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2008-08-05

地雷オタが非オタ彼女地雷世界を軽く紹介するための10本・改

http://anond.hatelabo.jp/20080805043250から。

まあ、どのくらいの数の地雷オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、 その上で全く知らない地雷世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、地雷のことを紹介するために見せるべき10個を選んでみたいのだけれど。(要は「MCあくしず」の正反対版だな。彼女地雷布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う地雷原の敷設、運用の解説は避けたい。できれば、長くてもテンプレ範囲内にとどめたい。あと、いくら地雷的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。地雷好きが『フガス地雷』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

地雷知識はいわゆる「秒速5センチメートル」的なものを除けば、デスクリムゾン程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

対戦車犬 - Wikipediaソ連

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ソビエト連邦」を濃縮しきっていて、「スプートニク2号」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。結局欠陥兵器だし。ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この動物虐待過多な兵器について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

Hafthohlladung - Wikipedia, the free encyclopediaドイツ)、S-mine - Wikipedia, the free encyclopediaドイツ

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな地雷(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「地雷オタとしてはこの二つは“兵器”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

クレイモア地雷 - Wikipediaアメリカ

ある種のSF兵器オタが持ってる指向性対人地雷への憧憬と、ガイ・スローナー開発のオタ的な面制圧へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、

それに加えていかにもアメリカ

「合理的なださカッコよさ」を体現するデザイン

「合理的で好ましい兵器」を体現する殺傷力

の二つをはじめとして、オタ好きのする要素をボディにちりばめているのが、紹介してみたい理由。

ブルーピーコック - Wikipediaイギリス

たぶんこれを見た彼女は「N2地雷だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。この系譜の核兵器がその後続いていないこと、これが軍ヲタには大人気になったこと、冷戦中なら実戦配備されて、それが北海道に持ち込まれてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられなかったこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

PFM-1 - Wikipedia, the free encyclopediaソ連

「やっぱり地雷子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「それは都市伝説だよ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるソ連の思いが好きだから。断腸の思いで譲りに譲ってそれでも「ちょうちょ型」、っていう形状が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「殺す」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。PFM-1の形状を俺自身は子供向けとは思わないし、もう譲れないだろうとは思うけれど、一方でこれがアメリカ日本だったらきっちりおもちゃと誤解させないデザインにしてしまうだろうとも思う。なのに、各所に頭下げて迷惑かけて「ちょうちょ型」を作ってしまう、というあたり、どうしても「悲惨な物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえソ連がそういうキャラで済まされるレベルでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。兵器自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

PMD-6ソ連

今の若年層で「木製」地雷見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

第二次大戦よりも前の段階で、地雷哲学とか探知回避の技法とかは木製地雷によって頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの兵器が第三世界で今の時代も使われているんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく地雷好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるアニメゲームでしか地雷を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

中国製電気地雷 72B中国

地雷の「悪意」あるいは「禍々しさ」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「終わらない悪意の中を毎日生きる」的な感覚が紛争地域には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ世界各地の『紛争』最終段階はテロリズム以外ではあり得なかったとも思う。「地雷原化した土地で生きる」という悲愴な感覚今日さらに強まっているとするなら、その「憂鬱な気分」の源は憎悪憎悪を呼ぶテロリズムの連鎖にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

94式水際地雷敷設装置日本

これは機雷だよなあ。定義論争が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう専守防衛風味の地雷をこういうかたちで国産化して、それが非軍オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのも見てみたい。

ストライクウィッチーズ高村和宏監督

9個まではあっさり決まったんだけど10個目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にストパンを選んだ。

地雷犬から始まってストパンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、パンツじゃないもん以降の百合アニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10個目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

2008-07-26

数学オタが非数学オタの彼女数学世界を軽く紹介するための10題

cf.) http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数の数学オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない数学世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、数学のことを紹介するために覚えるべき10の事柄を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女数学布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、思考的に過大な負担を伴う21世紀数学七大難問は避けたい。できれば学部レベル、難しくてもマスターレベルにとどめたい。あと、いくら数学的に基礎といっても義務教育を感じすぎるものは避けたい。数学好きが『三平方の定理』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。そういう感じ。

彼女の設定は

数学知識はいわゆる「高校数学」的なものを除けば、テイラー展開程度は使える

理系度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

ブルバキ数学原論ニコラ・ブルバキ

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ブルバキ以前」を濃縮しきっていて、「ブルバキ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。ページも7000以上だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な原論について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

四色定理(ケネス・アッペル、ウォルフガング・ハーケン)、ケプラー予想(ヨハネス・ケプラー、トマス・ヘールズ)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな証明(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

数学オタとしてはこの二つは“検証”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

ヒルベルト23の問題(ダフィットヒルベルト

ある種の難問数学オタが持ってる公理への憧憬と、ヒルベルト教授数学オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもヒルベルト的な

