生理的嫌悪感をかなり的確に表現したものでネーミングセンスいいと思うんだけど
一気に広まりすぎて各人が別々のものを思い描いているような気がするので
きちんと分類して、それぞれどう向き合っていったらいいか考えてみる
他人の性欲に対して嫌悪感を抱くことのうち、女性から男性に対して偏って発現するものと
これらは発現する対象も違えば対処方法も違う。更にいうと他の欲望に理論を応用できるかどうかにも違いがある
例を見てみよう
性欲とならんで三大欲求に例えられる食欲はほぼ性欲と似たような性質を示す。
身体的な負の食欲は「それを摂取すると身体に不利になるという嫌悪感」だ。まずいものを見た時なんかよく引き起こされるだろう
社会的な負の食欲は「それを発揮する人がいると秩序に危機が生じるという嫌悪感」だ。食べ物が少ない時に食べたい、食べたいと駄々をこねる人に対して起こる
ここまではよいが、三大欲求のもう一つ、睡眠欲は身体的な負の欲求は見当たらない。
「その種類の睡眠は身体に不利だ」なんてものはなく、睡眠は睡眠だ。我慢したら勝手に寝てしまう
ところが社会的な側面は必ず存在し、他人が居眠りしたらイラッとする場面など容易に想像がつくだろう。
欲望は三大欲求だけではない。マズローで有名な承認欲求や自己実現欲求なんかも存在する
これらの要求は高度な精神活動なんで「満たすと身体に不利だ」なんてものは存在しないが
社会的な負の欲望は相変わらず存在する。承認欲求ダダもれなネットの書き込みや、意識高い系の人間の言動に
身体的な負の性欲は本能として起こるものであり、それは正の性欲と同様抱くのをやめるなんて無理だ。尊厳に反する
それはそれとして、すべての欲望を叶えるなんてリソース的に無理なので、欲望をうまく解消できる社会を作ったほうがいいだろう
正の性欲ならポルノを上手に使うべきだし、負の性欲を満たすポルノ(無謀な性アプローチをする男を袖にして楽しむフィクションなど)だってあってもいい
例えば承認欲求・自己実現欲求から真に解脱した人間は、それが周囲に及ぼす影響を冷静に判断するのみで、心を乱すことはないだろう
何より承認欲求も自己実現欲求も、適切に扱えば社会を正しく回す原動力になるので
まず感情ベースで負の欲望をダダもれさせることはせず、いい影響と悪い影響のバランスを考えながら適切な処置を出すべきなのだ
性欲にももちろんいい影響はあり、例えば長年連れ添った夫婦なんかは一定の性交渉があったほうが関係を長く続けられるだろう
ヨーロッパあたりでは夫婦間の性交渉の不足が離婚の事由になったりするらしいし
自分が社会的な負の性欲を抱いた時、「これは表現するほうが適切なんだろうか」などと一度胸に手を当てて考えた方がいいだろう
それはちょうど、負の自己実現欲求を抱いた時、「意識の高い人、肯定してもいいじゃないか」と立ち止まって考えるのと同じようなものだ
人には侮辱を禁止する癖に自分はやる 物事の全部がジョーカーに内包されてる