はてなキーワード: マイケルとは
どはっ!!
見逃した!!
超豪華メンバー共演で、マイケルの葬式くらいの1大イベントじゃないの!!
ニューヨーク会場
ワイクリフ・ジョン、ブルース・スプリングスティーン、ジェニファー・ハドソン、マドンナ、メアリー・J. ブライジ、シャキーラ、スティング
ロサンゼルス会場
アリシア・キーズ、エムリンミッシェル、クリスティーナ・アギレラ、デイヴ・マシューズ、ジョン・レジェンド、ジャスティン・ティンバーレイク、スティーヴィー・ワンダー、テイラー・スウィフト、スペシャル・ユニット(キース・アーバン、キッド・ロック、シェリル・クロウ)
ロンドン会場
欧米の新聞社では、死亡記事部を設けて日頃から著名人についての経歴などの情報を収集し、各著名人ごとに死亡記事の準備稿を作成してその死去に備えているのが一般的とのことで、当然死亡記事を専門に書く記者も存在するそうです。死亡記事の多くは、死因や享年などの具体的な情報だけを列挙した無味乾燥なものではなく、その人の人生を振り返り簡潔かつ文学的にまとめた職人芸のようなもので、時には「作品」と呼びたいような読み応えのある死亡記事も登場します。
死亡記事部に配属された記者は、毎日のように死亡記事を執筆し数え切れないほどの人の死を見つめることにより物の見方や人生に対するスタンスも変わってくるのではないかと思われますが、配属3年半で800以上の死亡記事を執筆してきたボストン・グローブ紙の死亡記事専門記者Bryan Marquard氏によって、仕事を通じて得た人生の心得6つが明かされています。
詳細は以下から。
6 life lessons: from the dead - Boston.com
その1:人に優しくすること。
単純なことのようですが、「自分が死んだあと、人の記憶にどう残るか」という視点で「優しさ」について考える機会はなかなか無いのではないでしょうか?人生においてどんな偉業を達成した人でも、生前の人に対する接し方は、死後人々の記憶にどう残るかに大きく影響するとのことです。
その2:意地悪をしない。
死亡記事部に配属されて数カ月後にMarquard氏は非常に長生きした女性の家族にインタビューする機会があったのですが、成人した子どもの一人に「お母さんは天寿をまっとうされましたね」と話しかけると、「ああ。ボストン・イタリアンだったからさ。ボストンのイタリア系は殺しても死なないんだ」と切り返されたそうです。母を亡くしたばかりの子どもたちの言葉が通常予想されるような反応と違ったのは、どうやら生前お母さんがいわゆる「意地悪ばあさん」のような人となりだったためらしく、結果的に子どもたちのコメントの大部分は記事には引用されず、長い人生の割にとても短い死亡記事となってしまったそうです。
その3:長生きしたいなら、若いうちにリタイアすること。
親は人生の教訓を子に伝えたがるものですが、これもその一つで、Alfred Larkin Sr.氏が息子で元ボストン・グローブ副編集長のマイケル氏に伝えたもの。家族が集まった時にマイケル氏を脇へ引っ張り、「僕からのアドバイスは、可能な限り早くリタイアすることだ。この10年で、その前の50年分を全部合わせたより多く、楽しいことがあった」と伝えたそうです。Larkin氏は隠居生活を満喫し、92歳まで生きました。
その4:もしくは、生涯リタイアしないこと。
アーティストのPolly Thayer Starrさんは赤ん坊のころ、鉛筆を持てるようになるや否や絵を描きはじめ、緑内障と加齢黄斑変性により視力を失いつつあった80代のころにもまだ素晴らしい作品を描いていたとのこと。視力を失った後は、散歩中に友人たちが読み上げる詩を記憶し、常にクリエイティブであることにより、101年間の充実した人生を送ったそうです。Starrさんは彼女をかきたてる芸術的情熱について、「天の猟犬(Hound of Heaven)なのよ。いつも追いかけてくるの」とスミソニアン協会のインタビューで笑い混じりに語ったそうです。
その5:金持ちである必要はない、家すら持たなくてもいい。
Harold Madison Jr.氏、通称「Mr. Butch」はボストン大学付近のKenmore Square一帯やハーバード・ビジネススクールを擁するAllstonのハーバード・アベニューで30年間にわたり路上生活をし、学生を中心とした数万人の人々に親しまれている有名人だったそうです。飲み過ぎて酔っぱらった時には少し怖がられてもいたようですが、ファンによりWikipediaに項目が作られたり、MySpaceにページが作られ、YouTube に動画が投稿されるほどの人気者でした。2007年に交通事故により56歳で亡くなった時には盛大に追悼パレードが行われたそうです。
その6:今、行動に移すこと。
「800人もの死亡記事を書いていると、山の上で一人黙想する仙人のように、人生を変えるような深い洞察を得られるのではないかと人々は考えます。人生における答えのない深い問いに対する回答が得られたということはありませんが、確かにある意味人生が変わったかもしれません」と語るMarquard氏。「死について頻繁に考えるおかげで、去年、もし自分が父と同じ寿命を持っているのなら、残りあと25年だということに気付きました。そのひらめきは、ボストン都市圏からバーモント州の小さな町へと引っ越すきっかけとなりました。ボストンへの通勤時間は長いですが、今住んでいる町が大好きです。前々からやりたいと思っていたことを、いつまでも後回しにすべきではありません。死亡記事記者として自信を持って言える教訓です」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20091220_memento_mori/
(一続きの文章なのであるが、増田だからという理由だけで4分割。長いと読まれないので。
因にこの一連が最後の書き込みである。もう神みたいに3日後に復活はしない。神に誓う。ってか8日後に神の子が生まれたらしい。
「王様」だって言っているのに何故か「神」って呼ばれる。「神に近い!」神って何なんだ?括弧の中が長いので以上。)
で、クリスマスですが、三年前は「とても特別な日です。」と教えられ、二年前は「この日に大いなる意義を与え過ぎました。」と言われ、
去年は「今年は日本人の庶民が、心から楽しむ事が出来る、最後のクリスマスだなんてファックだ。フランス人はネズミの肉を喰らってでも祝う。」
今年のアンサーを待ってますが、「20世紀最後のクリスマスです。」だと予想されます。
ガキの頃21世紀への憧れを随分と刷り込まれました。結局何も変わらなかったと最初は嘆いていたのでしょう。
ですがそれは1つの事実を気付いていない者の言い分です。
「20世紀が終わる」というのは去年あたりからようやく効力を発揮したマジックワードでしょう。
マイルスもニルヴァーナも、そしてマイケル・ジャクスンも不在のクリスマスは今年が最初だからです。
http://anond.hatelabo.jp/20091216231359
〜T/H
俺は「Billie Jeanって曲のライブだけで」何十曲分もニコニコでマイリスしちゃってる(ライブごとにパフォーマンスが違うから)くらいのマイケル狂いなんだけど、正直リハを集めただけのTHIS IS ITがこんなにもフツーの人にまで評価されてるのはうれしく思いつつも困惑してる。
まぁ、でもカッコイイし当時は革命的だったのはたしかだと思うし、増田のその衝撃は忘れないでいいと思うよ。
「ライブ・イン・ブカレスト」ってDVDは金を出して買う価値があるので、おすすめ。特にSmooth CriminalやBillie Jeanのパフォーマンスは圧倒的。全盛期sugeeeeeeeeeeeeee!ってなると思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20091107101632
なんかすごい論争になっていますが、本当に興奮して書いた文章なのであんまりなにをメッセージにしてるとかないです。
マイケルすげーって思った→なんで日本での扱いはイロモノなんだろう(俺の今までの人生では)→マスゴミうぜー→まだイロモノだと思ってる人は映画見た方がいいよ。感動した。
こんだけです。
筆者としてはどっちも正解だと思います。
国語のテストなんて、筆者の意見じゃなくて、文章から論理的に読み解くものなので解釈はご自由に。
平和に行きましょうよ。
Eyes are blind. You have to look with the heart. What's most important is invisible.
