CGのコンテストの作品を見たことがあるのだけど、優秀作品でもあまり感動しない。
自分は絵を書けるわけでもなく3Dを作れるわけでもなく、芸術すらあまりよくわかっていない。
それでも3Dの映像を見てもどこか感動できないのです。
なんとなくすごいことは分かるし、たぶん高度な技術やテクニックを使って作ったのでしょう。
でも感想は「それで?」とか「だから?」なのだ。
それでCG作品のそこに何が足りないのかを、真剣に考えてみたことがあります。
山下さんは作曲をするときにスランプに落ちて曲が書けなくなるということは無いのだそうだ。
なぜなら、音はいつも自分の中で鳴っているから。
作曲とはその自分の中で鳴っている音に近づける作業だそうです。
流石、山下達郎は深いことを言うなと感心しました。
確かスピッツも似たようなことを言っていました。
似たような感じの曲が多いことに対して、スピッツのボーカルの人が言っていました。
「まったく違う曲を作ろうと思えば作れるけど、それは僕たちの音楽じゃないから」
それがどうCG作品に関係するかというと、そのCG作品は本当に心の音かということ。
エディタの機能で作られたその不恰好なキャラクターは本当に、作ろうとイメージしたものの投影だろうか。
作者の作りたい物を、高度なツールで偶然出来た物に置き換えてないか。
優秀な画家や音楽家は既にあるイメージを表現する技術を磨いた。
そこに心の音が無ければいかに優れたツールを使っても人を感動させない。
もうちょっと芸術性について勉強すれば? まあ、僕には君のその公衆面前での盛大なオナニーに 少しだけ芸術性を感じたりもするんだけどね
どのへんのコンテストの話をしてるの? 数年前のSIGGRAPHで観たChris Landrethの"Ryan"はCGという媒体でなきゃできない表現で結構衝撃を受けたけどな。
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