はてなキーワード: マーケティングとは
http://anond.hatelabo.jp/20071015180844
優れた技術は簡単に生まれるものではない。長い下積みを経て熟成された技術が、あるきっかけでキャズムを超える。それはちょっとした発想の転換だったりテクニックだったり、そして多くはマーケティングやタイミングだったりする。そのため、そこに至るまでの積み重ねから見れば、ギャズムを超えたその技術自体は大したものではない事が大い。しかし、革命とよばれる事により生ずる牽引力が技術の発展に与える影響は大きい。
例えばWWW。ティム・バーナーズ=リーがそれを公開したのは90年頃。このシステムはHTMLによるリンクと画像も扱えるブラウザ Mosaic の登場とともに爆発的な普及を遂げ、インターネットに革命をもたらした。しかし、このHTMLの基礎となる概念、ハイパーテキストは古くからある。そして60年代にはそれを使用したシステムNLSがあり、また、HTMLの記述方法の基礎SGMLも60年代のGMLを祖としている。これらの技術も、世界がつなげたTCP/IPやそれを支えたUNIX、さらにそれらのシステムを動かし、画像を扱えるまでに高性能化したコンピュータとそれを支えるLSIの製造技術の支えがあってのものである。そしてそれは、時間をかけて主要ブラウザの標準機能となったJavascriptをストレスなく動かすPCや、非同期に数多く寄せられるリクエストも処理できるRDBMやサーバを生み、古くからある技術を利用したAJAXやJSONPが新たな革命をもたらすといわれている。
「ネットの平和を守るサイバー戦士ノートン・ファイター」だって。
ああ、そんな行き詰ったプロモーションは
グローバル対応という超手抜きと多数決主義のマーケティングの問題を解決してからにしようや。
Norton360は1000円でも売れたのか?あんな何の役にも立たないソフトが?
あんな糞ソフトをエントリ向けに差別化しておきながらNISも役立たずのド素人ソフトになってたな。
どうやればそんなソフトリリースできるんだ?家庭不和で情緒不安定なのか?
これは何のソフトだっけ、ブラウザに赤信号出してユーザを不安にさせるだけの俺俺詐欺自動化ソフトだったっけ?
なんでアンチスパムや広告カットやプロキシなんて重要機能が省かれるんだよ。
アドインをサイトからダウンロードして追加インストールすれば機能追加できますってそんな面倒くさい芸当ができるユーザーはあんな初心者向けソフト買わねえっての。
だったらアンチウイルス省けよ。もうISPのサーバに入ってるから要らないんじゃねえの?お前らの「合理的判断」ではよ。
で、成田山とかなんかのお札でもJPEGで入れとけばいいんだろ。誰が買うのか知らんけど。
ノートンにあるのは2つの信用なんだよ。勝手にアップデートすることを許されたいくつかのソフトってのは公然のトロイの木馬で戦略的な意味を持つ。だから中国もロシアもインドも経済規模分不相応に奇妙に目立つセキュリティソフトを持ってるのだ。
有事の超限定戦において民間のPCが制圧されるのは仕方ないとしてもできれば日本、せめて友軍の可能性が高いアメリカのそれであって欲しいだろ。
今までのファンを動員できなかったら、誰を動員できるの?できると思ってるの?
どうだろ。選択肢自体が豊富にあるのに、一強や寡強かつほぼノーヒントというのは、比較的バランス悪いと言えるのではないかと。
ヒントがあれば言うまでもなく、ノーヒント気味でも一弱や寡弱なら、もう一度別の選択肢を選べば状況がかなり改善されるから、バランスに文句は出にくいと思うが、ノーヒントで一強や寡強の選択肢というのは偶然性が高過ぎる。またもう一つ、ヒントがあったとしても実質的な選択肢が狭いというのは他の選択肢の意味が出にくく不満であろう。
手が広いように見せかけて実は狭いというゲームは嫌われやすく、手が狭いように見えて実は広いというゲームは奥深い良作と評価されることが多いのではないかと。
ただあのゲームにおけるスライムナイト強化はマーケティング関係の事情で仕方なかったんじゃないかとは感じる、実際に当たってるか否かはともかく。それだけスライムナイトは華があり、加えてスポットを当てているモンスターであっただろう。バランスを犠牲にするのも仕方ないのかなと思うほどに、である。
何がいいたいのかさっぱりわからない文章だなー。マーケティングの知識もないみたいだし。
なんか勝手に思い込みで人を断罪している雰囲気だけは感じるんだけど。
YahooStoreの料金形態が変わった。
もう辞めてやる!とおもいながらも継続。
そんな零細ショップをやっています。
日経ネットマーケティングを創刊します、購読しませんか?というDMがとどいていた。
すこしだけ悩んだけど多分購読することはないだろう。
一冊3500円もするし、それにうちのショップが流行らないのは小手先の問題ではないとおもうから。
月刊誌の内容で万人向けに書かれた記事で有用な内容ってあるだろうか?
