はてなキーワード: ミュージシャンとは
同感。
で、この文章の主旨とはあまり関係ないけど。
mixi に[音楽が無いと生きていけない]コミュニティとかあるけど俺あれ大嫌いなんだよね。
(今見たら 243,310 人もメンバーがいた)
Tower Record の no music no life てコピーも余り好きじゃない。
お前ら音楽が無くなったら死ぬのかよ。生活が音楽を中心にまわってるのかよ。音楽が無くなっただけで崩壊するお前らの生活って一体何よ。薄っぺら過ぎるだろそんなの。
ただ「音楽が好き」の表現なんだろうけどなんかいけ好かないんだよなー。
歴史に残ってるような音楽家、ミュージシャンの中には本気で「音楽が無いと生きていけな」かったような人たちも何人かいたわけだよ。
「音楽があったから生きてこれた」って冗談でなく誇張でもなく言えるような。
そしてそんな人たちが作った音楽は、リスナーとしての本気で「音楽が無いと生きていけない」ような人たちの心の支えにもなった筈なんだよ。
俺音楽大好きだけど音楽なくなっても、例えば聴覚失っても全然平気で生きていけるね。
ただ一部には、本気で「音楽が無いと生きていけない」人たちはいるんだよ。5% でもまだ多いと思うけど。
音楽なめんな。
そういう訳さハニー。
ミリオンヒットが出ないとか嘆いているけど、今のほうがずっと健全だと思うよ。100万人が同じ音楽を聴いているなんて気持ち悪いだけ。業界は90年代のミリオンバブルをいまだにひきずっているだけ。栄養とりすぎてタプタプになっちゃった体をもてあましているだけ。シェイプアップすればいいのに、そうしたくなくてイヤイヤしてるだけ。
だいたい若者が可処分所得を携帯にとられたからミリオンが出なくなったなんて、ちゃらい分析をされてしまう程度のものなんだよ、音楽なんてのは。
「音楽は素晴らしい」。確かにそうだよ。音楽は、このくだらない世の中で最も素晴らしいもののひとつさ。でも、音楽=ミュージシャンとのコミュニケーションより、携帯=身近な人間とのコミュニケーションのほうが世の中の95%の人は大事なの。そっちに金使うの。毎月毎月CD何十枚も買って、床が抜けそうなアパートで毎日聴き狂ってるなんてのはただの変人にすぎないの。
それからCDが売れないのを違法ダウンロードやコピーのせいにしないでくれ。
70年代の厨房は、音楽が聞きたくて聞きたくてたまらないのにレコード(アナログ盤だぜもちろん)が高くて買えなくて、こづかい必死にためて買ったレコードを、友達どうし協力し合ってカセットテープにコピーして聞いてたんだから。なにも今にはじまったことじゃない。
CDが売れないのはただ、「95%の人間にとって音楽なんて大事じゃない」ってことを端的にあらわしてるだけのこと。
いやフジロックとかサマソニとか人すげえ集まってんじゃん、だって?
あれはただの行楽。海とかキャンプとか冬ならスキー行ったりとかいうのにひとつ選択肢が増えただけのこと。あの場でわーっと騒ぎたいだけのこと。
だからさ、くだらないパブ記事打ったり、JAROに訴えられそうなあやしげな情報流したり、嘘臭いマーケティングに基づいてどうしようもないCDを作ったりしてる暇があったら、オレみたいに毎日毎日朝から晩まで部屋で一人で音楽を聴いてる5%の変人のために、きちんとしたCD作ってくれよ。頼むから。そうすればオレはちゃんと金払うから。な。
データはこちらから借りてます。何人か増やしてますが。
誕生日データベースhttp://thebirthday.net/y/1982
自分も82年でデータベースを見てたらなんかすごいなと思ったので取り上げてみました。
結構すごいと思うんですがどうですかねw?まあ他の世代も充分すごいんですがw
これ以外にも居ると思うし知らない有名人もいっぱい居ると思いますw
あと有名な犯罪者も入れてます。
自分はソニンと加藤あいと藤原竜也などが同学年なのに驚きました。
年下と思ってたのでw
まあ興味あったら見てください。
1982年 4月21日生まれ 安田美沙子 タレント・グラビアアイドル
1982年 4月24日生まれ イリーナ・チャシナ 新体操選手
1982年 5月22日生まれ アポロ・アントン・オーノ ショートトラックスピードスケート選手
1982年 6月21日生まれ ウィリアム王子 英国・チャールズ皇太子の長男
1982年 6月29日生まれ 矢嶋佑 映画監督・演出家・プロデューサー・実業家
1982年 8月13日生まれ シャーニー・デービス ショートトラック/スピードスケート選手
1982年 9月9日生まれ 大塚愛 シンガーソングライター
1982年 9月13日生まれ 出雲阿国 (お笑い) お笑いタレント
1982年 9月15日生まれ エジミウソン・ドス・サントス・シルバ サッカー選手
1982年 9月27日生まれ 中田敦彦 お笑いタレント(オリエンタルラジオ)
1982年 9月28日生まれ 加藤智大 秋葉原通り魔殺人事件容疑者
1982年 10月5日生まれ 吉田 沙保里 レスリング 金メダリスト
1982年 10月6日生まれ 伊調 千春 レスリング 銀メダリスト
1982年 10月10日生まれ 中野大輔 体操選手 アテネ団体金メダル
1982年 11月10日生まれ ザ・たっち角田拓也・角田和也 双子お笑いコンビ
1982年 11月22日生まれ たかし ミュージシャン(R.O.B)
1982年 12月13日生まれ 恩田美栄 フィギュアスケート選手
1982年 不明 伊藤ちひろ 脚本家 美術スタッフ スカイクロラなど
1983年 1月4日生まれ 植村花奈 シンガーソングライター
1983年 1月14日生まれ 上原多香子 歌手 | 元SPEEDメンバー
1983年 1月19日生まれ 宇多田ヒカル シンガーソングライター
1983年 1月20日生まれ 矢口真里 歌手 | 元モーニング娘。メンバー
1983年 2月8日生まれ 篠宮暁(オジンオズボーン) お笑い芸人
1983年 2月23日生まれ 近藤春菜(ハリセンボン) お笑い芸人
1983年 3月13日生まれ 桜井良太 バスケットボール選手
1983年 3月17日生まれ 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) お笑い芸人
一通り見て思ったけど男性歌手少ないねwてかいなくね?もっと頑張れよww
・・・とくにDVDで出る日本のドラマなんてめちゃくちゃな値段付いてるよね。1クールの普通のドラマのDVDセットで1.5万とか1.8万とか。DVDって再販制度の対象じゃないとWikipedeiaに書いてあるんだけど、何を考えてこんな値段つけてんのかな。
CDもとんでもない値段で出るよね。同じものをアジアで売ると半値ぐらいなのに、国内価格は倍。新譜のCDの値段ってアメリカなら10ドル弱ぐらいだけど、日本だとその2倍から3倍。
こんな値段付けときながら版元(っていうのかな?)は、やれCDが売れないだのなんだのヌカしているけど、価格設定がそもそも間違ってんじゃない?
何のために、誰のためにこんな値段を付けそれを維持してんの?
ごくごく一部を除けば、ミュージシャンなりその他のコンテンツ作ってるヒトが儲かってるようには全然見えないけど、いったい誰がどこで儲けてんの?
教えて中のヒト!
