はてなキーワード: エージェントとは
横だけど実にその通りで、リクナビNEXTに出てるようなとこじゃ受からないからハロワしてんだよ。
それでもしょっちゅう書類で落ちるからwww
底辺労働者上等でつよwww
年収300万円が夢です。
増田はインフルエンザの話で溢れているけど、僕はすでに色々と備蓄済みだよ、と朝飯のお茶漬けをすすりながら思っていたので、増田に書いてみることにした。
昨年初冬から始めた再就職活動、やっとのことで決着が付いて働き始めた。
この半年を思い返してみれば、大不況に突入、同じようなレジュメを持ったキャンディデートの大量発生、そして減り続ける貯金と最悪の就職環境と精神状態。それでも、結果的に「ここで働きたい」と思える会社で採用された。
履歴書が汚れている自分が何とかここまで来れたのは、優秀なエージェントのおかげ。そもそも紹介可能な企業が少ない、書類選考で落ち続ける、面接まで行っても企業側の採用凍結や要求スペックの変更(もっと上位層へ)などなど、色々と障害がある中で、諦めずに付き合ってくれ、さらに他のエージェントに比べて書類の通過率がずっと良かったエージェント。彼がいなかったら、ここで働くことは100%なかったと言える。
そして、僕を支え続けてくれた彼女の存在。これはが非常に大きかった。感謝してもし切れない。
そういうわけで、そのエージェントとは今後も付き合うことにしようと思っているし、大切な彼女とは仕事が安定したら結婚を申し込もうと考えてるし、「そろそろ社会復帰、いや、それどころか責任重大な立場になるのかな」と思い始めていたのだけれど、ここで問題がある。ずっと前に前カノのことを書いていた日記(彼女と付き合ってからもどん底まで落ち込んだ時に未練たらしいことを書いたことが2回あった)を先週彼女に見られてしまった。
もうずっと前に書くのを止めて、彼女との生活と今後に全力投球してたんだけど、それでも彼女は大きなショックを受けてたし、僕は動揺しすぎて半休だし。上手く回り始めてたのが台無しになってしまった。今週が山かな。ここを何とか乗り越えたい。
そういえば、「不況を言い訳に・・・」とトラックバックが来たこともあったけど、採用社数が半分以下、応募者数が数倍と言われている今の状況を分かっていたんだろうか。いったん泥を啜るような生活に落ちると上に這い上がるのが異常に厳しい日本で条件は何でも良いと言って就職なんて出来ないよ。
そういや、面接落ちしたときの理由が、「声が小さかったから」という
理由だったりしたのにはwだった。
エージェントを通すといろいろ理由とか聞けるんだが、こればっかりはどうしようもない。
いつか、拙著にも書いたが、アメリカ人の子供のない夫婦が広州に赤ちゃんを「買い」に来る。斡旋するエージェントが米中双方にあり、面談場所は広東省広州市にある最高級ホテルの一つ「ホワイトスワン」。
噂には聞いていたが昨年春、実際のこのホテルで朝飯をとっているときに、カフェ・ラウンジで目撃した。
禿頭のアメリカ人男性(白人)と、やや太り気味で眼鏡の奥さんが、“商談”のまとまった赤ちゃんを抱えて嬉しそうにしている。
緊張のためか、恐怖なのか、赤ちゃんは泣かない。隣席には「遣り手婆」のような代理店の女性が法的手続きをアメリカ人夫妻に説明し関係書類を並べていた。
親元に支払われる相場は5000ドル。エージェントへの費用は別。
米国に貰われていくのは幸運であり、養子縁組だから合法である。
悲運は誘拐である。
顧客は海外ではない。中国の農村や近郊の都市で、赤子から十三、十四歳の少年少女など、毎年平均2500名の子供が「専門誘拐集団」のプロ、ギャングなどにさらわれる。発見例はほとんど無く、警察が本気で捜査しようともしない。身代金目当ての誘拐も頻発している。
第一は都市部で生活する子供のない夫婦からの需要が旺盛である。
逆に農村部では男の子供を猛烈に欲しがる。第貳子までは常識だが、それでも男の子が産まれないと、つい手を出す。なぜなら第三子を罰金を払ってでも産む場合は、5800ドル。それなら誘拐してきたほうが手っ取り早いのだ。相場は2500ドルという。
第二は少女売春に売られるケース。「人さらい」らはクルマで近づいてさっと誘拐するので、神隠しにあったような騒ぎとなる。ギャングらは少女を売春窟に売り飛ばし、或いは少年たちは身体障害にして街頭での乞食をやらせる。
