はてなキーワード: エンタとは
あのね、増田、極端に話題をずらしたら、それは主題がずれていると言われても仕方がないんだよ
例えば文学作家の名前をpixivで検索すれば、そこそこヒットするんだよ。その作家さん自身の肖像や、その作家さんの作品をテーマにした絵もね。
まあBLに関したらそりゃ知らんが
文学作品をテーマにした絵があるからといってそれがBLの発展に寄与するのかな?文学作品でBLも1ジャンルとしてあるけど、それが何かチボー家の人々を持ち出す正当性になるのかな?
そして何故BLに関しては知らない、とくくってしまったのかな?そこの話をしてたんだよね?
http://anond.hatelabo.jp/20091027203555
このテの作品に明るい作風のものが割と増えてきたように思うのですよ、pixivなんかを見てるとね。
と一番最初に言い出してBLの話をしはじめたのは増田で、この時点で「pixivなどで発表されているBL」に話題が絞られたと通常の人は判断するよね
http://anond.hatelabo.jp/20091029033855
というか、現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらってのはただの1ジャンルにしかすぎないでしょ。
高度も何もないっての。ただのエンターテイメントだよ?
と、彼女は増田の問題提起に即してBLの1ジャンル/現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらについて言及したわけだ。それは次のステップではなく、1ジャンルでしかないのだと。たとえ現実に即した救いのない暗いBLをテーマにしたとしても、それだけでは次のステップだとは呼べないのだと。
なのに増田の返しはひどい。ほんとうにひどい。
フランスのマルタン・デュ・ガールって作家が書いた『チボー家の人々』っていう小説は、同性愛がテーマになっていながらも高度な精神性を世界に認められたエンターティメントなんだけど。
まあ貴方が言ってることも割と極端だよね、って話。
馬鹿。もうほんものの馬鹿。何かを言い返したいが為だけに別にチボー家の人々はpixivBLの人たちと同じ観点で描かれたものではないのに持ち出してきた。
しかも的を綺麗にはずしている。単にチボー家の人々が高いステップにいる作品であると増田は言ったに過ぎない。そのジャンルそのものが次のステップだなんてことを証明してない。
で、それを端的に指摘された返しがこう。
まあ私も同じように極端だ、という話。
という話って君、そんな話じゃなかったよ。増田が極端なアレのはそりゃまあそうだろうけど、そんな話じゃなかったよ。
「まあ」とか「という話」「って話」という言葉を使ったって、くくれてないものはくくれてないっていう当たり前のことには気づこうね。
そしてくくれてないものをくくれてる顔をしてる時点で、その文章には増田自身の判子が押されているも同然なんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20091028202023
でも昨日このツリーで散々色々言われておいてまだうにゃうにゃ言っているのはすごい。頑張れ。
ちなみにチボー家の人々を持ち出したのは明らかに失敗だ。改めて見てみたら増田よ、プロタゴラスで同じこと言われてんじゃねーか!ばかばか!学べ!
mixiの日記に、こんなのあった。
女の人は共感できるし、男が読めば、「女に媚びてる」と思われるだろうなと私は思った。
でもまぁ、男女関わらず、悩んでる人がいるようなテーマだし、載せちゃおうと思った。無許可で 笑 噂では、本当は続きがあるらしく、そこまで読んで、真意がわかるだろう。とのこと。どういうことでしょうね。ま、とにかくエッチについて悩んでる人は呼んだ方が良いと思うよ
ここからは、筆者さんの本文です↓
まず初めに、この日記は特にエロの要素はございません。
SEXについて、きちんと考えようという日記ですので、これはオカズにはなりません。
だからお前、ちゃんとパンツ履きなさい。
僕は、自分自身の外見・内面共にある程度妥当に評価しているつもりです。
僕は真っ白けでガリガリのガリクソンで、オカマ風、もしくは中性的です。
アメフトのクオーターバックやってた友達から「手がきれいだなぁ」と言われて身の危険を感じたこともあるほどの、極めて頼りなく、華奢で、女々しい外見であると同時に、結婚も決まったということで、一人の男というよりは気の置けない兄貴分、女友達感覚の友人という風に接してもらうことが非常に多いのです。
これは非常に光栄なことです。男同士だけではなく、女友達とも腹を割って話せる、そんな立場にはなかなかなれないでしょう。ありがたい話です。
で、そういう立場で女性陣と接していると普通は話して聴かせてもらえないような話まで聴く機会があります。そのひとつがSEXについて、です。
男性陣、よく聞け。
君たちのセックスは、間違っている!
男の子のほぼ大半はAV(アダルト・ヴィディオ)によってセックスという行為の存在、そのなんとなく甘い感じ、たまらん感じを知り、いつかオレもこんな風にする日が来るのかなぁと思いめぐらせるものです。
実は、もうその時点で間違っているのです。
アダルト・ヴィディオに出ている女優、俗にいうAV女優さんというのは、これプロの方で、お金をもらうことでああいったヴィディオに出演してらっしゃるワケです。
つまり、あれは対価と引き替えに行っている純然たる“仕事”であり、男優・女優共にターゲットとしているのは“視聴者であるお前ら”なわけです。
もうこの時点で普通のSEXとは全く色が違います。
普通に行われるSEXはあまり撮影される機会はないですし、まぁ密室に2人というのが通常でしょう。
つまり男のターゲットは女であり、女のターゲットは男なのです、視聴者ではない。
アダルト・ヴィディオは視聴者をターゲットとしている関係上、
「見て興奮するSEX」というものを重視します。ひとつ例を挙げれば、男優と女優が抱き合って正常位でセックスをしてるシーンはあまりないでしょ?
ああいうシーンでは男優が体を起こし、女優の体や顔を見やすいようにしている。なぜなら、抱き合ってしまえば男優のきたない背中が映ってしまうからです。
繰り返しますが、アダルト・ヴィディオは「見て興奮するSEX」を重視しています。だから、例えばものすごく激しかったり、女優も「あんあん」叫ぶわけです。
これは有名ですが、アダルト・ヴィディオを見た女が「あんな声、出ぇへん」と言いますね? つまりアレは女優の演技、お金と引き替えの“仕事”の一環なわけです。
それを、あんまり声を出していないのを「感じてない」と誤解した男が、これまた誤解に乗っ取って「もっと激しくすれば良いんじゃないか」と考えてさらに乱暴になる。
これ、女性陣に言わせると「痛い以外の何物でもない」です。
アダルト・ヴィディオを見ることを否定しているわけではありません。
そうではなく、アダルト・ヴィディオのSEXと実際のSEXを同じものとして考えてはいけないということなのです。
ひどい奴なんて、SEXの最後は女の顔にかけるものと勘違いしていたりします。
でも、健気な女のコは耐えているのです。「気持ち良かった」なんて嘘をついて、それで男が満足ならいいやと考えるのです。
「早く終わらんかなぁ」と思いながら男に抱かれている女の人も多い。極めて多いです。「寝そうになる」という声もよく聞きます。
さて男性陣、考えてみよう。“抱いてやってる”つもりが、完全に“抱かれてやってる”状態になってるだろ? 女性は懐が深いから言わないけど、もしかしたら、「おっしゃぁ、感じさせたった」と思った直後に「へたくそやなぁ」の一言が飛んでくるかも知れないんだよ?
アダルト・ヴィディオを実践にまで持ってきてしまっているお前のSEXは実生活においては茶番でしかないのです。
今回は、男性陣に対して、女性陣が具体的にどういう部分を望んでいるのか、何を嫌がっているのかを、項目ごとに、不快にならない程度にお話したいと思います。僕もビックリしたことがたくさんあります。
これは女性陣の意見の集約です。
「古くねぇ?」と思ったお前。このやろー。お前みたいな奴が一部偏った人間を母数とするアンケート結果、「女の子の初体験の平均年齢14歳」を鵜呑みにするんじゃ。ホンマに平均的に14歳で初体験しとったら、相手の男は漏れなく犯罪者じゃ。
ちなみに前回言い忘れましたが、この件でいうSEXは「愛のあるSEX」と定義します。ゆきずりとか、ナンパとか、そんなんはもう自由にやってください。なんならオレに見せてください。
──────────────────────────────────────────
では、男性陣、以下の項目を刮目せよ!
女の子はね、1年365日、花柄で上下セットのゴージャスな下着をつけてるわけじゃねーんだよ! もうこの段階で「えっ!」と思った男、おるやろ。オレもそう思てた。
アレはちゃうねん。デートの朝、「もしかしたら今日、あるかも」と思った女の子が、日頃は無印とか3点1980円で段ボール売りされてるの下着なのを、その日は特別にワコールやらトリンプやらの“マシュマロ”だか“天使の”だかしらんけども、ちょっと高めのん着て待ち合わせに来とんねん。
い~や、前夜にゃ脇毛剃ったり、むだ毛剃ったりもしとんねん。
だから、そういう時になったら、女の子の下着を誉めてあげよう。
「かぁいいね」の一言が、女の子にとってどれだけ嬉しいか。その言葉でどれだけお前らへの愛情が増幅するか。「愛の増幅」これが男女のギャップを埋める上でのテーマになってくるから。
まぁこれは、それぞれカップルのSEXスタイルによって変わってくるとは思いますがね、たとえば女性のブラジャーを、一瞬で、片手で外せることを自慢してるお前、男の間では英雄かも知れんが、女は鼻で嗤ってるぞ。んなもんもアダルト・ヴィディオの影響なんや。朝、入念に選んできたブラジャーを一瞬で脱がされてみぃや、悲しいやないか。
女性を正面から抱き締める形で、背後に手を回し、それはもう恭しく両手でホックを外す。そして外れたブラジャーを床に投げ捨てるのではなく、丁寧に畳んで、なんなら一度ブラジャーにも会釈をして、椅子でもいい、テーブルでもいい、そういうとこに置く。
とにかく「大切にしている」という姿勢を女の子に見せてご覧なさい。それはもう喜んでくれるよ。
パンティも同じ! 片手でむしり取るように脱がすのではなく、もうなんやったら一度、横たわる女性の足元らへんに正座して、合掌して深々と頭を下げて、「失礼をいたします」くらい言うて、これもやはり恭しく、大切にゆっくり脱がすこと! んで、きれいに畳んで大切に扱う。
そして、露わになった女性の裸身を誉める。「太ってるでしょ?」だの「あんまり見ないでよ」だの言われても、「んなことないよ、キレイだよ」の一言を添える。こういうひとつひとつが非常に大切なのです。「愛の増幅」ですよ。
ある女友達が4年付き合った彼氏と別れたあとに僕にこぼした一言があります。
「4年間、レイプされ続けたようなもんやったわ」
これを聞いたお前、「そらかなり乱暴にされたんやろ、どうせ」と思たやろ? オレもそう思た。でも、ちゃうかったよ。
その彼氏のSEXスタイルはアダルト・ヴィディオをまんま模倣した物だったのだよ。女性の大事な部分に指を突っ込んで乱暴に引っかき回す。「どや? ええやろ?」との言葉と共にね。
アダルト・ヴィディオなんかでは「潮吹き」なんつって、それをさせることができた奴は“テクニシャン”の称号をもらえるほどの技がある。
でも、あれをさせようとしてるときのアダルト・ヴィディオ内の映像は、すごいよな? もう女性の大切な部分をムキムキマッチョの男がフルパワーで引っかき回してる。
あのね、これについては、僕、1回考えてみたことがあるのよ。
あの感じ、男で言うとどういう状態なんだろう…と。
んで、たぶんこれはけっこう真実に近いと思うんだけど、女性の大事な部分を力任せに引っかき回すというのは、男で言うとチンコにおもっくそ、フルパワーのデコピンを百連発で食らわし続けることと同じなんじゃないかと…「びしっ、びしっ、びしっ…」なんかじゃなく、「ズドドドドドドドドドドドドドド」ってね、デコピンを。
んなもん、死んでまうで。
女性にしかない部分に関しては、女性にしかわからない。でも、そこはとてもデリケートな部分、いつかそこから赤ちゃんがやってくる道なのです。それを荒らしてはいけない、いじめ、カッコ悪い。
そしてなにより、彼女を喜ばせるという行為がその後、円滑に進んでいく準備にもなるわけでしょ。そしたら働き蟻のようにベッド中をはい回って彼女を喜ばせる、エンターテナーに徹することで、その対価をその後にいただけばいいじゃないか。
女友達に「新しい彼氏とのSEXと元彼とのSEXを比べたりするん?」と聞くと、十中八九、「する」とか「してしまう」と言います。んで、まぁ8割方、「なんだかんだ言って、初体験の人が一番良かったかな」って言います。
それは、女性にとっての性への入り口がそこだったからです。男の場合、童貞を“捨てる”と言いますが、女性の場合、処女を“失う”と言います。
ある種、儀式的な要素を含んでいるのかも知れません。だからこそ、初めての恋人とのSEXを特別視してしまう部分があるのかも知れません。
それに打ち勝つには、男ども、お前らが、彼女のためだけを思い、彼女のためだけのSEXを考え、彼女のためだけのSEXを創り上げることじゃないのかぃ?
なによりも、恋人同士であるのなら、話し合うことが大切。
僕に色んな愚痴をこぼしてくれる友人に「それ、彼氏に言ったら?」と言うと「そんなん無理やわ」と言われます。
なぜ無理だ。なぜ話し合えない。それは、女性の方に「喜んでくれてるなら、それでいい」という一種諦めに似た感情があるからじゃないのかな。
でもね、10組のカップルがあれば10通りのSEXがあるのよ。彼氏にとって、彼女さえ喜んでくれたらいいわけでしょ? 彼女にとって、彼氏さえ喜んでくれたらいいわけでしょ? 他に喜ばせたい人がいるなら別だけども。
オリジナルで、お互いに楽しめるSEXを実現するには、なによりも話し合うことが大切なのです。
[オマケ]
もしお前が、今の彼女と結婚したいな、なんて考えているのであれば、彼女の生理に感謝をしましょう。だってそれは、将来お前の子供が生まれてくるための準備なわけですよ。
お前はオナニーしてヘラヘラしてりゃいいかもしれないけども、女の子の生理ってのは聴くところによると、もうすんげぇツラいらしいよ。
だってよ、もんのすごい出血するんだもん、分類するとしたら歴然たる「病気」だぜ?
それでも、お腹痛いのも、腰が痛いのも我慢して、デートに来てくれる。
で、その時に「今日生理やねん」って言われて「マジかよ~」なんて言うたらアカン。
「いつもご苦労様です」くらい言うて、ランチをご馳走するとか、そういう気遣いを見せていこうぜ。
男にとってSEXは原始的に快楽を追求するものかもしれない。それは仕方ないのかも知れない。でも、女性は愛を感じたがってる。男が快楽を追求することは否定せずにね、それでも愛を感じたがってる。
男が快楽を追求することは悪いことじゃない。でも、愛を、底辺に愛を置いて、そしてそれを彼女にわかりやすく伝えながら、その上で快楽を追求すりゃいい。
そういう部分を頭に置いて、素敵な週末を。
あのねえ。あなたが全然理解していなくて、私が発言するたびに私が説明すべきポイントが山積みになっていってるから、混線を避けようとしているわけ。
自分が理解できていないことを理解できている?
例えば、
ところで混線してもいいから聞きたいんだけど商売としてやっているときも自己満足かどうかを気にしないでやってるの?
この質問自体もまた、あなたの無理解をさらけ出してる。
自己満足かどうか気にしているってことを書いたんだけれど。
だが、そもそも私は自己満足なんてものが本質的には存在しないという立場なので、
今の文章はあなたの辞書に載ってる「自己満足」という言葉を使ったと考えて。
区分けしてるじゃないのよ
あなたは区分けという言葉をどう捉えているのか知らないけど、私は明確に分割することと捉えている。
というのは、芸術家という言葉の典型的なイメージについて語っているのであって、芸術家とエンターテイナーを区分けしている訳ではない。
図らずもこの一文があなたの鑑賞態度というか、芸術観を露呈してしまっている。
断言する。私は、少なくとも芸術に関する業界に携わってからは、そんな傲慢な決めつけを行ったことは一度もない。
自分がそうだからといって他人もそうだとして論を展開しないでくれ。
しかも、私の言った肝心の部分を理解していないと見える。
一番私が言いたかったのは、芸術家はエンターテイナーではないのだから、大衆を楽しませる必要はないということ。
大衆的な芸術もあるにはあるが、芸術というとたいていは、一部の人だけが分かる美を追究する。
以下は株式会社「はてな」の行く末と同じくらいにどうでもいいことなんだが、自分のブログよりこっちの方が読者が多そうなので書かせてもらうよ。
まあ何が不満かっていえば、マイケル・ジャクソンの扱われ方ね。世代がどうとか趣味がどうとかいう問題とは別に、マイケル・ジャクソンの死は単なるポップスターの死とは異質な出来事だってことは読者のみんなも分かっているということを前提にして話を進めるので、ここで「?」と思った人はもう読まなくていいよ。時間とってごめんね。あ、あとマイケル・ジャクソンって誰だよ、って人もね。
僕はエルヴィス・プレスリーの死、ジョン・レノンの死についてはほとんど何も知らない。その時何が起こったかを見守った、という意味で「知っている」と言えるのは今回のマイケルだけだ。でもそんなこととは関係なく、今回の出来事が凡百のエンターテイナーの死とは異質な出来事で、前二者の死と同じ何かのマイルストーンになるってことは知っている。有名人の死、というのは消費されるべきひとつのエンターテンメイント・イベントでしかないけれども、この出来事は画面や紙面を通じて僕ら、つまり世界中の人間にひとつの進行形の歴史の波頭を突きつけると同時に、音楽というどこまでも個人的な体験にひとつの永訣を迫ったという意味で特別なんだ。
あの日Twitterのタイムラインを眺めていると、"Where were you when MJ died?"という問いが永遠に問われ続けるだろう、ていうポストがいくつもあった(このフレーズで検索してみるといいよ)。マイケル・ジャクソンが死んだ日、君がどこにいて、何をしていたか、というのはこれから先ずっと問われ続け、語り続けられるだろう。なぜなら、それが個人と歴史が出会ったということの証し立てだから、ってことだ。この日は決っして忘却されない。なぜならこの日僕らの人生は多かれ少なかれ決定的な変化を経験していて、それを僕らは言葉によって語ることができるから。そうやって僕らは歴史を共有し、歴史を生きながら他者と出会ってゆく。マイケルを除くあらゆる人間が、そのようにしてマイケル以外の誰かに出会うという、同じひとつの可能性を生きる。それが、マイケル・ジャクソンのいない世界を生きるということだ。著書のなかでジョン・レノンの訃報に触れた瞬間の出来事をまるで昨日のことのように克明に語っていた佐藤良明みたいにね。あの日カーラジオに耳を傾けていた佐藤良明を揺り動かしたものと同じ何かに、僕らはまさしく触れていたんだ。
それはどんな出来事でも同じことだ、と言われるかも知れない。確かに個人と歴史の出会いという意味では同じかも知れない。でも、今これを読んでいる「僕ら」にとっては違う。なぜなら世界中の「僕ら」の中に、マイケルを知らない者はいないから。そういう意味で、これは日本の偉大なるプロレスラー三沢光晴の死や、日本の偉大なるロッカー忌野清志郎の死ともまた異質な出来事なんだ。悲しさでいえば、僕の周りには清志郎が逝ったことの方が悲しい、という人は多いけれどね。僕個人がマイケル・ジャクソンとその死についてどう思っているかは、ここでは関係ないから書かないことにするよ。
さて、自社サイトのニュースメディア性に自覚も出てきた「はてな」はあの日の出来事をどう伝えただろう。
「はてブ」のトップページを見ていた人は最初「いま話題」の欄がマイケルになったとき、説明文が同名のバスケットボール選手になっていたことに気がついたはずだ。これは「はてなキーワード」の冒頭がそうなっていたためだと思うけど、「いま話題」が手動で書かれていることが明らかになった今では、何で修正しなかったのだろうっていう疑問を持たざるを得ない。それから、「はてなブックマークニュース」でマイケルの話題が扱われた記事のタイトルは、最初に「マイケル・ジャクソンさん死去――死期を“予言”した質問が発見される」、そして「“最高の80年代をありがとう“ マイケル・ジャクソン追悼サイトが作成される」だ。最初のものを見て、僕は「はてな」は滅亡すべきだと確信しかけたね。あらゆる意味で、記者の、編集長の、そして株式会社「はてな」の「神経を疑った」ってやつだ。「はてな」が世間と連動して情報を発信する自社コンテンツとして開始した「はてなブックマークニュース」を利用して、唯一あの日に伝えるべきことが、それだったとはね。ブックマークでもネット一般でもものすごい話題になっていたイランの騒ぎをほとんど黙殺しているのは何故だろうとか、「はてなブックマークニュース」についていろいろ思うことはあるけれど、「死」そのものを発端にしたニュースとしては、なんていうかあまりに酷いんじゃないかって思ったんだ。非常にナイーブにね。どう言っても自己申告型の言い放しにしかならないけど、卑近な言い方をすれば、セクハラに同席しているみたいな軽い衝撃というか、なんだか人に言いにくい不思議な感じがした。別にあの記事はすごく普通で、どこも不謹慎なところや無神経なところはないんだけどね。まあ君は読んでくれてるみたいだからついでに甘えて言い訳すると、僕自身よく分からないからこんなことを書いているんだ。
で、その直後のデザインと「いま話題」のエヴァ化ね。「『いま話題』って広告枠だったのかよ」という指摘に対する「広告じゃなくって応援しているだけです」とかいう申し開きがどこまでも斜め上だってことは「はてな」の皆さんには理解できないんだろうな。アニメの真似事する前にもっとやることがあるだろうとか、いろいろ言いたいこともあるけど、ひとつだけ確実なのは「はてな」はコミットする、っていう言葉の意味を知らないってことだ。コミットする、っていうのはひとつの決断だが、コミットしない、というのも同じ決断であって、さらにいえば決断しない、っていうのも、積み重なって歴史を形成するひとつの決断なんだよ。そしてその歴史は君たちの歴史であると同時にあらゆる人間の歴史でもあるんだ。
ま、言いたいことは何も書いてないけれど、僕が言いたいことなんてとりあえずどうでもいいんじゃないかな。大事なことは、遠い将来、どこかの街角でマイケルの歌声を聞いたときに僕が泣くだろう、ってことだ。もし君が泣いていたら肩を抱いてあげるさ。それから何か話すことがあれば、何かを話そう。僕らがそのようにしてマイケル・ジャクソンと生きる時代になるなんて、一体誰が予想できただろう、とかね。そして残念ながら、そのときにこの京都の IT 企業は完全に忘却される。彼らの決断としてね。
ね、本当にどうでもいいことだろう?
いわずもがな、 某エントリーを読んでいて思ったことを書こうと思う。
できるだけ短く済ませたいけど、テーマの性質上むずかしいかもしれない。
件のエントリーは、結局FFとWoWの比較を行っただけで、結論する事を放棄してしまっているように思う。
なので、僕が変わって代弁しよう。自信がないので、この誰も見なさそうな、匿名ダイアリーの片隅で。
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20090625
ブログ持ってないし、ここの使い方がよくわからないのでリンクを張ります。
これでトラックバックできてるのかな。
とりあえずこちらを一読してください。
当方WoWを一時期どっぷりハマっていて、だいたいこちらのエントリーは概ね同意できた。
FFは件のエントリで言及されている「idleタイム」ってのが本当に長い。大いなる期待を胸に、ヴァナに飛び込んできた新人冒険者に対して、最初に与えられる洗礼は、これじゃないだろうか。
「え、戦闘って見てるだけなの・・・」「座ってるけど回復してるのかな・・・コレ・・・」
っていう。
気がつけば二時間ほど過ぎて、「なにやってんだオレ・・・・」と思って、ログアウトしたが最期。もう二度とログインしなかったユーザーも結構いるんじゃないかな。
WoWはその点、一回あたりの戦闘がスピーディで軽快だった。すぐ体力も回復するし、絶えず動き回れる。
これはあくまで一例で、WoWはFFと比較すると、そういう諸々の部分で、遥かに「ゲームを遊んでる」感じがするんだ。
でもね、ゲームを遊んでる感じ、を求めるなら、オフゲのほうが面白いよ。と、言いたい。
相手が人じゃなきゃだめだ、というなら、FPSのようなオンラインマッチをオススメする。
成長するゲームがやりたいんだよ。人が相手の世界だと尚いい。というなら、現実が最高にエキサイティングだ。
そして、その欲求はゲームでは永久に解消してくれるものではないという事も気付かなくてはならない。
FFXIVの登場のよって懸念されているFFXIの終了は、WoWにも遅かれ早かれ起きるんだ。
少なくとも、今現在、思っている以上に、オフゲ、半オフゲ(非MO)は面白くなっている。
くどいが、断言する。件のエントリーで言及している大部分の要素において、WoWよりも面白いゲームは無数にある。
僕はディアブロ(IとII)から始まってUOの黎明期を遊び、FFXIを解約してWoWを遊んだけど、今再び新規のキャラでFFXIを遊んでいる。
ゲームとして面白いかどうか、というのは結局人それぞれで、今の所、僕はFFXIに対して好印象だ。
ブリタニアンよ、エンターテイナーたれ、というのは、ある有名なMMOの好きなサイトの管理人さんが仰っていた言葉だ。
オンラインゲームの仮想世界で旅をして、見ず知らずの人と言葉をかわす。
僕は現在のFFXIがそのプレイスタイルに一番適していると思った。そして実際、非常に楽しんでいる。面白い所だよ、ヴァナディール。
FFは確かに、制限が多いゲームだ。そして、その制限が非常にプレイヤーに対して辛辣だ。だから目立つし、ストレスになる。
だけど、その制限はプレイヤーの手助けでなんとでもなるようにできている。当然その時いくつかのしがらみもあるが、少なくとも、気を許し合える仲間と出会う、という事がMMO本来のゲームの目的なのだから、それくらいじゃなきゃ、MMOは面白くないだろう、とも思う。多かれ少なかれ、その辛辣な制限によって、いい仲間と出会えたプレイヤーもいるはずだ。
そうして、脚本家が絶対描けないようなドラマが、MMOには極稀に起きる。そして、それは願えばきっと起きるようにできている。FFにおいては、特にそれを強く感じる。
本来MMOは、そういうゲームになるはずだった。誰もがそれを期待していた。
いつからか、そういうゲームではなくなってしまっていた。
FFXIというゲームが内包する唯一の問題は、そういうMMOにならなかった原因の一翼を担っているという事だ。
そしてこの流れを変える事ができる数少ない可能性も、FFXIVにはあるんだろう。
ちんこのフォルムは人それぞれ。男の俺だってわかってるし
生涯本数で言えば俺よりもずっと勃起ちんこ確認本数が多いであろう
大多数の女性ならなおよくわかってるだろう。
友人に処女だった絵描きの女子がいる。その女子に友達のプロ絵描きの男を紹介したら
アシスタントになり、いつしかいわゆる恋人同士になった。ハハハ、ファック。
処女だったといっても俺が実地で確かめたわけじゃないが
処女だったときに「わたし処女っすよー」って本人が言ってたのと
男のほうから「一切恋愛経験が無いみたいでさーハハハ」といわれたから。ファック。
その女子も絵がうまく、pixivにエロ方面のイラストを何枚も掲載している。
処女時代には書かなかったような過激なものも、描くようになっている。
芸の幅が広がったのは良い事なんだろう。そういうこと体験してるのかファック。
で、その女子が描くちんフォルが気になるんだ。
なんかパルテノン神殿の柱みたいに中ほどが太い、エンタシスちんこなんだ。
ああ、そうか。プロ絵描きの男、さてはお前のちんこがエンタシスちんこなんだな。
ああ、そうか。プロ絵描きの男、さてはお前がフェラさせまくりなんだな。
俺もエンタの神様はロクに見たことないけど、あの番組って基本あるあるネタしかないよね?