横増田だが、例の元増田の文章の「主旨」は「日本と本国におけるマイケルの扱いの違い」とは違うんじゃないの。
元増田の主旨は大雑把に言うと
の一言に集約されていると思う。
(要は、元増田がTHIS IS ITを見たことでマイケルのイメージが劇的に変化したことと、各種メディアで流布されたネタとしてのマイケル像ではなく、ポップスターとしてのマイケル像を見る方がずっと有意義だ、というメッセージ。)
「日米に於けるマイケルの扱いの差」はその文脈全体からすると若干脇に逸れた内容なのではないかしら。極端な言い方すれば、「日米に於けるマイケルの扱いの差」の部分を全部カットした形でも何ら問題は無い。そこは、元増田が如何に「ポップスターのマイケル」が凄いのかを知り、それとメディアでの扱われ方の落差に疑問を抱いた、という、言わば感動がどれほど大きかったかを強調するエピソードに過ぎないんじゃないかな。それは「とまあ、ニワカ乙としか言いようがないのは重々承知しているが、それぐらい俺にとってはいい経験だった。」という言葉からも推定できるのではないかと思う。
正直、国語の問題がどうのを持ち出すのはやりすぎじゃないのかなあ。
事実誤認がある部分についてはツッコミ入れるのは間違っちゃないと思うけど。「日本が特別ポップスターとしてのマイケルをリスペクトしてないわけじゃなくて、ただ単に若い世代はマイケルが偉大な存在だったって知らんからそう見えるだけだよ」ってことを簡単にツッコミ入れるのを「揚げ足取り」とされるのも辛いよね。
で始まる文章ちゃんと読めよ…
お前はそこしか読んでないんだろ。
その後に
とまあ、ニワカ乙としか言いようがないのは重々承知しているが、それぐらい俺にとってはいい経験だった。
といって映画の話に戻ってる。
お前の言っている部分は、映画を語る上での補助的な部分にすぎないんだよ。
本当に、元増田の伝えたいところは、「日本と本国におけるマイケルの扱いの違い」か?
元増田はそんなことを書いて、いったいどうしたいって言うんだよ? マスコミ批判か? ネット批判か? 日本人批判か? 米国賛歌か?
他の人にもマイケルの映画を見て欲しいって思って書いてるんじゃないの?
エントリーのタイトルも「THIS IS ITを見てきた」って書いてあるんだよ?
違うだろ。
そこの部分は、あくまで元増田の持っていたマイケルに対する印象についての言及だろ。元増田が映画を見ることによって、どれだけマイケルに対する考えが変わったのかを表現するために必要な部分だ。
元増田は、このエントリーで、「THIS IS IT」はマイケルをものすごいカッコよく映し出している映画だって伝えようとしているんだよ。
最後も
クソかっこいいマイケル見た方がいいよ。
ニワカなのかもしれんが、よいものを素直によいと言える元増田に非常に好感を持った。
でも、「たった」これだけの記事にもあげ足を取りたいやつが何人もいるんだよ。
斜に構えてシッタカするやつとか。マイケルのスキャンダルはジャクソン5時代からあるっつーの。
そういうやつらを満足させるためにマスゴミのみなさんは頑張ってるんだろうな。
全盛期をとっくに過ぎた状態で、しかもリハで半分くらいの力しか出してないのに
こんなインパクトを与えてしまうんだから、やっぱ凄いよ。凄かったよマイケル。
ちなみにライブ映像見るならDangerousのときのがお勧めです。
とお節介なことを書いてみる。
彼女がどうしても見たいと言うので、マイケルの曲はフルで聞いたことが1曲もない俺が見てきた。
いやースゴイわ。映像自体はライブDVDの特典映像レベルなんだけど、もうなんか桁違い。エグザイルでキャーキャー言ってる日本人ってなんなの?て素直に思っちゃうぐらい圧倒的。正直舐めてたよ。ダンスも歌も次元が違いすぎてリハの映像なのに鳥肌立っちまった。マイケルと一緒の舞台に立ちたいと願う人間のコメントとか見ててもコレが本物のカリスマなんだとも思った。
