はてなキーワード: 張り紙とは
妹が高校生なのですが、新潟の各高校で、最近になって急にでスカート丈が短いということで規制が行われております。
学校に行くと超チェックされ、各学校にビラとか張り紙とかも張られておる模様です。それが新聞やニュースに取り上げられる毎日で、へーって感じだったのですが、ニュース新聞で大々的に、
1、性犯罪被害の防止!
と第一に謳っているのに絶句。最近気がついたよ。
ちなみに2つ目は冷えの防止だそうです。
そもそも、ミニスカートをはくと性犯罪が増加するという前提がないと、1は声を大にしていうことができないはずですが、そのような事実は今のところ私はお目にかかったことが無く、しかも「女性が挑発的な格好をしているから性犯罪にあう」というのが幻想に過ぎないことは、レイプ被害救済の機関や、警察が訴えてることです。
http://www.police.pref.hiroshima.lg.jp/010/soudan/keimuhig/htm/genjyou.htm
性犯罪防止を大々的にいうということは、挑発的な格好が性犯罪を助長するという幻想を根拠にしているという末恐ろしいことを教育機関がしているということだし、そのようなことを大々的に訴えるということは、被害者への差別にもつながるだろうよ・・・。
新潟の教育、恐るべし。ていうか学校が恐ろしいのか?ていうかバカなのか?なんなのか?うひょ~。
そもそも、このキャンペーンがとてもバカらしいなぁと思うのは、各学校、そもそもミニスカートを制服にしておきながら、(ていうかミニスカの制服って、一昔前のブルマと同じくらい教育関係の誰かのエロい意思を感じざる終えない)、その制服の丈がみじかいとぎゃーぎゃーいっていることなんですよね。
本気で学生のひえを心配し、性犯罪がミニスカートで増えるって言うなら、そもそも制服をパンツスタイル(ズボン)にするか、ロングスカートにしろよといいたい。
やってる側が、「なんかミニスカむかつくよね?」見たいな感じで中途半端にやってるキャンペーンが学生に伝わるかどうかは謎ですが(多分バカにされて終わるだろな)、本気なら女子もパンツとかロングスカートにしてみろよ~。スケバンみたいに超長いやつ。
親増田です。
いろんな人とできるから良い? 中が違うから良い?
そんなに違うんだ・・・。おぱーいならまだしも、無修正のAV見ててもアソコにそれほど違いがあるような気はしないんだけど、中の感触は違うのか。その違いが面白いとなるともはや学術的だなあ。蝶の斑点のわずかな違いから新種を発見するような。
はまる人がいるのは理解できるけど、そこまでの違いを感じられるかどうか分からない。なにせ経験人数が少ないもので。
『デリヘルお断り』
って張り紙が貼ってあるのを見て、たまらなくなって抜きまいた(笑)。そのレベルの中二病患者ですがなにか。
本番行為に2、3万円払うのは妥当だと思うけど、そのお金があったら他に欲しいものが買える気がする。本番行為無しなら安いけど、ただ抜くだけなら妄想で抜いても変わらないような気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20090108192231
そもそも知らないから騒ぎにならないんだろうね。
ネットでの情報から政治を判断している人がそもそもテレビに影響されている人より少ないだろう。
更に、ネットで情報知った人はネットの上でだけ騒ぐからリアルへの波及が少ないと思う。
世の中に影響を与えたいと思ったら、ネットで騒ぐだけではなくて現実世界で行動に出る必要がある。
少なくとも選挙に行くとか。
しかし、湧き上がった不満をネットや同じ思考を持つ相手にぶちまけたら、結構満足するもんで実際に動く気にはならないのかなー。
そろそろ、ネット世論みたいなものを代表して選挙に立候補する団体が現れても良いと思う。
難しいけどね。こういうこと書いてても、具体的かつ効果的な施策が思いつかない。
みんなで頑張ろうぜー。
ホームレスのひとは何故ホームレスの道を選んだのだろう? と疑問に思った。
それはホームレスの人たち個々で色々理由はあると思う。
ただ、それは「派遣切り」された人々の救済とは別問題だし、
元増田の質問は、ボランティアのひとに尋ねるよりかは、行政の福祉担当の人に聞くべきことじゃないかな。
ホームレスの人たちと「派遣切り」に悩む人をどう分けるかは、最終的には行政の判断なのだろうと自分は考える。