実際に昨年に発覚した山西省の煉瓦工場は、誘拐された少年たちが過酷な労働を強いられていて世界的な非難をあびた。
ヘラルトトリビュン(4月6日付け)の報告では、誘拐ビジネスのセンターは香港の北燐=深センにあり、あたかも企業のように誘拐ビジネス盛業中という。
ヒント:どの転職エージェントも「この人にはこの会社が合う」と思った順ではなく、
成約した時に会社側からもらえる報酬の高い順に紹介している。まぁ、当然のことだわな。
だからミスマッチがよく起こる。
俺はエージェントがあまりにも使えなかったから最終的には企業のwebから直接応募してたぞ。
※個人的な感想です
(並行して面接を進められなかった)
たとえば、6社ほど選んで、全てに書類を送って欲しいとお願いする。
それで、後々合否の返事が来るのは常に1社。
その一社の面接の段取りをして、その1社の一次、二次へと進むのだが、
その間は必ず他の会社からの書類の合否の返事がない。
仮に進んだ面接で落ちた場合、ようやく別の会社一社の書類の結果が返ってきて、
つまり、同時に並行して面接を進められない、のだ。
このシステムはとてもキツいものであった。
面接の調整を始めて・・・という形になり、遅れていくのだ。
会社を先に辞めてしまっていた自分は、どんどん再就職が長引いてしまった。
※1つのエージェントでは3つも4つも面接を並行して進められない為
※それで、他のエージェントを使ってることはなるべく隠す
※「辞めたあとの理由」はネガティブにならざるをえない
※「辞めたい理由」は、ステップアップしたいなどとポジティブな理由をつけれるので、プラスになる
※戦力外通知で辞めざるを得ない場合でも、会社にダダをこねて所属させてもらい転職活動をする
1人のマッチングで報酬がもらえる契約において僕個人が受かることよりも、
より多くのマッチングをさせる方が儲かるから、なのだろう。
そもそも、転職支援サービスって、基本的に在職者を前提としたシステムなのかな。
もし自分の場合は全然違ったよ~!という人は教えてください。
今更ながら、なんだろうが、
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0809/30/news074.html
これ嘘です。
20:53:25 お客さま 最初の質問/コメント: dimension 4600cの電源が入らない。不具合対象機種。無償交換の条件について。
20:53:31 システム チャットサポートへお問い合わせいただきありがとうございます。テクニカルサポート担当者が対応させていただきますので、少々お待ちください。
20:53:36 システム (エージェント)がセッションに参加しました!
20:53:41 エージェント お世話になります。今回のサポート担当(※中国人名※)と申します。顧客情報を調べますので少々お待ちいただけますでしょうか。
20:55:26 エージェント 大変お待たせいたしました。
20:55:31 エージェント お使いのコンピュータは Dimension 4600C でよろしいでしょうか。
20:55:35 お客さま そうです。
20:56:16 お客さま ただし、実家の両親から故障したと連絡を受けたもので、今こちらの手元にはありません。
20:56:42 お客さま サポートに電話したところ、無償交換にはならないと言われたらしいので、私が代理で問い合わせしています。
20:57:16 エージェント 電源が入らないとの現象ですが、
20:57:21 エージェント 詳細を教えていただけますでしょうか。
20:57:31 エージェント 現象の詳細によりましては、対応方法が異なります。
20:58:35 お客さま 電源ボタンを押しても緑のランプがつかないようです。
20:59:56 エージェント その以外に、他の現象がございますか。
21:00:17 お客さま それ以上はまだ聞いていません。他に確認すべき事があるなら、教えていただければ、私から親に電話して問い合わせます。
21:02:57 エージェント 現象発生の日付、きっかけ、増設機器があるかどうか、
21:03:12 エージェント また、電源ユニットから、発煙が見られるかどうかご確認くださいますようお願いいたします。
21:03:45 お客さま 発煙はありません。それが無償修理の条件ですか?
