカも生きていたの。
アスカが目を覚まして
「気持ち悪い」
ーーーーーー完
両親と一緒にいたいのならフィリピンに行けばいいよ。行ってしまえと思ってるんじゃなくて、本当にそう思うんだ。
私ものり子ちゃんよりも小さな小4だったころ、父親の仕事の都合で問答無用でフィリピンに引っ越しになって5年駐在したのね。当然、日本語しか話せなくて、そりゃあ始めは不安だったよ。日本には友達がたくさんいたし、見ず知らずの国に行くのは嫌だと駄々をこねた。祖父母は私を預かると言ってくれたそうだけど、両親は子供の大事な時期に一緒にいられないことの方が問題だと思ったらしい。
父親は英語しか話せなかったし、母親はそれすら微妙だし、親戚も頼る人もないしで、初の海外生活はあなたのおうちよりもよっぽど外様のスタートでした。だけど5年間で私は日本にいては分からなかったことをたくさん学べたような気がするんだ(残念ながら語学は身につかなかったので今でも日本語しか話せないけどね)。
それは世界には色々な人がいて、色々なことを考えている人がいて、その与えられた環境で楽しみを見つけて、精一杯生きているということ。あなたの両親が日本に居られないのは不幸なことかもしれないけど、私の父親だって家族を抱えて路頭に迷うわけにはいかず、社命に逆らうことはできなかった。社会的に国外退去と同じなのね。それでも、最初は落ち込んでいた両親も私も、新たな土地で楽しみを見つけてフィリピン生活を満喫していたと思う。たくさんの現地の人と知り合って、その人たちの喜びを知って、身振り手振りだけで会話することはとても楽しいことでした。
そしてなによりあの5年間で得たのは、間違いなく家族の絆でした。次々とやってくる戸惑いや試練を家族で乗り越えた、そういう自信があります。これは私が祖父母の元にいては分からないことだったと思う。今となっては、あの時、両親と一緒に行って良かったと心から思います。
フィリピンはそりゃあ日本よりちょっとは不便だけどいい国です。明るくって活気があって。どうか、そんなにも怖い、寂しい国だと思わないで欲しい。それでもどうしても日本がいいなら、自力で生活できるようになってから日本に留学してきてください。私は、あの5年間で築いた家族の絆があるから、今ひとりで生活出来ています。
【追伸】のり子ちゃんが日本語しか分からないなら、日本人学校という選択肢もあるんじゃないかな?日本人学校は単なる私立だから入ろうと思ったら入れるよ。日本語でもしっかり生活できるし、友達も出来るよ。
結局のところ俺自身も反感あるし、日本で在日の方に対する“差別”とかいうものがあるとすれば
それは自分たちが反日教育で招いたツケなんだろうと思うよ。ちょっと断ずるけど。
俺も思春期の頃に日本本土に引っ越しして本土で『島人、土人』と言われさんざん喧嘩したことはあるし、実際に島のオヤジたちの気性は朝鮮系の方々に近くとも遠からず粗暴で酒乱で犯罪気質なこともあるのは重々承知しているからそれはおとなしくて優しい日本本土の方々からすれば迷惑だろうと納得しているし。
差別されて当然だと思うよ島んちゅも。
迷惑はかけたくはないけれどそういう気質もむしろアイデンティティなわけで。
戦後の一時期島んちゅもそれを“差別”として琉球青年団が朝鮮総連なんかとつるんで差別反対やってたのも知ってる。
ただ琉球と朝鮮が違うのは琉球は沖縄県として日本に本土復帰できたわけ。
それでものすごく島の人たちは安心した。反日がかなりおさまったのよ。
俺は朝鮮半島は日本から切り離されたから駄々こねてるんだろうと思う時があるよ。
“差別”を無くしたいのならば日本に憎悪感を抱かせる教育をまずやめてくれ。民族教育とか言ってるけど反日教育でしょ。
そして自分たちを代表している団体なりリーダーなりが日本に対する好感を表明したり貢献したりしなきゃ駄目なんじゃないの?
とにかく在日の朝鮮半島の方々の日本に対する態度や主張は反日に凝り固まりすぎ。
そう思わないの?在日の方々。
ミスを指摘されると、どういう言い方であったとしても、絶対に認めない人間ってのがいる。
殆どの人間は、認めなくても仕事なんだから、諦めて対応する道を選ぶ。
自尊心やプライドはそのままで対応する方法はいろいろあると思う。
自分は聞いていなかった、知らなかったから悪くない->今から対応する自分は別に悪くない
自分の考える答えの方が正しいから悪くない->その根拠を示した上で判断を他者(客観的)に委ねて、それにしたがう
ミス、不具合ジャアリマセン、仕様です->仕様改修と言い換えれば受けます
(認めたくないので)->こっそり直しておく
etcetc...
