はてなキーワード: 支持基盤とは
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パキスタン治安部隊は16日、スワット渓谷のタリバン指導者シェル・ムハマンド・クァサアルを拘束したと発表した。戦闘中に負傷した彼を拘束したもので、息子3人は戦闘で死亡した。クァサアルには懸賞金が12万ドルかかっていたほどの最高幹部の一人。
すでにタリバン広報担当幹部のムスリム・カーンとマームード・カーンを逮捕しており、最高幹部3人を拘束したことになる。スワット渓谷はパキスタン北方に位置し、タリバンが隠れ家として思う存分に利用してきた。パキスタンは米国の圧力に根負けしたかのようにスワット渓谷の制圧を決め、五月からの戦闘で18000名のタリバン兵士を殺害、付近への難民は180万人という。
兵力を北方に集中した結果、こんどはパキスタンの南方の治安が乱れる。カラチでは銀行強盗と財閥の誘拐が頻発、タリバンの仕業か、タリバンを語るギャングどもの仕業か、詳細は不明である。ただしカラチはもともと治安が最悪にちかく、ここから西のグァイダール港へ向かうハイウェイは路上強盗や誘拐犯が狙っている。中国人エンジニアも誘拐され、参人が殺害されたことがある。
さて米国では保守派ばかりか、民主党内部からもアフガニスタン戦争のオバマ路線に反対の声があがっている。皮肉なことに与党ではなく、野党=共和党の大半がアフガニスタンへの増派に賛成している。オバマのアフガニスタン戦争は、野党が支持し、与党がまもなく反対へまわり、政党政治の観点から言えばおかしな構造になる。
「勝利すること以外、米国の安全保障にとって破局をもたらす」とネオ・コンが叫んでいるが、共和党のジョン・マケイン、リンゼイ・グラハム、無所属のジョセフ・リーバーマンも連名で『ウォールストリート・ジャーナル』(9月14日付け)に寄稿し「勝利はあり得ない」と主張した。付帯条件は「決定的な圧勝をおさめる以外に米国の安全を確立する道はないのであり、そのために早急に増派せよ」だ。
レビン(民主党)も増派賛成派だが、訓練要員を大幅に増やしてアフガニスタン自前の軍と警察を増強せよ」という主旨である。一般世論は57%が増派に反対(CNN)、ワシントンポストとABCの世論調査(15日)は五分の一前後しか、増派に賛成していないことが分かった。
テロリスト撲滅戦争の大儀を賛成しているのは50%を切っており、下院議会の内密の事前調査では議員の13%しか賛成していないという驚くべき数字もでた。ペロシ下院議長はこの数字の公表を躊躇っているという。
流れが変わっている。オバマ政権の支持基盤の下院民主党もリベラルなマスコミも増派に反対し、「四十年前のリンドン・B・ジョンソン大統領の失敗を繰り返すのか」と詰め寄る。
オバマ支持率はマスコミの嘘放送を別にして、実際には28%前後。アフガンだけではない。「オバマケア」と俗称される健保プランに対してワシントンでは反対集会に数十万者人が集まった。アメリカ人の大半の関心はこちらの方だ。NOBAMAのプラカードも林立した。
「OBAMAのヘルスケア=ヒトラー+スターリン+カストロ+レーニン+ダースベイダー+フランケンシュタイン等々」。
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通巻第2718号
小泉のときより減っただけでこの逆風下でも小泉前より得票が多いとは。
地殻変動で自民党の支持基盤がどうの支持者が自民離れとかの分析って得票もろくに見ずにイメージで書いてるだけって事か。というより従来の支持基盤はつぶれたが、それを上回る支持者を獲得できてるということか?
年 | 自民 | 公明 |
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2009衆院選麻生内閣 | 1881万 | 805万 |
2007参院選安倍内閣 | 1654万 | 776万 |
2005衆院選小泉内閣 | 2588万 | 898万 |
2004参院選小泉内閣 | 1679万 | 862万 |
2003衆院選小泉内閣 | 2066万 | 873万 |
2001参院選小泉内閣 | 2111万 | 818万 |
2000衆院選森内閣 | 1694万 | 776万 |
1998参院選橋本内閣 | 1412万 | 774万 |
1996衆院選橋本内閣 | 1820万 | |
1995参院選村山内閣 | 1109万 | |
1992参院選宮沢内閣 | 1496万 | 641万 |
1989参院選宇野内閣 | 1534万 | 609万 |
「とある県の、とある県庁所在地住んでいる、20代後半男性「俺」の話」Part2国政選挙編を投稿しようとしたら意外と反応があり。実はPar1地方選挙編が増田初投稿でした。批判でも反応があると素直に嬉しいです。ありがとうございます。
応答を見ていると自分の考えに刺激を与えるものもあり、いくつかこっちからも応答しないとなー、と思ったのでPart2国政選挙編の前に、Part1地方選挙編に補足。もしPart1を見ていないなら、元増田を見てください。
現在の市長以前は、公共事業費>医療費≒人件費だった。だいたい、公共事業費が医療費≒人件費の1.3~1.4倍くらい。もちろん、年によって変動するが。
そして現在、医療費>人件費>>公共事業費≒市債償還費。今、以前よりも1割強削減したとはいえ、一番予算を占めているのは医療費。
しかし、この実績は評価しなければならない、と思う。
やっぱりこのエントリは、「とある県の、『とある県庁所在地住んでいる』、20代後半男性「俺」の話」なわけで。県庁所在地である以上、地方とはいえ、自分が住んでいる県では中核を担っている。したがって、県民が利用する施設が集まる。その中には、当然病院も含まれる。
つまり、県内のじーちゃん、ばーちゃんが市内の病院に集まる構造になっている。今の高齢社会の中では、どうしても市の医療費の増加は抑えきれない。多分、どこの県庁所在地でも同じだと思う。今後も、市の医療費は拡大し続けるだろう。医療費が支出のトップを占める予算は変わらないだろう。
もちろん、これは自分が住んでいる市の話であって、国政レベルの話ではない。だが、元エントリに書いた自分の市のように、地方自治体の財政赤字は、解消できる。橋下さんが率いる大阪府だって、実際に解消できている。広島東洋カープ的な自治体経営でも別にいいじゃないか、と思う。もう、夕張の教訓を忘れたわけではないだろう。
政治家は選挙をパスしないとただの人。だから、投票してくれる人には頭を下げる。結局、投票してくれる集団は、財政赤字を生む、財政改革の足を引っ張る利益集団となる。小泉さんや橋下さんのように、圧倒的多数の支持基盤がないと、大胆な行政改革は、怖くて実現できない。
↓読んでて気づいたこと
http://mainichi.jp/select/today/news/20090719k0000m010108000c.html
一部しか書いていないけれど、非常に気になるマニフェスト部分「派遣労働は無くさない」
だから「派遣労働者は無くさない」て訳なんだよね。
しかも経団連にとっては、派遣労働者という制度は「切り捨て」を容認している制度なので無くせない。
経団連にも労働組合にもどちらにもウケの良いマニフェストだよ。確かに。
票を稼ぐには、こいつらに従えば一定の票はもらえるもんな。
でも、地方にいくと、工場のパート労働やそれに準じた派遣労働者として工場勤務している人も多い。
しかも、地方にいくと目に付くのが、介護しなければならない高齢者を抱えている家庭が多い。
商店街の店のシャッターも殆ど閉まって、閑散としている。渋谷なんか戻ってくると、同じ国なのかと思うほどだ。
秋田の知り合いの家に遊びに行ったときに言われた「地方はおいてきぼりだよ」という言葉が、妙に頭を何度もよぎる。
こういう政策で、いいのかね。
そもそも、省庁が増えすぎて、問題が発生した時に、どの省庁に割り振れば良いのかの判断が難しくなった上に、複数の省庁にまたがった問題である事が判明した時に、天下り先が作れそうなら奪い合いになり、作れなさそうならば押し付け合いになるという状況にあきれ果て、縦割りがまずいという事で、複数の省庁をまとめて総数を減らしたのが、省庁統合である。
省庁統合によって大臣のポストも事務次官のポストも減ったわけで、死ぬ前に一度で良いから大臣をやって、自宅の門前に簡易交番を置いて警官に立番してもらいたいとか、事務次官をやってから天下りたいといった、筋違いの欲望を抑制しなければならなくなった。
小泉改革が、当選回数が多い大臣候補クラスの代議士や事務次官までもう少しという所まで競争してきた官僚にとって、蛇蠍の如くに嫌われていたのも、むべなるかなという所である。
それを引き継いだ安倍政権は、少なくとも、行政においては間違った事はしていない。ただ、国民の支持によって支えられているという支持基盤を、衆議院の3分の2という数字でしか認識できなかった為に、衆参同時選挙に踏み切れず、参議院で負け、直近の民意という錦の御旗を野党に奪われてしまった。衆議院の3分の2を振り回すのに、やたらと苦労ばかりするようになっていき、ついには投げ出さざるを得なくなった。
問題は、福田政権である。小泉・安倍時代の反主流派を取り込むために、消費者庁の新設という方法で、大臣級や事務次官級のポストを増やし、方針を転換してしまった。軽い神輿になり、小泉・安倍時代の反主流派に力を蓄えさせてしまい、あげくに、小泉改革を完全否定する悪役を押し付けられる状態になった。プッツン辞任と言われているが、そうでもしなければ、面子が維持できなかったのであろう。
小泉・安倍時代の冷や飯食いが主流派に返り咲いた麻生政権は、反動といっていいぐらいに、昔に戻っている。それも、森・小泉になる前の、財政赤字を膨らませてしまった小渕政権に近い状態にある。小渕内閣では6194億円分の地域振興券をばら撒き、麻生政権では2兆円の定額給付金をばら撒いている。小淵内閣では30兆円をバブル不況の景気対策に使い、麻生政権は事業総額75兆円をアメリカ発経済危機の景気対策に使おうとしている。
小淵内閣の時の30兆円にまるっきり効果が無かった事が検証済みなのに、なぜ麻生内閣はその倍以上の景気対策を行おうとしているのか。答えは簡単で、景気対策という建前を使って、選挙区や天下り先にじゃんじゃん現金をぶち込もうという話だからである。
麻生氏自身はこれで景気が良くなると信じているかもしれないが、回りで誉めそやし、協力すると申し出ている人々は、自分自身の景気が良くなるが、日本全体の景気がよくなるとは、微塵も考えていない。これでオラが地盤や金庫にごっそり金を引っ張れるとほくそ笑んでいるのである。
内閣人事局構想は、問題が発生した時に、その問題を担当する官僚を一人から複数名つけて調査させ、問題解決に必要な省庁に政治任命として送り込み、問題が解決したら、次の問題に当たらせるというやり方で、縦割りの省庁を横断して、問題解決に当たらせる為の手段でもある。
頭の悪い人のとりうる最善の策は、自分の頭を使おうとせず、頭の良い人の智恵を借りる事である。もっとも、自分の頭の出来が悪い事に気が付けないほどだから、悪い頭で精一杯考えて、正しいと思い込んで間違った事をやらかしてしまうのである。
小淵内閣の景気対策は失敗だった。しかし、2000年6月25日の第42回衆議院選挙は自民党の圧勝であった。2000年5月14日に、現職首相のまま小淵氏が死亡した為である。今年の9月までに行われる衆議院選挙で自民党が勝つ為には、同じ事をやる必要があるかもしれない。ばら撒きや地位は欲しいし、与党であり続けたいという欲深き人々は、どう動くのであろうか。軽くて馬鹿な神輿でも、使い方次第で役に立つ。もちろん、そうなる前に、福田氏のように逃げ出すという展開もありえるのだが、首相として外交がやれると有頂天になっているので、状況が見えてないかもしれないねぇ。
自民でも民主でも、究極 共産だろうと 理由とその確度なしに政権交代の是非は言えない。
『言うは易く行うは難し』から、言論だけで信用できないのは自民も民主も同じ。
とはいえ、”地方や農村・高年齢層”に支持基盤を持つ自民が今後とも政権を取り続け”地方や農村・高年齢層”に有利な政治を続ける事をいつまでも見過ごしていると日本が腐る。
とはいえ、”若年層・都心部”に支持基盤を持つ民主では、産業界含め実業界とのパイプの細さが問題。実際 政局を動かすに当たって”若年層・都心部”だけでは辛かろう。
なんというか・・・
支持基盤に有利な政策を辞めて、日本にとって長期的なビジョンとプランを持って公平な執政ができる政党というのが1番なんだが・・・ねーなぁ。とりあえず、選挙制度を全国1区にするとか、なんというか。選挙制度を何とかしないともうそろそろダメなんじゃないかと思い始める今日この頃。
米国外交は北京訪問が主眼、ヒル国務次官補(次期イラク大使)が同行
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ブッシュ大統領は、対中政策を発足時の「戦略的競合者」という冷淡な関係から、9・11以後は「戦略的パートナー」、さらに「ステーク・ホルダー」(ゼーリック世銀総裁)にシフトさせた。
劇的な変化はテロリスト対策と、後年は経済協力、とくに北京の保有する外貨の魅力に惹かれ、スタンスを変えたのだった。
ポールソン財務長官(当時)は、同盟国ニッポンの頭を越えて、五回も経済閣僚からFED議長を伴って北京を訪問し、「米中戦略的経済対話」を展開してきた。
チベット、人権、民主化その他の議題を付随的マターとしてしか扱わなかった。
民主党は人権抑圧の中国で五輪が開催されることは不愉快であり、ブッシュ大統領の臨席に反対したが、ブッシュは「政治とスポーツは別です」と行って、五輪開会式に出席した。
オバマ政権は準備段階から、[G2]関係に米中関係を格上げするかのように動いてきた。
しかしオバマ政権の支持基盤である民主党は、「人権」「民主」ダライラマ、ウィグル問題などで、先鋭的であり、経済重視外交姿勢に批判的だ。
ヒラリー・クリントン国務長官は、16日からアジア歴訪の旅にでる。
だが、最初の訪問国が日本だからといって「日米同盟重視」と考えない方が良いのではないか。
というのも、米国のメディアは「ヒラリー訪中」が主眼であり、記事中で「ついでに」、日本と韓国とインドネシアに「立ち寄る」というニュアンスで報道しているからだ。
▲ひょっとしてヒラリーは対日重視の腹が座っていないのでは?
しかもヒラリーに同行するのはクリストファー・ヒル国務次官補(ブッシュ政権で北朝鮮担当。“キム・ジョンヒル”と呼ばれた)。次期イラク大使に濃厚だが、バグダッド赴任前にヒラリーに同行する。旅行中、かれがヒラリーにレクチャーするらしい。
次期日本大使としてマスコミ辞令がでたジョセフ・ナイは、まだ大使を受けるかどうか、態度不鮮明。本人はインド大使を希望しており、となると対日問題でヒラリーに進言できる高官は不在である。
「オバマ外交の前政権の経済重視政策との再調整は環境、エネルギー問題とのバランスになり、チベットなど人権問題は触れるだけであろう」(IHI,2月12日付け)。
ヒラリーはところで、2005年に訪中した折にジェンダー・フリーで中国を猛烈に批判しており、その対中批判の過激なトーンを急にダウンさせることも考えにくく、中国はこの点を警戒しているという。
ステファン・ボスワース(現タフツ大学フレッシャー・ロウスクール学長)が次期国務次官補(北朝鮮担当)に任命される模様。米国は中国に北朝鮮問題での連携をつよく模索する現れ、と言われる。
既存政党に絶望したとか言ってる人は、本当に既存政党をちゃんと検討したんだろうか?
一番多いパターンは、多くのマスコミがそうであるように、日本には既に自民と民主しか無いかのように錯覚しているパターン。
(話が逸れるけど、2大政党制が正義だと思ってる奴も考え直して欲しい。現在の日本政界の問題点を全て多政党状態に帰責させる議論は果たして正しいのだろうか?2大政党制を称揚するのは、日本が大昔から政治学的にいえば2大政党1党優位であった事実から眼を背けていないか?)
もう一つ多いパターンは、小政党をラベル・レッテルだけで判断している場合。
なるほど公明党は創価学会が最大の支持基盤だ。だけど、公明党が議席を持っていることで現実に不利益があっただろうか?
なるほど社民党はフェミだ。だけど1つの借金をみて(利益を見ずに)収支が赤字だと断定してないか?
なるほど共産党は共産党だ。だけど、まさか共産党が与党となって資本主義が否定されるほど支持を拡大すると思っているのだろうか?
なるほど国民新党は…えーと…自民から出た割に野党っぷりが板についてるよなぁ。
なるほど無所属の会は…「会」作ったら無所属じゃないような…あ、滅んでたんだ。へー。
なるほど新党大地は…ごめん、オレ内地在住だからよく解んないや。
あと、まぁべつに投票しなくても良いと思うよ。
宣戦布告の理由は、大量破壊兵器を隠し持っているからという理由。すでに国内では公式にプルトニウムが100kg単位で紛失しており、20から50発程度の核兵器を作成する事が可能になっている。紛失したプルトニウムに関してIAEAへ紛失理由の説明などは行っておらず、不明であるという説明しかしていない。
アメリカの狙いは、日本が持つアメリカ国債。国債を売られては困るという理由もあるが、なんといっても国債の利子が痛すぎる。アメリカはこのままでは未来永劫、日本に国債の利子を支払い続けるのが困難なのだ。
自民党は選挙での負けが見えている為、戦争のどさくさを利用し、アメリカに裏で交渉を進める。もちろん戦時中なので選挙は停止。
そして無血開城する日本。裏の交渉を進めた政治家はGHQに重宝され、戦後もまた政治家として生き残る。
アメリカ国債は全て賠償金として奪われる。
GHQは自民党関係者以外の金持ちから不動産や財産を取り上げ、労働者に分配。一般市民から大きな支持を得る。アメリカ万歳。アメリカと交渉した自民党もまた大きな支持を得る。野党は財産を失い、支持基盤も失う。
金持ち(企業)から取り上げた日本国債(700兆)は日本国民に平等に配布される。1人500万円強となる。
こんな未来が待っているような気がしてならない。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090101AT3S3100J31122008.html
括弧は筆者が付けた
>>一方、連合の高木剛会長は景気回復に向けた内需拡大を支える(正社員の)賃金向上と雇用維持の両立をめざす方針を示した。
旧日本軍も真っ青な派遣1000人切りが各地で起きているというのに、この方は返り血を浴びても何も感じないのか、
内需拡大を錦の御旗にしゃあしゃあと賃上げと雇用維持を召し上げようという腹なんだそうです。原資は勿論派遣社員の給与で。
彼らは正社員の労働組合だから正社員の利益を要求するのは大変真っ当なことですが、それに対応する非正規社員の代表の所信が並んでいないのを見るにつけ
今後の労働政策が果たして望ましい方向に進んでいくのか一抹の不安を拭い去ることができません。
連合が民主党の支持基盤にあることを考えると、この先いつか選挙を迎えるに当たって誰に将来を委ねていいものなのか私は途方に暮れてしまうのです。
城氏の論考を参考までに
ただの誤字修正もあるが。
1行目が修正前、矢印の後が修正後の現在の文章。
→弾圧
→実権
折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。
→折伏とはもともと仏教の布教活動で、相手に迎合することなく対話を通じて仏法を伝えることをいいます。
→政党をつくって政治に本格的に参入したのは創価学会だけです。
なし
なし
キャッシュのURLはhttp://www.asyura2.com/08/senkyo53/msg/153.htmlにあったのをそのまま使った。
日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。
創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。
しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織の宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在は日蓮正宗と創価学会の関係はありません)。
そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。
戦時中の宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教も危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神的指導者として処刑されてしまうわけです。
いずれにせよ、政治の実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔な存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。
このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕・起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム・軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会・公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。
戦後、民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会のナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。
戸田は敗戦後、学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。
折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世帯折伏」を実行するよう呼び掛けます。
とほうもないように見えた計画でしたが、戸田が1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。
強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本の人口構造の転換に求めることができます。
農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。
そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。
こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長の戸田はまず1955年の統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。
これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田は政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗の開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。
1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員の社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。
折しも創価学会は特に左翼・革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼・革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会や学会員の社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。
いろいろ言われているように、戸田が国立戒壇、要するに僧侶に日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。
しかし戸田は学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年の衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。
この間、会長は池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選で公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。
この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さで頭角を現わすことになったのです。池田の会長就任は実に32歳の時です。
そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院の議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音(民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。
こうして創価学会と公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。
公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。
しかし1969年、公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。
このとき活躍したのが、当時自民党の幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。
自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者・市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党か共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。
さて、田中角栄は地方への「利益誘導」政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。
もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党=田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派と公明党、学会の関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。
また1972年には、竹入義勝・公明党委員長が首相となった田中の依頼を受けて訪中、田中訪中→日中国交正常化の地ならしを行っています。
さて、「事件」でバッシングされた公明党と創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会と公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙で議席を半数近くまで落とします。
もちろん公明党と創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田と創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日の池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。
また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。
学会・共産党は支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中のファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家の松本清張で、彼は池田と宮本顕治・共産党委員長を引き合わせ、この学会・共産党の「同盟」を実現させたのでした。
もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党は学会なしには存在し得なかったからかもしれません。
また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。
結局、これで公明党はイメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。
結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党の顧問弁護士が宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党と共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。
新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党→新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。
1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。
1992 年、公明党と民社党は社会党が議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党が田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。
また1980年代から地方議会でも公明党が都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党は連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。
公明党の与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕・起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄で逮捕される国会議員も出てしまったといえます。
もっともこの不祥事には創価学会・学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党の国会勢力は1989年の参院選では前回比1議席減、1990年の衆院選では11議席減となっています。
1993 年、総選挙で自民党が過半数割れすると、公明党は非自民・非共産の連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。
その後、公明党は小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員と参議院議員の1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。
結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。
その後、旧公明党の衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在の公明党が誕生することになります。
新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党の誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。
こうして小渕内閣(小渕首相も田中派を源流)のとき、公明党は自民党と本格的に連携、地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党が2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上の自公連立政権がスタートすることになります。
そんななかで小泉政権が発足。公明党は小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民に政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。
しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会を母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。
また先のページで述べた「地方:自民、都心:公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。
微妙になりはじめた自公連立、公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。
この間、創価学会会長だった池田は1979年、日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在の会長は原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長が創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌・新聞などをみても明らかです。
「政教分離」をした今、創価学会は公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員が公明党や公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。
ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会の壮年部長は読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会は公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。
公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員は学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会は公明党なしでもやっていけるが、公明党は創価学会なしにはやっていけないわけですから。
さて2008年で池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会副理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。
いずれにせよ現在の創価学会の組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。
※人名について一部敬称略とさせていただきました。
痛いニュース(ノ∀`):【英国】 新・英国旗デザイン案、ネット投票…1位は「グレン団」、2位は「ルイズ」(2ちゃんねらー考案)とかもう。痛ニューって名前が洒落になってない。ブクマの連中もだよ。バカか。
【元ネタ: The new face of Britain? Flag poll results - Telegraph 】
なんというか、おめーらおめでてぇな、というか。マスゴミに政争の具にされてまでそんな目立ちたいか、という。
「Bizarre」とか形容されて、おめーらの大好きなグレン団のシンボルを「クールなドラゴン」とか著作権ガン無視で転載されて。ヤプー体質まる出しだよ。金髪美人のウンコ食って喜んでる方がまだ健康的だぜ。
あのな、おれもそんなにUK政治メディア事情に詳しいワケじゃない。でもこれくらいはわかるぜ。
デイリー・テレグラフってのはイギリス保守王道なの。大ブリテン主義。中央集権。当然保守党支持一色。
「大ブリテン人であることに誇りを持とう!(ウェールズ人とかスコティッシュとかナンセンス!)」っていう特集組んじゃうくらいなの。日本で言えば読売なの。
で、今回のはなしの元は何だっけ? 「そろそろウェールズも国旗に反映させようぜ」だろ?
誰が提案したんだっけ? そう。ウェールズ出身の労働党議員ルーカスさんだ。
背景には何があるんだっけ? ウェールズ=労働党の支持基盤。ウェールズへの不完全な地方分権だ。
(参考:イギリスの地方議会選挙とスコットランド・ウェールズ議会選挙)
ここまで話してもわからねぇか?
よっし。じゃあバカなお前らのためにわかりやすく日本に置き換えてやる。
たとえば社民党が「沖縄やアイヌの文化も取り入れた新しい国旗を作るべきだ!」って提案したとしよう。
そしたら読売が「へー。いーんじゃない。じゃあ紙面で募集してみるよ」って言う。
そこにバカな米人が「日本といえばGo Go Yubari!!」って言って白地にモーニングスターを描いたデザインを送ってきた。
それを読売が得々として「日本のメディア戦略を反映した良い案かもね」っつって載せた。
その真意は。
「ホラこんなダサイのが来ちゃったよ。日の丸が通用してるし日の丸カッコイイんだから日の丸のママでいいじゃん。なんなら旭日旗にしようよ。日本の中心は東京、というか皇居なんだし辺境の貧乏人どもの言うこと聞く道理はないよね。しょせん社民党なんて図体ばかりでかくて脳みその無い米人と同レベルなんだよプゲラ」だろ?
国旗が変わるとは思ってないけど、ちょっとだけの地位向上を期待してた沖縄人はどう思うかね?
あー……なんか日本の喩えにしたらねらーが喜びそうな結果になっちゃったな。
まぁそこで労働党を貶すための「バカな米人」にされてそんなに喜んでるのはそれこそバカだぜ?
っつう話だよ。
選挙があると投票率が低いと組織票がおおい政党・候補者が勝つからだめという人でてくるけど、これって組織票が多い党が勝つなら投票率が高くてもだめで勝たないなら低くてもいい、ぶっちゃければ組織票は投票させないほうがいいってことだよね。
こういう人って公明党に入れるのと棄権するのとではどっちがましだと思ってるんだろ。やっぱりそんな政党に入れるくらいなら棄権しろというんだろうか。
組織票と呼ばれる票だって最終的には個人の判断で決めてるのに、どうやって組織票かどうかを判断してるんだろう。何かの団体に所属してる知人から頼まれて決めるのはだめで何の団体にも所属しないニートに頼まれて決めるのはいいんだろうか。熱心な支持者がいれば「組織票」のレッテルはってたたいてるだけじゃないのか?
投票率低いと票が集まらない(=組織票がすくない?)政党というのは熱心な支持者がすくないってことなんだから負けて当然じゃね?
強固な支持基盤を維持するべく努力してるのを組織票だとかたたいてる暇あったら、自分の支持政党の党員増やす努力でもしてればいいのに。