はてなキーワード: 歌手とは
私は、自分のような人間は、こんな人生の悪いくじをいっぱいひいて生きてきたこんな人生なんて、なくてもいいや、と思って生きていたもんでした。そんな中でひとりの牧師さん、その家族との出会いの中で、自分の人生っていうのが、意味があるんだ、価値があるんだ、自分は自分でいていいんだ、ということを感じるようになりました。
私にとって視覚障害ということ、そして混血ということ、そして親にほうり出されてきた、そんないろんなことを考えるとすべてがもうマイナスに見えてきて仕方がなかったんです。まさにコンプレックス、劣等感のかたまりでした。
でもそういう中で私が歌を勉強したいと思って、神戸に住んでおられたイタリア人のバランドーニ先生のところに勉強にいったんです。世界的ないろんな歌手を育ててきた先生なんですけども、私の歌をちょっと聞くなり、「この声は日本人離れした声だ。日本人にはない、何か明るいラテン的な匂いのする、オペラを歌うようなそういう音色がある。どうしてこういう声が出るんですか」って言われました。その時私ははじめて自分の話をしました。父の話をしました。メキシコ系ラテン系の軍人だったということを話しました。その時に先生が私に言いました。「この声は神様から与えられた楽器だ、だからこれはしっかりみがいて用いなさい」って。嬉しかったですね。自分がコンプレックスのかたまりだった、自分が混血だとかハーフだとか言われて、そのことが嫌だった。でもそのラテン的な血を半分もらったということで、むしろこれをプラスにとらえていく、この楽器をうんとみがいていく、そんな気持ちに変わったんです。
人間、生身の肉体を持った私たち人間ですから、どうしても利害、打算、損得、そういう世界に生きてしまいがちなんですけども。人とくらべて生きる、人を気にしていく。しかし本当はくらべる必要は全くないわけでして、くらべようとするからねたみだとか嫉妬だとか、そんなものがいろいろと起こってくるわけですね。自分が、あるがままの自分でいいんだ、自分以上である必要もないし、自分以下である必要もない。あるがままの自分を受け入れる。
ですから、よく「自信をもって生きる」という言葉がありますけども、「自信を持つ」ということは別に人とくらべて自信を持つということではない。自分は自分でしかないっていう、ある種のうなずき。それをしっかり持っていれば、私たちはいろんなことがあっても乗り超えることができるんじゃないでしょうかね。
いまや巷で大流行、新聞やテレビでもその名を見かける Twitter ですが、そろそろ Twitter 歴 4 年目に突入する長老たちが増えてきたのではないでしょうか。
大昔は、全角文字と半角文字の間に半角スペースやドットを入れたりしないと日本語が使えなかったり、
GoogleTalk から発言できる IM という機能があったりしましたが、それもすべて昔話。
時代は変わり、 RT やハッシュタグを利用した、昔は想像も出来なかったような Twitter に風変わりしてしまいました。
そんな時代に取り残された長老たちのための Twitter 再入門講座をしたいとおもいます。
Twitter 新参の若者たちは、古参の風習なんて知りません。まして RT を会話に使ってはいけないなんて知らないんです。
だって、あの有名な芸能人だって RT で会話してるでしょ? だから私も RT を使うの。
RT を利用した会話に寛大になりましょう。むしろ、率先して RT を使いましょう。
RT は ReTweet だ? 公式 RT ? そんな人は放っておきましょう、 Block しましょう、それが Twitter です。
古参アカウントをそのまま運用しても良いのですが、ここは気分一新、新しくアカウントを作りましょう。
特に難しく考える必要はありませんが、名前は分かりやすい、読みやすいものが良いですね。
アイコンは、 Twitter 上での顔とも言える重要な部分です。是非ともアニメ系のアイコンは避けておきたいところですが、
特に思い付かないときには好きな食べものの写真とかにしておくと良いでしょう。私はカツレツにしていました。
どちらにするか悩ましいところですが、ここは是非ともパブリックアカウントにしておきましょう。
というのも、後述する「フォロー時の挨拶」がプロテクトアカウントでは出来ないからです。
また、プロテクトアカウントの RT をためらってしまう優しい人もいるので、ここは是非ともパブリックにしておきましょう。
日本語で書いてください。 Tokyo, Japan とかちょっとカッコいいですけど、日本人相手なので、東京って書きましょう。
とーきょー、とかでも良いですね。
ここには間違っても d.hatena.ne..... とか書いてはいけません。はてなとか誰も使いません。
もちろん iddy とかも書いてはダメです。 iddy ? ナニソレ?
