「言論の自由」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 言論の自由とは

2008-07-17

日本言論の自由はなくなってしまったのか・・・

小女子逮捕された件について

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1148332.html

本人はすぐに撤回してるにも関わらず、逮捕って正直やりすぎだと思った。

日本言論の自由が無くなり、

ケータイの固有識別IDで個人を特定できるし。

パソコンも誰か識別できるようになる?

もう日本未来も真っ暗だわ。

こんな時でもマッチョなら生き残れるのか!?

オシエテ増田

2008-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20080713125708

なんというか中学校公民からやり直してください感が満々なわけですが、一応言っとくと「多数決で決めたらなんでも押し付けていい」というのは単なる数の暴力であってそんなもの民主主義じゃないよ。大体、アローの定理を持ち出すまでもなく、民主主義が完全な政治制度じゃないことくらい誰でも分かってるわけで、しかしそれ以上にマシな意志決定方法が無いから採用されてるのは自明でしょ。文句あるなら外のやり方を提案してから言えっつーの。

そういうあなたのほうこそ勉強しなおすべき。民主制と立憲制混同してないか?基本的に数さえあれば押し付けていいというのが民主主義

それじゃだめろってことで憲法で歯止めをかけてる。憲法権力者への制約、つまり民主制下では多数派への制約。

あと民主主義といっても地方分権とか直接民主制の度合いとか議会の数や手続きもいろいろ違いがあるわけでその点をスルーして今の制度は民主主義だから今よりマシな制度がないかのようにすりかえるのはおかしい。もともとも話に戻れば、「公務員コネ採用をするな」「多数派が決めたらかといって勝手税金取るな」というのが代替案だからね。あたかも代替案がないかのように決め付けちゃだめ。

で、そもそもの話はそういうこと関係なくて、は単に公務員は雇われたバイトに過ぎないんだから「公務員サービス押し売りしてる」という認識は間違いだ、ってとこなわけ。でもってアンタは「多数決で決めたから公務員雇って無理やり金とってもいいという前提」と言ってるわけで、つまり「公務員がやってる」という認識の間違いはこっちに言われてこっそり修正かけてんのね。ほんとセコいっつーか。ホントならまずそこを訂正して謝罪で、そんで済んでる話じゃん。

いやいや修正はかけてないってどんだけ牽強付会なんだよ。雇われたバイトとはいえ、大まかに法律で決まってるだけで細かいことは役人裁量で決めてるわけだ。日本三権分立国民が主に影響力を行使できるのは立法だけで行政有権者に指図を受けずにやってる部分が立法府議員より大きい。今回の場合で言えば誰を雇うかはいちいち有権者にお伺い立てずに勝手に決めてるでしょ。にもかかわらず、議員に対する選挙権があるから行政府は常に国民の意向に沿ってやってるかのように言うのはほんとセコイ。実際国民希望と食い違いがあるから叩かれてるわけで。

まず「公務員を減らしたら税金は減るのか?」という、そこの認識がもうダメすぐる。日本公務員が圧倒的に多く、かつ日本が「大きな政府」をやっていて、それらを徹底的に民営化することが現在非常に必要とされてる…というならともかく、現状がどうなのか、少しは調べてみたらどうかね。この辺の単純な発想が、あんたの中で「税金」と「怪しい組織の上納金」の区別さえついてなさそうに見える一因なんだよ。「決して…ばかりというわけでもないはず」とか、えらい意味不明な後ずさりの仕方だけど、根っこのところにあるその「お上意識が滑稽だ、という話をしてるわけ。

ほかの国より多いかどうかに関係なく減らせば税負担が減るのは自明。それに実際問題怪しい上納金と思ってるよ。

選挙には行ってないわけだ。でもって文句だけは言う。それが江戸時代の庶民とどう違うというのよ。やれやれ。

それだけで選挙に言ってないと決め付けるのはおかしいが、選挙に行くかどうかと言論の自由は別でしょ。

選挙にいった人だけ文句をいえるとか憲法に書いてないだろ。自論に都合のいいときだけ憲法つまみ食いなんだろうけど。

アローの定理のように選挙だけで意思を伝えるのは無理だからこそ文句を言う意味がある。

選挙したんだから文句言うな、棄権者は文句言うなといって民主主義がどうのというほうがこっけい。

2008-07-04

言論の自由

すでに和解が成立している事に対して、やっぱり許せないと特定の企業の悪評を流している奴にそれはやめろと言ったら、「ヒント:言論の自由」と言われる。面食らった。企業に対する名誉毀損と感じるが、確かに言論の自由だから何も言い返せない。ヒント:って2ch風に書いてあるのがむかつくけど何か反論したい。

2008-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20080625044811

応じて求められる外見、身だしなみがある?ほう、じゃあそれはどこでどう規定されているわけ?それは単なる差別主義者の脳内にある「マイルール」に過ぎない。勝手に「みんなが認めてる」と言わんばかりに一般化しないように。そんなもの本来は「無い」。

あのう、無数の「マイルール」の集積が「社会通念」っつう奴だと思うんですが、いかがでしょうか。

その「社会通念」は道徳的に正しい・正しくないは別として、残念ながら「存在する」の。

まあ「社会通念」ってのがなんとでもいえるある種便利なバケモノみたいな存在なのは認めるが、

茶髪は軽そう」とかいう偏見は「ある」。

わかりやすくいえば、60過ぎたババァがミニスカート履くのも個性だが、「うわ、キメェwww」と思う奴に対して、

軽率で主観的で感情的な判断を下す人間の方がおかしいんであって、そいつらが認識を改める、差別心をなくそうと勤めるのが本来の筋だろう。

って言えるのか?

こちらの書き方が悪かったので、整理しよう。

60過ぎのババァがミニスカート履くのは勝手だ。

キメェと思うのも思う側の自由だ。俺は、そうう奴がいたらキモイと思う。

キメェと相手に対して言うのは、俺も当然NGだと思う。

だから増田は暴走してるが、

キモいのはそっちなんだからキモいって言ったっていいだろとでも?

という部分は当然当てはまらない。

ただ、増田がキメェと思ってる俺に対して、「あなたが婆さんに対してキモイ、と軽率で主観的で感情的な判断を下すのはおかしい、そういた認識を改めろ」とご忠告いただくのは、ご遠慮したい、というのが俺の立場だ。

また、ミニスカートはn歳以上の人は履いちゃいけない、なんて「規定」はされてない。どっかに書かれてるもんじゃない

が、「社会通念」として、例に挙げたような60歳のババァはミニスカ履くもんじゃないってのは、あるんじゃないかな。

それをいちいち、

「そんなものはどこにも書かれてない!60歳の人がミニスカ履いたっていいだろう!それに対してキモイなんて思うのは失礼だ!」

なんて目くじらたてるなら、俺は「ああ、個性主義者、フェミニストのねじ曲がったのがいるなあ」とスルーするしかな。

そもそも「差別」というのが言葉が適切じゃないと思う。

ただの偏見だったり、マイナス感情だ。

上の例でいえば、ミニスカ婆さんにキモイというのは差別だろうが、キモイと思うのはマイナス感情で、

婆さんはミニスカ履くなというのは、百歩譲ると偏見だろう。

まあそれこそ「マイルール」かもしれないが、差別って「思う」ことじゃなくて具体的な行動じゃないの?

個人的には黒髪が好きなので、茶髪金髪はあまり好きではない。

これは単純な好みの問題であって、差別云々じゃない。

で、当然相手が茶髪金髪でも別に対応は変えない。

金髪だったら多少面食らうが。

そういう俺に対して、それは金髪に対する差別だ、なんていうなら、

俺は増田に「思想統制はやめようね」とにっこり笑っていう。

増田の論旨としては、

「どんなファッションをしていようと、それに対して否定的な意見を持つことは差別であり、その差別はなくされるべきだ」

ってことかと思うんだが、俺はそれはただの思想統制思想統制って言葉が堅ければ、「好み押しつけ」だと思う。

具体的に金髪であれば、金髪をかっこいいと思う人もいれば、不快に思う人もいる。

不快に思う人が、金髪の人に対してなんらかの危害を加えるのはもちろん差別的だと思うが、

不快に思うことや、金髪はいかがなものかと意見を表明する自体は、保証されてしかるべきものだろう。

意見を表明するのも危害を加えることだ、なんていったら言論の自由って何よ、って話になる。議論が成り立たない)

応じて求められる外見、身だしなみがある?

社会人やってりゃ当然だろ。

えーっと、服装って、TPOにあわせるっていいません?

それこそマナーに関する本とか読んでら書いてあると思うんだけど。

2008-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20080610192336

非難するのも言論の自由だろ。

言論の自由というのは反論されずに自分だけいいたい放題言うことじゃないはず。他人の批判がいやならネットにアップせず意見チラシの裏に書いとくべき。

2008-06-09

もうブコメから死ねばいいのにを外しますよ。みなさんもそうした(ry

ブコメの運営のことでこれだけ悩んだのは久しぶり。いろいろ悩んだけどね。もうブックマークコメント欄を自粛しますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。ということにしました。

……引っ張りすぎですか、そうですか。

えぇまぁ、はてなサービスが、その存在が目障りで仕方ない輩により、閲覧の制限のリスクにさらされてる問題についてですよ。

件のエントリが、のっけから女子高生が受けた「死ね」と、"彼"がつけられた「死ねばいいのに」がまるで同列だよという調子ではじまってるが、この欺瞞は許しがたい。女子高生自殺は、死ねという言葉を書かれるような周囲の悪意を受け流す、能力の育成が間に合わなかった事にあって、「机に花びんを置くいじめ」状態に置かれた事を察知しなかったか放置した、周囲の大人の対応の不備という問題ですよ。"彼"のやってる事は、それとは全く違って、その事件で出てきた「死ね」というシニフィアン意味ではなく文字そのものってことね)が同じという点だけを援用し、つまり単に自殺した女子高生をダシに使って、自分への批判言説を「死ね」という言葉暴力と同一化した印象操作に他ならない。

普通に考えれば「とうふの角に頭ぶつけて死んでしまえ」や「いっぺん死んで来い」という言葉を使ったところで「死ね」等という意味に解釈する方があたまがおかしいのは分かるでしょ。「死ねばいいのに」という言葉は、「バカは死ななきゃ直らない」と同じく、無知蒙昧な寝言を言ったマヌケにあきれ果てる時に使う言葉であって、それを「殺人を示唆する」等と解釈するのは牽強付会もいいところなわけですよ。まぁ隕石にぶつかって死ぬぐらいには願ってるかもしれないけどw。エントリで名指しされた相手への捏造でも明らかなように、死ねと殺意に結び付いているかの如き虚構は"彼"の印象操作の産物でしかない事は確認しておきたい。

しかし、そうであっても、はてブ利用者としてそれで突っぱねていいのかという問題は別に考えましょうよといいたいのですよ。はてブを使っている目的を第一に考えるのなら、最重要事項は、さまざまな自由な意見表明そのものだし、その意見の内容は「死ねばいいのに」という言葉を使わないと表現出来ないものじゃないよね?という点を考えましょうよ。

日常より侮蔑的表現を他人に使い、中傷するのはもちろんの事、放送分野以外の経済科学社会分野で多々繰り広げる常識見解からかけ離れた珍説の引用で、一部のリテラシーの低い層に本当の真実(笑)欲求に対するマッサージを提供し、自殺した女子高生までも平気で自身の情報操作の道具にするという、常識に基づいた知性や良識に対し異様なまでの憎悪を抱く人物に、本意でない藁人形押し付けられて、その弁明を強いられてまで、この「死ねばいいのにタグを守る価値はないでしょう?

それが、ブコメから死ねばいいのにタグを外しましょうという主張の意味するところです。(こう言うと、往々にして手段が目的化しがちな筋の方々にとっては、「死ねばいいのに」は我々のひょーげんのじゆーの砦だー!ここで戦わないお前は葛藤が足りないとかいう人がポップする悪寒もあるけどなww←おっと、○ねばいいのにと突っ込んでしまうところであったwwww)

"彼"にとって今回、「死ねばいいのにタグを道具に言論の外側のルールを使ってはてなをけん制しようとしたという事は、結局は自分の主張に論理的な正当性に自信が無いことの裏返しな訳なのですよ。普段の自分の行為を平然と棚に上げて、今回のように外部の権力を使って圧力をかけようと目論む、このような言論テロリズムに対しては、いずれまた粛々と”対策”を行っていけばよろしい。理性的に、言論のルールに基づいて、上に示したような論理を示す事で立ち向かったところで、このような罵倒恫喝的な方法にイナゴのように飛びつくような品質の何万ビジターとやらを背後につけた虚像、もとい巨象の「殺人を示唆するタグ」というワンフレーズポリティクスと正面から対峙するなど、愚の骨頂ですよ、退いた方が合理的ですよ、とだけ言っておきたいのです。

また、単に"彼"相手の問題というだけでなく、検閲団体というこれまた言論の自由に対して理解力があるのかあやふやな団体により、実際に制限をかけられる可能性がある程度残っている限り、利用者としてはインフラ自体に対する被害を与える可能性を漸減させる可能性が(0.002%ぐらい?)あるならば、対応するのが道義というものだと思うのですよ。

PV非対称性の上に更に、言論のレイヤで解決すべきの話を、言論を担保する装置の話にに持ち込んで、コトの賭け金を引き上げた、言論に対するテロ行為は記憶しましょう。そして"彼"の行っている、数々の反社会的言説に対してはおいおい、本人が自ら言ったとおり、正統に、評判を落とし、市場からたたき出すために、教育の腑での地位や、言論の自由に深くかかわる組織の代表としての社会的責任を考えていただかざる得なくなるように、メッセージを出してさし上げましょう、お望みどおりに。

簡単に言うと、刃物を振り回しているキチガイからは逃げましょう。でもそのキチガイは後でちゃんと取り押さえましょうという話です。ということで、「もうブコメから死ねばいいのにタグを自粛しますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ」というくらいだなということは、変わりません。私は決めました。はてブには価値がある。でもその価値を維持するには不便もある。

こうですか><

2008-06-04

本当に責められるべきは誰か

最近青少年に対する有害サイト規制ネット規制)の法案が大詰めを迎えているということで、各方面とも随分盛り上がっているが、そもそものきっかけは何だったんだろう、と考えると、多分、「携帯電話フィルタリング問題」だったんだろうと思う。

完全に追いかけてるわけじゃないから100%合っている自信はないけれど、規制推進派の理屈

  1. ネット上にはいろいろと悪い情報がはびこっている
  2. 最近子供たちは携帯からネット繋ぎ、親の見えないところでなにやら悪さをしているらしい
  3. だから悪い情報に繋がらないように、携帯キャリアフィルタリングするべきだ

というようなものだったと思う。端折りすぎだが。

で、これが拡大して、受信側は携帯フィルタすればいいけど、発信側はPCだからそっちにも制限加えないとね、という流れで児ポ法強化+有害サイト規制の流れに至ったと記憶しているんだが、一番のツッコミどころのはずの、「じゃあネットに繋がらないケータイがあればいいんじゃね?」という点に誰も突っ込まないのはどうして?そういうケータイがあれば、ある程度親がイニシアチブ取れるよね?

日本のトップが「子供携帯持たせるとろくなことがない」とは言うものの、いつでも連絡が取れる、というメリットは大きいし、自分の子供に「何か」あってからでは遅いわけで、連絡や安否確認用の需要が相当数あるのは事実だと思う。

また、最近小中学生の間では既にメールコミュニケーション手段として随分浸透しているだろうし、それをいきなり「今日からだめ!」と取り上げるのもいかがなものだろうか。

ただ、webブラウザに限っては、本当に要るのかと言われると疑問符を付けざるを得ないと思うんだが、現状、国内で販売されているネット接続機能を持つ携帯電話において、通話+メールができ、ブラウザ非搭載という機種はWillcomnico.シリーズかX-Plate程度しかない(携帯3社が出している子供向け携帯はあくまでも「制限」が中心で、ネットには繋がってしまう模様)。あるいは、通話オンリーでまともな機種となると、それこそ皆無に近い。老人向け/本当に子供向けモデルはあるが…。

要は、選びたくても選べない。これはかなり異常な事態ではないかと思うんだが、誰も突っ込まない。じゃあこれはなんで?となるんだが、ドコモ決算書を見ればいい。

前年同期比で音声通話は10%の減収、パケット通信は10%の増収だってさ。これはau/softbankとも共通の傾向で、利益率まではわからなかったけれど、一般的な回線交換/IPの比較でいえば、データ通信の方が、投資額に対して利益が出ているはず。つまりは利益が出てるのに、なんでweb(=パケット通信)を制限する機種を出さなくちゃならないの?という話。

仮に、この状況で携帯キャリア一社でもブラウザなしの機種を出していれば、結構な数が出るんじゃないかと思う。ここまでネット危険だと煽られれば、子供にはブラウザなしの機種を選ぶ親は結構居るんではなかろうか。となると、おそらく携帯各社がメインターゲットとしている世代である、中高生パケット通信の多くが禁止されかねないわけで、そうなってしまっては各社とも財務基盤は軒並み悪化するものと思われる。そりゃあそんな機種出すわけ無いよなという話。

携帯各社は慈善事業で会社をやっているわけではないので、みすみす利益を逃すような端末を販売しないのは企業としては当たり前の選択だろうし、そうやって自ら自分の首を絞めるよりも、単に「フィルタリングしてますよ」、と低コストで外部に委託できるならそちらを取るのは当たり前だと思うので、それを非難するつもりはない。

ただ、大事なのは「選択肢存在する」ということであって、民間レベル運用次第で改善できることを、わざわざ政府が法を策定して、ある行為を一網打尽にするようなことはいかがなものかと思うわけで。仮にもインフラ企業であるならば、そこら辺は社会的責任として考慮してもいいんじゃないかなと思うわけです。

しかしながら、新聞テレビをはじめとするメディア各社は、普段は「言論の自由を」と声高に叫ぶ割にそういう動きをあまり伝えていないようだし、ネット上での話題もその辺に触れずにやれ政府が悪い、やれ言論統制だ、の一点張りで読んでるだけで疲れてくる状況。そりゃあ矛先が自社に向いてないのに、自社に不利になるような端末は出るわけないよね。

2008-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20080502103214

それを“法”として国がやるんだよ?

本やマスコミ検閲されている中で、インターネットは辛うじてまだ検閲の手が伸びていないんだが?

そもそも本やマスコミは建前では検閲などされていない。

言論の自由」「情報発信の自由」有名無実な建前だって絶対に必要だ。

建前すらなくなったら本当にこの国の行く末は中国にしかならない。

あんたが中国に問題を感じないというなら、そもそも意見が合わない。頭のおかしい人だな、と思うだけだ。

2008-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20080428234130

仰るとおり言論の自由(笑)とか人権(笑)とかを担保するのは国家権力でありその暴力装置なのだけど、なればこそ中国人が暴徒化したときに鎮圧できないような100人に満たない警官では全然足りないよね。

「たまたま運良く、狙い通り中国人が暴徒化しなかったので、たった100名規模の警備でも結果的に致命的な混乱はなく終わりました。余分な金かけずにすんでよかったですね。ちょっと市民が殴られたり、メディアに映った映像は異様なものになったりしたけどね。テヘ。」

本当に?

個人的には自衛隊一個大隊でも出動させるべきだったように思えるのだけど(ま、実際は混乱に備えていつでも非常呼集できる準備はしてたんだろうけど)。税金無駄遣いとか言い出す子もいるかもしんないけど、治安とそれが担保する人権やらなんとかの自由やらを守るのに税金使わずに、これ以上優先順位高い金の使い道って何?道路整備?

mixiにあった日記転載

聖火リレー、行ってきました。

まず皆さんにお願い。

この日記転載リンクして頂いてかまいません。

動画3つまでしか載せれないため、

動画ありと書かれたものは僕のメインページの動画にあります。

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。

Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。

町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。

僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、

彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。

善光寺参拝が終わり、街中へ。

とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。

ここで日本とは思えない景色を目にした。

出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。

警察の言い分。

危険だから」

じゃあ、何で中国人はいいんだ?

