はてなキーワード: 駄々とは
俺も痛みと麻酔で錯乱と朦朧とした状態を交互に繰り返した祖母の付き添いから看取りまでを親としたが、
目の前で見たからこそ、それを本人に言ったり、思う事はできねえよ。
見たくなかった、という気持ちはあっても、それは俺の身勝手な希望であって、
本人に対して人の親だから、最後まで自分を曝け出すな、なんて絶対思えない。
(っても暴れて叩かれる、食器をひっくり返すって類だが)
時々我に返った時に、そうした記憶ってうっすら残ってるのな。
自分はおかしくなった、って泣いて詫びる祖母に
「いいよ、気にしなくていいよ」って言い続けた。
それは本心以外の何者でもないぜ。
今の今まで親を人間と考える機会がなかった、って奴は別としても
実際に目の当たりにしたのに
お前は親なんだから、苦しくても辛くても、そうした部分を曝け出すな、って
どうして思えるんだろう?
正直不思議だ。
俺は肉親に対して甘いのか?
時々過激な主張をする人をみるけれど、題意の通りのことを感じる。
おれ口げんか強い。とかおれは言い合いでは負けないとか思っているのかまではわからないけど
むちゃくちゃな論理で反論できないだろ??って態度をみると、あまり良い気分ではない。
0,1%ぐらいの可能性でしか起きないことを根拠にしても意味ない。
一見するとありえるから、まぁそういうこともあるけど・・って話をまとめさせられそうになるが、
それは違うだろ。考えの否定はしないけど、その考えを全ての人が適用すべきスタンダードだろ的にいわれても困る。
小さな表現のミスを取り上げてなにがなんでも相手を貶めようとする。あるいは、話がうまく噛み合わないとすぐに
読解力のミスだなんだと悪口がはじまり、本論からそれて二度と戻らない。
・話の中の言葉の定義が噛み合わないと、お前のいってること俺と違うとすぐに見下す。いやいや説明不足・理解不足は
双方の問題なんだから、別にいいなおせばいいじゃん。
・証明を相手にさせようとする。データ。データ。データとばかりいわれても疲れる。所詮統計やら何やらをひっぱっても上記のようにデータの定義や調査方法のアラばかり探すだろうし、最初の極論の件と絡めて、すぐにこのデータは信用ならんとかどうせ言うだろうに。というかそもそも議論できる(結論が出る)テーマ、できないテーマの区別もつかずに、言い負けなかったから勝ち!!みたいのは辞めて欲しい。
結局話をみていると、俺のことを認めろよ。の一言に尽きるようにみえる。私的な動機で動くのは構いはしないけど。自分の書き込みでなにかを訴えようとしているものが、俺のこと認めろよってだけの目的の文章だと浅ましさしか感じない。
最初に書いたけど、考えを否定するつもりはないよ。0、1%の分の悪い賭けを信じてやり続けるのは別に良いよ。ただそれを自覚せずに吠え散らかしているのをみると、ただ疲れる。http://anond.hatelabo.jp/20100628010647 こういうのをみていてそう思った。
過剰にサービスを手厚くすることは己の首を絞める危険な行為である。
私がどのようにして判断を誤りそうになり、そしてどのようにして危ういところで軌道修正できたのかをここに書き残しておこうと思う。
「何か食べたい」
と言い出した。
一時間前に中途半端に食べて残しただろきちんと食べろということを幼児にわかりやすく教える時間がなかったので、
「時間ないからおにぎり作ってあげよう。自転車の後ろで食べなさい」
というと
「いやだ」
などと抜かす。
叱っている暇もないので苦し紛れに、
などと何の考えもなく息子の気に入りそうな単語とおにぎりをくっつけて提案すると、息子は大喜びで飛びついた。
「スペースシャトルおにぎり!スペースシャトルおにぎりがいい!」
息子が大喜びで出かける準備をしだしたのはいいが、何の考えもなく言い出したことなので、どんなおにぎりがスペースシャトルおにぎりなのか皆目検討もつかない。
一瞬頭に浮かんだのは、普通の三角おにぎりの両端を薄くして主翼のようにして、残った端っこの近くに楕円に切った海苔を張りコクピットとし、裏側には耐熱タイルを模した、おにぎりの形にぴったり合うように切った海苔を張った立派なスペースシャトルおにぎりだった。
しかし、そんな精巧なスペースシャトルおにぎりを作っていたのでは出発時間に間に合わない。
それに海苔がどこにあるのかわからない。妻に聞こうにも、妻は出勤時間が早いのでもういない。
仕方がないので、半ばやけくそでいつもの正三角形おにぎりを縦長につぶしたような鋭角の二等辺三角形を作り、その粗末な米の塊をスペースシャトルに見立てて息子の目の前で飛ばす真似をした。
「ぶおおおおお、ずどどどどどど、ヒューストン、ヒューストン応答せよ!」
息子は狂喜乱舞してスペースシャトルを追いかけ、うまく誘導されて自転車の後部座席に搭乗した。
本当に危ないところだった。
もし、息子のわがままが時間のあるうちに発動していたら、私は海苔の切り貼りを駆使した精巧なスペースシャトルおにぎりを作ってしまっていたかもしれない。そうしていたら、おそらく次からはどんなに時間がなくて切羽詰った状況でも、息子は精巧なスペースシャトルおにぎりしか食べないと駄々をこねるようになっていたに違いない。