オススメはアメーバとか jugem でブログを書いて、そこへの URL を書きましょう。
でも、この講座を受けている皆さんは持っていない方が大半だと思われますから、無いなら書かなくて良いです。
Bio の欄は自己紹介を書きましょう。ここは古参であるとか新参であるとか、あまり気にしないで良いと思います。
自分の興味のある単語をタグクラウド的に繋げていきましょう。でも技術っぽい内容は NG です。
好きな歌手とか、音楽のジャンルとか書いておけばいいでしょう。
「フォローご自由に」と書いてはいけません、ちょっとお爺ちゃんっぽいですよ。ここには「 follow me ♪」と書いておくと若者っぽいです。
さて、フォローをしましょう。長老たちはどうやったか? ついったー部の「フォローご自由に」のページですね。とても重宝しました。
ですが、ここではそんなことはしてはいけません。ハッシュタグを検索します。そう #followmejp から適当にフォローしましょう。
さて、フォローをした後には、どうしたら良いでしょう?
そうです、感謝の気持ちを伝えなければいけません。何事にも礼儀を主んじる日本人らしい行動ですね。
@kohmi フォローさせて頂きました。これから宜しくお願いします〜♪ #followmejp #sougofollow
こういう風に発言できれば完璧です。
これを見て分かるように、ハッシュタグを有効に使うことが大切です。特に #sougofollow を付けている場合は、
相互フォローお願いします、と言ってみるのも良いでしょう。
フォローをして、リフォロー(フォロー返しのことです)されたら、すかさず DM で感謝の気持ちを伝えましょう。
同様に、新しくフォローされた場合には、直ぐにリフォローすることが大切です。
こうやって少しずつフォロワーを育てていきましょう。
皆さんの大嫌いな非公式 RT を使って会話をします。 Reply なんてインテリぶった機能は使いません。
RT の方がみんな見れて良いし、知らない人にも共感してもらえるので、とても良い機能ですよ。是非とも使いましょう。
mixi でやれ
グイード・ダレッツォ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/グイード・ダレッツォ
グイードは聖歌を短期間で覚えられる方法を考案し、北イタリアで有名になった。しかし他の修道士からの反感を買い、アレッツォに移った。アレッツォに修道院はなかったが、指導が必要な歌手が多数いた。
当時、音楽を表記する方法が確立されておらず、聖歌隊のメンバーは聖歌を暗譜し、次の代に伝承する、という方法をとっていた。しかし人間の記憶力には限界があり、小さなミスが重なり、長い年月の間に聖歌が変化してしまうことも珍しくなく、また暗譜するまでにかなりの時間を要した。そこでグイードは1025年頃、4本の線の上に四角い音符を書くという、現在の楽譜の表記法の原型を考案した。これは当時の音楽会に革新的な飛躍をもたらし、聖歌を正確に記録し後世に伝えることが可能となった。
・Passionate Squall 織部まふゆ(藤村歩), 山辺燈(豊崎愛生), テレサ・べリア(茅原実里), カーチャ(平野綾), 桂木華(日笠陽子)
初登場32位 初動3072枚
たったの3000枚だと? おかしい、ウォーズマン理論でいけば40万枚以上売れるはずだ。
日笠 Don’t say “lazy” 16万枚
豊崎 Cagayake! GIRLS 15万枚
かなりショックな出来事だった。
高校時代の友達(出身は広島で高校時代は大阪にいた)が東京におり、
親族の用事があって東京に行った俺は、その友達とボウリングへ行くことになった。
電話では、二人(AとBとする)、彼の友人が来るという風に言っていた。
