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はてなキーワード: 受験戦争とは

2011-01-18

俺たちの上に、得体のしれない奴らがいる。

大卒なら人生安泰という時代が過ぎて、受験戦争を勝ち抜けば勝ち組という時代も終わって、今、俺たちの上の階層に奴らがいる。

全く違うキャリアで乗り込んで来たり、全く違う窓口からやってきたり、気が付けば上にいたり、ある日空から降ってきたり、いつだって俺たちは防戦一方、しかも負けばかりだ。

うすうすみんな気が付き始めてる。

しかし、彼らがなんだってんだ?

定年後再雇用するから人件費が足りないか新卒は雇わないとかさ。

もう笑うしかないだろ。

2010-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20101226092721

あと過剰な受験戦争もかぶってるな。

あの国に比べたら日本受験戦争なんて駄菓子屋銀玉鉄砲たいなもんでしょ。

受験シーズンになると集団カンニング報道風物詩になるような所だぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20101226092320

日本ネトゲ廃人ってのはいないのかな?

韓国は多いらしいね。

あと過剰な受験戦争もかぶってるな。

2010-12-08

無能に人権はないからとっとと死んでくれ

http://d.hatena.ne.jp/skicco2/20101208/p1

こいつを擁護する奴は、

ベビーブーム受験戦争

大学多すぎ→就職戦争

老人多すぎ→年金廃止しろ

という人口の歪の問題のひとつスポット当てて、「見てください!かわいそうでしょう。助けてあげなきゃ!」とうるさく騒ぐ貧困ビジネスと同じ。

だいたいまともな環境というのは優秀な人間には相応の対価を与え、無能な人間には歯車整備用のオイルを分け与えてやる程度の差はあって当然なんだよ。

人権?wおいおい、ここは日本だぞ。日本人人権を勝ちとってなどいない。賜ったのだよ。ありがたくね。ははぁーって。

はっきり言おう。

持たぬ者に人権、多様性、自由など要らん。

これらはすべて、富む者に与えられる「特権」だ。

大卒に職がないだって?あるだろ。

お前らが「ブラックブラック」と口酸っぱく言っている企業群がな。

砂糖いくつ入れれば満足するんだい、ぼくちゃん。

お前らは「無能」だ。

競争に敗れた「弱者」だ。

それは「庇護」の対象にはならない。

等しく、切って捨てられるだけの存在

谷を登ってこれぬ子供に、救いの手を誰が差し伸べよう。

谷を登らぬ子供に、救いの手を誰が差し伸べよう。



また、この問題は、

地方維持コスト高すぎ→地方は捨てろ

大学生多すぎ→バカは捨てろ

老人多すぎ→金がない奴は捨てろ

それぞれ共通の文脈で語られるべきなのだ。すなわち、

弱者死ね

なあに、おそれることはない。諸外国では「ごく、当たり前」のことだ。

これから日本も、「ごく、当たり前」の国になるだけのことだ。

一億総中流の幻想いまだに見飽きずうつつを抜かし、競争を怠った無能の親子よ、ともども死んで土になれ。

この世にあるべきは、庇護も受けず、生きる力を持つ強くて有能な人間のみだ。

2010-10-09

受験戦争正当化する人に勉強できない人を蔑むような態度が透けて見える件について

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101008123335

これが今より入るのが難しかった時代に大学卒業した人が書いた文章か

やっぱり詰め込み教育受験戦争って良くないね

日本はそれほどダメではないということを意地でも認めたくない人

ノーベル賞受賞者から、日本教育システム、特に理系はそれほど悪いものではないという話が出ている。

会見の冒頭。「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」。理由は、高度な研究になればなるほど、「基本が大事になるから」。それをたたきこんでくれたのが、日本教育だった、というわけだ。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm

鈴木 私の考えでは、我田引水ではないんですが、日本のいわゆるサイエンスケミストリーだけでなくて、日本理科系工学系も含めてですが、レベルは非常に高いと思います。そういうレベルを今後も続けていかないといけない。

http://www.asahi.com/national/update/1007/TKY201010070004_01.html

ところがこれが気にくわない人が多いようで、問答無用トンデモ扱いしている人が多いようだ。ブクマとか見ると非難囂々だ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm

どうしてみんな意地でも、日本教育システム、なかんずく大学がそれほど悪いものではないことを認めたくないのだろう。

基礎の詰め込みは避けて通れません

大学受験人格破壊的な詰め込み勉強だと思っているのだろうか。しかし大学受験はそれほど極端に難しいものではない。高校の教科書が理解できていれば東大だろうがどこでも通れる(文句のある奴は、たとえば自分が高校の数学教科書の公式を全部その場で証明できるか考えてみろ。できないということはちゃんと理解できてないということだ)。競争試験の形を取っていても、事実上資格試験である。その程度のことができない奴は最高学府東大という意味ではなく大学という意味だ)で「学問」を学ぶのに本来は値しないのである。「大学」に入るということはそういうことだと認識しておけ(何?昔はともあれ今は違うだと?俺が受験したのは高々十年前なんだが。少子化がさらに深刻化した現代の受験が当時よりも難しいとは絶対に言わせない)。

そもそも、高校球児をはじめとするスポーツエリートがどれだけ退屈な基礎トレをしていることか、芸術の道を志す人がどれだけ退屈な練習課題をこなしていることか(稀にこれを回避できてしまう人もいるが、一流の人の間でも多いとは言えない)、そのことを考えたら、学問の道を志す人間一年やそこら退屈な問題集に取り組むぐらいのなにが不満なんだ?

