E-Mail というものをめっきり使わなくなったが、サービス側からコンタクトを取るときは、他に情報が無いために使用されることがある。認証以外の用途で MUA を開くこと自体が珍しい。
自分が E-Mail を頻繁に使用していた頃は、丁度 HTML メールが出始めた頃だった。
Mac では、プレーンテキストか HTML によるリッチテキストかは意識されないようになっている。 UI としては正解である。しかしまだ色んな制限のある環境があった中で、 MUA を限定するコンテンツは「いけないもの」だった。読めない人が居るそれを送るのはリテラシーが不足している者の行いだった。機種依存文字のように。
アプリケーションとしての MUA を使用しているときは、当然プレーンテキストのみで送信していた。しかし今は、通知や認証にしか使用しない E-Mail は Gmail に任せきりだ。以前は Gmail にもプレーンテキストしか送信しないオプションがあったように記憶しているが、今はもう何も分からない。色んなことが不可視に行われるが、「いい感じ」にしてくれるだろうという期待は Google にはもう持てない。
サービスからのアクションを求められる E-Mail を受けて、返信を書いた。 JavaScript で実現したリッチテキストエディタに見えるそこに入力したが、送信する直前に不安になった。本当に同じものが見えるのだろうか。
改行がめちゃくちゃになった本文が表示された。最近はそもそもプレーンテキストを扱うエディタ自体が少ないが、昔から使っているものにペーストしてみたらこの有様である。このまま送って、あちらがプレーンテキスト環境だった場合、早口オタクみたいな文章が送信されるところだったのだ。
引用部分をコピペをしたために HTML メールになってしまったのか、あるいはデフォルトでそうなるのか、今は調べる気にならない。ああ昔だったら怒りの瞬発力で調べられただろう。今はもう、疲労が先にくる。部下を罵倒すればよしなにやってくれるなら、そうしていたかもしれない。
色んな思いを色んな環境で書いて、しかしどんな環境で見ても筆者の意図を損なわないノウハウがあった時代を思う。それはもう失われてしまったのだ。
テキストのコミュニケーションが生来あるからか。いやしかし、思春期にケータイメールを多用していた者としては、テキストのちょっとした違いや文字幅などの表示の違いが受け手の感情に作用するのを知っている。表示形式をコントロールしたいと思うのは当然だろう。
色んなツールを使うとき、仕組みも分からず使える訳がないと思っていた。それが正しい態度だと思っていた。でも今は色んなツールが色んな作用を起こしていて、すべてを把握するのは難しくなってきた。変化を受け入れられなくなることこそが老化かと思い、徐々にまかせるようになってきたのに、この裏切りである。
そんなことを気にすべきでは無いのだろうか。 HTML メールを表示できない環境のことなど意識に上げないのが正しい行いなのだろうか。しかし現代では、マイノリティの権利が不当に侵害されてきた世界が、是正されている気配を感じる。それなのに、ネットワーク上のサービスのユーザエージェントの多様性を認めないなんてことはあるだろうか。
なんだろう。分からない。なんだかもうなにも分からなくて、普通の人が普通に振るう普通という暴力に、インターネット上でも翻弄されるしかないのだろうか。