2009-07-27

止まらない、自分否定の負のループ

暗い気持ちになるのが嫌な人は、読まない方がいいと思う。

思うままに、書いてみた。

段々と話の軸がずれて行っているけれど、複雑な感情に支配された混濁した頭では、一貫した文章が書けなかった。

タイトルも、適切かどうかわからない。

なので、主張があるわけじゃないんで、適当に読み流して欲しい。

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僕は、とても生き方が下手だな、とよく思う。

いい話があった時に、丸ごとプラスにとらえればいいのに、マイナスの可能性も疑っておかなければ気が済まない。

それで、マイナスに要素が心配するに値しない、という判断ができて初めて、ホッとしてそれはいいね、って素直に思える。

そんな性格生き方をしてしまっているから、よく現状に対して不満を持ったり、何か人の行動に対して嫌な気分になったりすることがある。

自分の不満を受け入れてくれるすごくいい人を相手にしても、常にものすごい疑念が生じ、疑いを晴らさずにはいられなくなる。

疑いが晴れないと、どこまでも恨めしく思ってしまう。

そして、そうやって自分を受け入れてくれている人を傷つけている自分が、ものすごく嫌になる。

そういう事が長く続いた時には、ものすごく陰鬱な気分になって、そこから抜け出せなくなる。

そういう時に、自分は鬱なのかもしれない、と考えたりする。

だが、同時に鬱の原因になっている事象に対して、きちんと客観的な視点の下で分析しなおした場合、必ずしも自分が不満に思って批判したい内容が状況に対して適切な批判ばかりではない事が多い。

むしろ、自分の感情やこだわり、子供っぽい部分など、いわゆる「空気読めてる生き方の上手い奴」なら、そんなところにこだわらないで大事なポイントだけしっかり押さえて流してしまうような事がほとんどで、こだわって不満を持つこと自体が自分わがままなのではないか、と疑ってしまう。

いや、むしろわがままなのだ。それがわかってしまうのだ。

そうなってくると、何が何だか分からなくなる。

自分はその事象や人の行動から強烈な不快感を与えられていて、そのはき出し場を見失って相手にぶつけたりしてしまうのだけれど、その行為を冷徹に見る自分が居て

「お前は子供だな、そんなことも許せないのか」

「単に甘えてるだけだろ?自分の思い通りにいかないから、わがままを言っているんだ」

「大人ならそのくらいの事はさらっと許して、結果を重視しろよ」

・・・そうやって、自分が不満を持っている事を、もう半面の自分が批判を始める。

そう、多分そうやって不満を漏らすのは甘え。鬱な気分、なんて言ってる不満感もただの甘え。

子供駄々こねて、ダメって言われた時の不満。

・・・って、もう一人の自分が告げている。

だから、こんな気分なんて人にぶつけちゃいけないんだ。我慢しなきゃいけないんだ。

そんな自問自答が続く。そうなると、すべてが怪しく見えてくる。

鬱なのかもしれないって思う事自体、自分が鬱であってほしいっていう逃避の表れでしょ?って思う。

うつ病なのであれば、自分が不満を持っていたり嫌な気分になっている事に、正当な理由がつくから

「僕は病気なんだ!だから僕を守って!」

って、そういう暗黙の主張をしたいだけでしょ?甘えたいんでしょ?って、冷徹な側の自分が、自分を否定する。

じゃあ、自分の批判していたことは何なんだ?

