はてなキーワード: ミュージシャンとは
ミュージシャンの鈴木祥子さんが、ご自身のサイトで昨年まで生活していた京都についてこう書いていた。
観光で来てたらわからないこと、京都っていいなあ素敵だなあ、って思ってるときには、
あの寒さはわからない。暑さもわからない。京都のひとってヨソモノにはつめたいんでしょ?
なんて言ってるときには、
京都のひとの、“自分の生活感”や“自分の基準”、自分だけのものさしをしっかり持って生きてる、
そのかんじは決してわからない。
わたしはおおきに。。。じゃなくておおいに影響されました。その、自分軸、のしっかりしていること、したたかなこと、他人がどう思おうと、どう言おうと、
わたしはこれが好き、
自分はこう生きたい。
そう言い切れる強さ。京都に住まなかったらぜったいわからなかった。
>>他人様の進路に口出して「行くなといっても話をきかない。」って愚痴るのは余りにも半端じゃなく傲慢すぎるだろ。さすがにねーよ。
こういう類の話に「人それぞれ」的な意見を言う奴は必ずいるんだよな。
記事は別にミュージシャンになることを否定してるんじゃなくて、音楽系の専門学校へは行かない方が良いって現実的なアドバイスしてんじゃねーか。
>>あとお前「ミュージシャン」ってミュージックステーションに出てる奴ばっかじゃないんだぞ?それ以外に音楽演奏で飯食ってる奴なんて沢山いるぞ?
直接現場で演奏しないでも音に関わる仕事(営業や事務的なものじゃなく)も沢山あるぞ?
ハナっから音楽に携わりたいからって理由で専門学校へ行くのは少数だろ?
なりたいのはCD出して歌ってステージをお客さん一杯埋めるアーティストだろ、最初に夢見てるのは。
音楽で飯食いたいんじゃなくて、曲歌って飯食いたい人に向かって言ってるんだよ、話を広げるな。
他人への反論としてこれを言うのはどうかと思うぞw
それでもそこで身に着いた技術が役に立つ場所ってのはそれなりにあるわけでね。
それに対して最終的な夢が叶えられないから云々って言っても仕方ないよ。
良い音楽を作りたいんなら専門いって現役ミュージシャンの先生方にギターの弾き方を習うんじゃなくて、人一倍恋愛でも仕事でも経験積んだ方が感性が豊かになるって事でしょ。
こういうのは何となく説得力あるけど実際どうかわからんからなぁ。
デビューした歌手なんかも養成所でボイトレとかはしてるわけだし。踊ってる奴らだって踊りを習っているわけだし。
大体恋愛なんか専門学校行ってても出来るだろ。仕事って「将来の感性を養うために」フリーターみたいなことやるって専門学校行くより意味あるの?
誰がミュージックステーション出演=成功と言ったのやら。
良い音楽を作りたいんなら専門いって現役ミュージシャンの先生方にギターの弾き方を習うんじゃなくて、人一倍恋愛でも仕事でも経験積んだ方が感性が豊かになるって事でしょ。
それに音楽業界に山ほど職種はあるけど、その高校生達が希望してるのはあくまでアーティストなんだよ。
音楽関係に携わりたいとかじゃない。自分で作詞作曲して自己表現したいんだよ。
営業に行きたいなら大学へ行って基礎教養と専門分野学んだ方がいい。
音響関係に行きたいなら大学行ってまずは物理と数学学んだ方がいい。
他人様の進路に口出して「行くなといっても話をきかない。」って愚痴るのは余りにも半端じゃなく傲慢すぎるだろ。さすがにねーよ。
あとお前「ミュージシャン」ってミュージックステーションに出てる奴ばっかじゃないんだぞ?それ以外に音楽演奏で飯食ってる奴なんて沢山いるぞ?
私の周りも、専門学校系の掲示板で相談している内容を見ても、本気で学校にいけば自動的にミュージシャンになれると思ってるように見えたからさ。
専門学校は大学学部以上のもっと高度な内容を扱って、社会人経験豊富な人が専門性を高めるために行くようは場所であってほしいと思ってるんだけど。
やたら就職率の数字を表にだして、職業訓練校的な進め方がどうも好きになれない。優秀なら働き口なんてどこにもあるんだから。
個人的に言ってしまうと、何か特化した専門性を身に付けていれば後で進路を変えたいと思っても、その専門性が生きて逆にそれが新しい価値を生むと思うんだよね。スティーブジョブズのスピーチのConnecting the dotsじゃないんだけどさ、数学家がファッションデザイン業界へ行ったり、医学部出身がGoogleへ行ったり、なんだか王道へ進まない事の方が良かったりさえも思えてくる。
mixiのミュージシャンコミュでちょっと前から流行っている、3曲好きな曲を書いて全部被っていたらマイミク!!ていうスレ。
ほんまかいなという好奇心で俺も書き込んでみた。5こくらいのスレに書き込んでみた。
俺が書き込んだときには既に何百人て人が書き込んでいて、検索すると当然俺と被ってる人も多少いるわけだ。
でもこっちから申請できるほど勇気無いのでとりあえず書き込んで待ってみる。すると何だ、足あとはやたらつく。
同じスレに書き込んでいて、全部被ってる人、男だけど、も足あとを残してる。でもマイミク申請なんてこねぇじゃねぇか馬鹿野郎。
男→女、か女→女くらいの申請でしか成り立ってないんじゃないかな〜とか良く考えたら当たり前かもしれないことに気付いてこれにかけた数時間が虚しくなりました。
うーん、メイン活動とラジオ活動のジャンルが違うのかな、伊集院光って?
例えばT.M.Revolution西川貴教や、ゆずのオールナイトニッポン聴いて、「まるで音楽関係ねえw」っていうトークの面白さに「もうこいつらラジオで食ってけばいいのに」と思ったけど、あの人たちの本業はミュージシャンなわけだし。
http://ns.jarnal.jp/net/net_005.html
平たく要約すると、「恋愛や癒し」をテーマに「写真や詩」を日記調に綴ることで女たちの心を捉えてしまう。「恋愛や癒し」をテーマにした「写真や詩」は女たちの警戒心を薄らがせるので、Hに持ち込める。
なんか、ふと見たら、MIXIの広告にも「未経験でもなれるクリエイター」なんて広告が掲載されているではないか。
女って本当にアートとかクリエイターに弱いんだな。プロのカメラマンの前では恥じらいもなく裸になるし、ミュージシャンだったら股を開くんだろ?
それが自分を磨いてくれる、別世界に連れて行ってくれるって思うのは、まあ、シンデレラコンプレックスは今に始まった話ではない。
俺がここ1年以内に読んだもっともくだらない小説にこんなのがある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062758431
天才ゲームクリエイターは、絵に描いたようなクールなクリエイター像で、超金持ちで金に執着がない。芸術のために必要だと口説いて美少女を好き放題着せ替え&露出プレー。他にも恋人がいるけど、どっちも感度良すぎでイカセまくり。才能だけで女や人の無条件な尊敬と金を集めている。
すげー単純にマーケティングしまくったストーリーだ。コアな部分はゴルゴ13と同じ。組織に属さず、個人の才能だけで金も女も自由自在。
なんだかんだ言って、企業はまだまだ男社会だし、組織では個は見え難い。女にとって才能一つで自由自在に生きていく存在というのは憧れであることには違いない。
そこで「アート」だ、アートは明確な評価基準がないというのも彼女らの気持ちにマッチするんだろう。とかく女は評価・比較されることを忌み嫌うじゃん。男が元彼と比較されたりしたら、元彼に嫉妬するとか、ライバル心で超えてやろうとか、矛先は元彼に向かうんだけど、女が元カノと比較されると、比較した男に嫌悪感を持つ。
だからかな、カラーコーディネーターとかインテリアコーディネーターとかそういう職種に対する憧れの話は女どもからよく聞くんだけど、その仕事、給料安いよとかアドバイスしてもあまりピンとこないらしい。
おっと、話がずれた。
俺の仕事も相当にクリエイティブだし、相応の才能をつぎ込んでやっていると自負しているんだが、なにせアウトプットが「恋愛」でも「癒し」でも「アート」でもない。まして完全な組織プレーだしね。
「アート」のほかに女が自分に奉仕してくれるものと思っているのは「金」かな。青年実業家なんてのは、ちょっと落ち目だし、今なら青年投資家が旬なのではないかな。しかし、そっちの仕事は女なんぞにかまけている暇ありませんから。
女とHしようと思ったら、やっぱ個人営業のクリエイターが最強なわけか。さて、どうしよう。。。
地方在住や出身が圧倒的に多いはずななのに地方の何もかもリアルじゃない。
東京への憧れ(?)もわかんないし、東京に上京する時の感覚もわかんない。
こっちは実家なんて電車ですぐに行けるから「帰る」って感覚じゃないし帰省する気分もわからない。
久しぶりに家に帰って懐かしいもないし、地元の旧友たちと再会ってのもない。
好きなミュージシャンのライブにもすぐに行けて、トークライブやイベント事にもすぐ行ける。
テレビは全国放送が当たり前で、地方での時間差や視聴格差なんて考えたことない。
東京で製作してる全国区のテレビ番組をどういう気持ちで見ているんだろう。
地方に住んでる人って何仕事にして暮らしてるんだろう、ってことさえ思う。
いつまでもひっぱるなよ。
中学2年くらいのときに、なんかしらんけどやたらでかい態度とるようになったら自然にいじめはなくなった。
具体的にいうとエロゲやりだして、蛭田主人公+ランスを意識して行動するようになったら、みんな普通に接してくれるようになった。普通かどうかしらんけど。
小学校??中学校の俺は喘息で運動できないしガリだし(それは今でもだけど)服はダサいし(親のセンスが)音楽知らないしダサ度100%を地で行く存在だった。はっきりいってこれはひどいタグが太字でつきそうな子供だった。唯一の救いは、頭の回転が速くて成績がトップだったくらいだけど、ただそれだけ。いじめられっこで性格がひねくれてたので、ものすごい人の嫌がる人間だった。
高校に入ると人間関係はすべてリセットされた。俺はまた一人になったのだけど、今度は学校1の変人みたいに扱われた。それは偏に俺がみんなに打ち解けようとしなかったんじゃないかと思う。とにかく、孤独な高校生活だった。
社会人になってやっと俺ハジマタ状態になった。接客なんて絶対できないと思ってたけど、コンビニバイトしてみたら意外と俺接客得意じゃんというのに気づいた。俺のテリトリーは当然日本橋でんでんタウンだったけど、学校が心斎橋にあったので学校帰りに日本橋までいこうとすると否が応でもアメ村やら心斎橋の商店街を歩かざるを得なかった。
人ごみにまぎれて歩いていて、ある日気づいた。「俺ずーっと下向いて歩いてるなあ」前を向いて歩くようにしたら、視界ががらっと変わった。世界が色鮮やかすぐる。一応18で道程は捨てた。それから5年、セフレだったり一番の女友達だったり最近じゃ飲み友達だったりした俺の初体験相手の女の子が来年結婚することになった。心から祝福してやりたい。つーかそういうゆとりが心にできた。