子供だまし
こういう言葉をよく聞くが、私が実際に作ったスペースシャトルおにぎりは、間違いなく子供だましだった。
しかし、息子にしてみれば、そういう子供だましでも十分にスペースシャトルに見えるのであり、大人の視点で無駄に時間と労力を費やして精巧なモデルを作る必要はなかったのだ。
以上のようなことを興奮気味に妻に話したところ、
「そんなの、わがままいってる子は何もあげません!って叱って自転車乗せちゃえばいいんだよ」
と言われた。
確かにそのとおりだと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20100509080915
増田に同感。
親といえども手に負えないと思ったら縁を切ってしまえばいいと思う。
僕も実は親とは縁を切った。
50歳にして住宅ローンを組んで家を買ったはいいが、父親の自営業が行き詰まりを見せローンの返済に困るようになった。その頃僕はひとり上京していて欝と闘いながらどうにかこうにか生きていた。傷病手当金でどうにかしのぐ日々が続いていたが、一人部屋が欲しいと駄々をこねていたという自責の念から少々のお金だがローン返済に充てるよう仕送りをしていた。
一方、父親と仲の悪い母親はパチンコで借金を作っていた。携帯に母親からの着信があった場合、それはすべてがお金を貸して欲しいというお願いだった。初めは「これが最後だ!」と言いながらも渋々送金をしていたが、送金の条件としていたパチンコをやめることは全然していない様子だった。弟にもお金をせびっていたらしく、ついに僕は電話口でブチギレた。何と言ったかは覚えていないが、金輪際お前とは関わらんとかそんなことを大声で怒鳴っていたと思う。
そうして母親との縁を切ってから、僕はよく父親と連絡するようになった。単身赴任の多かった父親とは子供の頃から疎遠な関係で正直好きな父親では無かったのだが、いろいろと話を聞くに、パチンコ依存症で浪費していた母親に対していろいろと悩んでいたようで、ああ僕は誤解していたんだなあと同情するまでになった。
そして僕にも婚約者と呼べる人との出会いを経て、結婚しようかという時、当然結婚式費用などの話にもなるのだが、そこで父親は「なんで(お金が無いのに)結婚式なんかあげるんだ。式をあげるなら彼女の方からお金を出してもらえ」とまくし立てた。実はできちゃった結婚で、十分な資金を蓄えていなかった自分が悪い。だが、式の費用は両家で折半し、僕の父親にはその負担分は毎月返済するからと話したのだ。それでも父親は文句を言い続けて、ついに僕も切れてしまった。「もうお前とは縁切りだ!」と。
ごたごたを経て、今は可愛い娘を授かるに至った。孫を親に見せられないというのは意外にも悲しいことだと感じる。特に、嫁さんのほうのご両親が孫を可愛がる様子を見ると、僕がそれを親にしてあげられないのはなんと親不孝なのかと悩むこともある。だが、僕も親も金銭的に問題があり、一方がもう一方に頼れない状況でこうなってしまった。母親と縁を切ったのはいいけど、父親と縁を切ったのはちょっと酷だったかも知れない。
これからどうしようか、まあたまに思い出したときに考えている。
増田です。
先ほどのエントリーの続きです。
http://anond.hatelabo.jp/20100330144828
あれから、すぐ会えることになったので
その男友達に会って、好きな人がいること(誰かは言ってない)を伝えてきっぱりとお断りをしました。
すると、すごく辛そうな眼差しで
「俺は自分の気持ちを押し殺すことはできないし、諦めることはできないよ。絶対にね」と言われました。
正直、私の心も辛いです。お互い涙が溢れてきました。
そのうちに彼の手が伸び、抱きしめられました。
いけないことなんだと何度振りほどきましたが、
何度かしているうちに気持ちが溢れて振りほどくことができなくなってしまいました。
彼は大切な人です。彼に触れることがすごく嬉しいですが、好きな人ではありません。
泣いてる私を見て「もう少しだけ時間をくれないか? もう少しだけ見てほしい」と言われました。
彼は恋愛慣れした人ではなく、ただ真っ直ぐで不器用な真面目な人です。
「辛い時は、私を憎んでもいいから」と言っても聞かず、ただ抱きしめられるばかりでした。
正直に言えば、触れることは嬉しくても、彼に対して絶対的な安心感はありません。余計に辛くなりました。
彼も途中で「離したくない」と言って長い間このままでした。
改めて、大切な人だけど好きな人ではないことを自覚しました。
少し落ち着いた頃に、考えていた言葉を伝えました。
「もし、あなたに他の好きな人ができたら一番の友達になってね」
その瞬間、彼は泣き崩れました。
私も泣きながらなのでいつ崩れるかわからない状態でした。
彼は駄々をこねていましたが、でも私はギュッとしてしまいそうなので走って離れました。
ようやく落ち着いてきた頃です。
今思えば、彼も私もドラマや漫画にあるようなセリフは、本当に思いつめているとそういう言葉が自然と出てくるんだなと冷静に思い出せるほど落ち着いてきたようです。
