はてなキーワード: 気概とは
1976年刊。米国を代表する歴史学者ウィリアム・マクニールの主著で、その後のグローバルヒストリーの研究にも絶大な影響を与えた。ジャレド・ダイアモンドのベストセラー「銃・病原菌・鉄」のタネ本の1つとしても知られる。
本書で中心となるメッセージは、次の1点に集約される。「疫病の流行が、世界史の重要な決定要因でありつづけてきたのにそれが無視されてきた」ということ。昔の人類がいかに疫病に苦しめられてきたか、また疫病が歴史上の事件にいかなる影響をあたえてきたか、医学の発達した現在においてはそれらを実感することは難しい。史料の乏しさも手伝って伝統的歴史学ではこの重要な要因が無視されてきたことをマクニールは冒頭、痛烈に批判する。数少ない史料を補完するように、彼は一流の歴史家として培った卓抜な想像力を武器に、議論を展開していく。例えばこんな具合に;
・インド地域での諸王国はなぜ、なぜいつも外部から簡単に征服され、その征服王朝も短命だったか。その背景には、高温多湿な気候がはらむ高い厄災リスクが、各王朝の国力(人口)を削いできたからではないか。カースト制度も同様に、病原菌に侵された原住民への隔離意識というものがそもそもの発端にあったのではないか(上巻p160)。
・欧州の文明の中心が地中海世界から北部へと移動していったのは、長い間くりかえされてきたペストの影響が大きい(上巻p209)。西暦634年から、急速に拡大していったイスラム勢力に対して東ローマなど欧州勢が簡単にやられてしまったのも、542年以降に地中海世界に繰り返し起こっていたペストによってかなりの国力をそがれていたのが一因だ。
・その後、欧州でしばらく活動を休止していたペストは、なぜ14世紀になって思い出したように全ヨーロッパで猛威をふるったのか。それは大モンゴル帝国の影響がある。もともとヒマラヤ山脈を本拠地としていたペストは、モンゴルの同地への征服活動の結果中国に広がり、それが交易路に乗って1348年のヨーロッパに到着し大流行した。実際、1331年にペストは中国で流行。ユーラシアの草原部は1346年を軌に人の流れが止まった。その地にいた人が病気ですっかり死んでしまったからだ(下巻4章)。
・16世紀初頭。スペイン人が新大陸アメリカに侵入してきたとき、アメリカ原住民は天然痘などに為す術も無く犯され人口は20―25分の1に激減した。これは無理もない。ユーラシア、ヨーロッパ、アフリカ間の広大な土地がもたらす生物多様性の中で、繰りかえしの厄災をくぐり抜けてタフになったヨーロッパ人に比べると、アメリカ原住民はただの無垢なヒトにすぎなかった(下巻5章)。
そして現在、天然痘、ペスト、コレラなどの医学的対処法が完成し、新大陸アメリカのように無垢な住民が大量に存在する未開拓エリアも存在しない。つまり、私たちは数千年の人類文明史上初めて、疫病による大量死のリスクが消滅した時代に生きている。このことはもっと認識されていい一方、気を抜いてもいけないと著者は警告する。マッドサイエンティストたちが、有毒かつ伝播性の高い病原菌を作りだす危険性もあるし、地球温暖化の進行は我々と病原菌とのバランス(均衡)を崩すかもしれない。また今後起こりうる地球外生命体との接触は、我々人類に全く新しい疫病をもたらすかもしれないのだ(下巻6章)。
強く感じさせられるのは、この難解かつ前人未到だったテーマに果敢に挑んだ著者の気概だ。特に、紀元前のころの疫病の影響については有用なデータがほとんど存在しておらず、事実上推測することしかできていない。普通の研究者ならば、こんな局面に直面したとき「やっぱりこのテーマ止めようか」となる。あるいは周囲からそのように諭される。にもかかわらず、これだけ自信をもって堂々と議論を展開している所に、何だか読んでいて勇気すら与えられる。清々しい本。
とっつき易いところだと、firefoxにvimperator入れて操作に慣れてから、vimってのが良いかもしれんね。
というか、責任感のある人がいないのが問題だってだけじゃね?
