2016-12-04

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.京アニアニメって、なんであんなに「京アニっぽい」のですか。

言いたいことは何となく分かるぞ。要は作られたアニメ作風に、ある種の一貫性があるってことだろ。とりあえずテキトー検索して調べた範囲のことを咀嚼したのでお答えしよう。


基本的現在日本アニメの多くは、出来を語る際にスタジオ体系で語ることに、さして意味はない状態だ。アニメ構成する様々なものは、フリーランスの人たちを一時的に雇ったり依頼したり、他の所から外注しているのが主で、制作に関わる人たちはガラリと変わりやすい。

独自作風で知られているシャフトも、近年の代表作品の背景美術は「竜美堂」という美術・背景専門スタジオと手を組んで制作していることが多い。竜美堂が潰れてもシャフトはなくならないが、“シャフトっぽさ”はかなり減るか、ぎこちないものになるかもしれないな。

だが、京アニは体系がちょっと特別なためスタジオ規模で語られやすい。他のスタジオ外注でやっている多くの工程を、自社のスタッフほとんどやっているからだ。元請制作でほぼ出来ているので、作風にも一貫性が色濃く出やすいのだろう。


例えば特定の人にやって欲しいとき、その人がフリーランスだと他にも仕事があったり逐一の連携もとりにくい。スケジュールの遅れが余儀なくされたり、方針の変更を強いられるといった状況になることもある。そのダメージをもろに受けやすいのは特に作画方面だろう。

だが、スタッフの確保が自社内で十分に可能ならばスケジュール管理が楽であるということで、作画の安定にも繋がる。1話放送する前からスケジュール調整の賜物か全話のほとんどは出来ているケースもあるらしく、手直しする余裕もあることでより完成度は一定を保っている点も、スタイル一貫性に一役かっているのだろう。

また、例えば担当美術スタッフなどが表現に苦戦していたとき、社内の別の美術スタッフ相談するなんて連携もしやすいだろうから、より作風統一感が生まれやすい。

あと、京アニアニメーターのための学校もあり人材育成もしているので、このあたりも関係しているだろう。「境界の彼方」の作画とかは卒業生が多く参加しているらしく、その成果が出ているようだ。

ここ数年だと、原作すら自社出版なんてケースもある。元請け作品がなくて上から企画を貰えないせいで、何も始まらない(アニメを作れない)ということは往々にしてあるので、それを自社で賄うってのは何気に重要だ。そうしてコンスタント提供できるというのは、京アニスタイルなどのイメージ受け手に根強くする要因にもなる。

あと、給料が歩合制ではなくて固定給らしい。これは、どんなに頑張って早く仕上げても給料が同じということで一概にいいことではないが、逆に考えれば時間をかけて一枚ずつ描いてもよいということで、これも間接的にクオリティの安定に繋がっているかもしれない。


まり質問の答えは、京アニ制作においてスタジオ内での“自己完結度”が非常に高いので、そのスタイル作品にも色濃く出やすいということだ。もちろん100%自己完結というわけではないが、ほとんどの制作は社内のスタッフでやり、人材育成もやっているので一貫性が生まれやすく、京アニアニメは多くが「京アニっぽく」なるんだな。

もちろんそんなことが出来るのは、とどのつまりお金時間をかけたかなのだが、まあそれをコンスタント可能にすることが並大抵のことではないのは、私みたいな素人でも分かることだ。

私は京アニ作品は全体的に好みではないのだが、今回調べてみて分かったクレバーさには少し感心した。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん