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2019-03-10

小説の「風が強く吹いている」って無駄な場面多くない?

ってアニメ版を今見てる子供が言うんだけど。

自分もそういえばそうかもなあって思う。

強弱の付け方が小説よりメリハリ効いてるし。

それだけ脚本喜安浩平テニプリ海堂薫cv)が上手いってことか。

2016-06-09

原作モノがダメ理由

原作厨原作を読んでればいいと思うのに、わざわざ映画館へ行って「こんなのは◯◯じゃない!」と言う。

その心理は良く解りませんが、原作モノがダメ理由とは関係ありません。

脚本家(+演出家 or 監督)のクリエイターとしての能力が、原作者に負けてるからだと思うんだよね。

から映画にしたときに、作品の質が下がるの。

それで原作モノというとマンガ原作が多いでしょ。

いまの日本であらゆるジャンルの中で、最も質の高いクリエーターが集まってるのがマンガだと思うの。

理由はいくつかあるんだけど

  1. ストーリー脚本)と表現演出カメラマン)を一人が考えてる
  2. マンガ家志望者が多く層が厚い
  3. 表現として熟成してきていて、かなり深い内容まで描ける
  4. 批評家不要

あたりかな。

特に「4.」が大きいと思うんだよね。

マンガ読んだ後で専門家意見を聞きたいと思う人いないでしょ。

「このマンガ面白い」「私は絵が駄目だ」「ストーリーが嘘くさくて」「リアリティなさすぎ!」とか、他人意見を気にせず自分意見を述べるよね。

アートの観賞態度として、これほど素晴らしい態度はないと思うんだけど、それが実現してるのがマンガ

批評家不要なのは実は一億総マンガ批評家からなんだよね。

そういう良い観客に支えられて、厳しい競争に勝ち残って、ヒット作になっているマンガって、そうとう質が高いよ。

それをその辺の脚本家監督映画化したらさ、そりゃ作品の質が下がるよ。

から原作モノの映画が軒並み失敗してるんだと思うな。

ちなみに考えるキッカケになったのは《高台家の人々》。

マンガのシーンがほぼそのまま使われてて「脚本家いらねえじゃん」と思った。

原作モノで「原作超えたな」と思ったのは《桐島、部活やめるってよ》。やっぱりマンガ原作じゃないんだよね。

これは原作者朝井リョウより、監督吉田大八脚本喜安浩平の方が、クリエーターとしてレベルが高いと思うね。

補足:

みんなのブコメ「なるほどなあ」と思いながら読んでるよ。

だんだん含蓄のある意見に集約されてくのが面白いね。

上から目線で見下してくるコメントは「上から目線で見下したいんだな」までは解るんだけど、それ以外の情報が少ないね

マンガ映画フォーマットが違って、その違うフォーマットに落とし込むのが難しいんだ」ってのが自分感覚に近いかな。

から、そのまま落とし込んじゃ駄目だと思うんだよね。

原作読み込んで、核となる「ここだ」ってのを抜き出して、再構築しないと。ハガレンじゃないけど「理解・分解・再構築」。

このときクリエイター同士の勝負になって、脚本家が負けちゃうんじゃないかなあ。

理解・分解・再構築」してくれたら、マンガ映画は同根の別の作品になるんだよね。

最初原作厨言及したのも、別の作品に対して「こんなの○○じゃない」って言ってもなあという気持ちがあったから。

あと「批評家いらないって思ってるだろ」みたいな意見については、いらないと思ってる。

批評家役割ってなんなんだろうね。

マーケット形成するためには、この人達いるんだろうなって思うけど、作品を楽しむためにはいらないんじゃないかな。

Twitterとかで作品について論争するのは、批評家意見を訊くというよりピアレビューに近いと思うんだよね。

マンガに対してそれが行われるのも、理想的だなと思います

あと夏目房之助マンガ全体の研究というか、マンガ史家という気がするけど、個別作品批評する人じゃないんじゃないかな。

 
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