だいたい、お前らがマンセーしているアメリカ大学の学部教育本質詰め込み教育だ。早い話、アメリカ大学教科書(特に理工系科目)を見てみるがよい。演習問題の量の多さに驚くはずだ。要は、アメリカ人は高校までがぬるいために、勉強の要領がつかめていないから、チャート式まがいの勉強大学でやるハメになるのだ。要は、基礎の詰め込みはどこかでやる必要があって、避けては通れないのだ。そういう「不都合な真実」から逃げるんじゃないよ。

ああ?なんだと?受験で覚えたことなど役に立たない?それはお前が「ボクは知識を生活に役立てる術を知りません」と自白してるようなものだ。たとえば経済一つ取っても、高校レベルの国数英理社の知識がなければろくに理解できないのは当然ではないか。

そもそも、知識というのは持っているだけで人生が楽しくなるはずのものだ。お前らはアニメゲームやITに関する知識を溜め込むことは大好きなのに、自然社会人間に関する知識を溜め込むことは無益だというのか?それはただの偏見だ。

いい歳して学歴コンプは醜悪だよ

勿論、日本に何の問題もないわけではない。米国のみならず、世界各国(特に東アジア欧米)の教育制度には見習うべき点が多いし、特に全体として英米の大学欧米とは言わない。率直に言って、欧州大陸大学日本大学に比べて優れているとは全く思えない)は日本に比べて実績が総じて多いのは確かだ(ただしノーベル賞の数で比べないように。文学賞のことを考えればわかるが、結局誰がもらえるかはコネで決まる部分も多いからだ)。しかし、メジャーリーグの前では日本プロ野球価値ないとはいえないように、日本大学にもそれなりの価値があるのだ。そして、何でもメジャーの猿真似をしては逆に日本野球の良さ(イチローはその極致であろう)が損なわれる部分もあるように、敢えて言葉の壁に立ち向かってまで英米で学ぶことは日本で学ぶことに比べてあらゆる意味で優れているなどということはないのだ。そのことは事実としてもっと知ってもらいたいものだ。

だいたいアンチ学歴のお前らは、日本大学を散々馬鹿にする割にはハーヴァードやスタンフォードは無条件でマンセーしているようだが、そういう「ハーヴァード>>>>>東大」とかいうお前らの脳内図式は「東大>>>>>早稲田」とかいう学歴厨と何が違うんだ?お前らはどっちも「虎の威を借る狐」でしかないんだよ。

学歴で飯が食えないなんてことは高学歴者自身が一番知ってるよ。むしろお前らみたいに、大学名を名乗っただけで血圧を上げる奴を日頃から相手にしてるからこそ、そんなやつらは実力でねじ伏せられるだけのものは持っておこうとそれなりのことはしてるよ。TOEICとかTOEFLマンセーしているお前らなんかよりも、よっぽど「試験で測れるものと測れないもの」は理解していて、試験で測れないところまで含めた総合的な実力を育もうとしてるよ。「高学歴者」と「学歴至上主義者」は違うんだよ。それは「白人」と「白人至上主義者」が違うようなものだ。敵を間違えて誤爆するのはやめてくれ。

ちなみに平日のこんな時間に書いているが学生ではない。広義のIT方面の研究開発をしている技術者(「エンジニア」とは名乗りたくない。「邦楽」が「日本の伝統音楽」からいつの間にか「J-POP」の意味になってしまったように、「エンジニア」はいつの間にか「コーダーSE」の意味になってしまった)だ。今日は年休充当日だ。

日本大学を出ても使えないだの理系コミュ力がないだの草食系男子人間力が低いだの、何もわかってない馬鹿どもに頭ごなしに見下されるのはもううんざりだよ。

さて、昼飯がてら近所のマクドにでも行って昨日ダウンロードした論文でも読んでくるかね。

追記

ブコメへ。

s-tomo学問の道を志す人間」が5割も居るわけ無いのに5割進学してたら、そりゃ平均値ダメ学生になるだろうよ!! 2010/10/08

平均値」の話ではなくて、ノーベル賞視野に入ってくるような人間、つまり研究者志望の人間の話をしてるんだと思ったんだが?ちなみに、日本大学進学率は先進国の中で極端に高いわけではない。

Kou_RYU 日本, 教育, 科学 でも受験地獄で得られる学力って受験で多く得点を取るスキルであって、基礎学力や応用力と得る事とは別な気もしないでもない…。 2010/10/08

それは勉強の仕方が間違ってるだけですね。逆に、案外こういう世界は急がば回れで、基礎学力や応用力(どう違うのかようわからんが)を得ることを最優先に勉強してれば点数は取れて余りありますよ。ただ、「得点を取るスキル」は馬鹿にしたもんじゃないですよ。学問世界ではともかく、ビジネス世界では意外なほど役に立ちます。早い話、点数のために物事を最適化するのと、金のために物事を最適化するのは発想が非常によく似てるんですね。正直、自分会社人間がみんなもっと「得点を取るスキル」みたいなものを持ってくれたらいろんなことが要領よく回るのになあって私自身いつも思いますね。

ngsw 詰め込みで問題なのは、精神的にいい悪いはおいといて、各家庭の経済力に左右されて機会均等がなされないことでしょうね。公的な義務教育だけでまかなえる詰め込みなら全然ありだと思う、お得感ある。 2010/10/09

いや、逆に米国みたいに課外活動が大学進学時に問われてしまう方がもっと格差が広がりますよ。金のかかるスポーツ文化活動で何らかの入賞歴みたいなのがあるかってのが加点項目になってしまうわけだから。むしろ詰め込みは比較的安上がりな教育方法ですよ。その気になれば独学だってできますから。ただそれでも色々な要因で経済格差学歴格差再生産してしまうことはあるわけですが。あとその筋で言うならば、日本場合国公立大学の学費が異様に高いのが問題だと思います。

ahyask 認識がずれてないかな.それほどダメではないとパーフェクトではないは対立しない.否定的な人たちは,よそのよいところとここのわるいところだけを見て最高のシステムを夢想しているだけだと思うけど 2010/10/09

ただそういう「夢想」の過程で、「ここ」のシステムで育った人間に「わるいところ」が全部押しつけられてスケープゴートにされてしまうのが問題なのですよ。例えば一時の官僚バッシングオウムの時は「東大が悪い」ということにされていました。現実にはノンキャリア官僚にも問題があったわけだし、オウム場合低学歴信者も沢山いて、たまたま高学歴信者が知識を利用されただけなわけです。そしてそういうときには必ず「西洋エリートにはノブレス・オブリッジという思想がある」云々と聞かされたわけですが、実際その「西洋エリート」がリーマンクライシス引き起こしているわけです。要は本当は五十歩百歩なわけなんですけどね。

jack_oo_lantern 理系は知らないけど、歴史学の私は、ゼミの一番最初の授業で高校まででやった歴史は全部忘れろと言われたけど・・・。 2010/10/09

それは理系も同じです(特に数学)。高校までで習ったことはないものとして講義を進められるのが普通です。ただし、「一旦忘れる」ということは「知識がない」こととは似て非なるものであって、例えば中学生大学講義をいきなり聴かせれば大多数が脱落するのが自明です。要するに「全部忘れろ」というのは「知っていることを知らないものとして先入観なしに新しい考え方を学べ」ということであって、「今までの勉強無駄であり、知っている必要はない」ということとは全然違いますよ。

sabro 教育 でも詰め込み勉強は一番大事な学ぶことへのモチベーション破壊するよね。自発的にやれば本来面白いはずの知識の習得に関しておっくうになってしまい、一度いいポストについてしまえば勉強しなくなったりする 2010/10/09

厳しいことを言えば、そこでモチベーション破壊されてしまう人はそれまでの人だと思うし、逆にそれだからこそ割り切ってやらなければいけないんです。走り込みや筋トレに飽きてしまうスポーツ少年に才能があるといえますか?それに、白紙からはじめて一つの分野の基礎知識を一通り身につけるというスキル大学受験だけに留まる物ではなく、一生使えるものですよ。昔学んだことの蓄積だけで生きていけることは多くないのですから。

olive-cafe 匿名, 釣り 自分意見に自信があるなら、匿名じゃないとこで書けばいいのにね。 2010/10/09

そういうあなた匿名で発言されてますね。私ははてなidが筆名に相当するほど立派な物とは思っていませんし、匿名ダイアリーブログも五十歩百歩だという認識です。あしからず

junglejungle 日本より受験戦争がひどい韓国中国ノーベル賞受賞者数はいくつだったっけか。たしか平和賞1つづつだけだよね。 2010/10/09

受験期の詰め込みというのは一つの要因でしかありませんからね。それに、中国からは優秀な研究者は沢山輩出されてますよ。古くは陳省身とか楊振寧とか(Chern類とかYang-Mills理論といえばピンと来る人もいるはず)、現代でも優れた論文の著者が中国人ということは多いです。韓国は確かに私の周辺では存在感がありませんが、理由はわかりません。

cepheid社会で求められる平均的な素養」のうち受験勉強で埋められるのはごくわずかという点が問題。研究者なんてある意味学校の延長なんだから学校での詰め込みが役に立って当然だろ。何言ってんだか。 2010/10/09

受験が天才をスポイルする」みたいな社会通念があったと思いますが、それが「当然」誤りだと思ってもらえているなら結構。ところで、あなたの「社会で求められる平均的な素養」って何ですか?コミュニケーション能力だとか人間力だとか下らないことを言わないで下さいよ。

junya_asa 教育, 勉強, 増田 筋トレの話が出ているけど、それをやるのは必要であることがハッキリしており、それがそのまま結果に直結するからでは。勉強だとその部分が非常に見えにくく分かりづらいから、だからどうしたって回避したくなる。 2010/10/09

大学に行くということは、法律経済文学自然科学といった学問を学ぶことで、それらを学ぶ基礎として高校レベル勉強が必要なのは自明ではないですか?それを勉強したことがどう生きるかわからないのだとしたら、それは「大学に行く意味がわからない」というもっと根本的な問題ではないかと。

SyncHack 雑談 英語教育とかは嘆いていい。難解なクイズと化していてコミュになっていない。答えが分かっている問題はお得意のエリート様だが答えの無い問題に対して解く方法を持ち合わせていない木偶が多い気はするがね。 2010/10/09

それはなんでもそんなもんです。例えば音大生なんかで難しい練習曲は弾ける癖にまともな曲を弾かせてみると素人以下に無味乾燥演奏しかできない人は結構います。しかしだからといって素人の方が演奏解釈が音大生より総じて優れているというと言いすぎです。そもそも解釈というのは技術を持っていることで触発されてくる面もあるのですから。そして世の中で一番多いのは、答えがわかっている問題も答えがない問題もろくに解けない人種です。

torinosito 増田 「それほど悪いものであることを認めたくないのだろう。」がどうしても気になる。全体の内容からすると、×ある ○ない ではないだろうか 2010/10/09

指摘ありがとうございます。直しました。

kimihito 大学, 海外 受験に関しては同意見学歴コンプに関しては賛同できない。コンプがあるからやってけてる部分が私はあるので。コンプレックスを跳ね返すために地道な作業を繰り返していきたい。 2010/10/09

勿論そういう方もいるかとは思いますが、八つ当たりだけはしないで下さいね。親の敵のように何かといえば「高学歴人間が悪い」と私怨をぶつけてこられる方(たとえば某有名ブロガーとか)がいるので辟易してるんですよ。

rzio 人に『「虎の威を借る狐」でしかない』って言ってるけど、冒頭のノーベル賞受賞者引用はなに? 2010/10/09

答えを言うなら「単なる釣り」。気にくわないならそこを読み飛ばしてごらん。まったく論旨に影響がないことがわかるはずだから。

tokoroten999 言いたいことわかるけどさー、マクド論文読んでる姿をさー、塾通いしてる小中学生が見てさー、「勉強ばっかしてるとあーなっちゅうんだぜ」って言われて反論できるー? 2010/10/10

意味不明。反論する必要などどこにもないよ。俺は自分のやりたい生活をして満足してるんだから。「あーなる」ことの何がいかんのか知らんが、それが気に食わん人間自分が同じことをやらなきゃいいだけじゃないの?

repunit 教育 高学歴者でも数学の公式の証明はやらんと思う。ていうかこの人が学歴コンプそのものな気がしてきた。あとコミュ力を軽視しすぎ。学び合いとか聞いたことない? 2010/10/11

「思う」ってひどい憶測ですね。これは実体験として言えますが、「高学歴」でそれができない奴はただの落ちこぼれです。文系とか生物系とかならまあ許してもらえるかもしれませんがね。私が学歴コンプかどうかの判断はお任せしますが、そもそも高校や大学は「コミュ力」を養成するところではありませんのでお門違いとしか言いようがありません。あと、「学び合い」とか教師の世界スラング普遍的なものだと思いこむのはやめた方がいいですよ。

2010-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20101007222705

釣りか?あるいはほんとに無知なのか?

1980年代くらいまで、日本受験、すくなくともトップを目指す学生達の受験はほんとに厳しかったらしくて、受験地獄とか受験戦争とか言われていたんだよ。

(俺もその当時の受験生じゃないので、見聞きしただけの話しだが)

ただその後、そういった受験システム日本学生創造性を奪うとかなんとかいわれて、創造性やら人間性を育てる為のゆとり教育に変わっていったのと、あと単純に学生数が減少していったことにより、受験はずっと楽なものになってきた。

だから最近学生受験地獄という言葉違和感を感じるのは当然。

でもこの先生は長い事日本を離れている為に、そのあたりについての認識が昔のままなんだろう。

2010-08-19

利根川のことば

想像してみろ

何も築いてこなかったおまえらに

どこまで想像が届くかわからぬが 想像してみろ

いわゆるレールの上を行く 男たちの人生

おまえらのようにボォーッとしちゃいないぞ‥‥!

小学中学と塾通いをし‥‥‥

常に成績はクラストップクラス

有名中学 有名進学校と 受験戦争のコマを進め

一流大学に入る‥‥‥

入って3年もすれば

今度は就職戦争‥‥

頭を下げ

会社から会社を歩き回り

足を棒にしてやっと取る内定‥‥‥

やっと入る一流企業‥‥

これが一つのゴールだが‥‥‥‥‥

ホッとするのも束の間

すぐ気が付く

レースがまだまだ終わってないことを‥‥

今度は出世競争‥‥

まだまだ自制していかねばならぬ‥‥!

ギャンブルにも 酒にも女にも溺れず

仕事を第一に考え

ゲスな上司にへつらい

取り引き先にはおべっか

遅れず サボらず ミスもせず‥‥‥

毎日律儀に 定時に会社へ通い

残業をし

ひどいスケジュール出張もこなし‥‥

時機が来れば単身赴任‥‥

夏休みは数日‥‥‥

そんな生活を10年余続けて

気が付けばもう若くない

30台半ば‥‥ 40‥‥‥

そういう年になって

やっと蓄えられる預金高が‥‥‥

1千‥‥2千万という金なんだ‥‥

わかるか‥‥‥?

千万大金‥‥‥

大金なんだ‥‥‥‥!

世間一般の道‥‥‥‥

つまり命を薄めて手に入れる場合

これだけのことをしなければならない

それに比べて おまえらはなんだ‥‥!?

必死に勉強したわけでもなく‥‥‥‥

懸命に働いたわけでもない‥‥‥‥‥‥

何も築かず‥‥‥‥‥

何も耐えず‥‥‥‥‥

何も乗り越えず‥‥‥‥

ただダラダラと過ごし‥‥

やっとことと言えば

ほんの十数分の余興‥‥

なめるなっ‥‥!

2010-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20100730174812

一億総中流志向のせいで、

不必要に大学進学率が上がってしまった

昔は中卒、高卒労働者階層と、大卒管理階層が明確に分けられていて、

高卒の層はそれ以上高望みすることなく暮らしていたにもかかわらず、

高度経済成長と共に自分子供に夢をたくそうなどと甘いことを考えて、

日本受験戦争に向かわせてしまった。

BCランク大を卒業して学歴社会の敗者として負け人生を送っている人の大半は、

本来ならば大学を行く必要もなく、何の不満もなく労働者人生をすごく事が出来たはずなんだ。

年収は半分だったどうけど。

2010-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20100701205819

女は大卒高卒か、っていう尺度で十分だけど、男(を判断する基準)は

  1. 宮廷かそれ以外か
  2. 私大なら早慶かそれ以外か、国立なら一橋東工大かそれ以外か
  3. それ以外はマーチか他雑多な三流大学か。

ぐらいな価値観しか無いでしょ(医歯薬芸術除く)

基本的に就職での出身大学の篩=結婚での篩ぐらいに思って間違いないよ。

受験戦争に勝ち抜いたってのは戦で名を上げるのと同じだよ。

2010-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20100628170855

土地文化や気質もあると思う。

車がないと生活できない(最寄のコンビニまで5km以上とか)は別として、

北海道は車なしで生活できる条件の土地でも車所有率がかなり高い。

高校卒業ごろになると皆免許取り出す。

そのためにバイトする子もいて、とりあえず免許もっとけってのがデフォになってた感じ。

今はどうか知らないけど所謂団塊ジュニア世代で受験戦争といわれてた時代の進学校でそんなだったからなあ。

だから友達も車もってるのが普通で、どこか遊びにいく=車で遠出。海や山やらいく=車。

家族連れでキャンプ行くにしても車前提だし、車もってない人は乗せていってもらうって感じになっちゃう。

一人暮らししてううちは無くてもいいけど、子供いるようになると車ないとやっぱ

この辺の土地柄では損させちゃうかなーって気はする。

行動範囲圏の感覚の違いもあると思うよ。

札幌民だと、100~150km範囲内は札幌近郊の感覚だし、かなり軽いフットワークでいく。

高速とおらなくても下道で同じ位速度でるし、車で一時間で移動できる距離が段違い。

田舎か、都会か、だけじゃなくてそういう面もかなり土地柄に関係あるんじゃないかな。

2010-04-01

全く最近の若者は……

http://anond.hatelabo.jp/20100401093824

「全く最近の若者は……」「わしらが若い頃は……」というのは年寄り常套句ですね。

その昔は新人類と言う言葉がありまして、情熱・覇気がない、良いのはテストの点だけ、応用力ゼロで無個性ロボット等々言われていました。

それは、詰め込み教育受験戦争過熱共通一次試験などで、画一的教育や外で遊ばなくなったため。

なぜそうなったかといえば、それまでの中卒高卒当たり前という社会ではなく、全体の教育水準を向上させなければ、これから先、先進国としてやっていけないから。

しかし、そういった問題が出たので、詰め込み教育はやめ、授業時間を削減して総合学習とか、多彩・個性的な授業を可能にし云々。

つまり、教育が成功したことなんてないんですwww

2010-02-16

賢い人と稼げる人は異なるし、勉強が出来る人と先に進む人も違う

まあノーベル賞は、その分野の進歩に貢献した(貢献しそうではない)人に与えられるから偶然が大きく絡むからおいておくとしても。

田所博士科学者大切なことは「直感とイマジネーション」と言った。これは実は非常に示唆的な台詞である。

科学的なプロセスとは、実は4つしかない。

1. 不思議に思う

2. 仮説を立てる

3. 検証する

4. 考察する

考察した後、さらに仮説を修正して行くわけだ。

不思議に思うのは直感であり、仮説を立てるのがイマジネーションなのだ。

何かをかぎつけ、何なのかを一気に先まで見通し、その後それが正しい事を地道に検証していくのが科学的なプロセスだと言える。

もちろん、検証をし考察をするのも科学にとって非常に大切だ。

一見最もらしく見えることを、実際に正しいかどうか潰していくという地道な作業もとても大切な事だ。

しかしそれは一足飛びに未来へと進むような研究ではない。

誰よりも勤勉に、誰よりも繰り返し、誰よりも的確に問題を解くという作業からは、直感やイマジネーションは生まれない。

非常に挑戦的に書くのであれば、大学受験に向かう受験戦争で最も大切なのは勤勉さという名の習慣が身についているかどうかダケだ。

何年がんばっても解けない問題は出題されない。つまりどれだけ積み重ねてきたかのみが問われるのだ。

要領が良い、賢い、稼げる、勉強が出来る、先に進める、それぞれ違う特性だ。

賢い人が稼げるとは限らないし、勉強が出来ても賢いとは限らない。

たいていの場合、勤勉で自律できる人は社会的地位も高くなるけれども、それはそういう社会だからだ。

どれが良くてどれが悪いという話ではない。単に違うと言うだけだ。そのどれもが階層ではなく差異なのだ。

それを体得しているかどうかが、自分を見つめるときには重要になるのだろう。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51655722.html

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追記しておこう。

長くなったので別エントリとした。

http://anond.hatelabo.jp/20100216192452

2009-12-08

ライバルを蹴落とすための勉強に励み、 医学部入学後ひきこもり

中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値単位媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。

その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。

やがて医学部合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。

受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューター家庭教師バイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレ水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。

この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。

2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。

主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。

私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。

当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。

その方は、13年前に不登校ひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校ひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。

何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。

改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。

こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供自分価値観押し付けるべきではなく、子供自分価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。

さらに、自分もまた社会価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。

親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバー飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。

現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。

山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビパソコンなどの情報機器エアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。

私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。

私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。

また、今の私には大学に帰り、自分経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。

2009-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20091202021441

ゆとり世代の方が精神的に脆い人が多い気がする。

受験のゆるさが影響してるのかなーと思わないでもない。

ロスジェネ付近も更に上の世代よりは受験戦争が楽だったんだけどね。

今の東大生なんて20年前の早慶以下なんじゃないの?

2009-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20090703222242

基本的には戦いを避け続けてきたんだけどなー俺は……

いいよ、そもそも俺は何か読み違えをしていた気もするし。

エントリが嫌なのか嫌嫌なのか、俺の頭で整理できてないし。

俺も受験戦争とかであれこれ戦ってたら、幸せになれたのかもしれないね。

世界の皆が幸せに暮らしていけますように。

2009-04-11

役に立たない学問は止めて、国民MBA化しちゃえばいいんだよ

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/n_company__20090410_9/story/10gendainet02040811/

これを読んで思ったこと。いろんなところで言われていることだと思うけど。

自分旧帝大に入って、途中まで学問世界を志すも、なんかちがうなーと思い始め、

社会を生きるための知恵をいろいろ身につけて、そんでよい就職ができて、いまもお仕事を楽しくやってる人間です。

今の学歴社会って、学問の場で競争を煽って、優秀さの序列を作り、輪切りにして、上から人を採っていくシステムだけど。

もうこの、学問競争を煽って序列づけられた優秀さってのが、救いようがないぐらい実際に社会で求められていることと乖離していると思うんだよ。

英数国理社ができるなら、記憶力も確かかもしれない。昔なら、知っているかどうか?覚えているかどうか?で仕事が出来る出来ないということもあったと思うけど、検索エンジンのある世の中じゃなんの価値もないし。それより、問題解決能力、他の人間の考えていることを察する力、サプライチェーンを組み立てる能力、なんかがよっぽど重要

この乖離不毛さは正直、日本という国を滅ぼしかねないレベル。実際、団塊ジュニアは、過酷な受験戦争に晒されたあげくに、就職氷河期子供を作る余裕も無く、この国は少子化の道をたどってるし。

んで、日本の国力増強のために、提案したいのが、ビジネスマン勉強するような、GTDリーダーシップ戦略的思考、行動心理学サプライチェーンマネジメントとかを高校大学で教えること。国民なんちゃってMBA化するのがよい。

2009-04-06

大学一年目の秋に初級シスアド合格か……

http://anond.hatelabo.jp/20090406000943

大学に入って一年目で初級シスアドに受かるのは、実は結構難しい。

いや、できる人には簡単らしく、そういう人ほど初級シスアドを軽視するのだが、できない人は本当勉強してもなかなか合格しない。ネットだと「初級シスアドなど持っていてもしょうがない」と言った意見を見るが、これはできる人間が軽視しているだけである。(そもそも、ネットの文化が形成される初期のころは、そういったリテラシーの高い人ばかりだったのでそういった発言が染みついているのである)

そういう人に合格率は30%弱程度であると言うと、思わぬ合格率の低さに驚かれることが多い。世の中には初級シスアド学習コースなどは山ほどあり、書籍も山ほど出ている。どれも簡単に合格できると言うことを標榜している。しかし、実際にはこの合格率である。伊達国家試験ではない。

これを簡単と感じるか(あるいは苦痛と感じるか)、そうでないかが結構分岐点だったりするようである。増田氏は一年目ということで当然春ではなく秋ということになり、一発合格であろう。初級シスアドSQLが分野に含まれているので、ある程度その当たりの仕組みを感覚的に吸収できる人でなければ……単純に「パソコン好き」というレベルでは、そのあたりの短期間での突破は難しいと思う。

無責任なことは言えないが、この点で元増田の基本能力は結構高いような気がする。

<追記>

ブクマに反応。

b:id:hosigaokakirari 元増田大学前期で取ったって言ってるから春試験なんじゃなかろうか。情報系だと高校生でも取る資格だし。 2009/04/06

試験の出願はその年の2月が締めきりで、4月受験なので、大学に入ってから取得なら絶対に間に合いませんぜ。高校生のうち時期に出願してあるなら別だけど、出願受付時期が受験の最後のころにかぶるから考えにくいと思う。

<追記さらに追記>

大学一年と言うことは、受験戦争を勝ち上がった直後。その秋に向かって勉強をし、そこで取得したと言うことに対しての話である。時間の話も含まれている。100キロを一日で走りきった人と、年間で歩く距離が100キロとでは、全く評価が異なるだろう。そういった話なので、そこを見逃さないようにしてほしい。そしてこれは他の上級試験との相対評価ではなく、世間全体の絶対評価の話のつもりだ。

馬鹿の壁、と言う本がはやったことがあるが、できる人は本当にできるが、できない人は全くできないものだ。そしてできる人はできない人が何故できないのか理解できないし、逆にできない人の気持ちなど、できる人間はわからないのだ。それは声を大にして(顔を真っ赤にして半泣きで)言いたい。っていうかできる奴の「簡単ですよ?」ほど信頼できない言葉はないと思う。そしてネット連中(っていうかたくさんの増田たち、はてなーたちは特に)は基本的に「パソコンができる」人間なのでそこからの相対評価では辛い点数がでて当然である。

2009-03-09

こんなところに15年前の俺がいた

そうだよな。15年間は長すぎるよな。今の俺は今のお前よりも15年先にいるが,意見は変わってない。長すぎる。もうやりたいこともない。疲れた。深夜,やめるタイミングを見失ったゲームみたいに,もう腕も目も痛いのに何となくだらだら続けてる。明日死ぬとしても,そりゃ生物だから本能的な恐怖はあるけど,別にいいやという気がしてる。

俺はあと半年で30だ。ここで遭ったのも何かの縁だ。お前のあと15年間を教えてやるよ。もちろんこれは嫌がらせだ。先の展開を知っていると疲労感も5割増しだろうからな。お前は俺だが俺じゃない。俺は俺の気晴らしのためにお前をいたぶりたいんだ。

お前は高校1年生まで平穏に過ごす。部活にも入るよ。熱心とは言えないまでもわりと「忠実に」(これはお前のキーワードだからメモっとけ。お前は意欲に欠けるが義務には忠実だ)こなし,それなりに先輩や同級生とも波風のない関係を作る。高校2年から部活を休んで大学受験の準備を始める。最初の模試では偏差値61でちょっとショックを受けるが,最終的には70後半まで行くから安心しろ。受験勉強を始めると,とたんに友人や教師が馬鹿に思えてくる。俺は将来に向けてこんなにがんばってるのに,あいつらは俺を理解しようとしない。馬鹿なんだ。ハハハ。態度もはっきりと嘲笑的になって,もちろん周りからは嫌われる。孤立すればするほど奮起するのが俺たちの性だから,むしろ好都合ではあったんだけれど。授業をさぼって図書室で勉強することが多くなる。2年の秋だったかな,図書室を根城にしている現代文の教師が近づいてきてカミュとかいうフランス人の本を読めと薦めてくるよ。さっぱりわからないがとりあえず読んどけ。そいつは2回目に読み返したときが面白いんだ。お前の忠実さは大したもんだ。大学で特に何がやりたいわけでもないのに,義務感だけで2年間の受験戦争を勝ち抜く。塾でも学校でも試験成績は上位常連,ついに全国模試1位にも手が届く。ただそのうち,自分の欲望を抑えること,自分コントロールすることの快感にはまっちまって,拒食症に陥るよ。体脂肪率1桁台で貧血をよく起こすようになる。数年後にリバウンドして過食に陥り,今度は激太りするんだが。今でも俺は,自然な食欲とはどんなものだったか,よく思い出せない。

話がそれた。成績面で目立っていたこと,容姿が華奢な激ヤセで当時の流行りふうだったこと,あとは孤高な演出(笑)が利いたのかね,ともあれ高校後半で数人の女子にアプローチをうけるよ。校舎裏での告白とか一緒に帰宅とかお弁当とかその手のイベントもある。それなんてエロゲ。でもお前は人と付き合うのが怖いから全員お断りする。セックスもしないし乳も揉めない。大学以降も何人かからそれっぽいサインを送られるが全部逃亡。お前は30年間童貞魔法使い決定。別に性欲がないわけじゃないが(というか知ってるよな,俺たちはエロ大好きオナニー大好きだ),なんつーか本当に恐ろしいんだよな。誰かと関係をもつってことが。

いろんなものを犠牲にした甲斐あってお前は東京の某大学に入れる。意外に思うかもしれないが法学部だ。刑法って法律があってな,そいつの解釈数学の証明問題みたいでなかなか楽しいんだ。それに人の罪と罰を考えるってなんか哲学的な感じがするしな。大学司法試験サークルにも顔を出してみるが,あまりの人臭さと馬鹿騒ぎにすぐやめてしまう。別に司法試験を受けようとも思わないし。高校時代とあまりかわらず,図書館で黙々と勉強する日々が続くよ。刑法とあとフランス語な。お前はフランス語を第二外語として選択して,わりと熱心にそいつを勉強する。1ヶ月くらいフランス研修受けたりもする。でもそのうち自分コントロールし続けることができなくなって,上で言ったとおり過食に陥って何も考えたり学んだりできなくなる。すぐ回復するけどな。3年次からゼミを選択する。学習の遅れで希望刑法ゼミは手が届かなかったけど,別の良い先生にあたることができるから安心しろ。その先生について,お前は大学院にまで入っていく。意外だろ? 大学院は5年制で,最初2年が修士,あと3年が博士課程って言われてるんだ。お前は当初,学者になるつもりで院に入ったけど,すぐ学者に向かないことを自覚して修士で辞めることになるよ。俺たちはたしかに勉強は得意だが,別に何か研究したいものがあるわけじゃない。言われた課題を解くことはできるが自分課題を考えるのは苦手だ。知ってるよな?

就職氷河期で進路には相当苦労するが,就職浪人とかにはならずにすむ。大学院を出たあとは誰もが知ってる大企業に入れる。就くのは今のお前が想像もできないような仕事だ。企業自体は優良なんだが,運悪く配属されたところが激務部署でな,毎日2時3時まで働くようになるよ。残業代はしっかりもらえる。法律でもフランス関係でもないけど,仕事経験値もどんどん溜まって,それなりに使える奴にはなる。愛想笑いとかビジネストークも上達して,表面的な社交性は抜群になる(信じられるか?)。それでも童貞なんだけどな。社長賞とかもちょくちょくもらったりする。同僚は基本的に馬鹿ばっかりでうざい。飲み食いと車とゴシップしか話題がない。上司は明るくて指導熱心で情に篤い善人なんだが,その明るさや情が俺の中の暗くて湿った部分を刺激する。ガンガン稼ぐし表面的にはにこやかな演技うまいから同僚の女が寄ってきたりするが,やっぱり逃げる。カミュ読むとかエロゲでも遊んでたほうが楽でいいじゃん? オナニーばっかりしてるからいつのまにかチンコが曲がるよ。どっちに曲がるのか楽しみにしとけ。

ある程度職歴と金が溜まったら,それを元手に転職活動して,今のお前が聞いたこともないような企業に移る。前の職場より規模も知名度も小さいとこだ。給料はけっこう良い。毎日定時上がりで,同年齢の平均値よりだいぶ上をもらえる。といってもエリートとは言えない微妙な水準だけどな。この会社には,頭は悪いが勉強ができる,つまり俺たちみたいな男や女がたくさんいる。皆それぞれ歪んでいて劣等感と優越感の入り混じった自意識を垂れ流していて,お前は毎日うんざりするような同属嫌悪に苛まされることになる。上司はそこそこ頭が切れて,滅茶苦茶プライドが高い割に傷つくのが大嫌いっていう『山月記』の李徴みたいな奴。扱いにとっても気を使うけど,こういう鬱屈だらけの人たちの間にいて,乾いた0円スマイルを交わしながら暮らすのってなかなか悪くないよ。仕事は特に難しくない。ルーティンワークではないが独創性あふれるアートでもない。つまり普通仕事だ。定時に帰って都心アパートで夕飯を自炊して本を読んで寝て,また起きて背広を着て仕事に行く。金は貯まるが使い道がない。養育費を親に渡すくらい。恋人も友達もいないが別にさびしいとは思わない。たまに犬を飼いたいと思うことはある。

お前のあと15年間ってこんな感じ。お前がどう思うかは知らない。実際生きてみた俺の感想としては,生きる価値あるとは言えないかな。生きててよかったと思う瞬間はない。殺されないから,なんとなく生きてきた。今のお前が,あと15年を生きることを拒否したとしても俺は非難しないしむしろ合理的判断だと思うよ。

2009-01-16

価値努力存在するか?

たとえば、センター試験を明日に控えている受験生達が、

勉強して、本命大学を滑ってしまったとして、彼らが勉強してきた時間は、努力は、無価値なのか。

大学側は当然無価値とみなしているわけだが、

その後の本人の人生に関してその努力がどこかで役立つ時は来るのか。


頑張ってね、受験生

受験戦争にはだいたいみんな出兵するんだ。

君の努力が無価値になりませんように。

2008-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20081114110522

アメリカ大統領選は確かに大規模なイベントを打って派手だけど、投票率は概ね50%代(今回は40年ぶりに60%代)

衆議院選挙過去40年間、60-70%代。

選挙の仕組みも統計方法も違うし、投票率だけでは判断できないから一概には言えないけど、決してアメリカ選挙が盛り上がって、日本が低調って訳でもないよ。

日本報道大統領選で盛り上がってるだけ。

隣の芝生は、ってヤツだよ。

オランダ雇用制度だって問題を抱えていて、技術の向上や引継が出来なくなりつつあるし、労働者人口の2割が病欠状態でいつぞやの奈良病欠公務員みたいなのがゴロゴロしてる。

そういえば日本教育制度も、ゆとりが批判されている今も、校内暴力で荒んでいたときも、詰め込みや受験戦争の弊害が説かれたときも、常に絶賛されてるらしいね(特に途上国からは)

2008-09-12

東大生の扱い方

友達の後輩をまぜて飲む機会があり、何の前説もなく「東大なんだよコイツ」と友達から紹介され、「ははあ。よく勉強したんだね」と言ってしまった。

なぜか皮肉っぽく聞こえたらしく、友達から後でたしなめられた。まあこの友達が気にしすぎなだけで東大の彼はたぶん気にしてないと思うんだけど。

どうも東大生(あるいは京大生)の扱いって難しいな。東大ネタで必要以上に褒めて盛り上げるのがいいのか、あんまり触れないでおくのがいいのか。

僕個人の価値観で「東大生」というと、あの苦しい受験戦争に勝ち抜いた強者、という印象しかなく、あまり「頭がいい」と褒めるのは当人にとっても辛いのではないか、と考えてしまう。

だから「東大」であることをネタにすることは控え、彼も自分からそういうことは言わなかった。

むしろ友達が「これだから東大生は」とか「ほんとこいつ頭の中身が俺らと違うからさー」とかで話を茶化す傾向にあり、その方がよっぽど場を揺るがしていたのだ。

東大生の扱い方が難しいというのは、複数人の場でどのように処理していいのかが難しいということ。

この友達のように「東大ネタを持ち込まれると、それに応じて「やっぱ違うなー東大」とか言わなきゃ変に思われそうで。

現に紹介時のやりとりを友達は変に思ったようだし。

東大生に対する価値観は人それぞれで問題ないし、僕も修正を求めたりはしないのだけど、それだけに扱いが難しい。当人がどう思ってるかに関係なく。


#9/13 12:35時点での釣果 : 125ブクマ

2008-09-03

夜中、ひとり、歌ってみる。

ああ

わかってくれとは言わないが

そんなに 俺が悪いのか

ちっちゃなころから人数多いせいで受験戦争だったし。近所の公立中高は荒れててガラス無かったよ。

オタク趣味にはまりかけたら連続幼女殺害犯人の同類として扱われ、触るもの皆キモがられた。

世に出る前にバブルが消えた。あんなに好景気だったのに。

人数多いくせに不況で就職氷河期と呼ばれたよ。

企業の定年はどんどん延長されていった。上の世代が残りっぱなし。

ポストの個数は縛られて、成果主義人件費の総額は削られて。

繁殖力が低いとか言うけれど、この平均年収でどうやって子育てしろと言うのだろう。

ああそうだよね、自己責任なんでしょ?はいはい。勇気を出して切り開けば良かったんでしょ?

駅のホームでつかまって

力任せに殴られた

そんな空気

上の世代の言うことを聞いていればいいのだという押さえつけと、そいつらが国をバブルで調子悪くしてた現実

ああ、文句言うなら俺たちが直せっていうんだろ?この国。そろそろそういう年代だし。

でも俺らそんなに悪い事した?

ああ

わかってくれとは言わないが

そんなに 俺が悪いのか

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