「希薄」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 希薄とは

2009-05-01

アトピー

突然ですが鬱です。

電話を受けました。知り合いの人に。


「○○ってアトピー元からあったっけ?」

言われてハッとした。

バイト入る前から、ありましたよ」

「全然普通じゃなかった?」

「ええ、ほとんど普通の人と同じでした。指と手首に少しあったぐらいでした。」



俺は何のために生きているんだろう。

皮膚の病のせいでここまで落ちるなんて。

色々考えたけど、やっぱこいつが犯人あると俺は思う。

何度も親に言った。

「どうしてこんな体を産んだんだよ」って。

卑怯な言葉だし、最低だし、反則であると思う。

でも誰かのせいにしたかった。

どうして俺をここまで苦しめるの?

俺は単にガキで、わがままなだけなんだろうか。

世の中、もっと辛い病の人…云々言われるだろうけど、

でも、言い訳にしにくいハンデだからこそ俺の病は辛いんだと思う。


肌が醜い。

っていうのは俺が気にしなければいいだけであって、

友達とかにも

「もっと酷いかと思った。全然気になんないよ」って言われたりした。

本当に、救われた気持ちになります。

でも100%は絶対に信用できない。

なぜかって、

俺自身が俺の肌に引いているから。

「なにこれ。これが人の肌なの?」ってぐらいに。

なぜ他の奴とここまで違うのか。

どうせならもっと命にかかわるような病気であってくれよ。

なんだよアトピーって

痒くてつらくて見た目が酷い病気ってなんだよ

半端なんだようぜえんだよ

命にかかわらないとかどんだけ中途半端病気だよ

その割には、日常生活、仕事プライベート、全てに支障をきたす。

他人の視線が気になって神経を擦り減らす。

なんなんだよお前。本当に。

お前のせいで好きな女と別れる原因になったんだよ

お前のせいで友達減ったんだよ

お前のせいで単位とれなかったんだよ

お前のせいで俺はどんだけ苦しめられればいいんだよ

俺をどうしたいんだよ

不幸になる病?

患者笑顔と元気と希望とを奪う病?

単に俺が弱いだけですか?


2月。

バイトが嫌で嫌で仕方が無かった。

めんどくさかった。だるかった。うざかった。

そうなった原因は、何なんだろう

体が痒いし、痛いし、洗い物できないし。

なにこのハンデ。意味わかんない。俺なんかしましたか

足手まとい。

数ヶ月前の自分と違い過ぎる姿。

認めきれない。

嫌だった。嫌になった。

3月。

治療のためバイトを一カ月休んだ。

俺は、仮ニートになった。

思う存分、楽しんだ。

でも、バイト先の人間関係を捨ててしまった。

そんなことで?その程度のことで?

普通人間には理解しがたいだろう。

どんな事情にせよ、

一か月も休んだら人間関係希薄になるもんだよ。

交通事故入院、とかなら別かも。

「あいついらねー」

「あいつ使えねー」

思ってないかもしれないけど、俺は勝手にそう思ったりする

大学もそう。バイトもそう。彼女もそう。

俺はこの糞病のせいで人間関係を捨てた。

俺の曲がったプライドのせい?

でも醜い自分を曝け出す勇気は持っていなかった。

夜が好きだった。暗いと人の肌なんてわからないから。

コンビニは明るすぎて嫌いだった。鏡を見て、落ち込んだ。


4月前半。

シフトを3回入れた。

相変わらずやる気はでなかった。

堕落した環境に慣れてしまっていたから。

気づいたらバイトの人と距離ができていた。

気づいたら彼女とも距離ができていた。

4月後半。

シフトを出し忘れたのに気づいたけど、敢えてそのまま出さなかった。

大学がきつい。夜12時に終わるバイトは身体的にきつい状態になっていた。

もう完全にバイトの人たちとの人間関係希薄になった。

俺も混ぜてくれよ。

俺も遊びたいんだよ。

俺もオールしたいんだよ。

でも、オールするとしっぺ返し喰うんだよ。

なんで?何でおれのからだはこうなの?

俺の体は弱いの?

糞病に支配されてるだけ?

生まれてからずっと、俺はこいつと付き合ってきた。

けど、20年目にしてここまで手痛くやられるなんて思わなかった。

お前すげえよ。

オシャレがしたい。

WAXつけるのに、エンボス手袋つけなきゃいけないとか嫌だよ。なぜ俺にはそんなものが必要?

服を試着するのに、自分の皮膚の落屑を気にしてできないよ。やっぱ気にしすぎかな。

楽しくないよ。毎日。

コミュニケーションて、大事だな。

会うって、大事だな。

俺はこの糞野郎に勝てる日は来るのかな?

相当参ってるけど。

インフルエンザに罹りたい。

実は高熱を出すとこの糞野郎は落ちつく。俺の場合。

何でだろ。まあこんな気まぐれな奴のことなんて知る由もないか。


アトピーのことなんて気にせずに生きたい。

人目を気にせずに生きたい。

体を、不自由なく動かしたい。

それが叶ったら俺はどんなに幸せな者になれるんだろうか。

アトピーじゃない奴・酷くない奴にはもう一生理解できないだろう。されたくもない。半端な同情して引くぐらいなら。

高校時代の俺でいい。あの頃の体が欲しい。

シャツを袖まくりできた、あの頃。

第二ボタンを外すことができた、あの頃。

気にしすぎ?

もし俺と同じ状況になったら

間違いなくショックで、

間違いなく希望を失って、

間違いなく鬱になる。はず。

今は笑うことができるからまだいい。

ちょっと前は、笑うことすら叶わなかった。笑うと、顔の肌が裂けた。口の周りが脱皮した。汁もでた。

今はちょっと前に比べたら幸せなんだろうか。

及第点なんだろうか。



皆には本当に関係のない話。

他人行儀の話。

患者にしか興味のない話。

多分皆、別のことで悩んでるんだろう。

俺だけ、俺一人だけがなんてオコガマシイのは解ってる。

俺より酷い患者も居る。大学にいた。顔が真っ赤で、…。尊敬の目で見た。

とすれば俺はやはり弱いのだろうか。

キニシスギなんだろうか。

昔の俺と、今の俺。

自信に満ちて、生気があった昔の俺。

自信を失い、人と関わることを避けている今の俺。

どっちも本当の姿。

でも今の俺の姿を認めたくはない。

2009-04-23

コピペを見て思った

手塚治虫人間関係希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』

宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』

庵野秀明アニメ漫画依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』

富野由悠季オタク日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』

彼らはれっきとしたオタクだ。

庵野アニメ考察をし、オタク向けアニメを作った。手塚はマンガの書きすぎで、医学部中退した。

おそらくほかの二人も、インドア派で、オタクと似たような位置に立っているはずだ。

なのに、彼らはお宅に向かって厳しい言葉を放つ。

そこまでオタクのことが嫌いなのだろうか。

2009-04-20

http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=29567

 宮城県塩釜署は4月18日、別れ話のもつれから交際中の男性を車ではね殺害しようとしたとして、無職の女(30)を逮捕した。女は自ら110番通報したが、調べに対し「5回くらいはね飛ばした」と供述しているという。

現在の評価は

Good![7] Bad![5]

http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=29569

美人政治家世界一が決定

 スペイン紙・20ミヌートスが行った「世界一美しい女性政治家」のネット投票受付が4月19日夜に終了し、青森県八戸市藤川ゆり市議が1位に輝いた。2位のペルー、ルチアナ・レオン議員に約2万票の差をつけ、世界で最も美しい女性政治家となった。

現在の評価は

Good![9] Bad![33]


またGoodBadの比率がおかしい。

.

