はてなキーワード: 賢明とは
改めて説明を求められるとこれほど困る単語も無いな。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B2%E3%83%8F
ゲハとは2ちゃんねるの掲示板「ゲーム業界、ハードウェア@2ch掲示板」の通称。「ゲハ板」とも。略称としては他に「ハード・業界板」など。
概要
表向きはゲームハードとゲーム業界について語る板である。だが、本当の顔はゲハ脳(極度のゲーム脳と2ch脳の複合病)患者の隔離病棟板である。(元々家庭用ゲーム板でのセガ叩き多発による隔離板だった。)
患者達はここで、ハード信者というジョブを得て言い争いを行うゲームを毎日繰り広げている。あくまでゲームである(患者に現実との区別が付いているかは謎だが)。その仕様上、自治も糞もない。しかし、患者達は情報を掴むのも速いので、患者以外がゲームの情報を求めて訪れることも多いようだ。(その際には罵り合いはスルーするーのが賢明)
この隔離板の影響から2ちゃんねるやニコニコ動画では、ゲームハードの性能や売り上げ、ソフトのラインナップを種にした罵り合いが始まることを「ゲハ論争」と呼ぶらしい。
ゲハ厨
ゲハオンラインの中毒者である彼らは外部でも妊娠or任豚(任天堂陣営)、GKor戦士etc...(ソニー陣営)、痴漢ボクサー(Xbox陣営)に分かれて戦わずにはいられない。戦わなければ生き残れないのだ。
2ch脳である彼らはネット上は全て自分の庭だと思っており、場所を弁えた発言が苦手である。
ついでにゲーム脳の影響から、自分に都合のいい言動を取らない他者には攻撃的になる。
そういった性質からゲハ外では一種の荒らしとして認定されている。
近年では、クソゲーオブザイヤーや名作ゲームなどを決める掲示板に患者が乱入し、ゲームのことを一切書かずハードの中傷を繰り返す書き込みが目に付くようになっている。またニコニコ動画においても多数の動画が荒れる原因になったり、ゲハ動画が大量にアップされたりしている。こういった輩を見かけたら"ゲハでやれ"と返してあげよう。変に相手をするよりお約束が重要だ。
純粋にゲームを紹介しようとしている動画においてゲハ論争が始まることはうp主にとっても動画閲覧者にとってもただ迷惑を被るだけなので自重しよう。視聴する動画がゲハ論争に巻き込まれたときは、NGやコメント非表示、通報するのが最善の策で相手にするだけ無駄である。
Wikipediaにも項目がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E6%A5%AD%E7%95%8C%E6%9D%BF
この辺を読んでそれとなく察してくれ。
結婚式の披露宴のご祝儀が1万円だったと文句を言っている人の記事と、それについて付いているコメントを見かけたので思うことを書いて見る。
まず、常識的には3万円は出すものだとは俺も思う。感情論を敢えて除外しても、出さないと陰口等々のリスクが高すぎて割に合わないし、新郎新婦がかけているコストとのバランスがあるからな。その意味で、1万円しか包まなかった人は賢明ではないと思う。(ただし、地域差とか経済的事情等々もあるから、事情によってはもっと少なくても良い場面もあるとは思うけど。)
でも、1万円しか出さなかった人を新郎新婦が非難したり、あまつさえ1万円じゃ赤字だとか言い始めるのはおかしいと思う。そもそも、披露宴というのは、新郎新婦が披露したくて開くイベントだ。会場選択も料理の選択も引き出物の選択も、言葉は悪いが、新郎新婦の自己満足で決めたものだ。そして、多くの場合、出席者はそんなものは望んでいない。あくまで、新郎新婦を祝いたい気持ちが強いから出席しているだけだ。だから、例えば1人辺り2万円かかったから、出席者は最低でも2万円を払うべきだとか言う損得勘定はしてはいけない(少なくとも他人に見せてはいけない)ものだと思う。あくまで、建前上は、自分達の結婚を自分達が披露したくて開くんだから全額を自費で出すのが当然だと思う。所詮は建前ではあるけど、そこは崩しちゃいけないところだと思う。全額自費で出すと破産間違い無しだとかいうなら、そんな分不相応な披露宴はそもそも開くべきじゃないんだと思う。
つまり、ご祝儀というのは、あくまで善意によるもので、新郎新婦の権利であってはいけないと思う。披露宴の負担を少しでも減らして貰えれば、それだけで新郎新婦は感謝しなくてはならないものだと思う。そして、第三者も、その新郎新婦の感謝を尊重して、余計な口出しはしてはいけないものだと思う。額の大小より前に、祝いにわざわざ来てくれたこと自体に価値があるんだから。
更に言うなら、ご祝儀を3万円出さないなら来るなとかいう人がいるけど、余りにも暴論だと思う。新郎新婦は、そもそもご祝儀の額次第で「来るな」とか言うような相手を招待すべきじゃない。それこそ、ご祝儀目当てで呼んでいると認めるようなものだ。あくまで、自分達が披露したいと思う相手を呼んでいるのだから、来てくれたこと自体を感謝すべきだと思う。そして、第三者が他人の結婚式について、ご祝儀を出さないような奴は参加するななんて勝手なルールを押しつけるべきでもないと思う。
これらのことを前提にした上で、日本では相互扶助の観点から新郎新婦の負担を押さえるために、3万円というご祝儀を渡すという「善意」が常識として定着しているものだと思う。このご祝儀があくまで(本来はしなくていいのに)善意でやっているということが大事なのであって、まかり間違っても新郎新婦が権利だと認識するようなことはあってはいけないことだと思う。金勘定もそりゃ大事だけど、何というか、守らなくてはいけない建前というものもあるんじゃないかと思う次第。
そして、義務ではないのに、出席者は祝いの気持ちや費用負担への配慮を込めてご祝儀を渡すからこそ、良いものなんじゃないだろうか。暗黙上の義務ではあっても、言葉にしてはいけないものもあるんじゃないだろうか。
(まあ、元の記事では、新婦は1万円しか出さなかった出席者の結婚式では3万円を包んだそうだから、その意味では新婦が不満を感じるのは人情だと思う。だけど、それは、あくまで上記のような話を前提としたものでなければならないと思う。)
ttp://lynceus.seesaa.net/article/7647931.html
今はもうない「JAZZLAND」という雑誌で、ユニークな文章を書いている。
当時から文章の芸は冴えている。
「ジャズ喫茶のマスターになるための18のQ&A」(「JAZZLAND」昭和50.8.1号)
Q1 ジャズ喫茶を始めたいと思うのですが、さしあたって一番要求される資質は何でしょうか?