「証明できないことを証明するカッコよさ」を体現する連続体仮説

公理主義好みジョーク」を体現する物理学公理

の二つをはじめとして、数学オタ好きのする問題をちりばめているのが、紹介してみたい理由。

位相幾何学トポロジー](レオンハルトオイラーカールフリードリヒガウス他)

たぶんこれを見た彼女は「ドーナツだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の学問がその後生み出されていないこと、これが近代では大人気になったこと、欧州なら定理ラッシュになって、それが日本で花開いてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのが生み出されないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

ナッシュ均衡(ジョン・フォーブスナッシュ

「やっぱりゲーム理論は役に立つものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「囚人のジレンマ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この概念にかけるナッシュの思いが好きだから。

断腸の思いで選びに選んでそれでもパレート効率的ではない、っていうあたりが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「部分最適戦略」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

ナッシュ均衡による戦略を俺自身はダメとは思わないし、もう選択しようがないだろうとは思うけれど、一方でこれがアメリカ旧ソ連だったらきっちり冷戦にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて部分最適戦略を選んでしまう、というあたり、どうしても「自分の利得を最大化してきたものが捨てられないオタク」としては、たとえナッシュ均衡がそういう概念でなかったとしても、親近感を禁じ得ない。概念自体の一般性と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

ユークリッド原論(エウクレイデス)

今の若年層でエウクレイデス(ユークリッド)見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

キリスト生誕よりも前の段階で、数論とか初等幾何とかはこの原論で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティ数学書がエジプト紀元前に書かれていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく数学好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるマス北野数学者と思ってる彼女には見せてあげたいなと思う。

フェルマーの最終定理ピエール・ド・フェルマーアンドリュー・ワイルズ

フェルマーの最終定理の「設問の単純さ」あるいは「投げっぱなし感」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「この余白はそれを書くには狭すぎる」的な感覚数学オタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアンドリュー・ワイルズの行き着く先はフェルマーの最終定理以外ではあり得なかったとも思う。

「一般化された予想問題を解く」という数学オタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源はフェルマーの最終定理にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

ギリシアの三大作図問題(ギリシア時代の数学者たち:詳細不明)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

ういういかにも簡単に解けそうな作図をこういうかたちで問題にして、その証明が非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

数学ガール(結城浩

9個まではあっさり決まったんだけど10個目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に数学ガールを選んだ。

ブルバキから始まって結城浩で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ネット時代以降の数学萌えの先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10個目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

2008-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20080724194009

原発は万が一の時「想定を超えていた」じゃすまないんだけど。善かれ悪しかれ戦後教育を受けていれば、黒い雨の恐怖は説明するまでもないと思ったんだが。第五福竜丸とか冷戦とか核の冬とかチェルノブイリとかってもう死語なのかな。


チェルノブイリ以外は原発ではなくで原爆水爆の話だね。原発だったらスリーマイル島の事故もあったか。

http://anond.hatelabo.jp/20080724081926

阪神大震災のときにぶったおれた高速道路も、作ったときは地震で倒れるとは思ってなかったんじゃなかろうか。

阪神大震災がおこるまでは、日本耐震基準は関東大震災クラスを想定してたんじゃなかったっけ。

原発はあの程度のやわな揺れで壊れたりしません。

原発万が一の時「想定を超えていた」じゃすまないんだけど。善かれ悪しかれ戦後教育を受けていれば、黒い雨の恐怖は説明するまでもないと思ったんだが。第五福竜丸とか冷戦とか核の冬とかチェルノブイリとかってもう死語なのかな。

もちろん、原発に限らず絶対安全なんて無理だし、柏崎刈羽原発はちゃんと止まったんだから素直に「安全対策すげえ」って思ったけどね。

それで夏場のエアコンに使う首都圏電気が足りねえって騒いでるのには呆れたが。

2008-06-20

みーんな疎外中。

 長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。

疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。

 なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。

 じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。

「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」

「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」

「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」

「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」

「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」

「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」

「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」

「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」

「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」

「その人を手当てすりゃいいじゃん」

 ……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。

「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。

 例えば教育。そもそも公教育制度って、政治社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像国民保証する」ことにあるわけです。

 だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。

 警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。

 他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列未来投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。

 だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?

 いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級リングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級リングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。

 だから、庵野監督大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)

 なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。

 ポルポト文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。

 ……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。

疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェ運命愛もちょっと似てるかも。

 ……でもこれって、

「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」

という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論ポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女ジジイ

 ……この「反疎外論シリーズ、いろいろ応用がききそうだな。

 例えば、

「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」

「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずく正義押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」

とか、

「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」

「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」

「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」

ライダーは二人も要らない」

「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」

貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」

「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」

(去っていくザビーゼクター

「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」

(半年後)

「もう疎外論も物象化論もないんだよ。影山、俺と一緒に転向しよう……。天道、おまえはいいよなあ、どうせ俺なんか」

とか。

2008-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20080611041657

あのなぁ、83年生まれってのはなあ、

バブルへの入り口付近で生を受け、

バブル絶頂期に幼少期を過ごし、

しかし自足歩行が板につくころにはバブルがはじけ、

大人がため息ばかりつくのを見ながら青年期に突入し、

ゆとり教育云々のニュースを尻目に古式ゆかしい受験戦争を戦って、

やっと入った大学では先輩たちの「昔はこうじゃなかった」という言葉を耳にたこができるほど聴き、

氷河期並と脅されながら就職活動に精を出し、

実際は氷河期ほどじゃなかったけどコミュニケーションがどうのこうのとか新奇な指標を持ち出されて閉口し、

やっと入った会社では団塊の世代を目の敵にしてたおっさん(今や大量退職で天下握って調子に乗ってる)にこき使われてる、

っていうまじで悲しい世代なんだよ。ちなみにいじましく過した青年期は通称「失われた10年」とか呼ばれる期間な。

わかるか?

おれたちはバブルは知ってるけどバブルの楽しさは知らないんだよ(ここら辺の世代の感覚がわからない。初期の村上春樹にぴんとこない。

社会意識しだしたときにはもうすでにソ連は崩壊してたんだよ(冷戦とか共産とか資本主義とか、知ってるけどリアリティーはない。

にゃんこクラブなんて見たことないんだよ(終わった直後だよ女性意識しだしたのは。よくわからんわー。

八時だよ全員集合も見たことない(ギリギリ記憶にないね。パロディーからオリジナルを知ったよ。

モー娘に冷めるんだよ(個人的にね。でももうちょっと早く始まってれば、熱狂できたのに。

初めて見るものがすべて「懐かしい」って言われてたんだよ(ガンダム仮面ライダーウルトラマンも、続編や再放送レンタルビデオで見たよ。で、それが「なつかしの」なんてお題で特集されるの。わかる?この感覚

ゆとり」じゃないんだよ。(確か1つか2つ下の人たちからだよね)。

なんかねー、「あ、人生始まった」って時期に限って、何かが終わっていくの。冷戦も、バブルも、冷戦後の短い平和も、いろんな文化も。

で、そういうのを、団塊の世代とか団塊ジュニアの世代とか新人類世代とかシラケ世代とかバブル世代とか氷河期世代とかの人が、昔はあのころはそういえば、って嘆いたり言祝いだりしていた(る)の。

で、もう流石にもう世代とか言う言葉は使わねーだろ鬱陶しいしーなんて思ってたら、「ゆとり世代」の登場ね。

旧来のよろしくない教育を改め新たなよろしい教育を。なんてことを、その時期まさに旧来の教育を受けていた人たちはちゃんと聞いていたわけだけど、まあこれは逆恨みになるから詳しくは言わないことにする。まあ、ちょっと白けたねー、とは、言っておく。

色んな「世代」があるけど、なんかどの「世代」にもはまらないなー、って世代。それが83年あたりの世代だと思う。もしかしたらこの先「サカキバラ世代」と言われる様になるかもしれないけど、「世代って言われてもなぁ…」って感覚で聞き流すと思うな、自分は。

まあこんな感じで。何も言いたいことはないけど、「83年」に釣られて書きなぐってみた。

2008-04-24

http://d.hatena.ne.jp/nankado/20080421/1208779993

元MSの井上氏に難癖つけて撃沈、その後該当エントリおよび魚拓も消去して逃亡を図る駄目オタクの醜態

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f1b7.html#more

肝心な点も何も、私とは赤の他人である JSF 氏が書いている「週刊オブイェクト」の記事について、なんで私が申し開きしないといけないのかと。

「戦争を欲していない」と書いたのは「週刊オブイェクト」であって、「Kojii.net」でも「Kojii.net ココログ別館」でもないんですよ。無視も何も、他人が書いたものについて申し開きする意味も理由もありませんって。

そんでもってこの人、「戦争を欲していない」というタイトルから「軍事産業平和産業に転じたわけではない」と脳内展開した上で、「だから当該記事は間違っている」という論を展開していたんですが、そもそも私、「防衛産業が平和産業に転じた」あるいは「転じようとしている」なんてことは、一言も書いていません。

それどころか、「産油国大人買いしてもらう方が儲かる」「冷戦がもっとも有利な状況である」なんてことまで書いてます。だから、「平和産業に転じて云々」なんて言い出した時点で、すでに存在しない論に対して論陣を張る、典型的なシャドーボクシングなっちゃってるわけですが。

>>さて。「対話の技術を持たない」のはどっちでしょうね。

井上さん、d:id:nankadoごとき厨房に対話の技術をもとめちゃいけませんぜ。

2008-03-22

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080322/p1

団塊世代がいいとは思えないこれだけの理由

これもかなり嘘くさい。

低学歴から高学歴まで学歴関係なく幸せを勝ち取ることが出来た>

雇用も限定的で、よっぽど学歴に縛られてましたよ。六大学とか、関関同立というブランドは昔からあるわけですし。今、社長になっている人は高学歴の人ばかりですよね。で、こうした人は団塊世代なわけですよ。この世代が企業トップクラスについている。

(略)

また低学歴の人が虐げられていた面もありましたしね。「女工哀歌」みたいな話は珍しくなかった。

元の理由自体が変なのは同意。

学歴の影響が強かったのも同意。

だから、その下の世代ではより学歴が強調された。

けど、低学歴でも出世できた機会が今と昔のどちらに、あったかといえば、経済が拡大傾向にある時の方がチャンスは多いに決まっている。

あと、「女工哀史」は明治大正の話でしょ。

就職さえ出来れば終身雇用が約束された>

逆に言えば転職できなかったのです。転職という選択肢がない、それを許す時代背景がない。安い給料でも我慢して働くしかない。そういう限られた選択肢社会だったのですよ。

すごい勘違い

終身雇用がよいのではなく、終身雇用が保障され会社にいる限り、必ずベースアップがあった。横並びだけどね。

頭抜けて良い給料が難しいという難点はあっても、ぎりぎりの最底辺の給与でずっといるという状況もないのが素晴らしいのに。

<女が男を支えた>

でも単純な話、共働きの方が収入が増えるじゃないですか。その方が家計は楽じゃない? 女性も働くことができる。

元の理由は気に入らない。

けど、共働きでないと暮らせないのと、共働きでなくもて暮らせるなら、後者の方がましなのは明らか。

転職しても職で困ることはなかった>

とらばーゆ」なんてもうはるか昔の言葉のような気がするけど、創刊されたのって1980年。実は意外と最近ですよ。

いやぁ、その言葉が出来た頃に第一線だったのが、団塊世代じゃないの?

30年で世代は交代するよ。

当時の転職は最終的に不利なケースが多かったけどね。

年金支払いがあてに出来た>

結果的にあてにならなかったわけで。しかもそれを団塊世代を直撃しているわけでしてね。それこそ消えた年金記録もろもろで。

あてにして裏切られる方が、あらかじめあてにしないよりきつくない? 少なくても団塊の世代はこれまで払ってきた。払った分を期待するのが当然。あてにして当たり前。それが政府に裏切られようとしている。このショックは大きいぞ。

団塊の世代は、払ったよりももらえるよ。

払ったのよりもかなり多めにもらえる予想だったのが目減りしているけど、それでも多い。

下の世代は、払った額より少ない額しかもらえないのが予想できるんだよ。

これって寄付金?

<将来に明るい展望があった>

どれだけありましたかねえ。それこそ団塊世代全共闘とかの世代でして。日本赤軍とかのテロがあったり。また冷戦の時代でしたねえ。米ソが対立していた。国際的に明るいとは言えませんねえ。今よりはるかに軍事的脅威があった時代なんで。ベトナム戦争なんかもあったしさ。

国内的にもどうだか。公害なんかもひどかったし、そんな暮らし向きは良くなかった。オイルショックなんかがあって、トイレットペーパーを奪い合って買うような時代ですよ。今より良いとは思えんねえ。気の持ちようだと思いますよ。

いまだって、アフガンイラクチベット、脅威はいくらでもある。

今は、インフラは整ったけど、これ以上の向上は見込めない。

逆に整えるための借金をどう返済するかで悩んでいるじゃん。後退するかも知れない。

オイルショックは一時の狂乱。常時そんな状況だった訳じゃない。

<25年の住宅ローンを安心して組めた>

そもそも25年の長期ローンを組んでまで、何で家を買わねばならんのかと。なんで賃貸で我慢せんのか不思議でなりませぬ。

引用はしないが、3000万で住める家は、賃貸で月10万で住めるだろうかという部分がない。

あと、終身雇用がローンの安心感につながる部分の視点が抜けている。

<満額の退職金又は割り増しの早期退職金で死ぬまでの人生プランを立てられる>

これだって実は既に危ういわけで。で、その危うさに直面しているのが団塊世代でありまして。年金同様、これをあてにして生きてきたのに、これがもらえない可能性が出てきている。こっちの不安の方がはるかに大きいと思うぞ。最初からあてにしてない世代に比べてさ。

さっきも書いたけど、あてにするしないは別でさ。

彼らは現役よりも多くもらえるわけだ。

たとえ、当てにしていた額よりは目減りしても。

もらえない人間よりもらえる人間の方がよいのは当たり前でしょ。

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他の項目はあまり文句はない。

2008-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20080317122044

ないとはいいきれんだろう。

外交は複雑なので絶対は無い。平時の外交は権益の奪い合いよりも、存在感の提示のしあいになる。なのでどの国も心の底では他所の国の少数民族迫害なんかどうでもいいと思っていても、「人道に基づいて」干渉を行う。内政不干渉が原理原則だけどね。

で、アメリカなんかはそろそろ「中国でかい顔しすぎ」ってところがあって、揺さぶるカードがあれば切る事だってあるだろ。ただ、いきなりボイコットなんて話が出ると思ったら、それは違う。

中国オリンピック開催地として妥当なのか」

なんて話から(もう始まってるが)始まって、

ボイコットまで視点にいれた、人道的圧力」

なんて婉曲表現が出てくる。あとはここからボイコットまでのどこに話を落とすか。この場合ボイコットを言う国もされる国も

「俺の顔を立てやがれ」

テレパシーを送っているわけで、両者の顔がそこそこ立つと合意できるところに話が落ちる。ソ連アフガニスタン侵攻時には冷戦構造化での敵国へのプレッシャー国威高揚の意味アメリカは楽々とボイコットを宣言できた。

ボイコットはともかく相当な圧力があちこちからかかると思うよ。単に中国の顔をつぶす、自国の存在感を誇示するって意味で。

あと、

「黙っててやるけど、中国は俺の国に何をしてくれるわけ?」

という腹芸外交もある。

2008-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20080224201224

米ソ冷戦時代の社会主義国家でよくそういうことが行われていましたね。

パネラークと呼ばれる壁の薄い無機質なアパートがずらっと立ち並んだ光景テレビ書籍で見たことはありませんか?

2007-11-28

自分には荷が重すぎる状況に陥った時の思考術

自己流だけど。ライフハック(笑)みたいなもんだと思ってくれ。

1、思考形態を八つに区分する。
因果連続、均衡、価値、真偽、超越、城塞、差異

八つをそれぞれ「都市」のようなものだと捉える。それぞれの「都市」が興亡を繰り返し、勢力を競い合っているイメージ世界史の年表地図みたいなものを思い浮かべて欲しい。自分の場合は一日単位で大体中近代ヨーロッパの100年分ほど勢力図が変わる感じ。別に西欧史でなくても古代中国史でも何かの漫画のとかでもいい。八つの都市の勢力図がなるべく流動的に変化するよう自分の意思でコントロールする。

2、コントロール不能な情緒の渦(=「夜」)を七つに区分する。
悲哀、愉楽、憤怒、恐怖、思索、空虚、浮遊

「夜」は自分の意思ではコントロールできない。その時の出来事や、悩みごと、社会情勢なんかに応じて否応なくどれかの「夜」がやってくる。自分には荷が重すぎる状況に陥った時は特に激しい情緒の渦が襲ってくることが多い。そういう「夜」に飲まれてしまうと、精神バランスや体調を崩したり、躁鬱が激しくなって冷静な判断ができなくなったりしてしまう。

3、激しい情緒の渦に襲われた時は、思考形態の勢力図に従って対処する。

例えば上司との軋轢からどうしようもない「悲哀」の感情に襲われたとする。

その時、都市勢力図で「差異」が強かったとすると、

  • 軋轢の原因となった行動に対する認識の差異
  • 問題以前以後での上司への心情の差異
  • 上司と自分の性格、経験、考え方の差異

等々を考える。

もし都市勢力図で「真偽」が強かったとすると

  • 自分がこのような負の感情を抱くのは正当か否か
  • 上司の自分に対する行動は正当か否か

なんかを考える。

この思考方法の利点は二つ。

1、自分には荷が重すぎる状況を順列組み合わせの中に落とし込むことで、考えが煮詰まることを防ぎ、視野の片寄りを防ぐ。

2、コントロール不可能な「情緒の渦」を、パターン化された「思考形態」と組み合わせることでコントロール可能な領域に引きずり込む。

ようするに考え方をあえて限定することで、問題に対処する範囲を狭めるのだ。こうすることでオーバーフローを防ぎ、問題を自分の意志でコントロールできているのだという意識を持つようにする。

