はてなキーワード: 無理数とは
うん、虚数よりは先だと思うよ?
今話してるのは2乗の式の解き方、ではなくて、虚数に直接つなげる話だったのね、ごめんなさい。
X^2=4
X=+/-sqrt(4)=+/-2
X^2=1
X=+/-sqrt(1)=+/-1
と習うとき
X^2=2
X=+/-sqrt(2)=+/-1.41421...
と習うと思うけど。無理数云々までこの時に習ったかどうか忘れたけど、こうやって無限に続く小数で、大体1.41421...なんだって。
実際、1.41を2乗すれば1.9881だし、1.41421とかだともっと2に近づくからそういうものなんだ、と。
で、
X^2=-1の時は?って聞かれたら
X=+/-sqrt(-1)
まではそのまま誰でも出来ると思うよ?単に式変形だから。
で、これが何なのか?って言われて、何なの?
これまでは実際に数字として書けたわけ(sqrt(2)とかは実際には全部は書けないけど、"大体"なら書けたし数字の感覚としては分かりやすいと思うの)
でもsqrt(-1)なんて出てきて、それを考えろ、って言われても何もわからないと思うのね?
これがよくわからないけど、結局、こういったものを"i"として虚数と言うものとして導入します、ってことをやるんでしょ?
sqrt(-1)までを書かせることが数学的なの?
まあ、益田が思う思わない、と言う話ではないんだけども
こう書くと、むしろ"対"だ、と言いたい様な
一方、自然数から有理数までは、実数が何かを考えずに定義できている。
だから僕は対だとは思わなかった。
これは何の根拠にもならなければ話がまったく閉じてないんだけども
その違いを明確にするために、有理数ではない「私」という存在を出して、無理数を定義するために実数という全体の集合が重要であると表現したかった。
これもさらに不明。
要するに、有理数と無理数は実数の中での互いに補集合としての間柄であり、それは対ではない、と言いたいのだと思うけど、
"対"と言う概念が何なのかも説明してなければ何で対で無いのかも書いてないし、
有理数と無理数は対だと言った人がいたが、僕はそうは思わなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20130713134729
無理数は実数集合のうちの有理数の補集合だから、無理数を定義することと実数を定義することはほぼ同じ。
一方、自然数から有理数までは、実数が何かを考えずに定義できている。
だから僕は対だとは思わなかった。
その違いを明確にするために、有理数ではない「私」という存在を出して、無理数を定義するために実数という全体の集合が重要であると表現したかった。
可算性が感覚で決まってたら困るだろwwww
無理数は何となく数えられそうな感じがするから可算で!とかだったらどうすんだよw
一見簡単なように思えるけど、少し考えるとわからなくなる。単純に考えるとまず長さが1の線を引き、その端に長さ1の垂直な線を引く。そして二つの線の端と端を結べば、完成するように見える。しかしこれで作図できているのだろうか?なぜこんなことを疑問に思うかというと、ルート2が出てくるからだ。2等辺でない残りの辺の長さは三平方の定理からルート2になる。ルート2というのはよく知られている無理数である。従って理論的にはどこまで正確に引いても、有限である限りは長さが足りなくならなければならない。例えば1.41の長さの線を引いたとする。これだけでは、0.004は少なくとも足りなくなる。次に1.414の長さにしたとする。それでも0.0002は少なくとも足りなくなる。これがずっと続くのである。ルート2は無理数なので、理論的には有限である限りは常に長さが足りなくならなければならない。言い換えれば作図できないはずなのだ。しかし現実では有限にも関わらず、ルート2の長さの線を引けてしまう。一体なぜなのだろうか?現実が間違っているのだろうか?
横だけど、
これの意味がわからないので解説してほしい。
ぼくも、その話は聞きたい。サラっと説明できなくてもいいので。
いわゆるフツーの「ことば・言語」が、人文科学の世界を表現する道具だとしたら、
「数学」は、自然科学(特に、広義の物理学・力学)の世界を表現する道具で、
つまり、「数学」は宇宙の成り立ちを説明するための「ことば」だと言えると、私は思う。
そういう意味で、数学が世界の射影(線形代数でいうところの写像)という表現は的確だと思う。
そして、ムズムズする感触というのは、たとえば「虚数」の存在や「自然数」「π」のような意味を持つ無理数が、
我々が接していて実感できる空間からは容易に見いだすことはできないのに、
しかし宇宙を構成するために重要な意味を持っていることへの感覚的なギャップのこと、
すなわち、世界の射影であるはずなのに、自分の理解を超えた世界を映し出していることへの不安じゃないかと、
私は思う。
音の高さは周波数で表現される。周波数が2倍になったとき,われわれは音色が保たれたまま1段「高く」なったと感じる。4倍で2段。2^n倍でn段となる。これに必然性はなく生物的所与条件にすぎない(たとえば,3倍を1段と感じたり,100Hzごとに1段と感じる生物がいてもよい)。人間の耳は20Hz~20000Hzまでの音を知覚できるので,最大10段程度(2^10=1024倍)の音色を聞き分けられることになる。
1段を細分化する制度が音階である。分割の仕方には2つの論点がある。まず,いくつに分割するか。一般によく知られているのは12階に分割する方法(12音階)だが,これが「正しい」わけではない。5音階や3音階を採用した音楽文化も存在する。次に,どのように分割するか。先述のとおり音色は比で決定されるので,差で分割するのは普遍性に欠ける(1段内のみなら可能だが,2段目以降に適用したときに破綻する)。人間の耳は最小で周波数の0.3%が変化したときにその変化を感知できることが知られている。よって1.003以上の比で分割することになる。各音の比を可変にして,常に整数値になるようにしたものを純正律,また各音の比が一定になるようにしたものを平均律という。平均律12音階制を採用した場合,各音の比は12√2になる。これは無理数であるので,これをもとに音楽を奏でるときには近似値を用いなければならない。
F = f * 2^(x/12)
と表すことができる。なおfは基準音,xは基準音からの隔たりを示す整数(音程)である。前提から自明であるが,これは離散的な値をとる。
音階に基づく音を時系列に沿って表示する記号体系として五線譜が広く用いられている。周波数の高低を視覚的な上下に置き換えて示すため直観的にわかりやすい。この五線譜を周波数のグラフとして考えることができる。各々の線は等比的な増大を示すため,対数グラフである。ただし一般的な五線譜の記法は7音階+5半音という古典的な考え方に基づいているため完全な対数グラフではない。