「......ご協力お願いします。」

は?

それやらせじゃん。

中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

その時の抗議の様子

この後TBSの取材が来た。

チベットサポーターの1人が、

日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。

アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」

と吐き捨てて消えた。

街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。

そこに中国人押し寄せ、罵声を浴びせてくる。

交差点中国人と僕らが入り乱れた。

突然Mちゃんが顔面を殴られた。

僕は殴った中国人ババアを捕まえて、目の前の警察に言った。

「こいつ殴ったぞ!!」

警察は何もしなかった。

ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。

警察と目が合った。

警察は何もしなかった。

ババアが僕の顔面を殴ってきた。

周りのチベットサポーターが、

「おい、警察現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」

と言ったのに、

警察は何もしなかった。

これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。

でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、

中国人が叩き落とした。

拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人

「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。

2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。

街中いたるところで抗議合戦。

救急車が来たり大騒ぎ。

僕らはひたすら抗議活動をした。

(動画あり)

雨が降ってきた。

それでも誰も抗議を辞めなかった。

中国人がかたまってる交差点を、

Tさんと旗を振りながら渡った。

沿道の中国人は蹴りを入れてくる。

とても沿道に入れず、車道を歩いていた。

警察が来て言った。

「早く沿道に入りなさい!!」

は?今入ったらボコられるじゃん。

なんで日本人の安全を守ってくれないの?

「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。

警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。

何故か中国人チベットサポーターに分けられた。

警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。

嘘だった。

ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。

聖火なんか、どこにもなかった。

目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。

こんな場所じゃ、声すら届かない。

数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。

国境無き記者団もこちら側に来させられていた。

代表がマスコミインタビューに答えていた。

(裏から撮影した動画あり)

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、

土砂降りの中僕らは叫び続けた。

この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。

MちゃんもF君も泣いていた。

こんなのってあんまりだ。

せめて伝えて欲しいだけなのに。

この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。

チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。

涙が止まらなかった。

内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。

涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。

悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。

平和だ、人権だと騒ぐ割には、

中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。

警察を使って。

帰りに携帯ニュースを見た。

聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」

聖火リレー日本人5人逮捕中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。

この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、

僕らが受けた痛みは、

彼らの悲痛な叫びは、

どこに反映されたのだろう。

警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、

そこをマスコミは撮影し、

中国人暴力を黙認して、日本人逮捕する。

これが日本のやることか?

ここは本当に日本なのか?

中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?

この国は最低な国です。

チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、

僕は彼らに謝りたかった。

初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。

これが真実です。

僕は日本政府中国以下だと思った。

弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野

そこには言論の自由はなかった。

歩行の自由すらなかった。

中国人を除いて。

追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。

報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。

動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。

マスコミの嘘つき。大嫌い。

FREE TIBET!!

追追記:コメントパンクのため、

新しい日記の方にお願いします。

また、コメントにあった質問等にもある程度お答えさせて頂きました。

こんな輩は猫猫先生に成敗されるしかないのか

http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080428/1209382243

俺は実名だろうが匿名だろうか言論の自由は守られるべきだと思うが

匿名なのをいいことに実名投稿者の職を奪おうとする輩は

自分の愚かさを理解すべきだと思う。

2008-04-28

世界最低の国、日本転載

引用元:

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143

動画

http://www.youtube.com/watch?v=-gaVNoTy9Pg

http://www.youtube.com/watch?v=FyRyFg0WmX8

----------------

聖火リレー、行ってきました。

まず皆さんにお願い。

この日記転載リンクして頂いてかまいません。

動画3つまでしか載せれないため、

動画ありと書かれたものは僕のメインページの動画にあります。

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。

Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。

町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。

僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、

彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。

善光寺参拝が終わり、街中へ。

とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。

ここで日本とは思えない景色を目にした。

出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。

警察の言い分。

危険だから」

じゃあ、何で中国人はいいんだ?

「......ご協力お願いします。」

は?

それやらせじゃん。

中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

その時の抗議の様子

この後TBSの取材が来た。

チベットサポーターの1人が、

日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。

アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」

と吐き捨てて消えた。

街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。

そこに中国人押し寄せ、罵声を浴びせてくる。

交差点中国人と僕らが入り乱れた。

突然Mちゃんが顔面を殴られた。

僕は殴った中国人ババアを捕まえて、目の前の警察に言った。

「こいつ殴ったぞ!!」

警察は何もしなかった。

ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。

警察と目が合った。

警察は何もしなかった。

ババアが僕の顔面を殴ってきた。

周りのチベットサポーターが、

「おい、警察現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」

と言ったのに、

警察は何もしなかった。

これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。

でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、

中国人が叩き落とした。

拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人

「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。

2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。

街中いたるところで抗議合戦。

救急車が来たり大騒ぎ。

僕らはひたすら抗議活動をした。

(動画あり)

雨が降ってきた。

それでも誰も抗議を辞めなかった。

中国人がかたまってる交差点を、

Tさんと旗を振りながら渡った。

沿道の中国人は蹴りを入れてくる。

とても沿道に入れず、車道を歩いていた。

警察が来て言った。

「早く沿道に入りなさい!!」

は?今入ったらボコられるじゃん。

なんで日本人の安全を守ってくれないの?

「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。

警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。

何故か中国人チベットサポーターに分けられた。

警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。

嘘だった。

ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。

聖火なんか、どこにもなかった。

目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。

こんな場所じゃ、声すら届かない。

数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。

国境無き記者団もこちら側に来させられていた。

代表がマスコミインタビューに答えていた。

(裏から撮影した動画あり)

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、

土砂降りの中僕らは叫び続けた。

この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。

MちゃんもF君も泣いていた。

こんなのってあんまりだ。

せめて伝えて欲しいだけなのに。

この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。


チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。

涙が止まらなかった。

内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。

涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。

悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。

平和だ、人権だと騒ぐ割には、

中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。

警察を使って。

帰りに携帯ニュースを見た。

聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」

聖火リレー日本人5人逮捕中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。

この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、

僕らが受けた痛みは、

彼らの悲痛な叫びは、

どこに反映されたのだろう。

警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、

そこをマスコミは撮影し、

中国人暴力を黙認して、日本人逮捕する。

これが日本のやることか?

ここは本当に日本なのか?

中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?

この国は最低な国です。

チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、

僕は彼らに謝りたかった。

初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。

これが真実です。

僕は日本政府中国以下だと思った。

弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野

そこには言論の自由はなかった。

歩行の自由すらなかった。

中国人を除いて。

追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。

報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。

動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。

マスコミの嘘つき。大嫌い。

FREE TIBET!!