論理的に考えてみれば、確かに間違っていることだって多いんだけど、それを咎めるのは間違っている、と言われるんだ。

理屈じゃないんだ、ってことは判っている。理屈なんて、前提が変わればいくらでも結果が変わるのだから。

それが分かっているから、「その理屈は何かを自分の意のままにしたいためだけの、自分勝手理屈でしょ?」って、やっぱり自分自分を否定する。

そんな事が続くと、自分を否定している自分も、批判の対象になる。

そうやって、判ってるのに上手くできない、っていう事を主張する事で、かわいそうな自分を作ろうとしてるの?って。

自分わがままを言っているのを正当化するために、「判っているのにできないんだ!」なんて泣きごとを言ってるんじゃない?それで何とかなると思ってるの?許されるつもりなの?って。

永遠に止まらない自分否定のループ

いまこの増田を書いている行為でさえ、ただただ賛同者を求めたいだけなんじゃないかと自分自分を疑っている。

誰かが、君は精神病だからそんなに自分を卑下しなくてもいいよ、って、そんな言葉をかけてくれることを期待しているんじゃないか。。。と疑っている。

そうして自分不可抗力みたいなもののせいにして、責任を逃れようとしてるだけなんだろう。。。と自分を否定したくなる。

その否定を今書いている行為そのものだって、逃げるなよって非難される事を恐れて書いているだけなんじゃないかって、逃げ腰な自分が浮かんできて、自分を認めたくなくなる。

もう、書き続けてしまったら終わらない。

くるしい。

くるしい。

この事を色んな人に相談したら、もっと強くならないとって言われる。

皆、口をそろえてそう言う。

そんなに自分を卑下しないでって。

君はしっかりやれているよって、言う。

強くって何?もっとこらえるの?こういう最低な気持ちをニコニコ笑って耐え続けるの?

こういう気持ちを持たないようにするの?

どうやって?

誰が僕の、何の考えを肯定してくれるの?

でもね、この考えを肯定すると、僕を認めてくれた、僕の大好きな人に正面から切りつけるような言葉を浴びせなきゃいけないんだ。

それが正しい場合だってあるかもしれないけど、人を傷つける言葉を吐き続けるような行為は、絶対に正しくない事ぐらい、すぐ分かるじゃないか。

人を傷つけるだけの言葉を吐く人に、正しい事を言っている人なんて、居ない。

理屈じゃない。真実だ。

そんなこと、判ってるんだ。

じゃあ、僕の何を認めればいいの?

死にたいと思う。

でも、ベランダに立つと、足がすくんで、心が委縮して、それ以上進めない。

死ぬのが怖いと思う。

だから死なない。

死ぬ勇気がないから死ねない。それって死にたいわけじゃないんでしょ?

誰かに心配して欲しいだけじゃないか。気を引きたいだけじゃないか。

またループ

一つずつ、一歩ずつ変えて行けばいいという。

だから一歩ずつ変えて行った。

口角を挙げる練習をした。

疑わないように思いこむ練習をした。

唇を噛んで、目をつぶって、深呼吸をして、こぶしを握り締めながら、必死に笑顔を作るようにしてきた。

無理やり笑った。

見ないふりをした。

でも、変える事がストレスになってしまった。切れるのが早くなった。

批判ではなくなった。罵るようになった。

段々と相手を選ばなくなってきた。

もう何度も反省して、何度も謝った。

謝罪の言葉なんて、もう意味を持たないものになった。ただの形になってしまった。

心から謝りたい。

けれど、それは変われない自分の逃げでしかなくて。

もう自分が嫌だ。

もう僕に、人を傷つけさせないで。

罵る僕を前にして、涙をこらえて唇をかみしめて、やさしさが伝わらない悔しさをぐっとこらえる人の、悲しそうな眼を思い出すたびに、僕は悔しさと悲しさが止まらない。

自分のふがいなさに悔しくて泣けてきて、嗚咽が漏れそうになる。

泣いて何が変わるのか。泣いている自分を使って、自分を許すつもりなの?

誰か教えて。

どうやれば変われるの?どうすれば、人を傷つけずに、疑わずに、怒らずに済むの?

誰か助けて。



そうやって、誰かが救ってくれるのを待つのだって、自力で自分を変えて行く事から逃げる、自分への甘えでしょ?

自分に厳しくできないだけでしょ?

自分の弱さを変える努力が、できないだけでしょ?

そして、またループ

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