近くの駅で降り、ボウリング場まで歩く。
その間は、僕の友達としかしゃべっていなかった。
AとBは、二人で何か熱心に話していた。
ボウリング場につくと、当然AとBともいろいろ話す。
特にAとは、好きな歌手が同じだったので、その話で盛り上がっていた。
さて、どうやら友達は、AとBに、俺がどこの出身かは話していなかったらしい。(ってまあ普通かな。)
Aが「そういえば(俺)って今だけ東京にいるんだよね。ってどこ出身なの?」と言ってきた。
「あれ?訊いてなかったの、大阪から・・・」って言ったらAとBの顔が変わる。
A「え?じゃあ韓国人?在日かよー」B「在日特権で毎日楽しいでしょ?」とか引き顔で言ってきた。
(在日特権なんて言葉は活字としては見たことがあったが会話の中では聞いたことがなかったなあ)
当然俺は否定する。
「いや、違うけど・・・」
B「そういえば見た目が・・・」
A「しゃべり方もそうっぽいと思ってた」
友達は、投げ終わって、次が俺の番になった。
正直、このときAとBが気持ち悪くて仕方なかったが、冗談かな、みたいに気軽に考えていた。
投げ終わって座る。
そしたら、友達が
「おまえ、韓国人だったの?」
俺「え?」
友達「いやもっと早く言えよ!なんで隠してたんだよ!俺は朝鮮人が大嫌いなんだ!」
どうやらキレている。俺は何も言えなくなった。
A「おまえみたいな朝鮮人は日本にはいらないんだよ!キモイから近寄るな!」
「いや、だから朝鮮人とか韓国人じゃないって!家系にも誰も韓国人なんていないから!」
A「おまえの顔見りゃわかんだよ!消え失せろ!」
その場にいられなくなった。悔しくて手が震えていた。
よくよく考えてみると、おかしすぎる、みんな。
高校(大阪の)で友達だったはずなのに、どうして俺に確認もしないで、A・Bにそそのかされて
俺が在日だと簡単に信じてしまったんだ。
つ オリビアを聴きながら(1978年 作詞・作曲 尾崎亜美)http://www.youtube.com/watch?v=jq6cWEqcyTQ
「オリビアを聴きながら」は、尾崎亜美が作詞・作曲をして杏里に提供された楽曲。
オリコンの記録上では目立ったヒットに至ってはいないが、時を経て多くの歌手にカヴァーされ、スタンダード・ナンバーへと成長した。
駅前や路上で歌うロックなフリーターがいた。ロックを知らない僕から見ても、彼はロックだった。
いらっしゃいませーとか、ありがとうございましたーという挨拶ですらYAZAWAみたいだった。
いらっしゃませェィェァァッみたいな感じだった。ィェァって小声で言ってた絶対言ってた。
彼は今まで引きこもり体質の僕の周りにいないタイプの人だったので、妙に惹かれるものがあり(恐らくカリスマ性ではない)
僕は彼と積極的に同じシフトに入った。
彼とのアルバイトは刺激的だった。
彼は金髪で、コンビニの制服の上から懐中時計(洋画で爺さんの形見にもらいそうなアンティークなヤツ)をぶらさげ接客していた。
時折スライドする蓋を開き、目を細め見つめるので、本当に大切なものかと思ったが、レジにガンガンあててたので恐らく違う。まじうるさい。
指にはシルバーアクセを付けていた。絶対三ノ宮の路上で黒人から買ったヤツだと勝手に思った。
そんな個性的な彼なので客やバイト仲間との衝突も多々あったようだが、やはり人を惹きつける魅力があるのだろう。ぼくもその一人であるように。
ある日、一人でレジをしていると鈴木さりな風のおねーさんが照れくさそうにノートの切れ端を渡してきた。
「これあの金髪の人にわたしといてーww私のメルアドwwwマジうけっしょ?」
愛想笑いをして受け取ると
「は?お前笑うなよキメェ」
みたいな事を言われて僕は歯軋りをした。すごく悔しかった。悔しかったから、勝手に二十歳そこらでヤンキーと結婚して、
お金無いのに子供を産んでクレジットカードとか考えも無しに使って、
