2010-03-13

研究と支配

研究者をやっていて思う。

お客様の喜び」とは何だろう。

私は某大企業研究員をやっている。

最終製品お客様に売る仕事ではない。

だが、作ったものはいずれお客様のところへ流れていく。

だから、「お客様の喜び」を得られないわけではない。

だけれども、それはとても見えにくいものだ。

そもそも、お客様企業を思い出しさえすれ、特定の個人の思い出すことは無いだろう。

別にそれだってかまわない。喜んでさえいれば。

営々とした研究開発の先に、最先端デバイスなり素材なりが出来、近代社会を支える。

新しいパラダイムが生まれ、徐々にあるいは急速にシフトしていく。

研究開発というものの喜びの本質は、そこにある。

研究者は客商売をしているのではない。

研究を通した、技術社会の支配を狙っている、といえるのではないか。

言葉は悪いかもしれないが、私はそういうものだ、という認識を持つようになった。

そして、そういう気概と、純粋さが世界を変えていく。

だからこそ、「ずれ」は気づかぬうちに、研究者お客様の間に、修復不可能なほどに広がるのではないだろうか。

技術への固執は、支配へのこだわりと変わらない。

為政者へのそれと同じように、そのこだわりはお客様嫌悪感や無関心を誘う。

今のソニーがそうであるように。

もう一度、原点に立ち戻らなければならない。

原点とは、まさに、原点。

「何も持たない状態」だ。

技術大国日本はいったん終わるべきだ。

そうでなければ、逆説的ではあるが、技術大国である日本は沈む。

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