残念なことに、我々大人のなかにこういう心の荒んだ人がいることは認めざるをえない。

悪ふざけだかガチ品性の欠けた人間だか知らんが、こういう醜いものを、「みんなが」見ないといけないということをよく考えて欲しい。

新聞テレビと同じように公的な性格をもったメディアが、こうしたおかしな個人によって乗っ取られてしまうということ。

その悪影響は計り知れないよ。

.

心が純粋で背伸びしたいお年頃な子供らは、何でも大人の面白そうにやってることに興味を示す。

だからこそ、大人は良い見本を示さないといけないのに、こういう一部のおかしな人(おそらく票数を工作してるのだろう)のせいで、

子供教育に悪影響を与えることをよく自覚しないといけないよ。

.

いま子供ケータイを持たせて学校行かすなという親がやたら多いが、

その一方でこういうおかしな大人に対する問題意識希薄である。

大人のわがままケータイ子供の手から取り上げる前に、まず大人自身が模範となるべきなのではないか?

カルデロン一家

http://www.nicovideo.jp/watch/sm6770891

赤池議員

(前略)そこで一つずつ事実を確認したいと思うんですが、カルデロン・アラン、サラ、父母はフィリピン生まれで、フィリピン時代から恋人関係であったと、マニラ市内の大学中退して、日本で就労して多くの収入を得るために、ブローカーからですね、他人名義フィリピン旅券を入手して、平成四年に、サラ、母親つまりサラさんですね。翌平成五年に父となるアランさんが相次いで不法入国をしたと、さらに、それぞれ他人名義外国人登録までしていると、そして、さらに、さらに、平成七年には長女であるのり子さんが日本で生まれて、入管法の在留資格を申請する事なく、長女も不法残留となった、と、三重の罪という事になるわけでありますが、これは間違い無いでしょうか、局長。

入国管理局長

議員ご指摘の今の事実関係については、カルデロン一家についての退去強制取り消し訴訟でも指摘されておりますので間違いないと思います。

赤池議員

さらに問題なのは、このアラン、サラ、両家の家族でありまして、カルデロンのアランさんの家族は兄を除いて、両親二人、姉一人が不法残留があり、姉は残留特別許可を貰って日本現在いらっしゃる、と。

そして、サラさんの母親家族は、弟一人を除いて両親二人、弟、妹の四人に不法残留歴がある、と。弟、妹の二人は、定住者の在留資格を取得して現在日本にいる、と。カルデロン父母の両親家族は殆どが不法入国または不法残留したことがあって、現在日本においても、その二人が入ってきた時に同居をしていると。

裁判判決によると親族関係にある者が感化しあって、集団で入管法違反を繰り返していて、日本法律を遵守しようという意識が極めて希薄であるという事が判決でも指摘をされているという事でありますが、これは入管当局としても事実認識してなかったですか。

入国管理局長

本件に直接関係のない人の不法滞在歴の詳細について申し上げるのはいかがかと思いますが、議員がご指摘のような事実が、退去強制取り消し訴訟判決において指摘されている事は事実でございますので、事実であろうと思います。

なんだかなあ。一族郎党で居座ろうとしてたって事じゃん。こっちの法律守る気ゼロじゃん。擁護者達ってこんなのを在留許可してやれって息巻いてたの?

2009-04-01

コミュニティでの立ち周り。

あるコミュニティに属していながら、他のコミュニティ構成員と人間関係を築かないで居ると、表面的には無風で平和に過ごせる。

しかし、いざ人間関係の深部を垣間見た時に、他人同士の関係がわからないので状況をあまりに理解できない、頼れる人が居ないので場を動かせない、自分の知らない所で事態が進行していく・・・等の理由で、自分の無力さを思い知る事になる。

知らないままなら幸せかもしれないが、あるコミュニティにずっと属していれば、知らないまま・・・ということはまずない。

結論としては、最初から周りの色んな人と仲良くしておきましょう、という事になる(仲良くする方法はまた別で考える)のだが、孤独なままある程度の月日を過ごしてしまった場合どうするか?

対処1.気にしない。無力なまま生きていく。

対処2.今からでも仲良くなる。

対処3.そのコミュニティから去る。

殆どの人が選んでいるのは1.で、実際それが現実かつみんなが幸せな対応だと思う。

2.は、時間をかけて周りの人間同士が築いてきたのと同等の絆(というのは大げさだが)を自分も築こうという事だが、これは言うなればMMORPGで新規が古参に追いつこうとしているようなもので、不可能ではないが難しい。

嫌いな人が居るから3.を選ぶ人はいるが、人間関係希薄になってしまったと言うだけで3.を選ぶ人はあまりいないように思う。これを選ぶ人は、おそらく何度も同じことを繰り返すだろう。

2009-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20090331224101

あ、受け取ってもらえたのね。こりゃどうも。

ほら、コミュニケーションできるじゃないか。

俺には元増田には何の問題も無いと思うな。

足りないのは「表面的人間関係構築力」だけで、

元増田の生真面目さが、不真面目な同僚連中にはうっとおしいってだけの事じゃないかと邪推。

よくある話だぞ、これ。

友達が3人もいるんじゃないか。素晴らしいなあ。

俺の友達って何人いるんだろう。友人関係希薄な俺からすれば、

友達が3人って言える元増田はすばらしいと思う。

社畜にならない、会社依存しないってことは実はとても大事なことで、

多少の給料の良し悪しのために会社での深い人間関係の構築なんて求めなくていいと思う。

そこから不快になったりするからね。あはは。

楽しいことを実現する為に、仕事仕事として誠意を持って扱えばいい。

まともな会社なら、そのために必要な人間関係飲み会になんか参加しなくたってちゃんとできると思う。

元増田会社がどんなところかわかんないから無責任なことしかいえないけどね。

友達に会いに行く計画立てるとか、簿記勉強してそれを何に生かすかとか、自分の好きなことを考えようぜ。

会社なんてそんなもんだ、と思っているよ。

2009-03-24

卒業式関連の話題を見て

卒業しても会えないわけではない。だが、学校で会うことはできなくなる。

今は携帯電話と言う代物があるが、昔は卒業後に連絡を取り合うことが難しかった。

学校で顔を合わせることもなくなるし、連絡を取り合うことが難しいから、卒業後は能動的に連絡を取り合う必要がある。

だから、卒業後に学校で会わなくても相互に連絡が取れ、関係が切れない友達こそ真の友達だ。

卒業後に連絡が途絶えた友達はその程度の友達だったんだと思え。

と恩師が言っていたのを思い出した。

で、今高校卒業するような世代はケータイ電話帳に名前が残ってれば普通卒業後も会うんだろうなぁ・・・と思った。

最近は「中学高校の(地元の)友達がいるから」って理由で予備校大学で友達を作ろうって精神希薄だって話も聞くし・・・

2009-03-22

携帯電話で友達と繋がっているけど本当は寂しい



日本では、老若男女1人1台携帯電話を持っている世の中になったといっても過言ではない。

今では小学生でも持っているのが普通だろう。小学4年生くらいになれば、

パパママのせいで友達できないよ」と言われ携帯電話を買わされる。

親としても防犯上の理由で買い与える。

PSPとかニンテンドーDCも同じ、持っていなければBluetoothの輪に入れなく友達から置いてけぼりをくらう)



これだけ携帯電話という情報ツールが当たり前になると、

おのずと副作用社会全体に働くことになる。

副作用といってもそれが良いか悪いかはハッキリしていないので、

ここではそれを銘々で考えて欲しいとしておく。



まず携帯電話流行ることで顕著に現れた副作用が、

人間関係の流動化。携帯電話というのはいつでも取替え可能、

番号やメルアドも変更できて人間関係リセットできる。

ゆえに、いつでも人との繋がりがリセットできるので、

深い話をあまりしないフラットな付き合い方、広く浅い付き合い方をするようになる



そのことで何が起きたかというと、

携帯電話で繋がっているのにどこか不安な状態が続き、

空洞的な気持ちに陥る現象が起きた。そのことが切り口となり過剰の同調が起き、

どこか私の知らないところで悪口を言われてないだろうか。

返事が直ぐ返ってこないから嫌われてるのではないだろうか。

逆に即レスをくれないとコイツもういいや削除しちゃえとなる。



このこで分かる通り、昔みたいな地域共同体家族、親戚、友達の中に埋め込まれているリアルな繋がりではなく、

情報ツールで自分の居場所を補っている。

例えば、悩みや情報などは昔だと家族、友達などから収集、相談をしていたのが、

今はそんなことせずに情報ならネットで調べるし、悩み相談なら面識の無いメル友SNSの相手などで満たされる。



ということは、どこにいても不自由せずに暮らすことができる概念が生まれてくるわけで、

例えばアキバで一時一世を風靡した個人が自分のコレクションを売る小ケース制度というものがあった。

それに紛れ込んでくるレア商品目的オタクアキバに通いチェックしていた。

そこでしか手に入らないからアキバという場所は価値があった。

しかし、ネットオークションが当たり前になった今では小ケース制度はなくなり、

コミケなどもだんだん淘汰されてきている。

つまり、アキバに行かなくても情報ツールが満たしてくれて、アキバへ行く必要がないとなるわけだ。



今はまだ、携帯電話という低レベル情報ツールしか蔓延していないが、

これからはもっと技術が発展しどうなるか分からない。一つの例としてコテハンがある。

コテハンとは固定ハンドルネームの略で、

言うならばリアル世界で役職や場所、性別、アイデンティティが変わってもコテハンだけは変わらずネット内で存在自分を維持できる。



時期尚早となったセカンドライフコテハンの発展版と言っていいだろう。

確かにまだ時代の流れとして社会に溶け込まなかったセカンドライフだが、

コテハンアバターがつき臨場感ある3Dの世界へ在住する人は少数ながらいる。

もしこれから、こんなネットのアチラ側在住がマジョリティになればどうなるだろうか。

ネットに魂を置きリアルではご飯と入浴、排便をするだけみたいな、

リアル社会よりネット社会が主になる考え方にシフトしていく可能性も否定できない。



宮台氏がもっとも視座していたのが、昔の非流動型共同体(場所に拘る)と現代の流動型人間関係(場所に拘らない)、

どっちが良いか分からないが、こういうことを知って考える必要があるのではないかと示唆している。

でないと、ネットのアチラ側に在住した場合、リアルの場所には拘らないわけだから愛国心すら希薄になる。

この先IT技術科学が発展し、言語と稼ぎ方の革命が起きるとより暮らしやすい海外に行くのは必然になるだろう。

別に、愛国心でも愛郷心でもどちらでもいいのだが、茹で蛙愛郷心になるのはどうかと思う。



現在ではまだ、技術も発展中で非流動型もかなり残っているわけだから、

今一度、友達がいるけど寂しい状態ではなく本当の寂しさを補う事とは何ぞや、

本当の絆とは何ぞやと、改めて意識する必要があるのではないだろうか。


http://yamalog100.blog73.fc2.com/

2009-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20090317023253

自己レス

ダブルパロディって本来だったら両方の原作を知らないと出来ないものだったはずなんだけど、

ニコ動とかでその意識希薄化してるのかなぁと思う。

彼らにとって「元ネタ」は単なる「素材」でしかないと感じてしまうから蟠るんじゃないかな…なんて。

二次創作をやってる同士同じ穴のむじななんだろうけれども、原作に敬意を感じられない物は好きじゃない。

原作を知らずに二次創作をやったりメアリ・スーを登場させたりもそうだ。

2009-03-12

自由度の高さを受け入れられない人たち

俺は http://anond.hatelabo.jp/20090310021107 を書いた増田だ。沢山ブクマがついて驚いてるよ。

サポートの話にも関係があるけど、Web 上のサービスを作っていると無視できない問題がある。それは "自由度の高さを受け入れられない人たち" がいるということ。わかりやすい例をあげると、

MMORPG を例にとって説明してみる。

MMORPG では、"自分自身がやりたいことを生み出せる" のが楽しめる理由の根っこにある。真っ向からそれを拒否してしまう彼らの手にかかると、MMORPG は "全く何をしていいのかわからないクソゲー" になっちゃう。

まあ、レべリングがきつめだったりアイテムゲー偏向が強いと居着く可能性はある。レべリングという何も考えなくてもよい目的を設定して、ひたすらオフゲーのように続ける。そして、レベル限界になるとゲームをやめてしまう。

スキル制を採用していたり、レべリング重要性が希薄で短期間でキャラが完成し、それから世界を旅したり戦争をして長く遊べる MMORPG らしさに満ち溢れたゲームも、彼らにとっては、すぐやることがなくなる内容の薄いゲームになってしまう。

MMORPG を楽しめる人かどうかは、ゲームをやらせて一日目で大体わかる。"自由度の高さを受け入れられない人たち" の行動パターンは大体こんな感じ。

  • まず、第一声は 「なにをするんですか?」「なにをすればいいんですか?」
  • 極端な人だと、「このゲームはなにか目的エンディングがあるんですか?」
  • なんでもできるから、好きに動いていいんだよと言われても行動できない。
  • 最低限の生活の仕方を教えても、「それで、実際何の役にたつんですか?」
  • 何かあるごとに「次はなにをすればいいんですか?」

ゲーム馴れしているか社交性があるかどうかはあまり関係ない。PCゲーム初心者にも、「ただ歩いてあちこち行くのがおもしろい」「今日はこんなことを覚えた」「こんな事が出来るなんて」と楽しめる人がいる。こうしたタイプは、やりたい事を勝手に見つけるし、楽しみ方を生み出す。"自由度の高さを受け入れられない人たち" に比べたらキャラレベルが上がるのは遅いかもしれないけど、"中の人レベル" は確実に進歩していく。それは、ゲームの上手さといったものとはまた別の経験値なんだよね。

話を戻すと、サポートに 「なにをするんですか?」 「なにをすればいいんですか?」 という一行質問をしてくる人には、コミュニケーション能力が低かったり技術音痴という特性の裏側に、"自由度の高さを受け入れられない" という大きな背景がある気がするんだ。

彼らを受け入れるには、自由度の高い部分を隠蔽するモードを作ったり、初心者向けのお使い系クエストを用意する必要がある。

必要ではあるし、ユーザー増えると嬉しいから頑張るけど、こういうのって作るのがめんどくさいよね><

2009-02-23

清水マリコハートレスハートフル

読んだ。何か書きたくなったがとりとめがなくなったのでここに書き散らす。

一言で本作を述べるなら性の呪縛ということになる。これまで清水MF文庫発表してきた作品にはあまり濃厚に描かれなかった,肉体と精神の性が主題として扱われる。いやもちろんわかっている,これまでも【少女】がテーマだったじゃないかと言うのだろう。ここは微妙な点なので慎重にいきたい。清水が扱ってきた【少女】とは,性を免除された特権階級だ。性がもたらす束縛から自由。そして,もちろん大人=生産者になることも要求されない永遠消費者。これは,たとえば「セックスする女」「労働する女」「産み育てる女」といった像と照応させれば明らかだろう。モラトリアムを言うなら別に【少年】でもよさそうなものだが,あまりうまくない。少年セックスに怯える必要がなく,労働自己承認に直結する。これらを免除されることに肯定的な含意はない。他方,少女には【少女】にこだわるだけの理由がある。……話がそれた。今回述べられているのは,そうした無性者としての【少女】じゃない。年少の女は出てくるが,性を与えられている。清水作品において,物語水先案内人をつとめるのはいつも存在希薄な【少女】で,ときには幻影だったり妄想上の存在だったり,つまり肉体をもっていないことも多い。本作の少女もじゅうぶんに希薄だが,しかし彼女の肉体は触れられるものであり,かつそれが性的なものであることが強調される。主人公を含めた「男」たちは彼女の肉体に性的な視線を送り,彼女も「さわっていいよ」と繰り返し挑発する。読者はいやおうなくキャラクターの,そして自身の性を意識させられる。

以下,この「性」を切り口に述べてみる。ネタバレ回避はしていない。

13歳の少年Aは「きれいなもの」に対する強い憧れをもっていた。これには風景工芸・装飾品から,「女の子向けの」人形まで含んでおり,その年齢層の少年ジェンダー規範からはやや逸脱していた。A自身もその逸脱を恥じていた①。しかしそこに,Aに幼い好意をよせる10歳の女子Bがあらわれる。Aは少しずつBに「きれいなもの」を見せて反応をたしかめ,Bが自分を受け入れてくれること,拒絶されるおそれがないことを確認していく。最終的にAはもっとも大切な宝物である人形を見せるのだが,ここでBはAに「お人形遊びなんて好きなの? 信じられない! 男の子で,中学生なのに!」と無邪気な一言を放ってしまう②。Aは逆上し,Bを強姦しようとする③。Bが抵抗することで未遂に終わるが,「だったらいい」の一言とともにAはBを川に放り込む④。溺死しそうになるB。恐怖にかられたAはBを慌てて助けるが,真相を知らない周囲からは「溺れた子供を助けた勇敢な少年」として賞賛される。Aは自己嫌悪と罪悪感を抱えて鬱屈する。Bはこの周囲の勘違いについて何も言わないことを選択する。いつ事実を暴露されるかわからないという不安の中にAを閉じ込めることが,最上復讐になると考えたからだ。Aは少しずつ人格を歪めていき,他方Bはやがてその記憶を誰にも言わないまま抑圧して忘れ去ってしまう。6年後,19歳になったAは電車の線路に転落した女性を救助しようとして,代わりに意識不明の重傷を負う。

本作はこうした「事実」の上に,Aの弟を視点とした物語をつづっていく。全体を俯瞰してまず気づくのが,Aの自己抑圧①だろう。Aのかかえた性違和が全ての起点になっている。Aが心底欲していたのは,この違和を肯定してくれる誰かだった。「きれいなもの」を愛する権利を正統に有する,正しく少女であるBに救いを求めるが,Bは逸脱を許さなかった②。内なる女性性の隠蔽を要求されたAは,男性性をむき出しにして,略奪的に「女」を手に入れようとする③。しかし果たせず,結果として「女」の全否定という選択に行き着いてしまう④。Aが男性的でない自分を許容できていれば,Bが男性的でないAを受け入れられれば,その後の事態にはつながらなかった。10代前半の子供であっても,というか子供であるからこそ,ジェンダーの命ずる規範からは逃れられなかった。

Aは後に,意識不明のさなか,奥底に隠蔽された女性性を分離させ,少女の姿をした肉体ある霊を生み出す。これを霊自身は「脱獄」と表現する。牢獄からの脱走。じゃあ牢獄とは何か。解釈はさまざまあるだろうが,私としては「Aが内面化させたジェンダー規範」以外に考えられない。脱獄して自由になった「少女」は,思うまま自らの女性的肉体を誇示し,「甘いときめき」「おいしいもの」への欲望を開けっぴろげにし,「男の子が,自分名前呼びながら走って追いかけてくれるのって,女の子は,すっごく気持ちいいんだよ」と女の子の気持ちを語る。Aの弟はこの「少女」と共に行動するうちに,秘められた過去事実に直面し,やがてAの苦しみを知る。弟とBに過去の罪を認識され,受け入れられることで,Aは意識不明から回復する。それと同時に少女,あの人形の姿を借りたAの分霊は消滅する。物語の発端が解消されることで終結を迎える,非常に整った円環構造だ。清水あとがきで語る。「この本は」「あなたの心にきれいな何か」「を残したいと願って書きました」。視点設定をどこに置くかにもよるし,そもそもラノベメッセージ性を求めるのはどうよという主張もあるだろう。でも,文庫の主読者層であろう10代の少年たちに,清水が届けたい言葉は極めて明瞭であるように,少なくとも私には思われる。……あなたの心の中の少女を殺すな。脱獄しろ。

脱獄であって叛乱でない点に,清水バランス感覚を感じる。ことさらに敵意をむき出しにして戦いを挑むのではなく,まして新しいルールを打ち立てようとするのでもない。ただ逃れて自由になる。言うほど簡単ではないが,これが唯一の道であることには同意する。正面から戦ったところで勝ち目はない。桜塚やっくんレイザーラモンHGに回収されるのがオチだろう。相手を警戒させ牢獄を強固にするだけだ。当事者でもないくせに,戦場が大好きなうざったい連中がすりよってきたりもする。それよりは,牢獄からひとり抜けふたり抜け,革命もないままいつのまにか牢獄廃墟になっているというシナリオの方がやりやすい。

殺人者盗賊が救われる話はいくらでも書けるが,レイプ犯が救われる話はそうそう書けるもんじゃないな。

2009-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20090221231111

第一期 娯楽、モノ、サービスを求めて街に出る。

第二期 車社会が発達し郊外の大型商業施設に人が集まる。

第三期 通販に頼るようになる。

どんどん出会いとか、人付き合いは希薄になるね。

都会は人と人の結びつきが弱いというけれども、若者に関して言えばむしろ田舎のほうが希薄な気がする。

調べずに、理解しようとせずにすぐに書き込むのは携帯文化??

http://anond.hatelabo.jp/20090222003535「うまく話がつながらない話」

を書いた増田ですが、じじい的な邪推をさらに加えてみると、これって携帯の文化がだいぶ浸透してきているせいじゃないか、と思う。

パソコンから使うインターネットでは「調べる」という文化があるように思う。つまり「とりあえずググる」といった文化だ。

それが携帯電話の文化では希薄だと思うというか、システム的に難しいしやりにくいと言うのも大きいのではないのかと。

少なくとも自分携帯からだとパソコンのように、範囲を選択しておいてコマンド一発で検索というのは標準の機能ではない。(Javascriptを使えばできるけど、それですら画面が遷移してしまうので元の画面から移動してしまう)それに対して、パソコンでは検索エンジンツールバーなどがインストールされていれば(もしくはされていなくても標準機能で)範囲を選択して右クリック検索をして、新しいタブで開かれ、元のページを表示したまま、調べ物が可能だ。

これ結構大きいんじゃないかなと思う。それがそのまま来ているのではないかと。

いや、完全に根拠のない、携帯をつかって情報発信をしないじじいの戯言ですが。つっこみ求む。

2009-02-21

若者の車離れ

地方だと車必須というけれども、地方都市、徒歩圏内にコンビニスーパーがあるなら車はいらないと思う。

俺みたいにド田舎育ちからすると、コンビニなんて2km以内にあれば、スーパーだって5km以内にあれば十分すぎるくらい便利だ。

生鮮食品以外はamazon無印良品ネットストア、ユニクロオンラインストアツタヤオンラインでだいたいはまかなえる。

デリヘル風俗嬢だってデリバリーできる。

どのくらい車の維持費がかかるかを2chからのコピペ

1500ccクラス自家用車の年間維持費の一例

車両費用 20万 円 (160万円の車を8年償却で年間経費を見る)

自動車税 34,500 円 (1リットル超1.5リットル以下)

・重量税 18,900 円 (1t~1.5t)

自賠責保険 18,980 円 (普通乗用車)

駐車場代金 20万 円 (大都市郊外:月1万6千円)

任意保険 15万 円(新規27歳未満、対人対物車両)

ガソリン代 13万 円 (1万キロ、13km/L、170円/Lとして)

消耗品費 2万 円 (タイヤ、オイル、バッテリー等の交換費用として)

車検費用 2万 円 (1年分積み立て)

予備費 3万 円 (小部品消耗品、整備費、修理代、洗車代、駐車料金、高速料金罰金等)

自家用車維持費 合計  822,380円/年

車がないデメリットっていうと、そうだなぁ、飲みに誘われないな。

代行で帰るっていうのが常識なので、バスで行ける場所でバスが走ってる時間内でしか行かないって宣言してる俺は誘われない。

習い事とか、サークルは無理だ。

デートは車が常識らしいので、俺は女性デートに誘ったりできない。

言い換えれば、交際(男女交際に限らず)は希薄になる。

およそほとんどの欲、食欲も性欲も物欲も自宅で満たせる時代になってしまった。

田舎出会いがない」っていうけれども出会いがないっていうよりも、外にでなくても快適な生活が整ってしまった気がする。

都会の人と同じだけの娯楽を楽しむためには、車という足を手に入れて街に出るか、あるいは通販を利用するかであって、街に出たところで所詮は地方だしって思っちゃう俺みたいなのが増えてるんじゃないかと。

追記

地方だと駐車場代がタダみたいなもんなんで、20万浮くと思う。

車検費用は1度目ならそんなもんですみそうだが、回数を重ねるうちにもっとかかるような気もする。

予備費の駐車料金ってのは出先での駐車料金ってことなんだろうか?高速料金と合わせて旅費に計上すべきだよね。

消耗品費も予備費で二重計上されてるけれども、まあ2万じゃ足りない気がするからそんなもんかな。

とはいえ、車両価格を維持費に計上すれば、60万は下らない感じがする。

車検費用ケチれる!保険ケチれ!などいろいろ意見はあるだろうけども、まあこんなもんかと。

60万って額は、5万のアパートに1年住むのとかわらない。

車を買って遠距離通勤するくらいなら、職場から徒歩通勤できる距離に部屋を借りてもいいのでは?

っと思う。

節約できる時間交通事故リスクを考えたら7万くらいまでなら家賃を出してもいいのではとも思う。

車体価格と同じくらい改造に金をかけるとか、30にもなって1500ccは恥ずかしいとか、田舎だとそんなことを聞くけど、なんだかなぁって思う。

彼らは金はないけど楽しそうだ。

2009-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20090209001638

おじさん(笑)釘宮(笑)オラクル(笑)トリックスター(笑)メタ視点(笑)

人間関係希薄化(笑)共同体の崩壊(笑)ティピカルネス(爆笑)

ゲゼルシャフト(笑)テクノラティ(笑)理不尽ネス(笑)増田リティ(笑)

デウス=エクス=マキナ(笑)俺、恋ヶ窪派だから(得意)

おじさん(笑)の追加事項募集中。元増田は良い文章を書きますね。

ゆくゆくは、オタ増田コピペ一角を担う人材かと。

週末に「とらドラ!」の原作読んだけどよ

釘宮理恵ってだけで、アニメ見てた俄かのおっさんだよ。

 

「ある日突然隣のマンション美少女恋愛騒動に巻き込まれる」

的な話が、転じて自分人生の問題になって、

おそらく大団円的な結末に落ち着くっていう、

キレイな「起承転結」の構成だなって思ったよ。

 

最近ラノベでも、ゲームでもよ、

起承転結

になっていない、

お遣いっていうか、その場しのぎの尻拭い系のストーリーが多くて

飽き飽きしてたところに新鮮だった。

まあ、otsune的には「観測範囲が(ry」なんだろうけど。

 

でもよー、

何なんだ、あの、

みんな自分勝手に進むストーリー

 

物語って、普通オラクルがいるわけじゃん。

預言者っていうか、主人公の行動指針を示す役割の人物で、

まあ、ナメック星長老みたいなもんだけどさ。

独身(30)もあんまり首突っ込まないし、

亜美は、ただのトリックスターだし、

誰もが無根拠に物語進めてるのな。

 

ちょっと、おじさんには信じられない感じだよ。

でも、それが現代的なのかもなって思った。

 

それで、思い出したことなんだけど、

年始に祖母がちょっとボケたとかってんで、

嫁つれて父と一緒に父の田舎に行ったんだわ。

 

結論からいうと、祖母は大してボケてなかったんだが、

お店継いで祖母の面倒見てる次男夫婦(父の弟夫婦)が、

ちょっとボケに対して過剰反応しちゃったみたいでさ、

それで、どうしたかっていうと、父はその弟を連れて、

親族の中で「長老」と呼ばれている人のところ行ったんだわ。

そんとき、俺は「自分の父ながら賢いなー」って思ったんだよ。

その長老の私見は実質どうでもよくてさ、

まあ、長老に悩み事相談して説教くらうってのがミソでさ。

次男夫婦には

自分たち夫婦が面倒をみている。

 外野にとやかく言われたくない。」

的なところがあったんだけどさ、

さすがに長老説教くらったら、

多少、状況を相対化できるわけよ。

はてな村民が大好きなメタ視点な。

 

それでよ、話は「とらドラ!」に戻るけどよ、

「無根拠に物語を進めているのが現代的かも」

って、書いたけどさ、

そういう風に、いろいろ言い出せずに、

誰にも首突っ込ませずに、

自分物語進めていくっていうのが、

とらドラ!」の登場人物たちは

なんか仲良いようにつるんで

青春しているように見えるけどさ、

「現代における人間関係希薄化」

共同体の崩壊」

っていう、

すっげぇティピカルネス造語)炸裂だなって思ったんだよ。

みんなさ、自分ひとりで解決して乗り越えちゃうんだよな。

登場人物たち。

そこにさ、オラクルは必要ないわけよ。

 

でも、おじさん思うけどさ、

人生という物語において、

オラクルが必要ないなんてことは絶対ないよ。

うん、絶対ないって言い切りたい。

 

アメリカじゃさ、

自己管理のためにカウンセリングを受ける」

「3人に1人がカウンセリングを受けた経験がある」

とか聞くことあるけど、

日本にもそういうの必要なんじゃねぇの、

人生オラクルが。

 

たぶんよー、

いまだにカウンセリングは「病んだ人が受けるもの」的なさ、

偏見があるから、広まらないんだろうけど、

自分の話を聞いて反応してくれる人がいないとさ、

超ふらふらしちゃうじゃん?

いや、正解を教えてくれなくてもさ、

反応してくれるだけで、

救われるところってあるじゃない?

自分物語に軸というか、

根拠ができるわけじゃない?

 

現代社会みたいに、

ゲゼルシャフトが進みまくるとさ、

オラクル契約関係で、

ようするにカウンセラー

見つけてこないといけないってのが、

寂しい気がするけど、

現代社会だからこそ得なこともあるしな、

そこはバランスだよなって思う。

 

大河がさ、クリスマスプレゼント

恵まれない子供たちに送るシーンでさ、

それでも誰かが見ているから、って、私は伝えたいの

って、言ってるけど、

「おうおう、そうだよそうだよ」って思ったんだよ。

 

xevra先生が、「プリント(ry」っていつも言ってるけどよ、

契約関係でもいいから「見てくれる人」が必要だろ。

「現代における人間関係希薄化」が進んでるわり、

カウンセリングが一般化してねぇから、

わりと問題のなさそうな人でも、

メンヘル系のエントリー書いちゃうんじゃねぇの?

テクノラティ日本語ブログの多さが際立ってるって話があったけど、

カウンセリングが一般化してないってのが

その理由の中にあるんじゃねぇかな?

 

んなわけで、「とらドラ!」面白かったよ。

10巻で終わるらしいけど、

うまく落とし前つけてほしいね。

 

あ、あと、大河派・実乃梨派・亜美派とかあると思うけど、

俺、恋ヶ窪派だから。

 

(後述)

トラバツリーで自分が書いたやつ、リンクしとくね。

続編もリンク

アニメ版が糞で萌えって話への返信。

2009-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20090208071041

うーん、すげえテンプレっぽいツッコミで今更感があって申し訳ないけど、

国によっては同性愛が法的に禁じられてるところもあるし、逆に子供との結婚を法的に禁じていないところもあるよ。

だから、法を理由にして

実行したら法的にアウトな趣味性癖嫌悪されて当然。殺人するのが夢ですなんてヤツは叩かれるに決まってる。

つーのは適当ではないと思う。

その認識は、その法がどうして、何故そう定められているのか、という意識希薄すぎるんじゃないかしら・・・。

法律の条文は人間とは無関係なところで定められた自然法則のようなものとは違うのだから。

ロリコンが叩かれるべき」かどうかはひとまず置いておくとしても、

「叩かれるべき」理由を「法的に認められるか否か」に求めるのはちょっと考えたほうがいいと思う。

2009-02-01

なんで店員に話しかけられるのが怖いのか

「それ、かわいいですよねー」とか

「サイズお出ししますよ」とか

モノを売っている店で店員に話しかけられるとすごく面倒くさい。

というか、話しかけられることが怖い。

反射的に逃げなきゃって思うのに体は違うことしてるので、なんか一瞬パニックみたいになって、頭真っ白で、

「あ、……う…」(大汗)みたいな感じになる。

で、ほとんどの場合は聞こえなかったことにして手にしていたモノを戻し、別の場所に移動する。または店を出る。

ネットを見ていて、同じように感じる人がけっこういるんだってことを知って、ちょっと安心した。他にもいるんじゃん、こういう人。

それで調子に乗って、話しかけられても無視してりゃいいや、むしろ空気読め店員とか思った。

でも、今日ご飯を食べているとき、彼氏

デパートとかで話しかけられたら『はい』とか笑って適当に言っとくといいと思うよ」

って言われた。

そうかー、他人をガン無視してる人間を端から見てたら気分よくないよね、そりゃ。

「はい」くらいはできるかなー……。

なんて、言われてできりゃ苦労しないんだけどさ。


なんでこんなに話しかけられるの怖いんだろうな……



って考えてたら、思い出した。

突然他人に話しかけられる恐怖感の原体験

私は昔から友達がほとんどいなくて、小学校のときなんかは教室にいても話す相手もなく、休み時間自分の席で本読んだりしてた。

他の子達の集団トイレとかには誘われもしなかったし、行きたいとも思わなかった(今考えても理解できない)。

で、たまに声を掛けられることがあるかと思うと、それはたいてい面倒なことを押しつけられるか、新しいネタでからかわれるかのどちらかだった。

「他人の挑発に乗ったら、ヤツらはこっちの反応を見て笑うつもりだ。相手にしたら負けだ。」

そう思って、できるだけ反応が希薄になるよう心がけた。

声を掛けられたら、どんなちょっかいが出されるかを全身で感知し、相手が期待している反応を予測して、ぜったいにそれに沿わないように対応する。

…これって、今同じ事してないか?

20年以上の前のことに怯えてんのか、私は。


てなこと考えながら、うーんそうだねーって生返事してたら、彼氏が追撃してきた。

アメリカでは、お店に入ってきたお客さんにとりあえず声をかけるらしい。それは、入ってきた相手がこちらの言うことを理解できるか、あやしい人じゃないか確認する意味もあるんだそうだ。

一度はアイコンタクトしておかないと不安らしい。これは店に限らないそうだが。

(まあ全部がそうではないのかもしれないけど、駐米経験のある人だから全く聞きかじりの欧米論てわけじゃないんだろうな)

そしたら私なんか超怪しい要マークな客なわけだが。

もとい、じゃあ日本ではどうだろうかと考えてみると、怪しい度チェックはともかく、入ってきた客には声を掛けるのが店員の使命、くらいに言ってる店はあるんじゃないだろうか。日本的なお作法として。

むしろ、そういう店の方が多いんじゃないだろうか、ということに思い至った。

経営者側からしてみたら、ご来店いただいたお客様にお声もおかけしないなんて失礼だ! というわけだ。

彼女らは好きこのんで私なんかに声をかけてるわけじゃない。仕事なんだ。決して、私のアイデンティティに話しかけられているわけではないんだ。と思ったら、ちょっと気が楽になったよ。


まとめると、

■20年以上前のことに怯えるな

店で声を掛けられても、その相手は自分ネタにしたり吊し上げようと考えてるわけじゃない。

即「敵だ」と身構えなくてもとりあえず大丈夫

■店員も仕事

店の人間仕事だから客に声を掛けなくてはならないのであって、

自分は無数の「客」という記号の中のひとつに過ぎない。


そうやって考えてみたら、すぐに笑って「はい」は無理かもしれないけど、ちょっと落ち着いて、次回からはガン無視はしないようにできるんじゃないかな、っていう気がしてきた。

そうは言っても、「買ってくれオーラ」とかをギトギトに出されたら、脳みそがしびれて怖くて逃げたくなってしまうと思うけどね。

2009-01-29

ていうか富野以外全部正論だってば

手塚治虫人間関係希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』

宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』

庵野秀明アニメ漫画依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』

富野由悠季オタク日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』

藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか

「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、

私の持っている漫画観は全く逆です。

人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。

自分人生経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。

それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。

家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様ハーブ類がありますか?

近所のスーパーで買ってきた肉、野菜チーズ牛乳・・・

どの家の冷蔵庫も然して変わりません。

多くの『人並に人生を送った漫画家達』は

「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。

思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活舞台にした料理です。

しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。

人生経験自体が希薄記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。

必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。

漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。

全てはそこから始まる。

その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。

つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。

ここから可能性は無限に広がるのです。私はそういう人が描いた漫画を支持したい。

卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれ漫画を読みたい。』

上は藤子絶賛コピペですが、手塚宮崎庵野言葉オタクへの攻撃としか受け取れないなら生産者側に回るのは絶対に無理です。そのまま消費するオタクにとどまっていて下さい。

藤子が支持したいと言っているのは、あくまで食材収集能力に長けた人であって、かわいそぶって空腹を嘆いている人ではありません。

手塚宮崎庵野言葉で憤るのは、まさに空腹であるにもかかわらず食材が無いなら他所から仕入れて来ようという発想が出来ないことの証明です。

2009-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20090122165743

うざいすか。ごめんね。

メールは当たり前だけど、プレゼントは個々で考えればいいと思うよ。当たり前とは書いてないッス。

メールを当たり前って書いたのは、その辺が友達と恋人の境だと思うから。

それってうざいのかな。

世間のカップルは1日一回のメールもしないほど、希薄な感じ?

自立してるって聞こえはいいけど、俺無しでも生きていけるよね。って言われてるのと一緒だよね。

2009-01-18

覆水を盆に返したいのですが

話はまず中学生まで遡る。

中学校の頃好きな女の子がいた。その頃の自分は屈託の無い馬鹿だったので人並みにモテた。中一のバレンタインの時よく遊ぶ女の子二人からチョコをもらった。一人は手作りのいかにも本命って感じのモノで、もう一人――俺はこの子が好きだった――から手紙入りのそっけないチョコをもらった。でも俺が好きだった女の子も俺のことが好きだったらしくてその子としばらく付き合った。あまりに馬鹿だったからすぐに別れた。本命チョコをくれた女の子(A子とする)とはその後も友達としてそれなりに仲良くやった。その間にA子は彼氏を作ったりしてたが、別にどうでもよかった。そんな感じで中学校卒業した。

卒業した春休み志望校に受かった俺も、別の高校に入ることになったA子も友達も浮かれて遊んだ。基本メンバーは俺とA子と仲の良い男友達と、その彼女の四人。その頃A子は彼氏と別れたばかり。まぁ、なんか期待するわな。タイプじゃなかったけどかわいかったし。そんなこと考えながら毎日メールしたりして、で、まぁなんやかんやあってある時二人きり一緒のベッドに座ってるって状況になった。その後は言わずもがな。諸々の問題で最後までは出来なかったけど。

俺はヤリたくてヤリたくてしょうがなかった。ヤリたいというよりヤッてみたい。触ってみたい舐めてみたい挿れてみたい。そんなわけでそれから春休みは毎日そんな感じだった。それでも挿入には至らなかった。

高校入学式が近づいてきたある日A子が訊いてきた。「ねぇ、なんでこんなことするの?」

俺は答えた。「……好きだから?」

そんなわけはなかった。もっと胸が大きくて頭が良くて顔がタイプでヤラせてくれる女がいれば間違いなくそっちに飛びついていた。……そして、そんな子は高校で出会えるかもしれない。

A子がまた訊いた。「私のこと、これからも好き?」

俺は答えた。「わからない」

それは『高校でお前以上にいい女がいるかどうかわからない』という意味で。

入学式前日A子は別れた彼氏SEXをした。A子の処女は別れた彼氏に捧げられた。

高校に入学して一ヶ月。ヤラせてくれそうなかわいい女の子はいなかったが、A子には彼氏が出来た。別に俺とA子は付き合っていたわけではない、これは普通のことだ。俺とA子の関係は、いつもどおり、変わらない。いつもどおり、揉ませてくれるなら、性的欲求の捌け口になってくれるのなら、それでいい。

俺はメールで訊いた「会わない?」会ってはもらえなかった。

また別の日に訊いた。また会えなかった。さらに別の日に訊いた。会えなかった。また、ヤれなかった。

そんな感じでしつこくヤろうとしていたある日、春休みにしょっちゅう遊んだ男友達の彼女(この子は元々A子と仲が良い友達だった)からメールが来た。

「A子にはもう彼氏がいるんだからしつこく付きまとわないであげてくれない?ヤりたいだけなのが見え見えでキモいよ」要約するとこんな感じだ。

その時に初めて気が付いた。自分がどれだけ愚かなことをしていたか。どれだけA子の感情を踏みにじっていたか。そして自分とA子の関係もう中学生だった頃のように元には戻れないということに。

それからはなんていうか本当にダメだった。A子とはほとんど関わりは無くなって女性とも殆ど喋れなくなった。「自分みたいなクズ人間女性と仲良くなってはいけない」とか「二度と誰かの真っ直ぐな気持ちに干渉したくない」とか考えたりしていたが、単純にA子の友達からもらったメールみたいな剥き出しの嫌悪を浴びるのが怖かった。誰もが自分の事を裏では嫌っているんじゃないか、陰口を叩かれているんじゃないかと思うとほとんど誰とも仲良くなれなかった。自分の好意を嫌悪で返されるのが怖かった。ずっとそんな感じのまま、俺は高校卒業した。

こんな嫌な思い出が染み付いた場所から離れたい一心で勉強して、なんとか他県の大学に入って、俺は一人暮らしをすることになった。その頃から数少ない高校の友達との関係や、昔の自分なんかを根拠に「俺はそんなに人に嫌悪感を持たれたりしない」とか思い込むようにし始めた。いい加減まともな人間に戻ろうとしないと一生このままのような気がした。だから、なんていうか「彼女が欲しくなった」のだ。失われた高校生活を取り戻したくなったのだ。SEXはしなくてもいいとは言わないが、それ以上に好きな女の子と一緒にデートしたり他愛の無い話をするという行為に強い憧れを抱いた。これは本心からなのかは俺には判断しかねるがそうであって欲しいし、もし彼女SEXしたくないと言えば絶対しないつもりであった。

大学に入ってから今までより積極的に人と接した。女の子とも友達になったし合コンにも行ったりした。でも高校生活の三年間をほとんど女性コミュニケーションを取らずに生きてきた俺はどういう話をすれば良いのかということがわからなかった。しかも高校時代一人で色々やってたせいで趣味も独自に形成されていったからほとんどの人と好きな本や音楽の話も出来ない。もしかしたらもう二度と自分は心から楽しく女の子と会話できないんじゃないか、とさえ思った。

ある日、某SNSをやっていて郷里女の子と仲良くなった。写真を見たが彼女はかなりかわいく、ついでに俺の好みだった。一応断っておくが彼女が所謂ネカマであったりネットの中でだけ別の人間を演じている、ということは無い。その理由の説明が面倒なので割愛するが、身勝手とは思うがそういう可能性はここでは排除して読んで欲しい。無論彼女写真が偽者である、とか、写真映りが良い、とかそういうどうでも良い可能性も排除していただきたい。そんなことは話の本筋とは関係がないんだ。

彼女とは趣味が合った。趣味が合うことは他の女性でも度々あるにはあったが「それのどこが良いか」「どういうものが嫌い」というさらに詳しいところで意気投合した。彼女と話す時は本当にどうでもいい話でも楽しかったしいつも聞いてて退屈なだけの相手の「自分の話」も強い興味を持って聞けた。意見が違う部分でもそれを納得して尊重できた。

ある時ふと自分彼女の事が本当に好きだと気付いた。この文字だけの関係が空虚で現実味の無い物で希薄なものだとしても、それでも俺は本当に彼女の事が好きだった。それでもやはり文字だけの関係はどこまでも希薄で吹けば飛ぶような物で、どんなに長い時間を積み重ねても、会って一日話すだけでその情報量を軽く超すような関係であることは明白だった。彼女と会って話をしてみたい。彼女の声を聞いてみたい。彼女の色々な表情を見てみたい。そう思った。折りしも季節は帰省シーズン。クリスマスなんてイベントが含まれていたりする。もしその日を彼女と過ごせたらどんなに良いだろうか、なんて甘い夢想を抱いたりした。

彼女には今彼氏がいない。彼女はかわいいので、きっとすぐに彼氏が出来るに違いない、と思った。彼女に会いたい。彼女に俺を好きになってもらいたい。そう思った。俺は勇気を出して訊いてみた。「クリスマス一緒にどっかに行かない?」

もちろん早計すぎることは恋愛経験値の低い俺でも目に見えて分かっていた。それでも訊かずにはいられなかった。

まぁ、もちろん答えはNOだった。後から判ったことなんだがクリスマスではないが俺より後から来た昔好きだった人からの誘いには乗ったそうだ(結局そのデートは実現しなかったそうだが)。

それでまぁ、それから何もないまま俺は実家から下宿先に戻ったのだが、誘って以来俺と彼女関係がぎこちない。彼女が喜んで飛びつきそうな話題をあからさまにしても滅多にそれに反応しないし、俺との関わりを出来る限り拒んでいるようにさえ見える。

そうなってしまった原因が100%俺にあることくらいはわかっている。会ったことも無い人間クリスマスに会うなんて女性にとって恐怖の何物でも無いに決まってるじゃないか。俺がいくらそんなつもりはなかった、と言っても下心が見え見えじゃないか。なんでそんなことにも気付かなかったのだろう、なんて後悔は今は置いておく。ただ今はもう二度と自分にとって大切な関係を失いたくない。もう一度彼女と屈託なく文字だけの関係でも良いからおしゃべりがしたい。それだけだ。一体どうしたら元に戻れるのだろう。

2009-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20090114133858

この元増田モラトリアムしたいだけにしか見えない

現実感覚希薄すぎる

あー、そうかも>モラトリアムしたいだけ

中二病っぽいよね。

現実感覚というか、身の回り親族、知人が多すぎるんだろうね。

どこか地方で一人暮らしでもすれば、元増田希望は叶えられるかと思う。

2009-01-12

埋まらない何かを求めて、怠惰非コミュからの脱出

吐き出すように書いた前エントリーでしたが、共感違和感嫌悪感など、

なんらかの感情を抱いていただいたようで、ありがとうございます。

 

好みの女の身体は数万円で買えるが、それでも埋まらない何かがある。

http://anond.hatelabo.jp/20090111011013

 

その前向きな(つもりの)続編です。

再生物語というにはまだまだ早い、悔悟録とダメ人間決意表明のようなものです。

本当に自己満足的なものですが、ここに書き残しておきます。 

 

 

性的な満足は、風俗で十分に得ている。

それでも、これほどまでに満たされない原因は何か。

そう考えて、やはり本当は自分も人とのふれ合い、濃密な人間関係

人一倍強く求めているんじゃないかと気付いた。

 

大学卒業以来、人間関係にほとんど時間も労力も頭も費やして来なかった。

完全に受け身で、交友関係の大半を放置していたから、どこに顔を出しても

「久しぶり!」と声がかかる。

たまに気が向いた友人・知人からの誘いに応えるだけの交友関係で、

自分からは全く連絡も遊びの誘いもしない。

電話帳には多くの友人が載っているが、気軽に今すぐ飲みに誘える友人は一人もいない。

 

卒業後、人間関係は猛烈に希薄になって行った。でも、それで寂しいとは思わなかった。

それはたぶん、知らず知らずのうちに前妻にコミュニケーション欲求の大半を

依存していたからだ。

そして別れる前の1,2年は、彼女とのコミュニケーションさえも惰性になっていた。

それでも期待度の低い俺自身は満足していた。満足していなかったのは彼女だ。

 

彼女離婚した今、俺はコミュニケーションにおいて、自立しないといけないのだろう。

希薄人間関係しか築けないことこそが「非コミュ」である所以であり、満たされない

ことの一番の理由なんだと思った。

 

 

自分には、実現したいある夢があって、学生時代からそのために数人の仲間と

結構な時間を割きつつ生きて来た。

だから就職しても、恋愛も友人も仕事も二の次という感覚だった。

正直、仕事中に内職をしてたりした。そりゃ、出世しないよな。

その夢はまだ実現出来ていないが、ずっと協力している仲間もいるし、

少しづつ実現へと向かいつつある。

(※彼らとのやり取りは頻繁にあるが、一緒に遊んだりはしない)

ただし、成功する確率は低いし、正直まだ趣味レベルでしかない。

 

と言っても物凄く怠惰性格なので、夢の活動で何か挫折するたびに

趣味快楽に走り、活動に飽きるたびにゲームネットに逃げていた。

気が散って効率の悪い仕事から遅く帰り、夢のための作業に取りかかり、

途中で飽きてネットゲームに走る。そして深夜から明け方に眠る。

妻がいながら、そんな生活を毎日のように繰り返していた。

 

いつしか、その「夢」は、仕事に本腰が入らず、友人関係希薄なことを

正当化する便利な言い訳になってしまっていた。

夢がまだ実現出来ないのは仕事が忙しいせい、仕事出世しないのは、

夢の活動に力を入れているせい、とそれぞれを言い訳にしてしまっていた。

正直、最悪だ。

 

そんなダメ人間犠牲になって耐えて来たのが前妻だったわけだ。

彼女は集中力と責任感が強く、仕事が出来る人だった。

だから、給料もかなり高い水準に達していた。料理も上手だった。

そんな彼女が、俺と一緒にいる理由が、正直言って自分でもわからなくなっていた。

 

確かに、昔の自分はもっと自信に満ちていて、様々な活動や交友関係にも積極的で、

自分の周りにはいつも優秀で魅力的な友人達が集まって来ていた。

彼女と知り合ったのも、そんな絶頂期の頃だ。

社会人の先輩として彼女仕事の相談にも毎晩のように乗ったりしていた。

 

それから数年、俺だけが何も成し遂げず、だらだらと時間を過ごしている。

たぶん、俺は足踏みをしている間に、前妻を含む色んな人に追い越されて

行ってしまったんだと思う。

当時の友人達の輝かしい、本当に輝かしい報告をメディアネット上で多く目にする。

かつては彼女も、俺がそんなステージにいずれ立つ人間だと思っていたはずだし、

俺自身もそう信じて進んでいた。

ただ、自分が人一倍怠惰なのは自覚していたから、正直不安だった。

そして未だに結果は出ず、前妻も浮気をして逃げて行った。

そして離婚して、本当に色々な面で彼女が支えになってくれていたことに気付いた。

浮気という事実があったため素直になれず、最後まで感謝の気持ちは伝えられなかった。 

それまでにも伝える機会はたくさんあったのに、もう二度と伝えられなくなってしまった。

 

しかし、時はもう戻らない。

大事な支えを自ら手放し、一時の快楽に溺れ、埋まらない心の闇を

抱えて迷走している俺がいる。

 

 

これから、どうすればいいんだろうか。

自分でも驚くくらい、くだらない結論を書く。

 

 

ネットゲームを辞めて、交友関係時間を割かない限り、俺に未来は無い」

 

 

もちろん、辞めたらすぐに明るい未来が来るとかそういう単純なものではない。

あくまでもスタート地点だ。だが、今はそこにすら立ててないのだ。

 

空き時間の使い方や、気分転換の方法を、コミュニケーション重視に変える。

快感を得るための一方通行の娯楽を辞めて、コミュニケーションを娯楽として

楽しむように自分を変えて行くのだ。

一番簡単なのは、社会人サークルネットコミュニティなどに入ること。

それならば、受け身な俺でもスタート出来る。

あとは、人間関係を維持するための行動を、日常生活の習慣として組み込むことだ。

メール電話は内容じゃなくて回数を重視する。それを習慣にしてしまうのだ。

 

 

自分は、受け身の人間だ。そして、とても怠惰人間だ。

やりたいことに突っ走る時のパワーは、それなりに評価されるが、持続性が無い。

 

だから、この決意もどれだけ続くか、全く自信がない。

過去に、似たような決意を何度も繰り返して来たからだ。

まあ、でもやるしかないんだろうな。

ネットゲーム風俗だけを歓びの糧として生涯を生きていくのは、たぶん俺には出来ない。

恋人を作るより前に、まずは腹を割って話せる、気軽に飲みに行ける友人が必要だ。

 

ネットゲームをしないことに加え、早寝早起きも大事かもしれない。

この2つを持続させる方法を考えてみよう。

そして、浮いた時間を全てコミュニケーションと交友関係の維持にあてよう。

しかし、そんなことが出来るのか? ゲーム機売るのか? ネット回線解約するのか?

ああ、何か絶対守れない計画のような気がしてきた。

 

それでも今すぐ、やらないとダメだ。

たぶん、極端なやり方は破綻する。

少しづつでも、非コミュ時間を減らし、コミュニケーションの力を回復して行くしかない。

さもなくば一生、この心地よい闇からは抜け出せない。

 

それくらい、このひとりきりの怠惰な闇の中は心地がいいのだ。

 

 

2009年1月12日 もがき始めてみる。

 

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん