前提となる知識のあるなしで全く物事のとらえ方が違う話題を取り上げて、大多数には話が通じているようなのに、最近突然「それがいったい何の問題なんです?」と食ってかかってくると言うか、自分がずれて話をしているということがよく分からずに若干ずれた論を展開する人が最近増加中、というか自分の目につく。
たとえば(大げさなたとえになってしまうが)「派遣社員の職が減っている」という話題があったとする。
これに対して、経済が減速していると言う事前の知識がある人は
と言ったことが導き出せる。(あくまで例である)
が、それに対して、突然現れ
と言ったことを言い出す輩である。(あくまでも例である)
まぁ要は「とりあえず半年ROMれ」とかそう言う話になっちゃうのかもしれないので、古典的かもしれないが、昔ならある程度自浄作用と言ったら良いのか、そう言ったことを直接的、或いは間接的に分からせる人がいたもんだが、最近はそうでもなく、そう言った人が妙な理論によって話を無理矢理に進めようとし、さらに似たような知識のない人がさらに入ってきて、ぐずぐずになり、うまく話が通じなくなる。
ちゃんとした例だとそこで、だれかが経緯をわかりやすくまとめたものを示し、そう言った前提となる知識がないひとにもどうしてそう言った話になっているのかを説明する人が出て(多くの場合は少し前に流行った表現でモヒカン族的に、思考エリートが強烈に書き記す)、話は元に戻るのだが、多くに場合、周りがまず嫌になって話を打ち切る、と言う例が多い気がする。そして一方的に勝利宣言してみたり(どこで勝ち負けが出る話になってたんだ?)とかして、外野としてはあーせっかくの話が途中で止まってしまったなぁ。と言う感想しか持たないことになる。
いや、インターネットはたくさんの人がいますよ、と言うことなのかもしれないが、しかし、昔に比べてコメントを書くと言うことにハードルが落ちてきているのか、そう言う例が増えているような気が。有り体に言うと以前なら匿名掲示板文化というか、そう言うものが大きく影響する場のみであったのだが、最近は一般ブログのコメント欄とかそう言うところでも増えているように思う。
自分の感覚だと、自分があまりにもその場の話と異なる感想しか持たなかった場合(つまり大多数の意見と異なる場合)まず自分が違うのではと疑問を持ち、多少なりとも調べてその上でコメントするなりなんなりすると思うのだが、そうではなく、何も考えずに書き込んでいるように見える。
まぁ単純に自分がじじいになっただけなのかもしれないが。しかし…。
http://anond.hatelabo.jp/20090222003535「うまく話がつながらない話」 を書いた増田ですが、じじい的な邪推をさらに加えてみると、これって携帯の文化がだいぶ浸透してきているせいじゃないか...
そうかもなぁ。 というか、 1. 思考力がない(つまりバカ) 2. バカであることに誇りを持っている(もしくは、問題を感じていない) 3. 自分の理解できないことは理解する必要がない...