多重債務者になって闇金に手をだし泥沼にハマり最終的にソープとかに売られて不幸になるんだし許す、とその場は自分を宥めた。
後日
「あー悪い、俺そーいうんじゃないんだわ」
ファックなことに、この人ロックだった。
「でもかわいらしい感じの人でしたよ。じゃあこれ、どうすんですか?」
「捨てといてー」
「じゃあ捨てときますねー、やっぱ細野さんレベルになるとしょっちゅうある事なんですかね」
といいゴミ箱にその紙を捨て売り場に出た。
フリをして事務室の小窓から覗き見る。僕は器の小ささには自信があった。
細野さんはそれを気にかける様子もなくブラックコーヒーを飲んでいた。
僕は彼のロックに感服した。
それから間もなくして、この、知れば知るほど面白い人を質問攻めにしてみようと企てた。
バイト終了後、事務室に細野さんが入ってきて先に休んでいた僕におつかれーっと一礼してくれた。
「林くんてそんなん飲んでるんだ。俺ブラックしか飲まねーわ」とニヒルに片方の口角を歪める。
さすがの刺身とか食べるときワサビの量ハンパない僕も、この昨日2時間しか寝てねーwみたいな中学生自慢にたじろぐ。
「すんませんまだ味覚がガキで、やっぱ細野さんは小さい時からブラックなんですか?」
何とか立て直す。我ながらうまい、このまま幼少期の細野さんの話にもっていき、それから今のHOSONOまで質問攻めにしようという流れ。
きっと自分語りが好きなので、一回話し出したら止まらなく――
「俺、小学生時代はヒザまで髪伸ばしてたわー教師まじうぜ」
僕の妄想をさえぎってさりげなくとんでもないことを言った。
「まじですか……ヒザって……紫式部じゃないですか……」
というと彼は満足げな笑みを浮かべて言う。
「そんな感じ?」
紫式部が気に入った様だった。
続いて
「その懐中時計かっこいいですね、なんかアンティークっぽくて高そうだし……」
「あー、1900円だったよ?」
「あー」
「ど、どこで買ったんですか?」
「サティ」
「サティ」
「あー、服は?」
「イオン」
「あー……近いっすもんね」
「まぁ」
「シブイっすよ」
「そんなんじゃネーけどw」
ロックだった。
ttp://d.hatena.ne.jp/mekab/20090319#1237429295
エグザイルとか湘南のかぜとか、そういう最近の曲を聴いていると歌詞があまりにも世の中に対して肯定的でびっくりする。サングラスかけたり頭に線あったりダボダボの服着てるひとたちが、家族を大切にとか友だちを大切にとかぼくも役に立てるんだとか歌ってる違和感はすごい。あとは大概恋の歌で、世の中に反抗する歌はほぼひとつもない。
もうおじさんなんだと思う。作るもの作るものぜんぶ肯定的だなんて思考停止したおじさんとしか思えないし、またその歌に賛同する10代のひとたちはとても不健康だ。もう学生運動なんて二度と起こらないと確信する。これを平和と呼ぶのだったら、平和は思ってたよりすっからかんなかんじ。
幸せな歌は世の中にあるべきだとおもうけど、幸せで肯定的な歌しか作れないひとは、それはアーティストと呼ぶべきでないと思う。歌手で、エンターテイナーだと思う、芸術じゃなくて、芸能だと思う。エンターテイナーとか芸能を否定しているわけではなくて、ただあのひとたちがアーティストと呼ばれていることにものすごく違和感があるということだ。
世の中に「問う」人がアーティストだと思う
NHKでいま80年代のミュージシャンのなつかしコンサートやってるが
広瀬香美の声がすっかり落ちていたのでかなりびっくりした
演歌なみだった野太い声がハスキーに近い声になって音程もかなりダウンしていた
時の流れを感じるが
宣伝かな
とふと思ってしまっていやな感じになった
M-1決勝で笑い飯が、チンポジネタを披露したことに何か意味を見出そうとしてる連中は病気か?