で、なんで日本ではマイケルが若干ネタくさい扱いで馬鹿にしかされないのかってのかが気になった、というか不満になった。
もちろん本国でもパロディはされてるだろうけど、それは超かっこいいというのが認知されてるからこそ成り立つ話であるのに対して、日本ではその前提がマスコミによってあまり作られていないと思う。ただの痛い人。ポウと叫ぶ人。肌が白くなった人。ネバーランドの人。疑惑の人。キングオブポップスとしてまったく扱っていない。死んだ時もスリラーとかのプロモをちょろっと流して、「スキャンダルなどもありましたが世界の宝でした」と取ってつけたようなコメントをつけるだけ。スリラーがスゴイというのは置いておいて、マイケルの話題が出るたびにとりあえずそれを流すっていう姿勢はどうなんだって話だ。すくなくとも俺はいつも流れる映像として処理してたよ。
でも、いや、ホントライブの映像3分でいいから流したら視聴者の評価全然変わるってことぐらい、ホントにマイケルをスゴイと思ってる人ならわかるだろ。俺もマイケルが動き出して3分で全部持ってかれたよ。それともあれか、マイケルをスタンダードにしたら日本のポップスって勝てっこないってわかってるからあんな扱いにしてるの?
とまあ、ニワカ乙としか言いようがないのは重々承知しているが、それぐらい俺にとってはいい経験だった。ドルビーのサウンドシステムで聞くマイケルは事前知識がない俺にでも十分楽しめたよ。あれだけ元気にスクリーンで動いていた人が死んだとか信じられなくなってしまったよ。DVDになるだろうしそれでもすごいだろうけど、映画館で見れて良かった。
ちょっくらマイケルの曲集めてみるわ。
みんなも多くの人は知ってるだろうけど、馬鹿にされてるマイケルじゃなくて、クソかっこいいマイケル見た方がいいよ。
■追記
朝起きて見たらなんか荒れてるー!!
すいません、ニワカでゆとりで。
マイケルがすげーことなんてみんな知ってるよ!って思うかもしれんけど、少なくとも俺が生きてきた小中高大でマイケルが好きなんていう人は見たことがなかったし、マイケルって整形のイメージしかないぐらいなんです。彼女は昔のディズニーで見て好きだったとかは言ってましたが、田舎もんの俺にはマイケルと出会うのはテレビしかなかったですし。まあ世代論で語るのは間違いとかいいますけど、世代に応じて大半の人間の印象は分けられるのもまた否定できないと思いますよ。その世代に応じてってのは結局スキャンダルの時期なのかもしれませんが、結果的に死んだ時の扱いはかっこいい男の死ではなく、イロモノの死の扱いに俺は感じました。それだけです。
まあなんつーか、ゆとり乙って言ってる人も、興味を持ったゆとりも、見てないなら見た方がいいっすよ。ピースにしましょうよ。マイケルも映画でそう言ってましたし。
「ある種の差別用語だ」と思った際に。と予め限定しますけれど、
我が国の内閣総理大臣が”オタク”を自称したのと、(今は変わってしまったけれど)
この2つの出来事が殆ど同時に起こったのは何だか示唆的ですが、
抑圧の解放とすれば、まるで狙った様に。とすら思える物です。
そんな中、マイケル・ジャクスンが亡くなっています。
彼は黒人でした。が、肌の色はいつの間にか真っ白になっていたでしょう?
しかしこの矛盾。1つV/Oを予め挙げるならば、オタクは肌の色では判別が不可能です。
一様に「イエロー」です。これは何かをコキ下ろす時に
「日本人はこれだからダメ」という話の一辺倒になるのと同レヴェルに有ります。
今まで自分を押し殺して来た人も居るでしょうし、
(M.J.やワタシのように...。M.J.とはかなりの隔たりが有るかとも思いますが・笑)
半ばアッサリと転身した人も大勢居ると見ます。
〜T.H.