一緒に救済するか、それとも個別面談で振り分け(あまりいい表現ではないが)するか。
ボランティアの人が行動している目的は「困っている人を助ける」であって、質問の内容なんか考えないと思う。
質問といっても、質問の仕方、言葉の使い方、口調等もあるだろうし、それがどういうものか自分には分からないので
当該ボランティアの人の気分を害し、「人間性に問題がある」と言わしめた理由は見えない。
また、それについて知りたいとは思わないし。
オフトピ(古い言葉だ)になるけれども、今回「派遣切り」で悩む人の職種の細かい明細を知りたい。工場等のライン
勤務が多いのだろうか? どうなんだろう。そして、別の職種でも構わないと思っている(例えば介護やサービス業等)
人はどれくらいの割合なのか。もしその統計がでているのなら、どこでそれを見ることができるのだろう。
確かに「経験者じゃないと採らない」という職種は沢山あるし(事務職とか)、職業訓練校はすごい倍率なので入る
のが難しいと思うけれども。
今朝、都内に向かう電車の中で、茶パツを小汚く伸ばした小デブなおっさんが
一心不乱に携帯を見ていた。
たまににやついたり吹き出したり、突然左手で「よしっ」と拳を握りしめたり
株価でも見ていたのだろうか。
とにかく挙動が忙しい。
それだけなら、まだいいのだけど。
このおっさんは入り口のそばに立っている。
そして電車は混み合っている。
電車が揺れるたびに人と人がぶつかる。
入り口の近くにもたれているおっさんにも誰かがぶつかる。
そのたびに、おっさんはぶつかってきた人を睨むのだ。
これがヤンキーならわかるのだが、一応、スーツを着てるおっさんである。
紫のマフラーにチェックのバッグとか持って、
ちょっと「イケてるおっさん」を狙ってる感じが見え見えなおっさんである。
顔も体も、グレート義太夫と古田新太を足したような感じだったけど。
少し老眼なのか、携帯を少し離さなければ見ることができないのか
手を伸ばして携帯を見ている分だけ、他の人よりスペースを保っている。
そして小デブ。
つり革につかまっていようとも、誰にもぶつからずに電車に立つことは困難な時間。
そこでおっさんはぶつかってきた人を睨みつける。
持っていたカバンをそのおっさんにぶつけてしまった、私のことを睨みつける。
思わず睨み返した。
おっさんはさらに睨んできた。
「醜いなぁ」と思った。
電車でドアの前に座り込み、駅で停車してもどけようともしないバカ高校の高校生の頭を
降りるときにドジを装って持っていたスチールケース(重量10kg)の角にぶつけたことを。
近くに立っていたきれいな女の人にひたすら話しかけ、無視されても話しかけ続ける酔っぱらいの足を
これまた降りるときに気づかないふりをしてピンヒールで踏みつけたことを。
18きっぷで旅をしているとき、隣に座って「一緒に賛美歌を歌いませんか!」と話しかけてきた
「私もキリスト教(の大学を卒業した)だが電車という密室で勧誘という行為をして良いと
主が述べたという話は聞いたことが無い」という、支離滅裂な理屈で追い払ったことを。
あの頃の私は若かった。
だがもう私は若くない。
あの頃の私ならどうしただろうか。
いや、今の私ならどうすべきだろうか。
降りるときにおっさんが着ているコートのフードにゴミを入れて行くか。
降りるときにおっさんの背中にぶつかるふりをして「私は心が狭いデブです」という張り紙をはるか。
やはり王道、降りるときにわざとらしく足を踏みつけるべきか。
おっさんがつけているイヤホンを外して一言「死ねば良いのに」と言うべきか。
「ぶつかりたくないならグリーン券買えばぁ?」と水銀燈の口調で言うべきか。
考えているうちに、おっさんは渋谷で足早に降りていった。
まるで逃げるような速さだと思った。
明日もあの電車におっさんはいるのだろうか。
乗り換えのためには、あの車両が都合がいいのだけど、
またあのジトッとした目で見られるのは嫌だな。
※ただいまー、今帰ってきた。
最初に私が「Web」っていう広域な言葉使ったから、話がスクランブルエッグになったのかもしれん・・・とか思いつつ、自分が主張した話をまとめておく。
(そもそもWeb全体とかいう規模で話されたら意味分からん話になる。Web全体とか言ったらAmazonとかGoogleとかも含んじゃうけど、今回の話に全然関係ないでしょ?)
私がWebで非難している前提の場所は
●匿名である
●リアルで口に出したらマズイ言動を吐いている
で、この二つで既に「殺人予告」と「mixiで問題になった人たち(リアルの名前を出している)」は除外される。
その前提を元に、言葉に責任を取らされている場所ってあるか?甘くないか?っていう話を展開していた。
そして以下レスの再開。
オープンな場への書き込みと比べるなら例えば大勢を前にした演説とか講演じゃないとおかしい。
さらに付け足すと、Webの殺人予告の件に関してはリアルだと以下の様になると思う。
例えば公共施設内で「殺人予告」の張り紙をした後で殺人事件が起きたとする。
それ以後いたずらで「殺人予告・・・嘘です」とかいう張り紙したとする。
その人は捕まらないと言い切れますか?捕まるよな?
周りに赤の他人がたくさんいる公共施設や交通機関の中で話す場合だってネットより甘いと思うけど。ネット掲示板だって実質的には特定の人との会話だし。それにパスつきの掲示板との比較でもリアルじゃ言った言ってないの水掛け論であいまいにできるけど、ネットはログが残るからネットのほうが責任追及しやすいという話になるはず。
いやいや、リアルで水掛け論とかなってる時点で「嫌な思い」をして、へたするとその現場を見た「身の回りの近い関係の人たちからの評価」も下がるかもしれないんだぞ?それって自分の言葉が知らず知らずに責任取らされてるって事だ。
責任取るっていうのは因果応報で嫌な目にあうっていうのも含むんだぜ。
それに比べてWeb、責任追及したって相手が匿名だったら逃げられるだろ、リスク低すぎてぜんぜん責任取れてねぇ。
この話を踏まえて以下の文
それはネットも同じなわけで。
のネットもリアルも同じというのは「犯罪予告」だけではなく「犯罪予告で冗談であっても通報される」件に関して"も"含むだろ?
だからこの件に関しては(もう一度言うが)リアルでもネットでも同じという事で、ネットだから厳しいという訳ではない、という理論が成り立つ。
という事で「ネットが厳しい」という事を主張している方々
と以前に言った事覚えてるよね?同じ言葉を今度は私が使わせてもらいます。
・・・と煽ろうと思ったけど、この煽り方はフェアじゃなくて好きじゃないんだよな。
だってこの返しって「相手にいっぱい書かせて、上げ足取って叩いてやる!」というオーラしか見えてこないんだもん。
リアルでだって些細なことで通報したって責任なんか取らされないだろ。
リアルでだって悪口言おうが少々暴力振るおうが警察沙汰裁判沙汰になんかめったとならない。
社内で好き勝手言ってる奴の末路は?
でかい顔しすぎた芸能人の末路は?
他人にひどい事ばっかりしてきた人の末路は?
約束事を裏切った者の末路は?
以上のような因果応報に近い形で、責任を取らされるというのもあるのだよ。
Webでは自分から犯罪行為や個人情報を漏らさない限り圧倒的に回避しやすいよな?
そういう面を「甘い」と言っている。
じゃああなたもその根拠を説明してください。
犯罪に絡むもの以外は何がある???
なんであんたがこう思ったのか良くわからんな〓
あんたが言ったリアルの前提が「知人」の範囲での「冗談と分かる」範囲でしかないからツッコんでるんだよ。
ネットの文字情報だけで冗談かどうかなんて分からんから警察捕まえる。
それは別に厳しいとかそうじゃなくて、犯罪行為が行われる可能性が高いと思われたから捕まるのだ。
ではリアルで同様なものと置き換えると?