笑い飯は面白いよ、2002年の初登場時の衝撃は凄まじかったし、2003年の前年を踏まえた上での進化は凄かった。
今年の鳥人ネタはセンセーショナルを巻き起こして、みんな大好きだし、僕も好きだし、あの紳助も100点をつけた。
みんな笑った、お笑いオタも笑った、お笑いがよくわかんない人は首をかしげたかもしれないけど、それはしょうがない。
漫才やら芸人さんってのは、お笑い好きの連中が見て喜ぶジャンルの娯楽なんだから。
そして、そういうのを見て喜ぶ層ってのが結構いて、まぁそういう人らのために番組が作られるくらいにはマスなんだから。
で、笑い飯の二個目のネタがあんまり振るわなかったことに対して色々と意見がある人がいるらしい。
いやさ、普通にあんまりよろしくないネタ披露してちょっと滑って優勝できなかった、以上の意味あんの?
実はM-1とは、一番面白いお笑いを決める場ではなく、競技であったのだ!!!
とか、いまさら指摘して悦に入ってどうすんの?
そもそも4分ルールって時点で、ナイツの本気のネタは封印されるわけだし
さらに言えばコント主体のグループはその土壌にすら立てないんだし、
ってかMって漫才のMだし、結成して10年以内(色々抜け道はあるらしいが)のコンビが、4分漫才して
審査員達をいかに満足させるか、ってのは決まり切ってる話じゃなかったの?
日本で一番面白い人間を決めまショーじゃないのは、M-1第一回大会からしてそうでしょ。
あくまで4分間の漫才で、その日一番あの歴々たる審査員が一番納得する漫才する人らを決めましょう、じゃん。
そこを意図的に混同してんのか、わざと馬鹿の振りして無視してんのか知らんけど
「俺が面白いと思ったコンビあるいはグループがトップじゃないのはおかしい!」って
屁理屈こねくりまわして、自分自身のセンスをどうにか肯定させたがる人間はなんなの?
そういう人らがどうすりゃ満足して納得すんのかわかんない。
ついに究極的に、客観的には面白かったパンクブーブー、とか言い出すし。
それってすごい大衆的に面白くて、みんなが笑った素晴らしいコンビ、って意味でしかないと思うんだけど。
まぁさ、こういった個人の主観が介入しまくる、あるいみ芸術的なジャンルを100点制で点数つけることに対する異議
みたいのはわからんでもないのよ
オリンピックのフィギュアって、芸術点とかいう素人には解りづらい範囲で採点されてて納得できない!みたいな
でもさ、そこはもう「そういうもんだ」って納得するしかないじゃん
それ言い出したら、究極的には、国民投票しかなくなるけど
それしたらしたで「単なる人気投票」とかまたケチつけるわけでしょ。
M-1は、とりあえず大衆が納得する程度には説得力のある「審査員」が、100点満点方式で点数をつけて優劣を競う競技である、
というのは、第一回大会の地方の素人共が暴走したクッソみたいな審査で迷走していた、ってのをぬかせば
共通しているわけで、そこに今さら鬼の首とった様に文句つけて
ニッチなお笑い通ぶってる連中がケチつけてもしょうがないと思うんだけどねぇ。
お笑い通は、お笑いに詳しいだろうし、人一倍お笑いを愛してるんだと思うよ(とはいえ、M-1以外漫才を見ない、とか偉そうに宣言してた馬鹿もいるけど)
でもさ、それはもうメジャーな視線じゃないって理解しようよ
あるいは邦画にいちいちケチつけないと気が済まない、ハリウッド信者みたいなズレを感じずにはいられんわけよ。
だからってパンクブーブーがメジャーで売れっ子になって、笑い飯が評価されないかつったらそうでもないわけでしょ。
君らお笑いオタの、俺ってば本物を愛してるから、って連中に愛されてるならいいじゃん
お前ら本物好きが、本物が超メジャーになって、馬鹿のオモチャ(笑)になるのが耐えられんのかよ、って思うわ
笑い飯信者は、笑い飯が(信者的に)適切な評価を受けて、はんにゃや一時期のオリラジみたいになっても、また文句言うんだろ
どこの番組に行ってもMCに「ほなら、あのWボケやってみてーなw」って振られて、軽くネタやるみたいな状況にしたいんかっての
それはそれで、お笑いオタとしちゃ許せないんだろ?
ほんとめんどくせぇ病気だなぁ、と思うわ
亀田人気に文句言う長谷川ファンみたいな状況が、自分らも一番居心地いいって知ってるはずなのになぁ
アングラー(笑)で、俺だけが知ってる!俺たちの笑い飯!がどうなら満足すんの?
大メジャーになって、知りもしない歌手やバンドと絡む笑い飯が見たいの?
鬼の首とったように「見たいです!」とかレスポンスするやつがいそうだなぁw
本気でわからん。僕も笑い飯好きだからこそわからん。どうすりゃ満足なんだろう
あと、俺の語彙の貧弱さっぷりもすごいな、と読み返して思ったがどうでもいいや。山ちゃんにはなれないなぁ
※12/27の、誰も読まないだろうけどの追記。(どーせはてぶって好き勝手捨てコメするだけの場所なんだろ)
後出しジャンケン乙、って言われるのはもう分かり切ってるけど
同じ穴の狢だの、野暮だの、見えない敵云々だのは、ようわかる。
お笑いを語る、って時点でそういう土俵に立っちゃうわけだもんな。
「単純に笑えよ!」といいながら、お互い小理屈をこねくり回す、と。
笑えといいながら、笑わずに真面目ぶって、なんか人文崩れみたいな文章をこねくり回すしょうもなさね。
解るんだよ、それは。アホヅラさげてばっかみたいにアハハ、アハハって笑うのが大正解、ってのはわかるよ。
ただ、立脚点が違うよ。
相手は、つまんなかったもんを「面白いと思え!これが正解だ!!」つってて
僕は、つまんなかったもんを「つまんなかったよね」つってるだけ
その、つまる・つまらないの定義は知らんけど、僕は別に正解を求めてるわけじゃないし好きにすりゃいいよ
見えない敵がどーとか、おっしゃってた人がいらっしゃいますけれども
スゲェ単純に、チンポジネタを笑い飯がしかけたことに意味を見出したがるヤツが「敵」だよ。
あれを当人らが面白がってたに違いないから、俺と一緒にみんなもあのチンポジネタを評価しろ!ってヤツが「敵」だよ
だって、あれつまんなかったもん。
俺にセンスないの?でも、あれつまんなかったよ?全然笑えなかったし。
笑い飯自体が俺に合わないとか?
なんか文句あんの?俺に笑いのセンスがないとか?
そこまで、あなたに心配して貰う必要ないんだけどなぁ。
でもさ、二本目のネタはいまいちだったじゃん。なんかあんまり笑えなかったよ
あ、やっぱり、審査員もそういう評価なんだ。あー、よかった、俺も間違ってなかった。
笑い飯はすげぇ面白いネタも持ってるけど、残念ながら、決勝じゃネタチョイスミスって、失敗したんだなぁ。
また来年以降がんばってくれるといいなぁ。なぁ
ってんだけど、これ、なんか間違ってるの?
ま、お笑いオタでお笑い愛に満ちてる人らは頑張って僕らを啓蒙してくださいよ。
弾き語り女の子歌手の路上ライブに群がってるおっさんファンが醜悪な件。女の子とコミュニケーション取りたいけど水商売の人は飲まされるしお金かかるしちょっと怖いけど、ファン獲得に熱心な女の子なら大概のことでは怒られることもないし基本タダだし親切だしチョットぐらいは媚びた感じも出してくれるし至れり尽くせりだっていう非モテの穴場。弾き語りの彼女らから見てあのおっさんたちってどういう風に見えてるんだろう。
ビジュアル系に群がるコスプレ女子の忠誠度をファンの頂点とすれば、路上ライブに集まるおっさんは少なくともファンではないよなぁ・・・と思ったり。あいつら異常に見返り求めてるからなぁ。電車賃程度で偉そうにすんなと言いたい。ファン活動の基本は無償の愛なんだよ!!