でも、絶対に「自分が正しい」一点張りで対応しない人間ってのがいる。
間違いを絶対にしない人間なんてない。
だから、その人間「だけ」が間違っている、なんて思わない。
その人間が一人で勝手に判断し、突っ走ったとしても、そうさせた環境が悪いだろう。
けれど、ミスが露見した時点で、ただただ「自分正しい」だけを主張しても、何の意味もないと思う。
対応するか、ミスではない根拠を示すか、どちらかだ。
若い技術者に、こうした傾向がある事は理解できる。
という、青さがそうさせるのだと思う。
フロントに立って対応すれば、根拠も出せないプライドなんて何の力もない事はすぐに無意味だって気づかされる。
けど、頭の禿げあがった「ベテラン技術者」でもそうした主張を繰り返す人間がいる。
まるで子供のように顔を真っ赤にして激高して、自分は悪くないを繰り返して、何十歳も年下の技術者を困らせている。
生真面目な彼は、無視する事もせずに、ホウレンソウをしては、駄々をこねられて、結局自分で対応しているらしい。
彼だけではない。時折直接顧客から出されるクレームにも、頭を真っ赤にさせて「分かってないくせに」と口にしている。
「技術と信用さえあれば自分を悪いなんて事は口にしない。そういう事を言う人間は物事を分かってない」
んだそうだ。(結果がおかしいという報告、確認=自分が悪く言われる、と変換されている)
少なくともそんな人間はフロントに出さないし、毎度駄々をこねようが、別の人間がちゃんとフォローしてる。
ただ、自分には子供が独り立ちするような年齢まで、そんなままに歳を食う方法が分からない。
雇ってくれる会社がいて、そこに居座れる理由が分からない。
年齢=そういうズルさを身につけているものだ、というだけかもしれないし、
実際問題、そうした人間を一人と数える事も、その人間に全て任せてよしとも思ってないけれど、
若い技術者の一人は、もう彼と同じ「ゴネ得」を取得しつつあるし、
また別の一人は、真面目に対応する事(彼のお守、と評されている)に嫌気を感じ始めている。
まあ、ごくごく単純にすごーく間違ってますね。
元増田の思想の前提が、競争社会で生き残る事を主義にしてるんだろうけども、根幹はそこではない。
そもそも国というのは「人間がよりよく生きるための集合体」でしかない。
そこに集う人間に優劣があるのは今に始まった事じゃないし、だからといって劣る人を「努力しないのが悪い」という一元論で片付けるのは、あまりにもお粗末な言い分で、協調性に欠けている。
まぁ、もちろん中には「努力しないのが悪いやつ」が居るのはわかるよ。
でも、ハッキリ言ってそういうヤツが駄々をこねて、そしてそれをカバーしなければならないのはしょうがない。
何故なら、そういうヤツらを怒って、優れたヤツだけがいい思いをすればいいって理屈で話を進めてしまうと、元増田のアナタでさえ、アナタより優れた人から「いらない」と言われる人であるからだ。
つまり、「人がよりよく生きる」事をプロデュースすべきである、国や社会は、劣っている人のほうに足並みをそろえなければならない。
優れた人が劣っている人に足並みを合わせることは可能だが、劣っている人が優れている人に足並みを合わせることは不可能だからだ。
自分さえよければいい、優れている人だけよければいい、そういった考えは、国という存在が何故あるのか?とうい事を問いただしたうえで、大きな間違いです。
これが国のやっている義務です。
その労働が大幅に危うくなっているから問題なんである。
例えば派遣きりの理由、「いらなくなったから切れる所を切った」という理由は、たしかに会社として判断として正しい。
しかし、だからといって問題が収まるわけではない。
どんな正しい言い分であっても、大切な問題の本質は人が生きれるかどうか、という事なのです。
自分は女だが「仕事と家庭とどっちが大事なの」は一番いっちゃいけないことだと思うなぁ。だってどっちも大切なのはわかりきってるし、どっちか選ぶことなんてできないわけだし、単に困らせたいだけの質問をするひとってどうなのよと思ってしまう。
ただ娘さんがいるんだよね。もしかしたら増田のいないところで娘さんが今日はやたらぐずったとかそういうことがあったのかもしれない。奥さんもなんか体がきついとか。増田も泊まりで大変だと思うけど、体がきつい時に子供にごねられるとものすごい理不尽な目にあってるような気になるんだよね。子供ってひかないから。共働きで普段面倒みてない負い目なんかもあるんじゃないの。定時退社実はしにくい雰囲気があるとか。育児ってさ「育児」っていう仕事なんだよ。しかも顧客が意味分かんないこと言って駄々コネまくりなわけ。それで共働きというのは奥さんからすれば「仕事」と「育児」という2足のわらじをはいてる状態に等しいわけ。奥さんはむしろ自分に「仕事と育児どっちが大事なんだ」って聞きたいんじゃないかなぁ。子供におまえなんか産みたくなかった!って言いたくなるようなことがあったのかもしれないけどそれを飲み込んで増田にぶつけてるような感じもするよ。