魚を焼く網を洗っていたら母親に「ねぇ高校を卒業してもずっと連絡取り合って仲良くしたいような友達はいるの?」と聞かれた。私の嫌いな質問。「もうそれ聞かれるの10回目くらいなんだけど。なんなの?」とイラついた声で答えて、その苛々がずっと残っているので書く。
母は、私に友達がいないことを心配しているんだと思う。私が日曜に友達と遊びに出かけないから、修学旅行に行きたくないと駄々をこねたから、卒業式後の祝賀会には行かないと言ったから。私は、友達とそういうことをしたいと思わない。同級生の間で共有される感動なるものが好きじゃない。それでそういうことをしたいと思える友達は確かにいない。
それでも「友達」がそれなりにいるのは、「友情って素晴らしいね」という空気、というかその結果の「友達がいないなんて可哀想」という憐みを、私のプライドが許さなかったから。馬鹿馬鹿しいと時々思う。馬鹿馬鹿しいし、誠実じゃないし、酷いことをしているし、薄っぺらい。だから好きじゃない。世間の有り様にも不満があるし、だけど自分次第だったのはもちろんそうで、心根の優しい人に囲まれて、私とも友達になってくれた友達に、申し訳ない。
ひとりで居られる人間というのは実在するんだよ。友達と遊ぶよりひとりで本を読んでいる方が楽しいというのの、なにがいけないんだろう。それは別に、友達が嫌いだとか本の方が大切であるとか、そういう意味じゃないのに。「なにも悪くないよ、そうすればいいよ。」と、だけどそれを、見捨てるような疎外するような、冷たい口調で言うんだから嫌になる。
思うに、趣味が合わないというのは恐るべきことだ。誰も悪くないから。私が友達を作らなくたって誰も私を責めないし(実際、恵まれた環境で、仮に友達を作っていなくてもイジメに遭うようなことはなかったと思う)、作るなら作ればいいし、友達を作らない私と友達になりたがらなくたってもちろん、構わないし、友達のいない人間に対する感想というのを個人的に持つのだって当り前だ。そういうわけで私は責めるべき対象を持たずに、ただたださして好きでもない友人との薄く狭い関係と思い出があって、一体どうすればいいのか分からない。
もうすぐ大学生になるのだけれど。友達、欲しいけど。友達という概念や空想の中の人物なら大好きになれるのに、実際の友人を思い浮かべるとなにか違う。完璧な人間を求めているつもりはないし、友達、ひとりひとり好きだけど、そう、好き、なんだけど、だけど嫌だ。どうしたいのかも分かんない。誰かに傍にいてほしい時というのはある。そんなときに呼べる人がひとりいればいいのかもしれないし、あるいは友達の良さを理解できていないのかもしれないし、友達というのはこういうもので、他の誰もがそれを当り前のこととして受け取って付き合っているのかもしれないけれど、私、なにが不満なんだろう、ひどいのはこっちなのに。
実家に来て、無理してたんだなーーーと思った。
掛け間違えたボタンを「これが正しいんだ!!」って
泣きじゃくり、駄々をこねるような傍迷惑な無理。
うちの根っこの部分は「陰湿で暗いウジウジとした詰まんない人」
そんで、セクハラ・下ネタ系の話題はあんまり好きじゃない! たまには考えるけどねーw
好きじゃない、得意じゃない、苦手っていうのは、似てるけどどれが一番近いのか分かんないな。
発狂と自殺と、自我崩壊って、薄壁挟んだすぐ隣にあるんだと思う。
作家が若くして死を選ぶのを解釈できてないのに、納得できる気がする。
そんな事を感じました。
本当は、日記に書こうか悩んだけど、流石にやばげな言葉があるので
はてなに書いてしまいました。ごめんなさい。
年をとると、我慢が出来ないんだ。大人になると、我慢ができなくなるんだ。
「ママ、あれ買って!」と駄々をこねるのは、わがままだからじゃない。
「もう、しょうがないわねえ」と言ってしまう大人こそが、子供に言うことをきかせる努力を、我慢できなくなっているんだ。
大人になると我慢ができなくなる。そうなんだ。
なんとかしちゃうんだ。ごまかしてしまうんだ。それが正しい方法で無いとわかっていても。
正しい方法は、めんどうくさい。大人はそれに耐えられない。
めんどうくさいだけじゃない。体だっていうことをきいてくれない。
階段を使った方がいいと分かっていても、エレベーターを使ってしまう。
コンビニに行くのにも、自動車を使ってしまう。それが大人だよ。
大人はみんなそうさ。君のおとうさんもそうだろうし、僕のおとうさんもそうだ。
もらっちゃいけないお金だってもらっちゃうし、信じちゃいけないことだって信じたふりをするさ。
どうでもいいことにたくさんの時間を使っちゃうし、目新しいものには喰いつくし、自分の仲間以外にはつらく当たる。
そんなことしない方がいいと分かってはいるさ。大人だからね。
でも、やっちゃうんだよ。大人だもの。
僕? 自慢じゃないが、僕だって立派な大人だよ。
我慢できずに会社でウンコ漏らして、駆け込んだトイレの個室で涙が流れるのを我慢できずに、それでもいいネタができたと増田に書きこむのを我慢できない。それぐらいに大人だよ!