ananの6月25日号、「好きな男にモテたい」特集のとある記事について。
52ページの
「気づいたら好きになっていた・・・。男が体験した恋のマジック集」という見出しの記事。俳優の沢村一樹、ミュージシャンのDAIGO、放送作家の中野俊成という人の3人の座談会の模様が書かれている。
私はそれほどテレビは見ないほうだが、沢村一樹とDAIGOのことは知っている。
しかし中野という放送作家の存在は知らなかった。こういう記事に採用されるのだから、おそらく売れっ子の放送作家なのだろう。「恋するハニカミ」などの番組を手がけているらしいが、私は「恋するハニカミ」は見たことがない。しかしともかくこの中村という放送作家の発言がことごとくうんざりだった件について。
まずは「僕は逆に仕事のことを褒められるのはあまり好きじゃなくて。仕事の内容を知らないのに、分かったようなことを言われるのが苦手」という発言。
この発言はかなり自意識過剰だ。
どんな仕事もそれぞれに違いがある。その仕事に就いている人間にしかわからないことがあるのは当たり前。でも反対にどんな仕事にも共通することもある。私たちは他人とコミュニケーションするときに、違う業種の人と話す場合であっても、相手の話をよく聞き、自分の仕事とも共通することと照らし合わせて、想像力を働かせて相手の仕事に対してもコメントをしたりする。これは普通の人間同士においてもよくあることで、ましてや恋人同士であったり、その可能性のある女性と話しているのだったら、相手の男性の仕事に興味を持つのは自然なことだ。この中村さんは自分の仕事をどれだけ特殊なものだと考えていらっしゃるのか。一般人には分からないトクベツな仕事に就いているという思い込みが感じられる上に、こういう人間に限って、ほんっとーーーに相手の女性が心底自分の仕事に興味がこれっぽっちもないと分かるとプライドが許さないタイプが多いのだけれども、そのプライドの裏返しがにじみ出たような発言ですねー。
「むしろ運転とか縦列駐車とか、日常の些細なことを褒められると嬉しい」とそのあと発言しているが、疑わしい。自分の作品を見てくれ!分かってくれ!褒めてくれ!という自己顕示欲の塊みたいな職業の人間が、誰にでもできる縦列駐車を褒められるだけで満足するとは思えない。「放送作家、それも売れっ子のあなただから注目しているの」と思われたいけれど、それをそのまま言われるのも職業以外に自分に魅力はないと思われているようだから、言わないでほしい・・・でも本当は僕の職業はみんなの憧れの的だって思っていてほしい・・・というなんとも矛盾したことを考えているのだろうね・・・。この人のそばにいる女性は、職業にはなんら関心のない言動をしつつも、でも瞳の奥には「あなたの職業を尊敬しています」という炎が燃えている、という難しい役どころをこなさなくてはいけませんね。あほらしー。
この「職業を意識していません」というのは、しかし有名人・著名人との恋愛・結婚道におけるちょっとした王道のテクニックであるらしい・・・。
ある奥様雑誌で、スポーツ選手の妻という特集を読んだが、やはりスポーツ選手の妻が「家庭で主人には試合の話はしないように気をつけています」とインタビューで答えていた。えー?旦那さんがスポーツ選手なのに試合の話をしないように気をつけるって・・・?と私は気持ち悪かった。「気をつける」という言葉づかいからして、ほんとはすんごく気になって仕方ないけれど、気にしていない「ふりをしている」のか!なんじゃそりゃ?人気スポーツ選手の妻は、「私は旦那のことをひとりの人間として愛している。別に有名で人気者のスポーツ選手だからではないの。(そして彼の法外な年俸が目当てだったんじゃないの)」というポーズをずっととらなくちゃだめなのかしらん。
(自分が有名だと思い込んでいる)男性も、仕事のことには興味を持って欲しくないと思い、(自分の旦那が有名だと思い込んでいる)女性も、仕事のことには興味をもっていると思われたくない。一見なんかつりあいが取れていますがね。。でも両者ともに、ほんとは職業にすごくプライドが高い可能性があるので、そのへんの折り合いはどーなってるんだろ?