下手すりゃ初音ミクや桜高軽音部がって話も出かけていたわけだから、水樹奈々になったというのはまだ穏当な選択だと思う。
それは、嗜好の多様化によって相対的にアニソン等の順位が上がっただけであり、実際にはそれがイコール一般化といえる状況には程遠いものであると言う認識が自分の中にあるからかもしれない。
嗜好が多様化しているので、紅白もそれに合わせたって話じゃないの?一般化してない歌手だって、毎年出てるよ。エンヤとか、知らなかった人の方が多いんじゃないか?
ヲタクがマイノリティだってこと自体に異論は挟まないが、もしヲタクだけがマイノリティだと思っているならそれは違うと言いたい。
NHK血迷ったか!?
最近のオリコンや様々なCDの売り上げランキングを見ると、一見アニソンや声優が紅白に出場するという現象も当然の結果であると言えるのかもしれない。
しかし本当にそれでいいのだろうか?確かにオリコン等でアニソンが上位を占めることも増えてきて、世間一般にオタクコンテンツが浸透してきたかのように感じられるかもしれない。だが、それを持ってアニソンの紅白進出が成されてしまう現実には違和感を覚えてしまう。
それは、嗜好の多様化によって相対的にアニソン等の順位が上がっただけであり、実際にはそれがイコール一般化といえる状況には程遠いものであると言う認識が自分の中にあるからかもしれない。
現実問題として、「水樹奈々」と言う名前を一般人に問うた時、どれほどの人間がその存在を認知していてくれるだろうか?オタク趣味を持たない家族にその名前を問うてみて欲しい。殆どの人間が、どういう人間か理解していないのではなかろうか?(勿論、他の紅白出場者についても同様の傾向が有り得ることは理解している。その意味でも「紅白」と言うシステムの限界を見ることが出来るがそれは今回の論点からズレるので置いておく
未だに、オタクコンテンツが一般メディアで取り上げられる事に一抹の気恥ずかしさを感じてしまうのは、もう既に古いオタクであることの証明になってしまっているのだろうか?
アニソンは紅白の裏で、それこそラジオやBS辺りで特番組んで、それ系の人達だけで盛り上がっておくのが、オタク界隈にとっても一般人にとっても幸せなのではないだろうか?少なくとも、人目を憚らず羽目を外すことが許される場が確保されるのはメリットだと思うのだが
サブカルはサブであるからこそ面白いのであって、それがメインの舞台に押し上げられてしまった時点でその魅力が失われてしまうのではないだろうか?(いや、勿論そのものの持つ魅力が些かも減ぜられるものでは無いことは理屈では理解できる。しかし自らの手を離れてしまった感が存在するのは否定できない。この心情は、サブカル系の人間の宿痾であるかもしれない
全くの別問題としては、紅白と言う一般のメディアにおいて我らが同胞である一部の人間が、我々の間だけで許されていた行動を、そのままそっくり再現してしまうのではないかと言う危惧が存在する事も忘れないでおきたい。
それともこの思考自体が既に老害であり、こうした考えこそオタクコンテンツの一般化を阻害し、芸術や文化として昇華される妨げになってしまっているのだろうか
多分幻聴だと思ってはいましたが、「まるで始まりの合図のように、パーンという乾いた音がしました。」
「えーっと。コレは何かの挨拶?」まさかね。などと口走った矢先から『キリングタイム』だったので、
まったく洒落に成っていないシャレ。を菊地殿から初めて聞く日が来るとは...。としばし青ざめ、
(だって『構造と力』も『(フランツ・カフカの)アメリカ』も半ばアカデミズムを気取った品の良い洒落のつもりだったでしょ。
今回下品だと言っている訳では有りません。寧ろ綺麗にボディーに入ったので苦笑いしております・笑)
爆音再生中です。だって元々フルヴォリューム指定じゃないですかこれは。半分でもこんなに耳が痛いのに。
多分幻聴だと思ってはいましたが、『New York Hell Sonic Ballet』が出た模様です。
因にアマゾンでは
「ニューヨークの、地獄の音響で踊るバレエ。菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの、北米、オペラ、バレエ、サルサへの第一接触。 前作「記憶喪失学」から一年、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの最新作がついにリリース。菊地成孔は本作でクラブのダンスフロアに、オペラ/バレエというクラシックを持ち込み、今まで誰も聴いたことのなかったハイブリッドなダンスミュージックアルバムを完成させた。マイケル・ジャクソン、ピナ・バウシュ、マース・カニングハム、マサカー、NO NEW YORK等、80年代初頭以降のニューヨーク・イコンをアルバムの随所に散りばめ、ミニマル(現代音楽)やモントゥーノ(ラテン)、またはパンクロック、そしてソプラノ歌手を起用したオペラを用い、菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラールにしかできない、クラブミュージックマナーとクラシックマナーの見事な融合を実現。菊地のボーカルトラックも2曲収録の、菊地成孔の超先鋭的なコラージュ感覚がもたらしたペペ史上最高に“踊れるアルバム”ここに完成。 初回プレス限定“ペペ・トルメント・アスカラール ステッカー”付き」
などと盛大に紹介されています。
これを見て飯を噴いたのは言うまでもありません(笑)
〜T.H.
