はてなキーワード: 小説版とは
俺のアイデアを書けって、インターネット業界(笑)に絶望してる俺に、アイデアなんかあるわけないだろ?ww ただ、批判に聞こえたかもしれないけど、一応、応援してる。ところで金にする方法は後で考えろっつってるけど、これ趣味なの? だとしたらちょっと変わってくるとは思うが、そうでもないんだよな?
1000万もなくても、いい広告商品考えて、ターゲティングがしっかりされてれば、100万でも何とかなるよ。ただ、この不況の中で広告を入れてくれるクライアントがいるようなサイトを作れればの話な。
大手の出版社では難しいけどな。あと、雑誌自体が集稿落ちてる中で、わざわざ雑誌作らなくてもいいと思うが、そのあたりは事情があるのか?
なるほど。
面白いが、音楽を批判する意見も出てくるので、アップルが乗ってくれるかな。あとは音楽業界からの出稿が多分難しい。
・コンシェルジュサービスサイト。旅行の全行程のチケット、及び予約を一つのサイトで取得する。
・近所づきあい.com 近所に住んでいる人たちだけのサイト
・小説家の練習帳 小説を書きたい人だけが集まる。pixivの小説版を目指す。
・共有ホワイトボード。複数人で一つの無限サイズのホワイトボードを共有する。pptの共有みたいなもの。みんながみている中でリアルタイムに変更できるppt
これはすでにある。なので、すでにあるものとどう差別化するかまでアイデアを出したほうがよさそう。
俺これすごく好き。(でも俺が好きなだけかもしれない)。国際試合とか、他の国の人の意見もリアルタイムで読めたら面白いよな。すぐ作ってくれ!
マジレスしても、翻訳の精度が高ければ、売り物になると思う。作って、色んなサイトに営業に行けばいいんじゃないか? 掲示板に限らなくていいと思う。海外のサイトにも売れるかもね。
韓国語なら既にある。韓国語<>日本語は文法がにているため可能。かなり自然な文章になる。日本語を英語とかにするのは(実用Lvの文章にするのは)難しいと思う。
・共有ホワイトボード。複数人で一つの無限サイズのホワイトボードを共有する。pptの共有みたいなもの。みんながみている中でリアルタイムに変更できるppt
オレが考えたものを批判するんじゃなくて、おまえのアイデアを書いてくれw
(って前にも言った気がするぞ)
あと、ニーズを言ってるんだから、金にする方法は後で考えろ。
月一千万PVとかあれば広告だけでも1人なら十分食っていける。
どこかの出版社の社長が、「よし、ネットの意見を参考にして毎月雑誌を出すぞ」と思えばいいだけ。
・音楽の感想のサイト。現行サイトは使えるものがない。itunesあたりと連携すれば金になるんじゃないか。
・コンシェルジュサービスサイト。旅行の全行程のチケット、及び予約を一つのサイトで取得する。
・近所づきあい.com 近所に住んでいる人たちだけのサイト
・小説家の練習帳 小説を書きたい人だけが集まる。pixivの小説版を目指す。
・完全自動翻訳掲示板。何を書いても参照しているアカウントの言語で表示される。
・共有ホワイトボード。複数人で一つの無限サイズのホワイトボードを共有する。pptの共有みたいなもの。みんながみている中でリアルタイムに変更できるppt
ガンダムOO(セカンドシーズン)を今日初めてちゃんと見た。興味もなかったから。
いや驚いた。甘い演出なのかなのと思いきや二期の第一話から血は出るわ、残酷な対人兵器がでてくるわで。
第一期は見てないが、こんな感じで人がばんばん死んだんだろうか。
一昔前だったっけ、たしか、ただ人を殺すためだけの殺人機械がまさに機械的に人を処理していくのに戦慄を覚えたな。そのマシンがすぐそばまで来たのをやり過ごすために物陰に息を潜めて凍り付いている人間。呼吸すら生体反応として感知される。あれはガンダムの小説版だったと思う。たぶんVガンダムだった。名前は2文字くらいの「バグ」とかそんな感じ?まあ名前はいいや。俺は子供心に衝撃を受けたわけだが、今思えば俺に情操教育的にかなりの影響を与えたんじゃないかと思う。今の子供たちもそんなこと感じながら育つのかなーと想像してみて、良いのやら悪いのやら。あの殺人機械って初出はもっと前なんだよな、おそらく。ガンダムシリーズ全部は知らないからわからんが、F91くらいの頃には既にあったような(Vとほぼ同時期?)。まあ俺がその頃くらいの作品からしか知らないわけだが。あの小説版の描写では今回見たのよりもっと残酷だったような気がする。今回のは四つ足の箱形に機関銃がついているだけのシンプルなものだし(それでも十分恐ろしい)。あと声優さんの演技がリアルだった。殺戮のリアルを知らないのにリアル言うのはどうかと思うが、つまり、断末魔の恐ろしさや苦痛を感じさせたと言うことだろうな。そうだ小説版では核融合炉の爆発の描写もあったな。ともかく、今はこれを見て育つ子がいるんだなあ。何も感じないのかな。みんながみんな俺みたいではないんだから。書いたから別に何だというわけじゃないけど、視聴して感じたり思い出したり考えたりしてこんな所にでも書きたかった。
A possibility of the change clothes and mental growth in a Strike Witches
1.はじめに
かつて王様は『馬鹿には見えない服』を纒い、裸であると指摘された。王様はそれに恥じ入ったが、そうするべきではなかったのだ。彼はこういえば良かったのだ。
『裸じゃないから恥ずかしくないもん』、と。
それが如何に認知上でパンツのように見えたとしても、属性としてパンツでなければどれだけ見せても良いのだと、多くの人に知らしめたアニメーション作品も遂にそのテレビ放映が終了となった。果たして今後『マエバリじゃないから恥ずかしくないもん』と言い張る作品が出るのかどうかが議論される昨今であるが、今回はこうした議論の活性化に貢献したそのアニメーション作品について、追悼の意を込めて一つの考察を行いたい。
なお、以下は全て同作品のTVアニメ版の設定に準拠するモノであり、小説版・漫画版に関しては必ずしも同一世界上であると限らないので考慮には加えていない。その為、一部の考察に関してそれらの設定と矛盾があるかもしれない事をご理解いただきたい。
さて、問題となる作品において活躍した連合軍第501統合戦闘航空団に一人の少女がいる。少女の名はサーニャ・V・リトヴャク。彼女が他の機械化航空歩兵達と一線を画する部分として、スカートの様なモノの着用が上げられる。魔力伝達の阻害の軽減、戦闘脚の着脱時の簡便化、文化等の様々な『理由』により基本的にスカートや、我々が言うところのズボンを穿く事がない機械化航空歩兵達の中において、サーニャ・V・リトヴャクだけがスカートの様なモノを穿いているのである。戦闘脚を必要としない看護師でさえ下半身を露出した制服である世界観の中において、これはある種異様な事である。
ここで一つ正直な事を言えば、筆者は見直すまであれはビスチェ状の部分と一体化しているワンピースの裾であると思い込んでさえいたのだ。これは全くもってリトヴャカー(サーニャ至上主義者の意)として度し難い失点であり、猛省している。しかし、これはそれだけあの世界において、そうした服装が特殊であると認識されるという事でもある。
さて、ではサーニャ・V・リトヴャクが世界唯一のスカートらしきものの着用者なのかと言うと、そうとは言い切れない。第一話において登場した宮藤芳佳の祖母はモンペの様なモノを着用している事が確認されているし、母親の方もスカートの様なものは穿いていなかったが、丈の長い白衣風のコートのようなものを着用していた。また一部のモブキャラもスカートらしきモノをはいている様に見られ、第八話においてはサーニャ・V・リトヴャクと同隊のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケが足下まで裾のあるドレスのようなものを着用しており、下半身を隠す衣服が文化的に存在しないわけではない事が示されている。
しかし一般的にスカートが着用されない中において、サーニャ・V・リトヴャクだけが日常的にスカートのようなモノを履き続けているのである。これにはどの様な意味があるのだろうか。
3.魔女は何故穿かないのか
まず、何故そもそも一般的な機械化航空歩兵は基本的に下半身を露出しているのか、という事について考えてみたい。機械化航空歩兵達が我々の言うところのズボン等を穿かないのは、特に戦闘脚の着用に理由があるとされている。これに衣服による魔力伝達の阻害の軽減という理由を合わせれば、とりあえず納得する事は不可能ではない。こうした観点から見た場合、サーニャのスカートのようなモノは実質的には他の機械化航空歩兵達の上着の裾と同程度の丈であり、戦闘脚に対する阻害はない。しかしこれは十分条件を満たすというだけであり、必要条件ではない。
次に文化的側面から考えてみたい。機械化航空歩兵達が下半身を露出する事は上記の理由により一応の納得を得る事が出来る。しかし、それ以外の一般人、看護師や学生等が何の理由により下半身を露出するのだろうか。こうした疑問に対して、原作者である島田フミカネは「この世界では普通のこと」であると答えている。つまり現実において様々な服装が変遷したように、あの世界では下半身の露出の高い服装が一般的であるという文化が培われてきたという事である。
あの世界では魔法が存在すると言われれば反論できないように、あの世界ではパンツではなくズボンであり、下半身の露出度は高いものだと言われれば確かに誰にも反論は出来ない。或いは、あの世界において一種のカリスマである魔女達が、先の魔力阻害の理由から露出的な格好であった事から、世においてもそうした服装が流行していったのだとも推測される。
しかし、そうであるならばなおいっそうの事、何故サーニャ・V・リトヴャクはスカートの様なモノを着用しているのかが不明瞭になるのである。
4.穿く魔女達
サーニャ・V・リトヴャクだけを見た上での検証には限界がある為、ここで一度視野を広く取って考え直してみる。実のところ、下半身の露出を抑えているのは彼女だけではないのだ。ただ実際にアニメ上で、ワンピースのような上着の裾の延長ではなく、下半身を隠すための衣服を明確に着用している事が確認できるのは、当のサーニャ・V・リトヴャクと宮藤芳佳の祖母、また第八話において赤城乗組員より宮藤芳佳に贈呈された芙蓉人形だけである。(アイキャッチにおいては他キャラのスカート姿も見受けられるが、イメージボード的な意味合いが強いと見られる為、考慮に入れない)また、もう少し範囲を広げ、ワンピース状であっても下半身を隠すのに十分な丈のある衣服で確認してみると、宮藤芳佳の幼少時代、同様にサーニャ・V・リトヴャクの幼少時代、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケのドレス姿があげられる。
これらの情報から共通点を見つける上で、芙蓉人形に関しては巫女服に類似している事から、何らかの正装として形式的に固定化されているデザインであると考えられる。またサーニャ・V・リトヴャクのスカートの様なモノに関しても、十人以上いる第501統合戦闘航空団において一名だけの着用であり、特殊性が高いケースと見る事が出来る。この為、この二点に関しては一度考慮から除外する事とした。
残されたケースについて見てみると、最初に目につくのが年齢層的な偏りである。4件中3件は幼い少女及び老婆であり、思春期、成人期を外れている。10代の女性ばかりである第501統合戦闘航空団(一部に『さんじゅうはっさい』と見られる人物もいるが)においても着用者がサーニャ・V・リトヴャクだけであり、一般的でないと見られる事は先に述べたとおりである。また、詳細に確認はとれていないが、モブキャラでスカートの様なモノを穿いているのも、壮年期に近い女性であったように見えた。
この事から、一つの仮説として、一般的に年頃とされる年齢層の女性は下半身を積極的に隠す服装をしないという事が言える。こうした年齢層の女性に限る行動について、まず考えられるモノが異性に対する性的な訴求である。つまり、この世界における露出的な服装は、年頃の女性達にとっては異性に対する性的訴求の一種であり、またそれが、服装自体としても流行しているのだと考える事が出来るのである。これは現実におけるミニスカートの流行を考えると、可能性としては考えられる事である。
この説が正しいとすれば、番組側は二度もの機会がありながら、何故ズボン丸出しの幼女を出さなかったのか、という全くもって度し難い愚行についても、納得はともかく説明は出来る事となる。
5.性と露出
また、興味深い話として、現実の中世ヨーロッパにおいて未婚の女性は下半身の衣服を短くし、結婚した女性は長くしたという学説がある。これは、女性の持ち物は男性が買い与えるモノである、という男性主導的な考えによるものであるが、作品世界において、先の仮説と併せて、こうした風習が一般的に広がっているとしたならばどうであろうか。