私個人の感想としては、自分の仕事に誇りをもっているとしたら、愛する人にも同じように誇りに持ってもらいたいし、自然に普段の会話で仕事のことが会話できるのが気持ちよいなあと思います。
有名人がゆえに、その地位と名誉とお金が目当てで近づいてくる女が絶えなかったから、そういう女性が苦手になった、という意見もあるかもしれないけれども、
本当に魅力があって自分に自信のある女性は、
相手のお金につられて自分によってこないし、その世界に長ければそのことは知っているはず。
たぶん、本当に近づいてほしかった女性には見向きもされなかった経験があるはず。
だったら、「仕事のことで褒められても嬉しくない」とかせせこましいこと言ってないで、
素直に喜べばいいのにさー。
まだまだうんざり発言はあるけど、とりあえず今回はこのへんにて。
じゃあかといって、バリバリのオタクか、といえば、コミケへ行くほどでもないし全然オタクとは言えない。でも、スイーツと称される人たちよりは明らかに漫画を読んでいることも確か。
んじゃ近頃流行りの理系女子ですか、といえば、たまたま大学は理系だけどそれは社会科目は暗記ばっかで面倒くさいと思ったから数学と理科に逃げただけのことで、大学への数学とかを毎月買ってバリバリ解くような理系っ子でもなかったし、プログラミングなんかやったこともないし(やったといえばHTMLをかじったくらいだっつうの…中学生でもやってるっつうの)パソコンはスイーツよりは使ってるだろうけど、別にたいしたことに使ってるわけでもなく。
なんだか私という人間は全てが中途半端だ。どっちつかず。「スイーツ(笑)」と言えるほど自分にスイーツ分が無いわけじゃないし、といって、スイーツたちの間に入れば浮いている。といって、オタクの輪に入れば所詮ライトオタ、いや、ライトライトオタゆえその知識量についていけず。私ができるのはせいぜい「寄生獣ってほんとに映画化されるのかな?ハリウッドでミギーのあの絶妙な可愛さって表現できるのか心配だね」というレベルの話題である。
ファッションは食費切り詰めてでも買うほどの情熱は無いけど、でも服に全く興味ありません、あんなのどこがいいわけ?ってわけでもなくそこそこ好きであるし
読書はそこそこする方だけど、変わった本を読んでいるわけでもなく、漫画も、結構読むけど、有名どころばっかりで、たいして言うべきことはない。
ハリウッド映画は割りと見に行くけど(近頃だとナルニア)、ハリソン・フォードが誰かを知らなかった半端さ。おかげでハリウッド嫌いのマイナー映画好きからは嘲笑され、スイーツたちからは「ハリソン・フォードも知らないって……w」と嘲笑される。中途半端。
音楽の趣味も中途半端すぎる。近頃はテレビというと夕食時にクイズ番組のはしごをしているだけのため最新の音楽など分からない。バレーボールの試合はずっと見ていたため、あのジャニーズの歌だけは半端に覚えてしまった(しかしグループ名が分からない。私の中のジャニーズは嵐で止まっている)。かといって、マイナーなミュージシャン知ってるぜ、って訳でも全然ない。「近頃の音楽知らなくって」と言うと、音楽好きの子から「ゆらゆら帝国って知ってる?私好きなんだ」って、「見つけた、私の同志!」みたいに話しかけられたが、「ご、ごめん……聞いたこと無い……」となっただけであった。「マイナー好きなあまり、メジャーなんて知らない」のじゃなく、「マイナーも、メジャーも、知りません」なのである。単なる無知だ。唯一聞いている音楽といえば、のだめカンタービレのクラシックCDという、マイナーでもない半端にメジャーどころ……
そもそも買っている雑誌がジャンプとsoup(ファッション雑誌)とSQという平凡さ。
これではオタクというには薄すぎ、といって、soupレベルではcancamにもついていけず、装苑系にもついていけず
アートはわからんし、モテに特に興味ないし、といってコミケ行くほどのオタでもなく、あぁ、一体私は何なのか。
こんな自分が嫌だ。何か一つ飛びぬけたものを持ちたい。
オタクも、スイーツも、どっちもなんだか羨ましい。スイーツはモテに特化して楽しそうだし、オタクはオタクで楽しそうだ。芸術系は独自の世界を持っている感じで言わずもがなだし、あぁ。
そんな私が近頃ようやく出来た趣味といえば高速道路のパーキングエリアめぐりである。といっても「全国制覇する!」というほど気力は入っていないためひたすらヌルい。
なんていうか、とがりたい。
いざ売れたらそれまで支えてくれた地味な女は捨ててさっさと派手な女に乗り換えるミュージシャンみたいだな。
まあ、増田の場合は「売れている」とは限らないわけだが。売れているつもりでいたけど全然売れてはいない、他の女からは全く相手にされないかもな。
任天堂の宮本茂やWiiに関するNew York Timesの記事。
http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。
追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも
「任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」
宮本茂はゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。
ディズニーが1966年に亡くなったとき、宮本さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日本の古都・京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーのキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いていたという。絵を描いていない暇なときは、自ら遊び道具を作った。祖父の工具を借りては木彫りの人形を作ったり、予備のモーターを見つけてはそれに糸とブリキの缶を組み合わせてカーレースをしたり。
かの有名なドンキーコング、そしてマリオやゼルダといったゲームを生み出し、最近ではWiiを世に送り出した宮本さんは世界で最も知られ、影響力のあるゲームクリエイターだ。世界中のゲーマーにとっても憧れの的である。しかし有名人になっても彼の仕事への態度は微塵も変わることはない。その姿勢はまるで謙虚な職人さんと言ったところだ。
ミッドタウン・マンハッタンのとある高層ホテルの特別室にてインタビューは執り行われた。彼は部屋に設置されたソファの一角に座っていた。今年で55歳になる男とは思えない天使のような笑顔の彼は、長年人々を楽しませてきた人が持つ独特のオーラを発していた。
宮本さんの生み出した数々の作品は世界中の人々に文化の壁を越えて受け入れられ、経済的な成功をもたらした。その成功はエンターテインメントの世界で比べるならば、ディズニーのあの伝説級の成功と肩を並べると言ってもいいほどだ。
そんな宮本さんがもし西洋の人間だったら、早々に会社を辞めて自ら会社を興していたかもしれない。きっと何千億もの大金を得られたに違いない。セレブになってエンターテインメント界の象徴としての地位を築いていたかもしれない。
しかし彼自身は任天堂の王様として人々の憧れの対象になったにも関わらず、妻と子二人という家庭のごく一般的なサラリーマンという印象を与える。ただ一般のサラリーマンと違うのは、創造力に満ち溢れて特別幸福な点だが。そのためタブロイド紙を賑わすセレブのようにマスコミの餌食になることもなく、比較的平凡な生活を送っているようだ。
インタビュー中、宮本さんをウォルト・ディズニーに例える話が出た際、宮本さんはディズニーの功績にはとても及ばないとした上で、こう補足した。「僕にとって大切なことは、僕だけでなく任天堂で活躍する人たちがもっと世間に認められて会社全体のブランドが今以上のものになることです。もし皆さんが任天堂ブランドをディズニーのそれと同等のものと見なしてくれるのならば、それは会社として大変光栄なことですし、私自身も嬉しいです」
宮本さんが30年近くも前に生み出したひげ面のイタリア人配管工・マリオは、ある調査によれば地球上最も有名な架空のキャラクターだそうだ。彼と肩を並べるのはミッキー・マウスぐらいだという。
宮本さんが生み出したゲームのうち、ドンキーコング・マリオ・ゼルダシリーズだけでも売上合計は3億5千万本はくだらないという。そして彼が生み出したのはゲームだけではない。任天堂のゲームばかりを買い求める熱狂的なファンも生み出した。全人類が今までゲームに消費した途方もない時間のうち、そのほとんどは宮本さんが関係しているのではないだろうか。ちなみに、今春に行われたTIME誌によるインターネット調査では、宮本さんは世界で最も影響力のある人物に選ばれている。
しかし宮本さんの最新の作品・Wiiに群がっているのはなにも古参のゲーマーだけではない。少し説明を加えよう。
ほんの18ヶ月ほど前、ビデオゲーム市場はマニアだけが喜ぶニッチな世界へと沈みかけていた。だがそんな折、この産業に大革命をもたらしたのが何を隠そう、任天堂社長の岩田聡とこの宮本茂(宮本さんの正確な役職は代表取締役専務兼情報開発本部長)だったのだ。彼らのアイデアはシンプルであるがゆえに革命的だった。ゲーム作りにおいて、コアゲーマーを刺激する次世代技術ばかりを追求するのではなく、家族で遊べることを重視し、複雑な操作の必要がない安価でお手軽な娯楽を追求しようとしたのだ。それがWiiの発売へと繋がる。そして特に従来のビデオゲームとは無縁だった女性層を呼び込むことに成功している。今のところ、Wiiは世界で2500万台以上を売り上げている。これはライバルのソニーやマイクロソフトを上回る数字だ。
この成功をさらに積み上げようと、先週任天堂は北米においてWii Fitを発売。従来のゲームでドライブしたり物を投げたりジャンプしたり銃で撃ったりという動作を楽しんできたのと同じ感覚で、テレビの前に立ってヨガなどを楽しめるゲームだ。今のところ明らかにできる具体的な売り上げデータはないが、既に売り切れの店舗が多数報告されているようだ。
世界中でアメリカのメディア文化が幅を利かせているが、ビデオゲームに関しては日本が最も成功している。そしてWiiとDSの成長により、任天堂は日本で最も価値のある企業のひとつとなった。また経済誌・Forbesによると、前経営者の山内溥氏が総額8000億円ほどで日本一の資産家となったと報じている。(任天堂は宮本さんの報酬を公開していないが、彼は資産家ランキングには参加していないと思われる)
「宮本さんがいなければ任天堂はただの花札屋に戻っていたかもしれない」 No.1ゲーム雑誌・Game Informer 編集長、Andy McNamara氏は任天堂の1889年創業当時からのビジネスに言及して指摘した。「彼はおそらく、ゲーム業界にいる99%の人間に影響を与えている。宮本さんと任天堂がいなければビデオゲームなんて存在しなかったに等しい。彼はすべてのゲームクリエイターの父の父なんだ。ゲーム業界に数々の遺産を築き、業界を象徴するキャラクターをたくさん生み出してきた。それでもおかしなことに、いまだに彼はWii Fitなどを通じて自らの限界を超えようとしている」
宮本さんは1975年に金沢美術工芸大学を卒業後、2年ほどして工業デザイナーとして任天堂に入社している。そして彼の作った初代ドンキーコングは、スペースインベーダーやアステロイド、パックマンとともに、当時急成長していたゲームビジネスの立役者となった。その後も初代マリオブラザーズによってアタリショックで疲弊していた家庭用ゲーム機市場を救い、1980年代以降、彼は社内で頭角を現し始め、任天堂と言えば宮本茂と言われるほどだった。
市場にクソゲーが氾濫し、アタリ社が失脚した際に登場したのが、かの有名なNES・Nintendo Entertainment Systemである。任天堂はNESによって人々の家庭用ゲーム機に対する熱を再び燃え上がらせることに成功した。西洋で1985年に発売されて以降、瞬く間に当時最も普及したゲーム機となったのだ。
それ以降宮本さんは、最近のマリオカートWii・スマブラX・スーパーマリオギャラクシー・トワイライトプリンセスなどといったヒット作も含め、70近くものゲームに直接携わってきた。下請けメーカーの作るゲームも監督し、今までにのべ400人ほどのゲーム開発者と関わってきた。
Wiiによってゲームには無関心だった層を魅了する一方、馴染みのタイトルの最新作においても宮本節は健在で、ゲーマーたちの信頼も厚い。
彼はなぜこれだけのヒット作を生み出せるのか。彼のゲームデザインに徹底して一貫しているものは、細部への気配りと拘りの積み重ねである。それだけだ。ディズニー社がしゃべる動物たちであそこまで会社を大きくできたのにちゃんとした理由があるだろうか。それと同じだ。青い作業着を着た風変わりなおじさんが人気者であることにも、これといった理由はないのだ。
あえて言うなれば、宮本さんがゲームの世界において生き神のように崇められる理由、ひいては私が20年以上前にスーパーマリオブラザーズを遊ぶためにピザレストランの行列に並んだ理由はこうだ。彼のゲームには、もうワンコイン投入してコンティニューすることを厭わない魅力があるからだ。現代風に言うと、もう一時間ソファに座っていたいという魅力だ。