id:HiromitsuTakagiが遂にWinnyネットワーク観測・閲覧ツールNyzillaをリリースする。
Nyzillaの特徴
Winny開発者である金子勇の著書では以下の様に書かれている(この文章はHiromitsuTakagiも引用している)。
しかしWinnyの場合、通信相手は不特定であり、Winnyプロトコルを使う誰もが通信相手になれます。たとえば、Winnyプロトコルを真似てWinnyノードに接続するようなプログラムの作成ができれば、接続相手のキャッシュファイルを観察することも可能です。このため、たとえどんなに強い暗号方式で通信内容を暗号化したとしても、通信相手は解読可能であり、通信内容は隠しようがありません。
要するに、Winnyネットワークに入れるソフトウェアさえ持ってれば、そこでやり取りされてる情報は筒抜けだよ、と言うことだ。
Winny自体にはない機能だが、特定のIPアドレスでどんな情報をやり取りしてるかと言う事も、全部駄々漏れなのだ。
元々駄々漏れしている情報を見える化するだけなのだから、何の問題もなかろう。
そもそも、見られて困る様な事をしている方が悪いのだ。
本当にそうか?
駄々漏れている情報なら晒して良いと言うスタンスであるならば、RFIDタグやBluetoothによる追跡のプライバシー問題を取り上げていたのは何だったのか。
だとしても、Winnyの仕様を叩けば良いのであって、特定のIPアドレスで何をやり取りしているかを晒すツールを公開する理由にはならない。
RFIDタグやBluetoothの問題を語る時に、追跡ツールを公開していないのと同じだ。
システムの問題を語る為に、個人を攻撃する凶器を放流する必要は無い。
HiromitsuTakagiの意図がどうであれ、Nyzillaが公開されれば、個人を攻撃する為に利用する輩が出てくるだろう。
必ず、出るだろう。
IPアドレスさえ判れば良いのだから簡単だ。
mixiアプリが始まって、今やmixiのアクセスだって足跡と組み合わせてIPアドレスが取得できる。
気に入らないコメントをつけた奴とか、ID知られちゃって仕方なくマイミクにした上司とか。
偉そうな事言ってるけど、Winnyでこんなファイル流してるじゃねーか、と。
攻撃の為に使う人間にとってはIPアドレスが可変だとか、IPアドレス=ユーザじゃないとか、そんな事はどうでも良い。
むしろ、全く無関係のWinnyユーザとIPアドレスがバッティングしてくれた方が都合が良い位だ。
「貴方の家の息子さんが著作権侵害を行っている証拠です」とか言われて往生する人も出て来るだろう。
或いは、悪意を持った攻撃者でなくても、単純な好奇心で知人のIPアドレスの利用状況を見てみる人だって居るだろう。
そこで運悪くIPアドレスのバッティングが起きたらどうするのか。
知識のある専門家がその技術を使うのと、知識のない素人が技術だけ使えてしまうのとでは、引き起こされる結果は全く違うものになるだろう。
ソフトウェアは一度公開されてしまえば、もう止められない。
HiromitsuTakagiの意図がどうかなど知らない。
だが、Nyzillaの公開は今までのセキュリティ・プライバシー問題に対する言動とは明らかに次元が異なる。
その行動は「Winnyで違法行為やってる様な奴は叩いて良い」と言う倫理観に基づいている様に見える。
個人的には「Winnyで違法行為やってる様な奴なんかどうなろうが知らん」が、そんな攻撃に巻き込まれるのはお断りだ。
真っ平ごめんだ。
Nyzillaの公開は12/23だと言う。
これだけは言っておく。
最初に「魔女が居るぞ」と叫んで火を放ったのはid:HiromitsuTakagi、君だ。
今後何が起ころうと、Nyzilla公開によって起きる全ての責任はid:HiromitsuTakagi、君にある。
さて、増田諸氏よ。貴方達はどうする?