かの「マイケル・ジャクソン」も、存命中は呼び捨て敬称略で呼ばれ、
死亡後は「マイケル・ジャクソン氏」とか「マイケル・ジャクソンさん」と呼ばれるようになったよね。
ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。
昔オーディオの新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンのオーディオマニアに向けてこういうことを言った。
完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。
すなわち:
これは明らかにおかしい。
オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている
しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。
これが有名なシュレーディンガーのオーディオシステムというパラドックスだ。
昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験)
その後、1905年にアインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。
数学者だったクルト・ゲーデルはオーディオマニアだったことでも有名だ。
彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデルは自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分の言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。
すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。
日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。
このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニアは市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。
もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。
このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者の名前を取って、フェルミ・ディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。
なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。
同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計も発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニアを想像できなかったことからこの統計は採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。
転機は90年代半ばに訪れた。自分の意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニアが尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験は危険であるとして禁止されている。
やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。
村崎 ちなみに死因のひとつと噂されている鎮痛剤の過剰摂取なんだけど、マイケルが打っていたデメロールって鎮痛剤、そんなにヤバイ薬なの?
唐沢 モルヒネと同じオピオイド系の薬だね。モルヒネと同等だから確かに鎮痛効果はあるけど、副作用も山のようにある。まあ、これを投与するような症状はもう末期と思っていいほどに危険なクスリだよ。だからマイケルに投与していた医者が訃報が流れてから雲隠れしちゃったじゃない。
村崎 そんなに鎮痛剤中毒みたいな感じだったのかな?
唐沢 もともと痛みに弱い体質で、ペプシコーラのCM出演時に大火傷して以来、完全に痛み止め依存症みたいになっちゃったらしいね。
村崎 麻酔薬や鎮痛剤って、実は覚せい剤やLSDよりヤバイって話もあるよね。分量間違えるとエラいことになるとかさ?
唐沢 分泌系とか、人間の肉体の微妙なバランスは全て交感神経と副交感神経の交替のバランスで成り立っている。ところが鎮痛剤というのはこのバランスを崩して、常に交感神経緊張状態を作りだすことで痛みを緩和するんだよね。短期間ならいいけど、それを一ヶ月以上の期間にわたって持続させると、肉体にありとあらゆる障害が起こってくる。実は知人にセ×ス常用患者がいたけど、こんな大衆薬だからと油断していて、最後には体ががたがたになってしまった。
村崎 「♪痛くなったらすぐセ×ス」っていうけど、痛くなくても買いに来ちゃうんだな、困ったことに(笑)。
唐沢 血管の収縮が普通の状態になるわけだから、全身に栄養が回らない。長生きできるわけがない。
村崎 マイケルの遺体を解剖したら、お腹には溶けた薬があるだけで、消化された食べ物なんてまったく出てこなかったっていうじゃん。
唐沢 太ることを恐れていたから、もともと小食だっていうよね。それで食うもんも食わずに薬ばっか飲んでたら、そりゃ死ぬよ。
村崎 以前オレの周囲にもメシもろくに食わずに栄養剤ばっか大量に飲んでたような不健康な奴らとかいたけどけさ、みんなもう死人か廃人状態だよ。薬って一般的には、身体の不調を治すべきものっていう良いイメージがあるんだけど。
唐沢 でも、副作用のない薬なんか存在しないからね。どんな自然のものから採った漢方薬でも副作用はあるんだから。人間の身体の自然な作用に対して、外部から不自然に矯正していくわけだから、そりゃ影響は出てくるよ。特にマイケルの場合、たたでさえあれだけ人体改造してると、ね。
村崎 いやあ、とにかくオレはあんなに真っ白い黒人は見たことが無いよ! 病気だか整形だか、どんな理由でああなったか知らないけど、あれだけ目まぐるしく顔の色やカタチが変化したスーパースターはいなかったよね?
唐沢 いまの人体改造技術ってすごいからね。こないだ某有名整形外科の院長先生の腹筋の凄さに感心して、その先生の家人に“よっぽど鍛えているんですね”って言ったら、「いえ、あれは腹筋の形にお腹の脂肪を削っているんです」って(笑)。人間フィギュアだね。
村崎 マイケルにもそういう凄いテクを持った整形外科の先生がついていたはずだと思うんだけどさ、ヤバいと気づいた時点で、誰も注意したりしなかったのかな?
唐沢 いや、これだけのセレブになっちゃうと、自分に都合の悪いことをいうような医者はそばに置きたくなくなるのよ。必要なのは“自分が薬がほしいときに、すぐに投与してくれる”都合のいい医者なのよ。オレの知り合いにも、リタリンをすぐに処方してくれる医者ばかり渡り歩いている奴とか、いるもの。
村崎 なるほど、「良い医者」と「自分に都合の良い医者」は完全に別物だと(笑)。そう考えると、どんなに死ななさそうなセレブでも意外にあっさり逝っちゃう理由もわかる気がするな。そういうのとは関係ないけど、プロレスラーの三沢光晴がいきなり死んだのも(★9)オレ的にはかなりショックでガックリきたよ。別にそんなに大好きってほどのファンじゃなかったけど、何であんなに殺しても死なないようなタフで強靱な肉体の持ち主が、ああもあっさり逝っちゃうのかと……。
唐沢 でも、最近の三沢ってお腹がポッコリ出てきて、レスラーの体形じゃなかったからね。あれ、ノアの社長とか、慣れないビジネスとかやらされて可哀相に、ストレス溜まっていたんじゃないかと思うよ。馬場さん以来の伝統で、全日系は団体のトップが社長も兼ねるっていう流れがあるんだけどさ、本来はレスラーはリングの中だけに集中すればいいんであって、面倒なことは脇の背広組に任せりゃいいんだよ。
今年はもうほんとびっくりする訃報が多いけど、はてブ開いただけで泣けたのははじめてです。
■はてなブックマーク - ナタリー - アベフトシ、急性硬膜外血腫のため43歳で逝去
http://b.hatena.ne.jp/entry/natalie.mu/news/show/id/18966
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリスト、アベフトシさんがお亡くなりに!
え、あ、ちょ…まじですか?
まだマイケル追悼終わってないんですけど! いまもモニターの入力変換すれば一時停止したDVD映像が稼働してるんですけど!
わたしが高校~大学時代に最もお金をつぎこんだとおもわれるバンドのコアメンバーがお亡くなりになりました。
忌野清志郎、マイケル・ジャクソン、若杉弘(指揮者)と続き、ミッシェルって…今年の音楽界どうしちゃったの……
さっきニコニコ動画で、わたしの行ったライジングサン・ロックフェスティバルのライブを見つけました。
1999年のこのライブは、北海道の海辺の特設会場でオールナイトスタンドライブを行うという過酷な野外フェスの第一回です。
特にこの99年のフェスは最初にして最も過酷な回といわれ、日中気温が40度を超える炎天下のなか倒れる人続出というあるいみ伝説のライブです。わたしはこれをミッシェルのためだけに、大学の友達と2人で朝イチのエアドゥ(まだ買収前)に乗って海を渡り、一晩中踊り狂い、夜明けと共に会場を後にしたあと一切観光をせずまたエアドゥに乗って東京に帰るという無茶ぶりを発揮したのでした。
歌詞に「赤みのかかった 月がのぼるとき これで最後だと 僕は聞かされる」という部分があるのですが、爆音の中、ちょうどこのときにボーカルのチバがすっと指を上に上げました。
つられて上を見ると、本当に真っ赤な月がのぼってました。
この「世界の終わり」は、わたしがミッシェルにはまったきっかけであり、この曲がアルバムから流れた瞬間にもうこのバンドについていこうと思ったものです。
そしていっしょにゼロ泊2日でオールナイトライブに同行した友人は、わたしの家ではじめてこれを聴いたとき、聴き終わったあとしばらく身動きしませんでした。
しばらくしてやっと彼女は、呆然としながら「すごいね、この人たち」って言いました。
アベさん、死ぬタイミングまでかっこいいなんてサギだよなー…