#追記

引用元:

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143

動画

http://www.youtube.com/watch?v=-gaVNoTy9Pg

http://www.youtube.com/watch?v=FyRyFg0WmX8

2008-04-14

で、キミはいつまでその弱点を盾に言い訳をし続けるつもりなの?

いやさ、この前仕事で訪問したとある会社での話なんだけどさ。

30代半ばの課長さんがやたら挙動不審で話が全然進まなくてイライラしてたら

それを察知したのか「人見知りするタチでして…」とか言ってきたのよ。

俺、それ聞いてキレそうになっちゃったよ。

「お前、30過ぎて人見知りってありえねーだろ!」と。

いや、いいよ?別に人見知りだとか言っても。

言論の自由は保障されてるし、何か大きな問題を抱えていたのかもしれないし。

でもさ、30歳、40歳と大人の階段登っていって任せられる責任も大きくなる中で、

何も対策打たないままきたっていうのは、人として間違ってるんじゃないかと。

いつまでもそれを盾に自分の無能さをかばい続けるのって恥ずかしくないか?

そして、仕事に関わっている人に対して失礼だと思わないのか?って思うのよ。

俺なんて小学生時代は初対面の人と目があわせられないくらいの人見知りで、

なおかつ男のくせに人前に出ると泣いてしまうくらいの超アガリ症だった。

社会人になってからも人見知りはなかなか直らなかったけど、直すための努力は常にしてきたよ。

そろそろ30歳になるし、昇進も決まっているからいつまでも甘えられないし。

何より人見知りでアガリ症の上司を持つ部下のことを考えたら直さずにはいられなかった。

今は初対面の人ともすぐ打ち解けられるようになったし、

人前に出てプレゼンもこなせるようになった(ヘタだけどさ)。

だから、人に甘えられる弱点をいつまでも直さずに保有し続ける奴って

本当に情けないというか、よく生きてて恥ずかしくないなと思うんだよ。

「昔いじめられてた影響で人をなかなか信用できないんです・・・」

なんてことを30過ぎたオッサンが言ったらお前らどう思うよ?

「そうですか、大変ですね・・・」なんて反応するか?

いじめられてたっていつの時代の話だよ」とか憤るのが普通じゃないのか?

なんつーか、弱者として人に助けられ続けるのは楽だけどさ、

いつまでも優遇され続けようとするのって図々しすぎると思わないか?

2008-04-12

言論の自由って大切だよね。

映画靖国」騒動で言論の自由を声高に主張している人たちって、

長野県五輪聖火リレーの場で言論の自由が全うされるかを

当然注目してるよね!

2008-04-10

力には責任を求めるべきである

目に付いたんで書いておこう。

なお、初めに断っておくが、以下はプリンスホテルの対応の是非を述べたものではない。プリンスホテルの対応の是非において営利団体とか企業である事を理由とする事の是非を述べたものである。

いつから一営利企業は自らの損害も省みず言論やら集会やらの自由のために戦わないといけなくなったんだ?誰が、どんな資格で彼らにそれを強制できる?

責任転嫁も大概にしておけ

私は「一営利企業」を盾に逃げてはならないと考える。逃げてもよいか戦うべきかは、個人・企業営利などが理由になるわけではなく、自身や相手方、また起こった事件・事象などの、社会への影響力によって決まると思う。

つまり、「言論やら集会やらの自由」といった、社会的に影響のある事柄について、力のない個人や団体なら逃げてもよいが、経済力や発言力など、何かしらの力を持つものは立ち向かうべきだと思う。幾らかの損害があろうとも。

これらは、所謂市民社会福祉の名の下に行える権利であろう。

端的なのはマスコミ各社である。彼らも営利企業であるが、その大きな影響力には大きな責任を求めるべきであって、利益を求めてもよいが、それ以上に言論の自由は求めていただきたい。

他にも、大手と呼ばれる、大きな資本(経済力)を持つ企業には、率先して社会福祉に勤めていただきたいし、利益のために環境破壊してほしくない。

また、個人であろうとも同様で、大きな財力や権力、発言力を持つ人物が、安易な発言や行動をとれば批判される。元増田が批判するように。

プリンスホテルにそこまでの力や責任があるか?と問われると、私としてはわからない、となる。それほど詳しくないから。しかし、それなりに名の通ったホテルグループであることは知っている。だから、もう少し対応の仕方があったのでは?と、思う。それだけのブランド力は持っているだろう。

別の事例も少し。

つい最近バス車内で10分間の暴行の末に、人が殺されたという事件があった。これに対し、車内には他に30人が乗っていたが、誰もとめなかったとして批判があった。

刃物は持っていなかった様だが、暴力を振るうバカである。放置して正解であっただろうか。

30人を集団と捉えれば、ある程度の力を持つ集団である。一人の男くらいには立ち向かうべきであっただろう。しかし、個々は見ず知らずの他人と見れば、個人対個人であり、相手は人を殺すほどの力は持つ。放置して正解だったかもしれない。非番警官がいたら、なんら武器を持っていなくとも立ち向かうべきだったかもしれない。バス会社としては損害が出ても何とかすべきだったかもしれない。たとえダイヤが乱れたとしてもバスを止め、警察を呼ぶ、被害者に逃げる余地を与えるなど。

このように、(それは力の大きさに関連はするが)一企業一個人という理由ではなく、どれだけの力を持ち、したがって責任を負うべきかで見るべきだ。

2008-04-06

Re:Re:責任転嫁も大概にしておけ

http://anond.hatelabo.jp/20080406172307

ちなみにこの契約の話も書いたんだけど、長くなりすぎたので削除した経緯があったりする。

まず、契約というのは必ず守らなければならない、というのは間違い。我々にそんな義務はない。

もし契約というのが破棄不可能なものであるなら、契約を結ぶことは非常に難しくなる。

だって将来どうなるかなんて誰にも分からないでしょ?

典型例が航空会社ダブルブッキング。我々がチケットを買うのは契約の一種。でも航空会社は我々の席を平気で別の人間にも売る。統計的に何人かはキャンセルすることが分かっているからだ。もし計算以上に搭乗客が来てしまった場合、会社は謝り倒して別の便を用意して我慢してもらう。

これだって立派な契約の放棄。「俺は絶対にこの便に乗りたいんだ!」と全ての客が言うなら、航空会社は今よりもはるかに高い料金を要求してくるだろう。そうしないと商売が成り立たないから。

契約を守るというのは大切なこと。尊重するのは当然で、そう教育されてもいる。でもね、契約に絶対はないんだよ。

我々が契約を守るのは何故?契約を破ると失うものが多いからだ。違約金を払ったり、評判を落としたり、契約を反故にされた相手から報復を受けることだってある。「だから」契約は守らないといけないんだ。商契約は「約束は守りましょうねー」という理屈抜きのモラルの話とは訳が違う。契約を守るのには理由があるんだ。

逆に言えば、これらのコストを甘んじて受ける覚悟があるなら、我々は契約を破棄していい。そのコスト以上に得られるものがあるなら、それは極当たり前で合理的な商取引だ。世の中にどれだけ契約の中途破棄が溢れてるか考えてごらんよ。それは社会が柔軟であることの証なんだ。この柔軟さを失って得られるものと失うもののどちらが大きいか、考えたことはあるかい?