火を手に掲げて、魔女を探しに行くのか
降りかかる火の粉を恐れ、謂れのない糾弾に慄くのか
どちらでも好きにすれば良い。
「好き」ってなんだかよくわかりません。
食べ物と人とじゃ「好き」の意味は違うみたいです(当たり前か)。
大切にしたい友人はいるけれど、その「好き」とも違うらしいです。
わたしはハニワが好きです。写真を集めてノートに貼ったり、絵に描いてみたりしています。
粘土でハニワっぽいものを作ってみたこともあります。大好きだよ、ハニワ……。
でも、その「好き」ともやっぱり違うんでしょうね。
なんでこんなことを考えてるかというと、
わたしのわからない「好き」を毎日浴びせかけてくる変なヤツがいるからです。
中高生の時、わたしは「男」と「女」は完全に別の王国の人間なんだと思い、
高い城壁を作って交流しないようにしていました。
だれかとだれかが戦ってどっちが勝ったとかいう話に一喜一憂しているよくわかんないヤツら。
向こうもわたしのことは「わけわかんない」らしくって避けられてました。
その壁が最近、「あいつ」の侵攻で壊され始めています。
最初から攻撃的でした。わたしのハニワノートをひったくって「これいいね」とつきまとい始めました。
質問攻め、遊びに誘い攻め、サークルの部室で待ち伏せ攻め、いろんなウザいことをしてきました。
そして、そのうちわたしをいま一番悩ませている「好き好き」攻めを始めました。
「オレ、増田さんのこと好きだから」「好きだから、会いたい」「もっと仲良くなりたい」
周りに吹聴し始め、わたしを困らせました。どう反撃すればいいのかも思い浮かばず……。
「やらしいことがしたいなら、もっとおっぱいが大きくてすぐ服を脱ぐヤツとすればいいのに」
そう思ってみましたが、どうにも有効な戦術ではなかったようです。
いつしか「あいつ」はわたしの妄想の世界の中へまで、侵略してきました。
妄想のなかの「あいつ」はわたしの頭を撫で撫でし、「増田はほんと、カワイイね」と言います。
「カワイイ」なんてちいさい頃親から言われて以来なので、変な気持ちになります。
そんでわたしを包み込むようにぎゅううと抱きしめてきます。
するとわたしの身体は痙攣したかのような、びりびりとした電気みたいなものが走り、
玩具を買ってもらえなくて駄々をこねてる幼児のように、居ても立ってもいられない気分になります。
さらにさらに、「あいつ」はちゅううとわたしの唇を奪い、
「ほんと、大好き」「超カワイイよ、増田」と呟きながら、何度も何度もキスしてくるのです。
そうなるともう、わたしの頭は熱病に侵されたかのように熱くなり、妄想は事切れるのです……。
「好き」ってなんだかよくわかりません。
もうすぐ何百万人ものカップルがいちゃいちゃすると聞いている「クリスマス」の日がやってきます。
「あいつ」とはその日にも会うので、また好き好き攻撃をされてしまうかもしれません。
その瞬間が訪れたとき、わたしはいったいどんな顔をすればいいんだろうか。
そんな私から見ると、他のみんなは軽率に他人のことを書きすぎだと思う。
バイト先でこんな人がいる、こんな人を見かけた、
飲み会で誰々がこんなことを言っていた……等々。
おそらく当人の許可は取ってないだろう。
その場の思いつきで書いているに過ぎない。
しかし、何気なくつぶやいたその内容は、他人のプライベートだ。
そして、それは一生消えることはない。
つぶやいた本人が消そうにも、誰かにふぁぼられたら一生残ってしまう。
もしつぶやいた内容で、本人が不利益を被ったらいったいどうするつもりなのだろうか?
みんな軽率すぎる。想像力が足りない。
他人のプライベートを駄々漏れさせていることに自覚し、自重すべきだ。
そういうことを最近思うんです。みんなはどうかな?
元日記:http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091130/1259544537
まず第一に、犯罪や事故が起きたら防犯や注意を呼びかけるのは当然。火事が起きたら「火の用心」だし、盗難が発生したら「戸締まり」をしようと呼びかける。これは至極当たり前のこと。曽野綾子が言ってるのは、「レイプされたくなきゃ自衛しろ」ってことで、それは不特定多数の男の性欲を無闇に刺激するような格好をするなとか、夜道を歩くなとか、むしろ常識とも言えるようなことを指摘してるだけ。「刺激的なファッションもいいけど、仲間だけで家の中に籠もってやってろ。そんな格好で夜道をうろつくな」って話。アホなヤツはそれをヒステリックに揚げ足をとって「犯罪者を正当化するんじゃねえ」とか言っちゃてるけど、「戸締まりしようぜ」っつーのは泥棒を正当化する主張なのか?違うだろうが。露出度の高い格好で街中をうろついたり夜道をひとりで歩くのが異常なんだよボケが。