また、映画評価が特殊効果の質で決まるわけではないのと同じように、ゲームの評価もまたそのグラフィックスだけで決まるわけではない。この基本を大概のゲームクリエイターは忘れてしまっている。しかし宮本さんはその基本を忘れることはない。それは映画マニアが例えば…そう、先日公開された「Iron Man」なんかよりも昔の白黒作品を好むように、宮本さんの初期の作品群もまた、今でも娯楽としての役割を充分果たし、広く楽しまれていることからもわかるであろう。
ディズニーの副社長で、Disney Interactive Studios社のゼネラルマネージャーを務めるGraham Hopper氏は電話インタビューを通じてこう言っている。「ビデオゲーム産業において幾度も成功を重ねて来た人物、しかもそれが世界規模で、となるとそんな人はほとんどいません。宮本さんはそのうちの一人です。しかも彼の場合、長期にわたり成功を重ね続けて来たわけです。同じレベルで肩を並べられるクリエイターはおそらく存在しないでしょう」
宮本さんの生み出すキャラクターがマリオとドンキーコングだけではなく、ピーチ姫やゼルダ、そしてクッパにリンクとゲーム界の有名キャラが目白押しであることを考えると、彼がキャラクター中心のゲーム作りをしていると思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆だ。宮本さんによれば、ゲームのシステムや仕組みを考えるのがいつも先で、キャラクターはゲームデザイン全体を見て考えられ、配置される駒に過ぎないという。それは一見平凡で退屈に見えるゲームの基本要素に注力するということだ。ゲーム全体の流れや設定をどうするか、ゲーム内で達成すべき目標や克服すべき障害はなにか……。
「自分としては、私たちが作ったマリオやリンクなどのキャラクターを皆さんが好きになってくれるのは、ゲームそのものが楽しいからこそだと思います。ゲームに夢中になれるからこそ、結果的にゲーム同様、キャラクターも好きになっていくんだと思います」と宮本さんは語る。
宮本さんの最近の作品はマリオのキノコ王国やゼルダのハイラルのような風変わりな架空の設定や創作のキャラクターに頼らないものとなっている。彼のペットであるシェットランドシープドッグに触発されたNintendogs を始めとして、Wii SportsにWii Fit、そして次回作のWii Musicのようなゲームを見ればわかる通り、宮本さんはペット・ボーリング・ヨガ・フラフープ・音楽といったいわゆる"趣味"に根ざしたゲーム作りに惹かれているようだ。まるで抽象画を極めた画家が最後には写実主義に目覚めたかのように。
「ここ5年間で自分のゲーム作りの方向性は変わったのかもしれませんね。昔はもっと自分自身の想像力を使ってゲームの世界観を練り上げていったと思うのですが、ここ5年間は自分の私生活での興味を引っ張りだして、それを何かしらの遊びに繋げられないかなと考えるようになっていったと思います」
このイカれた配管工はなんで亀を何度も踏み続けてるの? この緑のナイスガイはなんで同じお姫様を何度も助けにいくの? そんな考えを微塵も起こさないほどゲームに無関心な人たちの目を向けさせることに任天堂は成功している。それは宮本さんのこれらの考え方が強力な武器となったことの証ではないだろうか。
そして強力な武器はもうひとつある。
さて、プレイヤーがゲームに直接参加したいと思ったときどうすればいいのだろうか。インターネットにはSNSのMySpaceがあるし、テレビにはオーディション番組のAmerican Idolがある。何を隠そう、それを実現してくれるのがWiiのMii機能だ。MiiはWiiユーザーが自由に作れる変幻自在のアバターだ。そう、最新の任天堂ゲームの主人公はマリオでもゼルダでもない。あなた自身なのだ。
「私はMiiに関してはマリオやゼルダと全く同じ任天堂の財産だと思っています」宮本さんはMiiに関してこう述べた。「Miiが面白い点は、子供であろうと大人であろうと、ひとたびゲーム画面のMiiを見てプレイし始めれば、もうその人はゲームに没頭できるんです。通常のキャラクターで遊んでいるときは、ゲームの世界から一歩下がって遊んでしまうことがありますが、自分のMiiを作成して遊べばゲームとの一体感はより増します」