先ほどの電車の中を例にとって、例えば電車の中で犯罪予告の張り紙が張られ、実際に殺人事件が起きました。
その事件後、電車内で「殺す・・・冗談です」という張り紙が貼られた時も、携帯電話で通報され、そういった人たちも捕まりました。
だからこの事例は「ネットは厳しい」という証明にはならないんだよ。
NC-15さんあたりに読まれると叱られるかもしれないけど、今の世の中、経済格差問題で“負け組”が自己責任だと言う人のバックボーンって、
1.フリマやネット・オークションで収入の道が会社以外でも見つけられる(これは現在進行形)
3.株取引のハードルがバブル期と比べても低くなり、小遣いから始められる(ミニ株とか)
4.もう意味は変わったと思うけど、バイト募集の張り紙はまだまだ多い
5.真に“ゆとり世代”を嘲笑する人は、自力で経済や金融の勉強をしている
(“ゆとり教育”に賛成していた人達は、その人が望むなら幾らでも上の勉強ができることを挙げていた。子どもって何かしら興味があるもんだろう、全般的に勉強したくない者でも何か一つくらい興味を持つものがあって、それを足がかりに広い興味を持つようになるだろう、てな感じ。例えば植物・土いじりが好きな人は環境問題とか穀物相場とかが存在することを教師が気づかせてやればいんじゃね?とか)
(フェミ連中がさんざん「女性が社会的地位の低さに甘んじていたのは経済力が酷かったから」を連呼していて、実は男社蓄もそうだった、そこに起業家が現れてメディアに注目された)
他にもあるだろうけど、誰かもっと巧くまとめてくだしい。
ヤフオクで専業主婦が頑張って売ると“チュブ”なんてレッテル貼りされるけど、気にする方もレッテル貼りするほうも、なんだかね。
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。
長いので二つに分けました。
日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。
しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米の視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。
まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。
そして裏映画(訳注:日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米に存在したブルー・ムービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画は裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオはビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。
ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオは1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキが接続されたテレビでセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映や新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画をビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社はビデオ専用の映像を制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画の伝統を踏襲し、ピンク映画のルール・制限に固執した。
ピンク映画会社の制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家はビデオという形態は安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。
これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画の監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズ(80年代初め)にて今日のAVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優の採用によって秘められた日本のセックス事情をドキュメンタリースタイルで描写したのだ。
「ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本・ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。
少額の予算でピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断は大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島がフランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオにコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。
もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーはAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具や植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。
そうした映像処理は、海外映画の審査に起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。
こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察の逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫(ピンク映画を制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督がアナーキーな連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫は審査委員会に警察官僚や役人の天下りを呼び寄せたのだ。
現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社が制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者は女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。
日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画の女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュアを意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所やタレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京の一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽・ファッション業界の仕事をもちかける。実際、ファッションモデルやテレビのエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷・原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所はAVの仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。
企画もののスタイルやジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒・看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプ(AVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVはビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性が女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。
ドキュメンタリー的手法は日本のAVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ的日記の一種である。それは男性(たいていカメラマンや監督である)の主導のもと、タレントや女優をフィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラで性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。
しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージはリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。
<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>
今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてのジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年に制作された。これらの作品(デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。
たいてい松尾はレディースコミックに広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性を募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾が彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本の日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。
まず第一に、松尾は女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテルや彼女の自宅へと向かう。
この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾はありのままにカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本の女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。
松尾は1965年、日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾はテレビ業界を希望していた。専門学校を卒業すると、松尾は音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンドの内面を映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAVの世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。
2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾のオフィスで彼に会った。ちなみに原宿は日本の若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。
昼電話あり、きのう1回目の研修をしたアルバイト候補のGさんがアルバイトをやめたいとのこと。理由は、もっとたくさん働けるような職場のほうがいいからだ、と。面接のときにとりあえず週3日のシフトに入ってほしいんですがいいですか、と訊いたらいいって言ったじゃん! と声を荒げてしまう。一瞬シフトを増やせば翻意してもらえるのかなと思ったのだが、どうも電話の声の調子がそういう雰囲気ではなかったのでそのまま電話を切る。
もうかれこれ2ヶ月以上アルバイト募集中なのだけれど、張り紙を出してすぐ応募してきた女性は週3回×2の研修のあとそろそろ任せられるかなという段階になって「怪我をした」という理由でやめていった。それでこんどの人には「もし途中でやめたくなったらなるべく早めに言ってください」と言っておいたのだけれど、早いのはいいのだが理由の「シフトが少ない」って、やった研修と関係ないじゃないか。1回本屋のレジに立ってみて「やっぱりこの仕事イヤ」と思ってキャンセルするのなら意味があるのだけれど。
前の人も今回の人も30代の女性。アルバイトの理由はそれぞれなのだけれど、正直今後30台以上の女性が応募してきても色眼鏡で見てしまう。彼女たちは意に染まぬ仕事をせずにすんでよかったかもしれないが、筋の通らないことをしたことの累はほかの30台女性に及んでしまうかもしれないってことだ。ようく考えてほしい(ってこんなところで言ってもしょうがないけど)。
俺だよ!!(http://anond.hatelabo.jp/20080929213709)
ようやく気分が落ち着いて穏やかな俺に戻ったよ。数年振りにブチギレてもう先日のような勢いは無いから只の後日談・報告だけ
失敗したなと思うのはこれだけの人が読むならタイトルに「バナナダイエット」という単語を加えれば良かったことだ。
Google先生の上位に入れてたら主婦の方々の目にも入ったはずだ。悔やまれてならない。だから今回は入れる筈だったタイトルにしといた。
昨日はバナナを買いに行くバナナの日だから帰り道先日とは違う別のコープに寄った。小さなバナージュ2個しか無かった。少な過ぎる。
続いて近所のピーコックに向かい同じく高地栽培の甘熟王(298円)を買おうと思ってバナナ売り場に目をやったら黒ずんだ見たこともない
(13-4cm)くらいのとんでもなく小さいバナナだけが2房死骸のように転がってた。怖えよ!
「田辺さんのバナナ」やいつもは腐る程ある189円のバナージュは一つも無い。しかし横の359円以上もする台湾バナナや有機栽培バナナは
手を付けた痕跡すらない程残ってる。・・・
しかし俺は高地栽培と気心知れた仲なので家に自転車を取りに帰り先日の巨大なコープに向かった。
なんか先週の金曜日にまたバナナダイエットについて放送したらしく、どうせ荒野の雑草状態だろうと思ったんだよ。
そしたらなんといくつだったと思う?!0個だよ!!!!ついに我が町からバナナが消えたwwwwwwwオワタwwwwwww!!!!
代わりにバナナの棚に申し訳無さそうにいちじくが並んでた。ふざけんなコラ!!。横に墓石のように「先日テレビでバナナが大きく
取り上げられコープ全店でバナナ入手困難となっており供給が追い付かず輸入量にも限界が云々」と印刷された張り紙があった。
あの身近でフレンドリーなバナナが全国の店で入手困難wwwwwどんな出世だよ!!さすがのバナナマンもこの事態は予測出来なかった。
ここ数年欠かさず週3回決まった日に買いに来ていた俺が初めて来なかった訳だから「あのバナナ男が買いに来なかったwwwww」と笑われたと
思うと非常に悔しい!もう太った主婦がバナナ売り場の前に立っていようものなら後頭部を(バナナの)形が変わるぐらい殴打してやろうかと
思った程だ。
この3日で散々怒ったり悲しんだり嘆いたり、もう疲れ果てた。これから毎日こんな日が続くのかと思うと気が滅入るよ。
大した事ないと思うだろうがご存知の通りもはや俺にとってバナナは皆さんにとっての米のような物で、とうに好き嫌いなどの表現は超えている存在だ。
1日でも切れると思うとソワソワしてくる。およそ4年間家でバナナが姿を見せなかった日など無いというのに。極論だがバナナを米に置き換えて
しばらく食べれない生活を想像して欲しい。
今回みたいな本の著者は流行るかもしれない物を常備菜とかにした場合まずどういう事になるか考えて欲しいよ。
先日は感情のままに少し書き過ぎたかも知れない。バナナを愛する一人の人間であるなら彼女らを微笑ましい目で見守る余裕を見せないと駄目だよな。
現に俺は数年間毎日食べ続けた訳だし今回は身を引くべきだよな。俺がきゅうり齧ってれば済む話だしな。
見方によってはマスメディアの言う通り単純に買っちゃうなんて可愛いもんじゃないか。軍隊アリなんて書いちゃったけどどう見てもイナゴの大群の
間違いだよな。
また明日から元の一バナナマンに戻るが今回の騒動の事は忘れないよ。
ポイント1・・・「なんと巨大なバナナ・・・!!」しかしここで踏み止まらなければならない。巨大過ぎる物は甘味が拡散され大味な物が多いのは
この業界では常識である。しかしこれは経験を積んだプロでも難しい。どうしても自分の欲と戦わねばならないからだ。
基本であると同時に極意でもある。
ポイント2・・・バナナの向きに注意する。向きが明後日の方向に向く物は経験上水分含有量が少ない物が多く、また芯が固い物に当たる確率が
非常に高くなる。
ポイント3・・・皮の角張りに注意する。一見他の物より大きく見えるが1を学んだ方ならもうお分かりであろう。無論ここでも紳士たるものすぐに
飛び付いてはならない。中身は通常サイズのそれすら下回る。
*この時売り場から一歩下がると視野が広がり視線移動が楽になる。
以上の選別眼は真剣にバナナと接すれば1つ1つポイントを確認せずとも瞬時に見極められる様になる。
誇れる物が何一つ無い俺でもバナナ両手に見比べる主婦の隣で縦横合わせ100房程のバナナの中から5秒程度で最低基準を満たすそれを
発見する事が可能になった。ぜひとも修得して欲しい。
話題が逸れたな。乗る。
何年かぶりに映画を見に行ったら、館員のサービスに辟易。二度と行かね。
かなり人気の作品だというので前売り券を買って、朝一番に並ぶ。俺の前には数人。
他の映画も人気があるのか知らんが、どんどん列が伸ぶ。
開場して初めて、前売り券を当日券に交換するシステムだと知った。
ここまではいい。
券売所の窓口が一斉に開き、櫛形に前の数人が散る。ここで交換するんだとさ。
この並び方も初めて知ったから、もたもたしているうちに後ろの奴らがどんどん開いた窓口に。
なんとか俺も窓口に行くと、
行列の時どっかに「今日は映画の日で千円です」って張り紙するなり連呼するなりしろよ、と思うが、
とっさに次に来る日を考えられず、仕方なしに損確定。
どの座席にしますかと座席表見せられるが、今じゃネット予約でほぼ埋まってるのな。
早起きして来る意味がない。そのときは選べる席が三つくらいしかなかった。俺を抜かした連中も席を埋めているのか不明。
地方に住んでる増田っす。
こないだ友達の子に「県内で○○(微妙にマイナーなお菓子の種類)売ってる所知らない?」と
聞かれたので、検索して探してあげる事にしたんだが、出ねェ事出ねェ事(泣)。
もちろん地場のローカルな情報を掲載してる、所謂口コミ系のサイトとかも見たんだけど、
殆ど誰も口コミ投稿してない。基本データが載ってるだけの閑古鳥状態。
「初音ミク」ってググれば葱突っ込まれてあひんあひん言ってる画像まで見れちゃうこのご時世に。
その後、なんとかお店は見つかって万事解決って所なんだけど、色々もやもやと考えてしまった。
探したのがマイナーなお菓子だったからなのか、地方だったからなのかって。
なんかWEBとかテクノロジーとかそういうのがスゲー進歩してんだなとビックリさせられる一方で、
「アレ?こんなのもまだできねえの?」と思う事が多い。
地方の同人イベントの日程を知るには、オタク系の店の張り紙を見るか参加者のBLOGを読まないといかんかったり
AMラジオやテレビ東京系を視聴地域外で楽しむ為にはアンテナ持ってうろうろするか公団住宅の屋上に(以下略)。
(勿論調べれば動画サイトやら何やら方法は幾らでもあるんだけど。)
まあその半端な不便さも風情って思うと、それはそれでいいんだけどさ。
「でも売春婦っていうのはあくまで金を介した契約を交わして合意の元で性行為をする人であって、合意なく性行為をしてよい対象ではないよね。その論法でいうなら露出度の高い服装の女性は『お姉ちゃんいくら?』という交渉を持ちかけられても仕方がないけれど、触られたりレイプされたりするのも仕方がないなんてことは全然ないのでは」
プールとか海水浴場っていうのは結構痴漢の多発地帯だ。女性用の更衣室には「痴漢に注意」という張り紙がしてあるところが少なくないらしく、実際ピンポンダッシュみたいな形で、さっと抱きついたり胸や尻に触っては逃げていくやつとか結構いるそうだ。
が、その話をしたら知人(男)で「そりゃわざわざ露出度高い格好しに行ってるんだから仕方がない」と言ってのけたやつがいて驚いた。
そういうやつの頭の中では「衆目の中で露出度の高い格好をしている」=「誰とでも交渉なしにセックスOK」なんだな。
「ちょっと考えれば誰とでもOKな訳ないだろ常考。『自分とはどうですか?』って交渉するところから始めるべきだろ」と言ったら、
「そりゃそうだけど、露出度の高い格好をしているってことは襲われてもOKと見なしていいってことだから着てるほうが悪い」と言ってきたので
「そう決めたの誰だよ。少なくとも着てる本人じゃないだろ。襲われてもいいなんて思ってる女はほぼいないのに水着がこんだけ流通してるってことはそんな決まりは実質ないんだよ。そういう決まりがあると言い張ってる奴は、決まりがあることにすれば襲う言い訳ができると思ってる奴だけじゃないの?お前もそうしたいだけじゃない?」と返したら
「俺自身はそんなこと思ってないけどそういうこと考えてる奴もいるんだから女は気をつけるべきって話だよ」って話をすり替えやがって(自分が「決まってる」と言ったくせに)
「仮にそんなこと考えてるやつがいたとしてもそれはそういうこと考えてる奴のことがおかしいんだろ。女のほうが悪いってことはないよな?」て言ったら黙ってた。
察する察しない論争がちょっと盛んだったけど、自分はなんでも口に出すタイプの女だ。察してもらうのを待っているのはまだるっこしいし、やっぱり自分の意図を伝えるなら口に出してハッキリ言う方がいい。
しかし昔から私は自分の要望をハッキリ口に出すタイプだったというわけではなかった。きっかけとなったひとつの事件がある。あれは今から15年前…私が高校生の頃、いわゆるバナナフィッシュ事件である。
私は昔から隠れオタクで、中学にあがった頃から別コミを読んでいてバナナフィッシュという(少女漫画にしては見た目が地味な)漫画を愛読していた。その日もいつもどおり、本は買えないにもかかわらず書店に通っていた。本棚を「これもあれも面白そうだなあ」と眺めているだけで満足だった。そんな私の横で、店員さんがマジックで張り紙を書き始めた。ポップというほどではないが、○○最新刊発売中とかそういうもの。ちらっと見るとどうも売れ残りのカレンダーの裏側を使ってるみたい。ビリビリと破るその手元を見ると……ア、アッシュ!?
そう、それは私が欲しいなあと思いつつ買うことができなかったバナナフィッシュのカレンダーだったのだ!
私は隠れオタクで、自分のオタクな部分があまり好きではなかったため、書店にわざわざ予約注文しなければならないカレンダーなどというものを手に入れることはできなかった。でも本当は大きな絵柄のカレンダーには憧れがあった。しかもバナナフィッシュは絵柄として地味だからなのか、当時のファンの年齢層が高かったせいなのかあまりカレンダーとかにはならなかった(カラーページも極端に少なかった気がする)のでとてもレアなカレンダーだった。
そ、それが張り紙に! ああああアッシュの顔が真っ二つになってるぅぅぅぅ!
私の心は千々に乱れた。このままではすべてのカレンダーが破かれて張り紙にされてしまう。ああああもったいない! 今なら! 今ならまだ間に合う!
私は勇気をふりしぼって店員さんに声をかけた。
「あああああのっ、その、それ…欲しいんですけど売ってくれませんか?」
店員さんは怪訝な顔して「これですか?」と言った後「いらないものなので別にいいですよ、どうぞ」といって無造作に輪ゴムで丸めて私にくれた。ただで。あまりのあっけなさにポカーンとしたのを覚えている。冷静になって考えてみれば店員さんにとっては売れ残りの何の価値もないカレンダーで、別にその裏を使わなければ張り紙が書けないというものでもない。
でもそのとき私は、自分にとっての価値と、他人にとっての価値がイコールではないことや、だからこそ交渉や要望を伝えることで自分の願望を満たせるということを身をもって実感してものすごく感動していた。だってタダで! カレンダーがもらえるなんて! すごいすごい! もっと早く言ってみればもう一人くらいアッシュを救えたかもしれなかったなあ!
この出来事があってから、私はできるだけ自分の要望を口に出すようになった。意外と他人にとってはたいしたことではない場合も多いので、望みをかなえてくれることが多い。嫌なら断られるだけだしね。世の中言ったもん勝ちですよ!
なんだ、幕末時代の切った貼ったの時代の思想を今の自民党が引き継いでるとかトンデモぶちかましてたのはお前だったのか。
政党と無関係に、政治性とも無関係に、ピザ屋も含めてあらゆるビラを全部公平に逮捕するなら、まあ公平は公平だと思うよ?ww
ほんと、本題から逃げ回ってばかりだよな。こういうのしか味方に現れない共産党にはいささか同情するよ。
まあ、住民が通報すれば警察沙汰にはなるだろうな。しかし現実的に共産党や過激派崩れ以外はなかなかそういう事態にまで発展せんだろうよ。そもそもなぜ共産党ばかり逮捕されてるように見えると思う?そんだけ通報される割合が多いって事だよ。大概のビラ撒きはその場で注意したらさっさと引き下がるからその場で終息するんだが、共産党の場合はそれを無視したり、あまつさえ住民と口論になったりするようなのが多いから通報されるわけ。警察沙汰に発展した事例を調べてみ?殆どがビラ撒き禁止の張り紙を無視した常習者だったり、住民と諍い起こしたりしてるから。それに、似たような事やらかしてるエロチラシ配りや右翼崩れみたいなのも希に逮捕されてる。
この手の事案は、別に警察がマンションやアパートで待ち伏せしていて、ビラ撒きが一歩入った瞬間を取り押さえた、なんて物々しいものでも何でもない。住民や管理人が出て行けと言ったのに出て行かない、何度も何度も立ち入ろうとする、それに耐えかねて警察に通報、警官現着、なんだアカか、はいはい詳しくは署で聞きましょうねーという流れ。そしてとっつかまった奴はお定まりの黙秘。調書作成に素直に応じれば厳重注意程度ですぐに方面される可能性すらあるのに、わざわざ黙秘して拘留期間めいっぱいまで居座り続け、娑婆のお仲間は「ただの不法侵入なのに、異例の○○日間もの長期拘留による弾圧!」とかぶち上げて士気を高める、と。そして訴訟費用とかビラ作成とか名目つけてカンパをせびったり。拘留期限が切れて釈放されたら、そいつは「弾圧に耐えた同志」としてハクが付いたりするわけだ。事情を知らないアムネスティあたりから「良心の囚人」とか認定されたりしてな(笑)。
それしか出来ないとはいえ、話をそらすのもその辺にしとけ。
元増田の話に立ち返るなら、集合住宅の「ビラ撒き禁止」の張り紙を無視出来るほど共産党様は偉いのかって話だろ。
過去に共産党とか中核派とか、そういう連中がビラ撒き案件で逮捕された事は何度もあるはず。
まともな脳味噌の持ち主なら「次こそは逮捕されないように気を付けよう」と考えるんだが、何故か彼らは「逮捕する方が間違ってる!」と喚くんだよ。
だから世間から疎まれてるし、支持率も議席数もちっとも伸びない。でもってマイノリティだからちょっとくらい虐めても世間の反発も少ないと、警察に高をくくられる。
逮捕されないように行動を改めない事に何らかの理由があるとしたら、ビラ撒き、もしくはビラ作成の段階そのものが目的化している可能性とか、
もしくは逮捕される事そのものが目的化している可能性が想像されるわけだ。
逮捕されてそこかしこで「弾圧だ!」と喚く事そのものが目的化してるような連中は、警察や公安にはさぞかし「美味しいカモ」に見えることだろうよ。
結局のところ、さ。
「マンション側がビラ投函すんなっつってんのに無視して投函するのはいかんよねー」という至極当たり前のことが口が裂けても言えない状況に自らを追い込んでる時点で、既に彼らは情宣にしくじってるんだよ。立川の自衛隊官舎で過激派崩れみたいなのがとっつかまった時も、ビラ禁止の張り紙無視して4階建てのアパートに階段上って立ち入って、集合ポスト無視して、とある棟では全部屋のドアポストにビラを突っ込んでるという点については、彼らを擁護している連中に何度問いただしても、頑として言及しようとしなかったもんな。それに言及したら前述のような当たり前の結論を導かざるを得ず、「じゃあどうすんの?」と問われた時に自分たちの理論が行き詰まるのを知っているから、結局は目をそらすしかなかったわけよ。
つまり、自分たちの行為が後ろ暗いことだという事を暗に認めてしまってるわけ。そういう事を結党当時から延々と繰り返してるから、日本で一番古い政党のくせに一度も政権を獲得したことがなかったりするんだよな。