https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899
この記事に本気で吐き気を催し、恋愛工学2.0というコメントに深く頷きかけたけど、ゴニョゴニョと考えているうちによく分からなくなってしまった。
著者は、自分が所属するコミュニティで見られた「犯したい」とか「お前の身体に性的魅力を感じる」と直接伝える行為について苦言を呈している。実際に危害を与えられ傷つく人間がいるのだから、それを減らそうという主張はある種の正義と言えそうだ。
記事に対する批判の多くは著者が「女性の気持ちを理解している」と「アピール」し「モテようとしている」と感じられることに向けられている。
でもそれの何が悪いんだ?
俺の思考力が足りないからだろうか。仮に著者が「無理して飲まなくていいからね、気にしなくていいからね」とかわいい女の子に話しかけながら、脳内ではセックスに持ち込むことだけ考えていて、実際その後セックスすることになったとしてもも、別にそれでいいのではないか。「いいからね~」のくだりの間、机の下でチンポギンギンに勃起させてたことを女の子が知らなければ何の問題もないように感じてしまう。
なんならそれさえ知られてもいい気さえしてくる。性欲はある程度仕方のないことだし、チンポギンギンだったとしても両者にとって楽しいセックスであれば完全にwinwinだし、ましてレイプや傷害では全くない。幸い日本では内心の自由が保障されている。
毎度このあたりまでくると、こうした問題を最終的に「個人の好み・性癖の差」(この"性癖"は性癖警察に怒られるほうの意味)として終わらせてしまいそうな自分が怖くなる。
言い換えるなら、所謂「恋愛工学1.0」がそれなりに話題を呼んだのも、そうした理屈の中で語られる、"女性に対して抑圧的な男性像を好む女性"が一定数存在したからかもしれない。「1.0」「2.0」「3.0」、どれを好むにしても、そのうえで実質的な害がなければ非難される理由は何もないのではないか。「1.0」で害が多かったから「2.0」が好きな人が増えた。それのどこが悪いのか。「2.0」はお好みでない? 確かに、モテを気にせずチャラいサークルに触れもせずTiktokもやらない「3.0」の俺は本当にクールでタフだ。あなたも試してみます?
件のSNSでの反応やブコメを見る限り、違和感を感じる人もいながら、でも多くは「危害を加えないことが何よりも大事で、著者は立派」という結論に落ち着いている。
そう、こんな日記をごにょごにょと書いてチンポギンギンとか連呼してる俺は明らかに不快かつ不利益な存在で、対して「無理して飲まなくていいからね、気にしなくていいからね」とギンギンさを隠そうとアピールしてくれている著者は、多くの人に共感・快感を授けてくれる有益な存在だ。誰にも刺さらない不毛な長文を書いている自分は社会から必要とされていない気がしてくるし、それはおそらく事実だろう。
自分が「モテるための言動を忌避」するのはそれが「正しいから」だとか「男女平等に貢献できるから」ではなく、単に自分の好みでそうしているだけ。何の問題があるのか。記事と著者にも同じことが言える。「モテるため」の何が悪いのか。
恋愛工学が批判されてるのと同じでは
恋愛工学が批判されてるのはある程度明確な被害者が多数いるからってのが大きいと思うんだが、 一方の恋愛工学2.0とやらには果たして明確な被害者が居るのだろうかって、そういうこ...
そりゃ非モテが一見優男風に下心見せてきたらいわゆるニチャアよ
安原健太って人はたぶんモテ男だし、優男風なのか真の優男なのかは受け手の要因もめっちゃでかいやろ