民主党の中堅は軒並み好き勝手を言うけど、面倒な党の運営とか若手を率いるとか言うことはやらない。小沢さんは若手の面倒を見たりとか色々頑張ってるとは思うけど、頂点に立つタイプでもない。鳩山さんは(お坊ちゃん育ちどうこうはさておいて)、人格的には結構正直というか誠実な方だし責任感もある方だし、消去法でいけば民主党の中ではあの人が首相で良かったのかもしれないとは思うところ。
自民党は自民党で、日本をずっと支えてきた政党の割には、自分こそが日本を支えるんだという気概を示せる人間がおらず、評論家ばかり。麻生さんは、俺は決して悪くないと思うけど、だからといって頂点に立って色んなものを背負って引っ張っていくタイプでもないように感じる。
他の党はもっとひどい。
ということで、下らない駆け引きはうんざりだから、ちゃんと信念なり責任感なりを持って日本を良い方向に導くんだという気概のある人間に出て来て欲しい。
現状、俺もそういう人間はいないかと市会議員等々のレベルから色んな人に会ってるけど、日本を率いる器とまでは思えない人ばかり。(俺が偉いだとか見下すとかいう話じゃないよ、念のため)
常に一緒にいるような友人はクラス内におらず、高校から一緒に進学してきている馴染みの者しか、友人と言えるようなものがいない。そしてその馴染みの友人と言うのが全て別のクラスに在籍している。つまり一緒に授業を受けるクラスメイトがいないし、どうでもいい話ができるようなクラスメイトもいないということだ。かろうじて知り合い程度の、たまに瑣末な情報交換ができる程度の「知人」が数人いるばかりである。
彼はクラスの中で孤立している。留年した過年度生かと思われるほどの浮き具合である。いや、それならばまだ諦めがついていたことだろう。同世代のクラスメイトがいないのであればまぁ、しょうがないよな、と達観できたであろう。彼は他の大多数のクラスメイトと同時期に入学し、大多数がそうであるように現在二十歳である。残念ながら。
なぜ彼に友人がいないのか。それはおそらく、友達になろうという気概を彼が他者に対して積極的に向けなかったからであろう。無理に友人を作ることはない、今は他にやるべきことがある、それを終えてからでも遅くはないだろう。という考えが1・2年時の彼にはあった。彼が言う「やるべきこと」というのは、アニメを見る・バイトをする・本を読むなどなどの他者から見れば友達を作れないことへの言い訳めいた事柄ばかりである。この時点はまだ友達ができるか分かっていない状態だから、友達が作れない『かもしれない』という恐れから「友達は作れないんじゃなく作らないのだ」と言い訳するために作った事柄に見える、と言ったほうがよいだろう。
では実際はそうではなかったのかというと、彼にも確かなことが分かっていない。
大学入学前から彼の心には不穏な何かがあった。入学直前の休みの間、彼は形容しにくい焦燥感に駆られていた。ちょうどそのころ進学に伴い好きな女の子と離れ離れになってしまうし、告白はしたが遅すぎたというやや落ち着かない状況でもあったから、心がぶれてもいただろう。新天地である大学へ前向きに進んでいくような心を持てていなかった可能性はある。なおかつ彼はどういう理由で大学へ行くのか、大学の向こう側にどういうビジョンを持つのか、自分なりに答えを定めていなかった。周りの人々や情報に身を任せ、自立ならぬ他立でもって過ごしてきた彼に、志や譲れない何か、まして断言できる事柄なんて、頭の中にも腹の底にも無かったのである。
それでありながら彼はたまたま大学に受かってしまった。高校もなんとなくで受かっている。そこで高校もしくは大学に落ちていたら何か変わっていたかもしれない。流されるままの自分を見直す時期に恵まれていたかもしれない。言っても仕方のないことを言うのはそろそろやめておこう。流れに身を任せるだけの生き方を選んできた彼の自業自得だ。
そうして彼は流されるままに大学へ進んでいかざるを得なかった。自らの足をどこへ向け歩ませればよいのか、どうにもはっきりしない。今の僕の中にあるもやもやがそれである。
彼が求めているものはなんなのだろう。希望を見出せる未来だろうか?それとも一緒に歩んでいける友だろうか?それは彼には判らなかった。だからこうして文章を書いている。分かっていただけているだろうが、「彼」とはここまで文を書いてきた僕である。主語を僕とか私とかにするとどうにも正直に書けない。一応ここまで書いてきたことは、自分の中では極めて客観的なものだと感じられる。僕はこうして自らを「自分の中の他者」の視点から書くことで自分をしっかり見つめ直そうと考えた。ゆえに書いた。
研究者をやっていて思う。
「お客様の喜び」とは何だろう。
だが、作ったものはいずれお客様のところへ流れていく。
だから、「お客様の喜び」を得られないわけではない。
だけれども、それはとても見えにくいものだ。
そもそも、お客様は企業を思い出しさえすれ、特定の個人の思い出すことは無いだろう。