ファッションに興味を持つようになった。高校、専門学校まで親の買ってきた服しか着たことがなかった。そしてうちの親は壊滅的にファッションセンスがない。団塊のちょっと下の世代のファッションセンスのなさは日本を滅ぼすと思う。
ユニクロに行くようになった。デート先で適当に女の子に服を見立ててもらったりするようになった。心斎橋なんかでもたまに服を買うようになった。はっきり行ってブランドなんてものはまだまだ縁が無いけど、こざっぱりした格好は難なくこなせるようになった。女の子からも服装についてちょっとは評価されるようになった。
中学から高校にかけて、特定のミュージシャンに基地外のように傾倒していた。他のミュージシャンはつまらなかった。流行の音楽に背を向けて、コブクロとかモンパチとかのモテミュージシャンを授業中に聞いてるモテクラスメイトを僻んでいた。最近じゃテクノからレゲエまでなんでも聴くようになった。ショーンポールと初音ミクをごっちゃにして聞いている。
mixiで出身小学校・中学校のコミュがなかったので作ってみた。OB・現役が数百人もはいってくれて、特に人数の多い20代前半の俺の学年は頻繁に飲み会をするようになった。高校のコミュはいまいちなにもない。mixiができた当時はいろいろとやってたようだけど、俺は特に仲のいいクラスメイトもいなかったのでスルーしていた。もったいなかったと思う。そろそろふっきれてきたので、今度なにかあるときには参加させてもらおうと思う。
サンプルプレイバック方式のことを言ってるのならそれは違うよ。
最初使ってみて驚いたのは、ものすごく容量が軽いことなんだよね。
数Gもあるホーンセクションやピアノのサンプルとかと比較して、それはすごいなと思った。
しかし初音の話題って、
2.マスコミ叩きのネタを探す、マスコミから叩き出された業界人
あたりの意見がほとんどのような気がするのだけど、実際のところミュージシャンはどう思ってるのか。
僕の見るとこ、仮歌とかコーラスなら、って意見は確かにそうだなと思う。
http://mkpodcast.blog117.fc2.com/blog-entry-27.html
確かにあの平板な歌い方は、変に仮歌の段階でキャラクターの印象を作りたくない作曲家には逆に嬉しいと思う。
でもその辺は納期との絡みかな、とも。もう少しツールとしての使い勝手が上がらない限り、
「ストックの曲に仮歌をつけて明日までに持ってこい」みたいな仕事には間に合わないよね。
コーラスくらいならいいんだけど。
http://blog.goo.ne.jp/skripka/e/c3d1fc153285c0a77e98eafff5cf4a98
もう今の技術の中で仕事のルーティーンを回しちゃってる人が、いまからVocaloidを覚えるのは難しいのかも。
これからの人たちが、「仮歌はコンピューターで」ってスタイルを標準にしちゃえば、わからないけどね。
アマチュアでも多くのバンドが、DTMで作ってきたものをスタジオでアレンジする状態になってるわけだし。
あとはテクノのサンプリングネタになれば、って意見があるけど、
これだけ有名になると逆に使いづらいと思う。っていうか恥ずかしい。
速攻廃れちゃう大ネタから、「定番」までの距離はものすごく遠い。
彼は、一流プレイヤーのレコーディングとDTMで録音した音源を聞き比べて、
創作とは創作の過程や方法が重要なのではなく、そこから作られた結果だけがオーディエンスに届く。
作品を批判するのは自由だが方法を批判するのはナンセンスじゃないか?
「初音ミクの魅力がオタクでない僕には分からないので教えて下さい(by araig:net)」
初音ミク批判として受け止められているが、私には肯定論に読めた。「リアルなものを目指しても、所詮リアルであるという点で生身には勝てない。生身とは違う魅力を見出すべきだ。そうすればTB-303やサンプラーのように音楽に革命をもたらす。」という意見に見える。それが現れているのは次のところ
Rolandの往年の名機TB-303とTR-909はアシッドハウス・デトロイトテクノムーブメントを起こした。そして両機とも、発売当初は全くの不人気だった。理由はその出す音がリアリティに欠けていたからだ。しかし、数年後、格安で叩き売りされていた両機を貧乏ミュージシャンが購入し、その音に独特の美を見出して、それまで存在しなかった音楽形態を作り出した。つまり、彼らは発売元の想定外の使用法を見出したわけだ。
サンプラーだってそうだ。もともと楽器音を録音して音程をつけて鍵盤に割り振れば、自分好みの音で演奏が可能になる、という目的で作られたサンプラーに、単音ではなく、フレーズをサンプリングしてループするという技法をミュージシャンたちが発見した。これによってブレイクビーツ・ドラムンベースの革命が起った。ここでもやはり想定外の使用がある。
じゃあ、初音ミクはどうなんだ?現在の盛り上がりは完全に発売元の想定内だ。現行の初音ミクのまだリアルに一歩届かない感じは、届いていないが故に、ある意味完成しているとも言える。さあ、だったらこの初音ミクを使って、どんな想定外の使用法が生まれ、音楽に革命を起すことになるのか、その未来の片鱗ぐらい見せてくれないだろうか。このあたりだけを読めば初音ミクを批判しているという人はいないだろう。むしろ逆に期待しているといえる。
じゃぁ、何を批判しているのか?生身に近いことにしか価値を見出せない「オタク」だ。ID:araignetは生身に近い、リアルなことにまったく価値を見出していない。それとは別の可能性を期待している。しかし「オタク」は生身に近いことにしか価値を見出せない。だから「オタク」を批判している。それは
ところが、初音ミクファンの見ている未来はどうもそっちの方角じゃないらしい。彼らが望むのは合成人声が「よりリアル」なるということだ。以下でよくでている。このエントリを読んだあとだと
「初音ミクの魅力はオタクにしかわからないのか(by Something Orange)」
「初音ミクを手にしたオタク達よ、怯む事はない、世の中を変えるのは君達だ(by Aerodynamik - 航空力学)」
あたりは「初音ミクの価値は『生身』に近いことにしかねーよ」という初音ミク批判にしか見えなくなる。ID:araignetはもっと初音ミクに期待をしている。もう一度引用しておく。
この初音ミクを使って、どんな想定外の使用法が生まれ、音楽に革命を起すことになるのか、その未来の片鱗ぐらい見せてくれないだろうか。これのどこが初音ミク批判なのだろうか?
深読みしすぎだろうか?ただ当該エントリに対する批判はID:araignetのロジックをまったく理解できていないことは確かだ。
はてブにあがったhttp://d.hatena.ne.jp/araignet/20071020/1192811893も読めてないよな。初音ミクに可能性がないといってるんじゃなくて、生身やリアルを目指すことには可能性がないっていってるだけなのにな。
Nine Inch Nailsがレコードレーベルを捨て、今後はアルバムを直接一般に公開するというニュースを土曜日に報じてから、OasisとJamiroquaiも同じくレコード業界を離れた。しかし、今日一番のビッグニュースは何といってもMadonnaがレコード業界を捨てたことだ。
(中略)
今回の件は、世界的女優にとってさえ、デジタルダウンロードとP2P音楽共有の時代には、もはやレコード会社は必要とされていないということを物語るものだ。
そして壁は崩れはじめた―マドンナ、レコード業界を捨てる TechCrunch
世間的には「音楽データで収入を得ている」レーベルから離反したのだから音楽はフリー(自由と無料)に近づいている、と取られているっぽい。
しかし、特に業界内部の見解を聞きたいところなのだが、これは知的創造従事者の受難“モダン・タイムス”の本格的な始まりではないのだろうか。
待っているのは世界中で作品を共有し啓発しあうユートピアなどではなく、クリエイティビティが限りなく無価値となり資本の規模だけがモノを言う世界ではないのか。
ユーザーにとっても、音楽は無料にはなるかもしれないが自由とは言い難い未来しかないのではないかと危惧する。
万人が富豪で支配者になれる最終解決などでなく、工業化に伴う50年間の市民の試練が情報化によって知的生産者に今及んだと見るべきではないか。
世間の誤解はネットとメディアの進化が本物の錬金術と思われていることにある。例えば10万円する金貨を100円分ぐらいの材料と手間で製造する方法が発明されたらどうなるのかと想像してみたらいい。我々はあっという間に千倍の資産を手に入れることができて誰もが豊かになれる?
