2010-04-16

素直になれなくて自分のTLとの違和感

素直になれなくてを見て、違和感を感じたことを書こうと思う。脚本家の人が言ってるようにそれぞれだと思うけれど、でもやっぱり違和感

  • 仲良くしてる4人

登場人物たちはオフ会というより合コンしていた。ついったーってそんなクローズドなもんだっけ。っていう違和感。あれだけ小さな単位で回っていて、知り合いじゃない例って相当レアだなあと思う。

  • 嘘をつく

登場人物たちはついったー職業を嘘をついていた。なんで嘘着く必要があるのかなーって感じ。現実世界で嘘着かなきゃダメでも、ついったーはむしろその受け皿なのでは、という気がする。

  • TL出ない

登場人物たちのTLが見えない。かなり違和感。むしろ右側にTLずっと表示くらいだと面白いのになーと思う。制作者サイドがtwitterを知っててそうしないか、twitterをあんまり知らないでそうしていたか、は分からないし、調べてないってことは想像したくない。だけど実際は後者に近い気がする。

登場人物たちはメールでやりとりするみたいに使ってた。メールじゃないんだぞ、と。そういう風に使うのはDMなのかなーって感じで、ほんとについったーやってんの?って感じ。

この脚本書いた人は時代についていけてないんだと思う。スピッツミスチル!って言ってる高校生とかいないだろ・・。この話はついったーの話とは関係ないけれど、全体的に「昭和のおばさんの妄想話」という印象。自分で何かをしてみたり、自分で何かやってみたりってことをしないで、時代についていってるフリをしても無理があるよ・・。

  • 結論

twitterを題材にするのならもうちょっとうまいやり方あったんじゃない?と思う。ついったーやってない人にはどんなのかいまいち見えてこないし、ついったーやってる人から見ると「脚本家が頭の中で考えたもどき」であって、なんだかなーという感じ。ネタとして使うのならもっとうまい使い方あるだろうし、twitter側を見せるならもっとそうしたほうがいいだろうし、なんでこんな中途半端な扱い方なの、っていう疑問。(+フリック入力じゃない、ってのが最初の疑問)

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