21:04:17 エージェント 発煙がなければ、無償修理で対応しません。 <--------- *************** 注目 ****************
21:04:32 エージェント 通常の保証期間どおりに、ご対応します。
21:05:18 お客さま わかりました。保障は切れていると思うので、修理に出すかどうか検討します。聞きたい件は以上です。
21:06:12 エージェント ご利用いただき、誠にありがとうございました。
21:06:17 エージェント チャットを終了する際に、チャットウィンド画面右にある[退出]ボタンから終了していただいて結構でございます。
21:08:58 エージェント それでは、ただいまより私からチャットを切断させていただきます。失礼いたします。
個人情報配慮Ver
岡○氏(IPA職員=准公務員)、Shareをつこうてハメ撮り.scrを踏む。個人情報流出。
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同時にAtok、SoftEther?(IPAプロジェクトによるソフト)、エロゲー、
エロ動画(児童ポルノの関西援交など含む)をダウンロードしていたことも発覚。
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勤務先のIPA(独立行政法人)、ありきたりの謝罪文をHPに載せる。
しかしShareでの流出なのにwinnyと書いてあったり、ファイル共有ソフトとファイル交換ソフトの区別が付いてなかったりして失笑を買う。
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嫁の石鹸サイト非公開に。石鹸転売に薬事法違反の疑いが浮上し話題になる。
参考:http://www.tanteifile.com/newswatch/2009/01/06_01/index.html
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NHKはじめ一部マスコミで「IPA職員の情報流出」報道が始まる。
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岡○氏の素敵な言い訳 「古い無料ソフトウエアを探すためにつこうた」
しかしどう見ても違法ファイルも落としてます。本当にありがとうございました。
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IPA、1月6日18時より記者会見「やっぱりAtokや児童ポルノ落としてました」
岡○氏の民間時代の顧客情報が大量に流出、ファイル数16000件以上。
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政党政治家や早稲田大学への振込リストなど、きな臭いファイルが出てくる。
個人の振込先リストも。(振込Xといういかにも怪しい名のファイル)
ソニーやマイクロソフトなど大手企業勤務者等の大量の個人情報流出!
自民党とか衆議院とか年金基金とかも。岡ちゃんマネーロンダリング疑惑。
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特許庁の庁内ファイルが岡ちゃんのPCから見つかる。父親のものか?
特許庁の内部資料がダダ漏れ状態。2001年(平成13年)公表済みの特許データベースが
何故か最終更新日時1999年11月の状態で発見される。インサイダー取引疑惑も。
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01/08(木)00時37分02秒、IPA、再度おまんちんにひっかかる。
岡ちゃんのソフトウェア不正利用の証拠発見(秀丸・VC++・Becky)。
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めざましテレビで一瞬取り上げられる。
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13日、196氏の分散型解析ツール、通称「ダミアン」(196氏が666レス目に登場し、しかも書き込んだ時間の下3桁が666と「オーメン」の呪いの番号と一緒だった為に住人により名前が付けられた。)のうp待ち最中にキンタマウィルスのURLが貼られた。
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同日、突如現れたUSAがパスを解読(パスがかかっていたファイルは全て同一パスワード。IPA職員だとは到底思えない)。
これで全部のファイルは解かれた。あとはν速住人のつたない解析能力のみが頼りになる。
↓
この不況下に即戦力じゃない人間を取ろうって会社はあんまりないと思うけどね。
元増田がどういう状況かわからないけど、「就職活動」で「即戦力」って言葉が出てくるってことは、新卒じゃなくて無職期間のある人なのかな?
手に届く範囲が狭いという前に、エージェントなり他人の意見も聞いてみたら? もしかしたら、自分が見過ごしてるスキルとか能力とかがあって、範囲が広まるかもよ。
「手に届く範囲」が狭いと嘆く気持ちはわかるけどね。自分は専門職でつぶしがきかなくなってきてるんで。なので、今の仕事に近いけど、もうちょい応用の利く仕事を探し中。選択肢は少ないけど、「やりたいことで食える一握りの人間」じゃないんで、できることからやってみたいことを選ぶしかないわな。
元増田です。
その会社の場合、人事担当者が面接の場にいなことが問題と思った。
一次面接が現場担当者だけでやってるから暴走し放題だったみたい。
別の面接では、「恋人との予定と急ぎの仕事どっちとる?」みたいな質問をしたとか。
うーん、それはどうだろう。
紹介した転職エージェント(人)は、その会社の人間と直接話をした訳じゃないだろうし、
その会社と直接話した転職エージェントの営業も、人事の人間としか話さないだろうから、
まさか面接でそんなばかげた質問するとは思ってないだろうし。
当たり前すぎて涙が出る。そんなブラックな会社が今だにあるのか・・・。
就職に当たって、恋人いるかどうか聞くなんて非常識な面接官だ・・・。
そう言う会社には入らない方がよいし、入らなくて正解だと思うけど。
面接では、マナーとして業務に関係ない質問をしてはいけないらしい。
家族構成とか、恋人の有無とか、そんなプライベートなことに立ち入ってはいけないらしい。
転職エージェントを通して申し込んだ会社の面接で、面接官がそんなことを言っていた。
で、その話を聞いた後に、その前に受けた面接で恋人の有無を訊かれたことを
転職エージェントに話をしたら、それはダメですね、って言われた。
詳しく話を聞くと、やっぱり転職エージェントから、そんな話は人事担当者にしているとのこと。
なので、まともな会社であれば、面接でそういう質問にブレーキをかけるか、
事前に面接官にそういう質問をしないように釘を刺すくらいのことはしていると思う。
つまり、あまりプライベートに立ち入った質問をする会社は遠慮した方がいいようだ。
ちなみに、恋人の有無を尋ねた人にその真意を訊くと「あなたの人となりをみるためだ」と言われた。
口から出任せをいってないのであれば、恋人がいなかったら落とされていたの?