とりあえず会話だけでおさめるのは難しいものがあるので、どういう大変なことがあるのか書き出してもらうといいんじゃないかな。こんなに家事やってる!っていうのが自分にはどうしても見えないから書き出してほしいって。そんで自分のやってる分も書く。たぶん見た目で比較できるからお互いに冷静になれると思う。
給料は同じくらいみたいだけど働いてる時間とかそういうのも込みで1週間の生活を目に見える形にしてみるといいかもしれない。予測不能な事態はたくさん出てくると思うけれども、1週間こうするつもりという予定を二人で立てて、毎日何したか書いて、1週間が終わった時に予定と比較してみる。言葉と数字と量と、そういう客観的な事実を並べるしかないよ。グーグルカレンダーでも使ってさ。二人で共有してさ。
あとさ、離婚の序章じゃなんていってないで結婚の通過儀礼だとおもってふんばりなよ。あんまりにも残業が多すぎるんだったら労基突っ込みな。週3日も泊まりはおかしいって。過労死したら何もかも終わりなんだから。
「体罰が子供のためになるかならないか」みたいな議論を眺めていて思うんだけど、これ、「自分の受けた体罰が自分のためになっているかどうか」って視点で考えてみたらどうだろう。「自分のためになったかどうか」は「いまの子供のためになるかどうか」なんかよりはるかに明確な答えを出せる問題だし、そこから議論を始めても良いんじゃないだろうか。「子供のころ体罰を受けてためになったから自分も体罰する」なら一応筋は通るけど(個人的にはそれでも嫌だけど)、「子供のころ体罰を受けたから自分も体罰する」じゃ危ない人の論理だよね。「ためになった」にしろ「ならなかった」にしろ、体罰が日常茶飯事だった20代か30代以上の世代ならきっとみんな即答できるだろうと思うんだけど、どうかな。
私(1980年生♂)の場合、特にためになったことはない気がする。強いて言えば「先生だって聖人君子じゃない」って学んだことが収穫だろうか。叩かれたり殴られたり引き摺られたり投げ飛ばされたり水に沈められたり色々あったけど(これでも私は成績優秀、品行方正で生徒会役員だったりする優等生でした)、たいてい先生の勘違いか、そうでなければ単なる連帯責任。先生を侮る理由になりこそすれ、敬う理由になることなんてなかった。逆に「この先生のおかげで成長したなあ」と思える先生は体罰なんてしなかった人ばかりだったな。そういう先生のお説教には手を出さずとも有無を言わさない説得力があった。「信頼できる先生からの体罰なら身に染みるのかも」とも思うんだけど、信頼できる先生って体罰しないんだよね。ということで、少なくとも私の経験から考えれば「体罰=短気で能力のない先生が駄々をこねている」という解釈が一番しっくりくる。個人的には「学校での体罰が役に立った」なんて人が本当にいるのか疑問に思ってるくらいなんだけど……学校で体罰うけて成長した人、いる?
理系でも文系でもいいから自称「論理的」をネットで見るとこっちが恥ずかしくなる。
ぽいだけじゃん。雰囲気だけじゃんって。なになにであろう。とか大げさで上から目線の政治論とかも同じ気分。
その上でうわーたいしたこと言ってねーってかそれ以前に価値観おかしいーーーどこの現実を見つめとるんだーーーー!って思えてくるとかなり疲れる。
ってか論理的って言われたりそういう雰囲気出されるとあの「正論なのに!」って言ってる人らみたいに自分の厨2な意見を相手にしてくれなくて駄々こねてる人らと同じように思える。論理的とか正論とかよく自分で評価できるわ。
あと上の旧帝って書く意味あんの?何かの誘導か確信もたせるとかなんか効果が見えないんだが。旧帝って書いて、気持ちでも何でも「理系のほうがそうだ」っていう風にどうやって流れるの?By理系卒とか総合大卒とかなら見比べて言ってるんだなぁと思えるけど。総合大できちんと比べてますよってことでOK?
あー元増田のタイトル考慮し忘れた。あれ見ると書きたくなる気持ちもちょっとわかった。
ついでに自分の主張しとくと、態度は理系っぽい!って言う印象受けるかもしれないけど、あんまり文理関係なくね?と言うよりも他の要素の方が因子として大きいと言うか。