はてなキーワード: 歌手とは
スーパーでもどこでもいいけど買い物に行くと結構な頻度で
腐れ自己憐憫系の曲であるところの「素直になれたら」が無限ループで流れていて不快極まりない。
今調べたらとても人気のある曲であるらしいが、
愛してるとかなんとか言いながらもチキンすぎて行動に移れない私超かわいそうという
気持ち悪い事この上ない自己陶酔の曲でしかなく、そんな腐ってる感情をウジウジと篭めた歌い方で熱唱していて誠に聞くに堪えるものではない
しかも輪をかけて最悪なのは、featなんとかと称して男と女の歌手が交互だったり同時だったりしながらネチネチと歌うのだから、
もうこれは聴いてる側からすれば、目の前のカップルが寸止め愛してるアピール合戦をやっているようなもので
おまえらいいからとっとと告白でもセックスでもしてろよとしか言いようが無く
買い物に来る客がほとんどであるはずの店で、こんな曲を強制的に聞かせるのは愚の骨頂でしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20091015145444
自分もそういう風に考えてた。そのときは別に明日死んでもいいやってくらい人生つまんなかった。だからそれを打開するために趣味を探した。
「趣味がない」とかでぐぐって、解決法を探しまわった。「自然に見つかるまで待とう」とか「テレビを見るとか、身近なことも趣味だよ」とか「そもそも無理して見つけるものじゃない」とか、そういう答えばかり見つかった。確かに正論なんだろうけど、そういうんじゃない!と思った。趣味が見つからないことでさらに病んでいった。
自分でもわかってなかったけど、そもそも趣味がないことが問題じゃない。人生つまらないことが問題なんだと気付いた。
そして「人生 つまらない」とかでまたぐぐってみた。「ネットばっかやってないで外に出ろ」とか「自分から動かなきゃつまらないのは当たり前、甘えるな」とか。こういう回答には腹が立った。自分から動いて外に出たってつまんないんだよと思った。
そしてまた気付いた。つまらないのが問題なんだと。なぜつまらないのか。それは楽しみ方を知らないからだ。
というところまで考えついた。で、最近どうしたら楽しめるのかを模索してる。
楽しむってのは他人とか対象と、気持ちを共有したりして通じ合うことなんじゃないかと思ってる。そもそも自分は友達が全然いなくて、それは人といてもつまらないと思っていたからなんだけど、これも単に楽しみ方を知らなかっただけなんだろうね。だから相手となるべく共有できるように、少ないながらに自分の読んだ本の話をしたり、あるいは相手の興味のあるものを自分も読んでみたりした。そんなことをしてるうちに、人といるのも悪くないかなという気もしてきた。生きるのも悪くないかなとも思ってきた。
楽器が趣味の人は、弾いてるとギターと一体化してるような心地よさを感じたりしてるんじゃないかと思う。本が読めれば人生楽しいですっていうような人も、物語の登場人物に感情移入するのがうまくて、通じ合うことをしてるんじゃないかな。副次的に漫画オタ友とか楽器弾き友とかができたりするだろうし。ライブに行くのが好きな人は、自分が好きなアーティストを好きな人が集まって、リズムに合わせて飛んだりとかで。コミケとかも同好の士がいるから楽しいんじゃないかな。こんな趣味らしい趣味じゃなくても、昨日見たテレビの話を友達とすれば楽しいって人もいるよね。
楽器なんかだと弾けるようになるための練習、自分からしなきゃならない行動が難しい。だから友達と話すくらいの、行動の要求が少ないものでいいじゃんって人もいるね。
自分も好きな歌手は1人、2人程度しかいないけど、前にその1人のライブに行ったことがあった。そこでは曲に合わせて手を振るとか飛ぶとか、観客と歌手が作り上げる空間が広がってた。でも自分は自意識過剰なので恥ずかしがってただ突っ立ってるだけだった。好きな歌手のライブなのに、終わったあと、けっこうな疎外感に襲われた。手を振らなかったから、飛ばなかったから。参加する権利はもちろんあったのに。手を振るのも飛ぶのも、難しいことじゃないのに。
自分から行動しなかったから。今まで楽しめる場面をたくさん逃してきて、ようやく「自分から行動しろ」の意味がわかった。腹が立つのは図星だからだね。
話がずれたけど、趣味、何が楽しめるかは「そもそも無理して見つけるものじゃない」っていう答えの通り、時間が経つと自然に決まってくるし、誰だって1つくらい興味を持ってるものはあるよね。でも、どうしたら楽しめるかがわからない人は試行錯誤して答えを出していく必要があるんじゃないかな。
それ同意。
僕が思ったのは、そのアニメのために作られて、それ以外のプロモーションとタイアップしていない楽曲という言い方だったけど、そっちの方が的確でいいな。
たとえば、倉木麻衣が歌ったコナンのOP/EDはアニソンというよりもJ-POP扱いだし、水樹奈々の歌ったなのはOP/EDはJ-POPでなくアニソン扱いでいいと思う。そういう例とも合致する。
ただ、クリスタルキングの「愛を取り戻せ」(北斗の拳の件OP)とか、黒歴史だけどやしきたかじんの「砂の十字架」(ガンダム主題歌)をJ-POPに入れるかアニソンに入れるかの問題が出るんだけど、これについてはアニソン専属歌手ではないので、アニメ用に書かれた楽曲ということでアニソンに入れるのがいいと思う。
友人に誘われてAKB48を観に行ったんだけど、「みんな頭おかしいんじゃない?」って思った。
大の大人が、ガキが踊ってるのをみて大声を上げている。はっきり言って異常だ。
歌手が必死になるのは何となくわかるんだけど、見てる人までなんでこんなに必死になっちゃってるの?って感じ。そのグループが売れないと死んじゃうのっていう勢いだもの。怖いよ怖い。
普段はおとなしい友人が、ステージに向かってすごい剣幕で叫んでいる姿を見て正直言ってかなりひいた。
一応社交辞令で、楽しかったとは言っておいたけど、どうも楽しみ方がわからなかった。友人にまっすぐに聞くのもアレだからここできくんだけど、アイドル好きの皆さんはどんな心理で楽しんでるの?
6/25 マイケル・ジャクソン(歌手) ※享年50、他殺
横だけど俺に取っては
・目的が上からあたえられたものではない
・その集団に出入りすることが自由だ
場合にはみんなでやった達成感を感じるかもな。
例えば今フットサルやってるけどこれは俺が好きで飛び込んでるわけ。そして仲間も同好の士なわけさ。そしてその外部には別にフットサルに興味がない人たちがたくさんいる。つまりそれに価値を感じないということも肯定されている、という世界観をサークル内で共有している。
文化祭とかってこれらの要素を一切満たさない催しじゃん?
そこがファシズムっぽい。
似てる状況としては、卒業式にアンジェラ・アキ(別にどの歌手でもいいんだけど)が来て生徒たち大熱狂!とか。その横でケッ!なってる人がいたらそれは俺の分身だ!
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1303084.html
亡くなった著名人に対してそうウェブ上で弔意を表する人たちに、前々からなんとなしにひっかかりをおぼえていた。
「お悔やみ」は本来的には、故人の遺族などの関係者に対して「申し上げられる」ものだ。社交辞令的な側面を除けば、そこには人の死という最上級の悲しみを他者と共有し、辛さを分かち合うことで、明日への活力を得るための一助とする目的が存在する。なんとか彼の屍を乗り越えていこう。おじいちゃん最期になんていってたの? 生きろ、ってことさ。
ではウェブ上でお悔やみを述べる人々は「ワールドワイドなネットワークでディープなサドネスをシェアすれば、よりサフィシエンシーに富んだアロケイションを実践できるライフハック」でもキめようとしてるのだろうか? おそらく違う。ある種の人々にとってはウェブという葬式には不自由な場で唯一打てるの弔電であるし、別のある種の人々にとってはライフロギングの一環にすぎないだろう。そして、また別のある種の人々にとっては「本気で悲しんでる人」になるための入り口を作り出す儀式でもある。
訃報が大きなニュースとして扱われるのは各種著名人の中でも俳優、歌手、芸人などなどアーティストの場合が一番多い。ニュー速やはてなの場合はオタ寄りの人間が多いためか、漫画家や声優も比較的反響がデカい。こういった人々はアウトプットしたものが他に比べて我々の生活に入り込みやすい。あるいは、能動的に手に入れる場合の(精神的・物理的)コストが非常に安く上がる。だから、ファンならずとも「思い出してみれば、(作品を)見たこと、聞いたことがあるよね……」という気分に陥る。 仮想的な個人関係が構築される。そうなるともう「知人」だ。知ってる人が死ねば悲しい。当然の感情だ。だから、お悔やみを申し上げる。当然の論理だ。
これは「悲しんでるフリ」なのか? 否だろう。少なくとも、結果的には「本気で悲しむ」ことになるのだ。そういう結果に行き着いてしまうシステムができあがっている。そう、悲しみを指数関数的に増幅させるプロセスが。
著名人の死には思い出補正のほかにもうひとつ、故人の個人情報(しゃれじゃないよ!)、即ち通常の葬式における「彼/彼女とのおもひで パブリック版」がメディアによって無償提供される。追悼記事の体裁をとった故人の交友関係、裏事情、履歴学歴出身出自家柄家族構成年収バイオグラフィーその他諸々が暴露される。作品が繰り返し繰り返し某のりピーバキバキDJプレイ動画並にテレビでリピート再生される。掲示板でまことしやかに故人の美談が語られる。雑誌で特集が組まれ、いかに素晴らしい足跡、業績を残したかが取りざたされる。そして、ブログで「○○に関する個人的な思いデ」なる記事がアップされてエントリ執筆者に<わたし>の代入がはかられる。かくして公人としての彼/彼女の情報と私人としての彼/彼女の情報を手に入れることで、それぞれの中で実際と感情的にはさほど変わらない擬似友人関係が手に入る。リアルと違うのは<わたし>と故人をそれぞれとりまく人間たちがまるごと欠落してることだ。まぁなんて十年前に流行ったライトノベルみたいなんでしょう。君はそれで十分なんだろう。電波はどこからでも届く時代なのだし。
だから、画面上の「お悔やみ申し上げます」はいびつに響くのだ。単に遺族を知らないのあれば、自分の周囲から作者を知る人物を探し出して共有すればいい。それこそネットでは腐るほど見つかる。が、それではダメなのだ。上記のプロセスを経て構築された太くて強固な一本のみから成る関係は非常に閉鎖的で、誰の干渉もゆるさない。その上、線でつながれた二人のうち一人はもの言わぬ屍なのだから、もうほとんど俺 is world.だ。
臼井義人のような行方不明の場合は、この故人情報の提供が前倒しで行われている。(世間一般的には)一部の人にしか知られてなかった「まつざか先生の恋人爆死エピソード」やら、新宗教に関連した家庭内不和の噂やらがばらまかられ、『クレヨンしんちゃん』がベースとなった映画がピックアップされる。作品について語ったインタビューやら本やらが紹介される。そもそもがアニメのお陰で幼児~30代に絶大な知名度を誇る漫画の作者だけに、人々は自分の中の『クレしん』体験を持っている。我々はその記憶をつぶさに思い出の中から発掘し、あたためるだけの時間を時間を与えられる。今までまったく知りもしなかった作者をよき隣人よき友人として捉える様になり、ついにはこうのたまいだす。
「私の人生において『クレしん』はドラえもんとならんで人格形成に強烈に作用したいわばバイブルです。ええ、今でも大ファンですとも。ワシは臼井義人が育てた! しかし今の子供はかわいそうですね。ドラえもんとしんちゃんを同じ曜日に楽しめないとは!」(楽しめる)
既に世間は膨れあがっちまった悲しみではちきれんばかりになっている。今日に至り、「遺体発見!……か?」というニュースがダメを押した。今更後戻りはできない。「なんかの間違いであってほしい」「俺は信じないぞ」。これらは通常、死者に用いられる言葉だ。
人は自分本位ないきものだ。いわんや、(推定)死体と<わたし>としかいない閉じた、花火すらない部屋の中にあっては。死体の前についた(推定)が外れた時、ようやく理想的な関係が得られる。なぜ理想的なのか。安心できるからだ。なぜ安心できるのか。安定しているのだ。構成要素が自分しかいないから。ということは必然的に訃報からはじまる一連のシークエンス主人公はその人自身、ということなる。主人公は人の死を嘆き悲しむのだから人生という本のワンシーンとして、美しくならないはずがない。
画面越しに行われる弔いはその人の体内で循環し続けて決して放散されないのであって、つまるところ内面の問題なのだ。そこに臼井義人の親族や関係者が介在する余地などまったくない。だからこそ、人はどこまでも残酷になれる。決して、自覚することなく。
あなたは悲しむ準備はできましたか? 悼む用意は充分ですか?
私は……臼井さんが五体満足これ無事にお戻りになることを祈ってます。
カラオケで歌いたい曲と実際に歌う曲が乖離している点について。
歌いたきゃ歌えばいいんですが、自分の音域と歌いたい曲の音域が違うんで歌えない。
歌自体の音域が低音から高音サビになると手が付けられない!