A 恐れを知らぬ行動力です。
Q2 それでは一番不必要なものは?
A 知性です。
Q3 現在大学に在学中ですが、卒業はした方が良いでしょうか。
A 経験から言うと、卒業証書の表紙はメニューにぴったりです。
Q4 好きな女の子が居るのですが、ジャズ喫茶のマスターとしては結婚していた方が得でしょうか、それとも独身でいた方が得でしょうか?
A あなたが一体何を指して得とか損とか言ってるのか、よく理解できないけれど、この世の中で結婚して得をすることなど何ひとつないのです。
Q5 よくジャズ喫茶のマスターは女の子にもてるっていう話を開きます。そんな時、客の女の子には手を出していいのでしょうか?
A まったくの取り越し苦労です。
Q6 レコードは最低何故必要でしょうか?
A 度胸さえあれば15枚でOKです。
Q7 でも、「ファンキー」や「DIG」に行って、レコード棚やオーディオを見る度にガックリして、僕なんかにとても……という気分になるのですが?
A そんな所に行くのが間違っているのです。国分寺に来なさい。
Q8 僕は前衛ジャズに弱いので、それ以外のジャズを中心にやりたいのですか?
A お好きなように。
Q9 お客に文句は言われませんか?
A もちろん言う人は居ます。気にしなければいいのです。
あなたのお店なんだし、好きなようにやってみて、儲かるのもあなた一人だし、赤字を出して首を吊るのもあなた一人なのです。
Q10 お酒を出すつもりなのですが、酔って騒ぐような人が居たらどうしたらいいのでしょうか?
A 「戦艦バウンティ」という映画が昔ありました。その中で異端分子は全員船から突き落とされていました。
Q11 「スイング・ジャーナル」に広告を出すべきでしょうか?
A もちろんです。その上に「スクリーン」と「週刊平凡」に広告を出せば効果は抜群です。
Q12 僕はコルトレーンの『至上の愛』が嫌いなので店には置かないつもりなのですが、
友人は“『至上の愛』のないジャズ喫茶なんて…と言います。どうでしょうか?
A バカは相手にしないことです。
Q13 ジャズ評論家にコネがきくのですが、レコ-ド解説やコンサートをやった方が良いでしょうか?
A テスト盤をもらうだけくらいの方が賢明です。ロシア革命の時、一番最初に銃殺されたのはジャズ評論家だったそうです。
Q14 ジャズ喫茶という職業は一生続けていくに値いするものでしようか?
A 田中角栄にとって土建業が一生続けていくに値いする職業なのか?
川上宗薫にとってポルノ小説家が一生続けていくに値いする職業なのか?
猫にとってキヤツト・フードが一生食べていくのに値いする食物なのか?
非常に難しい問題です。
Q15 僕にとってジャズ喫茶はまるでなにか青春の里程標のような気がするのですが、 こういう考え方は間違っているのでしょうか?
A 間違ってはいませんが、明らかに誇張されています。
Q16 それではジャズ喫茶とは一体何なのでしょうか?
僕はそれは、人生における一種の価値基準のようなものではないかと思うのです。
茫漠とした時の流れの中で、僕たちの人生がどんな風に輝き、どんな風に燃えつきていくのか?
ジャズの中に沈みこんでいる時、僕たちはそんな何かをみつけだせるような気がするのです。
Q17 そういう考え方は少し誇張されすぎてはいませんか?