別にそれだってかまわない。喜んでさえいれば。
営々とした研究開発の先に、最先端のデバイスなり素材なりが出来、近代社会を支える。
新しいパラダイムが生まれ、徐々にあるいは急速にシフトしていく。
研究者は客商売をしているのではない。
研究を通した、技術社会の支配を狙っている、といえるのではないか。
言葉は悪いかもしれないが、私はそういうものだ、という認識を持つようになった。
だからこそ、「ずれ」は気づかぬうちに、研究者とお客様の間に、修復不可能なほどに広がるのではないだろうか。
技術への固執は、支配へのこだわりと変わらない。
為政者へのそれと同じように、そのこだわりはお客様の嫌悪感や無関心を誘う。
今のソニーがそうであるように。
もう一度、原点に立ち戻らなければならない。
原点とは、まさに、原点。
「何も持たない状態」だ。
長谷は、同意を得るように滝の横顔を見た。滝も、「そうだ」と大きく頷いた。
参謀はその二人を見て呵呵大笑した。
「貴様たち、人の話は最後まで聞くものだ。我が盟友タイ国民を麻薬漬けにしようなんて考える馬鹿者が何処にいる。自分はかつて、満州や南京に赴任したとき、阿片吸引の悪弊を無くさせようとその方策を模索したことがある。しかしだ……。よいか、事を起こすに当たっては、まずはあらゆる可能性を探り、その中から最善の方法を選べばよい。さてと、貴様たちも、名前ぐらいは耳にしたことがあると思うが、山崎広助、そうバンコクで手広く貿易商を営んでいる山崎物産の社長だ。その彼が、自分に進言したことがある。彼の話によれば、ここタイの北部山岳地帯には、メオ族やアカ族など何十万人もの山岳民族が住んでおり、そのほとんどが芥子の栽培を生業としている。これを山崎物産の管理下に置き、生産の効率化と流通機構の整備統合を行えば相当の利潤を見込める。それをラオス独立運動の資金にされては、と言うのだが……。そこでだ、取り敢えず、長谷と滝には芥子から精製する成分の研究、分析を臨床学的かつ薬学的見地から早急に進めてもらいたいのだが」
「閣下、自分たちは軍人であると同時に、人の命を預かる医師でもあります。ラオスを植民地から解放し、理想の国家を建設することにはなんの異論もありませんが、その手段に麻薬を使うことだけは到底許せるものではありません」
「馬鹿者!」
辻参謀が激しく机を叩いた。
「滝、長谷、くどいぞ。芥子は本来モルヒネの原料だ。医者がその研究をして何が悪い。芥子の樹液を麻薬として使うかどうか、それは個人の良識の問題だ。酒に溺れる人がいるからといって禁酒法を強行できないのと同じことだ。高邁な理想を実現するためには、小を捨てて大を取るぐらいの気概が必要だ。麻薬を何処にどう捌くか、それは山崎物産がやることであって、貴様たちが関与する問題ではない」
勝谷誠彦さん 「小沢先生からカネを貰って何が悪い!ボランティアで講演をやれというのか!」
ttp://finalfantasy35.blog45.fc2.com/blog-entry-1716.html
1 名前: 三脚(鹿児島県)[] 投稿日:2010/02/10(水) 20:57:36.29 ID:hEGme+pY ?PLT(15000) ポイント特典
sssp://img.2ch.net/ico/3na.gif
●これまでの流れ
勝谷誠彦が命名した株式会社「世論社」の取締役に勝谷本人が就任
主に国会議員の公式サイト製作で収益を稼いでいるが、その国会議員のほとんどが民主党所属
↓
民主党の公約の一つがネット選挙解禁であることから、世論社と民主党との
黒い繋がりが指摘される
↓
ttp://blog.livedoor.jp/manguhsai/archives/1214812.html
↓
総務省が公表した政治資金収支報告書において、勝谷などワイドショーのコメンテーター十数人が小沢一郎氏の講演会に出席し謝礼を貰っていた事実が発覚
ttp://74.125.153.132/search?q=cache:N76C6vbe7VQJ:tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1265019162/+http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1265019162/&cd=1&hl=en&ct=clnk
↓
勝谷、自身の有料配信日記(2010年2月5日)で「これのどこが問題なんだ」などと苦しい言い訳に終始するも、同志である高橋茂さんが自身のTwitterアカウントを削除して逃亡
完全に八方塞 【← 今ここ】
> 私が小沢さんの会で講演してお金をもらったということをわあわあ騒いでいる人たちは、
> では貰うなというのだろうか。「いえいえ、タダでいいです」などと言うほど本当の意味で
> 媚びへつらう行為はないだろう。それとも小沢さんの講演は受けるなと言いたいのか。極めて
> 危険な考え方だが、そういうタコツボに住んでいる人たちが増えているのかもしれない。
> よほどのことがない限り、私は出かけていく。そんな機会ででもないと出会うことがないかも
> しれないし、私を呼んでみようという気概にも敬意を表するからである。
ttp://blog.livedoor.jp/manguhsai/archives/1242577.html
10 名前: 平天(関西地方)[] 投稿日:2010/02/10(水) 20:59:21.07 ID:fKpDFEHR
悪くはないが、それやって小沢をとことん擁護じゃ、
何言っても説得力はなくなる。
75 名前: しらたき(鳥取県)[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 21:06:08.86 ID:QyLr91Bq
»10で結論出てた
163 名前: ハンドニブラ(沖縄県)[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 21:14:42.24 ID:psF2G6w7
»10
勝谷見てるか?これに答えろ
気がついたら、アフリカがあつい。一時、アフリカに滞在していた身としてはどうにもスルーできない言説が多いので、ここに少し考えを。
アフリカの問題はとても複雑でシビアです。特に日本人にはよくわからないことだらけ。国際協力関連で3年ぐらい彼の地で生活をしていましたが結局よくわからないまま、未だに理解できないことも多いです。知らないことに関しては口を出さない方が良いと思うのだけど、やはり生活していた土地に愛着もあり、この思いを伝えたいとも思ったので、長文になりますが興味のある方には読んで戴きたいです。
まず、ちきりんさんのこのエントリーは読んでいて悲しくなりました。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207
よくわからないけどただこれだけはわかった、といって再植民地化が良いのじゃないかなあ、なんて暴力的すぎるんじゃないかな。アフリカの開発支援に関わった人がもしこのエントリーを読んだら、多くの人は悲しみや怒りを感じたりするのではないかと思いました。
そしてこのエントリ。
アフリカ大陸在住中 : http://anond.hatelabo.jp/20100209065146
この方は西アフリカ方面にいらっしゃるのかな?そう思ったのもヨーロッパという言葉がとても多く出てきたからだけなのですが、宗主国を限定されないようそういっただけなのかもしれません。自分がいた南部アフリカとは違う感じもありますが、通じるところもとてもあります。とても共感できました。
増田さんも仰ってますがアフリカと一言で言っても国や地域によって気候も言語も文化も種族も宗教も政治も経済も何もかもが異なります。この点については日本人感覚からは最も離れている、アフリカの現実の一つだと思います。アフリカ大陸の国や人々を一括りでアフリカと呼ぶことは、私たちが一括りでアジア扱いされるのと同じくらい乱暴なことかもしれません。私が関わっていた国には民族が2,3しかない国もあれば、100近くある国もありました。後者には公用語だけで10近い言語あり、同じ村にいるのに部族が違い、間に翻訳できる人が立たないと話し合いがスムーズに進まない場面に出会うこともあり、外部の人間としては国と呼ぶのも躊躇してしまうくらいでした。
そうした彼らですが、欧米先進国や日本、そして中国に対する考えや感情は一筋縄ではいかないとても複雑なものを持っていると思います。というのも、彼らの多くはこんな風に思っているように感じたからです。今現在生活できているのは多くがODAなどの開発援助や外国資本のサービスや製造品のおかげだ、だけどそのせいで国の一部の権力者や有力者が私腹を肥やしているのを知っている、でも彼らは独立の英雄だ彼らはすばらしい、だけど自分たちが貧しいまま生活しなければいけない、だから、おまえら外国人がもっとカネやモノを俺たちにくれればいいんじゃね。
そして、こちらのエントリーについてです。
「発展」と「アフリカ」 : http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100208/p1
難しいこともいろいろいわれていて、よくわからない点もありますが、結論はおおむね賛同いたしました。
自分もそうですが、本当に私たち日本人はアフリカの問題についてよくわかっていないと思います。アフリカ大陸の歴史背景や今おかれている政治力学、そして国際開発・援助ビジネス。当然それらのことは今の私たちにとって無関心な事柄でしょう。しかしそれは同時に多くのアフリカの人々にとっても、理解しがたいものであるようにも思えます。