しかし少し考えを進めれば分かるようにこれは100円で10万円が手に入るのではなく、実際には10万円の価値だったものが100円に暴落するということを意味している。錬金術の発明と同時に金は無価値になるのにも関わらず、人々はその術の完成を心待ちにしているのである。
現代に町から職人がことごとく消えたのは何故か。流通の革新によって町に点在する必要がなくなったからである。現存する大工だって現実には大手住宅メーカーの下請け組立工である。例外的に飲食店の職人は居るがこれは鮮度という要素がローカリティを維持しているためだ。
音楽流通には制作環境、パッケージ、流通、広報が必要だった。つまり満遍なく金と手間がかかった。制作可能な者の偏在と流通の偏在が中小零細規模の商業作家の存在を許容したのである。
ところが制作環境とメディアおよび流通が技術的な革新によってほぼゼロにまで暴落してしまった。このことにより音楽市場におけるキーは誰でも作れて流通できる楽曲そのものではなく希少な資本そのものである「ブランド」と資本によって成り立つプロモーションに完全に主導権が移ることになる。
音楽事業「マドンナ」にとって、誰にでも作れる「楽曲」自体に意味は無い。必要な才能はサラリーでスタッフとして雇い入れればよい。イベントでの収入は音楽にではなくマドンナというキャラクターに、そのビッグネームと空間を同じくする権利の対価として入ってくる。
自動車メーカや家電メーカーと全く同じである。タレントへのシンパシーという商品の販促“カタログ”である楽曲データは複数のスタッフによって作成され、ネットで配布される。場合によっては対価を払ってコミュニティに押し込み、手にとってもらうための大量の広告を打つ。この場合楽曲はもはや財産ではなくコスト(広告宣伝費)である。
ここにいたって小資本どころか中規模ごときの音楽事業者では採算に乗せることができなくなるだろう。よく言えば近代化による産業の集約が進む訳だが、事業化するのに必要な最低資本がどんどん上がっていくからだ。
(HITOMIのヒット曲"SAMURAI DRIVE"のオリジネータバンドcuneはいかほど潤ったのだろうか。ちなみにミキシングは“エンタープライズ”HITOMIの方が遥かに洗練されていると思った。)
一方でユーザーはどうだろう。無料であらゆる楽曲へアクセスできる夢のような時代になるのだろうか?
大半の人にとってはメリットがあると思われる。いま無料のテレビやラジオのプログラムと同じだからだ。社会全体で見ても効率は高いと思われる。
「無料で動画が見られる」と言われれば好きなだけ自分好みの映画を見ることが出来る気になるが、現実は見たくもないCMとお仕着せのプログラムが待っている。今ユニクロで吊るしの服を買えば5千円で一通り揃うだろう。しかしオーダーメイドすれば10倍でも済まない。
悪い社会ではないかもしれないが、これがフリー(自由)かと言われればどうだろうか。
今までだってミュージシャンは貧乏でどうしようもなかったのだから何も変わりはしないという向きもあるだろう。現実の変化は微妙なものだ。恐らくは中抜きが進む。池田先生が言うような中間業者を中抜きしてハッピーという話ではなく、業態の空洞化で柔軟性が失われるだろうという話だ。
既にあるタレントとメディア露出という両極端な評価軸しかなくてそれ自体の価格は限りなくゼロで日常的に流通しているもの。それは対人コミュニケーション、会話である。その中で唯一換金できるのがお笑い(伝統芸能は含まない)だろう。お笑い芸人は自虐ネタにもなるように一部スター以外の待遇は悲惨としか言いようが無い。また事務所の寡占が既に起こっている。
音楽業界は吉本興業のようになるかもしれない。誤解しないで欲しいが、後進の育成とタレントの露出に力を注いでいる超優良企業という最善のケースとしてである。