一つ見落としが。
「有名女性歌手の○○は前政権(北京閥ってことね)の偉いさんの愛人だ」とか、そういうのけっこう口コミで広がってて、そういうのに関してはわりと信じてる。
内容的には本当のことだったり、どんどん尾ひれがついてどんどん大きな話になっていっちゃったり色々だけどね。
日本がらみのことも、そういうところが出所でもあるんだよ。
歴史的なことばかりじゃなく、「欧米の会社で働くと待遇がいいが、日系企業で働くとひどい目に会う」とかね。
実際この手の噂は微妙なラインなんだ。単に工場では立って作業するのが日本の常識で、それを中国でやろうとしたら虐待だと文句言われて、そういうのが発端だったり。
あと、ダメ社員を叱るのに、日本人上司が日本式の「怒鳴り」をやっちゃったりとか。
そういうのに尾ひれがついて、しまいには日本人ひでーなみたいになってる部分もある。
ある程度、戦前のことにもそういう部分はあるのかなーなんて思ったり。まあ歴史の問題はデリケートだから勉強してない俺が勝手な類推で言うべきではないのかも。あんまいうと怒る人は怒るからなー。
増田でしょっちゅうみかける記述で、こんなにも誠実で真面目で素行の良い俺みたいな男はモテないのに、テキトーでちゃらんぽらんで二股三股は当たり前みたいな男が何故モテるんだ。世の中、狂ってる。もっと人間の本質を見抜かないと。見る目が無い女ばかりで困る。そりゃあ少子化にもなるさ。みたいなのがあっちこっちにある。
おいおい、ちょっとまてよと。「誠実で真面目で素行の良い男」がモテて当然のように信じてるやつが多いんだけど、それどこで教え込まれた教義なの?
冷静に考えて欲しいんだけど、「誠実で浮気をしない」というような事は、あくまでもお付き合いをしてから解る事であって、お付き合いをする前には解らない事なんだよ。あくまでも"自称"の範疇を超えられないんだよ。
それと、誠実で真面目で素行の良いからと言って、黙っていても、モテまくるなんて事はありえんのよ。黙っててもモテまくるなんて一部の歌手とかとんでもないイケメンに限定される事であって、まず基本的にはありえない。
まあその教義が正しかったとして、女はどうやってそれを察知してアプローチしてくるんだろう。エスパーじゃないんだから。
どんなにモテるやつでも基本は自分から前に出て行くんだよ。アクティブなの。とにかく待っていてもしょうがないんだからアクティブにならざるを得ない。モテるやつはそのへんが解ってるから動く。仮にイケメンであったとしても、それを武器として動く。黙ってるなんてありえない。風林火山なの。
疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山 / 疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如し」
で、なぜか非モテは、林か山だけw戦略が無いの。動かないだけじゃどうにもならん。
物事にはなんでも戦略というものが必要なのに、どこで勘違いしちゃったんだろう。