http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。
<インタビュー>
シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?
松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュースや手作り弁当をクラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像のキャリアを通して使ってます。
シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?
松:ハメ撮りスタイルの作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。
松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。
シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?
松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。
松:はい、そうです。
シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルのAVに力をいれていたのですか?
松:はい。安達はテレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。
彼は撮影については知りませんでした。自分で会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣な作品を作ろうとしました。
シ:V&Rの意味は?
松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)。
シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年に自分の作品を制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?
松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。
シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…
松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリ・ロンドンに旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス(1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品の監督と関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分で男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。
松:ええ。彼女は素人としてこの仕事を始めました。彼女のデビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品で素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。
シ:V&Rで活躍する一方、マンガ「職業・AV監督」の原作も手がけられています。
松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。
松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社のビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。
シ:V&Rが制作した「ジャンク」シリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリーは南米で撮影されたものですか?
(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクのタイトルでデス・ドキュメンタリーを制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)
(訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"
松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオを海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルのタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。
新聞のカメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場に直行しました。ブラジルの警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。
松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオとセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。
シ:ジャンクはシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?
松:6番です。
シ:どこで撮影しましたか?
松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャング、ホームレス、麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。
シ:リオでハメ撮りは?
松:いや、まったく。アメリカやヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場に通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子の個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。
シ:他のアジア諸国だと?
松:アメリカやヨーロッパはポルノに関して長い歴史があります。スクリーンにセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。
シ:V&Rにはいつまでいましたか?
松:2004年までです。それからハマジム、現在の会社を仲間と始めました。
松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマンの浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。
シ:現在、何人が働いていますか?
松:7人です。
松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優の名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。
シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。
松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。
シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?
松:ええ、基本的にそうしたくて。
シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?
松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常のストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVをドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。
シ:でも撮ったんですよね?
松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。
シ:これからの予定は?
松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビや映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジムを大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。
A君は、とある国内大手自動車メーカーの期間工だった。働きぶりはとても熱心で、通常は誰からも気に留められることのない期間工ながら、正社員である現場監督にもわずかばかりの評判が伝わるほどであった。これはとても珍しいことだった。工場の期間工連中ときたら、酒やパチンコ、競馬、競艇などに入れあげたあげく、金融機関から借金を重ねている者も少なくなかったからだ。正社員たちは言うまでもなく、A君も、そういう同僚たちを少なからず軽蔑していた。
A君は、そんな同僚たちとは裏腹に、どう逆立ちしても多いとは言えない給料の一部を毎月着実に貯金へと充てていた。そしてそれが一定額以上貯まったとき、念願のノートパソコンを購入してプログラミングの勉強にいそしみ始めた。同僚たちが街へ酒をあおりに行っている週末の晩も、彼はプログラミングに没頭した。
A君がたまたまインターネットで公開したオープンソース・プログラムが世界中から高い評価を受けだしたのが、A君がプログラミングの勉強を始めてからわずか半年後のことだった。A君のところには、各種メディアから取材申込が殺到するようになった。こんなことがあると、通常は同僚たちから妬まれたかもしれない。でも当の同僚たちは、プログラムとは何かすら理解しておらず、ましてやパソコンさえ触れたことのないような連中ばかりだったので、妬みようがなかった。
付け加えるなら、A君が所属していた工場のトップは、自身の作業環境をここぞとばかりにマスコミに向け自慢したものだった。「ウチでは、自己啓発の機会もあるんですよ!」むろん、A君個人の努力にはいっさい触れずに。
A君のプログラムの評価は加速度的に高まってゆき、大企業の基幹システムへの採用で前代未聞のパフォーマンスをたたき出したという成功事例が報告されるまでになった。
そんなA君のところに、アメリカの、いや、世界的に有名な技術系の大学から留学の誘いのeメールが届いた。その上、無審査で奨学金を、入学金や居住費などを含めた全ての必要な額の分支給するとまで言うではないか。A君がそのオファーを受け入れたのは言うまでもない。A君は、勇躍アメリカへと旅立った。
・・・早いもので、A君が留学してからもう4年が経った。
A君は、留学先でその天才的な才能を遺憾なく発揮したため、たった4年間で修士号まで取得してしまっていた。A君は、期間工だった自らの境遇などすっかり忘れていた。これからはこの才能を生まれ故郷の日本で活かすときだ、A君は真剣にそう考えながら帰国した。
おりしも、A君が留学していた間に、アメリカの大手証券会社の破たんに端を発する世界的な経済不安が日本を支配していた。ネットのニュースでも、派遣労働者が多く解雇されたという話題が流れていた。ふと、A君は以前の自身が置かれていた境遇を思い出した。でも、今の俺はあの頃の俺とはまったく違う。A君は、不幸な目に遭う過去の自分と同じ境遇の者たちがあたかも他人事であるかのように、ザマアミロという感情さえ抱いていた。
とはいえ、A君も早く働き口を見つけなければならない。A君は、自分の能力をもってすれば、少なくともIT企業には破格の厚遇で就職できると信じていた。しかしながら、ネットの就職サイトでも、エージェントに頼ろうとしても、まるで門前払いのように拒否をされ続けた。
実は、A君が帰国したのは、経済不安の収拾に失敗した前政権が交代した直後の時期だった。経済不安は、言うまでもなく国家財政にも甚大なインパクトを及ぼしていた。そこで、現政権は思い切った政策を打ち出した。なんと、税収の確保のためになりふり構わぬ姿勢を取ったのだ。具体的には、禁煙行為の禁止(⇒たばこ税収入増の効果)、飲酒運転および飲酒勤務の許可(⇒酒税収入増の効果)、公営ギャンブルの奨励と増設(⇒馬券・車券等の収入増の効果)、といった施策である。
A君は、その数々の驚くべき施策を知りあっけに取られた。ふと、昔軽蔑していた同僚たちが今どうしているのか気になった。A君は、当時のケータイにまだ残っていた番号に電話を掛けてみた。電話の向こうの元同僚はいくぶん誇らしげな口調で言った。「今職務中でさあ、ちょっとカンベンしてくれない?んープレミアムビール超うめぇw」A君は電話を切られそうになったところを、もう少し食い下がって聞いてみた。彼は、今では国の出先機関のスーパーバイザーのような役割らしい。その他の同僚たちも、同じような職場を得たとのことだった。「俺らさあ、酒とかギャンブルとか大好きじゃん。借金もしてたし。だから国家財政への貢献度が高いとかナンとか言われてさあ、マジわかんねーんだけどw・・・」その後のコトバはA君の耳には聞こえてこなかった。
A君は、自身の置かれた立場の著しい不利にやっと気付いた。俺の4年間は何だったんだろう。期間工という立場を憎み続けた俺は何だったんだろう、と。そしてA君は、やがて来るであろう巨額な奨学金の返済請求に戸惑い、身震いするのであった。
相変わらず増田は恋愛や非モテの話でいっぱいだけど、再就職活動でいっぱいな今の自分にはちょっと無理、と志望動機書を書きながら思っていたので、ひさしぶりに増田に書いてみることにした。
(略歴やら何やらは以前のエントリーに書いたので省略しますね)
あれから転職エージェントに登録、いくつかのエージェントと会って、案件を見せてもらい、興味がありそうなところで個人的なコネがないところに関して2,3社だけ応募してもらった。1個は書類落ち、もう1個が面接まで進んだ。1個はまだ未定。
で、今日はその面接の第1回だったわけだが、久しぶりの面接は何をしたら良いのやら、すっかり忘れている自分に驚いた。何より驚いたのが、ネクタイの結び方を忘れていたことw いくらなんでもこれはないわ、自分。
面接で話をしながら、嫁(候補)と話していて整理したことを話してみたが、意外と理解してもらえるようだ。一つだけ論理的に整合性が取れないことがあるが、それは自分でも如何ともし難いものなので、運を天に任せる。
前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文のルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文のルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問のルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島も小笠原諸島も沖縄も返還されました。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争やグルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。
戦時中のアジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。
吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf
大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf
中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf
黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治(関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933
同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治(関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111
谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
「事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。
「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。
以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……
(追記)日本の新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html