私は某セクターで日本などからODAで落ちてきたお金を有効に活用するため、現地組織に入り込んで様々なプログラムの支援を技術的に行っていました。多くの貧しい人たちとも関わってきましたが、現地のプログラムコーディネーターやその上司のマネージャーやディレクターなどとも関わってきました。彼らの中で政府組織に属しているぐらいの立場の人は多くが代々の権力者であったり、裕福でコネがあったりとった特権階級に近い人たちでした。ただ単に政治家的にその地位にいる人もいれば、本当に優秀で頭の回転も速く常識もあり、その地域と国の未来を考えて行動している人もいました。しかし彼らと話し一様に驚き残念に思ったのは、そうした人を動かす立場と責任にある人でさえ、まずお金が外国から貰えることが当然だと考えていることでした。そして、その支援国や団体のいうなりのままだということでした。しかしそのことについて、支援する側の人間が彼らを非難できないとも思いました。
例えば、その地域の人たちに有効にサービスを提供するためどうしたらよいか、現地スタッフは様々な議論や調整をして企画を立てます。しかし、支援者はその支援理由や報告責任やさまざまな政治性やビジネスなどが関わって、現地スタッフの企画をそのまま受け入れることができないケースが多々あります。そしてその支援団体がそのような活動にお金をだせないといったらそこで支援は打ち切りです。サービスを提供できないだけでありません。彼らの給料さえなくなってしまいます。なので現地スタッフは当然いわれるがままになります。そういうことが何十年と続くうちに、自発的に地域や住民のことを考えて意見を押し通すような気概のなるエリートは段々少なくなってゆくでしょう。どうしても「支援する・される」という一方的な力関係が開発支援には生まれてしまい、現地の人々の自助努力が生まれがたい土壌になっていることは否定できないと思います。
そういう反省を含め開発支援業界自体も、「持続性」というキーワードの下、非支援国の自発的な活動を助長するような支援ができるよう工夫し続けています。しかし、持続性が形成されるためには社会の様々なセクターが有機的に関係し合いよい影響を与えあう必要がありますが、実際そうした広い視野を持って支援することはとても難しいのが現状です。例えば、田舎に学校を建てるということは、その地位の子供に教育を施すだけではなく、同時に教育者を育成するということでもあり、教育教材を作るということでもあり、教育そのものの内容を作るということでもあります。しかし、そのような広い視野での支援体制を長い時間をかけてじっくり進めるプロジェクトが始まったとして、果たして成功するのでしょうか。教育という国の根幹に関わるようなことに対して、じっくりと腰を据えて政治的にも経済的にも向き合っていける支援者が存在するでしょうか。私の想像する限りでは、存在するようには思えません。
まず、ODAなどは税金ですし、NPOやNGO、企業であっても、支援する側はその活動内容をきちんと報告しなければなりませんし、成果と結果が必要になってきます。なのであまりに大規模な支援はその先行きが読めない分、そのようなプロジェクト自体成立しがたいでしょう。また、以前に比べればあからさまではなくなってきましたが、支援側も多かれ少なかれ見返りというか利益を計算して支援しているところがあります。ODAであっても、その国の開発支援団体にその予算の一部が当然ゆきますし、都市インフラであれば自国に関わる土建屋や製造関係へお金が落ちるようになっていたり、保健セクターであれば薬剤などを通して自国の製薬会社にお金が回るでしょう。また被支援国の資源に関わる利権を求めるケースもあるでしょう。また専門分野の人材開発や研究などもそうした特殊地域でなければできないことも多々あると思います。そうした開発支援にかかわる政治性やビジネスがあっての支援でもありますので、あまりに大規模な支援はマネージメントしづらいので、やはり成立しにくいでしょう。
結局、アフリカの人々はそうした先進国の支援に振り回され続けているというのが現状なのではないでしょうか。なぜ今、自分たちが支援を受けているかといえば、かつて植民地化され支配された代償だというでしょう。代償なのだから貰って当たり前、求めて当たり前です。今まで奪う立場だったものが、与える立場になっただけ。今まで奪われる立場だった者が与えられる立場になっただけ。なのに、貰うばかり、ほしがるばかりで働かない、自発的に国が機能しないと責められても、自分たちが作った国でもないのになぜそんなことをいわれればいけないのか、彼らにはよくわからないのではないでしょうか。そもそも独立したときに勝ち取った国は彼らにとって必要なものだったのでしょうか。そしていま、代償として先進国のカネやモノをうけとっていますが、実際彼らは何を失ったのでしょうか。そしてそれは私たちが代償として払わなければいけないモノなのでしょうか。正直わからないことだらけです。アフリカの様々な地域の人々のそれぞれがそれぞれに、様々なことを思っているというのが現状なのではないかと今は思っています。