参考までに彼女にふられた自分の、ここ三日間の精神状態がどう推移したかを書いておく。
一日目。都市の主要勢力は「均衡」、夜は「空虚」
  • 彼女に別れを宣言される。
  • それまでの関係は?
    • 一年も二人の間で冷戦状態が続いていた。
      • その状態のまま二人の関係は均衡していた。
      • 別れに踏み切れなかったのは、自分たちの関係を支えてくれた周囲の人達のおかげだ。
        • 彼らの為に、幾度も関係の修復を試みたが結局なにも変わらなかった。
  • 結婚せずにずるずると今の状態を続けるのは彼女のためにもよくない、とわかっていながら決断を引き延ばしたのは、ひとえに自分に責任がある。
  • 彼女は自分に釣り合っていたか?
    • 彼女が自分に不釣りいなほど素晴らしい女性だったのは間違いない。
    • 彼女が自分のような男に愛想を尽かすのも世の理だろうか。
      • だからと言ってあんな裏切りが許されるものなのか?
二日目。都市の主要勢力は「因果」、夜は「恐怖」
  • 別れることになった直接の原因は、彼女浮気
    • だが彼女にそうさせた原因は自分のふがいなさにある。
  • これから先自分は彼女以上の人と出会うことができるのだろうか?
    • 誰かと出会い、恋をして、デートに誘い、告白し、認めてもらう……
      • そういった一連のプロセスを再度踏むことを想像すると気が遠くなる。
      • 万が一それに成功したとしても、食事の好み休日の過ごし方、家にいる時のルール等再びお互いの機微を喧嘩を交えながら摺り合わせる作業が必要になる。
    • そしてきっと様々な場面で新しい彼女を別れた彼女と比較してしまうだろう。
  • そもそも自分のふがいなさを修正しない限り、また同じ結果が繰り返されることになるだろうことは明々白々だ。
  • コンビニに行く途中発狂した自分は広場で大勢の民衆を虐殺した。
    • 世に言うカルマーの大虐殺である。

三日目。主要都市勢力は「城塞」、夜は「浮遊」
  • カルマーの大虐殺の裏に「城塞」都市の支援があったことから「因果都市は「城塞」都市に対し宣戦布告を行い、以後全地上を巻き込んだ百年に及ぶ都市戦争が始まる。
  • 戦火が全都市を巻き込むほどに拡大した理由は、この地を覆う新教派と旧教派の深刻な宗教的対立である。
    • 二つの宗教観の対立は都市間を超えて広く敷衍していたが、その本質は代替の効かない貴重なエネルギー資源である聖石の採取権と政治的利用の是非を巡ってのものであった。
  • それぞれの都市は複雑な同盟の絆を編み上げ合従連衡をくりかえしていった。
  • 聖石の俗性利用に比較的寛大だった新教派に首長自らがいち早く改宗した「城塞」都市が、その勢力を増していく。
    • 聖石の軍事転用によって広大な領土と採取権を手にした「城塞」都市は、安定した聖石の採取と独自の精錬方法で、圧倒的な軍事力科学力を手に入れる。
      • その科学力は都市一個を丸々空中に浮遊させるほどだったという。
  • ここにおいて初めて全都市の征服がなり、「城塞」統一王国誕生する。
  • 以後王家貴族は空中に浮かべた都市の上で治世を行い、全地上をその恐怖の力で支配した。


http://neo.g.hatena.ne.jp/llpp/20071202#p1

2007-10-24

銀英伝を再読しているんだが。

古さを感じさせるのは仕方がないとして。

ふと、この作品に、民主主義ファシズムと前近代国家は出てくるけれど、共産主義が出てこないのが気になった。これが書かれたのは、冷戦の真っ只中のはず。やはり、作者の思想の偏りが反映されているのか。・・・とそこまで考えて、すでに同様の指摘があった、と考えるほうが自然だと思った。作者氏はどう答えたんだろうか、と気になった。

2007-10-18

最終兵器といえば?

考えてみたら冷戦を知らない世代が大人になりつつあるんだな。

最終兵器といえば「彼女!」と応える世代つーか。

そういうのがネットウヨになってる現代。

テロクローズアップされる昨今においても状況はほとんどかわっとらんのに。

2007-10-10

高専とか男子校とか……っていつの間にか別の話

そういう女子の少ない学校に入ったから貴重な青春が……とかいうやついるけどさ、そういうやつは共学でも夢見ているような青春は送れないんだよ。中学を思い出せよお前、といつも思う。

高専学校としてみればいいよ。自由の代わりに、ある程度は自分で判断してけつを決めなきゃずるずると落ちる場所だし、合う合わないが激しいから合わなかった場合悲惨だけど。合えば楽しいところ。まあ進学増加中でどうかとも思うけど、大学高専給料の差をつけられたら(仕事同じで)そら皆大学いくわ、て感じ。仕事に関しても、高専だとよっぽどでなければ開発・研究にはいけないし、それらを志すなら進学しなきゃならない。でも研究の一端に触れて自分の進路を考えられるというのはとてもいいよ。成績よくても「研究は合ってない。極めようと思わない」と就職する人もいるし。廃止論もあるようだけど、中学卒業の時点で分岐するルートがあってもいいと思う。大体学費安いし(うちだと年間25万+教科書代他)、卒業すればそれなりのところには就職できるし。設計する分には大学との差なんて感じないし。有利なところもいくつかあるし。実際に工作機械を使って部品を製作してロボットを作ったことがある、というのはなかなか設計する上では役に立つ経験になる(これはまあ機械科の話だけど)。自分でしたことというのはなかなか忘れない。