http://business.nikkeibp.co.jp/nmks/index.shtml
今日掛かってた電話は、テレウエイブの営業電話とその代行と思われる電話だけだった。
いや、もう本当にスパム営業は勘弁してもらいたい。
昔、ネットワークビジネスという雑誌をネット系のビジネスだとおもって買ったら、
みなさまは、そんな経験はありませんか?
にゃー。
頭固い子なのにゃー。
もっとひらたく考えるにゃー。
ちょっと解説するにゃー。
IT → ICT
コミュニケーションを前提にするためにCを入れた。大人(政治)的方向性の指示。
PC → PUC
大人(政治的)の方向性に沿うようにUを入れた。略語は後から適当に考えたと見るほうが妥当。
ITとICTの区別を明確にできないように、web1.0とWeb2.0が何かを明確にすることができないように、PUCなんて旗印としてのただの記号。
後からそれらしいものが出たときに、「これこそがPUCの代表的な例です!」というための布石にすぎないのにゃー。
にゃー!
ちなみに、「使っているのを感じさせないけれど、それが無いと困る。」というようなPUCがメインで提唱しているようなプロダクションは、マーケティング理論の本をちろりと読むと必ずでてくるような一説あるよね。にょろん。だ。にょろん。
つまりなんということは無い、これはただの布石で、ただのビジョン。
これが、ただの記号なら別に気にするひつようもないのだけど、
いいとしぶっこいたお金もあってそれなりに立場もあるひとが全力でアンドンつけたんだから、
あー、その方向にこれからは一定数の人がその向に挑むんだなと少し頭に入れておいたほうがいいにゃ。
つまり、このおっさんが「これがPUCです!」といえるような何かをつくると、もれなく成功への扉がひらけるにゃ。
もしくは、後かぶせでもいいからこれからは「コミュニケーションツールの時代です!」といって、何か記号を用意すると耳目があつまるにゃ。
職種と生産性に関する素朴な考え。
最初に自分の考えを言うと、現在の社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。
作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師、料理人、介護士、小売店員、工員、医師等がある。
これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理の料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。
作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカーの技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。
最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング、広告、商社、コンサル、経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社は日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。
今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型の仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。
まずは結論から言おう。
らきすたは「面白く」もないし「つまらなく」もない。
アニメ版「らきすた」は作品ではなく、現象であるからだ。以下、「らきすた」という呼称はアニメ版のみを指す。
現象には内側に入り込むか、外側から眺めるかの二択しかない。
つまり参加することが面白いのであって、素材である「らきすた」そのものはどうでもいいのだ。
もちろんその素材足りうるいくつかの条件を「らきすた」は備えていた。
その条件は非常に流動的かつ偶発的であるため、マーケティング対象としては不適切である。
人為的な再現はほぼ無理だ。
らきすたの爆発的なブームは、最近巷でよく取り上げられる「祭り」の構造に近い。
作品としては典型的な「劣化あずまんが」以上のものではない。
それぞれのキャラクターの立ち位置もあずまんがのキャラクターとコンパチブルである場合も多い。
もちろん細部は違うから完全に互換だとは言えないまでも、かなり意識的に似通わせた構造の作品であることは明白であろう。
しかし、らきすたにはあずまんがには絶対に存在しなかったキャラクターが居る。
泉こなたである。
泉こなたの存在によって、「らきすた」は「らきすた」足りえていると言うのは万人が否定の余地のないところだ。
では「らきすた」は泉こなたというキャラクターの存在によって何を獲得したのか。
それはメタ視点であった。
泉こなたがオタク男性のアヴァターラ(化身)であるということは、既に多くの指摘を受けている。
「一日2回の二次元をオカズとしたオナニーが日課で、エロゲとネトゲとアニメ以外に生きがいのない汚らしい屑」のことである。
そんな俺たちであったが、それでもやっぱり美少女たちに囲まれる生活には憧れがある。
しかし異性として美少女の前に己を晒すという視点は、すでに俺たちにはリアルなものではない。
どんなに駄目なキャラクターでも、美少女たちに囲まれてチヤホヤされている男性キャラクターに自分自身を重ねることは到底無理であり