次に、性犯罪被害者が傷つくから防犯を呼びかけるなってのはセンチメンタル過ぎるし被害者の自分勝手すぎる。犯罪や事故の被害者は誰だって(多少はあるけれども)傷つくだろう。例えば火事に遭ったりしたらそりゃあもう大変なショックじゃないか。泥棒にコツコツため込んだお金(例えば一千万ぐらい)を盗まれたりしても相当凹むよね。普通の人だったら、自分が被害に遭ったならなおさら他者に被害に遭わないように呼びかけるべきというか、そう思うものじゃないか。もちろん自分も同じ過ちをしないように気を引き締めてね。
しかしこのイカレた糞アマは「ああかれらがまもりたいのは、わたしのような、あるいは彼女(彼)のような、やられちゃった女ではなく、無垢な処女、あるいは少女なのだ。」なんて考えちゃうわけ。防犯しましょうって意見に対してここまでひん曲がった発想をしちゃうわけだよ。おかしいでしょ?醜い!まったくもって心が醜い。
同じだよ同じ。被害者もまだ被害に遭ってない人もひっくるめて、これから次の被害が出ないように自己防衛をしっかりしましょうって言ってるの。いくら防衛しても被害を根絶することは不可能だろうけど、防衛してなくて、例えば夜道をひとりで挑発的な格好で歩いてて犯されても「そりゃお前がワリィだろ」って話。家の鍵をかけないで泥棒に入られても、警察だって「鍵かけようね」ぐらいしか言えないじゃん?自分に落ち度があるんだもの。雪山で遭難した人が居ても「好きで登ってたんだもの、ある意味仕方ないよね」って思うじゃん?「好きで挑発的な格好をしてたんだもの、ある意味仕方ないよね」ってこと。
だからそれと同じように、被害に遭いそうな行動は慎もうねってだけの話。話のあらすじはこうよ。だから曽野綾子に突っ込むとしたら「主張は正しいけどその喩えは適切でない」ってことになるの。兵隊なんて相手殺しちゃってるしな。夜中に基地の近くに居て売女に間違えられるのは仕方ないかも知れないけど、殺されるのは仕方なくねーって。(売女に間違えられることに対してもヒステリックに反論されちゃ適わんがな。お店に並んでるものは売り物だと思うだろ?)あと、曽野綾子の「結果を期待して」っつーのも何も「結果=レイプ」じゃないだろうに。結果が何というのを明確には書いてないが、普通は「挑発的な格好をすることによる結果=男を挑発すること」ぐらいに考えるんじゃね?「結果=レイプ」と短絡的に考える奴らは読解力磨いた方がいいね。不特定多数の男を挑発した結果、レイプされるのはある意味仕方ないけどね。好きなファッションをしたいとか駄々こねてんじゃねーよお子ちゃまが。調子に乗るんじゃねえ。
第3に、FGMの話を冒頭で持ち出しているが、レイプとFGMはまったく違った問題。FGMは文化としてアフリカに存在するし、親によって行われることが多いので被害者が防ぐことは不可能。しかし、いい歳した女が露出の高い格好したり夜道を歩いたりするのは防げるだろっつーの。本当に自衛できない話を持ち込んで、論旨を無理矢理変えるんじゃねえ。曽野綾子の喩えも酷いが、フランチェス子の喩えはもっと酷いな。
「にんげんをかえせ」という題の、広島の、原爆や戦争を書いた、ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ。
それを朝ソファで読んでいて、寝て、リビングのテーブルに置いておいたら母が読み始めた。人と本を共有するのが苦手な私は「なんでこんな本読んでるの」という質問を予想して身構えて、「日常生活に感謝しようと思って」という理由を用意したのだけれど、日常生活に感謝するために戦争に触れるというのは一体、いかがなものか。
他人の痛みを利用するようであんまりじゃないかと思う。戦争を知らない世代の、過保護に扱われることに慣れきって平和ボケした阿呆の甘ったれた駄々を、隣に置いていいものじゃないだろうに。苦しんだ人苦しんでいる人の苦しみはそんなふうに扱われていいものじゃないだろうし、私の日常生活もまた、本来そんなふうにして感謝されるものじゃないはずで、けれどじゃあ、平和を求めて書かれたんだろう詩を、どう扱えばいいんだろう。
読んで泣いて悼んで平和を希求するのも同じで、なんだか白々しい気がした。自分の白々しさを広げて見ているんだろうか。戦争の対義語は平和だけれど、だから全くの別物であって、2つを関連づけて語るのはおかしいんじゃないか?戦争が悲しかったことと平和を求めることと、当事者が繋げるのは「敵」を憎むのと同じくらいもっともだけど、戦争を知らない私も知ってそれを理由に平和を求めるべきなのか、求めていいのか。例えば今日食べた食品の多くが輸入品で、おいしかったから、世界が平和でありますようにと、祈るのとどちらが良いのか。
歴史も詩集も食事も生活の1つの部分として、ああ悲しいことがあったんだなと受け止めて、どこかの国の食材を食して、殴らず殺さず生きればいいのか。戦争を知らないと言われると痛い。誰も知らない世界を求めているはずなのに、求めるがゆえに忘れるな忘れるなと恐れて、教育して、された私は知らないまま、知った気になって一緒に何か訴えるべきなのか、知らないが酷いことなんだろうし明日の朝ご飯はバナナがいいと駄々をこねた方がいっそ誠実なのか、中東なりアフリカなりに行って見て来ればいいのか、隣人と殴り合いの喧嘩でもしてみればなにか悟れるのか。
そもそも私の「戦争の(他人の)苦しみをどう扱えばいいのだろう」という発想も不幸自慢の横行する平和の中で育ったもので、苦しむ人は苦しみなんて放って捨てていたんじゃないかと、想像してみもする。知らないけども。大体いくら誠実でありたいと思ったって、知ることや考えることでどうにかなるものばかりでもあるまいに。戦争プロパガンダに乗せられるな、人を悲しませてはいけない、痛めつけてはいけない、優しくあれと、知っていればそれでいいんだろうか。紛争地域に愛の手並びに金銭的援助、啓蒙活動への参加、賢い消費者であり、倫理道徳を順守し、思いやりと礼儀をもって生活をしていたら、なんか気持ち悪くない? 皆がそうだったらそりゃ平和だろうけど、もはや平和ではないというか、やっぱりなにか、すごくずれてる。戦争があって、人が死んで、悲しんで苦しんでいるのだけど、私はなにを思えばいいんだろう。
自分麻雀わかんないんだけど、2chで自分が常駐してるスレが麻雀についてすごく荒れてて気になったのでレス抜粋してまとめてみる。
麻雀批判派=批
麻雀擁護派=擁
それぞれ複数人いる様子だけど、ID出ない板なので個人の判別はできない。
擁「どこがだよ。麻雀の何が悪いの?」
批「賭けとかやってるから嫌われるんじゃない?」
擁「でも賭けないとゲーム成り立たないし、賭けるのが普通。点5以上じゃなきゃギャンブルとは言えないレベルだし」
批「大金賭けてる人もいるでしょ?」
批「風俗とかと一緒、摘発されなけりゃ違法行為おkっておかしいだろ」
批「別に麻雀自体を批判してるんじゃない。賭けずにやる麻雀なら俺も好きだし」
擁「それはお前が下手だから。上手くなると賭けなきゃゲームにならない」
擁「チャリの傘差し運転も違法だけど、もちろんお前はやってないんだよね?友達いない非コミュがカッパ着てチャリ乗ってんの想像したら笑える」
批「犯罪者って自分の悪行指摘されたら『じゃあお前はどうなんだよ』って逆ギレするらしいよ」
擁「そういうことじゃなくて、傘差しも賭け麻雀も同じように違法であって違法じゃないって言いたいだけ」
批「麻雀は賭けないとできないって言ってんのって、未成年だけど酒タバコやってますって言ってるようなもんだよな」
擁「んなもんちょっとくらいやってる奴いくらでもいるだろ」
擁「正月に親戚の付き合いとかで飲まされるのも批判すんの?」
批「やってる人が多いからってその行為を正当化する理由にはならない」
批「本気で『みんなやってるし悪くない』って思ってんの?」
擁「いや普通に悪いことだと思ってるけど」
批「思ってるなら開き直るなよ。悪いと思ってないから他人に指摘されて逆ギレするんだろ」
擁「悪いことだけどこのくらいいいだろって思ってる」
擁「とにかく賭けは儲けるためじゃなくて、ゲーム性を高めるためにやってるだけ」
批「賭けなきゃ真剣になれないって、頭おかしいんじゃないの?」
擁「それはお前が麻雀下手だからだろ、普通は賭けないと緊迫感出ないし廃人レベルまで賭けてるわけじゃない」
擁「じゃあお前はいつも法定速度守って走ってんのか?周りの流れに乗るだろ。それを全部警察が捕まえてるのか?」
批「警察がいたら捕まえてるだろ…たまたまいないから速度出せるだけで、黙認されてるわけじゃないから」
批「速度超過してて警察に捕まったら『周りもやってるし』『このくらいなら危なくないだろ』って駄々こねんの?」
擁「ちょっとした誤差程度なら捕まらないだろ」
擁「賭けないとビリになっても失う物がないから、真剣になれなくてゲームが成り立たない」
批「いちいち金賭けないと楽しめないゲームならやめれば?」
擁「じゃあお前はボウリングとかカラオケ行かないの?お金使うけど」
批「ハァ?遊びの対価と賭博は全く違うだろ、バカなの?」
擁「で、お前は結局傘差し運転してんの?」
批「してないっつっても信じないんだろ。で、お前らは結局犯罪犯してること自覚してんの?」
擁「最初から自覚して話してますけど?」
批「犯罪だけどみんなやってるし、バレなきゃおkってことね。DQNじゃんww」
批「犯罪だと思ってんならなんでそんな態度デカいの?罪悪感ないの?犯罪なのに『別にやってもいいじゃん』って言えるなんてすごいな」
擁「罪悪感はあるけど、なんで見ず知らずのお前らに申し訳なさそうにしなきゃならんの?リスク自覚してやってんだから勝手だろ」
批「リスク感じるのと罪悪感は違うと思うけど…」
以下不毛な罵りあいのため省略
女の人ってどうしてあんなに洋服を買うのが好きなんだろう。
かくいう私も女であるが、昔から服を見るのは好きじゃない。
幼い頃は、今現在よりもずっと好きじゃなかった。むしろ嫌いと言っても良かった。
その理由は複数ある。
母が私の性に合わない服を着せようとするから。
自分で選ぶと「そんな変な服は買わない(意訳)」と言われたから。
どの服にしようかと母が悩んでいる間に、時間はどんどん過ぎて行くから。
過ぎていった時間の分だけ、ずっと歩きっぱなしの足が痛くなってくるから。
自分自身の意見が言えるようになり、また、多少は成長したことで、服を選ぶことの重要性を学んだ今となっては、
母と服を買いに行くのは、それほど苦痛ではなくなっている。
普段と違う服を着る自分を鏡越しで見るのはそれなりに楽しいことだ。
だけど、それは「母」や「気の合う友人」と「服を選びに」行っているから楽しいと感じるのであり、
それ以外の条件では全く楽しめず、むしろ気を使い体力も消費する、苦痛なことに違いない。
恐らく、ではあるけれども、他の女性にとっては、「服を選ぶこと」と「遊びに行くこと」がイコールで繋がるんだろう。
だけど、私の中では、服を選ぶことは服を選ぶことであり、遊びに行くこととは全く繋がらない、別の作業となっている。
そしてこのモノの捉え方は、他の女性とおおよそ違う。なので、同性の友人と遊びに行くと思わぬところで疲れを感じることになってしまう。
先日、地元の友人と共に東京へ旅行した。そこで就職した友人らに逢い、そして東京観光を楽しむためにだ。
だけど、観光している時間の3分の1が、服を見る時間に消えてしまった。
この友人らは気の合う人たちだ。だけど私を含めてこの集団には女が5人。それだけいれば服の趣味も少しずつ異なってくる。
だから、あっちへこっちへと様々な店をハシゴするこになってしまった。
「私は東京観光に来たんだ、服を買いにきた訳じゃない!」と何度叫びたかったことか。
各所でお土産を見るならば、観光に来たんだし大歓迎さ。雑貨を見るのだって構わない。だけど何故服なの?!
どうしてそんなに服を見るのが大好きなの?!
どうせ何も買わないくせに、平日でも人が密集しているH&MやFOREVER21に行かなくちゃならんのだ。
駅まで向かう道すがら、誰かが店先で好みの服を見つければ「あの店入っていい?」と聞いてくる。何度見れば気が済むんだ。
夕飯が終わって一息ついて、よーし、1日目終了だー!とほっとしているところに、「あの駅ビルにいい店沢山あるんだよ!」
いい加減にしてよ!もう足が限界なんだよ!服なんて東京じゃなくても買えるじゃん!地元でも見れるじゃん!
(もしかすると、東京にいなければ買えない服もあるのかもしれないけれど)
「いやー、服を見ていると時間があっという間に過ぎるね、1日あっても足りないよ」
1泊3日(行き帰りは夜行バス)の旅だったが、服選びさえなければ、疲労はもう少し軽くて済んだろうに。
服を見る時間があるなら、もっと色んな場所に行って色んなモノを見たかった。浅草に行きたかったし、解体されかけでもガンダムを近くで見たかった。
お土産も東京駅で済まさずに、色んなところを見て買ってみたかったな。
そう思うのは、私が服選びが嫌いな女だからなのだろうな。
買いもしない服を、欲しい欲しいといいながら手に取る、そして鏡で自分の姿と重ねて、悩みに悩む。
新宿で、髪を金に染め上げた、派手で露出の高い服を着て、化粧バシバシのねーちゃんが、荷物を持っている彼氏に片腕を絡ませて、
「ねー、もっと買い物しようよー!」と甘くて高い声を上げて駄々をこねていた。
女性の買い物、特に服関連に付き合い、荷物持ちまでする彼氏さん、尊敬します。
駄々こねるねーちゃんには別の意味で尊敬する。私もあんな風に何も考えずに生きてみたい(何かは考えているのだろうけど)。
と言いますか、全国の彼女の買い物に付き合っている彼氏さん、本当にお疲れ様です。
私が男だったら、絶対にキレています。忍耐強い男性の方は本当に尊敬に値する。
帰り際、地元から同伴した友人がこう言った。
こんな目に合うなら二度と御免だ!!この野郎!!!と返したかったけれど、出来るはずがない。
「そうだねー」と相槌を打っておいた。空笑いをしながら、内心では前述の言葉を叫び続けて。
先々月、私の住んでるアパートの上の部屋に、母子家庭(推測)の親娘が越してきた。親一人子一人。(普段、父親がいないのは間違いない。)
で、このお子さんがよく泣くんですわ。どんどん床を踏み鳴らすし…駄々をこねてらっしゃるのかな。
この間はアパートの廊下に小一時間放り出されてたみたい。わんわん泣いてて、ちょうど配達にきた宅配便の運転手も苦笑いしてた。
で、心配なのは、虐待の可能性はないのかなあ、ということ。
普段は仲良さそうだし、保育園にも預けてらっしゃるようなので他人の目がないわけでもないだろうと思うんで、わざわざ私が通報する必要もないと思うんだけど…も。
このやかましいのが、突然「静かになった」ときが通報の頃合いなのかなあ。
正直、判断に迷ってます。
あ。うるさいのは一向に構いません。慣れてますし、その子が寝付くまでの時間限定ですから。