先日、島田紳助さんが司会をする番組で外務省を辞めNGOをたちあげ、スーダンへ渡り、現地で医療を施している川原さんという方が紹介されました。島田紳助さんのボランティアや支援に対する熱い思いが放送され続ける中、川原さんが二つとても心に残ることを仰いました。一つは治療などを現地の人にしても必ずお金を取ること。二つ目は正直むかつくことも多いけど、ここには小さいけれど未来を照らす明るさのようなものがあるということ。曖昧ですが、そのようなことだったと記憶しています。
長く紛争の続いたスーダンは未だに危険な地域と聞いています。そのようなとても限界度の高い地域にいても、医療サービスに対してきちんとお金を取るという根本的なことをやり続けることはとても大変だと思います。しかし、支援という名の下にモノとカネを垂れ流すことの無意味さ空しさを理解しているからだと思いますし、現地の人ひとりひとりと対等に向き合っているからだと思いました。払う払うといって逃げ続ける人、借金を踏み倒す人、そんな人もたくさんいるかもしれません。それでも、川原さんがそんな人々に未来を見いだしてしまうのは、なぜでしょうか。アフリカに限らず、東南アジアや太平洋州、南米などの貧しく何もないけど、ただただ自然はある、というような土地で暮らしたことがあるような方なら、具体的に思うところは違うかもしれませんが、この川原さんの言葉のいわんとするところはどこかわかるのではないでしょうか。
わたしの場合は、どんどん閉塞してゆく日本での生活を突き破り得るモノをアフリカで感じました。素朴さやふてぶてしさや狡賢さ、モノやお金や歴史なんてなくても何とかなるさ、生きていけるさ、死んだら死んだで悲しいけど仕方ないさと本気で思わせてしまう力。そうしたものを彼らから学びました。日本というか、先進国のフレームの内部でそんな意見をきいても単に痛い発言にしか聞こえないでしょう。でも仕方ないです。そう思ってしまったのだから。
最後にここまで読んで戴いた方に感謝します。そして、ここに述べたこともまた一増田の偏った意見でしかないと思ってください。まだまだ考慮しなければならない事や、語られなければならない事はたくさんあると思います。私が見てきたものもアフリカの一面でしかありません。そして結局のところ、世界がアフリカをアフリカという大きなフレームで見ている限りこの問題はどうにもならないと思います。なので、すこしでも彼の地に対する理解を深めてほしいと思い、自分の経験をこうして書きました。しかしやはり、狭い業界、特定されるのを避けるため、時や場所を明示せずに増田で語ったことを許してください。
アフリカでは今急激にインターネットインフラが整いつつあります。といってもまだまだISDNレベルの速度でも速いほうだし、利用できる人はアフリカ全体ではまだ1割もいないかもしれませんが、それでも彼ら自身の言葉がブログやソーシャルメディアを通して、彼ら自身の手によってどんどん世界に発信されていってます。私たちがインターネットを介して意識や社会が様々に変化していったように、彼らのそうした言葉を通してまた私たちと彼らの関係や、彼ら自身が変わってゆけば良いなと思うのはあまりに楽観的でしょうか。
転職貧乏で嫌なことから逃げ回っていたら、今年の年収が300万円切った。
大学まで出してもらって、親に申し訳ない。
元々社交的じゃないのに営業やって鬱になって、そこから逃げ回るようにして
友人のツテでたどり着いたのが今の仕事。
ただ親はそんな非社交的な俺をしってか、「今の仕事続けられるなら続けなさい」
「給料安くてもいいから」と言ってくれて、変な圧力はかけてこないのは
感謝している。
でも実際数字で見ると、人間的市場価値が低く感じて卑屈になってしまう自分がいる。
脱却する気概はないけど、このままじゃいけないかもと思う。
もう年齢的にやり直せないから、このまま一人で細々と人生を生きていくしかないのか。
1年4ヶ月付き合った彼女に、少なくとも2月中旬くらいまで連絡しないでほおっておいて、と言われた。このそもそもの原因はとてもくだらないお互いの勘違いから来ているんだけど、なんだかもうそういう問題ではないみたい。自分の経験からいうと放って置いてよくなることはほとんどないと思うし、放っておいたここ3日でかなり心に吹っ切りをつける準備ができたようだ。これは実質的にふられたんだろうと思う。
彼女の、他人の話を曲解して思い込み、それを自分の中のみで通用する価値観で判断するところがすごく嫌いだった。もっとちゃんと話を聞けばそうだって分かるんだろうに、と思っても誤解して勝手に怒り、泣く。そして自分の悪いところは見ないようにする。そして人をほめず、自分もほめない。そういう姿勢から分かる通り、彼女はうつ病になった。今はもうだいぶよくなったけれど。それが良くなったから俺は用済みになったんだろう。