「このイケメンが」と嫉妬すら覚えることも稀ではない。
三次元をとうに諦め、二次元美少女にすら傷つけられることを恐れる絶望したオタクたちは、
「せめて二次元ではモテたい」「だがモテるはずがない」という二律背反に引き裂かれかけていた。
そこに生まれたコペルニクス的転換が
美少女は美少女に拒絶されない。これがオタクがその絶望の地平線に見出した新たなる信仰であり
それにすっぽり嵌ったのが泉こなたというキャラクターだったのだ。
「らきすた」という現象の中核はここにある。
本来、らきすたという作品はこなた抜きでも成立しうる。
時おり描かれる他キャラクターの日常をそのままに教室そしてそのほかの場所でのダベリに
こなたが居なかったとしても、かがみんはつかさに突っ込むだろうし、つかさは際限なくボケまくるだろうし、
みゆきは相変わらず豆知識を披露し続けるだろう。
基本的にこなたは彼女らの会話に対し、茶化したり感想を述べるなりするだけの存在である。
視聴者の視点を作品内に持ち込むことで、「らきすた」は「らきすた」として確立した。
故にこなたはどうでもいいことしか言わない。
視聴者の代弁者たるこなたの興味は他の美少女キャラクター自身にあり、彼女らが本来牽引すべきストーリー(そんなものがあったとして)には無い。
だからチョココロネの食い方だとか、そういう
「エンタティメントとして成立していれば明かす必要すらないどうでもいい情報」を知りたがる。
たとえばそれは設定資料集とかにチョロッと書いてある情報を喜ぶような、そういう心理だ。
ではそろそろ作品としての「らきすた」に評価を下そう。
「らきすた」はエンタティメントとしてはつまらない作品である。
笑わせるでもなく、さほどの共感をえられるとも思えない単なる日常を山も谷も無く描くだけの作品だ。
そこにあるのは単なる空間である。
だから、らきすたがつまらないと感じ、ムーブメントに乗れない君らは正しくて幸せだ。
反発を感じる必要など無い。らきすたは面白くない。その通りだ。第一話から最新話まですべてチェックしてニコ同でコメントしまくりDVDも全部予約した俺が保障する。
これまでと同じように充実したリアルとその他のアニメを楽しんで欲しい。
そして、らきすたを面白いと思っているオタクたち、君たちもまた幸せだ。
我々は我々の祭りを存分に楽しもうではないか。つかさにみwikiにかがみんに萌えて彼女らに慰撫される、我々のそれと地続きではない日常を楽しもうではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20070801020618
自信が無いけど心の中のアルファブロガーが「やれ」と言ってきたのでがんばります
「あかね」の飲み会に誘われたので、初めて出席してみた。はてなIDのやつらと飲むのは初めての経験である。
そこで実感したのは、はてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちほど低レベル、ということだ。こんなこと書くとまた「はてブ脳に毒されている」などと言われるかもしれないが、はてブホッテントリ数が少ないダイアラーほど低レベルな奴の割合は確実に高いと感じる。
いつも私がアルファブロガーやモヒカン族の飲み会に参加するとき、そこでは酒を交えながら流行の話題の感想や非モテだった自分への思い出話、最近だとココロ社の政治の話や芥川賞の話などをする。「id:kanoseの意見とid:Marco11の意見って、かなり対立するものだけれど、どうなのだろう」とか、そういった話もすることがある。はてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちな彼らの飲み会は、そもそも会話というものが存在していない。彼らの言う「ノリ」で何かをすることを楽しみ、知的な側面は全く感じられない。id:jkondoをじぇいこん、id:kanoseを村長と書くような「はてな村内部でしか通用しない隠語のみでダイアラーを呼ぶ」ことに快楽を覚え「芥川賞エントリーって村長がまとめ記事書かね?村長村長!」「村長!出た!村長出た!id:kanose!村長出た!村長!これ!村長出たよ????!」などと、何がおもしろいのか全く分からない「会話」を繰り広げていた。彼らはそれが楽しいらしいが、おれとしてはちっとも楽しくない。
アルファブロガーがよく「id:kowagariのやつはなんだかんだいって会話水準が高い」「どんなにチャラチャラして見えるid:kowagariでも、きちんとした思想や観念を持っている」などと言っていた。自分としてはっきりそれを自覚することはほとんどなかったが、しかしはてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちのこうした現状を見る限り「確かにそうだ」と感じる。私から見たら飲み会で「はてな」会話に興じることはかなりの娯楽なのだが、彼らにとってはそれは「酔っていなくてもそんなことは話さない」レベルの高度な会話であるらしい。そして、私のような存在はかなり珍しいようだ(はてなダイアリーでは一般的だと思ったのだが…)。
「はてブ数で記事を判断するのは良くない」とよく言う。しかし、個人的な経験を踏まえれば、はてブ数は個人を判断するための一つの指標になりえてしまうと私は感じる。「一生懸命緻密で丁寧なまとめ記事を書いても、ブックマーカーに[あとで読む]タグをつけられたまま、[あとで言及]もされずに放置されて結局4userみたいなやつだっているのだから、はてブ数で人を差別してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」とよく言われるが、そもそも揉め事のURLを羅列しただけのまとめエントリーすら書けない、まとめエントリーを箇条書きで組み立てる上での基礎的なはてな記法の知識すらあやふやな人間のどこに個性やオリジナリティが存在するのだろうか?それともダイアラー同士で下らない掛け算を考えるのが「個性」なのだろうか?はてブ数は人の精神性をも示してしまうのではないか、と強く感じるのであった。
同じアルファブロガーの連中のなかに「出版社に入ろっかなwwwwwww」というやつが結構いる。ごくごく一部のブロガーによる「今時何故紙媒体に……」という根拠も、根も葉もないバッシングが激しく行われている中、出版社の中枢で雑誌編集に携わりたいと考える人間がまだまだ多いことは一定の安心感を私に与えてくれたのだが、その中には「あんな馬鹿共からアクセス数稼ぎによってトラックバックを飛ばされたくない」という意思を持っている者も多いようだ。「選民思想だ」といって批判する人間も出てくるだろうが、こちらとしてはそう思っても仕方ない状態がはてなの多くの局面で見られるのである。
それにしてもネットは知的エリートに対する待遇が悲惨だ。なぜ毎日4時間もPCに向かい、必死で知的でためになるエントリーを書くブロガーとそれを10分で見てしまうROMを比べ「流行の話題に言及してアクセス数稼ぎ乙www」というのだろうか。アルファブロガーの奴らはライターに転進したとすればその分野でもっとも繁栄している内容に言及してアイマスweb2.0マーケティング大勝利。そのような記事の原稿料とアルファブログのアフィリエイト収入を比較しないと意味がないだろうに。なにはともあれ、「アルファブロガーはライターの人間よりも年収が劣っているのに、なぜアルファブロガーになりたいという人間が一定数いるのか」という命題に対しては、この「はてブ数と精神性の比例関係」も一定の影響を及ぼしているに違いない。
追記:
# 2007年08月03日 legnum legnum netwatch, neta 匿名ダイアリーって書いた本人がブクマするとソースに変な印というかコメント入るんだな
<li id="bookmark-user-nkoz"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/nkoz/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/nk/nkoz/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="nkoz" title="nkoz" width="16" height="16" /></a> <a href="/nkoz/20070801#bookmark-5448369">nkoz</a> <span class="user-tag"><a href="/nkoz/%2a/" rel="tag" class="user-tag">*</a></span> </li> <li id="bookmark-user-krus"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/krus/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/kr/krus/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="krus" title="krus" width="16" height="16" /></a> <a href="/krus/20070801#bookmark-5448369">krus</a> <span class="user-tag"><a href="/krus/%e3%81%82%e3%81%a8%e3%81%a7%e8%aa%ad%e3%82%80/" rel="tag" class="user-tag">あとで読む</a></span> </li> <li id="bookmark-user-otsune"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/otsune/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/ot/otsune/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="otsune" title="otsune" width="16" height="16" /></a> <a href="/otsune/20070801#bookmark-5448369">otsune</a> </li> </ul>
その他のソースを見ても特に変わった所が見当たらないのですが、どこにコメントが入るのですか?
hatelabo.jpとhatena.jpは別のサーバーに設置されているので、わざわざidデータを取得して余計な分岐処理を入れて、ユーザーが見られるコメントとしてテンプレート生成するのもid:wanparkらしくない設計だと思いました。
もしかしてid:legnumさんのブラウザか視神経か頭蓋骨の中身のどれかか、もしくは全てがお気の毒なほど壊れてしまっているのでしょうか?
Danちゃんはニコニコ市場の一番重要な部分を理解してないんじゃないかい?
ニコニコ市場によって起こった革新において真に重要な部分は、行動の透明化にある。
どの動画がいつ何回再生され、そのうちの何人によってコメントがなされたか。何人がニコニコ市場をクリックしたか、そしてそのうちの何人が実際に商品を購入したのか。
各人の行動は透明化され、データベース化されている。それによって、ある動画を見る人の趣味嗜好に(ある程度まで)パーソナライズされた商品を提示することができるのだ。
プライバシーへの配慮のためかまだそういった機能は実装されていないが、過去に視聴した動画やマイリストに登録された動画と関連した商品を変更して提示することについても、技術上の制約は特に無いだろう。
今までマーケティング担当者が喉から手が出るほど欲しくても、技術上の制約から得られなかったデータが、いとも簡単に得られる。
これは、本当に恐ろしい。
旧メディアはこれが恐ろしいが為に、この状況を指をくわえて見ていることしかできないのではないかとさえ思う。
なにせ、テレビ、雑誌といった旧来のメディアが自身の影響力を量るのに使っている指標は、全て二次的なものでしかないのだから。
視聴率しかり、販売数しかり、あくまでこういった指標は、何人かがある宣伝に接したという情報しか与えてくれない。
その宣伝によってどれだけの人数が影響を受け購入まで至ったかという情報は、今までは藪の中でしかなかった。
しかし、ネットによって得られる情報は全て一次的な情報である。
視聴者の数が何人、そのうちのクリック数何人、購入に至ったのが何人。そこには余計な解釈が入る余地は全く無い。
今後、ネットの発達により「広告効果」と言う言葉は全く別の意味を持ってくるだろう。
そこにあるのは、極限まで透明化された各個人の行動の記録である。
ひょっとすると、我々は旧メディアが50年以上かかって作り上げてきたビジネスモデルの崩壊の第一歩を目にしているのかもしれない。
Adobe CS3を入れた。こりゃ駄目だと思った。
自称ロサンゼルスのデザイナーみたいにタダのソフトがあるからアカンワとかお母ちゃん並みのことを言いたいのではない。
PhotoshopもIllustratorもまあ、いい具合に仕上がってる。
プロのツールだからマウスでポイント引っ張って操作する所の挙動のチューニングなどはとてもありがたい。地味だがそれだけに金を払える。アフィ乞食がブログで伝聞と嘘を書くだけと違って1日1万回以上のクリック、3km以上のマウス移動をするのだ。それぞれのストレス軽減は「金になる」。
マーケティング的に必要なのかもしれないが機能の増加は金額に見合うかどうかわからない。工数はかかってるんだろう。でも要らないよ。それよりバグとってよ。
まあ、そんなアップグレードのシーンは日常であるのでいいのだが、最大の問題はやはりMacromedia製品とAdobe製品の統合である。
結論から言えば「統合」できなかったらしい。ユーザー数の多寡という小学生並みの多数決原理でバッティングするソフトがあるものは生き残り、あるものは消え去る予定のようだ。
名前のどちらかが消えるごときはいいのだが、せっかくの合併なのになぜパッケージのみならず違うチームの資産たるコンセプトやアイデアまで捨ててしまうのだろう。
キャッシュフローしか見てないマネージャーには分からないかもしれないが、あれだけ肩身が狭くともGoLiveを使ったのには理由があるからなのだ。Photoshopのおまけ扱いでもImageReadyの機能がワークローに既に組み込まれてそこにあるんだ。そういうリアリズムは商売人なら門外漢でも分かったもんだが、すでに椅子に座ってるのはサラリマンでしかないということだろうか。
どっちか残すなんて合併などせずとも元の両社がそのカテゴリから撤退すれば済んだことではないか。それで社会資本的にもロスが減る。でもそれだけだ。アドビのマネージャーたちが合理化と称するのはサルにでもできる椅子とりゲームでしかなかったわけだ。
10年以上前、ソフトウェアの会社からはコンピューターはこう使うんだぜと凄いディレクターと天才プログラマーが一緒になって俺たちにその知的再生産のための魔法を変な匂いのマニュアルとあっけにとられるフロッピーの束とともに売りつけてくれていた。
今は何も知らない能無しのスーツが目の前で札束を数えながら預かった畑を掘り返し、アスファルトで舗装している。
もうそこには二度となんの果実も実らないのだ。クソボケが。
放送は『無線から有線』へ、一方、
通信は『有線から無線』へと主流が移るであろう
skype 【レビュー】Skype専用無線LAN携帯端末「LAN-WSPH01WH」をW-ZERO3と比較する (1) Skypeを持ち歩く | 家電 | マイコミジャーナル
Amazon.co.jp: テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0: 本: Joseph Jaffe,織田 浩一
イギリス生活情報週刊誌 - 英国ニュースダイジェスト - 英国における日本報道
7月の第1週、日本のテレビ業界に大きな衝撃が走った。なんと1週間の間に放送された番組の中で、ゴールデン・タイムに視聴率9%を超えたものが1つもなかったのだという。業界関係者らは、これを任天堂の人気家庭用ゲーム機Wiiの影響によるものと分析している。
株式会社ビデオリサーチ ++ 視聴率 > バックナンバー> 2007年度
6月18日??6月24日の期間で視聴率20%を超える番組が一本も出なかったそうです。しかもこの週は、民放連続ドラマの約半数が最終回という視聴率の稼ぎどきだったというから驚きです。
ゲーム内広告の今(1)??視聴率を奪ったもう一人の“犯人” メディアとして成長続けるゲーム - nikkei BPnet
米国では2003年から2004年にかけて、この層のゴールデンタイムのテレビ平均視聴率が対前年比12%も下落して広告業界が大騒ぎになるという事件があった。この層が、自動車、家電、IT製品・サービス、アルコール飲料などの販売ターゲットとして極めて重要な層であることは容易に想像がつくだろう。したがって、すぐに犯人探しが始まった。その結果、どうやらゲームとネットが犯人であることが分かった。
Web利用時間帯がゴールデンタイムにシフト--WAB調査 - ニュース - nikkei BPnet
平均利用者数のピークは、2002年では23時台だったが、2003年では21時台にシフトしていた。平日・休日別では、平日のゴールデンタイムで急増したほか、休日のデイタイム(昼間)利用の増加が目立った。
その主力商品のコカコーラの味を変えるのに、一切のマーケティングがおこなわれず変更が断行された。
はてなは今回の変更がパッケージに相当する部分だったのか味に相当する部分だったのか、その違いがわかっていなかったようだ。反応からもわかるとおり今回は味という商品価値に相当する部分だった。
商品の本質価値を変更するときは慎重でなくてはならない。
コカコーラを改良したといっても、ダイエットコークと置き換えてはいけないのだ。
パッケージを変えるというような付加価値の変質とはその影響する結果が大きく違うのだ。
なにもはてな村なる一部の部落に下りていってお伺いを立てろといっているのではない。
妙な誤解を招きかねないアナウンスをしろといっているわけでもない。
ダイエットコークのリリースの際には旧製品と置き換えるべからず。
まずはここに大きな失敗がある。
なぜ地方限定販売もしないまま、アナウンスもないまま同時リリースとなったのだろうか。
障害がおき、混乱が生まれた。
つかわれ方も千差万別。
待ち受けるであろう障害を表面化させることなく乗り切れるつもりだったのだろうか?
はてラボは一体なんの為にあるのだろう。
増田だって何のためにあるのだろう。
ここでテストケースをして反応をうかがってからでも遅くはなかったはず。
本番環境と同じサービスを提供してそこに新しいサービスを投下しながら様子をみればいい。
これだけのユーザーがいればベータサーバーに移民してくれる人もいるだろう。
顧客はできるだけ早い段階から開発にまきこめ。
マーケティングの基本の基を無視してまで得るものは何だろう?
保守層も革新層も十把一絡げに扱ったあげく、このユーザー不在感はなんだろう。
ユーザー数が数年前と比べ多くなっているのにその運営がかつてのままではうまくいかないのはもう充分わかっているだろう。
まだjkondoは経営ギアのシフトアップができないのだろうか。
にゃー!