♪みつめあーうとーのところとか死亡。
出だしをくわっツンのように低く歌いサビへ~は絶対無理で、最初からキーを高くしとかないとサビへの綺麗な音域移行がでない。
高音へ徐々にあげていければいいが
例)ソラシドレミ
低音から高音裏声への切り替えで歌えない音域が出てくるもんだから
例)ソラ×××ミ←×の所が出ない
苦しい。この辺歌手スゴー!!
という訳で、勝手な経験としてポルノは歌いやすい。ユーミンも。
別にどちらかといえば好きだし構わないが、ミスチルとか鬼束歌いたいんだ・・・。
ミスチルは最近のが昔より音域広がって?(低音が更に広がった)挫折気味だし
鬼束自体は音域問題ないが、元々高音で歌う+発声イントネーションがやばい。
声が低いから自分の高音域の声がキモイし上手くないのは機知だどもさ、悲しい。
練習するしかないのかな(´・ω・`)
後輩は、いろいろな才能を持っている。
まず、スポーツ万能だ。国体出場歴もある。筋肉の引き締まった、すごくいい身体をしている。
カラオケもべらぼうに上手い。聞いていて女子社員の半分が涙ぐむほど上手い。
男なのに料理が上手い。一度彼のマンションでホームパーティーをしたことがあるが、どこのフレンチレストランからケータリングしてきたんだ?ってぐらい本格的な料理が出てきた。
絵も上手い。何かの賞に入選したこともあるらしい。前述のホームパーティーの時に作品を見せてもらった。俺は絵のことはよく分からないが、上手いということは分かった。
本や映画にもやたら詳しい。話題作はほとんど見ているみたいだ。「あの本、タイトル何だっけ」って時は、彼に聞けば大抵分かる。
が、彼は仕事が出来ない。
運動も音楽も料理も絵も本も映画も、SEの仕事には全く関係ない。
頭が悪いわけではない。有名大学を出ている。単純に、自分の才能を生かせない仕事に興味が持てないのだろう。
タチが悪いのは、これらの才能があったが故に、学生時代はかなり周りからちやほやされていたということだ。
社会人になってからは、評価の基準が「仕事の実績」であり、他の才能があってもちやほやされない、ということは頭では分かっているみたいだ。でも、納得はしていない。いつもくすぶっている。
彼は、どんな職に就けば幸せだったのだろう。
元スポーツ選手とはいえ、それで食っていけるほどの成績ではなかったのだろう。
料理人になるのは、有名大卒という彼の学歴を考えると勿体ないような気がする。
天は二物を与えず、と言うが、二物を与えられてしまった人は不幸なのかもしれない。身体は一つしかないのだから。
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大公報によれば「CCI事件」なる汚職事件が勃発し、中国の奥の院を揺らしているという。
中国石油のビジネス活動は全世界に跨るが、賄賂、収賄、汚職がつきものの企業ゆえに、外国で当該法律に抵触するといきなり国際的な事件となる。
中央紀律委員会は専門チームを発足させて事件の全貌解明を急いでいる。チームは凄腕の摘発豪腕組が選抜され、まもなく捜査を開始するという。
容疑は166万元(邦貨換算で2500万円弱)の賄賂が下請け企業から中国石油幹部に渡ったとされるもので、米国の捜査資料に基づく(多維新聞網、8月31日付け)。容疑のかかった企業には興中海油、大唐発電、華潤電力、東方電気、中国石油物資装備公司など具体的な国有企業名があがっている。
しかしちょっと面妖な側面がある。汚職の大々的な捜査にしては賄賂の額面が少なすぎるのではないか。
すでに既報のように現在の中南海の権力闘争は十月一日の国慶節軍事パレートを前に「一時休戦」の観があるものの、本質的対立構造はかわらず、上海派+太子党 vs 団派の次期権力掌握をめぐる果てしなき確執は留まるところを知らない。
上海派が同派に属する周永康(政治局序列9位)、孟建柱(国務委員、公安を統括)などを通じて、胡錦涛の息子、李克強の手下どものスキャンダルを漏洩すると、すかさず団派は上海派と太子党の悪をあばく、いってみれば党内同士討ちだ。
上海派のボスは江沢民だが、裏で指揮しているのは曽慶紅である。
曽は自らの引退と引き替えに子飼いの太子党=習近平を後継として政治局常務委員へ送り込んだ仕掛け人。
次期後継を決定的に印象づけようと、四川省地震では習近平に現地慰問に赴かせ、妻の膨麗媛(国民的歌手)と娘を帯同させ歌唱演技などをさせたりもした。
ところが中国では家族を使う政治演出は不評を買い、団派のほうに得点があがる。また急に団派にすりよる太子党の薄!)来は、習近平なんぞより自分が上と思っているからバランス上、上海派の庇護を離れて、重慶のマフィア一斉手入れという未曾有の政治劇を演出して名をあげ、一気にレースに後継加わってきた。
団派のホープのひとり、王洋(広東省書記)や李潮源らは一歩遅れた。
こうした中央の権力闘争が背後にあって、上海派が中国石油の賄賂スキャンダルを利用しようとしているわけだが、資源外交を積極的にすすめている団派、とくに李克強は豪州訪問の成果として空前のガス輸入契約を結んで外交実績をあげたばかりだけに、異様な捜査入りは、あきらかに団派への嫌がらせととれる。
天才が死んだ。彼女とは高校の部活で出逢った。自分という可能性に自惚れやすい時期だったにもかかわらず、自信という自信を木っ端微塵に打ち砕かれた。圧倒的なまでの天才。その天才が死んだ。自殺だった。
次の休日。同じ部活だった後輩に会いにいった。もう何年も会ってなかった。後輩は天才と同じ道に進んだが、持っているモノが違いすぎた。歌手としてデビューするもパっとせず、今は秋葉原で路上パフォーマンスをしているらしい。駅をでるといくつもの人だかりができていた。大きなかたまりから探していくと見つけることができた。7番目だった。体に密着したエナメルの衣装は申し訳程度に体を隠すだけで水着と遜色のないくらいに肌が露出していた。不自然に高い甘えた歌声は観客には届いてないようだった。ぴろりん。ぴろりん。観客たちは忙しそうに彼女のスカートの中身を携帯のメモリーに入れていた。
前日の夜、友人に電話をした。彼女も天才に打ちひしがれたひとりだった。あるとき彼女が徹夜して書いたスコアを持ってきたことがあった。小学校の時、ベースに目覚めて以来、毎日練習を欠かしたことのなかった彼女は上手だった。少なくとも同じ世代の中では間違いなく上位だった。でも上手なだけだった。恥ずかしそうに彼女が演奏を終えると部活のみんなは聞き惚れていた。いい曲だった。だが天才が、ここはこうした方がいいんじゃないと即興で直すと、はるかにいい曲になり、全体を直し終える頃には、震えるくらいの曲にまでなった。これは暇つぶしに作った曲だから。耐えられなくなった彼女はそういって徹夜で作ってきたスコアを破いた。
電話に出た彼女は天才の死を知っていた。運良くメジャーデビューできたけどやっぱり彼女にはムリだった。出す曲はワンパターンだし、ピークは3年前。そんなことを言う彼女に今なにをしてるのか尋ねると詩や曲を作っていてるらしい。「それよりも今」興味のない話を打ち切るように彼女は言った。「学園祭の映像を見ているんだけど、懐かしいなー、みんな若くてカワイイし、このときは良かったよなあ」それは彼女がヴォーカルで、天才がバックをやってた時の映像だった。彼女は何年も前からそんな調子だった。
後輩のパフォーマンスが終わり後片付けをしていたところに声をかけた。思いの外、彼女の驚きは少なかった。先輩、お久しぶりです。そう挨拶され近くのファミレスに行くことになった。世間話から会話をはじめたものの、それもすぐに尽き、話題はやはり天才のこととなった。本当に残念です、と俯く彼女は、友人とは違い、心から悼んでいるようだった。天才と同じ道に進むくらい、誰よりも憧れていた彼女。
「ねえ」尋ねるべきではないかと思っていたものの聞かずにはいられなかった。「なんでそんなことしてるの?」
「ああ」過去を思い出したのか彼女は苦笑いして答えた。「わたしこういうの否定してましたもんね」
そう。彼女は誰よりも、今の彼女がしているようなものを否定していた。
「耳にタコができるほど聞かされたからね。あんなの音楽じゃない。恥知らずで信じられない。って」
「あはは。そんなことも言ってましたね」
「じゃあ――」
「先輩。やっぱりわたしには才能がありませんでした。部活の時からわかっていましたけど、実際にプロの世界で仕事をして、もしかしたら、なんて淡い期待も消え去りました」そう言うと彼女の瞳がまっすぐにこちらを向けられた。「でもね、先輩。やっぱりやめられないんです。わたし。それでも音楽がやりたいんです。続けたいんです。だから音楽ができるなら、たとえそれがむかし軽蔑してたようなことでも、頑張ってやらさせてもらってるんです」
「まあ、できればやっぱり、多くの人に聞いてもらいたいんですけどね」照れ隠しに笑う彼女に対して私は曖昧な返事しかできなかった。
頭がぐるぐるしていた。家に着くとベッドに倒れ込んですぐに眠った。とにかく眠りたかった。けど夜中の2時に目が覚めた。冷蔵庫にミネラルウォーターを取りに行きソファーに座るとDVDラックが目につき、学祭のDVDをプレイヤーに入れてみた。流れる映像。あたしたち。音楽。また頭がぐるぐるしてきた。でも眠った。明日は仕事だった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2282623
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明らかにそう歌っているwwwwwwwww空耳なんかじゃないぜwwwwwwwwwww
黒人天才という歌手の歌らしいが、これはあまりに酷くないか?wwwww
続く歌詞も我が耳を疑うようなものばかりwwww
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http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%A4%A9%E6%89%8D
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YouTube - 黒人天才 kokujin tensai - 自己紹介(肉声)
http://www.youtube.com/watch?v=VyarIYNmWk8
最初はネタとして面白いなと思ってたけど、
よくよく調べてみると、ちょっと痛い奴だな。
→「休養、予定されていた公演が中止」
というのはよくある流れだ。
でも、公演を楽しみにしていた観客からしてみれば迷惑なことじゃないか?
いや、おめでたいことではあると思うし、
できてしまったものは仕方ないと思うけど、
それ以前に相手の男(と、本人)は何も考えなかったのかね?と思うね。
狙ってもできないことはあるし、事故みたいなこともあるとしても、
中田氏しなかったらできるわけないでしょ。
そうしたらどうなるか、という想像力が足らない気がするんだが?
それで実際に被害を受ける利害関係者もいるわけだし(スタッフとか)。
じゃあ、
「『子供ができることを想定して最初から休んどけ』とでも言うのか?」
と怒られそうな気もするけど、まあその通り。
昔からの「物事の順番」として
があったわけでしょ。
それには、こうした合理的な理由もあったんじゃないか、と思う。
(それが全てにおいて正しいわけでもないが)
考えすぎると少子化するんだろうし、
http://anond.hatelabo.jp/20090520002714
http://www.youtube.com/watch?v=kwTKrTI58qE
これの56"あたりが高音っていうかファルセットなんだけどどうかな。
きみが女性だったらすまん。
不可欠な仕事でも社会的な評価が低いのは多くの人ができる仕事だからだろ。自分でもできることを高く評価できる人はあまりいないと思う。逆に不可欠じゃなくてもスポーツ選手や歌手なんかは普通の人にできないことしてるから評価が高くなるんだろう。
大企業への公的資金注入も必要かもしれんが、こういう、社会的縁の下の力持ちな人達へ公的資金注入してもバチはあたらんと思うのだが。
公的資金注入は不況時だけの一時的な措置ですむが(それでも効率性公平性の問題あるけど)、特定の職業の賃金上げるのは恒久的な措置にしないといけない。増税を覚悟してるならできるが多くの国民は増税してまで上げる必要性はないと思ってるんだろう。
全然似てない!と思った。
どういう経緯でモデルになったのかは知らないけど、親の力が加わっていることは間違いないな。
トークショーの映像中に、プロデューサーから生で打診があり歌手デビューの話が決まっていた。いやはや、親の力ってすごいな。
歌が上手くてもなかなか素人ではデビューなんて決まらないのに、デビューし立てのひよっこが「これも何かの縁だから」なんて体のいい言葉でデビュー(笑)を確約される始末。
なんだこれ。ちなみに確約していたのは、浜崎あゆみ、hitomiらに楽曲提供する多胡邦夫。
歌声も聴いてないのに、デビュー?あんまり視聴者を舐めんなと。
声なんてどうにでもなるってことが、この多胡氏には分かっているんだろう。
2. 嘘-シド
3. 明日がくるなら JUJU with JAY’ED -JUJU
5. Don’t say “lazy” -桜高軽音部
7. MY BOY -BUONO!
8. THE MONSTER ~Someday~ -EXILE
9. Share The World/ウィーアー!-東方神起
10. baby blue -アイドリング!!!
なにこれwwww腹いたいwww
アニソンwwwwwもうやめてwww