多分プリンスホテルは(結果的に)予想以上に評判を落とした。最終的にプリンスホテルにとってこの判断が合理的だったのかどうかはわからない。でもそれはプリンスホテルの問題であって、我々がどうこう言う問題じゃない(株主でない限り)。逆に、「政治理念よりも顧客を優先した」ことを評価している人だっているかもしれない(politically incorrectだから大声ではいえないだろうが)。それもまたプリンスホテルの判断。それに、判断の正しさを後付でグダグダ言ったってしょうがないでしょ?

もちろん、契約当事者である日教組は大いにホテルを非難すればいいし、今後は使わなければいい。それは当然の権利。プリンスホテルだってそんなことくらい覚悟の上だろう。でもね、それは第三者がモラルを云々する問題じゃないんだよ。我々が考えるべきことは他にある。

前のエントリーでこのことを書かなかったのは、学者の彼にそんな契約概念についての理解を要求するだけ無意味だから。

"平時にしたことを彼らが合理化できるなら、戦時においては同じふるまいを合理化することは一層容易である。"

彼はこの文章で悲憤慷慨しているつもりかもしれないけど、こっちにはほんのわずかにも響かない言葉なんだよ。わかってねーな、と思うだけ。ホテルルワンダという全く次元の違う問題を無理やりつなげて、自分の感情を正当であるかのように見せるあざとさは鼻につくけどね。それ以上に、その我田引水すら論理的に成功してないことのほうが腹が立つ。学者なら論理的にものを語れよと。

だから、ホテルマンの信条とか、そういう定義も良く分からないような便利な言葉で彼らに(日教組にとって有利な)モラル押し付けるような主張には賛成できない。それが、前回書いた「社会の問題を個人の問題に還元してしまう」行為なんだよ。昔どこかの新聞事故を起こした電車の運転手に「風の呼吸を感じるべきだった」みたいなことを書いて失笑を買っていたけど、それも同じ。医療関係者に「命を預かる聖職だから」と全力以上を要求する今の風潮も同じ。必要なのはより安全な運行システム、より有効な救急体制、それに「言論の自由に守られて他人の言論の自由を侵害する」今回のようなケースを排除する法整備だろ?

聞こえがいいだけの不合理な言葉で、個人や法人に責任転嫁する風潮はもううんざりなんだよ。

2008-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20080404081015

声ばかり大きくておつむの小さい国粋主義者のせいで日本全体の言論の自由が脅かされているという問題をどう解決するか、だ。

国粋主義者ブロガーに置き換えていい時代だろう。

今問題とすべきは、言論の自由を守るために"我々が"どれだけのコストを呑めるか

ネットリンチをしていたあの人の顔を思い浮かべた。

責任転嫁も大概にしておけ

http://anond.hatelabo.jp/20080404073011 の続きで、内田樹教授プリンスホテル批判について。

http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php

プリンスホテルの例にしても、靖国映画の件にしても、言論の自由が脅かされたのは事実

何故? 右翼だか国粋主義者だかが騒いで、それによって損害を蒙ることが予想されたから。

なぜヤクザまがいの連中の圧力を恐れなければならないか? 彼らが騒いでも警察が摘発できないからだ。

何故摘発できないか? 今の彼らの行動が現行法に照らして違法とはいえないから。

何故法整備をしない? 彼らの行動が政治活動として分類される(されうる)以上、その摘発には慎重を期さざるをえないからだ。

内容を聞いてれば分かる? そうは言っても警察が「政治活動」の内容を勝手に判断して差別できるわけがない。

言論の自由が脅かされたのは社会の問題だ。彼らの行動を掣肘できないのにはそれなりの訳があり、そのせいで日教組プリンスホテルも迷惑している。で、そこでなんでプリンスホテルが非難されるのかがさっぱり分からない。いつから一営利企業は自らの損害も省みず言論やら集会やらの自由のために戦わないといけなくなったんだ?誰が、どんな資格で彼らにそれを強制できる?もし法人にそんな義務があるなら、我々個人も目の前で街宣車軍歌を鳴らしていたら敢然と立ち向かわないといけないのか?

刃物を持ったバカが目の前に現れたら一目散に逃げるのが正解。もしかしたらそのせいで逃げ後れた別の人が怪我をしたり殺されたりするかもしれない。でも悪いのは逃げた彼じゃない。そういうバカを放置し、適切なタイミングで排除できなかった警察責任。それが出来るだけの予算と権限を警察に与えなかった政府の責任。そしてそんな政府を選んだ我々の責任だ。それを、"刃物を持ったバカを放置してはいけません。社会のために敢然と立ち向かいましょう"などと臆面もなくいえる人間の神経は理解を超える。

前から思ってたけど、日本人社会の問題を一個人(法人)に還元し過ぎる。そうして社会問題への対処がどんどん遅れていく。医療崩壊なんていい例だろ?明らかに個人の努力で解決可能な水準を越えてしまっているのに、この後に及んでも"医者がもっと頑張らないといけない"などと言っている人間がどれだけいるか。そうやって社会全体のマクロな問題から目をそらし続けるから、問題がどんどん悪化するんだろうが。

社会問題として考えなければならないのは、声ばかり大きくておつむの小さい国粋主義者のせいで日本全体の言論の自由が脅かされているという問題をどう解決するか、だ。主義主張にかかわらず、騒音を出す輩はまとめてブタ箱、でいいのか?(選挙カーや辻立ちの政治家だって例外じゃない。個人的には、日本の政治家一般の出す騒音は他国と比べて度を越して大きいので、この際一律規制しろと思うのだが)。それとも、警察恣意的に"いい騒音と悪い騒音"を判別して良いのか?バカを速やかに確保できるだけの警察予算、そのための増税を甘受できるのか?