つまり、あの世界においては、女性は未婚時には下半身を露出した服装で異性に対して性的訴求を行い、婚姻後は(或いは個人差はあるだろうが)露出を控えていると考えるのである。この仮説に基づいて考えてみると、幼い少女時代のヒロイン達や、既婚である宮藤芳佳の祖母が下半身の露出を抑えていた事も無理なく説明できる。また、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケのドレスについても、あのドレスを贈ろうとしていた男性からの一種のプロポーズであると考えられる(実際、追想シーンにおいて出立前に彼女が燃やしていた衣服の裾は短く見受けられた)。更に芙蓉人形に関しても、巫女服に近いあの服装が、ある種の神仏に対する官職の制服であると考えると、信仰対象に対する忠誠・隷属を示す上での処女性の証明の一つとして、精神的な意味における神仏との契り、また他の一般の異性に対する雑念の払拭を示す意味合いでの服装であると見る事が出来る。
では、問題となるサーニャ・V・リトヴャクについてはどうだろうか。彼女が結婚しているかどうかは、考えるまでもなく未婚である(これはサーニャ・V・リトヴャクが筆者の嫁である事からも明らかだ)。ならば彼女が、まだそうした事に気をかけない程に子供であるかといえば、それもまた違う(これはサーニャ・V・リトヴャクが筆者の嫁である事からも明らかだ)。で、あるならば、何故サーニャ・V・リトヴャクはスカートの様なモノを穿いているのであろうか。性格的な側面から考えてみると、彼女は基本的には男女問わずに人付き合いを不得手としている事が伺える。本人がコミュニケーションを嫌っているわけではない事から、これは性格によるモノよりも、経験不足によるものであると考えられる。この様に同姓に対してもコミュニケーション不全的な面を持つ彼女が、異性に対すれば更なる窮地に陥る事は想像に難くない。況んや、恋愛沙汰となれば尚更である。
第501統合戦闘航空団においては、隊長であるミーナ・ディートリンデ・ヴィルケにより厳正に異性との接触が管理されていたが、これは私的な事情による部分が強く、別の隊においても同様であるかは定かではない。しかし軍隊である事と、機械化航空歩兵の存在が戦況を左右する状況下において、当の機械化航空歩兵に不快感を与える事は極力避けるであろう事から、程度の差はあれ異性との接触は制限されていると考えられ、相互理解を深めるほどの交流があたとは考えにくい。また、サーニャ・V・リトヴャクはネウロイ侵攻の混乱によって幼少時に両親と生き別れており、性的な面での教育が不十分であったと思われる。そうした異性に対する理解が不十分な状況下において、無言のうちに異性を避ける為の諸策が、あのスカートの様なモノではないだろうか。
10代前半の彼女が下半身の露出を抑える事で、既婚であると思われる事はないであろう事から、これは性差を気にかけない幼児的な服装の意味合いによって、自身がまだ子供であると装う性的な面におけるモラトリアム行為であると考えられる。こうする事によって彼女は自らを性的な対象外とさせ、恋愛面の複雑なコミュニケーションを避けているのである。
7.終わりに
サーニャ・V・リトヴャクは、性的方面における精神的な成長の不足から、スカートの様なモノを身につけていると考えられる。しかし、これはやがて彼女の内面が成長するにつれて変化をする事だろう。つまり、彼女はスカートの様なモノを脱いだ時からこそ、不鮮明な子供から確かな少女へと成長を遂げるのである。そして、次にまたスカートの様なモノを穿く時にこそ、女性となるのだ。
そして筆者はその日を待ち続ける。彼女によく似合うスカートの様なモノを握りしめて。
参考文献
ひろこ:LINGERIES
http://www.geocities.jp/putinkoleche2/
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/gogen.html
島田フミカネ:digital bs tuners blog―よく聞かれるので
http://humikane.asablo.jp/blog/2008/07/01/3605589
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~tsigeto/2001/writing/aoyagi2.pdf
http://anond.hatelabo.jp/20080714060957
男子を女子に置き換えて考えて見れば、露出が多くてムラムラするのも着替えや裸を見たがるのも容易に想像はつく。でも、
これだけがひっかかる。陰毛を毟り合う遊びが流行っていたなんて話は自分の体験としても人づてでも聞いたことがない。
それともあれか?腐女子ってのは男が陰毛を毟り合う様子を想像して興奮できるのか?どんなファンタジーな思考回路だよ。
というわけでこれを女に置き換えて考えてみる。
他には誰もいない部室にいる二人の少女。二人は同じ部に所属する先輩と後輩である。以下、年長者は姉、年少者は妹と呼ぶ。
「ねぇ」
「なんです、お姉さま?」
「私、あなたの陰毛が欲しいのだけれど」
「えっ」
「いいでしょう?一本だけ。いつも手元に置いておきたいのよ」
「お姉さまがどうしてもっていうのなら・・・でも、やっぱり」
「恥ずかしい?」
「だって」
「すぐに済ませてしまうから、ねっ?スカートを上げて頂戴」
有無を言わさぬ姉の気迫に、妹は自分で自分のスカートをたくし上げる格好に
姉、しゃがんでスカートの下を覗き込む
「かわいい下着ね」
「見てないで早くしてください!」
「怒らないでよ、褒めているのに」
「う、うれしくなんかありませんっ」
妹、顔を赤らめる
「しょうがないわねぇ」
姉が下着に指を滑り込ませると、妹は痛みを想像して目をつむる
「や、優しくしてくださいね」
「わかっているわよ」
「っ!」
姉、立ち上がると人差し指に絡みついた黒い毛を愛おしそうにほどく
「い、痛くしないっていったじゃないですかー」
「ごめんなさいね、でも爪を立てて抜いたらせっかくの毛が痛んでしまうでしょう?」
姉、白いシルクのハンカチを取り出して痛みで涙が出た妹の目元をぬぐう
「ありがとう、大切にするわ」
姉、そういうと毟った陰毛を広げたハンカチに乗せ、たたんで制服のポケットにしまう
「あの、一つお願いしてもいいですか?」
「なにかしら」
「私にも・・・お姉さまの毛・・・欲しいです・・・」
窓から差し込む夕日だけが二人を見ている
・・・ファーストガンダムの小説版でもセイラさんの陰毛がどうとか言ってたし、陰毛って案外ありかもしれませんね!
オチはない。
俺は今、ベッドに寝転がりながら自分の手元にある機械を眺めていた。一見ただの黒くて薄っぺらい塊の、その機械はiPod touch。今日の帰り道でたまたま拾ったものだ。多分人並みには道徳心を持ち合わせていない俺は、その機械をもらってしまうつもりで拾って家に持ち帰った。そして今、そいつと顔をつき合わせている。
イヤホンをしてそいつのイヤホンジャックに差し込んで、そして前面に一つぽつんとつけられたボタンを押してみる。そうしたら、前面のパネルに『ロック解除』と光るスライドボタンが現れた。てっきり本体のボタンを押してしまえば音楽が聴けるものだとばっかり思っていた俺は、肩すかしを食らうのと同時に困惑した。一瞬戸惑ったが、そのパネルに表示されたボタンをタッチして見た目の通りにスライドさせてみると、今度は電卓の様な画面と一緒に『パスコードを入力』という表示が現れた。
またもや肩すかしを食らった。どうやら曲を聴くには、数字を4つ入力しないとならないらしい。試しに適当な数字を入力してみるが、『パスコードが違います』と赤い表示が出てくる。
こいつでは音楽が聴けないのか?
軽くいらだちながらあれこれといじっているうちに俺は、最初に押したぽつんとしたボタンを2回連続で押してみた。すると、ギターを持った山崎まさよしの写真と一緒に再生ボタンだと思われる三角が表示された。
俺は当たりを引いたらしいことに軽く興奮し、今度こそと思いながらその三角をタッチした。
するとどうだろう、見事にギターのイントロが聞こえてきた。
その曲は、『One more time, One more chance』だった。
俺はもっと他に曲が入っていないか、再生ボタンと同時に現れた早送りボタンや巻き戻しボタンを押してみたが、どうにもその曲しか流れない。
やっぱりちゃんと音楽を聴くにはこのパスコードをなんとかしなければならないことに気づいて俺は軽く落ち込んだが、今しばらくはこの山崎まさよしの名曲に聴き入ることにした。
その曲で俺はふと、中坊だった頃の出来事を思い出した…。
その日は俺にとって特別な休日だった。小学校の頃から密かに憧れていたあの子と、一緒に映画を観に行く約束をしていたからだ。しかも、二人きりで。最初はクラスの奴ら5、6人で、みんなで観に行く予定だった。ところが約束の日が近づくにつれ一人抜け、二人抜け、最後には俺とあの子以外のみんなが揃って予定を悪くしてしまった。あれはきっと誰かが気を回してくれた結果だったんだろうと思ってる。要するに、隠していたつもりの俺の気持ちはあいつらには筒抜けだったというわけだ。そのことに多少気恥ずかしさを覚えたが、しかし折角もらえたチャンスを俺はモノにするつもりだった。
薄曇りの寒い冬の日、俺と彼女は昼前に待ち合わせて一緒に電車に乗り映画館のある街へ向かった。
あの日の俺は冴えていたと思う。まずは映画館に向かい午後半ばのいい席のチケットを買ってからファミレスでお昼ご飯を食べて、上映時間になったら再び映画館へ行って映画を観た。そしてその後あの子のウィンドウショッピングにつき合って、あの子が色々と眺めていた小物のうちで俺もいいと思ったものをあの子に気づかれないように気をつけながら内緒で買った。本当にいい手際をしていたと思う。
冬の日、早くに日は暮れはじめ、さあそろそろ帰ろうと、駅で切符を買おうとしていた時だった。
俺はだんだん緊張してきていた。帰りはあの子を家まで送っていって、告白しながらプレゼントを渡すだけ。たったそれだけが俺の完璧な計画に残った最後のシナリオなのに、それを迎える勇気はまだ出来ずにいた。
「あれっ!?」
そんな俺の逡巡を、あの子の短い悲鳴が断ち切った。
俺は驚いて彼女の方を向いた。
「どうしよう?お財布落としちゃったみたい…」
自分でも信じられないといった様子で、彼女は俺に告げた。
シナリオにないそのトラブルに、俺は非常に焦った。動揺しながらも、彼女と一緒に今日立ち寄ったところを、財布を捜して一通りまわってみた。でも、見つからなかった。
駅に再び戻ってきたとき、あの子は泣き出しそうな顔をしていた。俺もどうしようか途方に暮れていた。さっきプレゼントを買ってしまったため、電車賃は自分ひとりの分しか残っていなかった。
だから俺は、あの子に自分の財布を押し付けながらこう言った。
「お前電車に乗って帰れよ。俺は歩いて帰るから」
俺は、トラブルでの動揺ぶりを少しでも挽回したくて、余裕を持った振りをしてこう言った。
「でも、そんな…」
そう答えるあの子に、俺は更に余裕を見せつけるべく、ポケットの中から当時ようやく普及しはじめていたMDウォークマンを取り出し、
「大丈夫だって。これがあるから退屈しないし」
と強がった。
そうしたら彼女は、少し考えた様子で、
「じゃあ一緒にそれ聴きながら歩いて行こう。私もウォークマン聴いてみたいし」
と提案してきた。
俺はなおも彼女を電車に乗せようとしたが、彼女の「ウォークマン聴きたい」という意見を退けられず、結局二人して歩いて家まで帰ることになった。
そのウォークマンで流れていた曲が、山崎まさよしの『One more time, One more chance』だった。その日観た映画の主題歌だった曲だ。
ほどなくして、雪が降ってきた。
もう日は暮れていて、街灯の明かりにだけひらひらと光る雪が。
俺たちは、ふたりで一つのイヤホンをして線路沿いの道を歩いた。雪の寒さに身をかがめ、黙ったまま歩いた。何度も何度もリピートしてかかる『One more time, One more chance』を聴きながら。
不意にあの子はそうつぶやいた。
「家までずいぶんかかることになっちゃうね」
そして、
「ごめんね」と。
その言葉に俺は、
「何言ってんだよ。老化は足から来るって言うし、俺ら若いもんは歩いて当然なの」
はっきりとは覚えていないが、確かそんな感じのことを答えたと思う。考えてみれば、中学生の発言としては多少ジジ臭かったかもしれない。
そのまままたしばらく、黙ったまま道を歩いた。
だんだんと白くなっていく足下に、並んで、一定のテンポで、黒い跡をつけながら、黙ったまま道を歩いた。
信号待ちで立ち止まった時、俺はふと気づいた。家に電話をして親に迎えにきてもらえば帰れると。なんでこんな簡単なことを今まで思いつかなかったのか、軽く後悔しながらあの子の方を向いて、口を開こうとした。
あの子はただ、まっすぐ前だけを見ていた。
その目元は、なんと表現したらいいのだろうか?はにかむ、というのか、優しげで、切なげで、でも幸せそうな。そんな横顔をしていた。
それを見て俺は言葉を飲み込んでしまった。そして、このまま歩いて帰ろうと心に決めた。
信号が青に変わり、俺たちはまた歩き始めた。
何度あのギターのイントロを聴いた頃だっただろう?結局地元の駅に着いたのは夜の11時過ぎで、駅の前に待ち構えていたお互いの両親にたっぷりと怒られた。俺としてはあの子を家まで送っていくつもりだったけど、そんなことは出来ず、俺たちは別れてそれぞれの親と一緒に駅から家までの短い道のりを帰った。
その短い道のりの中で、俺は両親になんで電話しなかったのか問いつめられた。あの信号で思ったことをそのまま言うことは出来ずに、「別にいいだろ」とぶっきらぼうに答えたのを覚えている。
そして同時に、こう思っていた。
あの子も俺と同じ気持ちで歩くことを選んでくれていたらいいな、と。
あの子との特別な思い出は、それっきりだ。俺たちは違う高校に進学し、疎遠になってしまった。
そんなことを思い出しながら俺は、きまぐれであの子の誕生日をパスコードに入力してみた。当然ながら、正しくはない。
「だよな」
そう思いながらそのiPod touchを一旦は机に置いたが、ふともう一つのきまぐれを起こして今度は自分の誕生日をパスコードに入力してみた。
そうしたら、ロックが解けた。
俺は一瞬固まってしまった。でもすぐに我に帰り、何かに取り憑かれたかのように、左下に現れたミュージックボタンをタッチする。そしてプレイリスト、アーティスト、曲、アルバム、その他、すべてをチェックした。
そのiPod touchには、山崎まさよしの『One more time, One more chance』しか入っていなかった。
俺はそれを見て、あの結局渡しそびれてしまったプレゼントをどこにやったのか思い出そうとしながら、「また、歩くか」とつぶやいた。
窓の外には、雪が降っていた。
どっちもファンって訳じゃないけど。ひぐらしは漫画版と小説版を読んだだけ、三池崇史の作品もそこそこ。
三池崇史があの題材で映画を撮れば、ある意味面白いのが出来た気がする。
そしてひぐらし信者が怒り、オタク層が騒ぎ、それを見て三池信者が怒り。サブカルな映画オタク層(他に上手い表現が見付からなかった)が評論めいたことを書きながら、三池を持ち上げたり貶したり(持ち上げる方が多い)
評論好きのサブカルな層がその対立を分析する文章を書き。2chの痛いニュースとかで話題になって。
映画批評系の雑誌やサイトからは、映画自体はイマイチ(凡庸もしくは滅茶苦茶)と評価をされ。
竜騎士07は色々あって潰れる。三池崇史はどこ吹く風で次の作品に取り掛かる。
竜騎士07は前の事件で、マスコミに取り合げられた時の反応を見た感じ、潰れやすそうな気がする。
アニメオタク(特に漫画やアニメしか見ないタイプ)は基本実写なら全部叩く気がする。
あのキャラクターで実写はアレだけど、ストーリー的にはそんなに不可能とは思わないけどな。
トンデモ作品にはなるけど。
三池信者はとりあえず絶賛で、アニメオタクが貶してるのを見てぶち切れ。
サブカルな映画オタク層が「自分たちは一歩線を引いて」みたいな文章を書く。
以上俺の妄想。
別に三池崇史特別好きな訳でもないのに、こんな文章になってしまった。
ひぐらしは原作やってないから、なんとも言えないけど漫画は割と面白かった
初めに投稿した時。間違えてたおまけに機能を知らなかった、反省している。
漫画版の『NHKにようこそ』は引きこもりの話ではな い。主人公は原作小説ほどネガティブでも内向的でもなく、世界と敵の関係について考え込んだりもしない。自意識のベクトルが、原作ほどの自己嫌悪へは向か わず、他人や他人からの視線への過剰な関心という形で現われる。では何の話なのか? それは「誰かのために」の物語である。
中原岬は幾度となく言う
「つまり…私は…/ひきこもりを助ける
その…/天使みたいな…/もので…
決してからかってる/わけじゃなくて…/本気の本 気!!
つまりボランティア/みたいなもので…/別に佐藤君が 好きとか/そういう……」(2巻p123)
「あたしは佐藤君を/天使のように助けようと思っ て……」(2巻p168)
「わ…私は/弱者に優しい/天使というだけのことです」 (3巻p163)
「な…何ですか/関係ないじゃないですか!/私はただ天 使だから…
佐藤君を助けなきゃ/いけないから!/クーリングオフ を申し込みに/来ただけじゃないですか!!」(3巻p165)
「誰かのために」は通俗的な用法としての「共依存」と 言い換えてもいいかもしれない。「共依存」の人は、自分自身の問題と向き合う前に、身近な「困った」他人の問題ばかりに気を向けて、その問題の解決に身を 捧げてしまう。しかし、そのような態度が、根本的な他人の問題の解決に向かうことはない。というのも、そのような「困った状況」において、世話をされてい る彼/彼女は、自らの努力で問題を解決するチャンスを奪われてしまう上に、その状況が続くことを世話をしている彼/彼女が望んでしまいさえするからだ。こ れが、(やや通俗的な解釈ではあるが)「共依存」ということの意味である。
「共依存」というと、互いに依存するようなカップルな どを思い浮かべる人もいるが、「共依存」自体は一方的な献身においてであっても(むしろそうであるからこそ)発生する。「自分が誰それから必要とされてい るはずだから、自分は誰それの世話をしてあげるんだ!!」と思い込んでしまうのが共依存だからだ。その意味で中原岬は、典型的と言ってもいいくらいの、 「共依存」である。
「共依存」は引きこもりに近い状態ではあるが、社会性 としては引きこもりより一歩進んでいる。一般的に「引きこもり」は自分のことだけに関心が向いてしまい、外界に対しては一切の干渉/被干渉を拒否してしま うというイメージであるが、「共依存」においては少なくとも、「自分を必要としているはずの」他人に対する関心や干渉はあるのだ。これは、ラカンにでも言 わせれば鏡像段階などと説明されるのだろう。
さて、「自分よりダメな人間を見つけたから」佐藤達広 と付き合おうとしたのだという、中原岬の告白は、原作においてはクライマックスの一部をなすほどに、作品全体において重要なものだが、それが漫画版では、 あえて秘密にするまでもないほどに、何度も語られてしまう。つまり、漫画版『NHKにようこそ』とは、既に人間関係が「共依存的」であることが、明らかに なってしまった後の話なのだということにならないだろうか?
興味深いことに、漫画版においては、中原岬以外の登場 人物もみな、多かれ少なかれ「共依存」的である。人間関係の契機がそのような、「誰かのための『優しさ』」として現われることが多い。主人公の後輩、山崎 は言う。
「僕は佐藤さんの事/尊敬してるんです/昔 僕がイジメられてた時……
こんな…ダメな奴なのに助けて/くれたでしょう?
僕…そんなの/絶対ありえないって/思ってましたか ら…」(1巻p31)
3巻で登場するマルチ商法の勧誘員女は言う。
「ただ…私は今まで/秋葉原でオタク相手に/絵を売った り宝石を/売ったりしてきたわ
何故だか分かる?
私の兄がね…そうなの…
…悲劇よね…
それでも兄弟だから/私が養ってあげようと/思って必 死で働いたわ
でも兄は働きもせず/人に迷惑かけるばかりで/部屋か ら出なくなって/もう6年になるわ
そんな人の為に/お金を稼ぐのが/正直虚しくなってき たの…」(3巻p165)
そして極めつけは、2巻で語られる、主人公と先輩女と の関係であろう。この関係が、中原岬と主人公の関係と二重映しに見えるプロットは面白い。主人公は言う。
「もう逃げるのは
やめだ!!
たとえ拒絶されたって/向かい合わなきゃ/今までと同 じなんだ!!
今度こそ/勇気を出して/先輩に言おう!!
別に好きとか/嫌いとかじゃない
ただ俺はこの人に/元気でいて欲しいんだ!!」(2巻 p107)
「そうだ!/そして何より
この人(ルビ:柏先輩)の/笑顔を/守るために」(2 巻p115)
「そうだ…俺は/どうして彼女を/止めるんだ?
結局 死ぬも生きるも先輩の/自由じゃないか?
俺がとやかく/言う権利なんて/ないじゃないか!?
…そうか…/そういう事か
何故 俺が/彼女を助けたいのか/どうしてこんなに/ 辛いのか?
つまり…/俺は彼女の事を――」(2巻p164)
だが、この主人公の純情は、先輩にかかってくる一本の 電話、そして「……私/結婚します!」の一言で打ち砕かれる。「誰かのために」が成就するとは限らない。誰それが自分を必要としているはずだから、と思っ たところで、誰それが本当に自分を必要としているかどうかは分からないのである。そして更には、必要とされているからと言って、誰それに手を差し伸べるこ とが良いことだとも限らないのだ。
このように、漫画版においては、「引きこもり」的な内 向自意識の問題は、半ば解決済みとも言える。「巨大な悪の組織と戦うことなどできなくなった」のが小説版の置かれた状況であるのならば、漫画版は「巨大な 悪の組織と戦う必要すらなくなった」後の話なのである。「もう“デカイ一発”はこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん,21世紀はくる。ハルマゲドン なんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。もっと大きな刺激がほしかったら,本当に世界を終わらせたかったら,あとはもう“あのこと”をやってしま うしかないんだ」(『完全自殺マニュアル』鶴見済,1993年)に対して、山崎はこう言うだろう「僕らは自殺だなんて/ドラマティックな事に/関われる資 格がありません…/どんなに落ち込んで苦しんでも…/この馬鹿馬鹿しい日常に帰ってくるだけです/もし帰ってこなくても/どこかで馬鹿らしく/死ぬだけで す」(2巻p182)。これが90年代と00年代の差の一つである、というのは安易にすぎるかもしれない。だが、問題意識は確実に転換している。それを進 歩と呼んでいいのか分からないし、「共依存」は、描かれているほど楽なものでもないのだけれど。
「共依存」は自意識の問題を解決し得るだろうか? そ して、宙吊りにされた「世界と敵」の話が、再び思い起こされることはあり得るのだろうか? それが漫画版『NHKにようこそ』において今後注目したいとこ ろである。
俺がエロゲやるときはほとんどといっていいほどエロシーンを早送りで飛ばす。エロゲのエロって正直つまらないんだよね。リアルじゃないし。とにかく相手は処女で中だしだし(笑)
じゃあなんでエロゲやってるのかっていうと、エロを使ったきわどいネタが好きだから。エロをお笑いに利用するっていうのかな?そういうところ。あとはエロ以外の18禁部分。残虐とかそういうところね。全年齢対象だと表現制限が厳しかったりするから、シナリオ書く人も気を遣ったりとかある。まぁそれなら小説読めって話にもなるんだけど、小説版があれば小説版も俺は読むよ。でもゲームならではの表現ってのは少なくとも存在するよね。どちらが上とか下ではなく。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20071011/saru
このシーンに関する誤解があるのは日本だけなんだろうか。 『2001年宇宙の旅』のそのシーンを、もう一度よく見てください。 骨が変わるものは「宇宙船」ではなくて核搭載の軍事衛星です。
誤解っていうけど、誤解でもなんでもない。リンク先こそそのシーンをもう一度見るべき。ちなみにYouTubeでも見ることができる。猿人-骨-宇宙船。これ見て「おお、骨が核搭載の軍事衛星に!」と思ったやつは頭がおかしい。
まず前提として、この世には核兵器搭載の軍事衛星などというものは存在しない。公式には。だから、スクリーンに映った衛星が、核兵器搭載の軍事衛星かどうかなど、分かるはずがない。比較すべき実物がないのだから。
2001年宇宙の旅の小説版だと、最後は核戦争が起きる。だから映画版でこういった衛星から核弾頭が放出され、それが爆発するシーンが描かれていれば分かるだろうが、そんなシーンはあったかね。
脚本に何と書いてあるかは知らないが、脚本を読まなければ分からないことなど、映画の知識でもなんでもない。
ついでながら、リンク先ではサル、サル、と連呼しているがアレはサルではない。リンク先の引用テキストにあるようにあ、あれは猿人だ。映画では人類の先祖を匂わせており、それは分かる。そして人類の先祖はサルではなく、猿人だ(サルと人類は共通の先祖を持つ)。脚本にはApemanと書いてなかったかね?。
Comet in Moominland - Wikipedia, the free encyclopedia
Moomintroll saves the Snork Maiden from a deadly bush, and she and her brother Snork join them on their way back to Moominvalley.
スノーク・メイデンだった、、、。
なぜだろう、と考えたときに真っ先に挙がるのは「なんで誰もデータをコピーしてないんだろう?」という疑問から始まる違和感。
ヤサコの電脳ペットであるデンスケがイリーガルと接触した時に瀕死の状態になっていたが、その時にまず思ったのは「あれ?バックアップとってねーの?」だったし、メガばあの売っているメガシは基本的にメタバグを使わなくては精製できないとされているのだが、精製されたメガシというのは攻撃用プログラムであると解釈したとき、なぜそれがコピーされないのか?誰もコピーして無限に作り出そうとしないのか?とか考えると、どうにもむずがゆくなって観る気が削がれてしまう。
「無限コピー可」→「それだと遊びとして面白くない」→「ルールとしてコピー禁止にしようぜ」といった流れがあるなら理解可能だが、そういった描写は一切ないし、そのルールを破るのは小学生くらいなら当然だろうと考えられる。小学生だしさすがにそのような技術が無いのか?とも思ったが、高校生くらいの子がクラッキングしてそのノウハウを下に教えるって事くらいはあるだろ、とも考えられる。このへんの違和感を一言でまとめると「ガキらしいガキが存在していない」ってことだ。データの扱いがあまりにもお上品すぎるのではないか。
これが頭に残っている以上、色々な描写が不自然に見えてしかたない。アニメとしてはすごくクオリティが高いだけに、この一点が原因で楽しめないのはなかなか悔しい。なので一応録り貯めて飯のときに流し観しながら「情報を保存するための大容量のストレージが存在しないからなのか?!」とか適当な理由付けができないかと試行錯誤中。この設定、小説版ではうまく消化されているのであろうか。
利害の一致という見方もあるなと思った。あとオタクの因業の深さについて考えさせられた。世間がそれほど気にしていないことを深刻に気にしてしまう辺りとか。これは卑屈っていうよりも自意識過剰なんだよな。
シグルイも皇国もいいよね。皇国小説版も読んでみよう。「オタクに生まれるのだ!」はハートに響いた。そうだよな、なろうとしてなれるもんじゃないよな。なりたくないって言われるかもしれないけど!
自分は隠れてるっていうよりも敢えて自分から言わないだけで、訊かれたら話すっていうパターンの半隠れオタ。会社なんかではバレてない(と思う)けれどこういう決定的な時にそれなりに濃い人から好かれることが多い。身内バレ覚悟で書くと今回の場合は営業(自分)と客(相手)で、お互いプライベートな情報は全く無かったのでお互いオタクだと知った時は非常に驚いた。隠れオタクと付き合いたい隠れオタクはTPOを弁えて徹底的に使い分けていれば、自分と似た人が寄って来るかもしれない。
さて、結果を伝えると返信は来た。ついさっき来た。昨夜のメールなど全く意に介していない様子でorzした。
しかしこれから昨夜教えた自分のサイトを見るらしい。地雷は早めに踏んでもらったほうがいいとの判断からもう腹を据えて自分を開示することにした。付き合うかどうかはまだ分からないがどんな結果であれ、本気で当たれば手に入れたものが本物かどうか分かるような気がする。
まだ震えているけれど、覚悟完了。
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20061115/1163576101
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20070127/1169824810
↑この辺を読んで書きたくなったので書く。読んでない作品ばっかりなのにかなり適当言った。多分いろいろ間違ってるけど勘弁。
・ラノベ的なものはあるがあくまでティーンズ向けのジャンル小説
・ライトなSF、スペオペ、軽めのファンタジー、TRPGの小説版、アニメの脚本家が書いてる小説、ノベライズ、10代向けの伝奇小説、あと海外の翻訳モノ
・少女小説は、つーかコバルトはすでにかなり歴史があるので安定。恐ろしく軽い文体の恋愛・ミステリ・ファンタジー・伝奇・ホラー
・スレイヤーズ登場
・スレとあとフォーチュンクエストあたりの大ヒットが10代向けの文庫本レーベル群全体に影響を与える。逆に考えるとスレ・フォーチュンが当時のラノベの中核であり、また最初の純ライトノベルと言える
・スレイヤーズフォロアーがジャンル化。一番成功したのがオーフェン。その他ゴクドーとかはみだしバスターズとか捨てプリとかリアルバウトハイスクールとか?内容つーかスタイルと売られ方に特徴がある気が
・五代ゆうの活躍の余地がなくなる
・ど真ん中にいるのがデル戦、それに冴木忍とか前田珠子とか十二国記とか風の大陸とか
・あかほりさとる大活躍。非常にオタ向け。まだラノベの中核とは言えない
・この時点ではまだ“ライトなジャンル小説”も生き残ってる。全体としてラノベと言うよりヤングアダルト
・なんか世相が暗い。あとエヴァ
・富士見の勢いはいまだ衰えず
・コバルトも相変わらず安定
・電撃に古橋秀之登場。影響を受けた電撃の作家が俺設定バリバリになる。異能力モノがはやるきっかけにも?
・結局古橋自身は流行らなかったけどな。古橋秀之―成田良悟ラインを電撃硬派と呼びたい(オレが
・学園モノが流行るきっかけに
・あかほりラインをまぶらほ・阿智太郎が継承。女の子いっぱいコメディの地位が徐々に上昇し始める。
・ラノベと言う名称が成立
・ラノベ暗黒期
・富士見がフルメタあたりを除いて失速、電撃はまだ十分な力を持っていない
・ブギ+あかほりみたいな作品が多い。それかあかほりみたいな作品。あるいはキノっぽいの。
・ただ、ここで一度途切れたことで、逆に00年代後半に入って新鮮に受け止められるように
・スーパーファンタジー文庫とかプランニングハウスのファンタジーの森とか富士見のミニ文庫とか角川のおっきい奴とかが撃沈。徳間の中途半端な大きさの奴もほとんど出なくなる
・富士見ミステリー文庫。この段階ではまだいまいちウケない
・この時期ラノベってジャンルがどんどん自閉的になっていった気がすんだけど。どうよ?
・ファウスト系のひとが登場、注目を集める
・当時のラノベの中心であるところの上遠野が、ノベルスで小説を出す。電撃からの越境の発端?
・ラノベの評論家の人が増える。売上げは下がっても存在感はUP
・ハリポタ旋風
・電撃最強伝説
・おかげでベテランに活躍の余地が。新装版とか数年ぶりの新刊とかも出る
・以前からコバルトからの越境者はちょろちょろいたけど、今度は角川グループからの一般文芸への越境者が続出
・リアルフィクションて何?
・電撃の絵のついてないラノベがちょっと話題に
・フォア文庫とか青い鳥文庫とかの表紙のラノベ度がいつの間にかずいぶん上がってる。そりゃまあ昔からマンガ絵な表紙は多かったけどさ。ラノベがオタ・中二病中高生に走りすぎて失った、ライトかつまっとうな物語が多い。
・狼と香辛料登場。識者のひとから注目を集める
・ここのところラノベと言うジャンル全体が大きく、力強くなってってる印象
・『ミミズクと夜の王』ってどんな話だ?
・支倉凍砂の次回作は?(気が早い
・出せよ!買うから!あと龍盤七朝とタツモリの続きも!
・成田良悟とか須賀しのぶもなんかこう、もうちょっと面白いことやれそうじゃね?
・大西科学が正しいのは分かるけど売れるかって言うと微妙な気が。この辺の路線を意識した上で、またひとつ違うものを作れる人が出ないものか。大楽絢太とかは?
・電撃に森見登美彦引っ張ってこいよ。ハードカバーで。ええ?ムリ?じゃあしょうがないな……
・その他越境者の先生方、ええとあれだ、頑張れ!