逆に何が好きだったかと言えば、いっしょにいて話が尽きないところ。どんなことをやっていても、どこに行っても何とかなる気がしたし、戦友みたいな感じが強かった。家にいていっしょにご飯を作ったり、ゲームしたり、ごろごろしながらイタズラしたり、ぼやっと寄った本屋で立ち読みしたり、テレビ見たり、ゲームの話をしたり、世間話をしたり。そういうことだけで幸せだった。
最初は、もしダメな性格でも俺が直してやる、という気概があったけれどもはやすぐにそんな自信はなくなって、自分で自分をだましていままで付き合ってきた部分もあると思う。「俺はこの人といることでこれからもたぶん幸せなのだろう」という思い込みが、今まで自分のトリガーであり、モチベーションだった。イライラしたときには、別れるときは相手にすごく自分のことを好きにさせて、その上で思いっきりふってやろう、という密かな計画もあった。
ここ2ヶ月くらい、彼女がなんとなくキスを避けるような気がしていた。そして気づけば2ヶ月くらいセックスもしていない。お互いにいろいろ忙しかったのもあるけれど、なんとなくそういうことが続くと忌避すべき未来が待っているような気がして漠然とした不安を心の奥底で感じてはいた。それでもそれを埋める努力もせず、現実の上に乗っかって「別れることにはならないだろう」という過去からの類推だけで生きてきた。未来なんて何もわからないのに、それを作る努力を怠った。
冒頭で言ったくだらない勘違い、というのは電話。携帯が通話料高いのに、彼女はいつも電話を向こうからしてきてくれた。電話代は大丈夫なんだろうか、とかなり不安だったが、向こうが電話をかけたそうなので特に言わなかった。そうしたら実は、向こうは俺が電話をして欲しいものだと思い込んでいたようだ。俺はむしろ電話で長い間時間が取られる方が煩わしく、はやく切ってくれてもいいのに、と思っていた。もちろん最初の15分くらいは楽しいけれど、それからは無駄な時間だったと思う。お互いに向こうがかけたかったから、という理由だったんだなと思った。何も分かってはいなかった。
このまま行ったら結婚するのかもな、と思うこともあった。彼女は掃除も洗濯も料理もできない。そんなことは俺がやるから別にいいとは思うんだけど、「毒のある親」論理で行くと、うつ病の人の子供は高確率でうつ病になる。それから、誰に対しても厳しくほめない姿勢も非常に気になった。もしこどもができてもそれだったら、と思うと結婚は無理かもな、むしろやめたほうが客観的に見て思っていた。とても自分勝手だと思うけれど、こどもが不幸せになるのはたぶん耐えられない。
いろいろなところにまだ爪跡が残っている。サイトのパスワード。貸していた本。もらったお土産。渡せなかったプレゼント。そんなものは良いのだけれど、そういうのを見るたびに思い出す。思い出すたびに何か必要のない懐かしさを感じて哀しくなる。
この勘違い女!ばーかばーか!と言ってやりたい気持ちと、幸せになってほしい。という気持ちが半分半分。これから戻れる可能性は1%くらいだと思うけれど、とりあえずそれまでに自分を律するようになれていたら、と思う。この1年4ヶ月は結構楽しかった。ありがとう。ではでは。
過去、ソフトハウスの企業回りしてて、現在、製造業の企業回りをしていて思うのだが、どの業界でも、そうなんだなと思った。どんな業界にも面白い企業はあるし、つまんない企業はある。
傾向として、下請けばっかりやってる企業って、技術力の向上に励む気概を感じられないというか、おたくの代わりなんて、第三者の俺から見て、いくらでもいるでしょ!? と思ってしまう。従業員数はそこそこいるから、それなり企業かなと思ったら、烏合の衆なんだろうか。規模はちっちゃくても、尖ってる企業が強いと思った。
残念なのは、そういう魅力が外観からはわかりにくいということ。オフィスの見た目がショボくてビックリする。といっても、現状で十分だから、その必要がないのかな、どうなんだろね。
最近は、材料に凝った店をよく目にする。厳選された塩、とか選りすぐった肉とか。
ラーメンやらでも一つ一つの材料を吟味してよい物を使ったというふれこみの店が多い。
残念である。
これは一見手の込んでいるように見えて安易なことだ。ラーメンならラーメンのそのほかの料理ならそれのフォーマットはそのままで
優れたパーツをそろえることで美味を追求する。
ここには新しい味を創りだそうという気概がなく、あるものを整えて気の利いた作品とすることしか見えない。
私は日本人で、この国の文化が好きだが、たとえば韓国の幾種類もの材料を組み合わせて新しい料理を生み出すこととどれだけかけ離れていることか。
もちろん、日本の料理にも独創性の素晴らしいものも、新しい味の発見もふんだんにあると思う。
ただ、そこらへんの「厳選食材」の山で作ったさして評判にもならない店は、ただ上品なだけで陶酔するような旨さも無く、
食材の説明(効能書きとすら言える)からどれだけ旨いものが!と期待してもそれは缶スープと出来合いの麺による
昔ながらのチープでジャンクな中華そばの延長線上にしかいない。
30代女。
>1 相手のどこを好きになったの?
>2 相手の嫌なところは何?
>3 それを上回る魅力ってどんなところ?
>5 結婚した決め手は何?
>6 元々結婚願望があった?
>9 結婚して後悔してない?
>10 結婚できるならした方がいいって人に勧める?
『吾妻ひでお「けいおん観た。空虚だ。何もない。作る方も観る方もそんなに現実イヤか?」:アルファルファモザイク』
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51518538.html
吾妻ひでおとアニメ「けいおん」に熱中するような人たちとは相容れないところがある。アニメや漫画(あるいは映画、音楽、文学など)作品に求めるものが違うのだ。いったい吾妻ひでおのような人種は漫画などの作品に何を求めるのか?そのあたりの事を作家のカフカが実に的確に表現している文章がある。
僕は、およそ自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。僕たちの読んでいる本が、頭蓋のてっぺんに拳の一撃を加えて僕たちを目覚ませる事がないとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか?君の書いているように、僕たちを幸福にするためにか?いやはや、本がなかったら、僕たちはかえってそれこそ幸福になるのではないか、そして僕たちを幸福にするような本は、いざとなれば自分で書けるのではないか。しかし僕たちが必要とするのは、僕たちをひどく痛めつける不幸のように、僕たちが自分よりも愛していた人の死のように、すべての人間から引き離されて森のなかに追放されたときのように、そして自殺のように、僕たちに作用するような本である。本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。
吾妻ひでおの作品を読んだことがある方はご存知だと思うが、一見かわいい女の子がたくさん登場し、時には夢うつつのような世界が描かれる彼の作品は、実はあまり登場人物に感情移入をしたり作品の世界に安易に浸って気持ちよく癒されるような種類のものではない。徹底的に情緒を排し、醒めた意識によって構築された作品なのである。そして彼は基本的には、熱心なSF者らしく、今まで見たことのないような世界を作品によって作り出してやるという気概をもって創作に取り組むようなタイプの作家である。
あえて乱暴に言うと萌えアニメに感動しているのは単に(吾妻が指摘するように)フェティシズムと情緒に浸っているにすぎない。子犬が死んだら泣く式の条件反射だ。韓流ドラマに興奮するおばちゃんと一緒だ。傷つかない、ゆるふわな世界で気持ちよくなりたいだけだ。作る方にも読む方にも冒険を強要する吾妻ひでお(やカフカ)のような人種がやっている試みとは別の世界なのであり、萌えを求める人たちにとって、そのような冒険などは作品に必要ない要素なのだ。
吾妻ひでお「でも俺は描く前にもうひとつ考えるよ。マンガとは何かと。」
とりみき 「と言いますと。」
吾妻ひでお「マンガはこれでいいんだろうかということを1時間ぐらい考えて、それで明日締切りだからとりあえず描き始めるわけ。」
とりみき 「自分のマンガはこれでいいんだろうかということですか、それとも……。」
吾妻ひでお「マンガという表現がこれでいいんだろうか、まだ何かやれることがあるんじゃないか、というのを。」
『失踪するなら家のローンが終わってから』より※2
※1フランツ・カフカ著・吉田仙太郎訳(1981)『決定版カフカ全集第9巻・手紙 1902-1924』新潮社(P.25〜)
なんかむかつくんだよね
安く買っていながらよりサービス求めようとする
その厚かましさがさ
俺個人は買った製造元がどんなにサポート良くても
自力で解決するくらいの気概があるもんで