A すみません。その通りです。ただ僕の言いたいのは、ジャズ喫茶のマスターがそういった使命感を忘れたらもうおしまいだっていうことなのです。
最近だと、よく違法献金を受け取ったから議員を辞職すべきだ、税金を納めなくて後で罰金を取られたから責任をとって退陣すべきだとか、よく騒がれてるけど、薄っぺらいようにしか見えないのは俺だけだろうか。
政治家の仕事というのは、日本を良くすることだろう。それが他の政治家よりもよく出来ているんだったら、他で何をやってるかなんて、直接は関係ないだろうと思う。違法献金だろうと税金逃れだろうと、それが論理的に議員を辞める必要性に結びつく訳じゃないと思う。過去の自民党の議員でも、今の民主党の議員でも、実力がある奴をそんな理由で辞めさせて何の意味があるのかと思う。
大事なのは、あくまで他の奴でなくそいつが議員を続けることが日本のためになるかどうか。あくまで、違法献金をしたかどうかなんて、そいつの価値を判断する一資料に過ぎないんじゃないだろうか。
他にもっと良い奴がいるなら、そいつが違法献金をやろうとやるまいと次の選挙で落とすべき。国民がすべきなのはそういう議論であり、それが日本人の幸せに繋がることなんじゃないかと俺は思う。違法献金も考慮に入れて総合判断して、そいつに議員としての存在価値がないと思うなら、献金どうこうにこだわるまでもなく次の選挙で落とすべき。それだけの話だと思う。
少なくとも国会では、毒にも薬もならない役立たずの方が、毒もあるけど大きな薬効もある人間よりずっと罪深いんじゃないだろうか。責任と権限のある政治家がまともに仕事をしないというのが、どれほど日本人を不幸にするのかというのは、考えるまでもない事じゃないだろうか。日本が豊かな頃ならまだいいが、これだけ莫大な借金があり今後も状況が悪くなっていくことが確実視される状況で、清廉潔白な役立たずに船頭を任せて船を沈めていくのは、本当に賢明な選択なんだろうか。
実力も実績もお構いなしで、とにかく1つ悪いことをしたら非難囂々で辞めろ・辞めろの連呼というのは頭が悪すぎる。自民党と民主党がお互いにやってきたのも、見ていて頭が悪いとしか思えない。いい加減、今の薄っぺらい清廉潔白を求める風潮を何とかして欲しい。
最近だと、よく違法献金を受け取ったから議員を辞職すべきだ、税金を納めなくて後で罰金を取られたから責任をとって退陣すべきだとか、よく騒がれてるけど、薄っぺらいようにしか見えないのは俺だけだろうか。
政治家の仕事というのは、日本を良くすることだろう。それが他の政治家よりもよく出来ているんだったら、他で何をやってるかなんて、直接は関係ないだろうと思う。違法献金だろうと税金逃れだろうと、それが論理的に議員を辞める必要性に結びつく訳じゃないと思う。過去の自民党の議員でも、今の民主党の議員でも、実力がある奴をそんな理由で辞めさせて何の意味があるのかと思う。
大事なのは、あくまで他の奴でなくそいつが議員を続けることが日本のためになるかどうか。あくまで、違法献金をしたかどうかなんて、そいつの価値を判断する一資料に過ぎないんじゃないだろうか。
他にもっと良い奴がいるなら、そいつが違法献金をやろうとやるまいと次の選挙で落とすべき。国民がすべきなのはそういう議論であり、それが日本人の幸せに繋がることなんじゃないかと俺は思う。違法献金も考慮に入れて総合判断して、そいつに議員としての存在価値がないと思うなら、献金どうこうにこだわるまでもなく次の選挙で落とすべき。それだけの話だと思う。
少なくとも国会では、毒にも薬もならない役立たずの方が、毒もあるけど大きな薬効もある人間よりずっと罪深いんじゃないだろうか。責任と権限のある政治家がまともに仕事をしないというのが、どれほど日本人を不幸にするのかというのは、考えるまでもない事じゃないだろうか。日本が豊かな頃ならまだいいが、これだけ莫大な借金があり今後も状況が悪くなっていくことが確実視される状況で、清廉潔白な役立たずに船頭を任せて船を沈めていくのは、本当に賢明な選択なんだろうか。
実力も実績もお構いなしで、とにかく1つ悪いことをしたら非難囂々で辞めろ・辞めろの連呼というのは頭が悪すぎる。自民党と民主党がお互いにやってきたのも、見ていて頭が悪いとしか思えない。いい加減、今の薄っぺらい清廉潔白を求める風潮を何とかして欲しい。
良いローカライズとは・・・イバイ・アメストイ「ゲームウォーズ 海外VS日本」第2回
ttp://www.gamebusiness.jp/article.php?id=1337
我々外国人にとって日本のゲームは「外国のゲーム」である為、欧州や北米で開発されたゲームを購入せず、遠く離れた日本で開発されたゲームを購入するのには特別な理由があります。『FINAL FANTASY』 や『RESIDENT EVIL』(バイオハザード)のように人気の高いゲームなら誰でも手を伸ばしますが、あまり知られていないパブリッシャーのゲームを手に取ると「あ、日本で開発されたゲームは外国のゲームだからバグだらけだろうな…」と思い、そのまま棚に戻してしまうことが少なくありません。それならば、少なくともバグの無いゲームにお金を賭けた方が賢明だと。
でしたら、ローカライズを行い、海外での激しい競争に生き残る為にはどうすれば良いでしょうか?それは、良いローカライズを行うことです。しかし良いローカライズ、レベルの高いローカライズとはどう言ったものでしょうか?簡潔に説明すると:
プレイされる時、ユーザーに「このゲームは海外製品である。」と思わせないような自然な内容を作ることです。プレイして違和感が全く無ければ、それは良いローカライズです。「これ…ワサビ臭いな」と思われたら悪いローカライズです。
今の日本は所得税12%の法人税30%。高福祉工業国家のスウェーデンが所得税30%の法人税30%だったかな?
以前試算したが、日本で月8万円程度でBIを導入しようとすると、年金制度を全部破棄したとして、所得税60%の法人税45%になるんですよ。
(ちなみに多様な福祉を廃止すれば政府がスリム化するという論もあるが、これも試算したけどBIのための歳出だけで財務省の概算要求を上回るので、福祉どころか政府を廃止して浮くコストよりBIのコストの方がずっと高い計算になる)
法的に強行すればできないとは言わないが、経済や産業には破壊的に働くんですよね。そして福祉や財政は経済や産業に支えられている。
福祉国家が持続不可能と批判されているのに、その対案としてより持続不可能な制度を提唱するの?
(追記)
寝たかったのだが、しょうがない。
細かいことはここに書いてあるので読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/inugamikoubouathangul/20060321/0000000000
24時間くらいで役所のサイト色々見て書きました。書いた時に全然反響がなかったので、識者の意見を広く募るものです。
>横増田だけど、BI導入してるのに所得税と法人税以外の負担は全く同じ前提なのはなんで?
消費税という手もありますが、これをすると物価が年々インフレを起こすのでやりたくなかったのです。
>またBIといっても収入のある全世帯に配布するのであれば所得税が上がる分と国から返ってくる分で平均何%上がって何%返るという数え方をしないと話が変になると思う
おおざっぱな計算になるけど、初任給が16.5万だとして、今は11万手にはいるけど、BIしたら8万+4.5万で12.5万。
個人は当初得をするのでラッキーだが、出世するとそのうち損をするということになるはずです(そこまでは元エントリでは書いていない。気力があったら何か計算しようかしら)。
それともひょっとして4.5万円だと住宅扶助より低いから、働かずにBI+住宅扶助を受けていた方が賢明ということになるのかしら? それだと平社員にすら厳しいな。
>や、だから素人が実現可能性を議論しても意味ないって言ってるのになんで財源の議論を吹っかけてるの?
素人が実現可能性を議論しても意味ないというのに同意できないからです。それは権威に訴える論証ではないかと疑っています。少なくとも私は役所のサイトを色々当たって算数で計算するという方法を取ったし、それは原始的だけど全ての基本となる方法だと思うけど。
>あとついでにつっこんでおくとなんで所得税は累進課税なのに定数になってんの?
記述の簡便性のために全国平均値にしました。実際には初任給から取られる額はそれほどないはずですね。
でもさっきも言ったように出世すると損をするので、スキルを上げるインセンティブは下がり、経済や産業の発展を阻害することになります。ひいては福祉や財政の発展も阻害されます。今の産業は大抵は頭のいい人や特殊技能の持ち主が新しい企画や技術を作ることが大前提なので、そういう人になろうと思わないというのでは、生産は維持できませんし、いずれ物不足になります。
元々は山森亮『ベーシックインカム入門』の批判で、その本では福祉の対案としてだけ書いてあったので、公共事業のことはストーンと忘れていたな。赤字国債も社会保障費のことだけ考えていた。でも公共事業の重要性ってどんなもんだろう? 公共事業はガンガン減少されている、社会福祉はガンガン増えている、という認識だったけど。
夜と霧
ヴィクトール・E・フランクル
収容所で集団を対象に精神的ケアをほどこす可能性はきわめて限られていた。これには言葉よりも効果のあるものがあった。模範だ。たとえば居住棟の班長の中に公正な人物がいたが、その毅然とした、見ているだけでも勇気づけられる存在は、ことあるごとに彼の統率下の被収容者に深く広く影響をおよぼしていた。存在、それも模範的存在の直接の影響は、言葉よりも大きいものだ。だが、なんらかの外的根拠を挙げて内的な共感をよびさますときには、言葉も有効だった。わたしは集団に話をし、外的状況を伝えて一居住棟のすべての被収容者に心の準備をさせ、精神的なケアに役立てたことがある。
あれは最悪の日だった。今しがたの点呼で、古い毛布を帯状に切り取ることも(即座にゲートルを作るのによく使った手口だ)、ほんのささいな「窃盗」も、今後すべてサボタージュと見なし、即刻、絞首刑をもって罰せられる、という布告がなされた。さて数日前、飢えかけた被収容者がじゃがいも倉庫に忍びこみ、数キロのジャガイモを盗むという事件が起こった。浸入は露見し、被収容者たちは、「侵入者」が誰か、知っていた。収容所当局は、このことをどこかから聞きおよび、違反者の引渡しを要求してきた。これを拒めば、収容所の全員に一日の絶食を課すという。もちろん、二千五百名の仲間は、ひとりを絞首台にゆだねるよりは断食のほうがましだと判断した。
この断食日の夕方、わたしたちはむき出しの土の床の居住棟にごろごろしていた。気分は最悪だった。ほとんど口をきく者もいない。なにか聞こえるとすれば、とげとげしい言葉だった。そこへ、停電が追い討ちをかけた。悪い雰囲気はここに極まった。居住棟の班長は賢明な男だったが、全員が耳をそばだてるような短い話をした。ここ数日に病死したり自殺したりした仲間のことを語ったのだ。そして、死因はさまざまでも、彼らの死のほんとうの原因は自己放棄だと言い、これについて、そしてどうしたら精神的な崩壊でつぎの犠牲者が出ることを未然に防げるか、少しばかり解説してもらいたいのだが、といって私を指名したのだ。
私は、心理学の視点から解説をしたり、居住棟の仲間に精神医として話をして、いわば医者としての立場から魂を教導するなどとんでもないという気分だった。寒さに凍え、空腹で、ぐったりとし、またいらいらしていた。だが、わたしは力をふりしぼって立ち上がり、このまたとない機会を利用した。なぜなら、今話をすることは、かつてないほど必要だったからだ。
医師、魂を教導する
こうして、わたしは語りはじめた。まず、とらわれのない目には、お先まっ暗だと移ってもしかたない、と言った。また、わたしたちはそれぞれに、自分が生き延びる蓋然性はきわめて低いと予測しているだろう、ともつけ加えた。収容所にはまだ発疹チフスはひろまっていなかったが、生存率は五パーセントと見積もっていた。そして、そのことを人々に告げた。わたしは、にもかかわらずわたし個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。なぜなら、未来のことはだれにもわからないし、つぎの瞬間自分になにが起こるかさえわからないからだ。そして、たとえあしたにも劇的な戦況の展開が起こるとは期待できないとしても、収容所での経験から、すくなくとも個人のレベルでは大きなチャンスは前触れもなくやってくることを、わたしたちはよく知っている。たとえば、とびきり労働条件のいい特別中隊への小規模な移送団に思いがけなく編入されるとか、同じような羨望の的の、被収容者を「幸福」で舞い上がらせるようなことは、いつも突然起こるのだ。
わたしは未来について、またありがたいことに未来は未定だということについて、さらには苦渋に満ちた現在について語ったが、それだけでなく、過去についても語った。過去の喜びと、わたしたちの暗い日々を今なお照らしてくれる過去からの光について語った。わたしは詩人の言葉を引用した。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたしたちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかへと救いあげられている。それらもいつかは過去のものになるのだが、まさに過去のなかで、永遠に保存されるのだ。なぜなら、過去で<ある>ことも、一種の<ある>ことであり、おそらくはもっとも確実な<ある>ことなのだ。
そしてわたしは最後に、生きることを意味で満たすさまざまな可能性について語った。わたしは仲間たちに語った。横たわる仲間たちはひっそりと静まり返り、ほとんどぴくりとも動かさなかった。せいぜい、時折かすかにそれとわかるため息が聞こえるだけだった。人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をもふくむのだ、とわたしは語った。そしてこの真っ暗な居住棟でわたしの話に耳をすましている哀れな人々に、ものごとを、わたしたちの状況の深刻さを直視して、なおかつ意気消沈することなく、わたしたちの戦いが楽観を許さないことは戦いの意味や尊さをいささかも貶めるものではないことをしっかりと意識して、勇気をもちつづけてほしい、と言った。わたしたちひとりひとりは、この困難なとき、そして多くにとっては最期の時が近づいている今このとき、だれかの促すようなまなざしに見下ろされている、とわたしは語った。だれかとは、友かもしれないし、妻かもしれない。生者かもしれないし、死者かもしれない。あるいは神かもしれない。そして、わたしたちを見下ろしている者は、失望させないでほしいと、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいと願っているのだ、と。
そしてしめくくりとして、犠牲としてのわたしたちについて語った。いずれにしても、そのことに意味はあるのだ、と。犠牲の本質は、政治的理念のための自己犠牲であれ、他者のための自己犠牲であれ、この空しい世界では、一見なにももたらさないという前提のもとになされるところにある、と。もちろん、わたしたちのなかの信仰をもっているものには、それは自明のことだろうし、わたしもそのひとりだ、と。
わたしは、ひとりの仲間について語った。彼は収容所に入ってまもないころ、点と契約を結んだ。つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。彼は意味もなく苦しんだり死んだりすることを望まなかった。わたしたちもひとり残らず、意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。この究極の意味をここ、この居住棟で、今、実際には見込みなどまるでない状況で、わたしたちが生きることにあたえるためにこそ、わたしはこうして言葉をしぼりだしているのだ、とわたしは語り納めた。
わたしの努力が報われたことを知ったのは、それからほどなくのことだった。居住棟の梁に電球がひとつともった。そしてわたしは、涙を浮かべてわたしのほうへ、礼を言おうとよろめき寄ってくるぼろぼろの仲間の姿の見たのだ。しかし、この夜のように、苦しみをともにする仲間の心の奥底に触れようとふるい立つだけの精神力をもてたのはごくまれなことで、こうした機会はいくらでもあったのにそれを利用しなかったことを、わたしはここで告白しなければならない。
p.135
「米大使一変、激怒」(産経)、「米、同盟協議を延期」(読売)、「普天間暗礁 同盟に影」(朝日)など、米軍普天間飛行場の移設問題では左右両派の新聞が、「同盟が危ない」という同じ論陣を張り続けている。
「『米大使一変、激怒』と産経は刺激的に書きましたが、そうした事実はまったくありません。われわれは外交官ですから」(米大使館関係者)
米外交筋によれば、米国では外交官が他国の批判をすることは固く禁じられているので、こういったことはあり得ないという。
「『米、同盟協議を延期』にしても、そもそも協議のスケジュールもまだ出来ていない。出来ていないものを延期するなんてことは無理です。日本の新聞は危機を煽りたいようですが、同盟関係は幅広くかつ深い。普天間問題は同盟に影響しないし、危機でもありません。米側に取材すれば、すぐに分かることばかりなのですが……」(同前)
「日本の新聞の米国報道は普天間に限らず誤報だらけ。だから別に驚いていない」
日本の外務省は何度か事実関係の間違いを会見で新聞側に指摘したという。
「しかし、訂正記事を見たことがありません。結局、間違いが事実として広まってしまう」(外務省関係者)
では、同盟関係の現状を米国はどう考えているのか。米シンクタンク、新米安保研究所の上級顧問で、著名な国際政治学者のパトリック・クローニン氏は、こう語る。
「政治が大きく変わったときには、つねに悶々(もんもん)とした政策の再検討と不確実な時期がやってくるものです。だが、こうした時期こそ、世論の幅広い支持を得た同盟を強化する好機になる。日本にとって幸いなのはオバマ大統領が日本の事情に理解を示し、『米政府のほうから危機の原因を作ってはならない』『忍耐強くなければならない』と言っていることです」
オバマ大統領が大好きな日本の新聞だが、ここでは大統領の足を引っ張っている。
「このような報道に煽られて、『本当の危機』が来なければいいのですが……」
米国の外交官が他国の批判をすることは固く禁じられているので,そもそも「米大使一変、激怒」が有り得ないと.右も左も日本のマスコミが「不安産業」だと揶揄されるのも納得(週刊誌がソースなので記事内容を100%信じるのは必ずしも賢明とは言い難いけど).
ああ、私がいる!
本当にそう。確かにそう。全くもってそう。
留学がいかに理想化されているか、留学した人のみぞ知る、という感じ。
私もそのクチだった。勉強ばっかり、言葉わかんね、パーティーにすら誘われない。辛かった。途中休学して帰国するほど挫折気味だった。
私はその後復学してちゃんと卒業したわけだけれども、帰国したまま戻らない人もたくさん知ってる。精神的に辛くて帰った人もいれば、真逆でパーティーしすぎて勉強できず退学の人もいた。
最大でもあと1年は待って。絶対に楽になるから。あと半年すれば相変わらず授業は大変だけどコツは掴めてくるし、友達も作ろうかなーという気になると思う。パーティーには飽きるかもしれない(あれは実際は意味ない飲み会で得るものがあまりない、と私は個人的に思っている。ある程度の人脈が確保できたら、あとは行くパーティーを選んだ方が良いよ)
白人・黒人・アジア人の友達、どの人種が多いか、自分がどれほどレイシストなのかはアメリカの住んでる場所にもよるし、気にしたらキリがない。どの人種でも話しやすい人は話やすいし、話しにくい人は話しにくい。今はアジア人の人が話やすいだろうからアジア人とばっかりつるんでるのかもしれないけど、それでいいと思うよ。住んでる地域によっては積極的に白人グループに絡んでいって逆に「何お前?」って差別受けることもあるし。しばらくはじーっと周囲の様子を見てるのが賢明かもしれない(私の場合はそれで良かったと思ってる)。
個人的な経験だけれども、私は4年アメリカにいてできたアメリカ人の「友達」は5人もいない。パーティーもほとんど誘われなかったし、行かなかった。もともと友達が少ないってのもあるけど、本当に友達になれたのは5人以下、2、3人。そのかわり、留学を終え3年経った今でもとても良い関係を築いていると思う。大体のアメリカ人はすぐに連絡が途切れるから、遠距離でここまでしっかりした関係を築くのはすごいと思ってる。
でもやっぱfacebookなんかでみる「こんなに外国人の友達多いよ!イエーイ!」というパーティー写真、見てると羨ましいかもしれない。そんな気持ちはあって当然だと思う。
今は時間があるからしっかり自分と向き合って、何が自分に合ってるのか、何をしたいのか、何のための留学かを明確にするといいんじゃないかな。しばらくすれば、嫌でも人と知り合うし、少しずつ経験していけば良いと思うよ。私は留学期間、ものすごーく自分と向き合えた。ある意味修行だったw そのおかげで、今はパーティー三昧だった子達よりかは自分の事を分かってるし度胸もすわったし、冷静に物事を見れるようになったと思う(思いたい)。
あと、一人の時間を利用して本を読みまくったり文章書いたり写真撮ったり、ゆ〜っくりした時間を過ごすことができた。私にはその方が合ってたから、とても良い時期だった。
大変な事の方が多い留学だと、終わった後に得るものは苦労に比例してでかいはず。留学の裏側、アメリカ文化の裏側をじっくり見つめて、色んな事を経験してください。
決してパーティー三昧、セックス三昧、(女性なら)妊娠、結婚、(男性なら)ドラッグ中毒なんてならないように。あれは留学斡旋業者が生み出した「留学の理想像」の結果だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20091101035113
これに繋がることなんだけどこのバグでこの手のAPPの次回アップデートはAppleの判断で、
ってなった。ショックだった。
確かにニッチな機能で殺される、OSのアップデートが必要な今までずっと放置されていた規模の既知のバク修正より賢明な判断だ。
このバグで殺される機能は、iPhoneがカメラである故の機能を否定する物だからだ。
でもタイミング的にその一端を、と思うと、何ともやりきれない。今はすっかり愛用のアプリになっていたからだ。
「タコになるな」
今この言葉が通じる所はやっぱりごく一部だけだと思う。
見た目だけ論理を展開しているように構成しても中身が全然論理的じゃない。
・議論の中核になってる単語、「聖人、賢明、馬鹿」あたりの定義がない。(聖人とは「聖人君子のような」であるとか定義じゃねー。同語反復はなはだしい。)
・前提として示した事柄が論理を展開する際の出発点として全然使われていない。
・議論の出発点のほとんどが「○○だろう。」という仮定からだから、そっから先にいくら論理を展開しても出てくる結論は全然保証されない。
ここでいう聖人は宗教的な意味でなく、「聖人君子のような」の聖人。
前提:
考:
結:
俺はたぶん頭が悪い。
人間の脳にはスーパーコンピューター並みの処理能力があるらしいが、俺の頭脳はその説に異を唱えたくなるような代物だ。
そんな俺が頭の良さってやつを論じてみるわけだ。
こんなものを誰が読みたがるのか、その意味からして真っ向から否定されても当然な行為ではあるが。
本題に入る。
つい先日夜遅くまで増田で議論を戦わせていたのだがその間、頭が悪いと罵倒をされること数回。
いや困った。傷ついたとかそういうことももちろんあるのだが、それ以上に困ったのは、
俺が俺自身のことを多少なりとも賢明だと思っているからなのだ。
冒頭と言ってることが違うのは承知しているが、仕方ない。
客観的に頭が悪そうなやつの主観が、現実と大きく食い違ってるなんてことはありがちなことだ。
恐らくこれからも繰り返していくのだろう。「俺って頭いい!」→「すいません馬鹿ですみません」なんて出来損ないの喜劇を。
まあ人間だからそういうこともあるわな、とかそういう話で終わっても良いんだけど、何度となく人から馬鹿馬鹿と言われ続け、
それじゃ「頭が良い」ってどういうことなのか言ってみろよ! と行き場のない怒りを覚えてしまった俺を誰が責めよう。
その条件をひとつあげるならば、それは他人を納得させることができる、ということなのだろう。
俺は頭が悪い。
人間の脳にはスーパーコンピューター並みの処理能力があるというそうだが、俺は頭が悪いと分析されても仕方ないような奴だ。
そんな俺が頭の良さってやつについて論じていたところで意味などない。
本題に入る。
つい先日夜遅くまで、増田で議論を戦わせていたが、頭が悪いと罵倒をされること数回。
困った。
俺が傷ついたとかそういうことも勿論ある。が、それ以上に、俺は自分のことを多少なりに賢明だと思っているから困ったんだ。
冒頭と言ってることが違うのは承知している。すまない。
頭が悪そうだと思われる奴ほど、得てして、自分の中では頭がいいと思いがちなんだ。
恐らくこれからも繰り返していくのだろう。
「俺って頭いい!」→「すいません馬鹿ですみません」なんて出来損ないの喜劇を。
人間だもの、そういうこともあるわな……とかそういう話で終わっても良いんだ。
けど、何度となく人から馬鹿馬鹿と言われれば、じゃあ「頭が良い」ってどういうことなのか言ってみろよ!
と行き場のない怒りを覚えたってまったく仕方がないというものである。
つまり一言でいうならば、頭が良い人とは他人を納得させることができる人物である、ということなのだ。
その上に正義なんてものが付けばもはや最強ではないだろうか? 正義あるプロタゴラス。うん、最強だろコレ。
やってみた。今の俺の限界。
増田の文章を読んで、ちょっと頭悪そうだなと思った。
細かい言い回しで、ミスとも言えないような微妙なミスが目立つ。
>必要性としては皆無といっても差支えのない提言ではある。
わざとらしい文語体にしてるのはわかるけど、この言い回しは不自然だ。
>つい先日夜遅くまで増田で論議をしていたわけだが
普通は「議論をしていた」か「論議を戦わせていた」じゃないかな。
あえて論議をしていた、にした意図が不明。
>俺が俺自身のことを多少なりに賢明だと思っているからなのだ。
「多少なりとも」ね。
正直、文法なんてのは言葉のリズムが良ければ、どうでもいいと思ってる。
残念なことに、増田の文章には、リズムも知性も欠けているんだ。
他にも「まあ」が多いとか、口調が回りくどいとか、そこはかとなく衒学的な感じとか、
色々「ちょっと頭が悪そう」な要素が揃ってるんだよね。
なんつうか、中途半端です。がんばりましょう。
俺は多分頭が悪い。
人間の脳がついている分スーパーコンピューター並みの処理能力があるとは言え、頭が悪いと分析されても仕方ないような奴だ。
まあそんな俺が頭の良さってやつについて論じてみる訳だ、必要性としては皆無といっても差支えのない提言ではある。
本題に入る。
つい先日夜遅くまで増田で論議をしていたわけだが、頭が悪いと罵倒をされること数回。
いや困った、傷ついたとかそういうことも勿論あるのだが、それ以上に困ったのは、俺が俺自身のことを多少なりに賢明だと思っているからなのだ。
冒頭と言ってることが違うのは承知しているが、いや仕方ない。客観的に頭が悪そうなやつの主観が現実と大きく食い違ってるなんてことはありがちなことだ。
恐らくこれからも繰り返していくのだろう。「俺って頭いい!」→「すいません馬鹿ですみません」なんて出来損ないの喜劇を。
まあ人間だからそういうこともあるわな、とかそういう話で終わっても良いんだけど、でもまあ何度となく人から馬鹿馬鹿と言われれば、じゃあ「頭が良い」ってどういうことなのか言ってみろよ! と行き場のない怒りを覚えたってまったく仕方がないというものである。
まあ一言でいうならば、それは他人を納得させることができる、ということなのだろう。
子供手当てと高等教育無償化って、別に中年以上を対象とした政策ではないと思うのだけど。中年以上の人間は子供の養育・教育なんか半ば以上終わってると思うし、そもそもこれらの政策の主眼は、そういう親世代に対する負担の軽減というよりも、その子供達が持つ潜在的な人的資源の価値を高めるための投資じゃないのかしら。(まあ、親世代に対する効果を狙っていない、ということはないだろうけどね)
それと「施し」「開発」なんて言葉で括って現代政治を捉えるのはちょっとどうなの。国民の福利厚生・教育水準を高く保つことは、同時に将来の先端産業の発展可能性を高め、その消費者を生み出すことでもあると思うのだけど。何でそんな二項対立の構図で政治を捉えているのかが皆目見当が付かない。元増田が考える「開発」って一体ナニ?申し訳ないんだけど言ってることが凄く前近代的な印象を受けるよ。
今更国家主導の産業・経済政策を称揚するが如き言説をするところもそうなのだけど、元増田は政治に対する意識が非常に保守的というか、アナクロな部分があるように思う。正直、あんまり同意できないなー。例えば、かつてのシグマ計画みたいなことをやられても「開発(笑)」みたいにしかならんし、その手のミクロな経済・産業振興は民間に任せろよ、と。市場がまともに機能してないような国じゃないんだから。
あとこの辺、
民主主義における選挙では、頭が悪い人間をたくさん集めることすなわち勝利なのだ。(頭の良い
人間は、機会がある度に判断して誰を支持するか考えなおすので信頼がおけないが、無知な人間は
一度支持と決めたら「支持すること」が目的にすり代わってしまうことが多々ある、あるいはそう
導きやすいのも都合が良い)
定量的にこの主張を裏付けるような研究・文献があるようなら教えて欲しい。
正直、そんな単純な動きで政治を測ることができるなら、自民党はあんな大敗を喫することはなかったと思うのだけど。
http://d.hatena.ne.jp/MATO/20091014/1255526719
年収いくらの給与明細ってのがちょっと前に話題になっていて、比較のために自分の数字を出してみるのも面白いかなと思った。
1000万の人が公開したので自重していたんだけど、消えてしまったので、時期を逸してしまった感がありありだけど公開してみる。
当方のスペックは、外資系金融、30代、部長クラス、既婚子ども1人、23区の郊外のほう在住といったところ。数字は加工してあるけど、だいたいあってる。
サラリー 月 780,000
公的控除
健 保 27,000
年 金 63,000
雇用保険 5,000
所 得 税 40,000
地 方 税 80,000
-----------------
計 215,000
ボーナス 年 5,700,000
公的控除
健 保 180,000
年 金 340,000
雇用保険 30,000
所 得 税 950,000
-----------------
計 1,500,000