社会にはバカが一定数混ざる。それをすべて取り除こうとすればさまざまなコストがかかる(犯罪者を確実にとらえようとすれば、監視カメラを随所に設置する必要だって出てくるし、監視カメラがいやならマンパワーに頼らないといけない=人件費ウナギ登り)。今問題とすべきは、言論の自由を守るために"我々が"どれだけのコストを呑めるか、であって、プリンスホテルがどれだけの頑張るべきか、じゃない。プリンスホテルを非難して事足れりとしている人間が入るなら、自分の行為がただの責任転嫁に過ぎないことを自覚すべきだ。

2008-04-03

中国プロパガンダとそれに対する反応

「ダライ・ラマは親ナチ」 中国大使館員が米議会工作 - MSN産経ニュース

はてなブックマーク - 「ダライ・ラマは親ナチ」 中国大使館員が米議会工作 - MSN産経ニュース

ブクマではやたら中国が「と」扱いされてるが、にされてるが、記事を読めば

ワシントン中国大使館議会対策を担当する書記官が米議会スタッフに対し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がナチスと深いかかわりを持ち、ヒトラーの友人と親交があったという情報を添付した電子メールを送っていたことが2日、分かった。

ということで、とりあえずナチのカギ十字の由来が「卍」なんてことが根拠ではないようだ(全文が判明するまではわからないが)。

ヒトラーの友人と親交があった」という部分で、これはハインリヒ・ハラーのことを言っているのだということがわかる。

ハインリヒ・ハラーヒトラーの友人、ハインリヒ・ハラーダライ・ラマの教師、よってダライ・ラマは親ナチ」という印象操作を行おうとしたものだと思われる。

これでも根拠はかなり弱いものだろうが、ブクマ想像されているほどには無根拠というわけではない。

ハラーのほかにもダライ・ラマBruno Beger - Wikipedia, the free encyclopediaMiguel Serrano - Wikipedia, the free encyclopediaのような、ナチネオナチとも交友関係を持っている。ついでに言うと麻原彰晃とも。(ピノチェトととも親交があったらしいが、はっきりしない)

もちろん、ダライ・ラマナチ以外とも親交があるし、当然ナチ以外との親交の方が圧倒的に多いはず。

……まあ、こういう風にダライ・ラマの交友関係を暴露して、そのカリスマ性を削ごうとしたんだろうが、逆効果になったということだろう。

中国大使館レベルでもこれか」と呆れる気持ちはわかるが、ただ、言論の自由が保障された先進民主主義国家である日本でも、かつてオウム擁護をした知識人が叩かれたり、政治家統一教会やら創価学会の関わりが取りざたされるようなネガティブ・キャンペーンが行われることは忘れてはいけない。

中国が「ダライ・ラマナチスと深い関係がある」という話を聞いて、条件反射のように即座に「トンデモ」と決めつけるのは、中国に対する偏見があることが理由の一つだろう。それから、このようなブクマの仕方は、実はオカルトが好きな自身の内面を投影しているんじゃないだろうか。

2008-03-17

自転車創業』の中の書いた人権擁護法案

在日朝鮮人差別を続けたいレイシストプロパガンダに脳をジャックされてアーアーやっちゃったー(>_<) ってな感じの『自転車創業』の中の人アレ立法の場で議論されている人権擁護法案にも複数あって、政府案のほかに民主党の対案があるという事実、その違いも理解していないご様子。南無??。

 

明らかに間違っている部分。

 

人権侵害」の基準が決まっておらず

 

間違い。侵害基準は法案第二条第三条、第四十二条などに明記されている。明記されているのに基準が決まっていないはデマ

 

ごく一部の人権擁護委員が「これは侵害だ」と言いさえすれば証拠不要で人権侵害として扱える点。

 

間違い。人権擁護委員は法案第二十八条に規定する職務以上の権限は持っていない。レイシストが批判している「特別救済手続」を実施する権限は“人権擁護委員会”にあり、合議によって手続きの可否が決定される。だから委員単独の職権で特別救済手続が実施されることは法案上不可能。完全なデマ

 

表現だけじゃなくて日常会話でさえ対象になる可能性は高い。

 

間違い。

日常会話の中で「在日は道を歩くな」みたいな差別“言論”をふりまいている“国民”は、通常は差別をしている特殊な差別主義者以外に考えられず、一般的な“国民”ではありえない。したがって一般の人の日常会話が特別救済手続きの対象になる可能性はゼロ

 

在日差別をこれまでずっとつづけてきた組織を支持しているような人がとつぜん正義をふりかざして「言論の自由を守れ」とか扇動しはじめることに違和感を感じないぐらい『自転車創業』の中の人の感受性が衰えているのだとすればとても残念だ。

 

自転車創業』の中の人まとめサイトは、差別したいという動機を持っている人によって運営されているが、そうではなく冷静に法律論として議論しているサイトもあるので念のため。「デマ情報にご注意を!」は必読。

 

人権関連法案に関するまとめの手助け(臨時)

http://news.2log.net/nwatch/

すでに日本人権関連法に相当する人権擁護関連国際条約に加盟しており、国内法整備の必要性が指摘されている。こうして無為な議論で立法が遅延し、行政の不作為が続いている間にも、人権侵害事例は続発し被害者が出続けている。

法務省案に問題があるなら、人権擁護制度の“対案”を示すべきだろう。それが立法が遅延したことで人権被害を受けた被害者にも納得できる誠実な議論というものだ。

 

http://anond.hatelabo.jp/20080317180917

Re: 言論の自由・表現の自由が制限されるのはとにかく嫌

犯罪者刑務所にぶち込むのは自由権の侵害になるのかなぁ。

…と思って、wikipediaで調べてみたら、

日本国憲法第18条では、身体の自由を謳いつつ、

犯罪に因る処罰の場合を除いては

って但し書きしてた。

 

一方、同21条(精神活動の自由)を見てみると、

表現とか結社の自由は、一切制限されない事が分かる。

身体の自由」は、犯罪による処罰の場合に限り侵害してもいいけど、

精神活動の自由」を侵害する事は、無条件に禁止されてる。

 

どこから、この違いが生じるのか、誰か教えて欲しい。

精神活動の自由も、処罰の場合は制限して良いと思えてしまう。

(暴対法とか破防法の件もあるし)

2008-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20080315150411

際限なく広がるとか言うのは狼少年っぽいんだよね。

じゃあ個人情報保護法とか通信傍受法とかも大騒ぎされたけど、大騒ぎしてた連中がいてたような統制国家になったかというとそうじゃないわけで。

個人情報保護法とか通信傍受法とは質的に違う。あれは、法律の中で建前的に定められた手続きが形骸化した場合、悪用される危険があるという「総論賛成各論反対」的な話だけれど、児童ポルノ法改正の場合はそもそも改正案の枠組み自体が憲法違反だということ。

あんな粗雑な理屈マンガを禁止できるんだったら小説だって禁止できるし、児童ポルノよりもっと有害な「戦争」を描いた文書を禁止できない理由なんてない。そうすればたちまち星新一の「白い服の男」の世界の到来だ。

現実的にそこまでひどいことにはならないとしても、あの理屈自体がそれだけ有害なものだということなんだよ。だったら認めるわけにはいかない。

だって、言論の自由ほど民主主義社会において大事なものはないというのは北朝鮮を見ればすぐわかることで、その言論の自由を余りにも粗雑に扱った法律を作るというのは国の恥だぜ。こういうのはせいぜい自主規制で対応するしかないの。

俺だって例えば細木数子とか江原ナントカとかは放送禁止にしてほしいぜ?あんな有害無益な番組はないと思うから。でもそれをやっちゃおしまいだろ。

どの法律普通の人には利益となるものだろうし。

児童ポルノ法が改正されるとドラえもんあさきゆめみし児童ポルノになるんだが、それでいいのか?

これは必ずしも大げさな話じゃなくて、自分の子供が無邪気に裸で水遊びしてる写真を持ってるのも欧米ではやばいことなんだぞ。欧米(特にアメリカ)ってのは子供過保護なんだよ。そして、アグネス・チャン一派みたいな欧米崇拝主義者は自分たちの方が道徳的に優越してると思ってるから始末に負えない。

アニメの絵もしばしば修正されるし、ゲーム中の「酒場」は「カフェ」に変更されてしまってたりするし、タバコの絵は消される。

http://anond.hatelabo.jp/20080315141311

あんたはそう思ってても、そう思わない人間の方が規制推進派の中には多いわけでな。

奴らの理屈を認めたら規制の対象が際限なく広がっても文句が言えない。それが問題なんだよ。

実際、「内心であっても子供に性欲を抱くのは犯罪だ」と言ってる奴がマンガ規制を推進してるわけだろ。

世の中には、「(大人であっても)性的な想像の対象にされるだけでセクハラ」と思ってる奴が少なからずいるわけだろ。

だから、どこかで線を引かなきゃいかんのだ。でもって、道徳的なところで線を引くのは教会の中だけにしてくれってことだ。


ちなみに俺はいわゆるオタクではない。むしろ萌えオタは嫌いだ。あんな軟弱な流行に流されるだけの趣味が「オタク」の名を独占するのは鉄道オタクオーディオマニアに失礼だと思っている。だがそんなことはどうでもいいのだ。

言論の自由とはつまり、「私はあなたの意見には反対だが、あなたが意見を言う自由は命を賭けても守る」ということだからだ。

2008-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20080222075422

はてな真理

かつて死刑囚松本智津夫は、麻原彰晃と呼ばれ崇められていた頃にこういうセリフを吐いたことがある。

「私に対する疑念、それを煩悩と言う!」

京都移転を表明した jkondo こと近藤はてな社長、および彼を支持してやまない者たちは、まさに松本が主宰していた「オウム真理教」のごとく行動しているように見える。

jkondo および umedamochio が嬉々としながら行ったはてなアメリカ進出が仮に失敗だったとしても、誰もそれを責めるつもりはない。いやもし誰か責めたいという者がいるのであれば、今やアナクロニスティックな「日経ビジネス」の「敗軍の将 兵を語る」あたりで愚痴を開陳してもらえばよい。

ところが、経営的視点から jkondo およびはてなの行動を批判する者は、はてな真理教の教義に反するとして信者から叩かれるという構図が一部作られつつある。そして信者の勢力が拡大するなら、はてなを支持しながらも臆せず批判を行う層は「ポア」の憂き目に遭うかもしれないというところまで来ている。

はてな経営に関する議論は、言論の自由という基本的人権レベルレイヤよりもはるかに上方メタなところで語られるべきものだ。そこでは、現代の企業あるいはベンチャー経営に必要な新旧のノウハウの全てをもってして議論が尽くされるべきである。ましてやはてな利益を享受しているユーザであればなおのことだ。ユーザの批判は許さないというのは、まさにユーザを「ポア」する行為だ。

はてなが、何らかの経営におけるパラダイムシフトを成し遂げようとしているのであれば、それ相応の成果ないしは途中経過を見せて欲しい。Google創業者であるセルゲイラリーは、最重要ステークホルダーである株主意見すら遮りつつ「俺たちに任せておけば心配ない」と言い放った。jkondo はそこまで言えるか?否、である。皆 jkondo が心配で心配でしょうがないのだ。

はてなの将来に期待するからこそ、信者アンチという単純なくくりの下にアンチを黙殺あるいは「ポア」しようとするのではなく、はてなの持つビジョンを明確に説明してくれることを強く望む。

はてな村という限定されたコミュニティの中で大勢の支持者に取り囲まれている安穏とした状況では、umedamochio の言う「キャズム」を超えるのは永久に不可能だろう。

2008-02-06

ひとつこっそりと

ひとつこっそりと憶測を言う。適当に聞き流してくれ。

関係者はN(I)、P、そしてK察とU翼。

3月の申し込みから10月下旬まで、契約は全くトラブル無く進んでたわけ。団体名は最初から隠されていなかったし、街宣車が来ることも最初から告知済みだった。10月下旬には申し込み確認書がPから送られた。

ところが、一転するのは一週間後の11月。初旬にIに対して予約を白紙に戻す旨の話があり、一週間後には何かに追い立てられるように予約白紙通告。これをP側は「開催地に独自調査を行ったら反対規模が当初説明と違った(違って予想以上に大きいものだった)」と主張しているわけだが、調査に半年もかける…というより半年経って調査の結果が出る、というような調査に何の意味があるのか(トラブルを避けるための調査ではないのか)という問題に関して、疑問がぬぐえないし、だいたいそんな調査が進行中なのに確認書を送っちゃうというのもおかしな話だ。また「当初説明と異なるわけではなく、また対応は十分可能だ」という裁判所判断を考えてみても、このP側の説明に急ごしらえの後付感は否めない。

そこで考えられるのは、その一週間の間に発生した「圧力」。P側にこのような情報を入れ、多少無理でもそのように説明させた第三者の介入の可能性だ。実はK察に対してNが警備要請をしたのが10月中旬。ここが起点と考えるとだいたい辻褄があう。Kを通して流出した情報に基づき、具体的な会場への圧力がかかった可能性。そして裁判で係争中であるにも関わらず問題のホールをちゃっかり別に貸ししていたPと借りていた某有名調味料の名の企業。同社は10年ほど前に世間を揺るがす総会屋への利益供与事件で知られ、また取り締まり役は保守系団体の支援者に名前を連ねていた。

まあ、そんなわけでことは「単なる契約上の信義則の問題」にとどまらず、言論の自由、集会・結社の自由に抵触するような露骨な嫌がらせなのじゃないかという意見が出ているわけ。

ただ個人的には、ソレを言うなら最初からU系団体に直接言えと思うわけなんだけれども。迷惑を受けたはずのNですらPを責めるばかりでUを責めないのはどういうわけなんだぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20080205011002

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん