私は、5年間ほどですが、推していた大好きな男性声優さんがいました。
その方は、推し始めた時はまだ若手でしたが、今では所謂中堅声優と若手声優の間くらいの立ち位置。アニメは毎期何かしらの作品には出演しているし、ラジオもレギュラーを何本か持っています。最近…ここ1、2年ほどですが念願のソロデビューも果たしていて、推していて本当に楽しい方でした。
出演作品やラジオは勿論ですが、イベント、ライブ、稀に出演される舞台も、全通は無理でしたができる限りは追っていました。載っている雑誌も死ぬほど買いましたし、CDも積みまくりました。
推しを応援することが生きがいだと思っていましたし、実際そうだったと思います。
でも振り返ってみると、本当に推していて楽しかったのは最初の2年くらいだった気がします。
その当時持っていた1番可愛いと思う服を着て、何回も書き直して書いたお手紙を用意して、電車や会場までの道順を何回もチェックして…。開演の1時間前には会場近くでドキドキしながら友達と推しの曲を聴いて待機していました。
初めて推しを生で見て、「本当に生きてるんだ…」と感動しました。思わず泣いてしまうくらい興奮して、ステージの上でキラキラ輝いている推しが世界一カッコよく思えました。
何日経ってもその姿、声が忘れられなくて、推しへの「大好き」がどんどん膨らんでいって胸がいっぱいで、苦しくもありましたが、それ以上に幸せでした。
この時は私も高校生で、推しに毎月のように会うことは難しかったというのもあってか、推しに会いに行ったイベントは全部特別で大切でした。
もちろん、推しへの「好き」という気持ちはまだあります。でも、推しを応援し始めたばかりの時の過去の自分と同じくらいの熱量は今、全く持てません。
推しのイベントに行っても現場慣れなのかなんなのか、全然高揚感はないし、面白いと思う時もあるけどシンプルに内容がつまらなかったなと思う時も増えてきました。手紙を書く回数も減りました(自己満なのは分かっていたのですが、お手紙を受け取っている様子が全く感じられず勝手に悲しくなったからです)し、推しへの熱量が無くなっていくことをなんとなく自分の中で自覚してきました。
でも、猛烈に推しを好きだった過去の自分を思い出してしまうと振り切れませんでした。
回数は減りましたが、なんとなく現場に行って、なんとなく雑誌を買って、なんとなくCDを買って…
この「なんとなく」が、少しずつ重荷に感じてくるようになりました。「行きたい!買いたい!聴きたい!」が「行かなきゃ、買わなきゃ、聴かなきゃ」に変わっていました。今思えば推しを追うことに義務を感じていたのだと思います。
そして今、コロナの影響で現場はすべて潰れました。行く予定だったイベントは先日すべて払い戻されました。
イベントもない。CD発売もない。推しからの供給もほとんどない。
とうとう私は重荷に感じていた「なんとなく」の呪縛から解放されてしまいました。
なんだか寂しいようでもありますが、それ以上に私は、推しのいない今の生活を普通の生活として送れています。推しへの興味がなくなったかというと、そういうわけでもないですが、謎の義務感から解放されました。
推しを降りるタイミングは今まで何度もあったはずなのにできなかったのは、決定的なきっかけがなかっただけだったのかな〜と思います。
こうしてブログ記事にして文章にすることで、いよいよ自分の中でも整理がつきました。
長いこと応援させてくれた推しには感謝です。沢山の幸せとときめきをありがとう!毎日楽しかった!推しは本当に素敵な人なので、幸せになってほしいと思うし、いつだかの雑誌で語っていた夢をぜひ叶えてほしいなと思っています。
コロナ禍でオタ卒、担降りした方って私だけじゃないだろうな〜と思いながらもつらつら書きました。人それぞれに考えがあると思いますが、Twitterで各界隈で個人名を出して「担降りします」「ペン卒します」とかお気持ち表明してる方を見かけると、関係のない私でさえちょっともやっとするし、推してる方が見たら不快だろうし、わざわざ書くなよって感じだと思うので誰も見てないところに書きました。
またオタク女のお気持ちかよ