総収入 780,000×12+5,700,000=15,060,000
総控除 215,000×12+1,500,000= 4,080,000
総手取 15,060,000 -4,080,000=10,980,000
年収1500万から400万ほど控除されて、手取りは約1100万。ボーナスはもちろん業績連動。不況で減った。
年収300万から、転職と抜擢人事でようやくここまできたこともあって、今でも基本的には堅実にやってるつもり。
生活費・光熱費・通信費で月17万、家のローンと保険で15万、家族3人の小遣いが8万の計40万円程度が基本出費額。固定資産税とか自動車税・車検費用を平準化すると月2万くらい?、最後に後述のマンション費用が月4万程度相当で、合計で46万円くらいが毎月の支出になる。
余ったサラリーとボーナスは、一部は家電や旅行に使って、残りは住宅ローンの繰上げ返済にあてている。地価が底のころに買った格安物件なので、あと数年でローンも完済できそう。繰上げ返済を優先しているので、貯金は当座のための50万円程度だけにしている。
ちなみに自己投資的なものとしては、本を月15冊くらい読んでる。半分は新書、半分は専門書。だいたい小遣いから月2~3万円使っている。
あと、無駄遣い的なものとして、リゾートマンションを持っている。
バブル期に建てられた中古を、数年前に数百万で買った。こちらはローン完済で、維持費は光熱費・税金込でも年間50万円未満で済んでいる。しょっちゅう家族で使ってるし、実家の両親も毎年1週間以上滞在してくれて恩返しにもなっているので、維持費分は十分回収できていると思う。
車に金をかけてない(60万円で買った中古国産車に6万キロ乗り続けている)ので、購入額的にも維持費的にも、高級外車を買うより割のいい無駄遣いだと個人的には思っている。
でも、何だかんだで、今はまだ資産形成=自宅のローン支払いになってしまっているのが悔しい。地方出身で、身一つで上京して働き始めたから仕方がないけど、最初から都内に自宅がある人との「格差」はものすごく大きいと実感する。
あと何年かで家のローンを完済すれば、ようやく余剰資金が生まれてくるので、本格的に資産運用を始めて老後に備えるつもり。リゾートマンションもキャッシュフロー的には悪者なので、いずれ手放す予定(売却しやすいよう、最寄り駅から歩けて管理費の安い物件を選んである)。
今後公的負担は増えそうだし、それでも年金・健保・介護保険は破綻しそうだし、そもそも今の手取りを維持できる保証もないので、今の収入でも、2人めの子どもは作れないと感じる。
まあ、本当に日本の公的福祉が破綻したら家族で海外に移住したほうが賢明そうなので、そこまで見据えて今からいろいろ準備・研究していこうと思っている。
そこそこ読んでもらえたみたいで嬉しいので、いただいたコメントについて少々追記。
部長で1500万は安い→業種・職種によると思うけど、殺人的に忙しい職場でもないし、まあその程度の人もたくさんいるということで。
子ども作れるはず→同意。生活水準の問題でもない。ただ失職のリスクもあるし、将来を考えると躊躇する、という感じ。2人めは1人めよりコストかからないし、子ども手当が出るなら結構魅力的だとは感じる。
貯金が少ない→繰り上げ返済直後は50万。でもそこにサラリーが乗るし、毎月余ってくので、大体いつも100万以上は口座に残ってる。
収入が増えると支出も増える→そうならないように努力はしてる。実は今の支出は年収700万相当で収まってる。マンション手放して住宅ローン完済すれば500万相当まで下げられる。
クルーグマンは効率的市場仮説(EMH)を批判しているが、それを理解してないようだ。彼は「経済学者がバブル崩壊を予想できなかった」というが、誰も市場の動きを正確に予想することはできないというのがEMHの基本命題で、今回の事件はそれを証明したのだ。いっておくが、市場が「効率的」だというのは「安定している」という意味じゃないよ。
市場経済の本質はそれが完全だということじゃなく、ハイエクが言ったように、それが不完全な知識でもどうにか動くということだ。クルーグマンは政府が市場より賢明だと想定しているが、超低金利を続けて資金過剰を作り出し、ファニー・フレディーに事実上の債務保証を与えて住宅バブルを生み出した政府が、市場より賢いと信じている経済学者は彼ぐらいのものだろう。人々が不合理だという行動経済学の主張は正しいが、同様に政府も不合理なのだ。
特に支離滅裂なのは、彼が70年前のケインズ理論を擁護している部分だ。ケインズが書いたように穴を掘って埋めようともGDPさえふくらめばいいというのなら、マドフは英雄だ。彼は投資家の余剰資金を預かって、それを派手に使う人々(彼自身を含む)に与え、「有効需要」の増加に貢献した。この理論によれば、政府の財政資金がすべて盗まれるのがいちばん簡単で効果的だ。泥棒の限界消費性向はきわめて高いからだ。
経済学の現状についてのクルーグマンの理解は、30年前で止まっている。われわれはKydland-Prescottの1982年の理論を復唱しているわけではなく、現在の研究の主眼はどのような不完全性や摩擦があるかを実証的に検証することだ。クルーグマンは実証には関心がないようだが、「真水理論」は実証研究のベンチマークにすぎない。彼は「経済学は数学的に複雑になりすぎた」というが、問題は逆だ。今のマクロ経済学は、この複雑な経済を扱うには単純すぎるんだよ。
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