久米田康治は「そこからその発想につなげるか」っていうネタが多いから、エンタで放送されるようなネタとは真逆だと思うんだけど。
ヲタは二次元にしか興味がないからハニートラップにひっかからない
↓
↓
中国っぽい国「ヲタを釣る方法考えました、萌えキャラでヲタを釣るんです」
↓
ハルビンが流行った次の週くらいにはもうこのネタやってて、久米田先生フットワーク軽いなーと思った。ただ、あまりにタイムリーなネタに走りすぎると、年金未納を誌上で土下座して謝ったときみたくなっちゃうから気をつけなきゃなんだけど。
ウチの会社(SIer)で「なんかイヤ」的な評価のオジサン*2(30後半&40くらい)が席替えで近くに来たんだけど、この人達がかなりキモい。
具体的には、
・ナチュラルに鼻に指を突っ込む
・その指の爪を噛みちぎる
・セキをする時口を塞がない(そして対面の席が俺)
・PCのキータイプがやたらうるさい(エンターキーはなぜか得意げに叩く)
・ソースをガン見する時のポーズがアイドル風(両肘ついて手はほっぺに・首を15度傾げてひよこ口など)
・息をするように自然にゲップをする。
・飯を食う時口が開きっぱなし(クッチャクッチャクッチャクッチャクッチャクッチャクッチャクッチャ)
・お菓子食う時口が開きっぱなし(クッチャクッチ…もういいや)
とこんな感じ。
一個一個はまぁ注意出来なくもないけど、こんだけバリエーション豊富だと
全部注意してく気がしない&直してくれる気がしない。
だから結果的に表向きは普通に接してるからずっとこの人は何も気づかずに過ごして来たんだなぁ…とか思ったので書いてみた。
出会い系サイトのここが悪質 ttp://dea-i.jp/ ただナビVIP
出会い系のDMメールなんてしょっちゅう来るけどここから本名入りで来て驚いた。
ネット系の普通の会社の登録データからの流出でなければ、出会いサイトからの流出なんだろうが
まともな所(M○○ch、エ○○イト恋愛)くらいしか過去に登録したことがない。
あとは本名使ってないし。でも2つとも多分登録メアドがこれと違うので、
ヘタに疑うと中傷になるので疑わないことにするが、
メールの名前設定でさえ警戒して本名使ってない俺に、本名で知らないサイトからメールが来る…気持ち悪い。
○天ログイン情報をハカーがぶっこ抜きってこともなくもないとは思うが、
住所も晒さないようにしようっと。
企業にプライバシーマークがあっても、結構内部で悪い人もいるからね
寒い上に眠たい。寝たら死ぬぞ、そうかここは雪山なのか。
僕は自分の部屋にいた。目をつぶってそれから眠らないようにしていた僕にとって、それは一瞬自分の部屋なのかわからないほど眩しかったが、自分の部屋でしか、なかった。
この眠気はなんだろう。
昨日の夜、25時くらいだ。友人から電話がかかってきた。
「明日の昼、一緒に食べよう」
唐突に彼は言う。
僕はそのとき、既に布団に入った状態で携帯電話の通話ボタンを押したので
「おー」
と、そんなような返事をする。なんだかんだで他愛もない話を1時間ほどしていると、さすがに目が覚めてくる。普段こんなに長い時間電話をするようなことはなかったが、昨日はなぜか、そうなってしまったんだ。
時計と外の世界の両方が、明け方に近づいてゆく。それと共に僕は、普段人には話さないような話までしてしまう。といっても、とてもくだらない話がほとんどだ。自分の死生観だとか、湯豆腐を食べるときに守っている、自分のこだわりだとか。BackSpaceを小指で押すのか薬指で押すのか、そういうことはそれなりに人それぞれだが、それがどちらだろうと、中指だろうと、相手の人生にあまり影響を及ぼさない。少なくとも、恋人がエンターを薬指で押したから、僕の朝食がレーズンパンからオートミールに変わるなんて事は、あってはならないと、思う。そんなのは何かが間違っていると、僕は思う。
どういう場所か今一わからないでtwitter使ってる者です。
よくわからんうちにfollowし返した人がいるんだけど
この人発言は連投するんだけど脈絡が全然ないんだよね。
あまり興味ない人に発言連投されると
それ自体が非常にスパムに似たような物になるんだけど
それの比じゃない。この人なに?bot?ってくらいに
言ってる事が支離滅裂で意味不明。
もしかしたら周囲の発言に合わせて@なしで
やってるのかも知れないんだけど、
こういうのは基本「ふぁぼって!僕をふぁぼって!」と
ふぁぼられるために面白い事を言っている人なのかな?
正直言ってかなり面白くないんだけど。
そりゃ中にはヒットはある。
でも「ふぁぼられたいから面白い発言しとこう」という
twitter中毒者なんだろうかと思ってしまうと
無理やり見させられているような不快感を
感じる時があるんだけども。
発言自体が面白くないのは別として
あからさまなコメントを吐き出し続ける媚根性が嫌いだ。
あとどんな時間でもひたすらコメント書きまくってる学生も困る。
早く就職すればいいのに。
早く「最近仕事が忙しくてtwitter使う暇がない・・・」とか弱音を吐いて欲しい。
幾ら学生だからって作業効率が落ちるか落ちないか正直な所でいえば
少し本業片付けてからやればいいのにと思う。
嫌な事があると鬼連投した後に絶叫して
「死にたい」みたいな事を言い出すのも悪い意味でポイント高い。
それともtwitterはフォローするのは簡単だから
相手的にもremoveは簡単にやっていいのかな?
そのゲームは、友達に誘われて始めたもので、ラグナロク系とでも言おうか、よくあるクリック連打ゲーであり、高めの月額課金だったけれど、なぜだかハマっていた。
飽き性の私にしては珍しく数ヶ月程、他人に比べればずいぶんのんびりと、私にしては熱心にキャラクターを育てていたゲームだ。
途中で、ゲームに誘ってくれた友達の友達(赤の他人じゃないかと言われればその通りである)が主催するグループにも入り、しかし一人で戦っているのが好きだった私は、ソロをしながらチャットを眺めるだけだった。
そして時間も過ぎていって、グループのメンバーは日毎にいなくなっていき、友達もログインするのをやめ、そして私もやめてしまった。
引退宣言などはしていない、するような相手がいなかったと言うのが正しい。
なぜなら、私がやめた頃にはもうグループのメンバーは誰一人ログインしなくなっていたから。
交流しない、あるいはできないタイプだった私は、グループ以外に知り合いはいない。
だから、再度ログインしても、ただ自分のキャラクターを走らせることができるだけだ。
それでも久しぶりにログインしようと思ったのは、新しいキャラクターが増えていた事と、古いアカウントの一斉削除があったと風の噂で聞いためだった。
あまり変わっていない公式ページを開き、ざっと見回る。
いつの間にか基本無料のアイテム課金になっていたらしい。人が減った?時代の流れ?いずれにしても、ログインしやすくなったのはいいことだ。
「古いアカウント削除について」というタイトルのついたページの記述によると、削除されるアカウントの条件ではないので、自分のアカウントは消されていない。
それはわかっていたが、もしかしたら消されたかもしれないと、そんな考えが頭をよぎった。
恐ろしかった。自分でもわけがわからないほどに、ひどく、恐ろしかった。ログインしなければならないと強く思った。
……エラーが出る。
そういえばこのゲームは自動のアップデートがうまくいかないゲームだった。
いつもエラーが出るから、仕方なく最新版をダウンロードし、再インストールするのが常で、それを友達と愚痴ったりしたものだ。今回もまた最新版をダウンロードして、手動アップデートをする事にした。
インストーラーの画面も相変わらずだ。ジリジリとインストール状況を表示するバーが動き、やがて100パーセントになった。
またゲームを起動する。今度はちゃんと起動した。
何かと思ったらプロテクト用のソフトだ。このゲームもこれを使うようになったんだ。あんなにひどい運営だったのに、それなりに仕事してるじゃないか。
そしてタイトル画面。きれいでどこか懐かしい音楽。この音楽に惚れたと言っても過言ではないほどに好きで、サントラまで買った。
ゲームスタートの文字をクリックすると、規約が羅列される画面になる。同意のボタンを押して進むと、サーバリストが出てきた。
懐かしいサーバ名が並ぶ。いつもログインしていたあのサーバをチェックして次に進む。
アカウント名とパスワードを入れる画面になった。奇跡的に両方とも覚えていて、スラスラと入力しエンターを押す。
サーバからの返事を待つこと数秒、キャラクター選択画面が出てきた。
ああ、無事だ。自分の育てたキャラクターはまだ存在していた。まだ、生きていた。安堵して、思わずため息がもれた。
メインで使っていた、一番レベルの高いお気に入りのキャラクターを選択する。数秒の間があって、画面が切り替わった。
キャラクターが降り立ったのは、一番良く使った町の銀行だった。たぶん、物やお金を預けた後ログアウトしてそのままだったんだろう。
人、減ったんだな……。
そう思いながら持っているアイテムや装備を見て、ステータスを見る。
こんなに育てたっけ?と思った。記憶が薄い。
グループの情報を見る欄にカーソルが合わさり、グループの情報が表示される。
私がいたグループはなくなっていた。
多分、主催者が長くログインしていなかったからだろう。主催者が長期間ログインしていないグループは自動的に消えるようになっていたはずだ。
なんだかすっきりとした気分だ。
グループが共同で使う倉庫にレアアイテムがかなり入っていたが、だれかが持ち出していない限り消滅しているはずで、それは惜しいとは思ったけれど、それだけだった。
薄情なんだろうか。わからない。
いずれにしても、もう誰ともつながりがない。
ひとりだ。
そうして、一人のまま戦いに出かけた。
いつも行っていたダンジョンへ行くと、レベル差を表すモンスターの名前の色が違った。どうも修正が入ったらしく、昔より相手のレベルが低い。戦ってみると、すんなりと倒せた。弱くなっている。
驚いたのは、入ってくる経験値はむしろ昔より高くなっていた事だった。
変わったんだ、そう思った。
結局、その日はそれだけを確認して、ゲームを終えた。
昔ほどの情熱はない。
ただ、どんな風に変わったのかを確認するように、少しずつ、見慣れた町を、昔はレベルの関係で入れなかったダンジョンを、やめた後に増えたダンジョンや町を見て回る。
知り合いは作れてないけど、一人でも結構楽しくて、つい夜更かししてしまう。いけないいけない。ネット廃人は危ない。
いつかまた、ふとしたきっかけでやめてしまうかもしれない。いや、確実にそうなるだろう。
起動がなんといっても速くていい感じなんだけど、やっぱりFirefoxがいいなぁ。
ニコニコとかのFlash Video使っているWebサイト見ると重すぎる。
おまけにCtrl+KとかCtrl+Eとかでロケーションバーに?出して、日本語を入力して未確定のままサジェストを押してエンターキーを押すとクラッシュとか笑えない。
┌─────────────────┐ │?にほんご │←未確定でにほんごってなってるときに ├─────────────────┤ ^^^^^^^^ │Google で にほんご を検索 │ │www.xxx.com │ │www.yyy.com │ │Google で 日本テレビ を検索 │←これを選んでEnterキー押すとクラッシュ └─────────────────┘
Firefoxつかっててもあんまりアドオン入れてないから困らないちゃ困らないんだけどFlashVideoが劇重なのがなんとも・・・
みんなもニコニコみると重い?
マスゴミとも揶揄されがちなマスコミと、2ちゃんねるや増田など匿名をかさに着たネット弁慶が、何故かどちらも『いじめっ子』の立場を取るのは何故なんだろう? 結論から言うと『その気になったらいじめっ子になれるよう体に叩き込まれてるから』じゃないかと思う。
さてこんな属性を妄想してみると、前者は明らかに『いじめっこ』の行動や言動とかが自然に出てくる位置にいることが分かる。例えば他人を『いじる』ことは相手にとって不快になりえる、ということを器用に棚上げしてその場を乗り切るタイプ。何が面白いのか分からない(何故か関西弁を喋る)関東系テレビ芸人みたいな奴な。そんな人間が報道の現場や内容を仕切っているのだから、そりゃ流れてくる情報が『いじめっこ体質』になるのは仕方のないことだろう。いじめられっこは見るに耐えないが、いじめていることを周到に隠したいじめっこは時折エンターティナーになりえる。その相手を犠牲にして。
では後者は? これは彼らの立ち位置から来る自然発生的『不満』がトリガーになっている可能性が高い。彼らはその狭い想像力と過剰な共感力で問題を単純化し自分の中に取り込む。(であるが故に仕事上希にすばらしいパフォーマンスを示すことがあり、有能な上司の下で働くと双方が幸せになる。)しかし己の解釈と現実とのずれが広がりはじめる、あるいは刹那的な衝動に襲われたとき、これらのパフォーマンスを安全な形で外に発露するうえで、ネットの匿名性は極めて効果的に機能する。このときの振る舞いとして参照されるのが、かつて自分を抑圧していたもの、具体的にはいじめっ子、なのではないだろうか。このとき、いじめの対象となるものは明らかにネット弁慶よりも『強者』かつ『言い逃れ出来ない弱点をもつ者』でなければいけない。この2つは『相手は俺とは違う存在だ』ということを強めるために必要なのだ。片方だけでは足りない。流行りの言葉で言う『あなたとは違うんです』ってやつだ。自分に似ているところが少しでもある相手には何も言えないから。で、困ったことにそれを捉える視野が、ネット者は時折意図的に狭いことがある。あたかも前者が相手の気持ちを棚上げして場を乗り切るかのように。
であるが故に、マスゴミとネット弁慶が目標とするターゲットが同じとき、そのパワーはアホみたいにふくれ上がる。なにせ動機はどうあれ、力の向いている方向が同じというわけだからな。誰がその発端になっているのかは分からないが。そして、困ったことに一度同じベクトルを向いたこの両者は、よほどのことがないとお互いがお互いを牽制する術を持たない。ベクトルが若干ずれている限りは大丈夫なのだが。だから多分、マスコミ叩きがあるように、ネット叩きがあり続けるのは、ある意味健全なんだうし、マスコミ間のたたき合いが一切ないのはおかしいとも言える。
ここまで書いて、結局元増田が感じていることは『何故現代日本はここまで他人への攻撃性を増幅する仕組みに富むのか』ということへの漠たる疑問であることに気づいた。なんかそんなこと他にいっぱい考えてる人いるよなあと思ったら一気に書く気が失せたぞ。だんだん誰に向かって書いているのか分からなくなってきたし。
結局最後に何が言いたいのかといったら、もしこれを読んでいる増田が、ある日何かしらの理由で攻撃的な悪意を向けられたと感じたら、まず真っ先に『裏の取れない』ネットからは距離を置いたほうがいいんじゃないかなあ、ってことなんだと思う。あるいは、ネットではー云々とか言いやがる人間の言うことは話半分以下で聞くことだ。そうすることでおそらくダメージは半分くらいになるんじゃーないかなあ、ってことだ。そしてその上で、もしリアルに頼れる人が一人もいないと感じるのであれば、旅にでも出たらいい。死ぬよりよっぽどましだと思う。相談所みたいなところもあるようだから活用したらいい。知らない人に話すと案外楽になれることも多い。だからといってネットに書き殴るのはよくない。やっぱり声を出したり行動を起こしてみるのがいい。途中で話せなくなること自体がメッセージになることだってある。
サザンオールスターズが嫌い。すごく嫌い。
あの声、歌、聴くだけで耳が拒否反応を起こす。
でも原由子は好き。
なぜ嫌いなのか。自分を問い詰めてみた。
その理由は学生時代にあった。
高校のころ、サザンオールスターズが好きな奴が居た。
だがそいつは周りから嫌われてた。今で言うKY的な(古い?)存在だった。
ただ鬱陶しいような奴だったら俺は適当にあしらうのだが、そいつの鬱陶しさは尋常ではなかった。
例えるなら、エンタ芸人くらいの鬱陶しさ。見ててなんだか歯痒い感じ。すべてがなんだか空回りしているような。
たぶんこれが原因だと思う。よくわからんが・・・
サザンオールスターズだけでなく、倖田來未とか湘南乃風とかGreeenとかオリコンチャート上位を占めている曲も嫌い(これ以外にもたくさん居るが)。特にSEAMO。あれは生理的に駄目。気持ち悪い。