任天堂は今夏にWii Musicの続報を発表すると期待されている。その基本コンセプトは、既に完成された楽曲を楽しむGuitar HeroやRock Bandとは大きく違い、作曲や即興演奏の楽しさを体験させてくれるものだという。
ところで、宮本さんは学生時代からBeatlesやLovin’ Spoonfulのような洋楽を聞いて育ったという。ピアノやカントリーギターも弾けるし、カントリー音楽マニアでもあるという。インタビューの後、宮本さんと会食の場を設けた際にこんなことがあった。その会食があったレストランのショーステージにカントリーミュージシャンのRicky Skaggsが数日後に上がる予定だと聞いた彼は、即座にその名前に反応し、半ば冗談ではあるが「滞在期間を延ばしたい」と苦悶の表情を浮かべたのだ。実際には予定通り彼は帰ったのだが。
そんな音楽好きの宮本さんが作るWii Musicに関して彼はこう言及してくれた。「遊ぶ人がまるで本当に作曲しているかのような体験が簡単にできるものをお届けしたいと思っています」
これだけ彼のゲームがヒット作ばかりだと、次回作がヒットするかどうか賭けをするのはさすがに馬鹿らしい。誰よりも"遊び"を知り尽くしているのはデジタル時代のウォルト・ディズニーこと宮本茂なのだから。
あー。やっぱスチャダラパーっていいや
小学生の頃からずーっとスチャダラパーが好きで、社会人になってもずっとスチャダラが好きなんスよね
それは置いといて、クラスで仲間はずれと言うか中心にいない人物が好きなミュージシャンってのはいると思うんですよ
まずスチャダラパー。次に電気グルーヴ。最後にもちろん筋肉少女帯。
やべぇどれも好きだ好き好き大好きだ。電気グルーヴとかスチャダラパーなんてもうご褒美以外の何物でも無いね
まぁ、こういったアーティストを好きになっちゃうのの問題点として、彼らは間違いなく『良い』んです。ただ、そのせいで聞いてる自分まで他の人達より凄い!とか勘違いしちゃうのがよくないわけで
後は菅野よう子とかもこれかなぁ・・・。まぁ、何だ。流行歌を使い捨てられる音楽って言い捨てちゃったり
1年で忘れられる音楽より10年は一部で語り継がれる音楽がいいねとか言ってる奴ぁメインの集団からおいてけぼりくらってちょうどいいんですよ
最近楽しいこともあるし、たまにむかつくこともあったりするけれども日記が書けない。昔はホントバカみたいに毎日書いていたのに。まあ、おれのしょーもない日記なんてどうでもいいからそれはそれで別にいいんだけど、自分がもしそれなりに評価されてそれなりに次の作品が待たれているミュージシャンだったり作家だったりしたらどうするのかな、とふと思った。
つまり、自分がどうしても表現したいことを表現してみました。そしたら自分の心が少し軽くなって、その上、それなりに他者からの評価を得られました。その後も湯水のごとく(少なくとも自分はそう感じていた)アイデアが湧いてきてその都度それなりに賞賛されました。と、思っていたら最近パタッとアイデアが浮かばなくなりました。かろうじて思い浮かんだことを形にしてみてもパッとしないし、なによりその作業を通じて自分が解き放たれたような気持ちになることがなくなってしまいました。
そんな状況になったらどうするんだろうか。
いきなり「君を愛してる」とか「かあちゃんを大事にしろ」とか「世界平和」とか、「とりあえず言ってみました」的なテーマで作品を作るのだろうか。でも今回の場合、「自分がどうしても表現したいこと」を表現して評価された人を想定してるのでさすがにちょっとこれは抵抗がありそう。そもそも急にそんな風に方向転換して書けるのかって問題もあるし。
しかもそれが客観的だと思ってるフシがあるから。
自分が好きなエピソードを書かなきゃ気がすまなかったり、
単なる自分の評価を世間的な評価のように書いてしまう。
例えば、「坂本龍一」の記事から気持ち悪いフレーズを抜き出すとこう。
一分読んだだけでこんなにも気持ちわるーい言葉がズラズラと!
wikipediaは好き好きアピールするとこじゃないでしょ。そんなのは好きな人同士、閉じた場でしろよな。
こんなんじゃたまたま見た「好きでも嫌いでもない人」は読む気なくしちゃうよ。
着眼点とか創りこみはいいんだけど、一般受けを狙えてない。
もしくは一般人の感性を理解できていない。
もしくは理解したうえで歩み寄ろうとしていない。
でも迎合したらつまらない会社になってしまうのかな。