ネックは英語が弱くなることと、古典をほとんどやらないこと、あと世界史とか日本史とかの知識は欠けるかな。大学受験を潜り抜けた人間受験で叩き込まれた知識がうっすらと教養として残ってるから。まあ真ん中より上に限る話だけど。一年かけてペリー来航から大政奉還までしかやらないような趣味に走った歴史の授業では太刀打ちできん。楽しい授業だったからまあいいが。

英語はさっぱりだけど、まあ使う職業に就かないなら問題ない。就職して英語バリバリ人間も、「意外に専門用語だけで通じるから英語の知識は必要なかった(あるに越したことはないが)」という。

先生は放任気味だけどやりたいことを見つけてきちんと計画を立てて相談にいけば、おかしなくらい親身になって助けてくれる。高専嫌いな先生高専大好きな先生冷戦を眺めるのもなかなか楽しい

大学に入るとまず真っ先に酒を覚えるように、高専に入った学生が最初に覚えるのも酒の味だ。これは間違いない。でも大学生に比べれば大人しい飲みだ。他大学体育会と交流会した時に痛感した。大学生体育会系に限るかもしらんが)の飲みは異常。常に一気コール回ってて、何じゃこらって思った。学校も酒には甘い(これは概ねどこも一緒かと)。煙草には厳しいが。

ちなみに4年ないし5年の男子が1年ないし2年の女子と付き合うと、そいつはロリコンと呼ばれる。これは半永久的に間違いない。別れても呼ばれ続ける。後輩にまで「ロリコン先輩」だとか「ロリさん」とか呼ばれることになる。これはうちの学校の、しかも局所的な慣習かも。

夏休み普通高校と同じくらい(ずらして9月から夏期休暇の高専もあると聞く)。冬休みも右に同じ。春休みが一番はっぴーな長期休暇で、年度によっては夏よりも長い。大体2月半ばから4月過ぎまで。課題がないので遊び放題。5年生の場合は最後のモラトリアム

授業はうちの場合90分x4がフル。水曜日は90x3で固定。あとは科によって何年かによって違う。ひどい年は水曜以外全てフルだったりする。実験だとか製図だとか実習は終わる時間があってなきが如し。間違いなく定刻に終わるように、なんて配慮はなく内容が決められている。ひどい話だ。

うちの高専には体育祭マラソン大会もなかったので、体育は非常にぬるかった。基本選択制(テニスーとかサッカーとかを適当に選択)で、あとは適当に遊んでいるだけ。まあリクリエーションの時間みたいなもの。何故か水泳だけは結構ハードで、90分で1200m以上泳がないとA評価を貰えなかった。歩きだったり着衣だと500m(なぜか着衣水泳用の服が標準装備だった)。

懐かしい思い出だ。最初書きたかったこととは全然かけ離れたが面白かったので残しておく。

//追記

あと大事なことを忘れてた。うちの高専には体育祭マラソン大会スキー合宿もそういう行事的なことは一年の時の野外活動(親睦を兼ねて)と修学旅行くらいしかないわけなんだけど、その代わり春の遠足/秋の遠足というものがあった。遠足かよwwwって感じだが、内容もまさに遠足。基本は現地集合現地解散。市内オリエンテーションとかいってぶっちゃけ授業なのに全部自由行動(朝の点呼と昼の点呼のみ)で、結局いつものメンバーカラオケいってましたwwみたいなこともあったし、20前の若者でぞろぞろと動物園とか行ったこともある。周りが全部幼稚園遠足とかで、幼稚園先生の不審そうな視線を浴びる浴びる。行ってみれば動物園も結構楽しいんだけど。あとは水族館とか、これを言ったら特定されそうだが出来たばかりの頃だったのでUSJにも行った。団体入場券なのに遅刻するやつがいるんだこれが。先生携帯電話したら、「今起きました!」みたいな。ダッシュで入場していく家族連れとか見ながらゲートの前で待ちぼうけ。懐かしい。結局2x5で10回も遠足にいったわけだが、どれもなかなか興味深い。福井原発見学に行ったのが一番楽しかったかもしれん(一応こういう社会見学的なのもあったのさ)。片道三時間半かけて行って、二時間見学して、また三時間半かけて帰ってくるわけで、本番はバスの中だった。ライダーゲーム(「1号!」「2号」「へんしん!」とやるせんだみつおゲームの変形)を延々やり続けたのなんか、何が面白かったのか分らないが死ぬほど面白かった。

