はてなキーワード: 柿澤弘治とは
リクルート事件に関与していた事が発覚、他の実力者とともに逼塞を余儀なくされ、
リクルート事件にも関与した渡辺への世間の風当たりは強く、また派閥オーナーである中曽根の意見を取り入れた派閥運営を余儀なくされた。
も、直後発足した宮沢内閣で副総理兼外務大臣に就任。しかし激務が重なった上、同年には膵臓癌の手術を受け、この頃から病気がちとなり入退院を繰り返すようになる。翌年12月の宮沢改造内閣でも留任したが、1993年4月に辞任。
離党を示唆するなど、一時は本気でその姿勢を見せるが、同調者が中山正暉、伊吹文明、武部勤、柿澤弘治ら10数名に留まり(渡辺側近の柿澤弘治、太田誠一、新井将敬、佐藤静雄、山本拓、米田建三の6人が渡辺に先立って実際に離党した)、河野総裁の慰留を受け入れる形で離党を断念。
1987年、アメリカ合衆国へ渡り、左派リベラルでフェミニズム運動の急先鋒だった民主党下院議員、パトリシア・シュローダー(英語版)の個人事務所でコングレッショナル・フェロー(一定の団体のスポンサーシップにより、アメリカ合衆国議会の議員事務所や委員会に派遣される制度[7])として勤務した。
(中略)
1993年、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選。1994年、政策集団「リベラルズ」に参加し、リベラルズを母体に自由党(柿澤自由党)が結党され、党首の柿澤弘治が羽田内閣で外務大臣に就任し、与党入りする。同年7月、自民党を離党した海部俊樹を代表に自由改革連合を結成し、同年末に新進党に合流。
ttp://tamtam.livedoor.biz/archives/51364983.html
テレビは、本当に罪づくりだ。渡辺喜美議員が離党したときに、フジテレビのデレクタ―と話をした。僕が「今、渡辺喜美議員をテレビに出して、煽って、離党したらテレビには出さないでしょう」と言うと、「その通り」と答えた。自民党にいて、自民党の批判をするからテレビは面白いから出すのだ。
過去にもそうでした。例えば、柿澤弘治議員もテレビで「離党する」と発言して、その後、離党した。
政治家は、大臣の時は、周りをマスコミが常に囲み、騒がれた。しかし、現在、野党になって無役となればマスコミは寄ってこない。
マスコミで取り上げられるには、自民党批判が一番だ。それで、総裁を批判し、離党をほのめかす。これがマスコミと政治家の関係だ。
今、大事なことは、民主党が国民から完全に見放されている状態であり、自民党が一致結束することだ。そして、政権構想会議で決め、見直された新綱領を党運営や政策に具体的に移し、それを行動で示すことである。