はてなキーワード: ウェブとは
まず、著作権を無視していいか、と言われたら否。これは前提にして議論して良いんだよね?
その上で元増田は
「著作権無視の行動は止められない」
「オマージュされることによって作家にも『強いメディアによって宣伝できる』利益がある」
ので
「中途半端な文筆家やライターはウェブをもっと使いこなすべきだ」(元増田より引用)
と主張しているって理解で良いのかな?
理由の上二つには賛成なのだが、作家がこれを止める行動を否定する材料は三つ目の理由だよね?誰が面白かろうが、作家には止める権利もあるし。
となると意見としては「オマージュによる宣伝は利益となり売るか?」だな。
文章をオマージュしている人は元の文を読んでいるだろうが、オマージュを読んだ人は果たして原典を読むだろうか?原典の作者に興味を持つだろうか?サイトの来訪者が増えて作者に利益が生まれるだろうか?ネットで確固たる地位を築くことが何の利益になるのだろうか?
元増田はどう思う?
なぜお笑いブームは続くのか?
ttp://meinesache.seesaa.net/article/137310976.html
かつてのテレビ界には合い言葉がありました。「視聴者を巻き込め」というやつです。企画会議で必ず聞かされた言葉です。視聴者を、ただ受動的に番組を見る存在にしておかず、積極的な関与者にしろ(そう思わせろ)ということです。視聴者参加はその古典的な手法で、「電波少年」系の企画などは、その進化した姿です。送り手と受け手の間にあるテレビ画面という枠をいかに破壊するかということで、これは要するに、双方向性への希求です。テレビマンの腕の見せ所は、本質的に一方通行なテレビというメディアにおいて、それをどこまで擬似的に実現できるかにあり、テレビの進歩のエネルギーは、そこから生まれていたのです。
しかし、ウェブの登場ですべては変わりました。「視聴者を巻き込め」と、知恵の限りを尽くしてテレビが越えようとしていた壁の向こうに、きょとんとした顔でウェブがいる!そして勝手気ままに振る舞っている!この期に及んで壁を越えようとするのは、滑稽なばかりかテレビの存在意義を低下させるばかりです。そこで00年代中期からさかんにこう叫ばれ始めました。「テレビにしかできないこと」を探せ。
テレビ以上のものになろうとするのを止めて、テレビであることそれ自体の中に価値を見つけようというわけです。しかし、テレビにしかできないことは実はそんなにありません。なるほど局にはコンテンツ制作のノウハウはありますが、そこは何もテレビというメディアに縛られる必要はありません。テレビにしかないものを突き詰めれば、結局のところ過去へのノスタルジーと、華やかな芸能界と、大衆動員力に尽きるのです。
吉本ばななと居酒屋の話に似た、なんとも言えぬ嫌悪感をおぼえた。
ことの発端はこの記事のようだ。
それをサッカーバージョンとして紹介しているよくできた記事だ。
(ブログ主のajikuta氏はオマージュだと言っているが、これはインスパイア記事だろう)
nomuch
私の「オマージュ」はうれしいけど、ほとんど改変文なんだから
とコメントした。
なるほど、この記事はそんなにパクりなのかと思って調べてみた。
インスパイアしたと思われるのはこのページ(たぶん)
3500字程度中700字程度は似通った表現があったが、
そのほとんど(というかこの場合、サッカーにあてはめた部分)は
別にパクりではないということがわかった。
(イラストを転用している部分はまあ問題かもしれないが、ネットの世界では普通のことだ。ブログ主は謝罪し修正しているが)
能町さんご本人から画像の転用についてご指摘頂きましたのでイラスト画像を削除しました。
文言については「ほとんど改変文」とのことでしたが、改変していたのは一部なので
その部分100文字程度を修正または削除しています。ご迷惑をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。
完全なパクりでもないのに目くじら立てて
私は悪いが彼女の本も買ったことがあるし、たまにブログも覗いている。
それなりに好きだった。私もモテない系だし。しかし、今回のブコメやツイッターを見て反吐がでた。
# 私が非寛容なのか?いやそんなことはないよね。
私がすっごい著名人だとか私の文が人口に膾炙してるならともかく、
あの感じじゃいくら私の名前が書いてあっても著者のオリジナルの文に見えるよ。
もやもやするのはこっちだ。
口コミやバズといったネット世界のCGMの威力を全く理解していない。
ちょっとそれ私の著作よ!ふざけないで!なにしてるのよ!となるのだ。
それがインスパイアされて新しい記事が生まれるなんてのはごくごく当たり前の話だ。
それがまた話題になり、コメントされ、紹介され、さらに広がっていく。
元記事だってインスパイアされることでより価値が高まったり、来訪が増えたりする。
能町みね子はまずその辺のことがわかってない。
だから私のイラストや文章をパクりやがって!という被害妄想になる。
こういうインスパイア記事はなにより自分に跳ね返ってくるのに、
そんなことすらわからず批判するのだ。なんと器の小さいことか。
それともう一つ能町みね子がわかってないのは、ネットにおける己の存在感についてだ。
少々本を出したところでネットの世界で発言力を持つかというとそう単純でもない。
一部の女性に知られているだけだろう。
能町みね子がどの程度ネットの世界で存在感があるか調べてみた。
プロフィール/http://www.hatena.ne.jp/nomuch/
ブログ/http://d.hatena.ne.jp/nomuch/
ツイッター/http://twitter.com/nmcmnc
フォロワー56人
そういったことを認識せず、ツイッターでグチをこぼし続ける様は、
一切を発言せずブログ上での謝罪にとどまったブログ主と比べるべくもない。
もしブログ主がツイッターで1600人近くの人に対してこの件についてつぶやいていたらどうなっていただろうか?
今回のこのやりとりを見ていて、自分なりにいろいろと整理して書いてきたためすごく長文になってしまった。すまない。そろそろまとめよう。
こう言ってはあれだが、能町みね子をはじめとした
中途半端な文筆家やライターはウェブをもっと使いこなすべきだと思うのだ。
ちまちま個人ブログに対して著作権を訴えるようなことをしていないで、
いかにして自分をネットの世界で大きな存在にして、発言力を持っていくかを考えようよと。
多少は名前を知られている訳だから、ただの素人がブログを始めるのよりもよほどハードルが低い。
だからこそ、自分の中に眠るコンテンツを惜しみなくウェブで展開して確固たる地位を築くべきだ。
多くのアルファブロガーがそうであるように。
雑誌や書籍の世界にいて、ネットの世界を見下しているようではダメだ。
おいて行かれるだけ。もっと出し惜しみせずにいろんなことをネットに出していかないと。
無料で良質なものを出すなんて…とか言ってる時点でダメなんだよ。
今集まっていないのはまだ出し惜しみしているだけだからだよ。
大したことない権利を守ろうとしてないで、
もっとネットの世界に来て勝負してみなよ。結構勝算あると思うよ。
追記:
話にならない。>でも<でも=でもない。しかも世間の話というより書籍や雑誌の世界とネットの世界の話をしている。もう一度読んでみて。それぞれの世界でうまく立ち振る舞うべきと言っているんだよ。わかるかな?
画像転載がアウトとか言ってる人は、著作権ひっかかるようなサービスやブログ等一切見てないんだよね?ねえ?ネットの楽しさってそういうのほとんど関係無しでやってるところだよ?もうねこれはYahoo!がやってたらそりゃ責任とわれるだろうけどさ、個人レベルのブログとかにそんなのを求めるのは無理。CGMにおいては著作権とかあきらめるしかないんだよ。あきらめてCGMをうまく活用することを考えるべき。そっちの方がよっぽど生産的だと思わない?
転載っていう意味だと微妙だけど、たとえば芸能人の画像とか2ちゃんねるコピペブログとかではまったく著作権とか無視で使ってるよね?でも一番人を集めているよね?どうしてかな?たたかれることもあるだろうけど、それだけおもしろいとか評価されてるよね。Yahoo!ブログとかでしょうもない日記書いているようなブログでも普通にネットに落ちてるジャニーズやディズニーの画像挿入しちゃったりしてるよね、でそれを見た人が「かわいいですよね」とかコメントしちゃってる。それを止められると思う?無理だと思うよ私は。
いや、ネットの楽しさや特性云々以前の話で、オマージュされた本人が、され方に疑問を持ち、それを伝え、オマージュした方が修正をした。ってだけでしょ?
そのことをベースに、こういうことを考えた、という増田ですよ。ネット上の、特に個人ブログレベルでの著作権うんぬんにつっかかり、お先真っ暗な紙媒体上の既得権益を守ろうする人たちに対して苦言をていしているのですよ。ネットの世界をまったくわかっていない、とね。
どんなにネットが素晴らしかろうと、それを構成しているのは個々人でしょうに。
だからこそ、個々人がやるブログレベルに著作権うんぬん、転用うんぬん言うのはナンセンスだと思いませんか? あなたは能町さんと同じような考え方のようですね。ネットを知らなすぎます。なぜネットがここまで流行ったか、おもしろいと思われているのか、そこを考えたことがありますか? 著作権だなんだを個人レベルのブログにまで求めていたら、ネットはここまで流行っていないですよ。
このブログ主を止めただけであって、ネットの中の個人ブログとかどこまで追えるのって話。無理でしょうそんなの?ん?できるの?できるんだったら教えてほしいな。
あのさー、この元になった記事とか読んだ? 丸々ぱくってるっていう話じゃないし。著作権違反した方が集められるというのはブログ主側の意見としてはあると思うけど、著作者はそんなネットの中の著作権うんぬんを言い出したらキリがないよ、と言ってるのよ。インスパイアされて書かれるような個人ブログの記事についていちゃもんをつけるのはおかしいでしょ?と言ってるの。まずあなたはそこがわかってないね。上にも書いている通り、インスパイアされたりすることで自分にもプラスになる部分あるよって言ってるんだけどさ。もう一回最初から読んでみてよ。
あと、「著作権法」というものが何故あるのかも考えた方がいいと思うよ!
浅いなあ。そんなことは重々承知。で、今のネット界がどうなってる?YouTubeがどうなってる?なぜあるかなんてもうみんなとっくに考えてるよ。でも止められなくなってる。その現実について考えた方がいいと思うよ! 偽善でそんなこと言っててもしょうがないんだよ。これからこの状況をどうするのかを考えた方が建設的だと思わない?
これも浅いなあ。これまでのメソッドでしか考えられないのかな? それだとそういう結論になっちゃうよね。あなたは何かを生み出せるタイプじゃないね。そういう固定観念で話をしていないんだ。ついでに言っておくと、あなたは出版の世界のことも学んだ方がいいと思うよ。
広告批評No.333 2009.1月号 特集「テレビのこれから」
より一部転載
Q1 いまのテレビの姿(状況)をどう感じていらっしゃいますか。
Q2 日本のテレビ放送史上で、「これが私のベスト3」と思われるものを「報道系」と「バラエティ系」「ドラマ(映画)・アニメ系」のそれぞれについてあげてください。
Q3 デジタル化やウェブの連動によって、テレビに可能性が生まれるとすればそれは具体的にはどういうものでしょう?
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P66
64年生まれ。「ぴったんこカン・カン」「うたばん」をはじめ、数々のヒット番組をプロデゥース。現在は「NoTV?ButTBS」キャンペーンなども手がける。
1
テレビの可能性を語る事がそもそも時代遅れになっている。テレビを観なくなったと語る事で時代に敏感な人間であるかのような優位を感じてしまってるのではないか。しかし、テレビを創ってきたのはテレビの制作者だけだろうか? それはちょっと議論の余地がある。テレビを観る人々の思いも確実にのっている。それぞれの時代の空気をテレビが吸収して、成長してきたのだ。そこに限界が来ているとは思わない。ズレが出ているだけだと思う。制作者達は必死にそのズレを修正すべきだと思う。まだまだ可能性のあるメディアだと確信している。
2
【報道系】
「ニュースステーション」 (テレビ朝日/85年)
【バラエティ系】
「8時だヨ!全員集合」(TBS/69年)
「天才・たけしの元気が出るテレビ=」(日本テレビ/85年)
テレビの前に釘付けになった番組、テレビの前で熟狂した番組、そんな番組を選びました。そういう意味でジャンルは関係ないと思います。
3
そもそもテレビの可能性を語るよりソフト(番組)をどれだけ豊かなものにしてゆくかが大切です。ソフトをどこに出そうが、良いソフトは永遠に観てもらえるはずです。番組(ソフト)とはそんなに容易いものではない。それは通信の側の人々こそが、知っているはずです。ただ、デジタル化やウェブとの連動で観る人の求める空気を制作者が感じ取れるようになれば、より良いソフトを創ってゆける助けになるとは思います。
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マスコミが「犯罪者に人権など無い」と高らかに宣言しているように見えるからだ。
「そいつが犯罪者ならば好き放題に出来る。」と今年は幾らでも目の当たりにしたろ。
「ウェブ実況」も例外では無いな。
ただし、動画サイトを原則有料化すれば各種権利に対してペイ出来ないか?という話。
TVが犯罪に成らないのは要するに権利者に使用料を払ってるから。
そのカネは広告料から補充しているというのが建前。
動画サイトの場合は動画はとても管理出来ない量だ。勝手に挙げられて来るから。
権利に対して支払うには有料化しか無いと思うよ。
「一回再生につき幾ら支払う」という決まりなら自動的に決まるからね。
それに対して「コモンユース」だとか「フェアユース」だとかの話は
要するに「権利に対する費用は公開する事で得られる広告効果と相殺できるよね?だからタダで良い。」っていう話だが、
あからさまにムシが良過ぎるのは厳密な倫理規定が整っていないからだ。
ウェブはまだ過渡期だよ。ぜんぜん。
そういう女はゲームしてなくても体型に限らず高い理想を標準であるかのように当てはめてくるもんじゃないのか。
口の悪い女は暗黙の了解で許されている気がするが、ウェブでは許されていないぞ。
何よりそいつが男か女かも釈然としないからな。男女同権だ(笑)
誰も喰いつかねえな(笑)レイプとか浮気だとか非コミュとかには敏感過ぎるのに。
「商品/作品」って言うなれば「芸能/芸術」ぐらいの違いだと思う。
そして本来的にその2つに大して違いなど無い筈だが、どうしても違いを感じてしまう所。
「TVなんてファック!下らないんだよ!」という奴は大抵芸能嫌いの芸術好きで、
その逆は「大衆文化が受け入れられない奴はカスだよ!」という罵倒はたまには見るが、
ウェブの中じゃ大して見ないんだわ。これが。
で、これは一般にも有ると思うんだよ。
商品であろうが芸能であろうが、作品だと思いたいし、芸術だと思いたい。ってのは。
「オレだけの女が一番良いに決まっている」ってアレね。芸術だと思えば所有しているだけで気持ちが昂るのさ。
カローラとフェラーリぐらいの違いだ。両方とも車には違いないが、その枠組みを外す。何より自己主張が強い。
「要するに喰い時ってのは出来てから1年後、その頃には不具合の殆どが対策されている。」っての。
ただね、面白く無いと思うんだよ。生活必需品でもなく、汎用機械でもない物にそんな理論当てはめてしまうと。
...。ゲームの話だったな。FF13が売れている割には話題性が少ない気がする。確かにこれは黄色信号だ。
田舎ですらあんだけ広告の旗が立っていたってのに、もう撤去されてる。
因に、やった事が無い上で書くが、音楽はゲーム史上最高レヴェルにあると言える。
BGMにチープなピコピコ感が皆無。ってか寧ろ反転して、早速ロックともテクノともクラシックとも呼べない代物に仕上がっている。
「無駄に良い」という。通常戦闘のBGMが壮大過ぎて、ボス戦のBGMが変則過ぎる。
まぁ、商品に芸術を見い出せるか?って話だったな。失敬。
何か本当に増田で綾波レイみたいに意味深そうな台詞を一言だけつぶやいて去って行く人が住み着いているようだから口説いてみようか...。
「音楽業界は厳しい」というのは流石に言うし、思うが、だからといって「〜が売れない」とは口が裂けても言えない。
まぁ、他人事じゃない。聞けなくなるのはつらいから。というのがその理由ね。
ウェブでの配布と著作権がコンフリクトを起こしているのは伺えるんだけど、
「うたは実際に誰の物か?」というのは、簡単なようで難しい問題だ。
だが著作権を持ち出せばこんなの簡単だ。ペーパー上の問題になる。
明らかに作者の所有物であり、企業の所有物である。それを一先ず破棄してみよう。
「何をうたっているのか?」もうそれは愛する人へとか...。月並み過ぎるな。
失地。故郷と言うけれど、先の「売れないとは口が裂けても言えない」とはホントそんな感じ。
時に世代。時代で区切る。「70年代の〜」とか。青春時代。ノスタルジー。
だけどそれは成れの果てだ。その時代ではそんなんじゃなかった筈だよ。
「ジャズは大人の音楽だ」というのはフカシだからね。若い黒人がメッチャクチャな音楽をやっていた所に好事家が集まっただけ。
何か霧散してきたが、結局”うた”とは非在の響きであるという。その個性とは裏腹に、個人の所有物であることをことごとく否定する。
「ならばうたわん。我らの歌を。」カラオケで他人の作った曲が自然に歌えるのは、他人の物であって、自分の物であるからだ。
あとねぇ。何だ?「売れない」と言いたく無いのは「売ろうとしてない」と思われたく無いからだよ批評家君!!
ネットをしているとついつい距離だとか国境などを忘れてしまうが、情報を置いてあるサーバは現実に世界中に存在しているわけで、そこに至るまで今使っている情報端末からネットワークを伝ってアクセスしている。
今回はサーバの所在地やそのサーバまでの道筋を調べてみたいと思う。
aguseのサーバが大阪にあるので大阪から調べたいサーバまでの道筋を調べることになる。
画面真ん中あたりの「tracerouteを実行」というボタンを押せばサーバまでの道筋を見ることができる。
※分析結果のURLを貼るとなぜか自動リンクされないので短縮URLを使っています。
GoogleのサーバはGoogle本社の所在地と同じカリフォルニアにあるということが分かる。
社内にサーバを置いているのかもしれない。
検閲と何らかの関係があるのかもしれない。
アメリカから直接ブラジルに行くルートが無かったのかもしれない。
国内にサーバを置けるほど通信環境が整備されていないのだろうか。
ここまで見てきてウェブの世界にも力関係のようなものが見える。
どこの国のサーバに行こうにもアメリカのサーバを経由しないと行けないわけでサーバを封鎖すれば情報統制も可能になるかもしれない。
いやほんとね、ゲームが売れない売れないと言われてる原因の、半分とは言わなくても2~3割くらいは宣伝戦略のクソっぷりにあると思うわけよ。俺の主観だけどさ、「お前本気でこれで売れるとか思ってねーだろ!」と担当者の襟首をねじり上げたくなってくるような広告とかやってる奴いるじゃん。あれ何なの?ぶっちゃけPS3のアレとかさ。
Xbox360の「イチキュッパだし!」とかさ。
http://www.xbox.com/ja-JP/movie/cm2009/
CM見ただけでどんな内容/性能/機能なのかって、分からない奴の方が多い気がするんだが、どうなんだ。
たとえばPS3の場合さ、BDが再生出来るという当たり前の機能すらCMではまともに放送したことねえんだよ。ありえねえだろ?
この際WiiのCMとか思いっきりパクれよと。こんな感じでさ。
本気で普及させたいならこれくらい馬鹿丁寧に説明しなきゃならんと思うんだが。PSPだって、PSストアの存在知らん奴とか未だに多い、というか中高生で知ってる奴に一人も出会ったことないぞ。
分散コンピューティングやグリッドコンピューティングで計算が出来るからスーパーコンピュータが不要だという発言が、実際に計算を行っていない人からなされています。であれば世界中で一カ所に集めたスーパーコンピュータがるのはなぜか?分割した計算を最終的に集めて同期を取らないといけないから。
一方で、ウェブ分野では、分散コンピューティングによる並列計算や、それをサポートする技術に注目が集まっているのも事実。基本的には、PCで使ってるCPUコア単体での性能向上が見込めなくなってきたのが大きな原因ではあるけど、それだけじゃない。
早い話がGoogleのMapReduceで、全体の処理を部分に分割できるタイプの計算なら、並列計算を非常に簡単にプログラミングできるフレームワークが出てきている。この間同社がリリースした「Go」もそうだね。
Googleがこうしたアーキテクチャを用いるのは、基本的にはコストの問題。Googleのバックエンドは、新しいマシンを投入すれば投入しただけ規模を拡大できる「スケールアウト」型のアーキテクチャになっている。マシン自体もコモディティなパソコンがベースになっているので、新規導入コストが非常に安い。この辺は、典型的な「スケールアップ」であるスパコンとは対照的(例えば地球シミュレータは、アップグレードのために200億円近くのコストがかかったりしている)。
また、ランニングコストも非常に安くできる。壊れたマシンは自動的にシステムからパージされるので、後からそのマシンだけ取り替えればいい。省電力の意味でも結構有効らしい。
このシステムが苦手なのは、元増田が引用したように、まさに計算の同期が頻繁に必要なタイプの計算。ただ、そうでないタイプの計算に有効なのはもちろん、コスト面で総合的に上回ったりとか、アルゴリズムの改良で分散システムでも扱えるようになるとか、そういう可能性はないのかなぁ、ということは思っている。
というわけで、詳しい人突っ込んでくれ。