またああいうバカなことがしたいなぁ。

2007-07-30

anond:20070730123814

今の若者は米ソの冷戦時代を体験として知らないから、共産主義国家のイタさがわからない。

2007-07-01

anond:20070701092554

官僚統制より市場原理、対特亜より対米重視の考えの人は結構いると思うけど。

1945年当時、あるいはロシア革命冷戦終結迄の「反共」の中身を分かってるのか怪しい。少なくとも、この場合の「反共」の意味を誤解している。

太平洋戦争終結時のアメリカの判断についてどうかを問うているのに「官僚統制より市場原理、対特亜より対米重視」って意味が分からん。

急間は虐殺容認だからだめなんじゃないの?

本気かい?頼むからネタだと言ってくれ。

2007-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20070529115947

> どんどんエスカレートしたらどうなると思う?それを実践しちゃったのが冷戦だ。

ネガティブ意味で言ってるつもりなんだろうけど、パワーバランスが崩れて「熱戦」が起きるよりはマシだと思うんですが。とりわけ中国なんか、隙あらば台湾に軍事侵攻する気満々じゃないですか。日本にしてもそう。

それに、軍備をエスカレートさせるなというなら、まず中国韓国に対して言うべきでしょう。日本軍縮中ですので。

http://anond.hatelabo.jp/20070529105433

どうにも一方的な視点だね。信念を持つのも大事だけど、広く視点を持ってみるのも忘れないようにね。

>近隣諸国日本を警戒させてるんだけど。

お互い様なんだよ。日本にしてみれば周辺諸国を警戒して防備を固めるんだけど、その周辺諸国日本(や他の諸国)の動向を警戒して防備を固める。

どんどんエスカレートしたらどうなると思う?それを実践しちゃったのが冷戦だ。

まあ多分「だって奴等が先にやってるから」って話になるんだと思うけど、どっちかが先に退かなきゃ終わらない争いなら、それが日本の側であってはならない理由はある?

>中国の方が日本に被害を与えてるからじゃない?

>環境とか、著作権とか、領土問題とか。

少なくとも環境については、中国と敵対したって解決しないよね?むしろ積極的に技術供与した方が被害は抑えられる。

著作権については中国製品のクオリティを上げて貰って、中国著作物が世界に出回るようになる方が変わり易いんじゃないかな。コピーが自国の損になると思えばちゃんと批准する気にもなるよきっと。

領土問題は直接接してないから、主に領海だね。中国にしてみれば侵害の意図があるというよりは当然の権利としか思ってないかも。海岸線長にせよ国土面積にせよ中国の方が優位だから、仲良く分け合って貰えるように立ち回った方が日本にとっては得じゃないかな。

こんなこと言うときっと売国奴とか言われるんだろうけど、「売国奴」って言葉は要するに「非国民」と同じで、反対するものは敵と見做すという危険な側面を持ってることは自覚しようね。

それはそうと

>http://anond.hatelabo.jp/20070529114117

左翼が見下した態度右翼が丁寧に教えると受け取っている時点で既に右寄りなんじゃないかな。

左寄りな僕にしてみたら右翼はそれこそ人を見下して罵倒するばかりに見える。まあ左翼をみて丁寧に教えてるとは思わないけど……むしろ誤解を防ごうとするあまり難解な言い回しになり過ぎて却って誤解を招く感じ?

2007-05-05

anond:20070504170445

ルパン三世劇場板第一作目はずいぶんと力が入ってますね。

不二子ちゃんのお色気サービスをみるにつけ、制作者側の意気込みを感じます。

ずいぶん昔に見た作品だったので内容は忘れてたのだけど、あの当時はまだ東西冷戦時代だったよねって思い出してたりしました。

あと、ウッチャンナンチャンの往年の名キャラクターマモーミモーを思い出してたりした。ちはるさんがミモーやってたんだよね。「マモーミモー野望のテーマ。」なんて曲もありましたね。

2007-03-05

冷戦のような修羅場

愛人からのお手当が止まって早数ヶ月。愛情があるし、立場的に言いたいことが言えなかったけれど、ただいまメールで戦闘態勢に入りました。

2007-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20070129003317

冷戦の終結とともに左翼の凋落は始まった。既に右翼左翼の対立などありはしない。

現実的には中国の台頭が極東アジアの政情を不安にさせる。

中国自体の内部矛盾は政情不安をもたらし近代化は資源確保をめぐり周辺国に軋轢をもたらすだろう。

今求められているのは日本として有事にどう対応するか。

国内の売国勢力に対してどう対処するかだろう。

国内の貧困層の不満を民族主義で解消するというのはどこの国(特に特亜では)でも良くやる手ではないか。

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